スカーレットの心のつぶやき
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2014年10月06日(月) |
おめでとうございます |
昨日、10月5日
高円宮妃久子殿下の次女
典子女王殿下と
出雲大社の権宮司
千家国麿さんの結婚式が
出雲大社で行われた、
皇族方のご結婚は
平成17年11月の
天皇皇后両陛下の長女、清子女王殿下(今は黒田清子さん)
以来のことで本当におめでたいことだ。
一般の人の結婚式と違って
衣装にしてもやり方にしても
決まったしきたりの元で行われた。
出雲大社伝統のしきたりの元だったということで
新聞を読んでいると
イザナギノミコト、イザナミノミコトが
柱を回って出会ったという
「国生み神話」に由来しえ
神殿の中央に据えられた
「天乃御柱」を交差するようにめぐり
神前に進まれたとのこと。
ここでも、神話の登場があり
学校で出雲大社のことも
イザナギ・イザナミのことも
ましてや
国生み神話のことを
教えられない子供たちは
いったいなんだ?と思うに違いない。
神武天皇から125代続いている
世界最古の皇室を
改めて誇りに思うと共に
これからは、一般の人となって
出雲大社でお暮しになる
典子様にお幸せになってほしいと
心から思う。
本当におめでとうございます。
昨日の私の63歳の誕生日について
家族より他人の方が
私への気遣いが大きいことを
改めて知った。
親友や友人のほか
フェイスブックのお友達から
相当数のお祝いの言葉をいただいた。
姉からはコスモスの絵手紙が。
美味しいケーキを届けてくれた人も居る。
遠い地からこれもまた美味しいお寿司を送ってくれた人も。
本当に皆さんの温かい心に感謝している。
有難うございました!
それに引き替え
夫と娘からは
夜になるまでおめでとうの一言も
プレゼントもなかった。
家族ってこんなものなのかな・・・
夜、娘からラインで連絡があり
どうも忘れていたようで
宿直明けで寝ていて
遅くなったとおめでとうに添えた言葉をもらった。
夫はどうなのだろう・・・
夜、私から言わなかったら
結局何の言葉もなかったに違いない。
もう期待するのはやめよう。
考えてみたら
多くの人たちからのおめでとうの言葉をもらい
ああ〜誕生日のお祝いって嬉しいものだと
改めて感じたのだが
今日は横田めぐみさんの50歳のお誕生日だ。
産経新聞に友人たちからのメッセージが載っていた。
ご両親や友人たちの気持ちは皆同じ。
一日も早く帰って来てほしい!だ。
でも、北朝鮮はどうなっているのだろう。
再調査の結果を日本から行かねば教えないというような
ふざけた態度だ。
自分の誕生日のことを思うたびに
めぐみさんと一日違いもあるから
余計にめぐみさんへの思いが強くなる。
今日は、私の63歳の誕生日だ。
夜中、日付が変わる頃に
親友から「おめでとう」と携帯へメールが届いていた。
パソコンを開けたら
メル友さんからお祝いのカードが届いていた。
10月4日生まれの人は・・を読んで
その通り!と妙に納得できた。
感情に左右されやすいのが確かだからだ。
体に充分気をつけて!の言葉も有難かった。
嬉しい。
仏壇のお花の水やごはんやお茶を
替える時、両親に「63歳になったよ、有難う」と
声をかけた。
父も母も
私がこうして元気で居ることを
きっと喜んでくれているだろう。
夜が明けて朝を迎えて
日が変わっただけで
年をひとつ取ったって
何か複雑な心境だ。
子供のころは誕生日が嬉しくて
早く年を取って大人になりたいと思っていた。
でも、50歳を過ぎた頃から
もう年を重ねなくても良いのに・・と思うようになった。
特に60歳になった時は
50代とは違う淋しさを覚えた。
急に老けた気がした。
昔なら63歳なんて立派なおばあさんだ。
今の私は自分でおばあさんとは思わない。
いつまでも気持ちは若い。
進歩していないということか・・・ハハハ
最近は、年をとって
顔にもシミやしわが出来て
鏡を見るたびに嫌になっている。
それでも、どうしようもないし
年を取った証拠だと
自分で都合の良いように思うようにしている。
どんな人も年は平等に取る。
だから、不老不死なんて望まない。
後何年生きられるかわからない。
今、自分がしたいこと
これだけはやり通したいことを
一途にいていきたい。
そして、きれいに年を取りたい。
娘が結婚して子供を産み
本当のおばあさんになるまでは
決して自分をおばあさんだと思わない!
さて、今日、夫や娘から
「おめでとう」の言葉をもらえるか?
