スカーレットの心のつぶやき
つぶやき 目次過去未来


2014年04月30日(水) 泣けた映画

この最近、家に居て休んでいる時間が多くなり

家事も根を詰めてしないようにしているので

暇というか時間が余ってしまう。

今までの私なら自分で仕事を作って

じっと座っている時間などほとんどなかった。

でも、事故以来の体調不良で

心身共に休める必要があると自覚するようになり

数日前にDVDを借りて来て見ている。

三枚借りた中で

初めに見たのが「ひまわりと子犬の七日間」だった。

堺正人が主演している。

犬の映画は昔は見なかった。

興味も関心もなかった。

アズキを飼いはじめて

犬がテレビや本や雑誌やネットに出てくると

ついつい見入ってしまう。

この映画は後で名づけられるひまわりという犬の

ほぼ一生に近い映画だ。

あらすじをここに書いても仕方ない。

興味のある人は見てほしい。

ただ、母犬のわが子に対する愛情の深さに感動した。

それと、保健所での犬を殺処分する制度に疑問を持った。

捨て犬が野良犬になり捕獲されたり

飼い犬でも飼い主が年を取って飼えなくなり

保健所に犬を預け

七日間の間に次の飼い主が見つからない場合は

可哀そうだけれど殺処分してしまうのだ。

ガスで殺してしまう。

犬は死ぬ前にえさをたっぷりもらう。

でも、自分がどうなるかわかるのだろう

怯えた顔をして悲しそうな鳴き声をあげていた。

殺処分する職員を堺正人が演じていたのだが

その気持ちをとてもうまく演技していた。

結論はこの母犬も子犬も

堺が貰い受け幸せに生きていけるようになって

いわば、ハッピーエンドの作品になっている。

このひまわりが生まれてから野良犬になる経緯

野良犬になり子供を産み

子犬と共に捕獲され収監される。

そこでは人間を憎み威嚇する姿があった。

母親としてわが子と引き裂かれることに

抵抗していたのだ。

人間社会では

親が子供を捨てたり殺してしまうこともある。

犬にはそれがないのだ。

本能といえばそうだけれど

人間にも同じ母性本能がある。

この映画を見ていて

アズキが無性に愛おしくなった。

だから、アズキを抱っこしてみていた。

アズキは幸せよねと言葉かけしながら。

でも、考えたら

アズキはひと月くらいで母犬から引き離されている。

私の家に来たのが二か月の時だ。

その前からペットショップで売られていたのだから

生後間もなく店にいたのだろう。

アズキのお母さんは私だ。

だから

私はアズキを看取るまで元気でいないといけない。

犬を飼いはじめたのだから責任は最期まである。

この映画を見ていろいろなことを考えた。



2014年04月29日(火) 元気になりつつある私?

この間から少しずつ体調が良くなっている気がしている。

骨折もむちうちも二か月が過ぎたから

自然に良くなっているのだろう。

心臓の方も入院しないでなんとか済みそうな気がする。

明日はその心臓の病院の再診の日だ。

医者に、今の私の気持ちを話して

入院を見合わせてもらおうと思う。

これは、ストレスが減って来たのと

もらったニトロやテープのおかげかもしれない。

まだ本調子ではないのは確かだけれど

寝込むことが少なくなった。

それにつれて気力も出てきつつある。

今日の昭和の日の国旗掲揚に対する気持ちが

前のように湧いてきているのだから。

おかしいと笑われるかもしれない。

代表としての活動はしないが

別の会を作り

たとえば「日の丸を掲げましょう」会のような会だ。

そして、

脚も治ったら日の丸行進もしたいなんて

思い始めている。

一緒に歩いてくれる人は

居ないかもしれない。

それでも良いと思う。

一人からでもまた始めたい。

こんな風に思える日が来るなんて。

まあ、決めてはしないでおこう。

またいつどんなに体調が悪くなって

気持ちも弱くなるかわからないのだから。

元気になりつつある私?というところだ。


2014年04月28日(月) よく食べた

昨日は昼も夜もお腹いっぱい食べた。

こんなに食べるなんて自分でも不思議だ。

体調が良いというわけではないが

昼も夜もお腹が空いたのは確かだ。

お腹が空くということは

体調が良いということか!

