再生するタワゴトver.5
りばいぶ



 スターダス・21俳優クラス『髪をかきあげる』演出の戯言

演出の戯言

鈴江俊郎作「髪をかきあげる」。
この台本が書かれたのは、23年前。
1995年はオウムやら神戸震災やら、その前、その後と言われるくらい色んなことの起きる年ではあるのだけれど、そんな大きな事象とは遠く離れたような、ないものねだりな人々の織りなす群像劇。

普通の人を演じる。普通の日常を演じる。
特攻隊やギリシア悲劇やシェイクスピア悲劇やミュージカルを演じてきた面々、
簡単じゃん、とたかを括っていたら、これがまた、
どうやら、何やら、難しい。
そして、でも、どうも、面白い。。
でも、その面白さを伝えるのも、もっと難しい。。。

何だかんだ言いつつ、誰もが、ヒーロー、ヒロイン、正義の人(またはそのはっきりと逆の人)に憧れる。でも、そんなにはっきりした役割で演じるなんて実は殆どないのだ。
市井の人々を舐めちゃいけない、その市井の人々の一見くだらない営みが、世界を表しちゃったりするのだ。ジクジクして、塞ぎ込んで、格好良くないし、ダメさ加減も凄まじいけど、どこか、誰か見知ったよな愛すべき人々。この世界の殆どはそうゆう人たちで構成されているのだー

表現者は自分でない人間に対して、そして、自分とゆう人間に対して、もっともっと興味を持ち、造詣が深くなる必要がある。
小さい世界から、大局を見つめることだってできるのだから。(大きな世界は後期にね)
役を見つめ、自分を見つめる。
彼らは何を「ないものねだる」?

本日は酷暑続く中、遥々のご来場ありがとうございます。狭いところで恐縮ですが、最後までごゆっくりご覧ください。


藤井ごう


2018年08月02日(木)



 毎日新聞、「日々是、感劇 」『島口説』劇評。

艦砲ぬ喰ぇぬくさー
毎日新聞 2018年7月26日 東京夕刊

 沖縄戦で多くの死者を出し、地形まで変えた米軍の艦砲射撃。「艦砲ぬ喰(く)ぇぬくさー」、すなわち、生き残った者は艦砲射撃の食い残しという沖縄の言葉が、激しさと複雑な思いを物語る。

 その生き残りである主人公スミ子の波乱の半生を描く芝居を、台風が迫る沖縄で見た。笑い、そして泣いた。


 エーシーオー沖縄「島口説(しまくどぅち)」(6月29日〜7月1日、国立劇場おきなわ小劇場、謝名元慶福(じゃなもとけいふく)作、藤井ごう演出)。本土復帰から7年後、1979年に沖縄芝居の女優、北島角子の一人芝居として初演され、上演を重ねてきた。32年ぶりの今回は、沖縄の漫才コンビ、泉&やよい(喜舎場泉、城間やよい)による二人芝居という新演出だ。

 夫となる朝栄との出会いのときめき、一転、敗戦後の米軍支配下における息子や夫の死の悲痛、コザ騒動。沖縄の戦中・戦後をくぐり抜けてきたスミ子を2人が交互に演じることで、より立体的に浮かび上がり、心を揺さぶった。劇中で空気を裂く米軍の爆撃機B52の音に、今なお基地問題に揺れる沖縄の現状がシンクロする。ぜひ本土でこそ上演を。(抜粋)

2018年07月27日(金)
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