|
|
■■■
■■
■ 仁さんありがとう。
漸く沖縄から戻り、 そこにとられて整理しきれていない企画、稽古、本番、学校とめまぐるしい中、 中山仁さんのご逝去を知りました。
また演れる気でいたので、とても悲しい… ご本人の意向で、ひっそり静かに送られたのも、仁さんらしく、 でも、だからまた、悲しい。
私としては、数えてみるとたかだか10年に満たないお付き合いでしたが、とても濃密な時間を過ごさせていただいたと思っています。
毎冬、12月の村松サロン劇場。
ステキな出逢いをありがとうございました。 最初にご一緒した、 往復書簡「海をこえて」 僕は行けませんでしたが、 北陸まで出かけることができた 室生犀星 「蜜のあわれ」の金魚に翻弄される老作家… 他にもたくさん、 ずっと朗読劇を、コトバを大切にするモノづくりの基本です。 「海を越えて」は、次に何をやろう、とゆう際に、必ず 「あれはやりたいなぁ、いい作品だよ」 「もっとできたなと思っている」 の、内緒話ももらいながら…
村松英子さんも、 「次は仁にこうゆう役をやらせたいけれど、どう思う?」 「ぴったりじゃないですか」 「恥ずかしがるかしら?」 「最初はスタイルでそういうと思いますけど、お慶びになりますよ。」 「そう言ってくれると思ってた。仁が大丈夫なら私が書きます」 と言ったきり、そのネタはお蔵入り。 …もったいない。
仁さんに、僕がも少し若い頃、
あんたの演出はね、いいよ。 他の人とはね、違う。
と言われたことは、大きな勇気でした。 新しい現場に向かう際の準備と、居方にお墨付きを、もらったようで、絶対にそれをサボらないことが信頼を得るのだ。と教えられました。 その多才と、経験も、ありながら、でもいつまでも悪戯っ子のような佇まい、好きでした。 たまにしてくださる、三島由紀夫はね、 とゆうこぼれ話も好きでした。 一軒目を終えて、帰る仁さんのタクシーに同乗し、地元まで押しかけ飲んだこと。(若い衆はバイクで追いかけた訳ですが) わきまえず御免なさい。
もうお会いできないことが、 まだ、受け入れられません。
だから仁さんが、良いと言ってくれた、 恥ずかしくないモノづくりを続けていきます。
かつて、表現者の在り方。圧倒的に教えてくれた(ご本人の記憶に残っているかは知りませんが)八千草さんの訃報から、数週、 いい縁に恵まれながら、牛歩のような進み方でまたの機会を逸しているような気がしているこの数日。 でも、いつも通り、やります。
感謝
ご冥福をお祈りします
丁度今、朗読劇を作っていて、たまたま仁さんとの話をした次の日のニュースでした。。
2019年11月11日(月)
|
|
|