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2006年10月02日(月) |
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とりあえず |
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モニターの前で感嘆の口笛を吹く。
素敵なサプライズだ。
ネットを通じて知る他人の消息にろくな結末はない。 そんなジンクスを破ってくれて単純に嬉しい。
波乱万丈の人生でも一幕ごとに美しいエンディングが用意されてればいい。
前にも言ったと思うけど
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2006年10月17日(火) |
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ツーリスト |
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女はさっきまで、携帯を弄ったり鞄の中身を確認したりしてた。 今は僕の肩に頭を預け、車窓の向こうを黙って見てる。
コンクリートの灰色は住宅地の茶に変わり、今は空と海が青のグラデーションを作る。 トンネルをいくつか抜ければまだ秋に染まりきらない山が、赤や黄色といった暖色のモザイク模様を見せてくれるはずだ。
読んでいた本の頁の余白に女の黒髪が零れて広がる。
微かな寝息が聴こえる。
そっと本を閉じた。
女の肩越しに、車窓の向こうを流れる田園の緑を眺めた。
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2006年11月05日(日) |
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ブルーベリータルト |
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一口も口をつけてないブルーベリータルト。 とっくに冷めたダージリン。 灰皿には、吸い口に口紅の跡を残したヴァージニアの吸殻。
西からの日差しがテーブルの上に窓枠の影を映し出す。
何度も同じような場面を繰り返し、 何度も同じようなため息をついた気がする。
結局女は、何も言わないで席を立った。
何か言いかけた。 でも、声にはならなかった。
テーブルに置いた携帯が震える。 女からのメールだ。
30分前に口にできなかった言葉が綴ってあった。
一瞥したメールを削除して携帯を閉じる。 腕を伸ばし女の残したタルトをフォークで突く。
甘くて酸っぱい典型的なブルーベリータルトの味が、なんだか今の気分に相応しい気がした。
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2006年12月29日(金) |
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ミッドナイト・カルーアミルク |
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馴染みというほどでもないバーで思わぬ長逗留をしてしまうことがある。 たまたま隣に座った女と性癖の一致を見たとか、50インチのプロジェクターでバルサの試合を中継していたとか、そういった理由とは別の、いわば時間に手綱を緩められたようなそんな感覚。
まさに今夜がそうだった。
シングルモルトの喉越しを楽しみ、アンチョビーを乗せた薄いトーストを齧り、ダーツに興じる忘年会帰りのグループをぼんやり眺めた。 別に酩酊するわけでもなく、かといって何か考えていたわけでもない。
もしかしたらカウンターとスツールの高さが絶妙だっただけかもしれない。
カウンターに乗せた右肘を突かれた。 横を見ると真横に女の顔があった。
「こんばんは。お久しぶり。」
「やぁ。」
軽く会釈しながら女のプロフィールを眺める。 見覚えのない顔だった。 どっちにしろ昔仕事をした女か、それとも誰か友人の連れだったか、そんなところだろう。
スツールを左にずらす。 女はするりと横に座った。
「カルーアミルク。」
それで思い出した。
「オマエ、いつこっちに?」
女はバーテンダーの手元を見つめたまま答えなかった。 口元には微かに笑みを浮かべている。
前に置かれたカルーアミルクのグラスを手にとると、女はやっとこっちを向いた。
「横浜で飲んでればいつか会うような気がしてたわ。」
「横浜で、って。北新地よりだいぶ広いぜ?」
女は僕の唇に手を伸ばす。
「しっ。ここじゃ前どこにいたかとか誰にも言ってないんだから。」
女はそう言うとさらに顔を近づけて小さく続けた。
「昔、男だったこともよ。」
僕は黙ってグラスを手にとり、目の高さに持ち上げた。
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2007年02月07日(水) |
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Dust |