そうだな、ひと月前までは

食欲もあまりなかった。

私の場合は、食欲は体というより気持ちに影響される。

会の代表を辞任すると決め

今は、まだ決まってはないが

今後は私の手から離れることは確かだ。

それに

今まで関わって来た人の中で

どうしても関わりを持たずにいきたいと思っていた人と

これで完全に切れることが

私の心を安定させたのかもしれない。

現時点ではまだ私が前のまま代表として存在している。

でも、来月に入れば今後のことがはっきりする。

今度こそ、何もかもから離れることが可能になる。

確かに、淋しさや後悔の気持ちが出てくるかもしれない。

それは仕方ないことだ。

でも

これでよかったと思うに違いない。

私に残された道は一つだ。

自分自身が生きていく道が

平凡でも良いから楽しく明るい道になりたい。

そのためには今までのいろいろと心を煩わせていたことから

離れることが一番だ。

そう思ったとたんに吹っ切れたというか

気持ちが楽になった。

だからこそ

昨日もよく食べたのだと思う。

必ず残していた私が

昼のチャーハン・サラダ・スープも

夜のそば吉での食事も完食したのだ。

これってすごいことだ。

これからも元気で居るためには

まずは体つくりからだ。

食べることが体の元になる。

これからは私自身のため

将来、娘の子供が出来た時

孫の未来のためにも

元気で居なくっちゃ。

一日も早く今のこの体調から脱して

元気で遊びに行こうと思うような

健全な心身を取り戻そう。

そういう意味で

昨日は昼も夜もお腹いっぱい食べたのかもしれない。

とにかく昼ごはんも晩御飯も美味しかった。


2014年04月27日(日) 3という数字

昔、誰かに言われたことがある。

なにか苦しいこと、悲しいこと、

落ち込み、悩み、生きているのも辛いことが起きた時

3時間待ってみようと。

3時間待ってやはり同じ悲しみや辛さが続いていたら

今度は3日耐えてみようと。

3日耐えてみて

それでも、初めと同じようだったら

今度は3週間待ってみようと。

3週間経ったら

初めの辛さや苦しさ悲しさはきっと違っているはずだと。

3週間経っても

やはり同じ苦しさや悲しさや辛さだったら

今度は3か月耐えてみようと。

3か月経ったらある程度のことなら

苦しみも辛さも悲しさも軽減するはずだと。

3か月経っても同じようだったら

3年耐えてみようと。

3年経ったらどんなことでも

初めとは違うはず、

そして、3年経ったら

あの頃に悩んだことって

何だったんだろうって思うはず。

その話を聞いてから

なにかあると試してみた。

三年経たないうちに

心は軽くなることを知った。

3日は無理でも3週間経ったら

大分違ってくるのも知った。

そんなことを今思い出している。

私にとって

3という数字は

魔法の数字だ。


2014年04月26日(土) 今日で二か月

2月26日に、娘の家から帰る途中

東広島市内で信号待ちをしていた私の車に

後ろから追突されるという事故があった。

その上に、首の具合が悪かった影響もあるが

高所からの転落・転倒事故で

左の坐骨骨折をした。

あれから、今日で二か月になる。

首も脚もなかなか治らず

現在も通院している。

一時は動くと熱が出て

歩くのもやっとという時期があった。

二度と治らないのではないか

半病人になってしまうのではないかという

不安もあった。

それが、この数日前から

大分楽になったのだ。

日にち薬とはよく言ったもので

骨が折れた箇所もくっついたのだろう。

まだ、歩くのが前のようにスムーズには歩けない。

長く、それも速足で歩けない。

でも

階段の上り下りも手すりを持たなくてもできるようになった。

骨が折れた箇所の痛みはまだ残っているものの

80パーセントは治ってきている気がする。

医者も二か月経ったら大分良くなると言っていたが

本当にそうだと思う。

今日は二か月目だから

診察をしてもらって今後どうするかを

医者に聞いてみようと思う。

今日からゴールデンウィークが始まった。

行楽に出かける人も多いだろう。

元気なころは

良いお天気だと家に居るのが勿体ない気がして

何処かへ出かけたいと思っていた。

でも

今年の連休は出かけたくない。

桜の花見も遠出はできなかった。

遊びに行きたくないという気持ちは

やはり、体調が今ひとつだからだろう。

家に居て何かむずむずしてきたら

私も心身共に元気になったと言える。

二か月は経ったけれど

そんな風になるのには

まだ時間がかかるのかもしれない。


2014年04月25日(金) 母のこと

最近、母のことを思う日が多くなった。

今年の10月で母の死からまる四年になる。

もう四年・・・

まだ四年・・・

どちらも私の思いに違いない。

色々な忙しさの中で

母のことを一日中一度も思わない日もあった。

それが

事故以来

母に会いたい

母の顔を見たい

母と話がしたい

そう思うようになった。

娘が生まれるまで

私にとって最愛の人だった。

母なしの生活は考えられなかった。

母さえ居てくれれば

友達だって要らないと思っていた。

だから

私には友達と言える人が極端に少ないのだろう。

結婚してからも

娘が生まれて来てからも

母はいつも私のそばにいてくれた。

私を全身全霊で守ってくれた。

私を100パーセント受け入れてくれた。

母と共にどこかへ出かけ

食事を共にし

買い物もいつも母と一緒だった。

母が亡くなったら

生きていけないと思っていた。

そんなことを思っていたのに

母が亡くなって今までこうして生きている。

それでいいのだと思うときもあるが

母が生きていてくれたら

今の私に何を言ってくれるだろう

周りの人が皆私を批判し否定したとしても

母だけは私を守ってくれる。

そう信じている。

だから

事故以来心身共に弱くなって

いつ自分が死ぬかもしれないなどど

悪いことばかり思うようになって

余計に母を恋しく思うようになった、

そんな私を娘は心配している。

大丈夫よと言ってもまだ不安みたいだ。

私は自殺はしない。

でも

いつまで生きられるかどうかはわからない。

人間だれでも同じだ。

いつ何が起きるかわからない。

不安に思って生きてもつまんない。

母に安心してもらうためにも

私は私らしく元気な心で生きて行かなくっちゃ。

でも

母に会いたい!


2014年04月24日(木)

皆、自分自身がどんな人間か?

