再生するタワゴトver.5
りばいぶ



 南へ。

先週おフランスにいた気がしながら、家族に御免なさいしつつ、
沖縄にも行って、
辺野古で少し座りこませてもらって、
海岸沿いのテントにも数年ぶりに行って、
高江にも。←再工事にならなければ、もう、誰もいない。アルソックのバイトくんが立っているだけ。

まだどうなるかわからないけれど、
この地で再びモノが作れるとゆうのも、
所縁あるモノと対峙するとゆうのも、
嬉しくもあり、
でも、とゆうことは、
一切合切問題は解決どころか、変わっていないとゆう訳なので、
複雑でもある。

プロデューサーさんと、こっちで制作している人呼び出して、一献二献。
明日は、朝イチ飛行機で関西空港→長岡京と移動して、昼からの『オールライト』に辿り着こうと思っている。

2017年06月28日(水)



 青年劇場9月公演『アトリエ』チラシ掲載文。

『アトリエ』によせて

第二次大戦後のパリ。ドイツ軍が去り、連合軍がまだ駐留している不安定な時期。時代の波に翻弄され、溺れないように足掻きつづける庶民たち、「アトリエ」で生業をたてるお針子たち。そんな彼女らが架せられた不条理の中での「在り方」、引き継がれていく「思い」

『この戯曲は私の母のために、また多くの縫製室で私が出会った、泣いたり笑ったりしているすべての人々のために書いたものである』と作者のグランベールは書いている。ユーモア溢れるグランベール流、人間讃歌である。
そして「アトリエ」での日常的な‘いとなみ`を通じて、「なかったこと」「みなかったこと」「しらなかったこと」と目を背けがちな人が内包する怖さを、静かに告発したドラマでもある(グランベールは処女作以来、弱者・被抑圧者をかばい、人種差別(特にユダヤ人排斥)を憎み社会を告発している)。その人物一人一人の煌く在り方が、思いが、国境を超え、人種を超え、時代を超え、僕らに迫ってくる。
純粋とか不純とか優性とかでなく、

人って、なんて愚かで、汚く、滑稽で、かくも美しいー

戦争に善なんてないこと。戦争が生むのは悪であること。僕らは知っている。
でもその戦争を生むのもわたしたち人間であること。忘れがちだ。
「あったことに」「しっかり目を見開いて」「識ろうとする」こと。過去に学び、思考し続けていかなければ。個性の光る登場人物たちと稽古場で出会いながら、そんな事を感じている。

藤井ごう


2017年06月19日(月)



 渡仏5日目〜帰国の日

渡仏5日目、
朝はやっぱりダメだけど、昨日仕事をしていて諦めたパッキングの作業のため、あーだこーだする。
トニカク今日は早いのである。
マシンのコーヒーも慣れ親しんだとこだけど、
ユッタリと行きたいものだ。
9時より30分ほど遅れて、地下鉄を乗り継いで当該地まで。流石に風邪薬を探そうとするが、その時間に開いている薬屋はなく。地域で一店は開けなくてはならない決まりがあるらしいパリの日曜日はのんびり。ショコラティエとエスプレッソで、パリジャンのような朝食。日本では絶対にやらないが、これが…美味い。やっぱりパンが美味しいのです。
その町の劇場や、シナゴークや教会も歩いて見つつ(そう言えば、舞台の美術の為もあるのだけれど、どれだけ建物と屋根を写真に収めたことか…)
途中で薬も買って(症状言ったらものすごい種類を勧められる…)、マルシェへ。
D・Yさんは、すごくお土産にと勧めてくれるのだが、多分僕がでっかいスーツケースでやってきていると思っているのだろう。二、三泊用のスーツケースに、資料など本が殆どで、入るところありません。しかし、どれもこれも美味しそう。負けてチーズは試食して買ったけど、それで終わり。
蚤の市も見るだけ。
12:00最後にオイスターで白ワインとしゃれ込んで(いや、体力を回復したい訳である)、この旅のアテンドの御礼。
スーパーシャトルとゆう乗合タクシーの時間ギリギリまで歩き慣れた街並みを闊歩して、フロントに預けた荷物を出してもらって(D・Yさん曰く『あ〜それは小さいですねぇ』)13:40いざCDG空港へ。
…名残惜しい。
17:40帰りの飛行機約12時間。
帰国後を考えると、しっかり眠るべきなのだが、はてどうなることやら。
人の縁に物凄く助けられた渡仏5日間。
短かったけれど、買う土産より、身体におみやげいっぱい詰めて、
実質的にも、原書の戯曲、
イディッシュのタンゴ・踊りの音源.
収容所など資料などなど。
インタビュー音源。
もらったメッセージ・写真などなどなど。
明後日から『アトリエ』事前稽古集中5日間。
政情やら予算やら諸々で二の足を踏む思いもあったけれど、やっぱり来ると来ないは全く違う、とゆう実感ばかり。この体験を如何に稽古場で共有してもらうことができるか、
今週が大切だ。。。
兎に角身体を回復。。。
放ってきたことも沢山。。。


