外国為替証拠金取引
JIROの独断的日記
DiaryINDEXpastwill


2003年01月31日(金) フランツ・シューベルト

 206年前、1797年の今日、フランツ・シューベルトが生れた。少年時代からその非凡な才能は明らかで、ウィーンの国立神学校の教師をして、「彼には何も教える必要が無い」と言わしめた。シューベルトは今では誰も否定できない大作曲家だが、彼の31年10ヶ月の短い生涯はベートーベンの晩年に重なっていたため、当時は非常に有名な作曲家ではなかった。

 彼はピアノもバイオリンも巧みに弾くことが出来たが、作曲するときにピアノを必要とするような、凡人の作曲家ではなかった。「ピアノを弾いたりしたら思考が途切れる」というのが彼の口癖だった。頭の中だけで音楽を作り上げ、それをすぐに楽譜にする事が出来た本当の天才だった。

 シューベルトはただ純粋に音楽を創るためにこの世に生れてきた人間のようだった。自分の楽譜を出版する事にも全然熱心ではなかった。シューベルトの才能が世界に認められだしたのは、死後40年以上も経ってからだった。彼自身が友人に語った言葉がある。「このままでいいんだ。僕は作曲をするためだけに生れたんだから。」

 エリー・アーメリングという今はもう引退したオランダのソプラノ歌手が録音したCDで「シューベルト歌曲集」というのがある。これを聴くと、「天上の調べ」とはこれだ!と、いつも思う。


2003年01月30日(木) 民放の「コメンテーター」と、テレビ屋たちは、いい加減にしろ。

 民放テレビというのはワイドショーを中心に、必ず司会者の他にコメンテーターというのがいて、ある話題に関して順番に何だか適当な事をしゃべっている。あんないい加減な商売があってよいものであろうか。

 まず、専門性を必要としない話題、例えば、芸能人ネタなどにまでコメンテーターなど用意する必要はないだろう。誰が話しても当たり前のことしか言わない。あんなことで金をもらえるなんて、安易過ぎる。

 私が特に気に触るのは、どういう訳か知らないが、いつもテレビに出ている女の医師である。一応開業医らしいのだが、あの様子では全部アルバイト医者任せで、自分で患者を見ることは無いのだろう。しかも、驚いた事に、この医師はメンタルヘルス、ダイエット、婦人科の病気となんでもござれなのである。一応、医師国家試験を通れば、どの診療科目で看板を出してもよいことにはなっているのだが、メンタルヘルスはやはり精神科医が、ダイエットは予防医学の専門家がコメントするのが本筋であろう。

 更に、である。この医師の経歴をネットで調べたら、なんと、専門は病理学なのだ!つまり、臨床医(=患者を診る医師)ではないのである。病理の医者がうつ病やPTSDやダイエットや婦人科の病気のことまで、したり顔で何でも知っているとばかりにテレビで話している。加えて、芸能ネタやラーメン番組にまで顔を出している。ずうずうしいにもほどがある。

 こういう人間はテレビ局にとって便利なのだろうが、医者ひとりに何でもしゃべらせてしまうテレビ局の姿勢にも憤りを覚える。この種の下らない番組を乱造している、テレビ局員の平均年収が、1,000万〜1,500万なのだ。世の中、間違っている。


2003年01月29日(水) 日本の「歌手」は下手な人が多い。

 別に、ある人間の歌が上手かろうが下手であろうが、誰も命を失うわけではないし、好きな人は好きで聴いているのであろうから、どうでも良いことなのだが、日本の歌手はあまりにも下手な人が多過ぎる。

 久しぶりに歌番組という類のテレビ番組で浜崎あゆみが歌うのを聴いた。あれは、殆ど音痴だ。要するに、ものすごく音程が悪いのである。素人なら仕方がないが、一応歌を歌うことをなりわいとしている人間が、一般人にもわかるぐらい音程が悪いというのは、恥ずかしい。たまたま浜崎あゆみがはじめに耳に入ったが、他も大同小異である。

 音程が悪いと言うのは、要するに耳が悪いのである。およそ音楽を奏でる側の人間にとって一番重要な資質は耳の良さである。これは生まれつきの資質に加えて厳しい訓練を続けることにより、初めて獲得できる能力である。

 クラシックの弦楽器奏者などは、1Hz単位の音の高低を聞き分ける。オーケストラで、たとえば、第1バイオリンセクションは多いときは20人前後の人間が同じ旋律を奏でる(ユニゾンという)が、音が濁らずにひとつの正しい音に聞こえるのは各人がそれぐらいの厳密さで音程を取れるように永年にわたり、また、毎日訓練しているからである。

 それに比べるのは、オケの人たちに失礼と言うものだが、日本で「歌手」と呼ばれている人たちの多くは、殆ど素人のレベルであると言ってよい。


2003年01月28日(火) アメリカは何故イラクを攻撃するのか。

 フセインが独裁者であることは、明らかであるとしても、他国の、たった一人の人間を打倒するために、多くの無垢な市民に犠牲者が出る事が明らかな戦争を何故仕掛けなければならないのか。何故、「アメリカに」そのような行為を実行する権利があるのか。

 イラクが国連決議に違反しているから攻撃する、というのであれば、アメリカは、国連決議を常に無視してガザ地区のパレスチナ人市民を殺害しつづけているイスラエルをも攻撃すべきである。しかしながら、今更言うまでもなく、ユダヤ人が大きな政治的経済的社会的勢力を構成しているため、アメリカはイスラエルを非難する事は無く、逆に支持さえしている。

 アメリカの目的が世界第2位の埋蔵量を誇るといわれているイラクの原油に(それだけが動機ではないが)あることはあまりにも明らかである。それを「正義」の大義名分にすりかえている。いかにも汚いやり方である。

 フランスとドイツは、イラクを武力制圧するか否かを決める権利があるとすれば、それは国連安保理だけだ。という。特にドイツは戦争の必要はない、と言い切っている。この主張が正論であると思う。

 日本は、第二次世界大戦時にはヒットラーにだまされて日独伊三国同盟などというとんでもない条約を締結してしまい、米英と戦争する羽目になった。今度はかつての敵国、アメリカの同盟国になっていて、アメリカに面と向かって「無駄な戦争はやめろ」ということができない。どうしていつも、こんなにドジなんだろう。

