スカーレットの心のつぶやき
つぶやき 目次過去未来


2016年04月28日(木) 5月いっぱい

早いもので、明後日は夫の四十九日法要と納骨をする。

本当の四十九日は5月3日になるが

その日はお寺で花まつりがあるので

法要が出来ないと言われ30日にすることにした。

夫が居なくなってひと月が過ぎ

私の気持ちもはじめに比べると

少しは違ってきているが

やはり夫のいない淋しさや悲しみは同じだ。

夫が居なくなっていろいろなことがあった。

その中で相談できなくなって困ることもある。

私はパソコンをWi-Fi環境でしているが

スマホとパソコンを一台のWi-Fiルーターでしているので

パソコンのユーチューブの動画を見るのがなかなかできない。

エラーが多い。

それでauひかりにすることにした。

家ではWi-Fi環境になり

外ではスマホで動画を見ないかぎり

2Gで十分だと言われたし

速さが相当違うともいわれたので

そうすることにしたのだ。

auひかりの工事が6月1日になったので

5月いっぱいはパソコンがネットにつながらない。

スマホでつながるので

まあ安心ではある。

ひと月はつぶやきも更新できない。

最近はパソコンを開けることもあまりないので

ひと月は大丈夫だと思う。

6月になったら私も少しは元気になっているかも・・・


2016年04月21日(木)

朝から雨が降っている。

アズキの散歩にもっと早く行っていたら良かった。

7時前になって出ようと思ったら雨になっていた。

アズキ、ごめんね。

今日は一日雨みたい。

私も今日は何か心が鬱陶しくて眠くて

だるくてやる気も出ない。

こんな日は何もしないで

ただゴロゴロとしていればいいのかもしれない。

フェイスブックを退会しようと思っているので

退会方法を検索してみた。

完全退会ってなかなか面倒みたい。

でも

二度と見たくもないし

書き込みもしないはず。

雨だからこんな風に思えるのかな・・・

こんな日は行動を起こさず

気分のいい日に退会手続きをすれば良い。

今日はサボろう。

テレビで熊本や大分の地震のニュースを見るたびに

私が如何に幸せかと思う。

その立場に立ってみて

初めてわかることがある。

気持ちを寄せることはできても

その人の気持ちと同じにはなれない。

夫を亡くして初めてわかった。

慰めや励ましが時に煩わしくなることがあるということを知った。

そっとしていてほしい時もある。

そうかと言って無関心になられると淋しい。

なんと勝手な気持ちだろう。

震災で愛する人を亡くした人は

同じ気持ちにはならないかもしれない。

結局、人それぞれなんだと思う。

悲しい時苦しい時に笑おうという人がいる。

でも

笑えない。

そんなに強くない。

雨の日は泣けばいい。

今日は私も心のままに時を過ごそう。

地震で不自由な暮らしをしている人たちには

申し訳ない気がするけれど。


2016年04月19日(火) 五七日

今日は夫の五七日だ。

日の経つのは早い。

朝四時起床。

実家の仏壇のことを済ませて

夫の祭壇のお花の水、お茶と

お霊供膳、お団子作りをして

戒名を唱えて手を合わせた。

まだ正直言って

夫が居なくなったことが

信じられないのだ。

まだ入院していて会えそうな気がする。

でも、居ない・・・

淋しい・・・

楽しくない・・・

エミフルに用事があって行った時

夫婦連れを見ると涙が出る。

楽しそうな様子を見て余計に淋しくなる。

私は変わってしまった。

何もかも。

以前の私とは違う。

前のような活動をしていた時には戻れない。

私の中で消えてしまった。

元気もやる気も何もかも。

だから

会の仲間たちに会いたくないし

話もしたくないし

話も聞きたくない。

勝手なかもしれない。

でも

これが

正直な私の気持ちだ。

これからは自分の気持ちが楽なように

全く今までとは違う生き方をしたい。

五七日に当たっての思いだ。

もう一度会いたい。

声が聞きたい。

話がしたい。

一緒に歩きたい。

一緒に食事をしたい。

背中をさすってあげたい。

すべて無理なんだ・・

本当に淋しい。

悲しい。

楽しくない。

笑えない。

それでも食べてはいる。

おなかも空く。

これが私が生きているという証拠なのだろう。

ごめん。


2016年04月17日(日)

14日の夜に起きた

熊本地方を震源とする地震、

昨日の夜中にはもっと大きな揺れの地震が起き

被害もお亡くなりになった人の数も

増えている。

私が住むところでも

昨日の1時25分に地震が起きた。

スマホに地震警報がはいり

けたたましい音がして目が覚めた。

カレンダーが揺れ

ベッドが揺れた気がしたが

すぐにおさまった。

テレビでは一晩中

地震に関する報道がされていた。

学生アパートがぺしゃんこになり

学生さん2人が亡くなった。

今のところ41人死亡という報道を聞いている。

これ以上増えないことを心から祈っている。

昨日は夫が亡くなってちょうどひと月目だった。

夫の仕事の同僚が3人

お参りにきてくれて

思い出はなしを1時間ちょっとしてくれた。

途中で泣いてしまった。

夫がいかに優しかったか?

