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JIROの独断的日記
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2002年12月31日(火) 今、現実にある幸福を見出す。

 ◆不況は英語でdepressionといい、うつ病も英語ではdepressionである。今年のニュースを振り返る番組を見ると、良い話は殆どなくて、悪いニュースばかりが目立つ。うつ病患者は、思考が否定的になり、身の回りに良い事があってもそれには反応せず、悪いことばかりを考える。日本は国家的規模でうつ病状態にあるのかもしれない。
 
 しかし、多くの人は、ものすごくいいことはないかもしれないが、小奇麗な服を着て、今日食べるものはとりあえず、手に入り、暖房の効く家に住み、暖かい布団で眠る事ができる。病気になれば医者に見てもらうことができる。今の政権はなっていないと批判しても、捕らえられて、拷問にかけられることは無い。

 東京からわずか1,000数百キロ離れた北朝鮮では、トウモロコシのお粥をすすったり、木の根っこを齧って飢えをしのぎ、ひとり丸々とふとっている独裁者を将軍様と呼ばなければならない人々が現実に存在する。

 そう考えると、まずは年越しなどといっていられる自分は幸福なのだ、と考えねばならない。当たり前になりすぎて見過ごしているさまざまな「幸福」を改めて感じる。

◆海外にタレントが出かけていって騒ぐ番組は国辱だ。
 今、テレビを見ている。千昌夫や吉幾三などが韓国へ行っていろいろな食べ物を食って、勝手な事を喚いている。今年は特にワールドカップが開催されたこともあって、韓国が多かったが、以前からこの手の番組は多い。しかし、こういうのを見るたびにタレントたちの行儀の悪さや、公衆の面前で不必要に大声をあげる、みっともなさが気になる。こういうの、いい加減にして欲しい。


2002年12月29日(日) 第九以外の年末お勧め曲

 年末の「第九」は恒例になっていて、普段クラシックを聞かない人でもこれだけは聴きに行く、という人がかなりいる。それはそれで、よいことである。

 第九を聴いていいな、と思った人は、年末に限らないが、同じベートーベンのシンフォニーならば、3番、5番、7番、8番などは楽しめるのではないかと思う。特に7番は英雄とか運命のような題名がついていないが、曲の終わりにかけて非常に興奮を覚える名曲である。第五番「運命」は所謂クラシックファンは有名すぎて馬鹿にするかもしれない。しかし、これをいいオーケストラが本気で演奏したときの迫力はただものではない。

 名曲は、しかし、フォルティッシモで終わるものばかりではない。年末を静かに過ごしたいという時には、バッハのオルガン小品集のCDがいくつもあるので、聴いた事が無い人には薦めたい。AmazonやJBookなどで検索してみるといい。バッハにはまず駄作がない。

 また、演奏者に注目して述べるならば、ヒリアードアンサンブルという、アカペラのコーラスグループがある。彼らは中世の音楽、つまり、バッハ以前の古い音楽のCDを沢山だしていて、どれもとても美しい。CD屋へ行くと、こういうのは「音楽史」という分類になっていることが多い(音楽史というのは如何にも変なネーミングだが、飽くまで便宜上の
区分である。なにも、講義が録音されているわけではない)。

 ヒリアードアンサンブルのCDをかけると、あたかも空間が変わってしまい、そこだけヨーロッパになったような錯覚に陥る。部屋の雰囲気が、どんな狭い家でも変わってしまうのに驚くだろう。


2002年12月28日(土) 天皇陛下、前立腺癌との診断。御快癒をお祈り申し上げます。 <バリ島爆弾テロ>容疑者が日本向けテロを予告 HPで

 前立腺癌の知識(私的メモ)
 前立腺癌は非常に進行が遅い癌であり、一つの癌細胞ができて、治療を要するようになるまでに、30年〜40年近くかかるといわれるほどである。

 癌には悪性度を示す分化度という分類があり、高分化・中分化・低分化の3つに分類される。高分化型癌はおとなしい癌で、最も悪性度が低く、正常細胞に近い形をしている。高分化や中分化の癌はゆっくりと進行するので5年〜10年で生命に危険が及ぶ確率は10%である。低分化型は進行が早く、同じ期間で亡くなる確率が50%にたっする。

 今回、天皇陛下の場合は最も危険度が低い高分化型のガンで、手術を行うのは、転移がない早期前立腺癌に関して、前立腺を摘出するのが、唯一の根治療法である、という判断によるものと思われる。

 前立腺癌は採血の上、PSA(=prostatic specific antigen、前立腺特異抗原)検査を行う事により、早期発見が可能になった。前立腺がんは高齢者に多いため、陛下も健康診断の際にPSA検査が実施され、発見に及んだのではないか。

 まことにお労しく、御快癒をお祈り申し上げる。
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インドネシア・バリ島爆弾テロのリーダー格として逮捕されたイマム・サムドラ容疑者(35)が自ら開設したホームページで、米国のアフガニスタン攻撃を支持した国の一つとして日本を名指しで批判、テロ攻撃を予告する声明を掲載していたことが分かった。外務省によると、アルカイダ関連組織の日本向けテロ予告声明は初。外務省は声明の一部(日本語訳)を同省ホームページで公開し、海外渡航者に注意を呼び掛けている。

 外務省によると、声明はインドネシア語版と英語版があり、バリ島の爆弾テロの犯行を認めたうえで、米国をアフガンのイスラム国家を破壊した「十字軍」と非難。米の同盟国として英独豪仏などと並んで日本を挙げ、「これらの国民と戦い、殺りくし、破滅させる」と警告している。

 海外旅行に行く日本人向けに、外務省のサイトには
海外安全ホームページというセクションがあり、随時更新されている。インドネシアに関する、上の情報は20日付けで同ホームページに掲載されている。今日になって、毎日新聞がようやくとりあげた。年末に海外旅行に行く人が多い事は分かっているのだから、国も、マスコミも、もっと早くから注意を喚起すべきであった。


2002年12月27日(金) 「されど我は汝らに告ぐ。汝らの仇を愛し、汝らを責むる者のために祈れ」(マタイ福音書)

 欧米人の行動様式の基礎はキリスト教にあるという。表題の言葉はあまりにも有名なマタイ福音書5:44で伝えられるキリストの言葉である。子供でも知っている(最近の子供は知らないか・・・)。しかし、米国の行動は改めて検討するまでも無く、この教えに真っ向から逆らっている。

 26日付のワシントンポストは、CIA(米国中央情報局。要するに諜報機関)が9.11テロ以降捕らえたアルカイダやタリバンの兵士を様々な肉体的、精神的拷問にかけて自白させている事をすっぱ抜いた。

 1949年のジュネーブ条約では戦争捕虜を人道的に処遇する事を規定しているが、ラムズフェルド米国防長官は今年の1月に「彼らは不法な戦闘員であり、ジュネーブ条約で定義するところの戦争捕虜に当らない。」と公式見解を発表している。だから、拷問にかけても良いという論理である。「不法な戦闘員」ってどういう意味か?「合法な戦闘員」ってのは要するにアメリカの兵士のことか?何という独善。何という傍若無人ぶり!