分かっているのだろうか。

私は私自身がわからないというか

怖くなる時がある。

自分が言ったことやしたことを

まるで何もなかったかのように

気にも留めてないように

否定するのでもなく

そうかと言ってその通りにするということもない

どうでもその時々の考えで

動いてしまうのだ。

ああ〜

私って精神構造がおかしいのかもしれない。

呆れてしまう。


2014年04月18日(金) 近々

私がパソコンを始めてどのくらいになるのだろう。

娘が中学一年になった時に

娘にパソコンを買ってやった時だから

あれから12年になるのだなあ・・・

あの頃はシニア倶楽部というものがあり

そこで色々な人と出会った。

メル友が出来た。

その頃に知り合った人の中で

今もメールや年賀状や電話でつながっているのは

10人も居なくなってしまった。

オフ会をしたり、こちらに来てくれたり

ネット上だけではなく

実際に会って親交を深めることが出来た。

今の若い人たちからみると

出会い系?と怪しまれるかもしれないが

そんな風なものではなく

至極真面目な倶楽部だった。

私はパソコンに夢中になった。

HPを作り、今の「スカーレットの部屋」の原型は

もっとアイテムも多く

私も一生懸命に頑張って毎日更新したものだ。

段々日が経つにつれて

また年を取るにつれて

興味や関心が以前とは全く違ったものになり

政治的な活動をし始めて

HPも様変わりしてしまった。

そんなHPを近々閉じるつもりだ。

このつぶやきだけ残すと思う。

今は簡単にブログ形式のものが多く

HPならもっと内容の深い充実したものがいっぱいある。

私のような中途半端なものは見る人もなく

私の個人的な自己満足で運営していたに過ぎない。

さあ、これからどうなるだろう・・・

つぶやきを見てくれる人は

毎日20人ほど居てくれる。

こんなものでも見てくれる人が居ることに

心から感謝している。

何とかこれだけは残したいので

どうかこれからもよろしくお願いします。


2014年04月17日(木) 今日も

今日はお天気がとても良く

明日は雨が降るとのことで

こたつを片付けてこたつ布団とこたつ敷きを

クリーニングに持って行った。

こたつが結構重くて片付けている途中でとてもしんどくなった。

でも、途中でやめるわけにもいかず

やっとの思いで冬まで使う普通のテーブルを出した。

ついでに、衣替えを始めた。

洗濯機を三回回して

もう着ないだろうなあと思うものや

毛布やシーツなどを片付けた。

午後から引出を整理している途中で

本当に倒れそうになった。

気分が悪く、立っていられないほどしんどくなった。

少しだけ横になったが

し始めた家事を最後までしようと頑張った。

3時過ぎにこれはダメだと思い

ニトロを一錠舌の下に入れて舐めた。

30分ほど経ってやっと気分が落ち着いたから

こうしてつぶやきを書けるようになった。

昨日、主治医に言われたことを

頭の中で反芻している。

結局、入院して体を休めて

カテーテル検査をしてそれなりの処置をして

薬も処方してもらった方が

きっと楽になると思う。

でも

昨夜、遅く帰宅した夫に話すと

入院に反対はしなかったが

アズキをペットホテルに預けると言った。

これで、私が迷う原因となったのだ。

アズキを一週間もホテルに預けたら

きっとストレスで変になると思う。

可哀そうでそうさせたくない。

そうかと言って、私自身の体調を優先すると

やはり入院することになり

アズキをホテルに預けることになる。

ここが一番の悩みだ。

もし、30日までに私の症状がもっとひどくなったら

アズキのことなど考えられなくなるだろう。

アズキの心配をしている今はその意味でまだましなのかもしれない。

出来たら入院して体を休めたい。

でも、入院しなくて自宅で私が加減しながら

休み休みしながら療養して

何とか入院しないで済むのなら

これがアズキにとっても一番良い方法なのだろう。