 イラクの協力が不十分だとか何とか官房長官がコメントしていたが、要するに日本国は一独立国としてアメリカの姿勢に賛成なのか反対なのか。「反対する」と一言はっきり言うべきだ。


2003年01月27日(月) 「科学的事実」の曖昧さ。

 私が子どもの頃は、歯というものは、一度むし歯になったら絶対に元に戻る事はない。放って置けば進行するだけなので、出来るだけ早く治療すべきだ、と言われていた。その当時はそれが科学的事実とされていた。しかし、昨日、テレビを見て驚いた。今では、ごく初期のむし歯では、削らずに再生が可能になっているという。

 昔はすぐに歯を削って詰め物をするのが、唯一の方法と言われていたのだ。しかし、一旦天然の歯を削ると、長期的には予後が悪いということが、統計的に明らかになっているのだそうだ。歯の治療一つだけを採り上げても、わずか20年で「科学的事実」は全く逆の内容となっている。特に人間の体のことはわからないことばかりだ。ある人に対しては有効な治療法が、他の人では全然効果を上げないということなどザラだ。 一方、末期癌が自然に消えてしまうということすらあるのだ。

 だから、もし、何かの病気になって、「この病気は治りません」と医者に言われても、必ずしも絶望する事はない。科学は絶対のように錯覚しがちだが、「今、わかっている限りでは○○である」ということなのであって、将来それが覆される可能性は十分にある。


2003年01月26日(日) 「間髪をいれず・・・」の正しい読み方

 日本語は難しい。
 
 テレビのある番組でナレーターが「間髪を入れず」を「かんぱつをいれず」と読んでいた。かなりの人がこのように読む。結論から言うと、これは誤りである。

 文字で発音を表すのは難しいが、あえて書くならば、「間、髪を入れず」、つまり、「かん、はつをいれず」と発音するのが正しい。嘘だと思う人は広辞苑で「間髪」という言葉を捜してみると良い。そういう見出しは無い。

 「間、髪を入れず」とは、「間に、髪の毛ほどの小さな隙間(時間的な空白)も入れないで」という意味の慣用句である。「間」はあえていえば、副詞である。「間髪」という名詞は存在しない。だから広辞苑の見出しにも載っていないのである。

 多分、「間、髪を入れず」が「間一髪」と似ているので、混同してしまうのであろう。母国語といえども、気をつけていないとこのような間違いを犯してしまうのである。難しいものだ。


2003年01月25日(土) うつ病であるかどうかどうやって判断するか。ベックのうつ病調査票

 私は既に何年も通っているので、何の抵抗もないが、それまで全く縁のなかった人にとっては、自分がうつ病で精神科の世話になるかもしれないということに大きな抵抗を覚えるかもしれない。行ってみれば、精神科とかメンタルクリニックと呼ばれる場所の待合室にいる人々の大多数が、何でもなさそうな普通の人たちばかりであるのに驚くであろう。

 だから、怖がる必要は少しもないのだが、自分や家族や同僚が果たしてちょっと落ち込んでいるだけなのか、或いは普通の落ち込みよりも深刻なのか、判断に迷っている人は多いだろう。

 そういう人が自分で抑うつ度をある程度客観的に測ることができるツールがある。ベックのうつ病調査票というものである。ペンシルバニア大学の精神科医ベック博士が考案したものなのでこの名前がついている。

Googleで「ベック」「調査票」で検索すれば何件かヒットする。どれも同じ内容なので、どれでもよいからそのページを見るとよい。すると

1 憂うつではない
憂うつである
いつも憂うつから逃れることができない
耐えがたいほど、憂うつで不幸である


2 将来について悲観してはいない
将来について悲観している
将来に希望がない
将来に何の希望もなく、良くなる可能性もない

という具合に、21の質問が設定されていて、それぞれに対して幾つかの答えが用意されている。全部に答えて採点ボタンを押すと、抑うつ度が数値となって出てくる。全ての答えの数値の合計に対して次のようなアドヴァイスが書かれている。

0〜10 正常範囲。ただの憂鬱な状態。
11〜16 軽い抑うつ状態。専門医に行っても良い。
17〜20 臨床的な意味でのうつ状態との境界。専門家の治療が必要。
21〜30 中程度の抑うつ状態。専門家の治療が必要。
31〜40 本格的な抑うつ状態。
41以上 極度の抑うつ状態。

予想よりも高い数値が出る人が意外と多いものである。しかし、これで全てが決まるわけではない。精神科へ行くとこのようなテストを必ずするというわけでもない。むしろしない医師の方が多いだろう。診断に使ったとしても、診断の材料のひとつである。

しかし、医者に行こうかどうしようか、ただ、悲観しているよりは少しでも自分で判断できる材料があるにこしたことはないので、試してみることを勧める。専門家に診てもらうときに自分でベックの調査表を試したら○○点でした、といえば、医師も参考になる。これは、私が体験済みのことである。


2003年01月24日(金) 公徳心と我慢

昨日、千葉県習志野市の京成本線の踏切で、既に遮断機が下りていたのに、ワゴン車が無理に渡ろうとして、電車とぶつかり、死傷者が出た。遮断機が下りている踏切を渡ってはいけない、ということは誰でも知っている。にも関わらず、遮断機をこわしてまで渡るということは、よほどの緊急事態でない限り、我慢が出来ないということである。

社会生活で守らなければならない道徳を公徳といい、それに従おうとする気持ちを公徳心という。公徳には我慢がつきものである。

電車の中で大声ではしゃいだり、携帯電話をつかわない。救急車などの緊急車両が来たら、急いでいても、道路の左端に寄って停止する、といったことが出来ない人が増えているように思われる。

できることなら、不自由な思いはしたくないのは誰しも同じである。しかし、我慢するべきところで我慢しないと、冒頭に書いたような悲劇が起こり、他人に大変な迷惑をかける。

いじめに耐える、とか、長時間のサービス残業をする、とか、理不尽な我慢はする必要はないが、人に迷惑をかけないための我慢は、公徳心の元になるのであって、人間の重要な能力の一つである。


2003年01月23日(木) 「イラクが生物兵器をつかったら、戦犯として裁く」(ブッシュ大統領)←お前はどうして裁かれないのだ?