 わかった。百歩譲って、ジュネーブ条約が適用できないとしよう。しかし、キリストさんの教えに対する反逆はどうやって説明するのだ? 都合の良いときだけ、「God bless America(アメリカに神の御加護を)」なんて抜かしやがって。しかも、米国は、これは国務省だが、ミャンマーの軍隊が、ある村落で、今年の6月に、集団で婦女暴行を行っていた事を確認した。「このような犯罪的行為は国際社会の厳しい糾弾を受けるべきだ」、なんて発表している。ミャンマーの事が事実なら勿論けしからぬが、アメリカは他人の国のことを言えた義理ではない。自分のやっている事を良く見ろ、といいたい。

 公平を期すために書くならば、ワシントンポストやロサンゼルスタイムズは、このような自国に不利な情報もきちんと報道するところは評価していい。アメリカにも良心のある人間は大勢いる。それはみとめる。

 但し、国家としてのアメリカは極めて残虐で危険なシステムだといわざるをえない。

  ひるがえって、日本のマスコミは何故米国のこのような蛮行を報じないのか。ワシントンポストの記事を取り上げているのは日経だが、それさえ、国際面の一番下の隅のベタ記事である。殆どの人は見逃すだろう。安保条約を締結しているからといって、相手国の非人道的行為を非難してはいけない理由はどこにも、ない。


2002年12月26日(木) はた迷惑な酒飲み

東京消防庁によると、12月24日までに都内で急性アルコール中毒で救急車で運ばれた人数は、560人にもなるという。急性アル中だけではなく、酔っ払って、階段から足を踏み外して、頭を打って、救急車で運ばれた人間も相当な数に上るという。はた迷惑な話である。年末だし、いいじゃないかというのは甘えである。日本は酔っ払いに寛容すぎる。

560人の年齢構成は分からない。いい年をした大人も含まれているのであれば、相当に恥ずかしい(無論、学生とて、急性アル中になるほど飲んだり、飲ませたりするのはもっての他だ。学生は税金を納めていない。救急車の費用は税金で賄われている)。

本人が恥をかくのは知ったことではないが、それだけではすまないのだ。ただでさえ冬は脳溢血や心臓病で倒れる人が多い。救急車は本来、こうした急病人やけが人を搬送するためにある。酔っ払いを病院に運んだために本当の病人の搬送が遅れたらどうするのだ? 少しはものを考えろ。



2002年12月25日(水) 今更ながら、アメリカの残虐性に開いた口が塞がらない。

 調べれば、調べるほど、ひどい事をしている。アメリカという国は。
 以下は、以前から調べたことをメモしたもの。
 
◆湾岸戦争は集団虐殺だった。

湾岸戦争では、軍事的施設のみならず、市民生活に必要な水道、電気などインフラが爆撃によって破壊された。これによって十万人を超える市民が死亡した。

それに加えて、米国は湾岸戦争で劣化ウラン弾を百万個以上も発射した。劣化ウランとは原子力発電や核兵器を作るプロセスでウランを濃縮したあとにできる。残りかす。

劣化ウラン弾は爆撃によって直接的に人を殺傷するだけではない。爆発したあとに、その周囲に放射能を含んだ粒子をばら蒔く。人の肺に吸い込まれた粒子は、人体を放射能で汚染して、白血病や癌を引き起こす。その結果イラクでは湾岸戦争のあとに、様々な先天的奇形(水頭症、無脳症)を持ったこどもが生まれて、幼くして死んでいった。

小児癌はその後も増えつづけ、ある病院の統計だけをとっても、95年から2000年までに、242%も増加した。劣化ウラン弾の後遺症としか説明がつかないという。

◆ブッシュ政権はそれを百も承知で、同じ事を繰り返そうとしている。

ある専門家のグループは、イラク戦争が開始された場合、三か月以内に48,000人から26万人が死に、戦争終結後も病気のまん延などで約20万人が死亡すると予想している。ブッシュがこれを知らないわけが無い。にもかかわらず、「正義のための戦い」だと称する彼の精神は、正常に機能しているといえるだろうか?


もうひとつ、言いたい。
世界には、キリスト教、イスラム教を始めとする大小さまざまな宗教を信仰している人がいて、多くは「神」に祈りを捧げる。私は、そういう人たちは一体、何を考えているのか、いつも、疑問に思う。神がもし、存在するならば、何故、人類の歴史が始まって以来絶え間なく、我が子たちが殺しあうのを黙ってみているの? 神も仏もあるものか。


2002年12月24日(火) 私が生物として宇宙から地球を見たとき、地球全体が一つの生命体として、広がろうとしているエネルギーを感じました。(毛利衛)

立花隆の「宇宙からの帰還」という本は、スペースシャトル計画が始まるよりもずっと以前に書かれたもので、アポロ計画に参加した宇宙飛行士へのインタビュー集である。これを読むと、宇宙へ行った人が、例外なく、それまでに経験したことのない、深い感動を覚えると述べていることが、極めて印象的である。

 月へ行った宇宙飛行士の中には、神の存在を確信したといって、聖職者になったものすらいるのだ。こうしたことはあまり知られていない。

 私が一番興味深く感じたのは次のような主旨であった(正確には手元に原本が無いので確かめられない)。

 「宇宙から地球を見ると、人類は一つなのだということが一瞬でわかる。人間同士が国境を作って、国どうし、違う民族、違う宗教を信仰する者同士が争っているなどという事が、大袈裟でなく、腹を抱えて大笑いしたいぐらい馬鹿馬鹿しいことなのだと、分かるんだ」

 ブッシュと金正日とフセインとアルカイダの幹部とイスラエルのシャロンとパレスチナ過激派etc.を同じスペースシャトルに乗せ、宇宙から地球を見てもらってはどうだろうか?


2002年12月23日(月) マイナス思考を正す、「認知療法」

世の中には、羨ましいほど楽天的な人がいる一方で、どうしても、考え方がマイナス方向に向いてしまう人がいる。それは、専門用語で「自動的否定思考」という。マイナス思考をしてしまう、心の癖がついてしまっているのである。

生まれつきの性格だから、どうしようもないと考えるのは間違いである。それを正す方法がある。「認知療法」という。うつ病の治療で、薬物療法や、電気ショック療法を施しても治らなかった人が、、医師の指導のもとで認知療法を始めたら、2ヶ月で劇的に改善した、というケースもあるほどだ。

認知療法は元来、うつ病の精神療法の一つとして米国で考案されたものだが、普通の人でも、どうも、いつもマイナス思考に陥ってしまい、自分でも困っているという人は、試してみる価値がある。

自動的否定思考に陥ってしまう人には事実の認知の仕方に問題がある。これを「認知の歪み」という。

「認知の歪み」には次に述べるような、いくつかのパターンがあり、認知療法ではまずこれらのパターンを覚えることから始まる。覚えられなければ、メモにしてもっていて、折に触れてちらっと眺めるだけでもずいぶん違う。

1.「全か無か」思考:物事を全か無か、白か黒か、という二分法で見てしまい、中間の部分、グレーの部分を考えに入れようとしない思考パターン。ちょっとでも失敗すると、「全てがお仕舞いだ」という風に考えてしまう。 完全主義がこの思考パターンを導きやすい。実際の日常は、いいところ6割、まずいところが3割、どちらともいえないところが1割という具合にあやふやな、ファジーな部分で成り立っている。

2.一般化のしすぎ: 一つか二つの事実を見て「すべてこうなんだ」と思い込む傾向。一度か二度起きたことが、この先永遠に起きるような気がしてしまうこと。

3.選択的抽出:うつ状態にあると自分の関心がある、特に悪いことばかりに目がいってしまいがちである。過去を振り返っても失敗したことばかり選んで思い出してしまい、身の回りで起きていることもトラブルばかりが目に入る。自分が悪いところだけをみている、ということを自覚できなくなってしまう。

4.マイナス思考:良いことが見えなくなるのみならず、何でもないことや、いいことまで悪い方、悪い方に捉えてしまう。

5.レッテル貼り:「一般化のしすぎ」や「選択的抽出」が極端になった状態。ちょっとした失敗体験をもとに、それが自分の本質であるかのように自分にレッテルを貼ること。「自分がダメな奴だ」というのが典型的なパターン。実際には成功した経験もあるのだが、それらは捨象されてしまう。

6.独断的推論(心の読みすぎ):僅かな根拠から、相手の心を勝手に推測し、事実とは違う、あるいは全く事実無根の結論を下してしまうこと。うつ状態でいると、誰かが自分の後ろでひそひそ話をしているだけで、「自分の悪口を言っているに違いない」と一方的に傷つき、結局全てが嫌になってしまう。この背景には「他者評価絶対主義」がある場合が多い。つまり、「他者の評価こそが自分の価値の全てを決めている」という極端に歪んだ認知。これに対して「普通の」態度は、他人の評価を受け入れつつ、自分で自らの良い点も認めていく、という、他者の評価と自己評価のいずれをも尊重する態度である。