迷う。


2014年04月16日(水) 心臓の病院へ

今日は、6週間に一度のいつもの心臓の病院の診察日だった。

午後1時40分予約

血液検査があるから1時までに病院へ。

今朝は起きて異常な左肩の痛みがあった。

喉も何かつまった感じがした。

ムチウチのせいかなと思いいつもの整形での治療へ。

それでもなかなか治らなかった。

簡単に昼ごはんを食べて病院へ。

血圧はいつもの通り低め。

血液検査をして待つこと1時間。

予定より遅くなっての診察。

4日に整形でしてもらった血液検査の結果

HLDの値が高かったから気になり

また、この二か月ほどのしんどさ

微熱のことなどを訴えた。

医者は、再度の血液検査と

心電図検査、レントゲン、心エコー検査をしてくれた。

結果、心電図に異常が認められた。

同じ異常が数年前の春にも認められていたとのこと。

忘れていたが、入院してカテーテル検査をしたと言われ

そんなこともあったなあと思った。

今回も入院して検査してみる可能性が出てきた。

その前にテープとニトロをもらったので

それを貼ったりなめたりして

それでも、やはり同じような症状が出たら

入院することになる。

二週間後が再診になるがそれまでに入院するかもしれない。

痙攣性狭心症、攣縮性狭心症ではないかと言われた。

同じ時間、同じきっかけで起きることがあり

夜間から早朝にかけて症状が出るらしい。

血管が一時的に痙攣してねじれてそのために血管が細くなり

詰まっているのと同じような症状が出るらしい。

私は朝方にはなったことがない。

起きるのは決まって夕方、それも夕食前だ。

原因はストレスが一番多いらしい。

私がこの最近、胸が締め付けられるような感じや

息苦しい感じがして

歩くのもしんどくなっていたのは

このためかもしれない。

入院するとしても週明けだ。

入院しなくてテープを貼ったりニトロを舐めて

症状が軽くなればいいな。

今日は病院へ行き、検査してもらって良かった。


2014年04月15日(火) 気持ちの持ち方

誰でもいつも心身共に元気で居られたら良いけれど

病気で体調を壊して

元気がなくなり、気持ちまで落ち込むことはあると思う。

でも、体が病気でも心まで病気になる必要はないと

天風先生は言っている。

体が元気な時は

この言葉を聞いて素直にそう思える。

そして、誰かが体を悪くして気持ちまで落ち込んでいたら

私は気持ちだけでも元気で居てねと言うだろう。

それが

自分のことになるとどうだろう。

情けないが心を元気にできないのだ。

このつぶやきを読んでくれる人も

いつも私が弱音を書いているといやになると思う。

出来たら明るいことを書きたい。

心だけ、気持ちだけでも元気に居たいから。

さて、今日はアズキの散歩を午前中に二回した。

夕方になると気持ち的に焦ってしまうし

私の体力も減ってくるから

午前中の方がまだましだと思った。

アズキは近所はもちろんのこと

散歩途中の道でもアイドルだ。

可愛い!という声をよく聞く。

顔というより、しぐさと愛嬌が良いからだろう、

顔も可愛いけどね。

アズキは私にとって子供と同じだ。

アズキが居てくれることが当たり前になっているけれど

もし、何かがあってアズキが居なくなったら

私は今以上に落ち込むかもしれない。

そういえば、ドッグコンテストで優勝した犬が

行方不明になっているらしい。

可愛いから連れ去られたのだろう。

いくら可愛くても誰かほかの人の飼い犬なのに

連れて帰るとは犯罪だ。

アズキも誰かに誘拐されないようにしなくっちゃ。

誰にでも懐くから、私以上に好きになって

飼ってくれる人もいるだろう。

もし

もしも

私が体が思うようにならず

アズキを飼えないようになったら

誰かが喜んで飼ってくれるかもしれない。

そんなことを考えるのも気持ちが落ち込んでいるからだろうな。

アズキの顔を見て気持ちだけでも元気になろう。


2014年04月14日(月) 鬱?

