スカーレットの心のつぶやき
つぶやき 目次過去未来


2014年05月31日(土) 暑かった

昨日は暑かった。

30度くらいあった。

まだ、体が暑さに慣れていないから

なんかついていけない。

熱中症で倒れた小学生も居たとか。

家の中もエアコンはまだ入れてないが

網戸全開にして風を通している。

この暑さも影響していると思うが

昨日は本当に疲れてしまって

夕方になると寝込んでしまった。

そりゃ、朝3時半に起きて

夜寝るまで休むことはない。

ご飯を食べる時とこうしてパソコンをする時は

座るけれど、そのほかは座ることも横になることもしない。

これで疲れないのがおかしい。

暑いのは苦手な私は

今後の行事予定も二の足を踏みそうだ。

気持ちはあってやると決めるのだけど

いざ、その時が近づくにつれて

億劫になってしまうのだ。

しばらくは暑さが続くみたい。

倒れないようにしよう。

今日も忙しくなりそう。


2014年05月29日(木) 改善

昨日は、心臓の病院受診だった。

いつもは、午後受診が多いのだが

昨日は急遽の診察で午前中だった。

混んでいた。

こんなに患者がいるのを久しぶりに見た。

午後は結構空いている、

これで、経営は大丈夫かな・・と心配したこともある。

午前中に集中しているみたい。

心電図と血液検査の結果

狭心症は少し改善されていた。

これで

入院して検査や治療をしなくて済んだ。

良かったと思う。

ただ治っているわけではない。

テープを貼る治療と

頓服としてニトロを舐める治療しかしていない。

私の狭心症は

動脈硬化によるものではなく

痙攣性狭心症で、一時的に血管がギュッとなって

狭くなるとのこと。

自律神経も関係しているみたいだ。

それにしても

薬って怖い。

有難いけど怖い。

テープではなく飲み薬を処方しようと言われたが

飲むのは嫌だから貼る薬で良いと答えた。

テープを長く貼っているとかぶれることがある。

今の所赤くはなっているものの

かぶれてはいないので

このまま貼り続けようと思う。

医者から改善しているが

完治ではないので無理をしないようにと言われた。

元気になったと思って

またやりすぎないようにしよう。

肝に銘じて。


2014年05月28日(水) 若さ

若さというものは

その人の肉体の老化とかかわりがある。

人は誰でも平等に年を取るから

若さも失われるのが当たり前だ。

でも、

若い時、学生の頃は

同い年の人は見な同じくらいに見えるが

年を取るにつれて

個人差が出てくる。

同窓会に行けば顕著だ。

男性は特に女性より老けてしまうと思う。

女性はお化粧や髪型や服装で

それなりにおしゃれをするから

男性に比べると若く見える人が多い、

男性の中でも、もちろん自己努力をしている人は

いつまでも若いからだを保っている人もいる、

芸能人には多い。

でも

普通はそれなりに

おじさんになりおばさんになる。

私もいつまでも若く居たいとは思う。

なるべく老化が目立たないように

努力もしているつもりだ。

この間から嬉しいこともあった。

年齢よりも10歳若く見られたことだ。

お世辞でも嬉しい。

ただ、若さが100パーセントではない、

年を取ったから出て来る魅力もある。

老けた人には経験から生まれたものがある。

だから

若さだけを追いかけるのではなく

年相応の思慮や行動をして

やはり魅力的に年を積み重ねたいと思う。


2014年05月27日(火) 産経投稿掲載

今日の産経新聞の読者投稿欄に

私の下記の投稿が掲載された。

「学校で皇室のことを教えよう」

20日付の産経新聞で、

天皇陛下に対して

「尊敬の念を抱いている」とした人の割合が

過去最高の34%に達したという

意識調査(NHK放送文化研究所)の結果が紹介されていた。

 最近は、天皇陛下の歌碑に上った児童を注意するどころか、

記念撮影しようとした教師や、

「天皇はマスコット」と

ツイッターで発言する女性タレントがいたりして、

情けない気持ちになっていた。

そんな中、この記事を読んでうれしくなった。

 戦後の教育では、日本の皇室が世界最古であり、

今上天皇まで男系で続いていることや、

天皇と日本の成り立ちとのかかわりを十分に教えてこなかった。

だから、天皇陛下を尊敬する人も減ってしまった。

 天皇皇后陛下は、いつも私たち国民の幸せを祈ってくださっている。

 天皇陛下や皇室を敬う人が増えるよう、

日本の宝である皇室について、学校でしっかりと教えてほしい。


2014年05月26日(月) やはり3

今日で追突事故をされてちょうど3か月になる。

今月いっぱいは病院で治療をしようと思っているが

首も脚もほぼ治ったと思う。

やはり、私にとって3という数字は

魔法の数字だ。

嫌なことや悲しいことが起きても

3という魔法の数字によって

私の心も体も不思議なもので

回復してきている。

心の面では完全ではないにしても

体は三か月が過ぎると

悪い箇所も段々良くなるという自信が出来た。

改めて3という数字の力を思う。

3分、30分、3時間

3日、3週間、30日

3か月、300日、3年・・・

3が付く数字毎に明るさが戻って来るのだ。

私の骨折も次の300日を過ぎたら

きっとどこを骨折したのだろう・・・と思うようになると思う。

3年も経ったらきれいさっぱり忘れているだろう。

その点

心が傷ついたことは

なかなか直りが悪いと思う。

3日や3週間ではまだまだ

3か月過ぎるとちょっとは違うかな。

300日経つと1年近いから

きっと嫌な気持ちも薄らぐだろう。

そして、3年経ったら

何を悩んでいたのだろう?と

自分で自分を笑ってしまうかもしれない。

やはり

私にとって3という数字は魔法の数字だ。


2014年05月25日(日) 目は大事

月曜日に老眼鏡のフレームが

突然ポキンと折れた。

エッツ!