7.拡大解釈と過小評価:自分の持つ様々な資質の中でも、悪いところばかりをことさら大きく重大なこととして捉え、逆に、自分の長所は小さく見積もってしまう。

8.感情的決め付け:「自分がこう感じているのだから、現実もそうであるに違いない。」と誤って思い込むこと。うつ状態にあると、冷静に考えればたいした事態ではなくても、「こんなに大変な思いをしているのだから、実際に大変な場面に直面しているのだ」と思い込み、打ちひしがれ、「取り返しのつかないこと」と思い込んでしまう。確かにうつ状態だと、ほんの些細な失敗でも、「一巻の終わり」「絶体絶命」のように感じてしまうが、客観的には大した事が起きているわけではない。

9.「〜すべき、せねばならない」思考:何をするにおいても、「こうすべきだ」「常にこうあらねばならない」という厳しい基準を設定してしまう思考パターン。「常に明るく振舞っていなければならない」などというのが典型的な例。結局自分を追い詰め、窮地に立ってしまう。 こういう厳しい基準を常に自らに課していては、大抵のことは失敗に思えてしまい、自己嫌悪に陥ってしまう。

10.自己関連付け:身の回りで起きる良くない出来事を何でもかんでも自分の責任だと思ってしまうこと。

勿論全ての項目に当てはまるという人は少ないだろうが、いくつかの項目に関しては自分も該当するのではないだろうか。認知療法では、このような歪んだ自動思考をより客観的な冷静な考え方に変えていく「訓練」をするのである。で、その手法の一つが

「書く」ことである。例えばある朝、会社に出社し、上司に挨拶したのに、機嫌の悪そうな声しか返ってこなかった。そこで、普段なら平気な人でもうつ状態のときは、「自分は上司に嫌われているのではないか」「何か重大な失敗をしたのではないか」と思い込んでしまう。

そういう時に、「認知の歪み」を自覚してを修正するのである。「自分は上司に嫌われているのではないか」という思考パターンは上に挙げた項目の6、「独断的推論(心の読みすぎ)」に当たるのではないか、と。何故なら、事実はわからないからだ。「その上司はたまたまその日の朝に奥さんと言い争いをして機嫌が悪かっただけかもしれない。」と考えることも可能である。あるいは、落ち込んでしまった人は3.「選択的抽出」に陥っているかもしれない。その上司はかつて自分の仕事を評価してくれたことがあったのに、うつ状態だと、悪いことばかり、つまり叱られたことばかりが思い出されてしまう。

認知療法ではこのように自分が習慣的に陥ってしまった否定的な自動思考を(全てでなくてよいのですが)日記風に書き出し、それは冷静な立場からは別の見方が出来ないかということをその横に書き出していくという作業を行う。最初は面倒だけれども、幸いパソコンを利用すれば、そのような対照表は簡単に作ることが出来る。表を作る気力がないのであれば、気持ちが落ち込んだときに、「認知の歪みのパターン」を書いたメモを時々見て、「ああ、いまの自分は、このパターンにあてはまっているな」と自覚するだけでも、効果がある。


2002年12月22日(日) 今日は冬至。因みに、季節性うつ病というものがある。

 今日は冬至で、1年で一番昼間の時間が短い日である。日の入りの時刻はこの後も早くなる、つまり早く日が暮れるが、日の出から日の入りまでの時間は、来年6月の夏至に向けて少しずつ伸びてゆく。

 私は、すぐに日が暮れてしまう冬が嫌いだ。何となく心細い。だから、冬至が来ると、少しホッとする。これ以上昼が短くなる事はないからだ。

 この程度なら、普通の「好み」の範囲になるが、うつ病の一種で「季節性うつ病」というものがある。秋から冬にかけて、抑うつ状態が続く。それが、通常の気分の滅入り方の範囲を超えていて、日常生活に支障をきたす場合は、気分障害の一種である、うつ病と診断される。

 治療には、通常のうつ病と同じく、薬物療法が有効な場合もあるが、それに加えて、高照度光療法が有効な人も多い。毎朝20分〜30分ほど3000ルクスぐらいの非常に明るい人工光を浴びるだけのことである。その間は何もしなくとも良い。雑誌を読んでいても構わない。

 但し、そのような装置は病院にしかないし、毎朝、比較的早朝(6時ごろ)に行わねばならないので、2週間ぐらい入院することになる。しかし、それで、憂鬱な気分から解放されるのであれば、我慢できよう。

 光療法は、季節性以外のうつ病の人にも有効な場合がある。更に、昼夜逆転生活を続けたために、不眠になった、というような、睡眠障害にも適用される。私が以前、うつ病で入院していたときに、睡眠障害に対して光療法を受けるためだけに入院していた人がいた。丁度2週間で良くなって退院していった。
 
 精神科の守備範囲は意外に広く、いろいろな治療法がある。

 この季節になると、特に原因が無いのにどうにも憂鬱で仕方が無いという人や、季節に関わらず眠れなくて困るという人は内科へ行くよりも精神科に行った方が、より早く、最適な治療を受けられる可能性が高い。 


2002年12月20日(金) 米国も国連の査察を受けるべきではないだろうか??

 ブッシュ政権の「イラクを武力攻撃したい」欲は、常軌を逸している。国連の査察団を受け入れなければ、攻撃するぞ、といい、イラクは査察を受け入れたのに、今度は、査察団の正式な調査発表がなされる前に、イラクが提出した申告書には記載洩れがあり、重大な国連決議違反だ、1月末までにそれを証明し、攻撃の準備を整える。という。

 始めに武力攻撃という究極目的があって、何とかそれを正当化する理由を作ろうとしている。誰の目にもそう見える。専門家によると、イラクは核兵器を今現在保有している可能性は低いが、濃縮ウランが手に入れば、数ヶ月で核爆弾を作る事はできるだろうという。しかし、化学兵器はすでに保有している可能性が高いという。

 そんなところをむやみに攻撃したらどうなるか? 破壊された化学兵器から流出するVXやサリンなどの毒ガスは風に乗って容易に拡散する。平和に暮らしたがっているイラク市民に犠牲者が出ることは明らかなのだ。それを知った上で、イラクを攻撃するというのであれば、ブッシュ政権には無実のイラク人を殺そうという、「未必の故意」があるといわざるを得ない。

 しかし、大量殺戮兵器を保有しているのがけしからんというのであれば、世界でアメリカが一番けしからん国ではないか?世界中の他の国はアメリカがどんな武器をどれだけ、どこに配置しているのか、知る権利がある。実は、アメリカこそが国連の査察を受けなければいけない国の筆頭にあるのではないだろうか・・・。

 と、いうようなことを考えていたら、本当にそれを求めようとしているNGOがカナダに存在する事を知った。
Rooting Out Evil (悪を探す)というこのサイトは、本気である。

 私はロンドンに駐在していたときに、イラクから移住してきた人と知り合いになった。穏やかな人だった。フセインは確かに危ない人間かもしれないが、普通のイラク人は−−当たり前だが−−普通の良識ある人々なのである。戦争なんかしたくないのだ。

 また、アメリカにも良識ある人々が数多くいることは事実である。各地で反戦デモが行われている。ある平和団体の女性は、「これで、アメリカが戦争を始めたら、アメリカは世界のならず者になってしまう」と、必死に訴えていた。

 米国の政権は代々、軍需産業と強く結びついている。悪い伝統だ。一部のアメリカ人の利益を「正義」にすりかえて、他国を武力侵攻することは、許されない。


2002年12月19日(木) 全ては幻想である。

 人間が作った制度はすべて幻想である。国家という概念も、国籍も、法律も、株価も、為替相場も、人の社会的地位も、すべて、人間が勝手に決めた事である。人間が存在しなければ、この世にこれらのものは存在しない。

