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■ 季節モノ、の戯言
演出の戯言 今年の養成所生にレッスン初日に、「演劇とはなに?」と聞いて印象的だったのは 「嘘をつくこと」と多くの人物たちが答えたことだ。 舞台は所詮ウソだ。 もちろん、ここは東京都の板橋区の小竹向原で鹿児島県の出水市の米ノ津ではないし、 今は、コロナ禍の2021年で、終戦間際の1945年ではないし、 各々が演じる人物たちは戦時下を生きる自分ではないし、 方言も、別に普段からその土地の人間として使いこなしている訳でもないし。 「紙屋悦子」っていう名前の人物もこのクラスにはいない。 本当のことなんて、同じ人間である、という位で、あとはどうにもこうにも接点なんてない。 確かにそうだ。 では何故彼らは、演じるのか、そして人は、その「所詮うそ」を観に、劇場へと足を運ぶのだろうか。 フィクションから何を得るのだろうー 俳優は世界を創ることを信じ、そして客席はその世界に動かされることを信じる。 客席も舞台上も信じるという共犯関係を結ぶことからしか始まらないのだ。 こうした名作に出会って、こんな風だからこうやってこうしておく。よくわからないからごまかしておく。演出家がいいと言った。兵隊はイメージ的にこう。「こんな感じ」で済ます。「とってつけた」振りの繰り返しで検証もせずの自己満足… 『表現の世界で生きていく』とはそんな生易しいものではない。 もっともっと具体的で温度の高いものだ。 人物が傷つけば、自分自身も大いに傷つき、 人物が気づけば、自分にとっての気づきもまた大きくなる。 自分自身が乗りこなす人物の無意識にまで興味を深めなくては、 正に氷山の一角のセリフやト書きの全体像をどう掴むかが試されている。 所詮ウソだからこそ、最後に客席がもっともいいだまされ方=『平凡な一日を特別の一日に彩る』ことができるように、一つ一つ微細に至るまで小さな本当を積み重ねていくのだ。 そうやって「真実の瞬間」を得ようと七転八倒するのだ。 人間を演じるに「嘘」をなるべくつかないこと。 上質のフィクションは時代を見通し真実を捉える。 演劇は社会を映す鏡、でもあるのだから。 本日はこの禍にご来場いただきありがとうございます。 舞台は今日の客席と出逢うことでやっと完成するのです。最後までごゆっくりご覧ください。 藤井ごう
2021年07月31日(土)
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