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■ 青年劇場「子供の時間」演出の戯言。
演出の戯言 「この世を生き抜くための処方箋」
〜一人の少女の嘘によってとてつもない不幸を背負った女性たちの物語〜 1930年代にリリアン・ヘルマンによって著されたアメリカの戯曲。有名すぎる俳優陣で二度映画化された作品でもある。その帯とゆうか、簡易説明に違和感を持った。 確かにそうだ、でも、そう括ってしまえば済む物語なのだろうか、 ネタバレするので詳しくは触れないが、説明には更に『あることのために潜在的な気持ちに気づき、その苦悩は…』云々とある。どうもそうゆうことだけではないのではないか… 稽古場での喧々諤々が始まった。 誰が始めたことなのか、本当は誰が悪いのか、 怖いのは確かに悪意だ。じゃあ悪意ある犯人がいればいいのか、 でも怖いのは「この場を逃れなければ」とゆう当たり前にある他愛のない気持ちかもしれないし、 本当の意味で怖いのは「良かれと思って」とゆう善意なのかもしれないし。。。 人間を奥深く考察したホンは、 人の業、人の罪、神の存在、人間の本質、を捉える。 さて、問題は普段目を逸らしがちなそうゆうものと、どう現場が向き合えるのかなのだー
俳優のための企画を、と言いながら珍しくこちらの提案からスタートした今回、
白黒つけないと後はない、わかりやすさばかり求められる世の中で、こんな作品と出会えたことは創り手冥利につきる。無限の可能性を持ったホンである。時は違えど、描かれているのは、今の僕らだと思うし、翻訳の小池さんのヘルマンへのこだわりを更なる妙味(新改訂版と言って間違いなし)にし、そして複雑で人間味溢れる登場人物たちと出会えたこと、安易な結末を用意しない作品自体のハードル高はあれど、そこに挑戦できる機会があることは演者にとっても幸せな(?苦しい?)筈である。 気がつくと、噓と誠、虚と実、真実と事実、理想と現実。神との関係とゆう日本人には解しがたい壁。人が生きること。等を追いかけている内に、ふと、この芝居は人間の「信頼」についての物語であったのだと合点がいった。 ダブルキャストの面白みを目一杯利用して、二つの物語を生きる。
秋は雰囲気を脱しようともがき、名菜子は凛として立ち、貴緑は「非安定」癖と大いに向き合って、小泉はよくまあ不安がり、蒔田は地下アイドルのリーダーで、知恵は役の要求に答えるように舌ったらずが憑依し、真衣はノラリクラリやり過ごそうとして、岡本はツインテールを疑い少年で難渋する。ゆかさんは歌わないよう羽ばたき、大嶋さんは水を得てアービングの如き飛翔、武智は力持ちが板につき、武田さんは11月を何度言っても忘れがち、、そんな皆をシングルであれやこれや引き受ける崎山さんは限りなくマイペース、終電を茅ヶ崎まで乗り過ごしたりする、、、 そんな女性陣に囲まれた奥原さんは熱くなりすぎにダメが出て女子のよに悔しがり、正一は根から持っている明るさを初めて見せ、ある意味のムードメーカーとなり、そのおば役である湯本さんはドンとこい、で、修子さんは初取組(僕演出と)にしてきわめて自由、二人共現場を強く大きく支えている。 オードリー(ヘップバーン)もマクレーン(シャーリー)もいないけど(僕はシャーリー・マクレーンの大ファンである)、誰が欠けても今回の「子供の時間」は紡げなかったし(それはスタッフさん一人一人にも言える)、一筋縄ではいかない人のダメさ、どうしようもなさ、そして愛おしさが溢れる舞台上となって欲しい。 輝ける一瞬のために。 その為の『準備』の大切さ。 これに尽きる。 空気とか、危うい誰も意図していない気分、みたいなものにごまかされないように流されないようにー
本日はご来場ありがとうございます。狭い所で恐縮ですが、約2時間15分の旅、どうか最後までごゆっくりご覧ください。そして願わくは、この時間を共有してくださる方々が、いろんな感想を持って呑み屋ででも盛り上がってくれ(新宿はそれはもういい呑み屋が日本一沢山あるー何の話だ‥とは言え、忘年会のシーズンなのでお店が空かないかもですが)、実際に隣のテーブルのお客さんに呟いてもらったりして(もちろん、SNSなどで呟いてもらってもいいです(笑))、こうゆう企画がまた皆様の前にお目見えする機会となることを。
藤井ごう
2019年12月24日(火)
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