 例えば、法律は、それが絶対的な真実ならば、全世界、全て同じ法律が通用するはずであるが、現実はそうなっていない。それぞれの場所の人間にとって都合が良いようにつくられている。

 国籍は、人間が勝手に押したハンコであって、日本の戸籍という紙の上に日本人と書いてあるのが日本人であるだけだ。祖先は皆、太古の昔に大陸から来ている。朝鮮人だとか、日本人だとか、中国人だとか、人間が勝手にグループを作っているだけだ。よって、国籍で人を差別するなど、愚の骨頂である。

 係長がヒラより偉くて、さらに、課長、部長がより偉いというのも、人間が作った「会社」という集まりの仲で、人間が勝手に決めた、作り事である。○○株式会社取締役財務部長と言えども、会社を一歩出れば単なるおっさんである。自分は社長だから偉いと思っている人は、中国の奥地にでもいって、自分の肩書きを名乗ってみるが良い。だれも、何とも反応しないだろう。

 要するに、人間社会はすべて壮大な幻想、「ごっこ」である。

それに皆が気がつけば、人間社会の不必要な争い、無駄な努力、はずっと少なくなるに違いない。


2002年12月18日(水) 「ビタミンCを多量に摂ると、風邪をひかない。」

「ビタミンCを多量に摂ると、風邪をひかない。」という説は1970年代にアメリカのライナス・ポーリング博士という、ノーベル化学賞を取った学者が最初に提唱したものだ。これが正しいか否かについて、米国の医学界ではいまだに議論が分かれているらしいが、少なくとも、私は、ビタミンCのサプリメントを飲み初めてからここ5年ほど、重い風邪に罹ったことがない。

ビタミンCが風を防ぐのは免疫系を活性化させるためだといわれているが、まだ完全に証明されたわけではないようだ。しかし、とにかく、自分自身の体験として、ビタミンCは風邪に効く、と断言したい。

但し、役所が薦めている、1日50mgでは効果がない。少なくともその60倍、つまり3グラムぐらいは取らないとだめだ。強いストレスを受けたり、タバコを吸う人はビタミンCの消費量が一層高まるので、もっと飲んでも良いぐらいだ。

ビタミンCを大量に取ると軟便になる。普通の人は3グラム摂ったら軟便になるかもしれない。しかし、風邪をひくと、ウィルス撃退のために免疫系によって大量のビタミンCが消費されるので、同じ量でも軟便や下痢にはならない。風邪をひいたら10グラム、20グラム、インフルエンザになったら、100グラムぐらい飲んでも下痢にならない。

5年前にこういう知識を本で知った後、ある朝、38度5分の熱を出し、喉も痛く、明らかに風邪をひいたと思われる症状に陥った。そこで、1時間ごとに3グラム(500mgの錠剤を6錠ずつ)飲み続けた。すると、何ということであろう!夕方にはすっきり風邪の症状が治まったのである。それまでの私は一旦風邪を引いたら、完治するまでに約2週間を要していたので、この時の体験は殆ど、「奇跡」だった。

それいらい、大抵毎日1500mgから3000mgのビタミンCを飲み続けたら、風邪をひかなくなったのである。

ビタミンCにはこの他、癌を防ぐとか、コラーゲンの生成を促進するので肌を綺麗に保つ、とか、ストレス耐性ができるとか様々な効果があるようだ。その辺は専門家に譲るが、少なくとも、私には、ビタミンCは風邪の予防と治療に極めて有効である。


2002年12月17日(火) インフルエンザ脳症と解熱剤

そろそろ、インフルエンザが流行し始めている。調べてみると、結構怖い病気だ。できれば、ワクチン接種を受けておいた方がよい。

インフルエンザ自体も重症となると、特に子供は油断が出来ないが、さらに、合併症としてインフルエンザ脳症を引き起こす事がある。特に乳幼児に多く、インフルエンザによる発熱後、1〜2日後の早朝に急激な痙攣や意識障害を起こすものである。頻度は低いものの、インフルエンザ脳症を発症すると、死亡率が高く、また後遺症が残る事も多い。けいれんとは一般に意識が無く、体を硬直させたりがくがく震えたりする事を言う。意識が無いとは、呼びかけても反応しない状態である。急に熱が上がったときも寒気がしてガクガクすることはあるが、意識があれば心配はいらない。

意識の無い、けいれんを起こしたら直ちに医者に見せるべきだ。

ところで、ここ数年、インフルエンザ脳症と解熱剤との関係について調査が行われている。インフルエンザ脳症にかかった場合、高熱を発するので、解熱剤を使う事が多いわけだが、様々な解熱剤の中でも、ジクロフェナクナトリウム(商品名ボルタレン)、メフェナム酸(同:ポンタール)を使用した場合に、統計的にそれらの薬を使用しなかった場合よりもやや死亡率が高くなるという結論を厚生労働省が出している。特にボルタレンはどうも関係がありそうだということになった。

そこで、2000年11月15日、「インフルエンザ脳炎・脳症患者に対するジクロフェナクナトリウム製剤の使用について」(医薬品・医療用具等安全性情報163号)という報道発表がなされた。

ところが、今日のニュースを読んでいたら、

「大阪府立公衆衛生研究所の調査によると、発熱時に使うと急性脳症を起こす恐れがあるとして2001年から2000年にかけて、インフルエンザの子供への投与が中止されたジクロフェナクナトリウムとヌフェナム酸が中止された後にも、インフルエンザ以外の子供に使われ、小児科医を除く医師の16.3%が投与を続けていることが判明。ごく一部だったが、解熱剤の使い方を特に考えていないという医師もいた。」

ということなのである。だから、もし、自分や知り合いの子供がインフルエンザ脳症と診断されて薬を出された場合はそれがジクロフェナクナトリウムではないかどうか、調べてみる必要がある。幸い、インターネットには「お薬110番」など便利なサイトがいくつもあるので、すぐに調べられる。

因みに2000年11月15日の厚生労働省の通達であげられていた、ジクロフェナクナトリウムを含む薬は次のとおり。
内服剤
 (25mg) ボルタレン錠(日本チバガイギー)
アデフロニック錠(大洋薬品)
イリナトロン錠(辰巳化学)
サフラック錠(日本新薬)
サンナックス錠(三恵薬品)
ジクロフェナクナトリウム錠「ホクエイ」(大原)
シーコレン錠(日医工)
ソファリン錠(日本ケミファ)
ソレルモン錠(東和薬品)
ダイスパス錠(ダイト)
チカタレン錠(イセイ)
ドセル錠(日本化薬)
ニフレリール錠(模範)
ネリオジン錠(帝国化学)
バレタン錠(東菱)
フェナドシン錠(竹島製薬)
ブレシン錠(沢井製薬)
ボナフェック錠(日新山形)
ボラボミン錠(鶴原)
ボルマゲン錠(大正薬品)
ヨウフェナック錠(陽進堂)
ワンフェロン錠(東邦新薬)
プロフェナチンカプセル(菱山)


坐剤
 (12.5mg,25mg,50mg)   ボルタレンサポ(日本チバガイギー)
アデフロニックズポ(大洋薬品)
アナバン坐剤(富士化学)
ジクロフェノン坐剤(オリエンタル)
ネリオジン坐剤(帝国化学産業)
ピナナック坐剤(東光薬品工業)
フェナシドン坐剤(竹島)
フェニタレン坐剤(長生堂製薬)
ベギータ坐剤(シオノケミカル)
ボナフェック坐剤(日新山形)
ボラボミン坐剤(鶴原)
ボルマゲン坐剤(大正薬品工業)
ボンフェナック坐剤(京都薬品工業)
メクロフェン坐剤(日本ガレン)
メリカット坐剤(太田製薬)
アスピゾンズポ(協和薬品)
ジフェナック坐剤(小林化工)
ジクロニックズポ(大興製薬)