プレゼントをしてくれるか?
期待しないで待ってみよう。
よく年のせいで涙もろくなると言う。
でも、
これは個人の問題であり
若くても涙もろい人も居れは
高齢になっても
涙ひとつ流さない人も居る。
泣くという行為は
心の浄化の一つ体の反応だと思う。
悲しくても涙の出ないこともあるのは
私の母が亡くなり
お葬式の時に私が喪主として
挨拶した時に
悲しみは胸の中にいっぱいあったはずなのに
全く泣かなかったのだ。
涙ひとつ見せない私の姿は
参列者にどう映っただろうか・・・
何と冷たい娘だと思われたかもしれない。
正直、私自身わからない点でもある。
そんな私も
テレビや映画を見ていて
感動して自然に涙が出ることがある。
昨日は、御嶽山の噴火で亡くなった
地元の大学院生の話を見ていて
自然に涙が出て来た。
彼を知らない。
ただ、今回の事故で
若くして命を落としたことが
何故か悲しく辛く可哀そうで
たまらないのだ。
まだ結婚はしていない。
就職先は決まっていたとのこと。
優秀な学生で博士課程を歩んでいたとも言う。
ご家族、ご両親の思いは
いかばかりだろう。
近所の人の中には
号泣していた人もいたし、
そっと涙をぬぐっていた人も居た。
彼の子供の頃からずっと知っていて
まるでわが子のように感じていたのかもしれない。
田舎だからこそ、近所の人も
わがことのように思えたのだろう。
それに比べると私など何の縁もない人間だ。
でも、自然に涙が出て来た。
不思議と言えば不思議だ。
悲しみの中で人が涙を流すことは
単純に考えるべきことではないのかもしれない。
タイへ行きたい。
泰緬鉄道に乗りに行きたい。
そう思いはじめると
私の悪い癖で
今にも行きそうな気配で
心はタイへ飛んでいる。
昨日は、旅行会社へ行き
タイ行きのツアーのパンフレットをもらって来た。
どれも年末から来年の春頃までのもので
これを見ても決めるわけにはいかない。
でも、参考にしたいと思ってもらって来た。
最低4泊五日の旅になりそう。
出発が関空となっているから
私の住むところから
まずは関空まで行かねばならない。
地方に住んでいるデメリットは
こういう点にもあると思う。
ツアーなら言葉は心配ないのだろうか?
私が行きたいところは
ツアーの中には入っていない。
だから、自由行動の時に行くことになる。
ツアーには一人でも参加できるが
やはり、心細くて
娘に一緒に行ってほしいとメールをした。
娘はタイには興味がないと思う。
でも、タイ料理も美味しいだろうし
世界遺産や遺跡もある。
タイの古典舞踊も見ることが出来る。
費用を私が出してやったら
一緒に行ってくれるかもしれない。
まだまだ先のことだから
考えておくと言っていた。
タイへ行ったことがある友人に話すと
暑いと言っていた。
そこらの暑さではない
とても暑い、私が倒れるかもしれないとも言った。
私が行こうと思うのは
娘が長期で休める夏だ。
そもそも一年中暑そうだ。
雨季もある。
今思っていることが
私の夢で終わらないことを願っている。
タイへ行きたいのも
私がしようとしている
ライフワークに関係している。
さて、実現できるかどうか?
それまでにお金も貯めないと。
ここひと月ほど本当に忙しくしている。
今、しなければならないことが出来て
日々の家事以外は
先日の鳴門行きを除けば
家に居て
本とパソコンとのにらめっこの日々だ。
だから、肩がこる。
首が痛い。
当然、一番弱い歯に来て
右の下の歯茎が腫れてきた。
こうなるととことん悪くなる可能性が大きい。
特に今回は首が固まってしまっている。
その上
動かないから固定されたままで
余計に具合が悪くなっている。
ライフワークに取り組むのも
覚悟が必要だ。
覚悟と言っても
心身共の覚悟。
費用もかかるし
時間もかかるし
体に負担もかかるし
それらを統合しての覚悟が
私のこの年齢でどれだけ
負担になるかを思えば
きっと仏壇の中の母が
心配しているだろうなあ・・と思う。
ねばならないをやめよう。
やりたいからやるのだと思おう。
同じ肩や首の凝りも
少しは違うかもしれない。
根を詰めると体を壊す
母がよく言っていた言葉だけれど
もうすぐ63歳の誕生日を迎える私には
直ぐそこで母が私の耳にささやいているように思える。
いい加減にしよう。
寝込まないうちに。
スカーレット
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