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■ コロナ禍。。
専門家の言うことも聞かず、実数の把握もできず、 取り組みながら、現在の状況をカンペに書いていないから 「こ、こ、ここに、書いてないじゃないですか!」と逆切れするトップの天井人の在り方で、すべての延長がなされようとしている。 かつて、学生時代から追っかけていた作演出家がいて、 いつの間にやらこちらも好みが変わり、 その方の造作する人物やら状況やらがあまりにも浅はかに見えて、 とんと遠ざかっていたけれど、 今も第一線で売れ続けるその方の筆致の方が、よっぽど人間味もあって、
ああ、なるほど、名作家は時代を先取りする、とはよく言うけれど、このことだ。 事実は小説よりよっぽど奇なり。 と、皮肉めいて思ってみたり、
だから、「今の人たちに売れ続ける」わけだ。 政権も、なにやらも(苦笑) でもそれを選んでいるのも結果われわれなのだ。。 勿論、正しく新型コロナの蔓延は恐れなくてはいけないけれど。
さて、オリンピックが中止となった途端。まるでそれまでの 「問題ない」が嘘のように、完全なる人災とも言えるレベルでの今回の出来事は、無論、三密空間代表のよに言われる劇場での仕事を生業にする僕らには直撃。 そして、唾飛ばしあう中の化学反応みたいなものが尊い稽古も無論やれるわけもなく。 ちょっと前までは、創ってるものが中止OR延期 そしてこの先は、この不透明な国の方向性も絡んで、転ばぬ先の杖状態で、年内の公演を既に中止している所も多くなってきた。 何せ、山場の二週間が、ずーーーーーっと続いているのだから。
僕自身も、まずは五月に演出する筈だった作品が、延期。(この後も続いてくる…) 最悪、劇場は借りてしまっているので、小屋代はなくならないので、劇場で資料映像撮りまでしようか計画も、明確な数値も未来も示されない延長がくれば頓挫。 ジクジクとしながら、でも、未だ出来上がらない台本と格闘するために、とゆうか、もうありえないぐらい裏切られ続けた顛末よりも、現場から作り上げられるモノを信じてZoomオンライン稽古を繰り返したりしている。 しかし現場の温度を保ち続けるのは、簡単ではない。 この未曽有の事態であるし、 私なぞは全実技オンライン化の無謀の中に身をおいたとしても(講師陣で今、何が生徒の為にできるか、最善を探り合いながら)教えの職があるので救われもするが、殆どの演者さんは、 公演がなくなる=食う術がなくなる わけである。 そして舞台俳優なんてよっぽど商業に近いところでやっていない限り、それだけで大の大人が食べられるよな環境には元々ない中、 「アルバイト」とのかけもちの面々が大多数、 その「アルバイト」すら、「自粛」のおかげでなくなっている始末だ。 勿論、自分たちの業界の話だけをするつもりもないのだけれど。 それでも、「舞台」を「創りたい」思いの強い者だけが残っていくのだな、と周りやら、今の中途半端な現場に身を置かざるを得なくなって思うし、そこで「あたしはぁ」と今の時勢にご自分だけが浸ってメンヘラよろしく他者への想像力を無くした御仁などは、淘汰されるいい機会にも見えてくる。 われわれなぞは、結果が果たされないとわかっている稽古ですらやると「目が開いてしまう」のである。今回それを身をもって体験してしまった。困った性質である。やはり効率とは真反対の所に巣食う生き物なのかもしれない。 なので公演ができなくなって悔しいは悔しい。 とても気にして下さる方々もいる。それはとてもありがたい。 でも今は、である。 劇場の灯を消してしまった今だからこそ、
「今」なにが行われ 「今」なにが変わろうとし 「今」人がどうなっていているのか
しっかりと目を開いてキャッチし、 自分の今できるすべき事をちゃんと見つめ、 歴史の目撃者、体験者として
この「前」 と この「後」
がどう変わるのか、しっかり感じたいと思う。
七月・九月の案件も未だどうなるか… そして、演劇界全体でいっても、この先は確実に変わる。
よく言うところの、無くなって初めてわかること。 それは大体の場合取り返しのつかないことが多いけれど、 まだこれから何かできることはあるはずで、 今までの膿やら構造の軋みやらも抽出して、 これを機に、していこう。 生かすも殺すも自分たち次第である。
今は、演劇やら音楽ではないだろー!と三月から皆に言われ、 でも実際皆が自粛ステイホームとなって、持て余す時間の中で、頼られるのが実は、音楽やら演劇(映画)であるという 不条理ではあるけれど、「必要」なんじゃんてことがわかるだけ、 って、見てる人たちはわかっている、よね?
慌てて何か!するのではなく この中、地に足を何とかつけてやれることを探すのだ。
とゆうわけで、5月22日初日の案件は無くなりました。 きっとどこかでやります。 その時までお待ちください。
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2020年05月01日(金)
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