 米国のイラクに対する攻撃的な姿勢は尋常ではない。真面目な話、ブッシュや側近たちの脳は正常に機能しているのであろうか。

 まだIAEA(国際原子力機関)による査察が続いている最中である上に、21日にはIAEAのエルバラダイ事務局長が、「我々は職務を完了するまでになお数ヶ月を必要とする。来週、国連安保理にはこの点を報告する」と言ったのに、米国はその言葉に耳を貸さず、「イラクが大量破壊兵器を保有していて、武装解除に応じるつもりがないのは明らかなのだから、軍事攻撃でしか対処できない」と勝手に言い張っているのだ。

それほど、イラクの大量破壊兵器保有を確信するからには、アメリカは何らかの独自の情報を持っているはずである。そこで、IAEAのエルバラダイ氏は10日以上も前になるが、1月11日に米国に対して情報の提供を求めたのだが、アメリカは今日現在、証拠を示していない。

それで、同盟国に、イラク攻撃を支持してくれというのだから、無茶苦茶である。もはや米国は「世界の駄駄っ児」となっている。ヨーロッパでは、ドイツとフランスがはっきりと戦争反対との立場を表明しているし、唯一米国と歩調を合わせている英国のブレアですら、査察はかならずしも、1月27日で終わらせる必要は無い。といっているのに・・・。

今日、ニュースで流れた、表題の発言を読んで、唖然とした。生物兵器だろうが何兵器だろうが、相手が使ったら戦犯として裁くが、自分は相手を攻撃するのは構わないのだそうだ。ブッシュは多分、自分にできない事は無い、と思っているのだろう。

本気で心配になってきた。


2003年01月22日(水) 我慢の大切さと我慢しすぎの怖さ

うつ病にかかっていることに気付かずに無理を重ねているのは社会人に多い。一方、メンタルヘルス関係の掲示板を見て回ると、若い人で、これはうつ病ではなくて、単に我慢が足りないだけではないかと思われる例もしばしば見られる。新しいアルバイトを始めて2日目には遅刻し、3日目には無断欠勤、などと書いてあって、さも自分が病気であるかのように書いているのを読むと、少々、腹が立つ。

新しい仕事を始めたら、慣れるまで少しぐらい辛いのは当たり前である。そこは、我慢するしかない。慣れようと頑張って、何ヶ月経っても上手くいかず、本当に辛くてどうしようもないというのならば、まだ、わかるが、三日でうつ病になるとは考えられない。ある精神科医が、自らの数十年の臨床経験で最近感じるのは、人々の我慢する力が非常に弱くなったということである、と書いていたのが印象的だった。

繰り返しになるが、これは主に若い人に関して述べているのであって、社会人になって既に、何年、或いは十数年、年十年もやってきた人はすでに、我慢する能力があることは証明済みだといってよい。そういう人が、最近とみに気分が落ち込む、疲れやすい、食欲が無い。眠れない(寝つきが悪い、途中で眼が醒める。朝早く目がさめて眠れなくなる。)、今まで面白いと思っていた事に興味がもてなくなる。などの兆候を感じたらば、それは、本当のうつ病か、抑うつ神経症である可能性が高い。こういう人には早めに精神科医の診察を受けることを勧めたい。


2003年01月21日(火) 聖域無き構造改革なら、国会議員年金を減らしたら?最低でも年間412万円

 国会議員を10年務めると、国会議員年金の受給資格が発生する。議員を辞めた後、65歳から支給される。最低額が412万円(一ヶ月あたり約34万円)。在職年数が10年を超えると1年につき8万円が加算される。20年やったら、412+8×10=492万円(月額41万円)となる。この財源の7割は税金なのである。

 ふーん。本会議場で居眠りしてても年金を貰えてしまうのだね。国会議員ってのは。だから、あんなに当選したいのである。勿論年金だけではなくて、在職中もいろいろあるのだろう。

 しかも、この国会議員年金の額は議員自身が決めているのである。そんな、ずるい話があるか。英国では独立した第三者が年金額を勧告するのだそうだ。本来、当然そうあるべきであろう。

 「聖域なき」なんだろう?まず、国会議員の数を減らして(どう考えてもあんなに沢山の人数が必要とは思われない。特に参議院議員なんて何をしているのか分からない)、年金額も減額するのが筋ではないか?何せ、財源はこのデフレに苦しむ国民から徴収した血税なのだから。

 病をおして、薬を飲みながら働いて、税金を納めるのが馬鹿馬鹿しくなってきた。


2003年01月20日(月) 小泉政権は全部中途半端ですな。

 通常国会が開幕したが、小泉政権は構造改革と馬鹿のひとつ覚えみたいに唱えているだけで、実質的に何が変わったのか分からない。経済政策では、金融機関の不良債権とそれから派生する貸し渋り、貸し剥がしを何とかするような事を言っているが、竹中経済・金融担当相に丸投げしたきりで、サポートもしなければ、守ってやろうともしない。多分、小泉は経済のことなど、分からないし、どうでも良いと思っているのであろう。

 対北朝鮮外交も国交正常化交渉が中断したままにっちもさっちも行かなくなってしまい、アメリカと韓国が中心になって核問題を扱う事になってしまいそうだ。平壌宣言には核兵器の開発をしない、という内容が含まれていたのだから、アメリカとは無関係に、日本からも北朝鮮に抗議しても構わないのに、アメリカがどう動くかおっかなびっくり見ているだけで、そのおかげで、拉致問題の解決も進展しない。帰国した拉致被害者はいつになったら、北朝鮮に残してきた家族に会えるのか気が気ではないだろう。

 アメリカのイラク攻撃に関しては、欧州諸国のトップはいずれも、態度をはっきりと打ち出しているが、日本は反対なのか、賛成なのかはっきりせずもごもごしている。みっともない。

 何故こうなるのかといえば、小泉が何事に関しても「自分が責任をとる」という覚悟がないからである。少しでも長い間、総理大臣の座にいたいのであろう。何で人間はこうなってしまうのであろう。もういいではないか。60過ぎて、一応総理大臣を経験して、今後も食うに困るわけではないのだ。毅然としたところを見せてもらいたい。


2003年01月19日(日) 周囲の人がうつ病になったら。

「朝日新聞社が主な企業100社のメンタルヘルス(心の健康)対策をアンケートしたところ、回答企業の6割弱でうつ病など「心の病」を抱える社員が増えていることがわかった。また、8割弱の企業が部下の心の健康管理のための管理職研修を実施していた。過労自殺訴訟で企業の責任が問われるようになるなど、危機管理としてメンタルヘルス対策を迫られる企業の実態が浮き彫りになった。」