自分の気持ちを外に表さなかったか?を再確認した。

親友の一人も

結局夫の本心はわからないままだったと言っていた。

私も同じ思いをしている。

三人と話をしている中で

今回の地震の話になり

亡くなられた人達を思うと涙が出てくる私は

病院で手厚い治療と看護を受け亡くなった夫が

幸せだったと思うと話した。

地震で亡くなった人たちは

自分が死んだことを自覚できないまま

何故???

という思いでいっぱいなのではないだろうか。

何もわからないまま死んでしまった人たちの気持ちは

いかばかりだっただろう。

魂も彷徨い続けるのではないかと思う。

夫の祭壇の前に座り

良かったねと思わずつぶやいてしまった。

人の死は同じはずなのに・・・


2016年04月13日(水) ぽっかりと穴が・・・

花壇作りは一応完成した。

あれほど花の世話は苦手だと思っていた私が

こんなにも一生懸命になって

花を植え育てる気持ちになったことが

自分でも不思議でたまらない。

夫が亡くなって昨日は四七日だった。

時は確実に過ぎている。

でも、私の時間はあの日で止まったままだ。

花を植えていても

アズキの散歩をしていても

近所の人と話をしていても

私の心の中には

ぽっかりと穴が空いたままで

これからも塞がることがないような気がする。

淋しい。

何もやる気がしない。

時間はいっぱいあるのに

何も手につかないのだ。

やるべきこともいっぱいある。

二階の片づけや元の家の片づけなどなど・・・

でもやる気が出ないのだ。

外へも本当は出たくない。

家の中で過ごしたい。

桜は満開から葉桜になってしまった。

結局桜を見に行くことはなかった。

私は今までの私に関わる人たちを避けている。

会の活動で同志として

日本のために頑張っていた人たちと

特に会いたくないし

避けてしまいたいのだ。

何もかも消してしまいたい。

新しい私がどんな私になるのか?

わからないけれど

これだけはわかる。

楽に生きたい、

嫌なことはしない、

無理をしない、

頑張らない、

義理を欠いても気にしない。

夫を亡くした私は

もう誰も支えてくれはしないのだ。

一人になってしまった。

孤独感でいっぱい。

これからの自分自身がわからない。


2016年04月09日(土) 花祭り

今日は、私が住む市主催の花祭りがあった。

朝、アズキを散歩している時に

市からの案内の放送が聞こえてきた。

毎年4月8日頃の土日に開催されるが

今まで行ったのはずいぶん昔のことだ。

先日から花壇を作ろうとしている私は

皆が集まるにぎやかな場所へは行きたく無いが

農業高校の生徒が育てている花が

売られているのに気持ちが動いた。

きっと花の苗も元気なものが安いだろう。

10時から始まると知り

行ってみると駐車場もないほどにぎわっていた。

花の苗を30ほど買った。

それでも1500円ほど。

帰り、レンガも買って来て

午後から花壇づくりをした。

綺麗になった。

可愛い花々を見ていると心が和む。

今まで苦手だと思ってしなかった園芸、

もしかして、私に似合っているのかもしれない。

夫が居なくなったさみしさが紛れている。

人と話すよりも癒される。

おおぜいの人の中にいるより

花に囲まれていることが私には楽だ。

花祭りは明日もあるみたい。

花の苗を15個ほど買って来よう。

これで私なりの花壇が完成する。

楽しみだ。


2016年04月08日(金) 花を買ってきた

今朝は雨上がりに除草剤をまくのが最適だとわかり

早くに2.5キロの除草剤を芝生にまいた。

これで半年は雑草が生えてこないだろうと期待している。

花壇は背は低いが

母が昔に植えたチューリップが数個咲いている。

除草剤はまかずに

草が出てきた時点で抜くつもりだ。

近くのJAの産直市場で

花の苗を買ってきた。

車で行かなかったから

8個しか買わなかった。

これを直植えしてみよう。

花の土と肥料も少しは残っている。

栄養をやらないと花も可哀そうだから

土を入れて肥料もまいておこう。

枯れずに咲いてくれるかな・・・

とても不安だ。

花壇は結構広いから

8個の苗では足らない。

もし、根付いてくれるなら

明日はもっとたくさん買って来て

直植えしようと思う。

白い小さな花がいっぱいついた苗と

赤紫のソフィニアの苗。

今まで花を育てるのが苦手で

結構疲れるから花は敬遠していたけれど

これからは気持ちが安らぎ

癒される花でも少し育ててみようと思う。

11時までは用事があって動けない。

それが終わったら

また買いに行こう。

うまく根付きますように!!!