何で?

今まで、メガネを踏んづけて

フレームが曲がってしまったことがある。

それを手で何とか直したが

今回、折れた方ではなかった。

だから、意外だった。

ああ〜〜どうしよう・・

残っているフレームを耳に掛けて

何とか新聞を読んではいたが

不自由で仕方なかった。

結局、メガネ屋さんに行き

新しくメガネを作った。

値段を出しただけ

フレームも軽いし質もデザインも良い。

レンズも良いものを選んだ。

メガネ屋さんに、老眼が進んでいない

年齢の割に目が若いと言われた。

目が若いということは体が若いということらしい。

お世辞ではなさそうだった。

素直に喜んだ。

昨日、出来上がったメガネを取りに行き

早速、かけて新聞や本を読んだ。

今までのメガネはフレームが少し曲がっていたし

掛けても、ずり落ちそうになるので

使い勝手が悪かった。

昨日出来上がってのはその点でも満足している。

近眼の人は老眼鏡は不要になるらしく

姉も裸眼で本を読んでいる。

羨ましい限りだ。

私はお天気が良くて明るい部屋でなら

裸眼で新聞や本が読める。

とても小さい文字はダメだが

何とか生活はできる。

でも、メガネがあった方が楽だし

かけるのは嫌いだけれど仕方ない。

目は大事だ。

これ以上、老眼が進まないようにしたい。

乱視もあるし、せめて遠目が見えるだけでも

残しておかなきゃ。


2014年05月24日(土) 大切なもの

私にとって大切なものは何だろう。

命よりも大切なものがある人は

とても幸せかもしれない。

自分の身をなげうって

一つのことに打ち込むことが出来る人

そんな人でない私から見ると

本当にいいなあって思う。

もしかして

私は本当に大切なものを

まだ探し求めているのかもしれない。

大切なものは何かあるはず

何処かにあるはず。

何が大事であっても

その人その人で違うものであっても

そういうものを見つけることが出来た人を

偉いなあと思う。

私にとって大切なもの。

本当にわからないのだ。

命、健康、夫、子供、アズキ、友人、お金・・・

どれも確かに大切なものだけれど

これ!というものがない。

そんな中途半端な私って

可哀そうな存在だなあって

つくづく思う。

あなたにとって大切なものは何?