 患者が増えている会社は、本当はもっと多いだろう。管理者研修で何を教えているのかは、記事になっていないので不明だが、いくら研修をしても分からない、或いは分かろうとしない上司が必ずいるはずである。せめて家族や身近な人は理解してあげて欲しい。

1.うつ病の人を励まさない。
うつ病は極度にエネルギーが枯渇した状態である。患者本人は生来几帳面だっ たり真面目な人が多く、「頑張らなくては」と思っているのだが頑張れないの である。その患者にとって一番辛いのは「頑張れ」とか、「元気を出せ」とか 言って励まされる事なのである。「ゆっくり休みなさい。今はそれが仕事なの だと思う事です」というような声のかけ方が望ましい。

2.会社を辞めるとかの重大な決定をさせてはいけない。
うつ病の人は休んで申し訳ないといって、辞めたがる。うつ病患者のBBSを読 んでいる と、「今日、会社を辞めた」とか、辞めるつもりだ」という類の書 き込みが実に多いが、 うつ病の時は全てが悲観的にしか考えられない(これ を認知の歪みという)ので、会社を辞めるとか、離婚するとか、重大な決定を させないようにするべきだ。

3.とにかく、休ませる。
うつ病がある程度進んだときは、抗うつ薬の投与だけでは、良くならない。思 い切って数ヶ月休職することが結局は回復の早道である。本人は休んだら仕事 がなくなるとか、周囲に迷惑だといって、休みたがらないが、抑うつ状態のま まで働いていると、集中力や判断力が鈍っているため、ミスなどを犯しやすい。
その方が周囲に迷惑をかけることになる。

4.安易に気分転換などさせない方がよい。
 気分転換になるだろうといって、外出や旅行に連れ出すのは、一見良さそうだが、前述の通り、うつ病はエネルギーが枯渇している状態なので、症状を悪化させる可能性のほうが高い。3.で述べた「休む」とは、文字通りなるべく何もしないことなのである。
 
 実際、高嶋忠男氏などは、うつ病の回復期に海外旅行に行ったのがきっかけで、症状がぶり返して、回復を遅らせた、と息子さんが述べていた。
 
 とりあえず、これぐらいの事を世間が認識してくれると、患者は大変、助かる。


2003年01月18日(土) 麻酔医に感謝。

天皇陛下の手術が無事終わった。執刀医を始めとして手術のスタッフはさぞや緊張した事であろう。

手術には麻酔がもちろん不可欠だが、素人には分からないが、以前、知り合いの外科医から聞いたところによると、手術は麻酔で決まるといっても過言ではないのだそうだ。手術前に麻酔をかけるのは当然だが、術中の呼吸や心拍数をじっと観察して、また、手術の進行に応じて、最も適当な深さの麻酔をかけつづけるということは、熟練を要することなのだという。

手術が終わっても、患者が自律呼吸や意識を回復するまで安心できないのだそうだ。地味だが大変重要な仕事だ。手術を痛みを感じないで受ける事ができるのはいまやあまりにも当たり前のことになってしまって、有難さを忘れてしまっているが、自分は、以前、小さな手術を受けて、その有難さが良く分かった。麻酔医に、感謝。


2003年01月17日(金) 英語を聞き流すだけで話せるようになるわけが無い。

英会話学校や英会話教材というのは、星の数ほどあるけれども、英語を聞き流すだけで話せるようになる、というのはまことに疑わしい。

聴いているだけで話せるようになるのであれば、標準語で放送されているテレビを見ているだけで、日本中、だれでもアナウンサーのような発音で原稿を読めるようになっているはずである。しかし、事実はそうではない。母国語ですら、明瞭な標準語で話すためには訓練が必要なのである。まして、外国語について、何をか言わんや、である。

どの言語にも、特有の口や舌の使い方、動かし方がある。これらを習得するためには自分も口に出してみる、という過程が絶対に必要である。自分の体の一部を動かさなければ習得できないという点では、スポーツや楽器の演奏、自転車に乗ること、自動車の運転の練習など体を使う他の全ての行為と語学は全く同一である。

具体的には、意味の分かった文章を何回も繰り返し音読するのが、語学習得の早道である。この際、ネイティブが吹き込んだCDが付いている教材を購入して、MDにコピーすれば、同じパラグラフを自動的に繰り返し再生できるので、便利である。自分がネイティブに近い発音をできるようになれば、リスニング力は自然に向上する。自分が出せない音を聞き取る事は非常に難しい。

いくら、機械が進歩しようが、語学は自分で声に出さなければ上手くならないという原理は、永久に変わらないだろう。


2003年01月16日(木) 天皇陛下は落ち着いていて、立派だと思った。私だったら、きっと、取り乱すだろうな。

天皇陛下が前立腺ガンの手術のために東大病院に入院なさる映像を見て、何と落ち着いているのだろうと、感心した。さほど心配の要らない高分化型の前立腺がんであるとはいえ、やはり、命に関わる病気だし、父君の昭和天皇がやはり癌で、亡くなられるまで、随分何ヶ月も苦しまれたのを見ておられたのだから、怖くないわけが無いのに、絶対に取り乱さないのは、やはり、立派である。

私は、右翼でも何でもないが、自分にはそういう精神力は無く、同じような立場になったら、恐らくギャーギャー騒ぐだろうな、と思うので、素直に尊敬するのである。自分ができない事をできる人を尊敬するのは、当たり前だろう。


2003年01月15日(水) 車掌が寝坊で遅刻、7本に影響 JR山陽線姫路駅←こんなの、ロンドンでは日常茶飯事。

 昨日のニュースだが、
 
 「JR山陽線姫路駅で、14日午前7時32分発の草津行き新快速電車(乗客約700人)に乗車する予定の車掌が寝坊したため遅刻し、上り7本が最高9分遅れ、約4600人に影響した。

 JR西日本によると、車掌の起床は、同駅構内にある姫路列車区で午前7時7分に点呼で確認することになっていたが、宿直職員が点呼を失念。出発直前になって車掌から合図がなかったため、新快速の運転士が車掌の遅刻に気付いた。車掌は同7時40分ごろになって同駅に到着、後続の野洲行き新快速電車に乗り込んだ。」

