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■ 過去と現在と未来。
気が付くと夏らしいことなんか何もしないままに八月も終わった。 アベも終わった。最後のくだらん物語のムードに流されて、なんだか70パーセントの人が、評価する。となったこの日本のいや、個人の在り方よ。簡単に物語に乗せられてしまうのだなぁ。物語の創り手である僕らは、このことをよーく捉えておかないといけないと思っている。 緊急事態宣言が解かれてから、抗体検査やら、PCR検査やら受けながらの本番やら稽古。 青年劇場「キネマの神様」はある種の厳戒態勢の中で、ひと月半の長丁場を誰の離脱もないまま旅を終えた旅班に拍手。もちろん、万全が何かが誰にもわからないなかで最大の準備をして迎えてくれた九演連の皆様の努力のお陰、大拍手。稽古場の要求は普段より高くなった。なにしろこの禍に人から求められて公演を打つことができるのだ。 そしてこの禍だからこそ、いかに「演劇というものが客席と出逢うことで完成する」「一緒につくる」ものであるか、声が出るわけでもないのだが、その温度によって舞台上がどれほどの影響を受けているものなのか、改めて実感をさせてもらった。 得難い機会だった。 今年オンラインでの授業やら稽古の最初の方で説明を繰り返していた
舞台芸術は、場を共有する目的をもった媒体である。
ということ、 つまり、客席にも想像力の共有を強いる芸術であるということ。 なので、簡単に「無観客」やら「配信」とはいかないこと。 改めて、強く確信を持った。(もちろん芸術は時代の要請でこの先も変化していくと思いますが)
合間でコロナガイドラインに沿って、再演にむかう「島口説」の演出変更。 10月に同じく沖縄で公演する「洞窟(ガマ)」のリライトの為の取材と実地調査。 飲み屋にも行かず、ホテルと稽古場の往復。 東京では、すべての移動を自転車に変え、養成所の中間公演の稽古、そして本番。 「今だからこそ」をどれだけ感じ、自分の地力の蓄えにかえられるか。 生徒たちも「どうなるかわからない」中で、最大限の努力をし、わからない、と、むずかしい、に対峙していた。 そして、初めてご一緒する劇団銅鑼さんでオーディションWSをして、来年3月に向けて始動。 12月に再再演が控える「太平洋食堂」の事前稽古、WSも始まり、あらためて仲間群の多い現場の強さと厳しさ両方を思う。 今のところコロナになって、三本の本番が日の目を見る機会を失くしたけれど、有難いことにモノを創る機会を取り上げられることはなく済んでいる。 立ち止まらず一つ一つ、求められるものを丁寧に大胆にやって行こう。
そんな中で、来年以降で以前から演りたかった仕事のオファーが重なり、 断らなくてはいけないもの(惜しすぎる…)、逆に承ることのできたもの。今までをベースにして、新しい出逢いができる機会を嬉しく思いながら。 今までを大きく疑う事態に遭遇もして、「これから」とゆうものを考える。 「師匠に似てきた?」と言われて、「いやいや、それ程では」とか言いながら、 そういえば、その師匠が「こいつ怒ると本当に大変だから」と他の人に言っていたことを思い出す。(一時期は必ず「怒ってない?」と皮肉も含めて言われていたなあ…) 私はとにかく、「面子」やら「規律」やらよくわからないものより、関わってくれる「人」を大事にしたいのだ。「縁」を大切に。
2020年09月04日(金)
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