2014年05月23日(金) 茶摘み体験

新緑が綺麗。

黄緑色の葉が目にまぶしい。

新茶の季節だ。

日本茶は大好きだ。

たまにはコーヒーも紅茶も飲むが

日本茶を飲むとほっとする。

茶摘みの経験はない。

一枚一枚お茶の葉を摘むのは大変だろう。

一度は茶摘み体験も良いと思い

日帰りバスツアーを申し込んだ。

茶摘み体験があるのだ。

上手く摘むことができるかどうかわからない。

でも、実際に茶摘みを体験したら

これから

お茶を飲む時に

お茶農家の人への感謝の気持ちが

強くなるに違いない。

何も生産しない私は

口にするものは全て買っている。

誰かの手で作られ

それが店に並ぶまで

どれだけの人の手が加わっているのだろう。

お米は88回の手間が要るという、

お茶はどうなのだろう。

新茶の季節に

そんなことを思う機会が出来て良かった。

日帰りバスツアーが催行してくれると良いが・・


2014年05月22日(木) 騙すということ

嘘をつく、それは人を騙すということだ。

だから、人道的にはしてはならないことだ。

でも、「嘘も方便」という言葉もある。

相手を傷つけることなく

事をスムーズに進める時には

ちょっとした嘘も許される。

でも

詐欺はダメだ。

どんな理由があろうともダメだ。

最近、多くなっている振り込め詐欺

決して引っかからないと思っている人でも

何かの時にその罠にかかることもある。

私の住む市でもお年寄りが1000万円近い被害にあったと聞く。

大体が一人暮らしのお年寄りが多い。

淋しい心や頼りない気持ちに付けこむとしたら

こんなにひどいことはない。

結婚詐欺も同じだ。

自分に劣等感を持っている人や

自信のない人で

結婚したいと思っている人が

ひっかかりやすい。

じゃあ、詐欺をする人がかっこ良い人かと言えば

大体がそうではない。

あまりにも美形だと

かえって不安を持たれるみたいで

ちょっと不細工系や太目系の

男や女が詐欺を働くことが多い。

結婚詐欺にあって

被害を訴える人の数は少ないみたいだ。

よほどの大金を取られ

裏切られ腹が立ち

その憤りを警察へ行き訴える人は別として

結婚詐欺にあったと

家族、親せき、友人に知られたくないと

届ない人も多くいるという。

そんな結婚詐欺をテーマにした映画

「夢売るふたり」を見た。

松たかこと阿部サダオが主人公で

何とも言えない味のある映画だった。

これを見て思った。

やはり人を騙すのはいけないと。

そして

騙されないようにしようと。

私の心のちょっと弱いところに

付けこまれると

ふらふらと行ってしまいそうだが

お金が絡むと私も結構シビアになれる。

だから、恋愛と結婚詐欺は違うということだ。

ああ〜それにしても

今も何処かで詐欺にあい

泣いている人がいるのだろうな・・・


2014年05月21日(水) 必要なもの

「人生に無駄なものは何ひとつない」

そんな言葉を聞いたことがある。

ということは

人生で出会って

嫌な思いをしたことも

その人も

私には必要だったことであり

人であるのだ。

今の私がこうして存在しているのは

勿論

父と母がこの世に私を送り出してくれたのだけれど

それもまた意味のあることなのだ。

そして、色々な出会いを経験し

病気もいっぱいして

それでも、生きていることに

出会ったことや人たちへの

感謝を持っている。

前に3という数字のことを書いた。

3毎の区切りが来るたびに

それが、私にとって必要なことか

必要な人なのかを考えて行けば

自ずから淘汰されていくことも

60年生きてきた中でわかってきた。

私にとって必要ではないと思う人も居る。

でも

その人との色んなことを思う時

それもまた意味のあることだったのだと思う。

人生の区切りで考え

一歩一歩進もう。

そして

今後の人生は

自分にとって楽であり

相手にとっても楽なものにしたい。

必要かそうでないかを

見極めるのも

年を取った意味の一つなのかもしれない。

追加

今日のアズキのURLが下記に変わりました。

よろしくお願いします。

http://ameblo.jp/cutenao104/


2014年05月20日(火) 臆病だから

私は結構強気に思われるが