 やはり、日本人は真面目だ。というか、このような事を全国的に報道するメリットがあるのだろうか。
 
 遅刻して良い訳は無いのだけれども、これがニュースになるのは、日本だけだろう。ロンドンの地下鉄なんかすごいから。時刻表なんて無いのである。いや、厳密には有るのだが、「3分〜5分に1本はあるだろう」みたいな表示がなされているだけである。
 
 朝の通勤時ですら、なかなか、いつもの時間の地下鉄が来ず、どうなっているのかと思っていると、構内放送で「この電車に乗る予定の運転手が来ないので運休にします」なんて、平気で言っている。Sorryなんて言わないのである。「運転手が来ないのは、私のせいじゃないし、来ないのだから仕方が無いじゃないか」という、日本人なら唖然としてしまうような論理が通用してしまうのである。

 日本人は、客観的に見て、非常に精密な仕事をする国民性を持っている。勿論長所なのだが、あまり真面目すぎると、鬱になる。本人はすでに十分反省しているに決まっているのだから、新聞が追い討ちをかけて全国に言いふらさなくてもよいではないか。

 ということで、昨日寝坊した車掌さんは、本当にあまり思いつめないで欲しいと願う。


2003年01月13日(月) ディズニーランドで成人式ってのはギャグですなあ。

成人式についてテレビが色々報道したが、去年に引き続き浦安市がディズニーランドで成人式を行い、出席者は大変喜んだというニュースには笑わせていただきました。

ディズニーランドというのは本来、子供が行って喜ぶところである。そういうものから脱却するのが成人するという事なのだと思うのだが、その場所で成人式を行うという。まるでギャグである。私が「新成人」だったら、馬鹿にするなといって本気で怒る。

さいたま市は親が一緒に付いてくる成人式を行ったそうだが、これもまた噴飯ものである。以前、出席者が暴れたので、親も一緒に呼べばよいだろうという企画を昨年から始めたそうだ。私は、親がいなければ式典で静かにしていられないような人間は、成人とは認めない。幼稚園児と同様とみなす。


2003年01月12日(日) ウィーンフィルのホルンとリヒテルのピアノ どちらも、日本製です。

世界に冠たる日本の製造業技術は電気製品や自動車ばかりではない。西洋発祥の楽器の製作においてすら、随分前から日本は世界のトップクラスにある。

 ウィーンフィルは毎年元日にニューイヤーコンサートをやるので(特に昨年は小沢征爾が指揮したので)、名前を知っている人は多いだろう。要するに世界最高のオーケストラである。

 世界中に上手いオーケストラはいくつもあるが、ウィーンフィルは技術的に上手いばかりではなく、その独特な響き、オーケストラ全体としての音色、が一つの大きな特色である。それを構成する要素は無数にあるだろうが、分かりやすい要因としては、オーケストラの響きに大きな影響を与える、ホルン、オーボエが、世界でウィーンフィルハーモニーにしか存在しない、ウィンナーホルン、ウィンナーオーボエという特有の楽器を使っていることが挙げられる。

 楽器と言うのは消耗品であるし、使っている間にメンテナンスが必要になることも多い。かつてのウィーンにはこうした楽器を扱う伝統職人が大勢いたのに、時代の推移とともにその数が激減してしまった。ウィーンフィルの命である、ウィンナーホルン、ウィンナーオーボエが作れなくなるところだった。そこで、なんと、ウィーンフィルから日本の楽器製作会社、ヤマハに、製作依頼が来た。日本の楽器製作者たちは現代技術の粋を駆使しながら、大変苦労して、ウィーン製楽器の音響上の特徴と、それを可能ならしめている楽器構造上の特徴を突き止めた。出来上がった楽器をウィーンフィルのホルン奏者、オーボエ奏者に試し吹きしてもらった。
彼らは、この楽器は完璧だと日本人楽器製作者たちの努力と技術を絶賛した。いまでも、ウィーンフィルのオーボエ、ホルン、そして、私の知る限り、トランペットは、日本人の手によって作られた楽器である。

 リヒテルというのは、これまた、歴史に名を残す世紀の大ピアニストであり、楽器選びには大変神経質な人であるが、あるときから、ピアノ界の王者、スタインウェイやベーゼンドルファーよりも、ヤマハに注文して作ってもらったピアノを非常に気に入り、それ以来、ずっと、演奏会ではヤマハのピアノを弾いている。

 リヒテルは世界的大家なのだが、あるとき、「私のピアノを作ってくれている人たちにお礼がしたい」といって、わざわざ、浜松のヤマハのピアノ工場にやってきて、リサイタルを開いた。このエピソードはNHKの「プロジェクトX」でも採り上げていたから、知っている人もいるだろう。
 
 ヤマハのピアノ製作者たちは、大変驚いた。リヒテルといえば、世界中の超一流オーケストラと超一流のホールで演奏する人である。その本人が、要するに工場の中の会議室を会場として演奏してくれるというのである。しかも、リヒテルは、演奏に先立ち、作業服姿で集まったピアノ職人たちに向かってこういった。

 「私は、今日ほど、緊張する演奏会はありません。なぜなら、ここにいる人々は最もピアノを愛する人たちばかりなのですから」

 だめだ。この話を書くと、泣けてくる。


2003年01月11日(土) 腹にくる風邪が流行っているそうだ。おかしいと思ったら、早めに診てもらいましょう。

昨日の夕方、急に発熱して、何度か下痢を繰り返した。
一瞬、インフルエンザに感染したかと思い、慌てた。インフルエンザならば、治るまでに少々時間がかかるし、伝染病だから、会社に行けない。

しかし、インフルエンザならば、かなりの高熱を発するし、関節痛など更に色々な症状が出るはずなので、それではない事は大体見当がついた。すると可能性は2つ。1つは急性大腸炎になり、その影響で発熱しているケース。しかし、生ものや消化に悪いものは食していないし、酒も飲んでいない。冷たいものも飲んでいない。となると、次の可能性は腹に来る風邪。風邪の中には胃腸障害を伴い、つまり、腹が痛くなったり、下痢が止まらなくなったりするものがある。

今日になっても、下痢と発熱が収まらなかったので、近所の内科の先生を訪ねた。症状を告げたところ即座に、「おなかにくる風邪でしょう。今、はやっているから。」との診断を下された。診断が確定するだけでも、患者は安心する。流石は専門家。餅は餅屋である。安心したら、それだけで、体が軽くなった。4日分の薬を処方された。抗生物質、解熱剤、下痢止めなどである。