2017年06月18日(日)



 渡仏4日目

ホテルに帰ってから〆切迫ったまま放置されている文章を作ったりして、
美味いものを食すも体調は戻らず、まぁ大丈夫、と奮い立たせつつ、今日は朝の待ち合わせまでゆっくりと。バスタブがあるのが、本当にありがたい、お湯もちゃんと出るし。←こんなこと昔は考えもしなかったが…
10:30移動開始、
まずは私がどーしても行きたかった、ギュスタブモロー美術館へ。バス。
アトリエとしても使っていた建物の、壁とゆう壁に、絵がかけられ、鑑賞、とゆうよりも圧倒される。好きなものに取り囲まれる、そしてその情報量に潰されそう。もちろん心地よいのだけれど。
ここは兎に角圧巻。
一日中、酒を片手に(?)座っていたい。
昼食を青島ビール片手に中華して、
30年前に見ることのできなかったエトワール広場の凱旋門。やっぱり圧巻。(でも特に登ったりはしない)
そこから歩いてエッフェル塔広場へ、やっぱりの目玉なのね。30年前は途中まで階段で上ったな…やら、その広場でオートフォーカスカメラ(その頃は蔑称を自覚無しに使っていた)を盗られそうになったのを、不意に思い出す。景観。
この数日、たった数日しかいなかった30年前の記憶がパッと蘇ってくる瞬間に多く出会う。
まぁ、この地は、その後の人生設計(て全然その通りにならなかったが)を決める大元体験では確かにあったのだけれど。
エッフェル塔も登らずに、横を過ぎて、日本人館の裏手に、嘗て、競輪場があった。『ベル・ディヴ』事件(1942年7月16日17日、14500人のユダヤ人がフランス警察の主導の下、収容所に移送される前に、収監された)。記念碑しかないことはわかっていたけれど、これが見つからない。
しかも付近工事中だし。
しばし歩いて、工事中バリケードの奥に、壁プレートがあるのをD・Yさん発見。
エッフェル塔のお膝元、似合わないプレートのメッセージだけがある。
訳してもらいながら見ていると、フランス人がアジア人が凝視しているものに興味を持ったのか寄ってきて。英語で話しかけてきてくれる。
ご本人曰く、これこれこうゆうことがあった、そのプレートだよ、と。
ご本人も界隈の人だけれど、こんなプレートがあったとは知らなかったそうだ。忘れないために必要だね、とも。
わかっちゃいたけどの拍子抜け感はあるけれど、やっぱり見るべきところだった。そのフランス人との出会いも含めて。
夜は、こちらに在研で来ている俳優さんと会って食事する(呑む?)予定なので、それまでの間、昨日見られなかったルーヴルのドラクロワ狙いで。再見。
また、その間に、映画になっているフランスの戯曲を手に入れたくて、訪れたコメディフランセーズ側の本屋になかった戯曲を、D・Yさん遠出して手に入れてきてくれた。感謝。
そのあとちょっとだけお土産の為(オススメしてくるなはD・Yさんだけど(笑))のショッピングをして、
ホテルそばの、駅前噴水で待ち合わせ。
芝居を観たことはあるけれど、初対面です、因みに。
D・Yさんも折角の機会だからご一緒しましょ(演劇制作の仕事もしているから)と三人で、どこか安くていい店は…
など暫く歩くも、三人とも知らないので、結局、BIOマーケットでワインとおつまみ購入し、セーヌ川沿いで乾杯。
これがロケーションも含めて最高な訳です。
しかし、どんだけ外で食ってんだ……(これだけピーカンが続くのは珍しいそう)
すっかり暮れるまで。
ご本人は、9月には日本に戻られるので、『アトリエ』観てもらった時に再会しましょう、新宿の居酒屋で、と別れる。
明日は夕方の飛行機で離れる日。
早いなぁ…
体調は、芳しくない、そりゃそうだ。
でも、明日は朝9時に、観光地にあるのとはちがうマルシェに行きましょう。と、待ち合わせている。ショコラティエ?の美味しいところにも連れて行ってくれるのだそう。←詳細知らず。
蚤の市も見たいし。これはコーディネートしてくれた通訳F・Sさんも言っていたけど、D・Yさんも、フランスの知らない部分に触れるので興味深いとのこと。日本のことを考える暫し……


