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■ 『オールライト』役替稽古。。。
グッと集中して、この未だ公演にならない処での稽古だけれど、 役替=以前と同じことをする、訳ではなく。 これはよく誤解されるところだけれど再演≠依然と同じことをする、のに似て、 人が変われば、全く作品自体の見え方も、感じ方も、変わる。つまる処、舞台上に表出される関係性が同じようで大きく変わるので(その人の在り方の情報がどうしたって違う、役の人物の印象ももちろん変わる)、 そこから逆戻しのように、創られていた居処や、大きく言えば、作品でのポジショニングも変わり、 彫り込みも新たになる。 ご本人には酷だけれど、 2日間の本読み、プラス5日間でムリやり繋げるところまで。 無理に以前と違うことをするのではない、 活かしつつ、もっと太く存在する人物であれるように、こちらも途中から参加だからの優しさを見せないように(??)する(笑) チーム全体が活性化してきている。 舞台上で生き、相手に発信し、ちゃんと見て、感じて受信し、そこから相手を動かす為に発信し直す。 そんな当たり前だけど、当たり前でなくなってしまう多くの稽古場の在り方から脱する、いや、脱しようと動き始めると、途端に風通しがよくなるのもの。上手くできるできないではやはりない、 目の前で行われる事に真摯に対峙していられるか、そして、できなければそれへの準備の再研鑽をし直して次を迎えられるか。 本が要求する居方と、セリフのウワバミだけを掬ってそれを感情だと間違っていやしないか、見直せるかどうか、セリフを心情の音階で入れてしまって、そこから抜け出せなくなっていやしないか… 同時に学校の卒業公演の稽古もしているからだけれど、結局、言うことは似通ってくる。 フリ、とか、独りよがり、とか、相手を尊重しない態度、とか、話を識った存在としての小手先のやり方(台詞回し抑揚動き表情だけの演技)や、つまりハナからその人物を下に見た演じ方、とか、そうゆうものをどう取り払って 井上さんの言葉じゃないが、俳優さんが演じるのをやめて、その場に生きはじめられ(もちろん、演じてはいるのだけれどね)たら、こんなに魅力的なことはないし、稽古場でその瞬間を目撃することができる、それは創り手だけに許された特権とも言える。 しのごの描きながら、 こちらもまとめて仕舞いたくなる欲求を、 そんなのまだまだくだらぬ事だと一蹴する覚悟をつくっているのだな(笑汗) 行為を、作品を面白くするのは、枝葉ではなく、深度を増していくこと。 さぁ、土曜日は学校の卒業公演。 求めなければ、掴めるものも少ない、目一杯、欲張って。
2017年03月22日(水)
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