下痢の時には、水分を補給しないと、極端な場合は脱水症状に陥る。しかし、普通の水などを飲むと、腸が刺激されて下痢を誘発する、という悪循環に陥る。こういう時はポカリスエットがいいそうだ。下痢によって失われた電解質を補充できる。つまり、それだけ体液に近い液体らしいのだ。だから、腸を刺激しない。もちろんあまり冷やして飲まないほうがよいが。

以前、この日記で、ビタミンCを飲むと風邪を引きにくくなると書いたのに、風邪を引いてしまったのは面目ないが、昨日から、1時間ごとに、1500mgのビタミンCを10回ほど飲んだ(厚生省が推奨する1日のビタミンC摂取量、60mgの250倍である。半端な量ではダメなのだ)。早く症状が改善したのはそのおかげもあると思う。ビタミンCは風邪の治療にも効くというのは、私の経験では、本当だ。


2003年01月09日(木) アメリカを査察する計画。その後どんどん署名は増えているが、日本人が殆どいないのです。

私は12月20日に、カナダの市民団体がアメリカを核査察しようと本気で計画している事を知り、日記に書いた。その後どんどん世界中の人が署名しているのを見て、自分も1月3日に署名した。inspector(査察官)になった訳である。その後も署名は1日に200人弱のペースで増えつづけ、今日の時点で1万1千人台に達している。

団体はカナダで発足したのだが、興味深い事にアメリカ人自身の署名が非常に多い。その他ヨーロッパ、南米、韓国などいたるところの人が「査察団」に加わっているのだが、惜しむらくは日本人の名前が殆ど見当たらない。

日本のマスコミ(も知らないのかもしれない)が報じないので、日本人の大多数は多分、この計画の存在自体を知らないのであろう。私は偶然ネットで知ったのだが、12月20日の日記を書いた後、カナダにお住まいになっている日本人の翻訳家の方からメールを頂いた。その方は、日本語でこの計画の詳細を記録しておられる殆ど唯一の方ではないかと思う。その方のサイトをここで紹介してもよい、というお許しをご本人から得たので、リンクを貼っておく。

もう一つの「邪悪根絶」:アメリカを査察する

この方は、毎日、査察官の登録状況などを日記に記しておられる。興味はあるが英語のサイトだけだとなんとなくよく分からないという人は、ご覧になると良い。因みに、今日、当のカナダの団体からメールが来た。

「2月22日に査察団をアメリカへ「本当に」送り込む計画である。査察を行うにあたり費用がかかるから、無理にならないなら、送金してくれないか」という趣旨だったので、本日、私は少しだけだが、寄付した。(無論、強制ではない。)当日、何が起こるのか、誠に興味深い。この計画がインチキではなく、飽くまで本気だと言う事は、サイトを見てみると、分かる。

Rooting Out Evil


2003年01月08日(水) 女性が男性よりもおしゃべりなのは、脳の構造の違いによるもの。しかし、病院の待合室では静かにしていただきたい。

女性が男性よりもおしゃべりなのは脳の構造の違いによるものである。女性の方が左脳にある言葉を理解するための「ウェルニッケ領域」と言う部分の神経細胞密度が高いのだそうだ。

 また、女性はおしゃべりをすることによって、オキシトシンというホルモンの分泌が増えるらしい。オキシトシンは分娩の際の子宮の収縮や授乳に関係するホルモンとして知られていたが、最近の研究によると、オキシトシンにはストレス物質であるコルチゾールを低下させる作用があるという。

 だから、女性がおしゃべりなのは仕方がないのだが、せめて、病院では静かにしていただきたい。今日、私が病院の外来待合室で自分の診察の順番が来るのを待っている間、真向かいに座った二人の女性がずーっと、おしゃべりを続けていた。喫茶店などならば仕方がない。しかし、病院の待合室にいるのは、原則として何か身体の不調を抱えている人間だ。わたしは女性のおしゃべりをきいていると、健康なときでも、イライラしてくるのだが、病を抱える今の身体と神経には、あれは本当に、堪える。今日は、心底、参った。


2003年01月07日(火) 欧米人との正しい握手の仕方。

現実のニュースにあまり明るいものが見つからないので、差し障りの無い話を一つ。

ロンドン、ロンドンと海外にいたことを何回も書くが、自慢する気持ちは毛頭ない。そもそも自慢にも何にもならない。会社に行けといわれて行っただけなのだから。ただ、何年か住んでいる間に体験して、面白いと思ったことが沢山あるので、ときどき書き留めておきたくなる。

明治以降、日本は積極的に欧米の文化を吸収した。服装や食生活などはその影響が明らかである。しかし、どういう訳か、欧米人の挨拶の仕方、即ち握手は、日本に根付かなかった。洋服を着ていても、日本人の挨拶の基本はあくまでも、お辞儀である。

海外へ行って、外人にお辞儀をすると、向うが戸惑ってしまう。やはりあちらでは握手を正しくしなければならない。郷に入りては郷に従え、である。

ところが、最初のうち、なかなか上手くいかないのである。まず、日本人がやってしまいがちなのは、握手をしながらお辞儀をしてしまうことである。これは、相手が王室の人でもない限り、こちらが服従の意を表しているようでおかしい。彼らの目には非常に奇妙に、卑屈に見えてしまうのである。

握手をするときは決してお辞儀をしてはいけない。あくまでも背筋はピンと伸ばし、相手の目を見る、という決意をもって臨む。

次に問題になるのは、相手の手を握る強さである。私は最初、見当がつかず、特に相手が女性の場合は、あまり強く握るとヘンな奴に思われるのではないかと考え、そっと握る程度にしておいた。

ところが、あるとき、親切なイギリス人が忠告してくれた。「君の握手は弱すぎる。あまり弱いと、相手を嫌がっているようでおかしいんだ。」なるほど。これこそベスト・アドヴァイスだった。

握手というのは、自分は手に武器を持っていない。貴方を信頼している、という気持ちを伝えるものだから、しっかりと握らなくてはいけないのだそうだ。

手のひらをまっすぐに広げて下方向45度ぐらいに差し出す。相手の手のひらと自分のそれが接触する。そうしたら、相手の手を痛めない程度に、しかし、しっかりと握る。時間は約1秒〜2秒。短すぎると、やはり相手を嫌がっているという印象を与えてしまう。

但し、(これは、中国人が必ずやるのだが)、握った手を振り回してはいけない。握手している間、腕は静止した状態であるのが正しい。

これだけのことなのだが、やはり日本人の遺伝子に組み込まれていない習慣であるから、「さま」になるのにはいささかの熟練を要する。いつの日かこれを読んだ方が外国人と握手をするときの参考になるといいのだが・・・・。


2003年01月06日(月) 日本人はもう少し声を掛け合ってもよいのではないだろうか?

