再生するタワゴトver.5
りばいぶ



 進むしかない。一人一人。

沖縄での戦後75周年『洞窟(ガマ)』の本稽古始まる。
姿勢を正して、ちゃんとじっくりといろんなモノに向き合いながら、面白い作品を生み出すスタートを切った。
味方だと思った所から弓を引かれ、足を引っ張られているけれど。
話しても話しても暖簾に腕押し、空回り、鈍過ぎる対応。
きっと『それどころじゃない』んだろう。
1クール終わって、思い切り迷惑をかけているのだから、情勢の確認くらいあるやと淡い期待も脆くも潰れ、
怒りも度を過ぎると、諦めしかない。
そんな集団とはもう付き合いません。先の仕事も、こちらの仕事自体を否定するのだから、残念だけどご一緒できません。やりません。
とゆうか、そこまでしないとどれだけのことをしたのか、分からないのだと思う。
当事者も、周りも。特に周りの、流れと雰囲気だけに任された陰口ばかりを放ち、責任を取らず、当該の人物だけに重くのしかかる空気を率先してつくる残念な人たちよ。(これだけ一緒にモノを作ってきたと思っていたはずだった)
非常に悲しいことだけれど、やっぱりモノづくりは、人との信頼の上にしか成り立たないです。

だからこちらはできることを、実感しながら
メンツなんて気にしないで、参加者一人一人全てで能動的に参加度高く手作りで創っていこう。
それが、この地で、大切な、大事な作品を手掛けさせてもらう(本の書き直しまでも)機会への処し方だ。

エーシーオー沖縄
『島口説』/青年劇場スタジオ結
〇9月25日(金)19:00 9月26日(土)14:00 19:00 9月27日(日)14:00
脚本:謝名元慶福 脚色・演出:藤井ごう
 www.acookinawa.com
『洞ガマ窟』~戦後75年~/ひめゆりピースホール(栄町市場内)
〇10月25日(日)~10月31日(土)
脚本:嶋津与志(大城将保) 脚色・演出:藤井ごう
 www.acookinawa.com



2020年09月14日(月)



 過去と現在と未来。

気が付くと夏らしいことなんか何もしないままに八月も終わった。
アベも終わった。最後のくだらん物語のムードに流されて、なんだか70パーセントの人が、評価する。となったこの日本のいや、個人の在り方よ。簡単に物語に乗せられてしまうのだなぁ。物語の創り手である僕らは、このことをよーく捉えておかないといけないと思っている。
緊急事態宣言が解かれてから、抗体検査やら、PCR検査やら受けながらの本番やら稽古。
青年劇場「キネマの神様」はある種の厳戒態勢の中で、ひと月半の長丁場を誰の離脱もないまま旅を終えた旅班に拍手。もちろん、万全が何かが誰にもわからないなかで最大の準備をして迎えてくれた九演連の皆様の努力のお陰、大拍手。稽古場の要求は普段より高くなった。なにしろこの禍に人から求められて公演を打つことができるのだ。
そしてこの禍だからこそ、いかに「演劇というものが客席と出逢うことで完成する」「一緒につくる」ものであるか、声が出るわけでもないのだが、その温度によって舞台上がどれほどの影響を受けているものなのか、改めて実感をさせてもらった。
得難い機会だった。
今年オンラインでの授業やら稽古の最初の方で説明を繰り返していた

舞台芸術は、場を共有する目的をもった媒体である。

ということ、
つまり、客席にも想像力の共有を強いる芸術であるということ。
なので、簡単に「無観客」やら「配信」とはいかないこと。
改めて、強く確信を持った。(もちろん芸術は時代の要請でこの先も変化していくと思いますが)

合間でコロナガイドラインに沿って、再演にむかう「島口説」の演出変更。
10月に同じく沖縄で公演する「洞窟(ガマ)」のリライトの為の取材と実地調査。
飲み屋にも行かず、ホテルと稽古場の往復。
東京では、すべての移動を自転車に変え、養成所の中間公演の稽古、そして本番。
「今だからこそ」をどれだけ感じ、自分の地力の蓄えにかえられるか。
生徒たちも「どうなるかわからない」中で、最大限の努力をし、わからない、と、むずかしい、に対峙していた。
そして、初めてご一緒する劇団銅鑼さんでオーディションWSをして、来年3月に向けて始動。
12月に再再演が控える「太平洋食堂」の事前稽古、WSも始まり、あらためて仲間群の多い現場の強さと厳しさ両方を思う。
今のところコロナになって、三本の本番が日の目を見る機会を失くしたけれど、有難いことにモノを創る機会を取り上げられることはなく済んでいる。
立ち止まらず一つ一つ、求められるものを丁寧に大胆にやって行こう。

そんな中で、来年以降で以前から演りたかった仕事のオファーが重なり、
断らなくてはいけないもの(惜しすぎる…)、逆に承ることのできたもの。今までをベースにして、新しい出逢いができる機会を嬉しく思いながら。
今までを大きく疑う事態に遭遇もして、「これから」とゆうものを考える。
「師匠に似てきた?」と言われて、「いやいや、それ程では」とか言いながら、
そういえば、その師匠が「こいつ怒ると本当に大変だから」と他の人に言っていたことを思い出す。(一時期は必ず「怒ってない?」と皮肉も含めて言われていたなあ…)
私はとにかく、「面子」やら「規律」やらよくわからないものより、関わってくれる「人」を大事にしたいのだ。「縁」を大切に。


2020年09月04日(金)
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