実際はとても臆病な人間だ。

何故、強気に思われるか考えると

自分の弱さを見せたくないという思いがあるのかもしれない。

根は小心者でくよくよするタイプで

なにかあるとそればかり考えて

悩んで夜も眠れなくなって

食欲もなくなり

部屋の片隅で膝を立てて座っているタイプだ。

それに加えて

賭け事的なことが嫌いだ。

宝くじさえ買えない人だ。

そんな私が

銀行さんから投資信託を勧められた。

即断らなかったのは

金利がゼロに等しい昨今、

ちょっとでも現金として

手に入ると聞き

心が揺れているのだ。

本来は、こういった話には乗らない。

増えなくても元本が減らない

銀行貯金が一番だと思っている。

友人の中には株や投資信託をしている人もいる。

正直、えらいなあと思っている。

そんな私が勧められたとは言え

考えているなんておかしい。

やはり断るべきなのだろう。

臆病な私なのだから・・・


2014年05月19日(月) 雑草のように

この間から、裏の芝生と花壇の雑草に悩まされている。

もともと、父が掃除好きで

芝生に一本でも草が生えるとすぐに引いていて

いつも青々とした芝生だった。

父が8年前に亡くなり

母もしばらくの間は

私が止めても、芝生の草抜きをしていた。

でも、

腰が悪く段々それもできなくなり

市のシルバーセンターへ草抜きを申込み

一年に何回か雑草を引いてもらっていた。

姉や私も時々は手伝うこともあったが

母の病気が悪くなり

介護で草抜きの時間もなくなり

青々として綺麗だった芝生も

段々と色も変わり雑草も生えて来て

様変わりしてしまった。

そして

4年前に母が亡くなり

私が住むようになったものの

庭いじりや草抜きが大の苦手な私にとって

雑草との闘いは疲れて根をあげてしまうようになった。

綺麗な花を咲かせる雑草もあるが

大抵は葉っぱが主で憎らしいくらい

元気の良い雑草が多い。

肥料も水もやらないのに

何であんなに元気なのか?

その生命力の逞しさには感動さえ覚える。

人間も温室の中でぬくぬくと育てられた人より

苦しいことや悲しいことを体験し

心身共に強く生きる人が人生では勝利する。

私はどちらかと言えば

温室育ちの花だ。

だから、何かあったらすぐにめげてしまう。

なにくそという気持ちが持てない。

もうだめだと思ってしまう。

同じ人生、明るく笑って暮らしたいと思うなら

雑草のような逞しさが必要なのかもしれない。

そんなことに気が付いたのは

母が亡くなって誰も私を助けてくれないと

実感した時だ。

あれから4年、

私も少しは逞しくなったかもしれない。

踏みつけられてもまた頭を出して

葉を茂らせる雑草を見習おう。


2014年05月18日(日)

夢って、心や頭の中で

思ったり考えたりしていることと

全く関係ないことを見るのだろうか。

ああ、ここで言う夢とは

将来何になりたいとか

あれをしたいとかと言った夢ではなく

誰でもが夜寝ている間に見る夢のことだ。

今朝は目覚めが悪かった。

胸がドキドキして目が覚めた。

そして、しばらくの間動かずに

頭の中でさっきまで見ていた

夢を反芻していた。

もし、現実となったら

こんなにショックなんだと

改めて思った。

その夢は

夫と付き合っていた頃のことだ。

30年近く前のことだから

何で今頃になってあんな夢を見たのだろう。

夫と私は6年とちょっと付き合った。

私が27歳から33歳までの間だ。

夫はまだ大学生だった。

5歳年上の私は夫と出会った時

きっと結婚するだろうと思った。

長く付き合っていると

色々なことがあった。

もうダメになりそうな時もあった。

だから、今朝の夢となったのかもしれない。

その夢とは

付き合っていて喧嘩をしたわけでもないのに

ある日

夫から、「今までのことはなかったことにしてほしい」

「二度と電話をしないでほしい」

「僕は結婚することにした」と言われたのだ。

私は返す言葉もなく

絶句・・・

嘘だろう!と思うと不整脈が起き

動悸が激しくなり

立っていられないくらい動揺してしまった。

夫が私のそばにいてくれることが

私にとって当たり前のことになっていたから

別れを切り出されるなんて思ってもみなかった。

夫がいかに私にとって大切な人だったか?

