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■ 粛々と。
すさまじい現場である。 この二ヶ月ほど、色んなアプローチで積み上げてきた。 素晴らしい時もある、でも永続しない。 が、こちらは作品は立ち上げなければならぬ。 ナマの感覚を大切に。だからこその準備の大切さ。 しかし、役の肚について、研究する気も、 開花させる気もない人がいた場合、 作り手として一緒にするのはムリがある。 あり得る可能性についてこちらは先手は打ち続けるけれど、 やはり舞台は俳優のものであって、 演出家は魅せ方と、その作品についての責任を背負うしかないのだ。 グングン変わってきている全体の有り様を信じ、でもって、未だ変われていない人の可能性を消さない。それだけ。 投げることはいつでもできる。
まぁ、もう二度とはやらないけどね。
しかし、こうゆうシステムの中で、圧倒的に生き始める人の様を信じよう。 モノづくりについて考える日々、特にストレートプレイは入り口から出口に向かっての決め事を乗せるのではなく、 行動線をそれぞれ持った生きる者たちのぶつかり合いがそれを生んでいくものだ。 先に書いた松濤の時の挨拶文のままだと思いいたり、 これ、一応プロの現場な筈、と笑う。 さ、明日も粛々と面白いものを。
2015年09月29日(火)
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