再生するタワゴトver.5
りばいぶ



 渡仏2日目。。

8:00出立で、結果ルーヴル界隈からバスティーユ広場まで、闊歩。セーヌ川沿いもタップリ。
10:30にコーディネーター件通訳でもあるF・Sさんとホテル出発、一気にドランシー(収容所跡)まで。地下鉄を乗り継いで、その後バスに揺られる。
流石にここまで来ると、街の匂いも全然違うし、第一、観光客は皆無。
バス停からの表示も特にあるわけでもなく、バスを待つマダムたちに聴く。
慰霊碑と、貨車が一両。国鉄が建造したみたい。
貨車が学校の授業の関係で開いていて、
ついでに僕らも中を見せてもらう。
暗い印象を払拭するためか、内部は黄色に塗られていて、壁には資料もあるが、
やはり、この狭さに詰め込まれていたと思うと息が詰まる。途中近所のおばあさまが来られて、その当時のことを話してくれる。(モチロンたまたま貨車が開いている時だったので、珍しく近づいたそう)
その後、すぐ側にある、全く表立った表示はないところにドランシーに特化したショア記念館(つまりホロコースト)、人も少ないので、ユックリと映像と資料と、向き合う時間、二階の窓から、貨車と慰霊碑も見える。←貨車は私らがおばあさまと話した後に、閉じられた。見られて良かった。
じっくり三時間余り、日本では手に入らないドランシー収容所の資料など購入し、ドランシーを後に。
途中途中でF・Sさんが、これ食べたことある?と聞いてくれるお菓子を清涼剤に(お菓子は素人です、はい。)、脳みそと、陽射しとにやられているので、これがまたいいのです。
15:00過ぎに今日お邪魔するお宅の側の公園で、焼きたてのパニーニ、と菓子パン、遅目の昼食。
絶品。良い所だったけど、手頃な手土産が見つからず。
16:00大戦後に革工房アトリエで働いていたマドレーヌさん。イヴァンさんより10才お若い、と面会。私からは特に喋ることがないから聞いて下さい、と仰っていましたが、喋り始めると戦争のこと、ユダヤのこと、止まらず。
思っていた職人さんと言うよりは、家族経営の会計を若くしてしていたそう。
戦争当時はまだ若く、覚えていないことが多いと仰っていましたが、ドランシーや、ベルディヴ事件をどう思ったかなど、印象深いお話を。
ご本人は、人が信心するのはいいけれど、宗教は嫌いだと仰っていたのが響く。またしても2時間以上になってしまってお疲れになったかな…
バス停まで送ってもらい、いつでも来て!の挨拶と共にお別れ、コメディフランセーズで、D・Yさんに引き継いでもらって、開演20:30までの間、オペラ座界隈を歩いて、劇場のパブで一杯やってから、観劇。
…これが、面白くなかった(笑)
こんな発想でどう?楽しいでしょ?
的な人を喰った演出に終始する。なのに、目新しくもなく、映像の時間が恐ろしく長い…
安い席を取って、ほぼ5階からの見下ろしであったことをさておいても、
まぁ、こんなこともあります。
太陽劇団、観たかったなぁ←満席で観られず←並べば可能性はあるけれど、今回は目的がちがうので…
夜のセーヌ川沿いもオツなもの、つまらなくて煮える思いも鎮めつつ、途中パニーニを買って。。。散会。
明日は、資料から派生して、今回一番メインであるユダヤ人街マレ地区にあるショア記念館、ユダヤ芸術歴史博物館 。そして直前までどうなるかわからなかった『アトリエ』の作者グランベール氏との面会取材。盛り沢山。いつも通り10:30に待ち合わせ。それまではサン・ジェルマン側にある、ドラクロアのアトリエを観るつもり。



2017年06月15日(木)



 渡仏1日目。。。

初の羽田空港国際ターミナルで日本最後の食事は『つるとんたん』のカツカレーうどん。飛行時間、約12時間。←この間にやらなければいけないこと、まとめなければいけない事も沢山。
4:30CDG空港着。
そのまま予約していたスーパーシャトル(名前はすごいが詰まる所乗合タクシーのことですな)で市内へ。
5:30ホテル着。
チェックイン可能は15:00なので荷物だけ預かってもらい、アテンドしてくれる方との待ち合わせ10:30までの時間をもう明るいので外へ。
ホテルが六区なので、徒歩圏内にノートルダム、ルーブルなど。(もちろんまだ何も開いてはいないのだが)
セーヌ川沿いを歩いて、30年ぶりを実感する。
ノートルダム近郊、サン=ジェルマン寺院、奇跡のメダル聖堂界隈とずーっと歩く。
10:30 日本の小劇場で制作をしていて、今は結婚してこちらに在住のD・Yさんに案内してもらい、ユダヤ人街を歩き、ピカソ美術館
途中移動して今回コーディネーターのF・Sさん、に引き継ぎ、元レジスタンスのユダヤの方イヴァンさん(偽名)に取材。91歳。熱く、元気、そして、戦時のことを昨日ようだと仰るその様、反ユダヤ主義がある限り、ユダヤであると言い続ける、と。95年に当時のシラク大統領がユダヤ人迫害のナチスにフランス自体も加担していた事を認めた事について、興味深いご意見。縁の話と、ヒロシマの話まで。2時間余り。
その後、モンマルトルの生地屋さんが集まっている区画を目指し、途中坂をずーっと上がってサン・クレール寺院まで。眼下にパリの広がる贅沢よ。
この辺りは、そこここにゴミも散らかって雰囲気はとても雑多。←肌に合う。
もう閉まっていたけれど、生地屋さんの辺りも歩き、丘を降り、
20:30からのプルックのお膝元の小屋で、ピアノコンサート。の前に、ラマダン中夜を見越しての屋台でアラブ家庭料理を買って、人が屯する階段で食べる(一人ならやらないな)、もちろん食べているのは、私らだけだけど…
(昼はファラフェル(ピタサンドのよなユダヤ人街名物のエスニックファーストフード)とビールを公園で)
コンサートも、グランドピアノ一本なので、劇場機構がよく見える。感慨深い。
こちらは22:30までは、明るい。。。
色んな意味で気をつけてと言われてこちらに来たけれど、こちらは努めて日常が普通に送られている。
帰り、それは労働者のビールです…と言われたビールなど買って。ホテルへ。(ホテルといっても、自炊型)着0:00越え。バスタブあることを、お湯が出ることを確認していてよかったぁ、
地下鉄は乗り継ぐも、まぁ、1日、よく歩いた。。。
都合10時間越え(タクシーなどもってのほか(笑))、そして、ピーカン。
荷物を預けたけれど、取材もするのでモノ多く、明日はもっと軽装にしよう。
明日も10:30から。収容所のあったドランシーと近くのショア記念館、戦時中、革製品アトリエで働いていたユダヤの方と面会。
その前に、早朝ルーヴル方面は歩いてみよう。
しかし、約30年振りのパリ、面白いくらい、色々思い出す。

2017年06月14日(水)
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