2017年06月17日(土)



 渡仏3日目。

朝はホテルのロビーにあるエスプレッソマシンでコーヒー、冷房にやられて(移動疲れも大概にあるんだろが)体調不良も、こんな機会そうないからと、予定通りドラクロワのアトリエ、工事中のサン・ジェルマン寺院、
いつも通り10:30から今日もマレ地区(ユダヤ人街)に赴いて、ユダヤ芸術歴史博物館を午前中に観て常設の展示の最後はドレフュス事件のこと、昼はマルシェで初めて座って(笑)食べる。でも、レバノン料理だけど。
これまた外壁に囲まれたマレ地区のショア記念館、
ここまでのどこもそうだけれど、荷物チェック、身体チェックなどあって(ショア記念館はドランシーもここも、インターホンを押して鍵を開けてもらって空港ばりのチェックがある)、
ここには、平和の礎のような、多勢の犠牲者の名前の彫られた壁があったり、
ダビデの星を大きく慰霊と鎮魂のために置いていたり、人もドランシーに比べたら多い。
とても静か。
様々な資料から、模型から、映像から、体験者の話(字幕とかはない)中に、参考文献で当たったエレーヌ・ベールのコーナーも。
常設でない展示は、世界各国のマンガで描かれたショア、日本からは手塚治虫の『アドルフに告ぐ』。
その後、芝居中で使用するかもしれないイディッシュのタンゴのCDなどを探し、
17:00から『アトリエ』の作家グランベール氏のお宅にお邪魔する。ホンの中でどうしても聞きたい事が2つ。
お宅はなんだ、ホテルの目と鼻の先。
取材。
その前に、どうしてこの作品をやるのか、の逆質問。
作家氏は、御歳78才、穏やかで、熱く、でもせっかち。
とても好意的にお話をしてくれる。
氏は、作家であり、この作品では俳優さんでもある。(演出は別)母への思いから描かれているホンではあるが、父のモデルでもある役を演じていた。
グランベール『君は、俳優もやるのか?』
わたし『いえ、やりません、恥ずかしいから、』
グランベール『そうか、僕は恥ずかしくて、演出ができない』だそう(笑)
聞きたかったこともお聞きし(普段はあまりしないことだけど、文化が違うと理解のおっつかないところが多くなり)、
何でか旅の送りに血なく頼まれた要件も済まし、
作品外の話もしながら(ご本人は日本映画にとても精通し、すぐに黒澤明と溝口健二の話が出た。ヒロシマとナガサキについてのお話しも描いているらしい。)、別れ際、『あなたにぴったりの戯曲がある』と説明してくれて、父がモデルで云々と、
私としては何処かで聞いたような…
わたし『それは「あるハムレット役者の夢」って作品ですね? それをやった劇団で『アトリエ』をやるんですよ。』(苦笑)
グランベール『それは似ている作品だね、もしかしたら、私のホンなのかもしれないし、全く同じ発想で別の誰かが書いた作品なのかもしれないね』
と、その作品ではない戯曲をサインと共にいただいた(笑)
…ただではおきない。
やはり2時間を優に超える。成功を誓っての握手をして別れる。
大活躍してくれたF・Sさん、
脳みそフル回転の疲労で、甘いものを欲するも、有名店はもうクローズ。
こちらも脳みそが喜んで、熱いうちに本を読み直したくなったけど、外はまだ明るいし、
まだ入れていないルーヴル美術館に行く。
(この日は金曜日で21:30まで)2時間弱、追い出しかけられるまで粘る。もちろんそれでも観たいもの全てはモーラできる訳もなく。
今回のコーディネーターF・Sさんは今日で最後(週末は別のコンサートの通訳がある、明日のアテンドはD・Yさん)なので、ここに来て初めてのビストロ。もう日本ではすっかりご無沙汰の生肉なんか食べつ、ワイン。絶品すぎる…食べる、飲む。
F・Sさんともしっかり話して、とにかく今回は彼女の存在無しには、ここまでの三分の一もできていないだろうなと思う。感謝しかない。
この体調でしっかり遅くなって、深夜の、おそらく服飾アトリエが集まっていただろう区画(現在は働き手は中国人とか、が主で、オーナーはユダヤ人が多いらしい←つまりオーナーはそこにはいない)を歩いて見て、散会。
『大丈夫ですか?ここから1人で帰れます?』
『大丈夫だと思う。』
と、しっかり違う方向に歩いていて慌てる。。。

