I think・・・(かくれ対人恐怖症にっき)



 痛み

キッチンばさみで指をきってしまったの。

・・・ぜんぜんたいしたことない傷。
バンドエイドなんかひさしぶりに貼ってるけど、
キーボードをうつ指が他人のものみたく感じる。

痛い。
浅い傷って思いの外いたいみたい。。。

他の人にとって、たいしたことないようにみえることでも
本人にとっては痛みを感じることってあるよね。


「人からキライといわれて、あんたもその人をキライなら
なにを悩むことがあるんだ!」と
こどもに言っている人がいた。

たしかに、人から言われたことばかり気にしていたら振り回されちゃう
ときもあるけれど・・・
だれだって、人からきらわれて、あーよかったと思う人って
いないんじゃないかな。
その人の感じ方にもよるけど・・・

わたしは相変わらず白線ぎりぎりのところを歩いているカンジだよ。

人に嫌われるのがこわいじぶん。
人に嫌われてもいいから自分の心の在処を確かめるじぶん。

自我をまっすぐにおしとおすか
相手に開かれるか
ぎりぎりのじぶん。


2002年04月13日(土)



 うれしかった

わたしがあまりしゃべるのが得意じゃないせいか
大勢で話しているとき
わたしが話すと、身を乗り出して聞いてくれる人がいる。

とってもうれしい・・・


人は人の悪意にも影響されてしまうけれど
人は人の厚意には応えようと思うものなんだよ・・・ね。


2002年04月14日(日)



 color

服装でその日の行動が何となく支配されることがある。

スカートをはくと椅子に座るときでも膝に意識を集中させて
きちんとすわることができる。
パンツだと知らないうちに膝がひらいちゃったり・・・
ヒールの靴を履いている日はなんとなく姿勢ものびるし
スニーカーだと大股で元気に歩いたりね。


だからわたしはときどき自分のサガを忘れてみようと思う。
自分でつくった自分のイメージカラーを上手に払拭するために。


人に不審に思われようと
ときどき矛盾したカラーを臆面なく出してみるよ。
ときどき、後悔したり弱気にもなるけれど・・・


わたしにとって人とかかわるって
そんなことの連続。



2002年04月16日(火)



 Myパートナー

こんな孤独癖のわたしにも、パートナーがいる。


パートナーと昔はよくけんかをした。
生まれも育ちもちがうのだからあたりまえといえばあたりまえ
なのだけど・・・

今ではけんかをしなくなった。
それはたぶん、何かに食い違いが起こったとき
自分の思いを知ってもらえればいいだけなのか、
意志を通したいのかの違いをその場で判断できるようになったから。

...女

そんなこといちいち言わなくてもわかってよね、
言ってやってもらうのなんてうれしくない。

...男

言わないとわからない。
やってほしいことがあるのなら素直にたのめばいい

男と女の間柄ではしばしばこんなすれ違いがある。
どっちかが一方的に悪いということでもない。

だけど・・・

けんかによって100%相手をやりこめたとして
いったいなにがのこるのだろう?
いまここで、自分の正当性を
口論で勝ち取ることが目的なの?
と自分に問いかけてみると

心の中で、なにかをぐいぐい力任せに引っ張ってた
自分の手を
ふとゆるめることができる。

〜yuri's格言?
女は何も言わないのにやってくれたことに感動をおぼえ
男は言われたことをしてあげることに満足をおぼえる。

ちがうってことは
ときどき腹の立つこともあるんだけど
=キライってことじゃないよね。

だからこそつながりをもてたんだって思いを
忘れないようにしたい。




2002年04月17日(水)



 排泄ブツ

わたしのにっきって
ほとんど排泄行為だね・・・。

いつも排泄物をまき散らしてごめんなさい。
懲りずにこうやってまたかくわたしは
排泄物愛好家なのかしら・・・ね?

予測しなかったことを訊かれたり
しゃべるハズのないことをしゃべったりしたときって
どっと疲れる。
よけいなことばかり言ったのではないか、と
じわじわと後から自分の心を痛めつける行為が始まる。

じぶんの吐いた言葉、書いたことを愛したり末永く責任なんて
もてない。
言うことや書くことは、すべてよけいなことだから。
では、よけいじゃないことってなんだろう?
それはきっと言葉にならないことなのかもしれない。


だけど、わたしは他人の排泄物は愛す。



2002年04月18日(木)



 give&take

遠慮のしすぎも逆に人に気を使わせてしまうことってあるみたい。

人に何かをしてもらったとき
ありがたい、うれしいというきもちと
ああどうしよう、それ以上のことをわたしは返せるのかなと
いう心配とが同時にでてきてしまう。

たとえば、人から旅行に行ってきたときのおみやげをもらったら
単純に「まあうれしい、おいしそう!」とまずはうれしい。
でも、それと同時に
「ああ・・・こんなすてきなものもらっちゃって、わたしは当分
旅行なんて行く予定はないし、お裾分けでとかでお返ししたいな〜」
という漠然とした思いが時間をおうごとに
心のおもしや強迫観念にさえなってきて、苦しくなってしまう。

どんなお返しをすればいいか

ということが大きくのしかかり、その事が達成されるまでは
ものすごく拘束されてたきぶんになってしまう。


もちろんこんなことは贈り物をくれたひとには内緒の内緒。
せっかくわたしに贈ってくれたというのにまったくね〜
わたしったら器がちっちゃいんだから。


自分が相手より多くのことをgiveしているときは
安心なんだけど
どうしてこんなにtakeが苦手なんだか・・・

相手がgive役のときは
take役を気持ちよくできればいいのに。
giveさえしてれば、礼をわきまえていることにはならないんだよね。
相手がgiveしてよかった...と思わせるような
度量の大きいtake。

これがわたしの課題なんでしょうね。

2002年04月20日(土)



 やたら心の準備がいるひと

たとえば、朝の9時から仕事だったら
いかに時間に余裕があるときでもそれ以前に人と立ち話をしてから
仕事に行く余裕みたいなのは、わたしにはないな...。
100%キモチの照準を仕事に合わせておかなければ、
あとあとこころがもたないな・・・。

人と待ち合わせが12時だったら、
最低限11時から心はその待ち合わせ場所にいる。
とても、ちょっとついでに郵便局に行って
書き留めだしてきたのよ、なんてことはできない。
わたしのこころは、もう何日も前からその人との
「約束いろ」に染まってしまう。
どうしてこう融通がきかないんでしょう。。。

すっごく急いでいるとき。
もし電話がなったら、親しかろうと親しくなかろうと
私は電話に出られない。
忙しいってことを、相手の気分を悪くさせないように
言える自信はないから。
(一瞬迷ってしまうけど・・・)
もし、受話器をとってしまったら、
1日中自分の受け答えに対して
こういえばよかったと悩むような気がする。


なにごとも人一倍準備と余裕がいるみたい。


ヨソノヒトはみんな涼しげな顔で
わたしがむずかしいと思うことを
いとも簡単にやってのけているような気がしてしまう。

もしかしたら
とっても簡単なことをわたしは
いつもむずかしくかんがえているのかな?
ああむずかしい、むずかしい、と思って
「むずかしい」ってことを考えているから
「かんたん」ってことに気がつかないのかしら。。。

長年のクセだけど、その本当の理由ってわからないのです。

2002年04月21日(日)
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