2002年12月16日(月) 「殺されるのが怖くて女王が務まりますか」(エリザベス女王)

 ずっと以前、英国のエリザベス女王が来日したときに、日本側の警備があまりに物々しいのを見て、女王自身が言った言葉である。これを見て、はっとした。なるほど、それぐらいの覚悟が必要なものなのか。

 これは「女王」を「有名人」に入れ替えてもいいと思う。テレビなどで有名になればなるほど、変な奴に狙われる可能性は高くなる。事実、正気とはおもわれない「ファン」に襲われた芸能人は多い。山口百恵なんか、芸能界を引退してずいぶん経った頃に、自宅で強盗に襲われた。自宅前で見知らぬ男が待ち伏せしていて、帰宅時に刺し殺された地方局の女性アナウンサーもいる。

 有名になりたい、という動機で芸能人やアナウンサーに憧れる人は多いが、タレントや役者として成功することは、不特定多数に顔を知られるということを意味する。その数が増えるほど、危険は増大する。有名になり高収入を得て、世間でちやほやされるためには、相応ののリスクを覚悟しなければならないのである。売れているタレントが自由に独りで人ごみを歩くことが無いのは、それを承知しているからだ。

 今日、タレント28人が、「プライバシーを暴露された」として、写真投稿雑誌を提訴した。これぐらいの数のタレントが結束して原告団になった裁判というのは初めてのことで、多分、何らかの損害賠償請求は認められるであろう。しかし、有名人に付きまとうリスクはこれからも、変わらないだろう。


2002年12月15日(日) 田中耕一さん帰国、ワドル船長慰霊碑に献花、韓国の反米運動、精神障害者の犯罪。

◆田中耕一さん、スウェーデンから帰国。マスコミや田中さんの周囲の人はなるべくそっとしてあげて欲しい。多分極度のストレス状態にあると思うし、西から東へ飛んだときの時差ボケは逆の時よりもしんどい。肉体的にも疲労していることは明らかなのだから。

◆ワドル船長が事故から1年10ヶ月経って、宇和島に謝罪に来た。一時は、同船長が来日するという話を聞いただけで、当時、練習船に乗っていた生徒の中にはPTSDの症状が悪化する者が出たので、来日を断るという話もあったはず。それに乗じて「じゃあ、行くのは止めます」と言う事もできたのに、やはり謝罪にやってきた。その誠意は認めてあげないと気の毒ではないだろうか? 自らの判断ミスが原因で事故を引き起こしたのだが、加害者として、この1年10ヶ月は相当に苦しんだに違いないのだから。

◆韓国では急速に反米感情が盛り上がっている。昨夜は今年の6月に米軍車に轢かれて亡くなった2人の女子中学生を追悼し、反米を訴える集会が韓国各地で開かれて、推定15万〜20万人が参加したという。米国は当事者の軍人を勝手に軍事裁判で無罪にした上、大統領がすぐに謝らなかったという事実が、傲慢さを感じさせる。しかし、韓国市民も極端な反米に傾くのは危険だ。韓国と米国の関係が悪化して、一番喜ぶのは金正日だからである。

◆埼玉県で、40歳の次男が両親と隣人を殺傷した。男には統合失調症で入院した経歴があるという。いつも思うのだが、なぜ、マスコミは、容疑者の精神科への通院歴や入院歴を、これほど簡単に知ることができるのだろうか?医師には守秘義務が法律で課せられている。一体どこから、情報が洩れているのか?

また、「精神科の入院歴」を必ず伝えるマスコミの報道姿勢にも疑問を感じる。いたずらに偏見を助長している。2001年度、全国210万の精神障害者のうち刑法犯として検挙されたのは0.03%であり、全国民に対する刑法犯の割合が、0.03%なのだ。つまり、精神科にかかっている人間がそうでない人間よりも高い確率で犯罪を起こしているわけではないのだ。全く同率なのである。このような客観的事実も同時に伝えるのが、正しい報道のあり方だろう。


2002年12月14日(土) H2A ロケット4号機打ち上げ成功。関係者・技術者の努力は称えられるべきだ。


我々の生活に、直ちに、直接関係しない(実は将来、日常生活にも大きく影響を及ぼすのだが)こういう出来事は世間の関心を惹きにくい。しかし、今日の話はやがて伝説となるであろう。それまで番組が続いていれば、「プロジェクトX」のテーマにピッタリである。

H2Aの先代はH2ロケットで、98年、99年と2回続けて打ち上げに失敗し、今年の8月29日に現在のH2Aロケットの1号機の打ち上げまで、実に1年9ヶ月の空白があった。日本の宇宙開発が世界から置いていかれてしまう、ぎりぎりの瀬戸際であった。まさに、背水の陣。しかも、1号機の打ち上げは直前に燃料注入でトラブルが相次ぎ、発射が何時間も遅れた。関係者の心労は察するに余りある。

しかし、幸い8月29日の1号機の打ち上げは見事に成功した。その後、2号機、3号機も成功。今日で4回連続成功したのである。99年の失敗のとき、宇宙開発事業団の信用は地に落ちたが、見事に失敗を成功に結びつけた、技術者達の執念は私のような素人の想像を超える世界だ。

世の中にはシニカルな人がいて、「巨額の血税を使っているのだから成功するのが当たり前。誉める必要はない」などというのだろう。言うは易し行うは難し。エンジニアの本当の苦労はエンジニアにしかわからない。

新聞記事にこんな一節があった。

「『エクセレント(素晴らしい)!』『ブラボー!』――。14日、H2Aロケット4号機の打ち上げを見守った海外の協力機関のスタッフから感嘆の声が上がった。フランス国立宇宙研究センター(CNES)のマルク・ピルシェール軌道上システム部長は「ロケットの打ち上げはとても難しいものだが、成功にみなさんのプロ精神を感じた」とたたえた。

いい話だ。人のやる事に文句をつけるのは簡単だが、自分で何かを興すのは、大変な事なのだ。他人の仕事を尊敬する、ということを、ピルシェールさんは良く知っている。


2002年12月13日(金) 中高年男性の自殺が急増「防止マニュアル」作成へ  待っていられないのでうつ病の症状をここに記す。

多くの人は気に留めなかっただろうが、こんな新聞記事があった。

 「景気低迷などを背景に中高年男性の自殺が急増しているのを受け、厚生労働省は来年度、自殺前の兆候や防止策を具体的に盛り込んだ「自殺防止マニュアル」(仮称)を作成する方針を決めた。厚労相の私的諮問機関「自殺防止対策有識者懇談会」が来週にも同相に報告する提言の内容に沿って作成され、全国の自治体や医師会、経済団体などに配布される予定だ。

 提言は、家族など周囲の人が自殺を考えている人のサインに早く気付き、医師やカウンセラーなどに相談するといった対応が必要と指摘。「疲れやすい」「飲酒量が増える」「胃の不快感」などを具体的なサインとしてあげている。」

 方針としては結構なのだが、どうして「来年度」なのか?すぐに始めればよいではないか。大体年始年末は自殺者が増えるのだから、もっと以前から作り始めて、今年の年末に間に合わせて欲しかった。

 文句ばかりをいっても建設的ではないので、わたしが、ここでうつ病の主な症状を書いておこう。自分や家族に思い当たるふしがあったら、迷わず、メンタルクリニックへ行くことをすすめる。

うつ病の症状:
【感情面】
1.憂鬱感がほぼ毎日、つづく。朝が最もつらく、夕方から夜になると少し気分が楽になることが多い(これを「日内変動(にちないへんどう)」という)。