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カーテン越し、斜めに差す午後の日差しの中。 寝そべったソファーの足元を綿埃が舞う。
眺めていた画集をソファーに伏せ立ち上がる。 キッチンの隅に立てかけてあったクイックルワイパーで床を拭う。
これだからフローリングは、と口の中でぼやく。
つけっぱなしのinterFMは久々に来日するBECKの新曲をひっきりなしに流してる。
思いついてカーテンを開ける。 空気は窓ガラス越しに眺めても充分透明で、その冷たさすら伝わってくる。 太陽は冬らしく、明るいけどあくまで低い。
ソファーに伏せた画集をとりあげ、もう一度パラパラとめくる。 ラファエロ前派の厚く重ねた油彩が急に鬱陶しくなる。 ページを閉じ、本棚にしまった。
バイクに乗るって気分ではなく、海岸を歩くって気にもならない。 なんとなく気だるく、なにもかも面倒だ。
憂鬱な気分っていうのいつも不意に訪れる。
携帯のメモリーを片っ端から消したり、ブックマークを消去したりしたくなる。 実際、数年前ならそうしていた。 今じゃ消すほど残ってない。
仕方がない。 クローゼットから掃除機を取り出す。 かろうじてしたいことは掃除くらいだ。
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2007年02月14日(水) |
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La Campanella |
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気付いたら日付が変わってた。
食器棚からロックグラスを二客取り出す。 フリーザーの製氷皿から氷を掴み両方のグラスに満たす。 「南アルプスの天然水」で作った氷だ。
リビングのテーブルにグラスを運んだ。 FMをCDに変える。 昼間聴いたままのフジコ・ヘミングのリストが小さく流れ出す。
ソファーに座り、テーブルに置いてあったボトルの封を切る。
「白州」の10年。
両方のグラスにそれぞれ半分注ぐ。 氷がカランと音を立てる。
グラスのひとつを持ち、置いたままのグラスの縁に軽く合わせる。
グラスを持ったままに立ちあがる。 そのままベランダに出る。
風は凪。 月もなく星も見えず空も海もただ暗かった。
この「白州」ってウィスキーはさ。 山梨の白州にある蒸留所で作られてるんだけどさ。 「南アルプスの天然水」と同じ採水場で汲み上げた水で仕込んだウィスキーなんだよ。 だからさ。 この氷で作ったロック、結構いけると思うんだけどさ。 どう? カクテルもいいけど、もう30だろ? ウィスキーとかにも挑戦してみない?
耳を澄ます。
遠く耳鳴りのように聴こえる波音。 部屋から零れるフジコのカンパネラ。
誕生日おめでとう。また、来年も飲もう。
グラスの氷がコトリと音を立てた。
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2007年02月26日(月) |
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フローズン・ミュージック |
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「・・・ねぇ。」 「何?」 「・・・ガム。」 「あ、ごめん。」 「いらない。そうじゃなくて音。」 「音?」 「口閉じて噛んでよ。くちゃくちゃ音立てないで。」 「音、立ててた?」 「うん。」 「ごめん。」
「・・・ねぇ。」 「あ、ごめん。」
「ねぇ。」 「あ、ごめん。」 「・・・じゃなくて、あとどれくらい。」 「え?」 「あとどれくらいなの?」 「あ、今日はダメじゃないかな。」 「ダメって?」
ファインダーから顔を離し女の方を見る。 女はマフラーの中に首を縮めたまま僕を睨む。 二月の明け方、しかもすぐそばには氷の張った池だ。 何か言うたびに白い息が口から漏れる。
「晴れるって天気予報で言ってたじゃない。」 「あぁ。」 「それでもダメなの?」 「逆に雲が全然ないからね。」
この寺の美しい五重の塔を、朝焼けに染まった雲をバックに撮りたい。 そう思って晩秋からたびたび通っている。 未だこれだというシチュエーションは巡ってこない。
「アナタ、この冬の週末ってずっとこんなことしてたの?」 「うん。」 「・・・。」 「入江泰吉がさ、写真は辛抱だって言ってたんだ。」 「知り合い?」 「いや、特に。」
女には黙ってた。 狙ってた写真とは違うけど、こんな空気の透明な飛び切りの朝はめったにないってことを。
もうすぐ見ることができる。 凍れる音楽が解凍する瞬間を。
氷の粒子すら見えそうな透明な冬の大気の中。 段々と日の光に照らされ起立する五重の塔の姿。 それはどんなシチュエーションをも越えて美しいんだ。
鼻を啜りながら不機嫌にとがった口が、もうすぐ感嘆のため息で開くことを僕は知ってる。
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