昨日は朝から一日雨だった。

四月の気温とは思えないくらい肌寒く

冬のような恰好をして

ファンヒーターをオンにして一日過ごした。

最近の私は

まるで鬱のように

やる気がしない。

家のことをするのがやっとで

本も新聞も読みたくなく読めない状態だ。

その代わり、布団の中にいることが多い。

テレビは見たくもないが

惰性でつけていて

映像も音声もまるで私の前を

通り過ぎて行く感じて頭の中には入らない。

面白くない。

何をしたいのかもわからない。

あんなに元気で

世のため日本のためにと思い

体がしんどくても頑張れた私は

いったい何だったのだろうと思う。

私の人生の中で一番輝いていた50代が嘘のようだ。

こんなときは

何もしなくて良いのかな・・

焦らず日々を過ごせば良いのかな・・・

私が頑張っていたころに知り合った人たちの

電話番号やアドレスを削除した。

スマホにかえた時に

500件以上連絡帳に移した人たちが

半分以下になってしまった。

これでつながりがなくなると思うと

削除ボタンを押すとき一時躊躇った。

でも、私は今までとは違うのだ。

これで良いと思う。

何もしたくない

ほしいものもない

何処へも行きたくない

こんな気持ちがいつまで続くかわからないけれど

続くだけ続かせてみよう。

そして

いつか鬱状態から抜けられる日が来るだろう。

それにしても

頭が痛い

体が重い

しんどい。

脚が痛い。

それにしても本当に何もしたくない。


2014年04月13日(日) 自分のことだから

自分の体のことは自分しかわからない。

たとえ、名医であっても患者のことを全て把握できない。

医者は、科学的なデーターの元で

患者の病状をつかむのだから。

データー上に表れないことは

患者がいくら医者に訴えてもわかってもらえないだろう。

今、まさに私が医者の前で

この体調の悪さを訴えたとしても

あらゆる検査をして

データーに異常がないとなれば

気のせいにされるに違いない。

しかし

体の調子が今までとは違うということは

本人にしかわからない。

この今の私がそうだ。

確かに、転倒事故により坐骨骨折した箇所は

徐々に回復している。

痛みも随分楽になっている。

しかし

歩けないのだ、長く歩けない。

左足の大腿部分と膝の痛みで立ち止まってしまう。

数メートルなら大丈夫だけれど

50メートルも歩くと痛みが出て来て

ゆっくりと妙な格好をしてでないと歩けない。

そして、とてもしんどい。

微熱も相変わらず出ている。

心臓がどうにかなってしまったのではないかと思うほどだ。

慢性心不全だろうか・・なんて思ってしまう。

頭も重いし首の後ろが痛むし

とにかく、事故前の元気だった私とは

まるで別人になってしまったようだ。

このままでは何もできない。

家のこととアズキの散歩が精いっぱい。

それ以上のことをする自信がない。

この際、私は自分ができることを

誰にも迷惑をかけない限り

絞り込み、たとえ義理を欠くとしても良しとしよう。

自分のことなのだから。

今日は娘の25歳の誕生日だ。

おめでとう!とバースディカードを送った。

そして、ライン電話とメールで祝福し

後日プレゼントを届けることにした。

娘にも心配をかけないようにしなくては。

私が元気で居ることが

娘にとって何よりのプレゼントなのかもしれない。

どんなに素敵な贈り物をしたとしても