 身動きも出来ないほど混雑した通勤電車が駅に到着する。出口のそばにいた人は問題なく電車から降りる事ができるが、奥の方のひとは降り遅れまいと必死になる。私はこういう時に、「すみません、降ります」と周囲の人に一声かける事にしているのだが、何も言わずに、ぐいぐいと人を押しのけて前へ出る人がとても多い。急ぐ気持ちはわかるが、これは、非常に感じが悪い。

 ロンドンに駐在してみて分かったが、同じような状況で、イギリス人は、見知らぬ人に、“Excuse me?”と声をかけることを厭わない。日本人である私に対してすら、そうした態度は変わらなかった。

 また、彼らは、部屋の入り口で自分がドアを開け、後から他人が来る時は、よほど離れていない限り、その他人が着くまで、ドアを開けて待っている。後から来た人はちょっと微笑んでThank youといい。待っていた人は、No prob.(problemの略)とか、All right.といって微笑み返す。お互い知らないもの同士。一期一会である。

 私は人生・生活全ての面でイギリス人が日本人より優れているなどとは思わないけれども、こうしたちょっとしたことでもマナーを重んずるのは、良い習慣であると思った。自分でもやってみて、Thank you と笑顔で礼をいわれると、実に気持ちが良い。こちらがThank youといって、笑顔で OKなどと言われるのも嬉しい。こういうのを日常生活の潤滑油というのだろう。このような経験をして、不愉快になるのはよほどのひねくれものであろう。

 今の日本人の中で海外で暮らしたことがあるひと、海外旅行をしたことがある人はかなりの数に上るはずである。折角海外に行くのならば、買い物やグルメにばかり熱中していないで、少し冷静に、外国の人々の生活習慣を観察して、良いものは輸入すればよい。人を気持ち良くさせるマナーなら、外国のものであろうが無かろうが取り入れて不都合があるわけがない。 


2003年01月05日(日) 英語の上達には音読 中途半端な留学は無駄。

 最近、書店の英語コーナーを見ると、音読を勧める本が多く目に付くようになった。しかし、そんな事は30年以上も前から国広正雄という先生が提唱している。その方法は極めて簡単で、予め意味が分かる程度のテキストをテープやCDに録音されたネイティブの発音にあわせて、何度も繰り返し音読せよ。というものである。国広先生はこれを「只管朗読」(ただひたすら音読するという意味。)と名付けた。

 詳しくはこの本を読めば全て書いてある。
国広流英語の話し方

 私はこのやり方を予備校のときに知り、早速実践した。一日に30分もやれば十分である。忙しい人は10分でもいいだろう。やればやるほど英語が脳にインプットされる。大学に入学してからはNHKのラジオ「英語会話」(当時は東後勝明講師)を材料にして、月曜から木曜までのスキットを毎日20回ずつ1週間音読した。つまり1週間で同じ文章を140回音読したことになる。それぐらい音読すると大抵は覚えようとしなくても覚えてしまう。

 国広先生によれば、題材とする英文は難しいものである必要は無く、中学校の英語の教科書程度、それで気がすまなければ、高校の教科書で十分である、というが、まさにその通りである。要するに何でも構わない。ある程度発音が身に付いたら、自分の興味がある雑誌や本を音読しても構わない。但し、「繰り返す」ことが極めて大切である。国広氏自身は戦後間もない頃で、今のようにいろいろな教材が無かったので、英語の教科書を1000回近くも音読したという。

 私の経験から言っても140回程度では何年かたつと忘れてしまう。しかし、500回を超えるとほぼ長期記憶として定着する。

 世の中には英会話学校に行けば自動的に英語が上達すると思っている人が多いようだが、自分の中に英語表現の蓄えが全く無い状態で英会話学校に行っても効果は薄い。ある程度、英語表現を自分の脳にインプットしてあれば、あとはネイティブとの会話で自然に応用が効くようになる。何事にも基礎というのは誠に大切なものなのである。

 私は、33歳にもなってから、ロンドン駐在するために初めて国際線の飛行機に乗って「海外」に行った。それまで、英会話学校に行った事は無かったが、現地に着いてから、家を探すのも、車を買うのも、勿論仕事もすべて英語でこなさなければならなかったが、特に困った事は無かった。「只管朗読」の威力を身をもって体験した。

 よく、OLなどで30近くなって語学留学と称して1年ぐらいアメリカやイギリスで暮らす人がいる。私がロンドンにいた頃にも近所に日本人が大勢通う英語学校があったので、しばしば、そういうたぐいの日本人を見かけた。現地の英会話学校に行っても、要するに、基礎ができていなければ、NOVAと同じである。おまけに、様子を見ていると、授業が終わると、大抵は日本人の友人と日本語でおしゃべりを楽しんでいる。あれでは、全く意味がないし、お金の無駄だとおもう。

 そんなことをするよりも、まずは日本で「英会話・ぜったい・音読」(でなくてもかまわないが、一応この本の編者は国広さんなので)を500回、音読する事を勧めたい。


2003年01月04日(土) 「イラク攻撃」は征服でなく解放…米大統領演説 アメリカの強迫性人格障害的行動

◆ブッシュ米大統領は3日、テキサス州のフォートフッド陸軍基地で約4000人の兵士を前に対イラク攻撃について演説し、「君たちは征服のためでなく、人々を解放するために戦うことになる」と述べ、イラクが大量破壊兵器の廃棄に応じなければ武力行使に踏み切る決意を改めて示した。

