再生するタワゴトver.5
りばいぶ



 渡仏4日目

ホテルに帰ってから〆切迫ったまま放置されている文章を作ったりして、
美味いものを食すも体調は戻らず、まぁ大丈夫、と奮い立たせつつ、今日は朝の待ち合わせまでゆっくりと。バスタブがあるのが、本当にありがたい、お湯もちゃんと出るし。←こんなこと昔は考えもしなかったが…
10:30移動開始、
まずは私がどーしても行きたかった、ギュスタブモロー美術館へ。バス。
アトリエとしても使っていた建物の、壁とゆう壁に、絵がかけられ、鑑賞、とゆうよりも圧倒される。好きなものに取り囲まれる、そしてその情報量に潰されそう。もちろん心地よいのだけれど。
ここは兎に角圧巻。
一日中、酒を片手に(?)座っていたい。
昼食を青島ビール片手に中華して、
30年前に見ることのできなかったエトワール広場の凱旋門。やっぱり圧巻。(でも特に登ったりはしない)
そこから歩いてエッフェル塔広場へ、やっぱりの目玉なのね。30年前は途中まで階段で上ったな…やら、その広場でオートフォーカスカメラ(その頃は蔑称を自覚無しに使っていた)を盗られそうになったのを、不意に思い出す。景観。
この数日、たった数日しかいなかった30年前の記憶がパッと蘇ってくる瞬間に多く出会う。
まぁ、この地は、その後の人生設計(て全然その通りにならなかったが)を決める大元体験では確かにあったのだけれど。
エッフェル塔も登らずに、横を過ぎて、日本人館の裏手に、嘗て、競輪場があった。『ベル・ディヴ』事件(1942年7月16日17日、14500人のユダヤ人がフランス警察の主導の下、収容所に移送される前に、収監された)。記念碑しかないことはわかっていたけれど、これが見つからない。
しかも付近工事中だし。
しばし歩いて、工事中バリケードの奥に、壁プレートがあるのをD・Yさん発見。
エッフェル塔のお膝元、似合わないプレートのメッセージだけがある。
訳してもらいながら見ていると、フランス人がアジア人が凝視しているものに興味を持ったのか寄ってきて。英語で話しかけてきてくれる。
ご本人曰く、これこれこうゆうことがあった、そのプレートだよ、と。
ご本人も界隈の人だけれど、こんなプレートがあったとは知らなかったそうだ。忘れないために必要だね、とも。
わかっちゃいたけどの拍子抜け感はあるけれど、やっぱり見るべきところだった。そのフランス人との出会いも含めて。
夜は、こちらに在研で来ている俳優さんと会って食事する(呑む?)予定なので、それまでの間、昨日見られなかったルーヴルのドラクロワ狙いで。再見。
また、その間に、映画になっているフランスの戯曲を手に入れたくて、訪れたコメディフランセーズ側の本屋になかった戯曲を、D・Yさん遠出して手に入れてきてくれた。感謝。
そのあとちょっとだけお土産の為(オススメしてくるなはD・Yさんだけど(笑))のショッピングをして、
ホテルそばの、駅前噴水で待ち合わせ。
芝居を観たことはあるけれど、初対面です、因みに。
D・Yさんも折角の機会だからご一緒しましょ(演劇制作の仕事もしているから)と三人で、どこか安くていい店は…
など暫く歩くも、三人とも知らないので、結局、BIOマーケットでワインとおつまみ購入し、セーヌ川沿いで乾杯。
これがロケーションも含めて最高な訳です。
しかし、どんだけ外で食ってんだ……(これだけピーカンが続くのは珍しいそう)
すっかり暮れるまで。
ご本人は、9月には日本に戻られるので、『アトリエ』観てもらった時に再会しましょう、新宿の居酒屋で、と別れる。
明日は夕方の飛行機で離れる日。
早いなぁ…
体調は、芳しくない、そりゃそうだ。
でも、明日は朝9時に、観光地にあるのとはちがうマルシェに行きましょう。と、待ち合わせている。ショコラティエ?の美味しいところにも連れて行ってくれるのだそう。←詳細知らず。
蚤の市も見たいし。これはコーディネートしてくれた通訳F・Sさんも言っていたけど、D・Yさんも、フランスの知らない部分に触れるので興味深いとのこと。日本のことを考える暫し……


2017年06月17日(土)