痛いほどわかった。

現実ではない。

私の夢の中の出来事だ。

でも

起きた後でしばらくの間

頭の中をよぎっていたのは

私には執着する気持ちが強くあるのだということ。

本当に夫を失いたくないと思ったのか?

失いたくないのは何故か?

夫のことを心から大事だと思い

愛しているのか?

結論を出すのはやめた。

勿論、夫に私の夢の話はしていない。

私の心の中にしまって置こう。

ああ〜本当に夢でよかった!


2014年05月17日(土) 掲載

先週の土曜日に、姉の教室の絵手紙展と

知り合いの水琴窟展を見に行った。

その時の感想を地元の新聞に投稿していたら

今日掲載された。

「イベントに心癒され感謝」

五月晴れの土曜の午後、薫る風に誘われて、

松前町の「七草」へ「心和むアート水琴窟展」

「粋でお洒落な和洋装小物展」

「心と心を繋ぐ絵手紙展」を見に行って来た。

期せずして12日付けの本紙に、

卓上水琴窟と絵手紙展の人たちを紹介している記事を見た。

初日はオープニングコンサートがあり、

民族楽器と沖縄民謡を楽しむことが出来た。

沖縄民謡の歌詞は私には分からなかったが、

言葉の意味を説明してくれたので、

目を瞑って聞いていると涙が出そうになった。

沖縄の言葉で沖縄民謡を歌っているのを聞いたのは

今回で二回目だ。

独特の節回しや抑揚に何とも言えない懐かしさを感じ、

体調が優れなかった私の心と体を癒してくれた。

水琴窟の音色と民族楽器のコラボ演奏も

とても合っていて日本の心を感じた。

たくさんの絵手紙のやさしいお花の絵と、

添えられた言葉に元気をもらった。

心を癒し和ませてくれたひとときを

持てたことに心から感謝している。


2014年05月16日(金) やはり・・・

ムチうちの症状も改善してきた。

骨折も新しい骨が出て来て

まだ走れないにしても

大分良くなってきた。

相手の保険会社から電話があり

治療を今月いっぱいで一応やめるということになった。

熱が出たり頭が痛かったりしたのも

最近は全くなく、

それだけでも随分元気になった気がする。

ただ、心臓の方が今ひとつだ。

もらっているテープを貼るのをやめると

胸が押さえつけられるような不快な症状が出る。

やはり、貼るのをやめたらダメみたいだ。

さっきは急に胸が押さえつけられるような感じがして

とてもしんどくなったので

ニトロを舐めた。

10分くらいして楽になった。

やはり、狭心症なのだろうか。

今月の末には再度病院へ行き

心電図を撮ることになっている。

もし

その時に前と同じ波長だったら

入院して詳しく調べるかもしれない。

それは、医者が決めることだから

私が気にするのはやめよう。

ニトロを舐めたら胸の苦しさは消えるが

脳が中から外へ凄い力で

押し広げられるような感じになり

とても不快になってくる。

これも仕方ないことなのだろう。

ある程度の無理は良いが

決して発作が出るような無理をするのはやめよう。


2014年05月15日(木) 自分の心に素直に

人の心は変わる。

昔の私は、一度こうだと決めたら

どんなことがあっても貫くのが本当だと思っていた。

だから、

一度好きになった人は

状況が変化し

相手の気持ちも変わるのに

それを理解せず、自分の一途な気持ちだけを

押し付けていたような気がする。

人の気持ちは、自分ではどうしようもないと

気づいた時、私は病気になった。

そして、あれから40年が過ぎ

人生、自分の思うとおりにはならないことや

人の気持ちは変わるのが当たり前だということに

やっと気付くことが出来た。

そして

私自身も、一度こうだと決めていたとしても

また、変わることもあり

変わったことで人に批判されようとも

自分の気持ちに素直になりたいと思うようになった。

それが

たとえ、他人を振り回すことになったとしても

目的が私欲ではない限り

それもまた許されると思う。

理不尽なやり方を取る人も

それはその人のやり方であって

私が悪いのではなく

その人のしたいようにさせれば良いと思う。

ただ、相手に危害を与えるとか

自分に危害を与えることはダメだけれど

そうでない限り、思うことや考えは自由なのだ。

だから

私もたとえ、誰かに何を言われても

自分の心に素直になりたいと思う。


2014年05月14日(水) 偶然と必然

人生に偶然はないという。

誰かと何処かで出会うのも

必然だというのだ。

もし、日が違っていたら

同じ日でも時間がずれていたら

会うことのない人に

出会うということは

会うべくして会ったということなのだ。

私も62年生きて来て

色々な出会いと別れを経験した。

両親の元に生まれ

二歳上の姉が居て

祖母が居て

その人たちと出会ったのも

初めからわかっていたことなのかもしれない。

中には、出会いそのものを

出会った相手を悔やむことがある。

でも、考えてみたら

必然だったのなら

嫌な人と出会ったことにも

私の人生において何か意味のあることなのだろう。

だから

嫌な思いや悲しい気持ちになったことを

恨みたくない。

反対に、私にとって大切な友人に出会ったことは

人生において貴重なまさに宝ものだと思う。

人は一人では生きていけない。

生かされている以上、誰かのお世話になっているのだ。

出会ったことが

お互いに喜びであり支えとなったら

こんなに幸せなことはない。

友人だけではない。

夫となる人との出会いは

もっと意味のある出会いに思える。

夫と出会ったのも初めは偶然だと思っていた。

もし、夫が私の右隣のひとつ向こうに座っていなければ

結婚もしていないし

当然、娘も生まれていない。

右隣の人が欠席して空席になっていたのは

神様が私に夫と出会わせるためのものだったのかもしれない。

そんなことを考えていると

全てに意味があり偶然のものはないのだと思う。

只、ちょっと考えるのは

例えば、大きな事故にあって命を落とした人は

その事故にあったことが

偶然ではなく必然だったと思えるだろうかと。

もし

殺人事件の被害者になった人は

自分が犯人と出会い殺されたことが

これもまた必然なのだから仕方ないと思えるだろうか。

否、思えないと思う。

一つの命の誕生は色んな出会いを

その遺伝子の中に組み込んでの誕生なのだろうか。

悪い病気になるのも

何歳ころに何の病気になるということが

遺伝子に初めから組み込まれているという話を聞いたことがある。

それなら

どんなに食生活や健康維持に気をつけていても

決められている時に病気になるということから

逃げられないのではないか?

それなら何を頑張っても無駄ではないか?

飛躍した思いになってしまった。

でも

人と人との出会いは

必然だと思う。

そして、感謝しないといけないと思う。


2014年05月13日(火) 男と女の友情

前々から思っていることがある。

それは、男と女の間の友情は成立するか?ということだ。

私は、皆無だと思っている。

それは、私の体験でもあり

一般の常識だと思うから。

私が男の人を見て良いなあと思ったり

好きになったりすると

それは、人間としてではなく

男として見ているから

いつも恋愛対象にしてしまうのだ。

相手が自分のことをどう思うかは

直観でわかる。

私が好きになるとほとんどの人が好きになってくれた。

勿論、芸能人とか手の届かない人は別だが。

そんなわけで

たとえ幼馴染でも男の人への思いは

恋愛に発展してしまう。

私が異常なのか?