明日は冬の競輪場跡(ベル・ディヴ事件)へ。
何にも残っていないみたいだけど。
近くなので、エッフェル塔、凱旋門(ここは約30年前改修中で、見られず)も。観光みたい。




2017年06月16日(金)



 渡仏2日目。。

8:00出立で、結果ルーヴル界隈からバスティーユ広場まで、闊歩。セーヌ川沿いもタップリ。
10:30にコーディネーター件通訳でもあるF・Sさんとホテル出発、一気にドランシー(収容所跡)まで。地下鉄を乗り継いで、その後バスに揺られる。
流石にここまで来ると、街の匂いも全然違うし、第一、観光客は皆無。
バス停からの表示も特にあるわけでもなく、バスを待つマダムたちに聴く。
慰霊碑と、貨車が一両。国鉄が建造したみたい。
貨車が学校の授業の関係で開いていて、
ついでに僕らも中を見せてもらう。
暗い印象を払拭するためか、内部は黄色に塗られていて、壁には資料もあるが、
やはり、この狭さに詰め込まれていたと思うと息が詰まる。途中近所のおばあさまが来られて、その当時のことを話してくれる。(モチロンたまたま貨車が開いている時だったので、珍しく近づいたそう)
その後、すぐ側にある、全く表立った表示はないところにドランシーに特化したショア記念館(つまりホロコースト)、人も少ないので、ユックリと映像と資料と、向き合う時間、二階の窓から、貨車と慰霊碑も見える。←貨車は私らがおばあさまと話した後に、閉じられた。見られて良かった。
じっくり三時間余り、日本では手に入らないドランシー収容所の資料など購入し、ドランシーを後に。
途中途中でF・Sさんが、これ食べたことある?と聞いてくれるお菓子を清涼剤に(お菓子は素人です、はい。)、脳みそと、陽射しとにやられているので、これがまたいいのです。
15:00過ぎに今日お邪魔するお宅の側の公園で、焼きたてのパニーニ、と菓子パン、遅目の昼食。
絶品。良い所だったけど、手頃な手土産が見つからず。
16:00大戦後に革工房アトリエで働いていたマドレーヌさん。イヴァンさんより10才お若い、と面会。私からは特に喋ることがないから聞いて下さい、と仰っていましたが、喋り始めると戦争のこと、ユダヤのこと、止まらず。
思っていた職人さんと言うよりは、家族経営の会計を若くしてしていたそう。
戦争当時はまだ若く、覚えていないことが多いと仰っていましたが、ドランシーや、ベルディヴ事件をどう思ったかなど、印象深いお話を。
ご本人は、人が信心するのはいいけれど、宗教は嫌いだと仰っていたのが響く。またしても2時間以上になってしまってお疲れになったかな…
バス停まで送ってもらい、いつでも来て!の挨拶と共にお別れ、コメディフランセーズで、D・Yさんに引き継いでもらって、開演20:30までの間、オペラ座界隈を歩いて、劇場のパブで一杯やってから、観劇。
…これが、面白くなかった(笑)
こんな発想でどう?楽しいでしょ?
的な人を喰った演出に終始する。なのに、目新しくもなく、映像の時間が恐ろしく長い…
安い席を取って、ほぼ5階からの見下ろしであったことをさておいても、
まぁ、こんなこともあります。
太陽劇団、観たかったなぁ←満席で観られず←並べば可能性はあるけれど、今回は目的がちがうので…
夜のセーヌ川沿いもオツなもの、つまらなくて煮える思いも鎮めつつ、途中パニーニを買って。。。散会。
明日は、資料から派生して、今回一番メインであるユダヤ人街マレ地区にあるショア記念館、ユダヤ芸術歴史博物館 。そして直前までどうなるかわからなかった『アトリエ』の作者グランベール氏との面会取材。盛り沢山。いつも通り10:30に待ち合わせ。それまではサン・ジェルマン側にある、ドラクロアのアトリエを観るつもり。