2.今まで好きだったことにも興味をもてなくなる。

3.本・新聞が読めなくなる。テレビを見る気がしなくなる。いままで面白いと思っていた番組を見ても面白いと感じない。

4.仕事や家事への意欲が低下する。何をするのも億劫になる。

5.物事の決断がなかなかできなくなる。

6.自分に自信が無くなる。悪い想像ばかりをするようになる。将来は絶望的にしか考えられない。

7.些細な事が不安になる。

8.自分が価値の無い人間だとおもい、ちょっとした、失敗などをやたら気にする。自分を責める。

【身体面】
1.眠れない。または、途中で何度も目が醒める。朝、いままでよりも早く目が醒めて、一旦醒めると眠れない。

2.食欲がおちる。またはまれに、やたらと食べるようになる。

3.体がだるくて、疲れやすい。

4.頭痛、頭重感、めまい、息切れ、動悸、息が苦しい。肩こりがひどい。微熱が続く。


これらの身体的症状は、勿論、うつ病だけに特有の症状では無いけれども、体の病気だと思っていたらうつ病だったという事ががしばしばあるのだ。

今までに何度も書いたが、うつ病は「性格が弱い」「根性が無い」「怠けている」のではない。脳内神経伝達物質の分泌が不足して起きる、脳の病気であり、体の病気である。

どのような病気でも、早く見つけて治療した方が、早く治る。うつ病も必ず、治る。


2002年12月12日(木) 1.業務上横領は懲役14年。逮捕監禁致傷の佐藤被告人には懲役11年。 2. 少子化が進む中、若い女性の性病感染が増加

◆今週は、大事件の判決が立て続けに出た。林眞須美被告人に対する極刑判決は多くの人が納得するところだろう。青森の業務上横領に対して懲役14年との判決も、14億4,600万円という横領金額の大きさを考えると妥当だろう。

しかし、新潟の監禁事件に、11年というのは、どうか? 

どうかといっても、現行法のもとでは、どうしようもない。逮捕監禁致傷は懲役10年以下。監禁事件では窃盗の罪も問われたが、これは2400円相当の女性下着の軽微な窃盗で懲役1年程度のものなので、併合罪を適用したとしても11年が限度、それが軽すぎるというなら、法改正するしかない。というのが東京高裁の山田裁判長の意見で、罪刑法定主義の原則から、正論である。

けれども、新潟監禁事件の被害者や社会に与えた影響は甚大であり、特に被害者の人生は佐藤という男によってめちゃくちゃにされたのだから、やはり11年は軽すぎる。つまり法律が妥当性に欠けているのである。早速、法改正を審議して欲しい。

◆少子化対策が叫ばれている一方で、性行為でうつる性感染症が若い女性を中心に年々増加、クラミジア感染症は、症状の出ない無症候性も含めると推定で19歳女性の13人に1人が罹患していることが、2001年の厚生労働省研究班の調査で分かった。

何だか不愉快だ。性行為はしたいが、子供を作るのは嫌な人が増えているわけだ。日本人は段々と淫乱になっているのだろうか?

一方、子供を産んでも、虐待して死なせる若い親が大勢いる。頼んだわけでもないのにこの世に生れた子供が可哀想だ。産まない方が良い。それを考えると闇雲に子供を産めというのもためらわれる。

結局、日本民族は滅亡に向かっているのだろうか・・・。


2002年12月11日(水) 小柴先生も、田中さんも、凛々しかった。

ストックホルムのコンサートホールで、小柴さん、田中さんがスウェーデンのカール16世グスタフ国王から金メダルと賞状を授与された。その瞬間、華やかなトランペットファンファーレがホールに鳴り響く。何たる栄誉。見ていて胸が熱くなった。正直に告白すると、涙が出そうになった。

お二人の姿には、私欲でなく人類のために尽くした人から放たれる美しい光のようなものを感じた。

多くの人間は、自分の名誉・栄達のために権謀術数を駆使する。これは人間の醜さの最たるものだ。

小柴先生は、ニュートリノを通じて天体を観測する新しい学問分野を開拓する事に一生を捧げられた。それは、真理を探究したい「夢」のためであった。ニュートリノ天文学は人類に新しい知識をもたらした。

田中さんは、島津製作所に入ったときに、「自分の研究で人の命を救いたい」と希望を語った。そしてそのとおりになった。

人々のために尽くした人の人生ほど、美しいものはない。


2002年12月10日(火) 「田中さんはかわいそう。」スウェーデンの外務省が日本のマスコミを批判。

 かつて、田中さんほどワイドショーのネタにされたノーベル賞受賞者はいない。昨日の日記にも書いたとおり、まず、ノーベル賞を受けるほどの偉大な発見をした、すなわち、人類に貢献した人物なのだという認識がなければならない。日本のマスコミにはこの認識が希薄である。ある報道によると、

「ミスター・タナカはかわいそうだ」。ノーベル賞授賞式に出席するためスウェーデンを訪れている島津製作所フェロー田中耕一さん(43)を追いかける「ワイドショー」を中心とする日本メディアの過熱取材に、スウェーデン外務省などから批判が出ている。大量の取材陣が滞在先のホテルを取り囲み、田中さんを容赦なく質問攻めにする“常識外れ”の取材にノーベル賞関係者も戸惑い、失望している。

 田中、小柴両氏は日本の誇りだが、それを取材する連中はどうやら、彼の地で日本の恥を晒しているようである。まことに恥ずかしい。田中夫妻の随行員であり、日本びいきとして知られるスウェーデン外務省のカイ・ラーニウスさんがついに声を荒げて抗議したそうだ。

「田中さんを人間扱いして欲しい。ノーベル賞は世界最高の栄誉で、芸能人取材とはおのずと違いがあるはずだ」

誠に、誠に、正論である。こんな事でラーニウスさんが日本人を軽蔑するようにならないことを祈る。

スウェーデン王立科学アカデミーのエバ・クルトマイヤー広報担当部長は、記念講演後の記者会見である日本のテレビ局の女性記者が、「賞金を何に使うんですか?」と質問したら、直ちに「科学的な質問を」と釘をさした。穴があったら入りたい(私が入っても仕方がないが・・・)。

要するにノーベル賞は人類に尤も貢献した人に与えられる栄誉であり、その授賞式前後のセレモニーは、厳粛なものなのだ。日本のマスコミはそれを冒涜している、と関係者の目には映っているのだ。

「クルトマイヤーさんは言う。『受賞者は国王や政府、財団のゲストだということを、理解してほしい。授賞式を人生最良の思い出としてもらうために招待しているのだから』」

今日、12月10日は、アルフレッド・ノーベルの命日である。


2002年12月09日(月) 今日は漱石の命日。東京では雪、ストックホルムではノーベル賞スピーチ

いろいろと書いておくことがある。昨日は書き損ねたが、12月8日は日米開戦の日であった。

◆全然関係ないが、86年前、1916年の今日、午後6時45分に夏目漱石が亡くなった。49歳の若さである。今では考えられないが胃潰瘍で亡くなったのである。短いが凝縮された人生だった。漱石は今の私の年齢で、「三四郎」「それから」を書いている。そもそも、凡人と天才を比べるのがおこがましいのだが、自分の浅学非才ぶりを恥じる。勿論、あの世に行っても、会う勇気はない。

◆東京で12月に雪が降るのは確かに珍しい。平年より24日早いそうだ。最近の気候は何だか変だ。今年は秋を省略していきなり冬になってしまったような印象だ。今日だけでも東京では滑って転ぶなどして病院に運ばれた人が50人ぐらいいたそうだが、明日の朝は凍っているので余計に危ない。以前、「伊東家の食卓」で靴の上から何でも良いから靴下を履くと、地面と足との摩擦が高まり、氷の上でも滑らないという実験をしていたが、実際に通勤するときにそういう格好をするのは、なかなか、勇気を要する。

◆ノーベル賞はなかなか、段取りが面倒で、授賞式はまだ先なのだそうだ。日本時間の昨夜、小柴博士と田中さんがスピーチをしていた。堂々たるものであった。小柴さんは学者さんで、もう押しも押されぬ大先生だ。学会で英語で研究発表した回数など数え切れないだろう。今回のスピーチではメモも何も見ないで、ゆったりと話をなさっていた。貫禄、である。