男女間の友情は成立するのかもしれない。

昨日、借りて来て見た映画「近距離恋愛」は

私の疑問への回答をしてくれるかもしれないと

違う意味で期待して観た。

結局、成立はしなかった。

一人の男と女がひょんなことから

知り合い、自己紹介して

その後10年にわたって親友となった。

男女の関係はなかったと思う。

男は女に対して自分が好きだ

という感情に気がついていなかった。

女が6週間違うところへ行くことがあり

それまで当たり前のこととして

お茶をしたり話したり遊んだりしていたことが

違う女としても面白くなく

そこで、初めて彼女の存在が

自分にとって大切で掛け替えのないものだったと気づいた。

女は行ったところで一人の男と出会い

恋に落ち(と思っていた)結婚することになる。

男は結婚の手伝いや女の気持ちを知るにつれて

どんなことがあっても

自分の元に取り戻そうと決心し

最後は結婚式に乗り込んで阻止することが出来た。

そして、二人は結婚することになった。

やはり、友情だけでは済まないのだと思う。

それが世の習いなのだ。

でないと子孫は増えない。

男と女の間には

友情ではなく恋愛感情が存在するのだと

改めて思った。


2014年05月12日(月) こちらの思いとあちらの思い

人はたとえ、双子でも違う人だ。

親子でも同じことが言える。

他人は尚更のこと。

こちらが悪意など全くなく

なにか言ったりしたりした時、

相手の受け取り方で

こちらの思いと全く違う思いを持たれて

結果的に仲たがいをすることがある。

これは言葉の上っ面だけを見て

言った人の真意をくみ取っていないということだ。

言った人の立場に立ってみて

状況把握して、考えてみて初めて

相手の思いを理解できる。

でも

その時には、時すでに遅しで

取り返しのつかないことになる可能性もある。

人間関係って本当にややこしい。

難しいものだ。

こんな時は相手の気が済むように

一旦謝ればいいという人もいる。

それで済むなら簡単だ。

謝ることは自分の非を認めることになるから

自分が正しいと思う時は

なかなか頭を下げられない。

私の周りでそんな出来事が二件起きた。

どちらも、私にとったらどうでも良いことではなく

何とか、相手に分かってもらいたいと思う案件だ。

でも考えた。

言い訳を言いたくないし

説明をするのも面倒くさくなった。

いつかはわかってもらえるだろう。

それまでは、距離を取り、

ことが落ち着くまで待っているに限る。

こっちの思いとあったの思いは同じではない。


2014年05月11日(日) 母の日

今日は5月第二日曜日母の日だ。

そして、今日は3年半前に亡くなった

私の母の誕生日だ。

生きていれば今日で93歳になる。

93歳の母はどんなになっていただろう。

癌にならなければまだ生きていたに違いない。

でも、腰や膝が悪かったから

歩くのに難儀していたかもしれない。

たとえ、車いすの生活になっていたとしても

母には生きていてほしかった。

もし、生きていてそれなりに元気だったら

私は母と一緒の時間をいっぱい作っていただろう。

生きていたころでも

何処へ行くのも二人一緒だった。

買い物も食事も遊びに行くのも。

母が居てくれたら誰もいなくてよかった。

だから

私には遊び友達が居ない。

親友は居るが

ちょっと話たち買い物に一緒に行ったり

ランチをする友達が居ないのだ。

いつも一人で買い物に行く。

前は母と一緒に行っていた店へ行けなかった。

行くと、母のことを思い出し

ああ〜こんなことがあったなあ・・・と思うと

涙が出てきた。

だから、母が亡くなってから

高島屋へは行かなくなった。

用事がある時だけ行くが一年に数えるほどになってしまった。

そんな母の誕生日には好物の牡丹餅を供えよう。

美味しいと言って食べてくれるだろうか。

夫の母にはピンク系のカーディーガンを買っている。

渡しに行こうと思っている。

そして、義母の好物のパスタの店へ

ランチに連れて行ってあげようと思っている。

勿論、夫と三人で。

せめてもの母の日の私たちの気持ちだ。

義母は85歳になっている。

今は元気で一人で住んでいるが

いずれもっと年を取ったら

介護が必要になるだろう。

先のことを思い煩うのはやめよう、

今、してあげられることをしよう。

亡き母の分まで親孝行しないと。


2014年05月10日(土) 長い一日

朝、4時前に起床する私にとって

今のこの時間、20時は眠りたい時間だ。

でも、20時に寝たら

きっと朝早く、夜中に目覚めそうで

それも嫌だから

結局23時くらいまで起きている。

ということは

睡眠時間はほぼ5時間ということになる。

ガンにならない睡眠時間は

7時間だと聞いたことがある。

4時起床なら21時に寝たら

ちょうど7時間睡眠だ。

だからかな・・・

20時から21時ころが一番眠いのは。

今日は夫が休みだったから

夕食は18時にできた。

でも、普段は20時過ぎに帰宅するので

それからお風呂・食事・洗濯となり

寝るのは早くても23時ころになってしまう。

考えたら4時から今の時間まで

一睡もしていない。

今日は体を横にもしていない。

忙しい一日、長い一日だった。

明日は日曜日

ちょっと朝寝をしてみたい気がするけど

アズキの散歩を4時40分頃にするためには

やはり4時起床しないといけない。

そうだ

だから、今日も整形でリハビリをしている時

気持ちが良くてうとうとしそうだったのだ。

体が睡眠を欲しているのだ。

体に素直になりたいな。


2014年05月09日(金) 3という数字の続き

前に3という数字についてつぶやいたことがある。

私にとって3という数字は魔法の数字だ。

嫌なことがあって落ち込みそうになった時

3時間、3日、3週間、3年・・・

これにプラスして改めて3についてつぶやきたい。

3分

3時間

3日

3週間

3か月

300日

3年

30年を。

私の経験では

この中で一番辛かったのは

3週間だ。

何故なら

3日はすぐに日が経つ。

でも、3週間の長かったこと!

3週間が過ぎれば

3か月はアッという間だった。

300日と言えば一年に近い。

この頃になると忘れている方が多くなる。

3週間までは、何かの時にそのことに囚われて

何もできなくなることが多かった。

母が亡くなって3年過ぎた。

大分、私の中で母のことが

もう居ないのだという認識が出来て来ている。

これからも、何かがあったら

3という魔法の数字を思い出そう。

昨日の夫の三か月に一度の検査は

変わりなしという結果だった、

次回は8月だ。

夫の診察も三か月ごと。

これは偶然かな?

やはり、3という数字だ。

なんて考えながら

自己満足している私だ。




2014年05月08日(木) 気温の差

一昨日は5月にしては肌寒かった。

昨日も予想気温よりも体感気温の方が低かった気がする。

今日は、こちらの最高気温は26度まで上がるらしい。

朝と日中の気温の差があるから

朝着ているものを日中には着替えなくてはならない。

今日は、三か月振りの夫の病院の再診の日だ。

エコーの予定。

もうする出かける。

夫は今朝の気温で服がちょっと厚めだが

大丈夫だろうか。

私はさっきから何度も着替えている。

下着を薄手のものにして

上着を脱ぎ着できるものにしよう。

こんなに気温の差があったら

体がついていけない。

風邪をひくひともいるだろう。

娘は明日からフランスへ行く予定だ。

この間、電話で風邪をひいてとてもしんどそうだった。

娘の体調も心配だ。

フランスの気温って日本とどんなに違うのかな?

