再生するタワゴトver.5
りばいぶ



 「雪がふる」パンフ掲載文。。。

演出の戯言

世界は救わない。
社会問題を風刺もしない。
抱腹絶倒のコメディでもない。
とある都会の公園、
ベンチと灰皿とゴミ箱だけ、
そこを通り過ぎていく人と時ー
新聞やテレビ、きっとネットのニュースにすら(時代的にネットもスマホもないけれど)アガルことのない人生。
強い光の当てられることのない市井の人々、
でもそんな人たちの人生に触れてみると、何とも深く盛り沢山、そして……豊か。

演者はみな強い光を当てられたくている面子だけれど、人間のココロの専門家でもあるべき面子。

自分の経験、役の経験、そうゆうものにこそ光を当て、共感し、差を感じ、理解し、わからないを楽しみ、そして想像の翼を思いきり広げてみる。(時にはポキっと音を立てて折れるけれど)

手にしている時は気づかなくて、なくして初めて気づいたり、で、今度こそはと言ってまた忘れたり、浅はかで小狡くて、でも愛おしい。
そんな人間讃歌の物語ー
どうぞ最後までごゆっくりご覧ください。


藤井ごう

2016年07月28日(木)



 これまでとこれからとこのままと。

『オールライト』春旅も終盤。
概ね好評も、未だ、アップダウンは繰り返している模様。。。
如何に、不規則なスケジュールを越え、
日々広さもお土地柄も客席も変わる会場、その場にちゃんと生きていることができるか。
その場でちゃんと変化していけるのか。
前の日のお客さんを追ってやしないか…
キャラクターの説明になってやしないか…
ハードルは高い。でも、目指すものも高く。
秋の旅は、僕のスケジュールもあって稽古に費やせる時間が少ない分だけ、如何にブレみたいなものをちゃんと感じ、減らすことができるか…
何度も言うけど、
目指すは「統制された即興」
演者は魅力的、絡み合いだ。

『郡上の立百姓』事前も始まる。
大人数に気おされながら(笑←43人の演者、コーラスなし。アンテナ張ってるだけで…)、
その劇団だけどごった煮状態をどう采配し楽しむか。9月までの限りなくありそでない時間を、如何に俳優さん、スタッフさん、僕で充実して使えるか。なんだか試されているなぁ(何に?)と思う。
その中に、ウチの本城さんが混じっているのも、違和感と面白さ。
大ベテランからイキのいい新人さんまで、
こちらは兎に角「演劇のダイナミズム」
ダイナミックに、でもって繊細に。
今週からは本稽古が始まる。

そして例年夏の風物詩、
ダスの中間発表は、目の前、
27日28日15:00/18:30〜
『雪がふる』作・松田正隆
出演・俳優クラス
於・スターダス・21アトリエ
入場無料
…ここんとこ夏は舞台上に人が多い現代劇が続いていたので、今年はバトンリレーのよなオムニバスのよで、また一味違うこのホン。
後半に掛かっての読後感みたいなもの、秀逸。
ベンチ、灰皿、ゴミ箱(これは台本指定ではないけれど)だけ。
こちらは「ウソなく現在進行形」
まだまだこれからのタタカイ。。。

このままでいい、なんて瞬間はないのである。


2016年07月17日(日)



 クストリッツァ二本立て。。。

学校、中間発表、新作事前稽古に打合せ、旅出し済みの作品行脚、さらに先の作品のプロット作りなどバッタバタとしながら、
これでは疲弊するばかりなので、ムリクリ時間を作って、朝も、早よからクストリッツァ監督二本立て。@キネカ大森(ここは佐村河内の『FAKE』も観たな←それで知ったんだった…)『ジプシーのとき』『アンダーグラウンド』。
いやぁ、改めて、
そりゃ、規模も、国も、置かれた状況も、媒体も、なんもかんも違うし、比べるのもおこがましいし、
でもね、
久しぶりに、でもって、映画館で改めて『アンダーグラウンド』を観て、震える。(DVDもサントラもモチロン持ってるし、そう言えば今年の燐光群『カムアウト』M0もリスペクトで使わせてもらったけれど…)
こうゆうモノづくり、できてるかなぁ
したいなぁ。
世界を描いて、いる。
人間を描いて、いる。
でも、ちゃんとエンターテイメント、だし。
長尺感じさせないし(まそりゃ長いと思う人にとってはあれですが)、
いや、しなくちゃいかん。
なんか、
ヤクザ映画を観た後に、影響されて肩で風切って歩くお兄ちゃんさながら、
背筋が伸びる。
タマのよなものにぶつかられて清々しい。
あ、初見『ジプシーのとき』もモチロンのこと。

来週金曜日まで。是非。
その後は行けるスケジュールにありませんが、
タランティーノだそうな。
今月は、志の輔落語と、これに大いに救われた。(芝居じゃないじゃん)


2016年07月16日(土)



 さて7月。

6月から大学も始まりつつ、
例年のダスの中間発表も、いつもとはまた違う作品であと4週間。
合間で『オールライト』の旅先に顔を出したりしながら、
今月は青年劇場さんのオオモノ『郡上の立百姓』の稽古も始まる。
(本番は9月)総勢40名以上。
タイヘンな夏になる…
けど、今までが極々少数、または一人闘いだったので、
共有、共感できる機会が増えていくことは、意外に愉しいことなのである。
タイヘンだからこそ、面白がってつくらないとね。
つい先日、上演台本初稿をあげ、
それについてまとめ、ここから方言指導、各スタッフさんも始動。
時間はあるよで、ない。


そんな作品に向けて1月に書いた文章、(仮チラシなどに載せていた文)以下。

「人はどのように生き、死んでいくのか」
美濃の国郡上で領主の重税取り立てに反対し、組織的にたたかい、幕府を震撼させた農民一揆(宝暦騒動)を材にこばやしひろし氏と劇団はぐるまが創りあげた大作『郡上の立百姓』(1964)から現在を照射する。
総勢40人越えの登場人物たち、唄に踊り…また凄い作品がやってきた。
その幕切間近、中心人物の一人は言う。

定次郎「俺がお仕置きんなりゃ田畑一切はお取上げやぞ! 残るんはお母アと、かよと、きよだけなんや。何も残らん。何も残らんのや。(中略)俺は女房持ちや。子供もある。そんなかで命捨ててかかったから、みんな固まってくれたんやぞ。俺が独り者やってみよ、身軽やったら何でもやれる。そんでおしまいや。」

 幕府・諸藩と、百姓一揆の激しいせめぎ合いは、苛政に苦しむ村人たちの困難を背負い幕府や藩に訴えた定次郎のような「義民」を生み、彼らの多くは苛政を取り除くという目的は達したが、直訴の罪によって処刑された。
これを過去のある一地点の一時の出来事と見ることは容易い。だがしかし、今まさに立っている地点の現在の瞬間でないと誰が言えるだろう。
「義民」を礼賛したいのではない。そうならざるをえなかった、その過程と葛藤に焦点をあてること、そこに活路を見出したい。
彼らが本当に勝ちとったものとは果たして何だったのか―


 師の最期の作品へのコトバ「人はどのように生き、死んでいくのか」
このコトバと向き合いながら、青年劇場の集団力と創造力をもってこの大作に挑もうと思う。
藤井ごう

…半年前のことだけど、この後、色んなもの、色んなこと、色んな人に出会ってしまった。土地にも空気にも触れた。もう、他人事とも違うのである。
アツイ夏…。


2016年07月01日(金)
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