倉庫。
一子



 20070815。

 大人と子供の境界線ってどこなんだろう。
 そんなことを考えたのは僕自身、いつ自分が子供から大人になったのか分からなかったからだ。

 今の僕は年齢的にも精神的にも、間違いなく大人なのだろう。
 では、いつから自分が『大人』になったのかと訊かれると、答えることができない。
 僕は自覚するでもなく、『いつの間にか』大人になっていた。
 境界線は一体どこにあったのか。

「……分かるわけないじゃん」

 口に出して呟いてみる。
 こんな感傷的なことを考えてしまうのは、春のせいだろうか。
 きっとそうだ。
 これだから春はいけない。
 気だるい暖かさが思考を狂わせ、麻痺させる。
 気分転換でもしようと煙草をポケットに突っ込み、扉を開けたところで、僕は思わぬ人物に出くわした。

「どっか行くの?」

 欄干の傍に座り込み、こちらを振り返ったのは、このアパートの大家の娘だった。
 器用に片眉をあげて、僕を見上げる。

「公園にでも行こうかと思ってね」
「ふぅん」

 欄干の間に無造作に投げ出された足が、軽く揺れる。
 スカートから覗くそれは細く白く、ひどく儚げに見えた。

「セーラー服、似合うじゃん」
「まぁね。色があんま好きじゃないんだけど」

 制服の裾をつまんで、彼女は小さく肩をすくめてみせた。
 その姿はまるで、一人前の女のようだった。

 階段の半ばまで降りると、彼女が再び声をかけてきた。

「ねぇ。話、聞いてくれない?」

 彼女の話とやらは見当がついていたので、僕は即座に返した。

「やだ」
「……なんでよ」
「どうせ家のことだろ。そういうの、苦手なんだよ」

 彼女は憤懣やるかたないといった表情でしばらくこちらを睨んでいたが、僕に話を聞く気がまったくないのを悟ったのか、鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまった。

「ケチ」
「失礼だな」
「愚痴くらい聞いてくれたっていいでしょ」
「学校とかのなら聞いてやるよ。でも、家族のはだめ」
「意味わかんない」

 そう言うと、大きく頬を膨らませる。
 その姿は、どこから見ても子供にしか見えなかった。
 そのアンバランスさがなんだかおかしくて、僕は思わず笑ってしまった。

 彼女はまだ納得がいっていない様子だったが、僕がポケットから煙草を取り出すのを見ると、きらりと瞳を輝かせて身を乗り出した。

「ねぇ、それなんて煙草?」
「アルカポネ」
「暗黒街の帝王と同じ名前だ」
「へぇ。よく知ってるね」
「まぁね。それ葉巻? マッチ使うんだ。ライターは使わないの?」
「ライターはオイル臭くなるから好きじゃないんだ」
「ふぅん……。ね、それあたしにも一口ちょうだいよ」

 僕は一口吸って、ゆっくり吐き出してから、答えた。

「やだ」
「…………」

 彼女は思いっきり僕を睨んでいたけど、元が可愛らしい顔をしているので、睨まれても全然怖くない。
 そしらぬ顔でふかし続ける。
 シガリロの甘い香りが辺りに立ちこめ始めた頃に、彼女は口を尖らせて言った。

「……断るにしたってさ、もうちょっと優しい言い方ってもんがあるんじゃないの?」
「そう?」
「そうだよ。こっちは子供なんだしさ」

 あぁ――。

 そのセリフを聞いて、僕はさっきの疑問の答えを見つけた気がした。

 見上げると、彼女は爪先にローファーを引っ掛け、不満そうにその白い足を揺らしている。
 不安定な均衡を保つそれを見つめ、呟いた。

「自分が子供だってことを知ってるのなら」

 そっぽを向いていた彼女の瞳が、僕を真正面から捕らえる。

「――君はもう、立派な大人なんだろうね」

 くゆる紫煙の向こうで、彼女が微かに笑った。

2007年08月15日(水)
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