2017年06月15日(木)



 渡仏1日目。。。

初の羽田空港国際ターミナルで日本最後の食事は『つるとんたん』のカツカレーうどん。飛行時間、約12時間。←この間にやらなければいけないこと、まとめなければいけない事も沢山。
4:30CDG空港着。
そのまま予約していたスーパーシャトル(名前はすごいが詰まる所乗合タクシーのことですな)で市内へ。
5:30ホテル着。
チェックイン可能は15:00なので荷物だけ預かってもらい、アテンドしてくれる方との待ち合わせ10:30までの時間をもう明るいので外へ。
ホテルが六区なので、徒歩圏内にノートルダム、ルーブルなど。(もちろんまだ何も開いてはいないのだが)
セーヌ川沿いを歩いて、30年ぶりを実感する。
ノートルダム近郊、サン=ジェルマン寺院、奇跡のメダル聖堂界隈とずーっと歩く。
10:30 日本の小劇場で制作をしていて、今は結婚してこちらに在住のD・Yさんに案内してもらい、ユダヤ人街を歩き、ピカソ美術館
途中移動して今回コーディネーターのF・Sさん、に引き継ぎ、元レジスタンスのユダヤの方イヴァンさん(偽名)に取材。91歳。熱く、元気、そして、戦時のことを昨日ようだと仰るその様、反ユダヤ主義がある限り、ユダヤであると言い続ける、と。95年に当時のシラク大統領がユダヤ人迫害のナチスにフランス自体も加担していた事を認めた事について、興味深いご意見。縁の話と、ヒロシマの話まで。2時間余り。
その後、モンマルトルの生地屋さんが集まっている区画を目指し、途中坂をずーっと上がってサン・クレール寺院まで。眼下にパリの広がる贅沢よ。
この辺りは、そこここにゴミも散らかって雰囲気はとても雑多。←肌に合う。
もう閉まっていたけれど、生地屋さんの辺りも歩き、丘を降り、
20:30からのプルックのお膝元の小屋で、ピアノコンサート。の前に、ラマダン中夜を見越しての屋台でアラブ家庭料理を買って、人が屯する階段で食べる(一人ならやらないな)、もちろん食べているのは、私らだけだけど…
(昼はファラフェル(ピタサンドのよなユダヤ人街名物のエスニックファーストフード)とビールを公園で)
コンサートも、グランドピアノ一本なので、劇場機構がよく見える。感慨深い。
こちらは22:30までは、明るい。。。
色んな意味で気をつけてと言われてこちらに来たけれど、こちらは努めて日常が普通に送られている。
帰り、それは労働者のビールです…と言われたビールなど買って。ホテルへ。(ホテルといっても、自炊型)着0:00越え。バスタブあることを、お湯が出ることを確認していてよかったぁ、
地下鉄は乗り継ぐも、まぁ、1日、よく歩いた。。。
都合10時間越え(タクシーなどもってのほか(笑))、そして、ピーカン。
荷物を預けたけれど、取材もするのでモノ多く、明日はもっと軽装にしよう。
明日も10:30から。収容所のあったドランシーと近くのショア記念館、戦時中、革製品アトリエで働いていたユダヤの方と面会。
その前に、早朝ルーヴル方面は歩いてみよう。
しかし、約30年振りのパリ、面白いくらい、色々思い出す。

