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2006年06月28日(水) ■ |
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ついた先はただならぬ景色だ |
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お久しぶりです。本当に宝塚みてませんでした、つうかベルバラは全部スルーしました。 乗り遅れたかしら自分。
でも宙組「NEVERSAYGOODBYE」は見てきました、最後だからね、そのとき歴史が動いただからね。 しかし…宙組さん自体を三年ぐらい見てなかったもので、見方がわからなかった! なんていうか…普通のミュージカルにしか見えなかったのですけど、どうやって楽しめば良かったんだろう。 花總さんがあんな目で和央君を見つめたら和央君のベクトルが全部そっちに向いちゃうのも無理ないじゃないかってずっと思いながら見てました。 花總さんという人はあの位置に12年立ち続けて、それを維持し続けたという事実は確かにすごいと思います。でも私は演技が下手になることもうまくなることもないあの人のトップ在位をあんまりいい感情で受け止めることは出来ません。あの下級生達のセンターへ全権委任してる感じがたまらなく見てて切なくなるからです。宝塚宙組ではあるけど、宝塚の楽しみ方ができない組だという印象が拭えない公演でした。
一番漢だったのはきっと和音美桜ちゃんだった、あの人は間違いなくあの舞台の上で生きてた。
話自体は背景とか壮大なんですけど、結局話の中心が全部ジョルジュとキャサリンの心の交流に集約してるのでなんだただのラブストーリーじゃないかって思ってしまいました。 舞台なのに常に定点カメラついてるみたいな?他の登場人物はイベントフラグ立ったからでてきましたみたいな、舞台の上で息づいてる感じが全然しなかった。 谷岡くんの闘牛士も、アヒル君のアギラールも描かれるのはほぼジョルジュキャサリンからの視点のみ、しかも二人ともベクトルの向きが客席じゃない。 そうか、他の人達のベクトルも全部真ん中の二人に向いてるんだ、だから真ん中はすごい盛り上がってるように見えるんだ。その盛り上がりを自分から舞台まで出向いていける人は感じとれるけど受け身な客には伝わらないんだ。 と言うことは客席に座ってる人は見てるだけじゃなくて、舞台に意識飛ばさないといけないんですね。ある意味参加型。
疲れちゃうじゃないか。
ああ久しぶりに見てこんな毒吐いちゃ駄目だよ。すいません、昨日一番盛り上がったのは暁のローマの写真買ったときでした、瀬奈空が!瀬奈龍が!
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2006年04月01日(土) ■ |
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一言 |
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瀬奈君誕生日おめでとうございます。
私には別になんでもない日であるけれど、瀬奈君が4/1誕生日ってなると4/1はなんだか特別な日のように思えてしまうんだよなあ。
ファンってそういうものかしら。
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