家に居たら自由に着替えもできるが

一旦外に出たらそうもいかない。

今日も汗ばむ陽気になるとしたら

今、着ている服では暑いかもしれない。

病院は冷暖房をしない状態だろうから

もしかして蒸し暑いかもしれない。

私は暑いのが苦手だ。

まだ、ちょっと肌寒い方が良い。

何とか、気温の差が激しくならないことを祈るばかりだ。

そして

夫の体調に変わりがないことを心から願っている。


2014年05月07日(水) 渡辺淳一さんの訃報

一昨日、作家の渡辺淳一さんが亡くなっていたことを知った。

亡くなったのは、先月30日だったとか。

前立腺がんを患っていて自宅で亡くなっていた。

80歳。

私は渡辺さんの作品を通じてのファンだった。

作品の多くを読んでいる。

ちょっとエロ的だと思うが

人間の本能を描いているし

美しい描き方をしていて

女性のファンは多いと思う。

最後の作品となった「愛ふたたび」はまだ読んでいない。

だから、早速取り寄せることにした。

あらすじは紹介されているが

実際の老人の性について

どのような描き方をしているかに興味がある。

人間、きれいごとを言っていても

本能に反して生きることはできない。

食べることも寝ることも性も

全て生きていくうえで必要なことだと思う。

最後の作品は

渡辺さんが、前立腺がんになり

性的不能となったことで

また違う女性を愛する愛し方があると

描こうと思ったのではないだろうか。

「四季・奈津子」

「阿寒に立つ」

「失楽園」

「愛の流刑地」

「シャトウルージュ」

「無影燈」

「雲の階段」

「花埋み」

「光と影」

「化身」

・・・・

読んだ作品はまだまだある。

書けばきりがない。

彼が医師として現場を知りつくしているから

書いていることが嘘っぱちでなく

また、性愛を描くだけではなく

女性の心理を追及し

優しく見つめている姿が好きだった。

男性の心理も同時に描くことによって

私自身、男性心理を学ぶこともできた。

「鈍感力」という作品では

人間としての生き方を教えてくれた。

本当に惜しい人を亡くしたと思う。

もう新しい渡辺作品を読むことが出来ないと思うと寂しい。

これから、再度彼の作品を読んでみたいと思う。

心からご冥福をお祈りいたします。

合掌



2014年05月06日(火) しんどい

昨日は一日しんどかった。

これと言ってしたことはないのだけれど、

何故かしんどくて仕方なかった。

午前中は雨、

買い物に行って結構重い荷物は持ったが

買い物以外はいつもの食事の支度と掃除だけ。

お昼ご飯を済ませて

午後3時過ぎまで寝ていた。

体を休めることはできたが

やはり疲れは残っている。

午前中降った雨が上がったので

アズキの散歩に行こうと歩き出したところで

いつもの胸が苦しくなった。

ニトロを持って出ていなかったので

散歩から帰って舐めた。

少し楽になった。

やはり、本当に体調は戻ってないのだろう。

首や脚は大分よくなったから

もう治療に行かなくても大丈夫だと思う。

でも、

心臓の方は安心してはダメなんだなあと思った。

夫が仕事を休んでいるので

晩御飯も定時に食べることができたし

19時には台所も綺麗に片付いた。

後はゆっくりする時間のみ、

テレビを見ようと思ったが

21時頃になんだかしんどくて

そのまま寝てしまった。

何かだらだらした生活で

本来の私の生活とは違う。

いつまでもこんな調子ではダメだと思う反面

今までが忙しかったのだから

ここらでゆっくりしようかとも思う。

今日は振替休日。

休みがこう続くと

夫の食事の世話で正直疲れる。

元気な時でもちょっと億劫になることもあったが

昨日、今日の調子では

夫が仕事に行って留守の方が楽だ。

こんなことを言っては悪いけど・・・

本当ならどこか新緑を見に行きたいとも思うが

今日も一日家に居るだろう。

ああ〜気分的にもしんどいな。




2014年05月05日(月) 雨の子供の日

今日は「子供の日」祝日だ。

でも、生憎の雨。

昨日までの快晴の連休とは違う

なんだか肌寒い「子供の日」となった。

雨の日は国旗掲揚はできない。

雨が上がったら出そう。

「子供の日」に思うことは

未来の日本を背負って立つであろう

今の子供たちが

大人になった時

どんな日本になっているだろうということだ。

もっともっと便利な世の中になっているかもしれない。

でも、安心して暮らせて行ける日本になっているだろうか。

私にはそれを見届けることが出来ない。

長生きしたとしても後20年そこそこしか生きられない。

娘が結婚して子供を産んで

その子供が二十歳になるまで

生きていられるかどうかわからない。

孫の顔を見るのはまだ先のこと。

30年生きていれば見えるかもしれない。

そんなことを考えていると

今、こうして生きている私たち大人が

日本に生まれて来てよかったと

子供たちが思える国にしないといけないのだなあと

いう気持ちを新たにした。

子供たちには果てしない未来がある。

その未来が明るいものであってほしい。

今朝は東京で地震が起きた。

朝方で皆まだ寝ていただろう。

直下型地震ではないと専門家は言っていたが

首都直下型地震がいつ起きるかどうかわからない。

それに備えることも大事だ。

子供たちが日本に生まれてよかったと

思える日本にしたい。

何をすればいいのか?

はっきりとした言葉が出ないが

生活安全だけを目指すのではなく

自分の国を自分で守ることが出来る

当たり前の国にしないといけない。

「子供の日」には日本の未来も考える必要がある。


2014年05月04日(日) 五月晴

昨日の憲法記念日も

今日のみどりの日も

とてもいいお天気だ。

昭和の日も快晴で気持ちがよかった。

朝、日が昇ると国旗掲揚をした。

日の丸が青い空の下

美しい。

こんな日はどこか山へでも行ったらいいだろうな。

「みどりの日」の名のように

新緑が目にしみる良い季節だ。

まさに五月晴。

でも

今朝は寒かった。

4時に起きてアズキの散歩を5時前にしたのだが

一枚余分に羽織っても肌寒かった。

散歩から帰ってファンヒーターをつけた。

もうしまわないといけないと思いながら

まだ部屋の片隅に置かれている。

朝晩、ちょっと肌寒い時にスイッチオンにする。

日中は24度まで上がるらしい。

半袖でも良いかもしれない。

ああ〜どこかへ行ってみたいな・・・

でも、衣替えもまだ終わっていない。

私の分はほとんどし終えたが

夫の分を放ったままだ。

冬のフリースや厚手のものがかかっている。

衣替えは苦手というか嫌いな家事だ。

一年に何回か入れ替えをしないといけないのが

とても疲れる。

五月晴の日に衣替えもなんだかなあ・・

今日でなくてもまあいいか!


