再生するタワゴトver.5
りばいぶ



 止まらない。

くだらないことはあってもいい、
失敗を目一杯できればいい、
けれど、温度のあがらない稽古場みたいな自分の存在のさせ方はないし。
いないことになる時間て。。
何をしたいと思っているのか、そこを見失ったら、伸びるはずのものも伸びるわけも無く。もっとガムシャラでいい筈なのだ。

ただ、ルールだからの40日拘束なのか、
その間に自分を磨ける40日間ととらえるか、
全然ちがう。
それは采配をふるう立場とて同じこと。
人のフリ見て。
安住しないこと。
今、自分に何ができるかを探求し続けること。
きっと、もっと、素敵な瞬間を創り上げることができるはずなのだ。
最近どうも、ベテランが動いて、下が立ち止まっていることが多くある。
輝ける瞬間は、ずうっと続く訳ではない。その事に気付いている人は豊か。
寝食忘れるくらい、ぶつける何か、であって欲しいものだ。

私は、沖縄で8本の芝居行脚である。
楽しいのと、何しろ、暑すぎるので、ある。
聞きしに勝る、沖縄の夏。

2017年07月29日(土)



 中間発表「待つ」戯言。

演出の戯言


鈴江俊郎作「待つ」。
この台本が書かれたのは、22年前。
世間は色んなことにまだ大らかだったのかもしれない。(とはいえ、1995年は色んなことの起きる年ではあるのだけれど)現代的に言うと、大きく「問題ある」(笑―最初の稽古場の空気的にゆうと)人々の織りなす群像劇。

誰かと繋がっていたかったり、
誰かが解ってくれないと怒ったり、
誰かが連れ出してくれないか願ったり、
こんな筈ではなかったと悔やんだり、
些細な出来事を喜んだり、
現状を憂いたり、
他人を羨んだり、

きっとこの作品の登場人物たちは、世界を救うような英雄にはなれないし、
歴史の教科書や、新聞に載るような大それた事件や徳のある行為もできやしない。
でもそれでも、人生の意味なんて事にふと足を止めて、ジクジクと考えてしまうこともある。
どこか、誰かに、自分に似たような、どうにも仕様のない普通の人々。
自分を振り返ればわかる、人は一面だけでは判断できないのだ。
俳優は心の在り方の専門家でなければー

小さい世界から、大局を見つめたっていいのだ。(大きな世界は後期にね)
役を見つめ、自分を見つめる
彼らは何を「待つ」?

本日はお暑い中、ご来場ありがとうございます。
狭いところで恐縮ですが、最後までごゆくっくりご覧ください。


藤井ごう

2017年07月28日(金)
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