田中さんに関してだが、氏が「英語のスピーチが心配」というのを、マスコミは文字通りに受け取っていたのであろうか?だとしたら、相当バカだ。

田中氏は今年の5月まで5年間英国に出向先で現地の技術者と研究生活を送っていたのである。英語の研究論文も書いているのである。スピーチぐらい出来ない訳が無い。「心配」といっても、次元が違うのである。

田中氏はあまりにも無欲な好人物なので、マスコミは勝手なことを面白おかしく書く。そこには、大衆の「ノーベル賞受賞者もわれわれと同じではないか」と感じたがる気持ちが間接的に作用している。無論、同じ人間なのであるが、ノーベル賞を受賞するということは、科学者にとって最高の栄誉であり、我々の想像を超えるような優れた研究を成し遂げた人物にのみ許される事なのだ、と言う事実は忘れてはならない。敬意を払うことを忘れてはいけない。優れたものや人物を自分のレベルに引き摺り下ろして考えてはいけない。これを、謙虚さ、という。


2002年12月08日(日) 自殺願望サイトで知り合って1カ月の男女が心中 死にたいと思ったら、まず、精神科へ

いかにも、マスコミが騒ぎそうな(実際騒いでいる・・・)嫌な言い方をすれば、「喜びそうな」事件が起きた。

毎日新聞によれば、

 「東京都練馬区のマンション一室で今年10月、男女2人が心中しているのが見つかった。2人の“出会い”は、インターネットの自殺願望の掲示板だった。見ず知らずの男女が、死ぬためだけに出会い、そして命を絶った。その間、わずか1カ月余だった。 

 10月24日、同区内のワンルームマンション1階の無職の男性(30)方を父親が訪ねた。玄関や窓はガムテープで目張りがしてあった。部屋の中央で、息子と、知らない女性が並んで倒れ、絶命していた。そばには、まだ新しい七輪が置かれ、練炭をたいた跡があった。一酸化炭素中毒死だった。

 女性の身元は、持っていた運転免許証から大阪市内の会社員(32)と分かった。同月11日に家出し、1週間後に家族から捜索願が出されていた。2人とも死後10日前後と推定された。一緒に生活した形跡はなく、女性の家出後、間もなく自殺したとみられた。」


この場合、「ネットで知り合ったばかりの男女が心中した」という事実が、大衆の関心を惹くわけであるが、要するに問題の本質は「自殺者を如何にして減らすか」ということである。

自殺者の多くはうつ病に陥っているのである。うつ病にはとくにこれといった原因がなくても生じる場合がある。有名人で言えば、高島忠男とか木の実ナナが、うつ病になったことが有名である。こういうのは、「内因性うつ病」という。

また、職場のストレスなどでうつ病になるのは、「反応性うつ病」と呼ばれる。ごくありふれたことである。

どの型のうつ病であろうが、うつ病を発症したのは本人の責任ではない。前にも書いたように、精神現象を起こしているのは脳であり、脳内神経伝達物質のバランスが崩れるのがうつ病の原因と考えられている。その意味ではインスリンが不足して発病する糖尿病とうつ病は、科学的には同次元にある。

うつ病に罹患すると、たとえその程度が軽い患者であっても、かなりの割合で自殺を考える。そして、軽症うつ病の方が自殺しやすいのである。今回の事件の女性のようにわざわざ、大阪から上京して、見知らぬ男性に会い、その自宅までいって自殺する、という行為にはそれなりのエネルギーが必要である。そういうエネルギーが残っている状態が一番危ないのである。重症のうつ病になれば、起き上がることすら出来ないから、自殺の心配は少ない。この場合は回復期に自殺することが多いので注意を要する。

死を考えたからといって、絶対にうつ病だとは限らないが、可能性は非常に高い。そしてうつ病は薬物療法等により治る病気なのだから、ます、死にたいという考えが頻繁に頭に浮かぶようになったら、精神科へ行くことが肝心である。

どうも「精神科」という言葉は響きが良くないので最近は「メンタルクリニック」と称する開業医が殆どである。初めて行く人は勇気がいるかもしれないが、まったく心配する必要はない。実際に行ってみれば、待合室にいる患者がどこにでもいるような普通の人たちばかりであることに、逆の驚きを覚えるであろう。

他の身体の病気と同様に、うつ病も早く治療を始めた方が早く良くなる。

以上のような知識が、一層世間に知られるようになることが、自殺を防ぐために有効である。私もそのためにこの文章を書いた。


2002年12月07日(土) 「・・・だから清の墓は小日向の養源寺にある」(続)

10月22日に、この日記で漱石の「坊っちゃん」について書いた。私は、「坊っちゃん」の最後の一文がたまらなく好きなのだが、インターネットで調べてみたら、作家の井上ひさし氏がこの部分について本に書いている事を知り、大変嬉しくなった。

「その後ある人の周旋で街鉄の技手になった。月給は25円で、家賃は6円だ。清は玄関つきのいえでなくってもしごく満足の様子であったが気の毒なことに今年の2月肺炎にかかって死んでしまった。死ぬ前日おれを呼んで坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんのお寺へ埋めてください。お墓の中で坊っちゃんの来るのを楽しみに待っておりますと言った。だから清の墓は小日向の養源寺にある。」

井上氏はこの、「だから」を絶賛しているのだという。それも「日本文学史上に残る接続詞」とまで。「だから・・・」には祈りにも似た気持ちがこめられているという。なるほど、そういうことか。

流石は井上ひさし氏である。「だから」の一語をここまで、確信を持って解説することができるのは、やはり井上氏自身が非凡な感受性と、分析能力と、表現力をもっておられるからだ。私はなぜ、この最後の文章が強烈に心に残るのか、漸くわかった。というか、自分の感性が、そう、的外れではないのだな、と思って少し、嬉しくなった。

それにしても専門家というのは大したものだ。餅は餅屋である。


2002年12月06日(金) 小柴、田中両氏、ストックホルム到着、のニュースを聞いて、色々と思いを巡らせる。

小柴さん、田中さんがノーベル賞授賞式に出席するためにストックホルムに到着した。今回、特に田中さんにマスコミの関心が集まりがちだが、小柴教授の受賞も勿論素晴らしい。小柴先生はニュートリノ天文学の本を、講談社ブルーバックスから出版している。素人向けに書かれている本だが、私の鈍い頭脳ではとうてい全てを理解する事はできない。しかし、とにかく、とてつもなく壮大で、ロマンに満ちた研究であることは良くわかった。

小柴先生には中学生(だったとおもう)のお孫さんがいる。先生にとっては目の中に入れても痛くない孫娘で、しばしば数学を教えてあげるのだという。そういうの、いいなあ。でも、お孫さんは、大変だろうな。「ノーベル賞受賞者の孫なのだから、成績が良くて当たり前」という目で周囲が見るから・・・。

そういえば、アインシュタインの所にも、いつも算数の宿題を教わりにくる近所の女の子がいたそうだ。その子はアインシュタインが如何なる人物であるかを知らずに、ただ「さんすうがとくいなおじいさんがいる」話を聞いて、教わりに行っていたのだそうだ。女の子の母親はアインシュタインが近所にすんでいることも、何者であるかも知っていたが、まさか我が子が勝手に訪ねているとは知らないでいた。ある日、何かがきっかけで全てを知り、腰を抜かさんばかりに驚いて、アインシュタイン大先生のところに挨拶に行った。

「うちの子が、いつもご迷惑をおかけいたしまして・・・。」と恐縮するお母さんに、アインシュタインは、ニコニコして言った。「とんでもない。私がお嬢ちゃんに教えたことよりも、ずっと多くのことを私はお嬢ちゃんから教わっています。」

これは、実話である。この話を聞いたときもとても感動した。きっとアインシュタイン級の天才は凡人が見ても何とも思わないことにいろいろなことを見出すのだろう。

この頃の世の中は殺伐としていて、悪い話ばかりがニュースになる。マスコミの諸君も頑張ってもっと良い話を伝えて欲しい。そういう意味では「プロジェクトX」はとてもいい。

