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■ 結果。。。
某打ち上げにて、 あり得ないけれど、打ち上げらしくないことをのたまわさせてもらった。 そして、次の日から某作、 色んなことが起こるので、 こちらも、越権して意見を言わせてもらった。 何かが起きるだろうと予測できるのに、言わないのが嫌だから。 皆さまお忙しい。 私も忙しい。 だから仕方ない。 その後、明日のゲネプロまでの九日間の稽古。 覗きに来た人。 ちゃんと通しでいた人、1人。 ダメ出し終わり30分聞いていた人、1人。
因みに、桐生の前の「父と暮せば」(こちらも、次回公演「マッチ売りの少女」来年予約していた小屋の不備により、はっきりとどうなるかわからないのだけれど)、 母versionのト書き読みから、孫世代versionト書き読みに大きくシフトチェンジした今回、仕込み、本番と私が行けないので稽古場ラスト通し。 関係者でない人たち5人観に来てくれる。 孫世代versionト書き読みの人物は、本番想定の緊張感の中できて、早口になる癖も出て、それは良かった。 やっぱり芝居は、見るー見られるの関係からしか発展はしない。
その似つかわぬ席でのたまわったのは、 稽古場を観られるのは、劇団員の特権、その特権があるのに観ないのほ、才能がない、とゆうこと。 これは、世界のN川さんの言葉である。 ここ最近、新劇畑に来て演出した子が言っていた。 新劇は死んでいる… くくっちゃいかんし、くくるものではないし、さして現在差があるわけじゃないし、 結果動かなければこちらのせいか、または、言ってるんですけどねぇ とゆう言い訳を生むしかないわけだが、しかし、 さもありなん。そう思えてしまう悲しさよ。
さぁ、人の振り見てもっと豊かで面白い世界を目指すのだ。
2017年10月05日(木)
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