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■ スターダス・21俳優クラス『髪をかきあげる』演出の戯言
演出の戯言
鈴江俊郎作「髪をかきあげる」。 この台本が書かれたのは、23年前。 1995年はオウムやら神戸震災やら、その前、その後と言われるくらい色んなことの起きる年ではあるのだけれど、そんな大きな事象とは遠く離れたような、ないものねだりな人々の織りなす群像劇。
普通の人を演じる。普通の日常を演じる。 特攻隊やギリシア悲劇やシェイクスピア悲劇やミュージカルを演じてきた面々、 簡単じゃん、とたかを括っていたら、これがまた、 どうやら、何やら、難しい。 そして、でも、どうも、面白い。。 でも、その面白さを伝えるのも、もっと難しい。。。
何だかんだ言いつつ、誰もが、ヒーロー、ヒロイン、正義の人(またはそのはっきりと逆の人)に憧れる。でも、そんなにはっきりした役割で演じるなんて実は殆どないのだ。 市井の人々を舐めちゃいけない、その市井の人々の一見くだらない営みが、世界を表しちゃったりするのだ。ジクジクして、塞ぎ込んで、格好良くないし、ダメさ加減も凄まじいけど、どこか、誰か見知ったよな愛すべき人々。この世界の殆どはそうゆう人たちで構成されているのだー
表現者は自分でない人間に対して、そして、自分とゆう人間に対して、もっともっと興味を持ち、造詣が深くなる必要がある。 小さい世界から、大局を見つめることだってできるのだから。(大きな世界は後期にね) 役を見つめ、自分を見つめる。 彼らは何を「ないものねだる」? 本日は酷暑続く中、遥々のご来場ありがとうございます。狭いところで恐縮ですが、最後までごゆっくりご覧ください。
藤井ごう
2018年08月02日(木)
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