人間の存在を明るく照らし出す事ができるのは、人間だけなのだから。


2002年12月05日(木) 曾我ひとみさん達の笑顔を見ることが増えてきたね。

拉致被害者の5人の方々が、日本に戻ってから、早いものでもうすぐ2ヶ月になる。

毎日のようにテレビのニュースであの人達を見ているわけだが、この2ヶ月でずいぶん、表情が変わってきたな、と思う。特に曾我ひとみさんは、帰国直後は表情が強張っていたし、失礼だがかなりやつれていた。しかし、最近の曾我さんを拝見すると随分表情が豊かになり、顔色がよくなってきたのが明らかである。恐怖で拘束された独裁政権の国から、自由の国へ、故郷へ戻ったことが、曾我さんたちの心を次第にほぐしていったのであろう。大変、結構なことだ。

勿論、皆、北朝鮮に残してきた家族のことが心配でないわけはない。家族が日本に永住するに当っても色々と問題はあるだろうが、ともかく、今は24年間の苦労をねぎらいたい。

5人の拉致被害者が、予想されたよりも落ち着いているのは、安倍官房副長官の功績が大きいのだろう。彼らも、被害者の家族も安倍晋三氏のことは、本当に信頼しているようだ。小泉内閣総理大臣はなんでも、問題を部下に丸投げにして、自分は何事も怒っていないかのような涼しげな顔をしているが、安倍氏の表情には、対北朝鮮政策について、腹を括っている様が見て取れる。「自分たちのことを本気で考えてくれていると思った」と、ある被害者の家族がテレビで語っていた。そういうことは当事者には実に良く分かるものなのだ。

小泉さんには「5人は北朝鮮に返さない。日本が絶対に守る。家族を全員日本に帰国させるまでは、正常化交渉などもってのほかだ、」と何度でも、はっきり発言してもらいたい。


2002年12月04日(水) 英語とPCとインターネット

日本に住んでいると、日常生活はもとより、仕事もたいていは日本語で用が足りてしまうが、せっかくインターネットに接続できる環境にいるのであれば、英語も読めた方が楽しみが増えると思う。

英語圏の国のサイトはもとより、ヨーロッパやアジア、アフリカのどこの国にも英語の新聞がある。多くは無料で読むことができる。ニュースばかりではなくて、勉強や、趣味や、仕事でも英語が読めると、他の人が知らない情報を知ることができるのが、醍醐味の一つだ。言葉だけではなく、大英博物館や有名美術館のサイトなどは、美しい画像が豊富で見ていて飽きる事が無い。

私はオーケストラを聴くのが好きだが、好きな外国のオーケストラが、今、どこのパートを募集しているか、などという極めてマニアックな情報が容易に入手できる。これは、どんな趣味を持つ人にとっても同じだと思う。

PCという文明の利器が、また、英語を勉強するのに極めて便利だ。少し前までは、英語を読んでいて、分からない単語の意味を調べるためには、いちいち、分厚い辞書をひっくり返さなければならなかったが、今はPCに辞書とある種のソフトを入れておけば、マウスポインタを当てれば、訳がポップアップウィンドウに出てくる。

読むばかりではない。

以前は海外放送を聴こうとしたら、実に音質がわるい短波放送を受信するために大掛かりなアンテナを用意しなければならなかった。しかし、殆どの人はそこまで熱心になれないので、英語雑誌の付録についてくる1ヶ月以上も前のCNNニュースなどを聴いて、リスニングの練習をした。しかし、一ヶ月も古くなっては「NEWS」とは言えなかった。ところがどうだ。今はWebラジオでVOAやBBCの当日のニュースを簡単に聴くことができる。

今の若い人は、多分、物心ついたときにすでに世の中が今のような環境になっていたので、その有難さはよく分からないかもしれないが、全てアナログに処理せざるを得なかった時代に学生だった私から見れば、実に羨ましい。殆ど夢のようである。

何せ、全世界のインターネットに流れている情報の80%は英語だというのだ。「2ちゃんねる」のくだらない書き込みばかり読んでいないで、もう少し、意識を外の世界にも向けてみてはどうだろうか。


2002年12月03日(火) 「人間というやつ、遊びながらはたらく生きものさ。」(鬼平犯科帳)

今の世の中は、人間の思考もデジタルっぽくなっている。All or nothing、諾か否か。善か悪か。全て黒白をはっきりさせなければ気が済まない、ぎすぎすした世の中になっている。とかくに棲みにくい、人の世にうんざりしたときは、故・池波正太郎氏の「鬼平犯科帳」を読みたくなる。

池波さんは大正12年に東京の下町に生れ、小学校を出た後、早くも株屋で小僧として働き、戦争にも借り出され、戦後は東京都の職員をしながら、芝居の脚本を手がけ、やがて、時代小説を手がけ、直木賞まで受賞した人だ。多作の人だが私は何と言っても鬼平犯科帳が好きだ。

池波さん自身が苦労人なのだが、苦労人にしばしば見られる、ひがみとか、世の中を斜に見るところがない。一生懸命に仕事もしたし、いろいろ、悪い遊びもした。人生を味わい尽くしたような人だ。だから、自ずと作品にもなんともいえない、温かみがある。

「谷中いろは坂」という一遍で、主人公鬼平こと長谷川平蔵がポツリと呟くセリフがある。

「人間というやつ、遊びながらはたらく生きものさ。善事をおこないつつ、知らぬうちに悪事をやってのける。悪事をはたらきつつ、知らず識らず善事をたのしむ。これが人間だわさ・・・」

長谷川平蔵は、火付盗賊改め方という、池波さんの説明を借りるならば、当時の機動捜査隊の長官である。犯罪者を捕まえるのが責務で、凶悪な盗賊には恐れられている存在なのだが、人間は善いか悪いか、単純に割り切れる存在ではない、奥が深いものなのだ、という思想をもっている。テレビの「水戸黄門」のような、単純極まりない勧善懲悪の時代小説ではない。「善人だって、悪いことはする。盗人ににも悲しい過去がある」ということを、納得させられてしまう。池波さん自身の人間観が見事に描かれていて、「鬼平」を読んだ後には、喜びと哀しみが混ざった、しみじみとした感覚が残る。

それが「こたえられない・・・・」(←池波さんのファンなら、にやりとするだろう)のである。

池波正太郎氏が亡くなったのは平成2年のことだった。
早いもので、もう、12年も経っているが、氏の作品の魅力は生き続ける。


2002年12月02日(月) 未成年でも殺人犯は厳罰に処すべきである。

最近のガキどもの犯罪の凶悪さには目を覆いたくなる。

先週は、熊谷市で少年3人がホームレスの男性に暴行を働いて死に至らしめた。ホームレスに対する傷害致死はは1月、東京東久留米市で行われた犯行も記憶に新しい。そのほかにも、先月大阪では、タクシー乗り場での口論がきっかけで、会社員が未成年者に刺殺された。

たとえ、子供であろうが、ある行為が犯罪になることを知っている上で、なおかつその行為を実行したということは、だれよりも、まず、本人が悪いのである。まして人を殺すなどは、最早取り返しがつかないことをしてしまったのであって、犯人の将来を慮ってやる必要はない。自分で、自分の人生を棒に振ったのである。

その上、いろいろな情報を総合すると、このような凶暴な少年たちは、決して知能が低いわけではなく、現行法の下では未成年者は、人を殺しても死刑にはならない、ということを十分承知の上で犯行に及んでいるようだ。だとすれば、もう、容赦する必要はない。そういう狡猾さは少年院に入ったぐらいでは、矯正できないだろう。生かしておいては危険である。矯正施設から出所すれば、また同じような犯行を繰り返す可能性が高い。1個の生物として「出来そこない」なのである。

民主主義は基本的人権を尊重する。本来的には寛容の精神から成り立っている。しかし、他の人間の基本的人権を脅かす者に対してまで、寛容である必要はない。


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