2014年05月03日(土) 筍料理

今年は、筍が豊作だったのだろうか。

近所の人や姉、義母から

何度も筍をもらった。

皆、ゆがいてくれているから

後は料理をしたらいいだけになっている。

有難い。

筍は、亡き母の大好物で

この季節になると

掘りたての筍を求めて

色々な店を見て自分が納得した筍を買っていた。

母が言うには、筍の姿が見えたらもう遅い。

竹林で土がこんもりと盛り上がっているところを

堀った筍が一番おいしいと。

生で食べられるくらい柔らかいとも言っていた。

そんな母の言葉を思い出しながら

いただいた筍を料理するのだが

私のレパートリーは少なくて

若竹汁、筍の煮つけ、らいしかしていない。

この間はおでんに筍を入れた。

昨日もらった筍は柔らかいとのこと。

さあ何を作ろうか。

筍ごはん、筍の木の芽和えもどきの酢味噌和えはどうだろう。

筍の天ぷらも食べたいけど

夫が油ものは食べないのでパス。

筍の煮物も炊いて

今日は筍づくしとしようか。

季節のものだから、今食べないと季節感もなくなる。

エンドウも同じだ。

昨年の春にエンドウ豆をいっぱいもらって

冷凍したのは良いけれど

あまりにも長い間冷凍していたので

この間豆ごはんを炊いたけれど

風味が消えていてダメだった。

やはり、冷凍するよりも

賞味期間ないに食べるのが一番いい。

さて、今から筍料理をしてこよう。


2014年05月02日(金) アズキ

今日はひと月に一回のアズキのトリミングの日だった。

私のカット代よりも高いが

アズキが短くサマーカットをしてもらって

とても可愛いくなるのを見ると

お金には代えられないと思う。

今日はトリミングだけではなく

一年に一回の狂犬病の予防接種に

フィラリア検査と薬を塗ってもらった。

料金は一万円を超した。

でも、アズキは本当に可愛い。

親ばかかもしれないが

愛嬌はあるし人が大好きで

誰にでも嬉しそうに寄っていく。

たまに気が合わない犬や人も居るが

その数は少ないから

アズキは近所や散歩道のアイドルだ。

今日も病院で待つ間

三人のほかの犬の飼い主に

一人ひとり寄って行って嬉しそうにしていた。

どんな人でも、犬が大嫌いな人は別にして

小さな可愛い犬が嬉しそうに寄ってきたら

嫌な気持ちにはならないと思う。

頭をなでなでしてもらった。

飼い主の私としては

嬉しいけど、私でなくてもいいのかな・・と思うと

なんとなく淋しい気持ちにもなる。

でも、やはり嬉しい。

こんなアズキを見ていると

飼い主が犬や猫を虐待することが想像できない。

昨夜のテレビに

三本足の犬のことが出ていた。

飼い主が犬を線路に固定して

電車にわざと轢かしたみたいだった。

信じられない。

どうしてそんなむごいことができるのだろう。

飼い主を信じている犬にとって

残酷なことだ。

余計にアズキを大事にしてやろうと思った。

アズキは三歳半。

後13年くらい生きられると知った。

アズキが亡くなるのを想像もできないし

年を取って弱っている姿も頭に浮かんでこない。

でも、確実にその日は来る。

だから、アズキの最期を看取ってやるためにも

私が先に死んだりしないように

元気でいなくっちゃと思う。

アズキは今、私にとって子供と同じくらい大事な存在だ。

アズキの居ない暮らしは考えられなくなっている。

それだけ、ペットって人の心を癒してくれるのだなあ。

アズキ!元気で遊ぼうね。

アズキ大好き!


2014年05月01日(木) 泣けた映画その2

昨日に引き続いて

借りてきたDVDの話。

昨日は、「奇跡のリンゴ」を見た。

これは、映画館で上映されていた時に

見たいと思っていた映画だ。

実話を元にした作品だそうだ。

主人公は私と大体同い年の男性

阿部サダオが演じている。

妻役がまた良い。

菅野美穂だ。

そして

津軽弁での会話がまたよかった。

それにしても

無農薬のりんごを生み出すために

こんなに苦労したとは

改めて無農薬栽培がいかに難しいかを知った。

途中でお金も無くなり

村八分にもされ

精神的にもおかしくなっていったのも

仕方ないと思う。

私は花を育てるのが苦手だ。

花は見て楽しむが自分の手で世話をしない。

だから

野菜やお米や果物を作る

農業をしている人を尊敬している。

種から実はすぐにはできない。

お米なら88回の手がかかるという。

果物の中でもりんごの栽培は特に大変だそうだ。

無農薬栽培をしようと決心してから

月日は10年以上経っている。

その間、彼を支え続け

励まし続け

苦労を共にしてきた妻ってすごいと思う。

そして

娘たちの父へのリンゴへの思いも強いものがあった。

彼がいかに熱心だったとしても

一人の力で無農薬のリンゴを作ることはできないだろう。

そこには

家族の愛、近所や友人の理解が必要だ。

最後に真っ白いリンゴの花が咲き

それを見た近所の人たちが

彼を見直していったところは感動だ。

小さな真っ赤なリンゴは

彼の血と涙の結晶と言っても過言ではないだろう。

私は、悲しいかな

無農薬のりんごを食べたことがない。

きっと甘いのだろうなと思う。

これからは

口にするものがいかに人々の手を経て

やってきたかを思わねばならないと思う。

役者も最適だったのだろう。

犬の映画もリンゴの映画も

感動した良い映画だった。

映画の力って人の心を動かす力だ。

私も頑張ろう。


スカーレット