2017年06月14日(水)



 久しぶりに書き込む。

密かに磨いてきた、
岸田國士と、四つに組んでやるのは初めてながら。
ある決まりの中で、相手を変える、森本薫。
成る程、これは面白い。
かつては、これほどの奥行きにはちっとも気づけなかったなぁ。
など思いながら、お陰様の好評まま、幕を下ろし、
みちるが代わって初めての『オールライト』体育館公演。
またこの間に、予期せぬ事態は起きるわけだけれど(もう何があったかは言わない)、
だから、それが、どうした?
で、ある。チームが動揺より先に、次を想定して動いていく、夫々が夫々の動きをしながら。これぞチームプレイなのである(ケガがいっぱいあった功名)。
ワンワンと響いてしまう体育館なれど、
全体キチンと集中して観てくれる。
芝居自体の目指す方向にこの旅は迷いがないので、その辺の不安もない、より良い出会いを重ねて、作品が成長をしていくのみだ。
合間は、明日から飛ぶパリのコーディネーターさんとメールのやり取りを重ねながら、
如何にこの準備不足の中で当地に着いてから、無駄なく有効に、そして最大限の経験を得られるか…
しかし、Kさん紹介の方が何しろ有能(ってまだお会いしていないのだが)で、こちらが、かなりの時間をかけて何も進展させられなかったコトを、
あっという間に運んでくれる。
やっぱりね、餅は餅屋ですね、と、財布を広げることにはなるのだけれど…
パッキングが捗々しく進んでいないけれど、
明日はダスの中間発表の稽古をしたら、
鍼を打って、出立。
…インタビューすることもまたまとめなくては。
兎に角時間が欲しいとゆう贅沢。


2017年06月12日(月)



 サロン劇場side-B、パンフレット掲載文。

演出の戯言

本日はご来館いただき、ありがとうございます。
一年半振りのサロン劇場、サロン劇場と言えば村松英子さんですが、今回はB-sideとして娘のえりが女主人、普段は一般公開されない、東京都指定有形文化財のこの建物、旧細川邸サロンを借景し、演劇の教科書のような岸田國士の『驟雨(しゅうう)』、洒落た森本薫の『記念』、じっくりとアンサンブルで研鑽を積んだお芝居と、ゲストの方との化学反応を楽しむ朗読をお送りします。
登場人物たちの対話の裏にある気持ちが、 俳優さんの発する言葉を通して浮かびあがってくるそのthrill、そしてその変化、どうぞお楽しみください。
新しい試みに、沢山の方々のお力添えをいただきました。この場を借りて、感謝いたします。
皆様の心に潤いの時間となりますようー

藤井ごう

由緒ある建物を借景し、とても良い企画になりました。
じっくりと本を紐解き、アンサンブルで役を発展させられた「驟雨」
各回のゲストの方々との、「記念」の朗読ならではの在り方と、変化。
音響やら舞監などやっとりましたが、まぁ楽しく。
お陰様で現場の隙間時間にやれるだろうと思っていたことが何一つできていないとゆう…
明日、『オールライト』体育館version整理して、おフランスへ取材…用意が…


2017年06月11日(日)
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