◆アメリカは人になぞらえて述べるならば強迫的人格障害に近いのではないかと思う。という講義を学生の頃に聞いた。以下は、その時の覚書から引用するものである。

◆強迫(脅迫ではない)的人格障害の特徴としては、道徳や価値観に過度に固執して融通がきかない。人を疎外し、他人が自分の要求に従う事を主張する、などがあげれる。

強迫性人格障害は、自己欺瞞にその端を発する。

たとえば、ある人が子どもの頃、幼い弟か妹をいじめて虐待したのを、本人は弟や妹のためをおもって厳しいしつけをしてやったのだと、正当化したとする。ここに自己欺瞞がある。このような人は将来、例えば会社で自分が上司となった場合には、彼は強迫的に部下をいじめ、虐待するようになる。彼がここで、部下に対して優しく接して事が上手く運んでしまうと、かつて、弟や妹にもこのように優しく接するべきだったのではないか、という苦しい疑問にぶつかる。そうなれば、かつての弟妹に対する態度は実はしつけではなくて、虐待だったということを認めざるを得なくなり、そのことに関する罪を認め責任をとらなければならなくなる。したがって、それを避けるため、彼は部下に優しく接する事が出来ず、彼はいつまでたっても、自分の勢力下にあるものを虐待しつづけ、その行為は相手のためを思ってやったのだ、と正当化しつづけるしか道が無い。逆にいえば、彼がこのような虐待をやめるためには、かつての虐待を虐待であったと認め、その罪と罰を引き受けるしかないのである。

これを、アメリカの歴史にあてはめると実にピッタリ来るのである。
アメリカ人の始まりは17世紀にメイフラワー号にのってヨーロッパからやってきた人々で、かれらはピルグリム・ファーザーズと呼ばれ、アメリカの自由と民主主義の始祖であるとして神聖視されている。

しかし、彼らはひどいことをやっている。この「聖徒」の一人はある日、アメリカ大陸の先住民インディアンの酋長とその18歳の弟、ほかにもう2人のインディアンを自分の執務室に招待して食事をすることにした。インディアンは名誉を重んじ、客を丁重にもてなすのが掟であるから、この招待を受けても危険は無いと思ってやってきた。

ところが、アメリカ人の「聖徒」はとんでもないことをした。インディアンたちが部屋に入るなり、ドアに鍵がかけられ、「聖徒」は自らナイフを振りかざして、インディアンの一人をズタズタに切り裂いた。「聖徒」の部下たちは酋長ともう一人のインディアンを剣でめった切りにした。18歳の少年は、その場では殺されず、あとで、皆の前に引きずり出して絞首刑に処せられた。

「聖徒」はインディアンの酋長の首をもってプリマス砦に引き返し、人々は歓喜して彼を迎えた。酋長の首は棒にさされて
20年もプリマスの砦に掲げられ、名物とされた。

この残虐な事件が、事実としてアメリカ人によるインディアンの惨殺事件として認識されていれば、自己欺瞞とはならないはずだった。

問題は、この残虐な殺人犯たちがアメリカの自由と民主主義の基礎を築いた人として尊敬されたことにある。完全な自己欺瞞である。この結果、以後、アメリカにとって、「自由」と「民主主義」は裏切りと暴力を正当化する口実になった。

アメリカの対外侵略も、自己の正当性を自分に言い聞かせるための強迫的反復である。他民族をみると、裏切りと暴力を使って、アメリカの「自由と民主主義」を押し付けたくなる、強迫的衝動に駆られているものだとおもわれる。

◆以上が私が聞いた講義の概要である。その当時は何の事か分からなかったが、今考えると実に的を得た主張である。
ブッシュ大統領の「イラク攻撃は征服でなく解放」という言葉も、いまだにアメリカが自己欺瞞を続けている証左であろう。


2003年01月03日(金) 「アメリカを査察する計画」に登録した。

 昨年12月20日の日記で、 Rooting Out Evil  という計画の事を書いた。カナダの民間の団体が提唱する、「アメリカこそが最も大量の大量殺戮兵器を保有しながら、国連の査察を受けないのはおかしい」という理由の下に、全世界の人の署名を募り、本気でアメリカの軍備施設をを査察しようという、インターネット時代にして初めて可能である壮大な(になりつつある)プロジェクトである。
 
 全世界から署名が集まっているのを見ていたら、つい先日、1万人を突破した。私も昨日、登録した。登録すると、inspector(査察官)の肩書きが与えられる。勿論、直ちに、アメリカへ飛んでいかなければならないわけではない。国際世論を結集するという事自体が、大きな眼目なのだ。

 「殆どの人間は1日の99%の時間を、自分のことだけを考える事に費やしている」といったのは、確かデール・カーネギーだったと思うが、私自身の事を考えてもまことにそのとおりである。

 しかし、この世に生れた限りは、歴史に残るような偉業を残す事は無理だとしても、少しは「世のため、人のため」に尽くしたい。たかが、署名したぐらいで偉そうな事はいえないが、そういうちょっとした人々の気持ちの集積が世界を動かす事もあるのだ、と信じたい。


2003年01月02日(木) 1.初夢の行事 2.辛い正月

◆正月2日に見る夢を初夢という。私が子供の頃は折り紙で「舟」を折り、そこに、「長き夜の遠の寝ぶりの皆目覚め波乗り船の音のよきかな」という歌を書き添えて寝ると良い夢を見るという、昔からの習慣を実行していた。この言葉はひらがなにしてみるとすぐに分かるが、回文になっている。子供心によくも、これだけ上手い具合に作ったものだと感心した。

こういう風流な習慣は、どんどん無くなるが、勿体無いと思う。

◆うつ病患者にとって正月やゴールデンウィークなど、世間の人が楽しそうにしている時期は誠に辛いものである。ここ4日間、一歩も外に出ていない。散らかり放題の部屋の万年床で寝たり起きたりしているだけ。抗うつ薬を飲んでいるので、酒は一滴も飲まない。飲みたいとも思わない。家内は私の病気の事など考えたくも無いようで、いかに私が苦しくても声ひとつかけてこない。病気になって以来、家内と母の仲が険悪になり、もう母には2年も会っていない。父は私がロンドン駐在中に他界した。

 父、母、兄、祖母、私の5人家族と、14年間飼っていた犬で過ごした頃は、堅苦しくて面倒な事も会ったが今となっては懐かしい。無性に死にたくなる。これも病気の症状だと自分に言い聞かせるが、惨めである。こんなことならば、正月休みなど無い方が良い。会社にいてもつらいのだが・・・。


2003年01月01日(水) 一月一日

年の初めのためしとて、
終わりなき世のめでたさを
松竹立てて門ごとに
祝う今日こそ楽しけれ

というすがすがしい気持ちを感じられる世の中が戻ってきて欲しい。


JIRO |HomePage

My追加