2016年04月07日(木) 裏庭

私が今、住んでいる家は

私の両親が

嫁いだ私の近くに住むため

建てて引っ越して住んでいた家だ。

車で3分の距離にあるこの家は

私が結婚した後住んでいた家とは

目と鼻の先にある。

どちらが自分の家かどうか分からないくらい

馴染んでいる家、

両親が亡くなり仏壇をみるために

私が移り住んだ。

しばらくは夫は自分の家で寝泊りしていたが

やはり私のそばに来てくれて

この6年は今の家に住んでいた。

家の南には広い芝生と花壇がある。

父が元気な頃は

芝生には雑草が一本もなく

青々として綺麗だった。

父が亡くなり、母も身体に無理が行くから

花壇には花を植えたが

次第に芝生に草が生え始め

母が亡くなったあと

私が住むようになってからは

夫の看護が忙しく

一時は荒れ放題になってしまっていた。

一昨日と昨日の二日にわたって

草を抜きある程度綺麗にした。

やはり綺麗に草を抜いた後は気持が良い。

花壇には母が昔に植えたチューリップの花が

ちらほら咲いている。

夫のことが落ち着いたら

花でも植えてみようか・・と思ったりしている。

きっとこころが和むだろう。

夫は花好きというわけではなかったが

花が綺麗に咲いているのを見て

嫌な気分にはならないはず。

今日は朝から雨と風が強い。

雑草を枯らす薬剤を買っていたから

明日、晴れたら撒いておこう。

そして

いつの日か

花壇を淡い色の花でいっぱいにしたい。

それを見て癒されるだろうから。




2016年04月04日(月)

雨が降っている。

今日は清明だそうだ。

清明とは二十四気の一つ。

春分から十五日目、陽暦四月五日ごろ。

万物に清新の気がみなぎる時節。

今年は閏年だったから

四月四日の今日になったのだろう。

万物に清新の気がみなぎる・・・

私のこころにも新しい清らかな気が入るのだろうか。

夫が亡くなった日から

私の中では時間が止まったままになっているが

同じように時は過ぎ

日は過ぎて行く。

桜は見たいとは思わないけれど

アズキの散歩の途中の桜の木が

日に日に咲く数が増えている。

そろそろ満開になるだろう。

今日の雨で満開近い桜の花びらも

散ってしまうだろうか?

私のこころの中に桜は咲かない。

玄関を普通ならこいのぼりで飾るのだが

今年はそんな気にならない。

お雛様は夫がまだ健在の時に飾り

華やかな玄関を夫が見てきれいだねと言っていた。



私のこころにも雨が降っている。


2016年04月02日(土) 思い出の場所

ちょっとしたことで

夫と過ごした時間を思い出し

涙が出てくる。

テレビを見ていて

夫の小さな話し声がふと聞こえてくることがある。

元々無口だったし

会話の時の声も小さく

たまに、聞き取れないこともあった。

それなりに会話は成り立っていたから

年月ってすごいなあと思ったことがあったっけ。

横を見ても誰も居ない。

笑っている夫もしんどそうにしている夫も

怒っている夫の顔もない。

ただの空間があるだけだ。

今日は用事があってエミフルへ行った。

土曜日ということもあり

夫婦連れや家族連れが多かった。

年配の夫婦が何かを話しながら

買い物をしたり

また歩いている姿を見て悲しくなり涙が出てきた。

紳士もの売り場のそばを通った時

ああ〜もう二度とここで買い物をすることはないんだ。

夫の誕生日の贈り物を買うこともなくなったのだと思うと

声を出して泣き出しそうになった。

帰ろう。

人ごみへ来るのはやめよう。

そう思って駐車場へ行くまでに

エミフルの映画館への道を逆方向に通った時

12月にお正月前、天皇誕生日に退院した夫と

映画を観に行ったことを思い出した。

夫と一緒に観た最後の映画だった。

そういえば、私が夫と出会って

一番初めのデートは映画だった。

大竹しのぶ主演の「ああ〜野麦峠」だった。

一番初めに映画に行き

最後の退院の時に映画に行った。

しばらくは映画館へは行けない。

今日、エミフルへ行ったことは

私にとって夫との思い出を

頭とこころと身体に思い出すことになってしまった。

本当に辛い、悲しい、寂しい・・・

会いたい、夫に会いたい。


2016年04月01日(金) 虚しい

夫が居なくなって二週間が過ぎた。

毎朝、お霊供膳を取り替え、

お茶とお水、お花のお水の交換をして手を合わす。

七日ごとのお団子が少し干からびてしまっている。

家に居る時には絶やさないお線香とロウソク、

遺影に向かって話しかけながら

今日もまだ病院のベッドの上に居るのではないかと

錯覚してしまう。

事務的な処理以外には

何もやる気が出ない。

外見は元気そうにしているけれど

こころの中では泣いている私。

夫はそんな私を見て喜ばないだろう。

元気にしないといけない、

前にように笑って明るくしないといけないと思うが

虚しい気持が襲って来て

それが出来ないのだ。

こんな日々がずっと続くと

私は意外な自分自身に気付くだろう。

私にとって夫の存在は

大きい存在だったのだと気がついた。

でも

その時には遅かった。

もっと早く

夫が元気な頃に気付いていれば

きっと違った関係が作れていたに違いない。

ごめんなさい。

もう一度声が聞きたい、

話がしたい。


スカーレット