 渡仏3日目。

朝はホテルのロビーにあるエスプレッソマシンでコーヒー、冷房にやられて(移動疲れも大概にあるんだろが)体調不良も、こんな機会そうないからと、予定通りドラクロワのアトリエ、工事中のサン・ジェルマン寺院、
いつも通り10:30から今日もマレ地区(ユダヤ人街)に赴いて、ユダヤ芸術歴史博物館を午前中に観て常設の展示の最後はドレフュス事件のこと、昼はマルシェで初めて座って(笑)食べる。でも、レバノン料理だけど。
これまた外壁に囲まれたマレ地区のショア記念館、
ここまでのどこもそうだけれど、荷物チェック、身体チェックなどあって(ショア記念館はドランシーもここも、インターホンを押して鍵を開けてもらって空港ばりのチェックがある)、
ここには、平和の礎のような、多勢の犠牲者の名前の彫られた壁があったり、
ダビデの星を大きく慰霊と鎮魂のために置いていたり、人もドランシーに比べたら多い。
とても静か。
様々な資料から、模型から、映像から、体験者の話(字幕とかはない)中に、参考文献で当たったエレーヌ・ベールのコーナーも。
常設でない展示は、世界各国のマンガで描かれたショア、日本からは手塚治虫の『アドルフに告ぐ』。
その後、芝居中で使用するかもしれないイディッシュのタンゴのCDなどを探し、
17:00から『アトリエ』の作家グランベール氏のお宅にお邪魔する。ホンの中でどうしても聞きたい事が2つ。
お宅はなんだ、ホテルの目と鼻の先。
取材。
その前に、どうしてこの作品をやるのか、の逆質問。
作家氏は、御歳78才、穏やかで、熱く、でもせっかち。
とても好意的にお話をしてくれる。
氏は、作家であり、この作品では俳優さんでもある。(演出は別)母への思いから描かれているホンではあるが、父のモデルでもある役を演じていた。
グランベール『君は、俳優もやるのか?』
わたし『いえ、やりません、恥ずかしいから、』
グランベール『そうか、僕は恥ずかしくて、演出ができない』だそう(笑)
聞きたかったこともお聞きし(普段はあまりしないことだけど、文化が違うと理解のおっつかないところが多くなり)、
何でか旅の送りに血なく頼まれた要件も済まし、
作品外の話もしながら(ご本人は日本映画にとても精通し、すぐに黒澤明と溝口健二の話が出た。ヒロシマとナガサキについてのお話しも描いているらしい。)、別れ際、『あなたにぴったりの戯曲がある』と説明してくれて、父がモデルで云々と、
私としては何処かで聞いたような…
わたし『それは「あるハムレット役者の夢」って作品ですね? それをやった劇団で『アトリエ』をやるんですよ。』(苦笑)
グランベール『それは似ている作品だね、もしかしたら、私のホンなのかもしれないし、全く同じ発想で別の誰かが書いた作品なのかもしれないね』
と、その作品ではない戯曲をサインと共にいただいた(笑)
…ただではおきない。
やはり2時間を優に超える。成功を誓っての握手をして別れる。
大活躍してくれたF・Sさん、
脳みそフル回転の疲労で、甘いものを欲するも、有名店はもうクローズ。
こちらも脳みそが喜んで、熱いうちに本を読み直したくなったけど、外はまだ明るいし、
まだ入れていないルーヴル美術館に行く。
(この日は金曜日で21:30まで)2時間弱、追い出しかけられるまで粘る。もちろんそれでも観たいもの全てはモーラできる訳もなく。
今回のコーディネーターF・Sさんは今日で最後(週末は別のコンサートの通訳がある、明日のアテンドはD・Yさん)なので、ここに来て初めてのビストロ。もう日本ではすっかりご無沙汰の生肉なんか食べつ、ワイン。絶品すぎる…食べる、飲む。
F・Sさんともしっかり話して、とにかく今回は彼女の存在無しには、ここまでの三分の一もできていないだろうなと思う。感謝しかない。
この体調でしっかり遅くなって、深夜の、おそらく服飾アトリエが集まっていただろう区画(現在は働き手は中国人とか、が主で、オーナーはユダヤ人が多いらしい←つまりオーナーはそこにはいない)を歩いて見て、散会。
『大丈夫ですか?ここから1人で帰れます?』
『大丈夫だと思う。』
と、しっかり違う方向に歩いていて慌てる。。。

明日は冬の競輪場跡(ベル・ディヴ事件)へ。
何にも残っていないみたいだけど。
近くなので、エッフェル塔、凱旋門(ここは約30年前改修中で、見られず)も。観光みたい。




2017年06月16日(金)
初日 最新 目次 HOME