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2006年12月26日(火) ■ |
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奪われた命 |
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終りましたね、雪組公演。本当にお疲れ様でした、皆すごくいい顔をしてました。 退団者特有の遠い眼をしていた小室さんには天上の神が見えてたと思います。驚く程純粋な表情をうかべてた。人の心を狂わせ神への復讐を果たそうとする狂気の顔から、人の優しさにふれて戸惑う少年の顔まで、コムちゃんてこんなに芝居で感情が動く人だっけと驚きました(汗) 11月にみた時より皆が違うモノになってました、ルシファーがあおればあおる程、人間も激しく心を狂わされていくようでそれが愚かさ醜さをより浮彫りにしていた気がする。 コムちゃんは羽ばたきっぱなしだった、こんなに熱を持つ人だったんだ
また後で続き書きます
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2006年11月22日(水) ■ |
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蜘蛛の巣の檻の中 |
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雪組さん初見。
大変な事になってる… キムにマジ惚れそうになりながら帰ってきました。あの子すごい…
「タランテラ!」はいわゆる「宝塚のショー」という枠を取っ払った作りになっているから そこに不安を感じる人は多いのかもしれません。でもオギーがコムマーにやらせたいものを限界まで突き詰めたらこんなんできましたけどみたいなそんな演出家の挑戦みたいなものを感じました。 パズルのピースが散らばったような舞台で観客は自分でそのピースを探してパズルを完成させるという楽しみがあるのであたしは非常にああいうのは好きなんですけど、完成品を見にきたのっていう人もいるからショーの存在理由としては賛否両論あるんだと思います。 歌劇で石井啓夫氏が今回の作品について「最近の演出家は自分のこだわりや役者への思い入れは強いが観客への配慮が足りない所もある、それがまた刺激的でもある」みたいな事書いてましたが正にそれかと。
観客が何を求めて劇場に来るかは千差万別なんでかっちり全員のニーズにはまる作品を作るのは難しいと思うのですが、でもだからといって客へ迎合するような作品は見たくないんだよなあ… まコムちゃんが「難しい事考えずに素直に感じるまま観劇してくださればいい」って綺麗にまとめてたんでそれはそれだと思います。素直に観劇って一番難しいけどね…
それはそうとコムマーなんですけども、大西洋の場面は本当にゾクゾクしました。 彷徨する孤独なタランテラを包む女。その時のまーちゃんと言ったら… 大海原? 光?
無条件の愛を向けるんですよ、その笑顔が純粋過ぎて恐ろしい。 その毒で人を狂わせ、愛する者すら死なせてしまう業を持つ毒蜘蛛。 そんな彼が追い求めた蝶は生まれ変わって今度は毒蜘蛛を待ち受けるわけですよ パワーバランスが拮抗しているからこその関係、お互いが背中を預けられる同志。 こんな拙い言葉じゃ伝えられないんですけど、とにかく、二人の関係は台詞でもない、歌でもない、踊りの中に真実があるんだと思いました。
真ん中二人、水君も含めて三人はただひたすらそれこそ病のように踊り続けるから、ストーリーを語るのはキム扮する蜘蛛の影なんですよ。 彼はほとんどの場面出ていて、本体である蜘蛛を見ていたり気まぐれに踊りに参加したり、とらわれる者を惑わしたり、奔放なんです。 キムだけが自分の意志で舞台上を動き回る、他の人達は皆蜘蛛の毒に踊らされているのに。 その毒蜘蛛ですら踊らされていたという結末で旅は終わるのに。
彼は、本体の代わりに嘲笑し、吠え、残酷な表情を浮かべる。 情熱的かつ神秘的、そして生命力に溢れた毒蜘蛛の心情表現はキムが引き受けてるんですよね。 またその表情が鳥肌ものです。 あんなにかわいい顔なのに、口をゆがめて目を見開いて禍々しい表情を浮かべるんですよ、何あれ、羽ばたき過ぎだろ!たまらない!
気づいたら毒が回ってるようです
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