病気で寝込んでいたら娘が喜ぶはずがない。

自分のことなのだから、私がしっかりしよう。

誰も代わってくれはしないのだから。


2014年04月10日(木) 小保方さんについてその2

昨日の、2時間半にも及ぶ

小保方さんの会見を見て

彼女が精神的にも肉体的にも弱っているのに

きちんとした対応ができたことに感心している。

それにしても

何故、結論を急ぐのだろうか。

スタップ細胞が存在するのか否かについて

そんなに早急に結論を出す必要があるのだろうか?

科学、それも新発見の科学なら

今まであり得なかったことについての発見なり現象なのだから

後々になって、やはり正しかったと判断されることが多いはず。

今までのノーベル賞をもらった発見でも

そう言ったことがあるのではないかと思うのだ。

彼女がスタップ細胞はあると断言し

200回以上スタップ現象が起きたというのだから

それは何かが発見されたということだろう。

それを彼女しかできないやり方でやったから

出来たのかもしれない。

細胞の研究は人それぞれの器用不器用が影響するらしい。

彼女がコツと言ったのもそれだと思う。

だからこそ、彼女を研究の道から追い出すのではなく

スタップ細胞の有無にかかわらず

研究を続けていけるようにしてあげてほしい。

彼女はまだ若い。

彼女自身が認めているように

未熟な点もあったのだろう。

今後の研究においてその未熟さが熟練に変わる可能性も大きい。

そして、もっと緩やかな時間の中で

この研究を見守ってあげてほしいと思う。

私はあったと信じたい。

それにしても、彼女の周りにいたであろう

共同研究者の人たちが

今回の件に、自己保身に走っているような気がしてならない。

論文提出に至るまでには時間もあったはずだ。

何故、彼女に間違いを指摘することをしなかったのだろう。

共同責任者にはその責任がある。

彼女だけの研究だったとしたら

間違いを正してあげる人も居なかっただろうが

そうではないのだ。

彼女にストップをかけることが出来る人もいたはず。

そんな人の責任はどうなるのだろうか。

そもそも、責任なんてないのかもしれない。

ネイチャー側はどう言っているのだろう。

人は神様ではない

間違いがあるから人間なのだ。

勿論、間違ってはいけない部分はある。

しかし、もし、間違いだったら

彼女の口で謝ればいいはず。

私が昨日見た会見について思ったことだ。


2014年04月09日(水) 無理はダメ

今日はとてもいいお天気だった。

桜は満開を過ぎ葉桜になりかけているものの

まだ、ピンクの花が残っている木もあった。

アズキの散歩を朝と夕の二回行った。

歩くのが難儀だ。

骨折箇所は大分良くなったが

左足の大腿が痛くて筋がどうも変になったみたいで

続いて長く歩けない。

いつもなら30分で歩けるコースが

45分もかかってしまう。

それでも、行けないよりはましだ。

午前中、無理をしたらやはりしんどくなり

午後からは小保方さんの会見を見ながら横になっていた。

二時間半の間、小保方さんの説明と質疑応答を見ていて思ったことがある。

彼女は決して悪意を持って論文を作成してはいない。

彼女の少しやつれた顔を見ていて可哀そうになった。

スタップ細胞が存在するということを

信じて疑わない彼女の研究者としての態度は

票かできるのではないかと思った。

実際にスタップ細胞は彼女のほかにも一人が作成成功しているとのこと。

名前は言わなかったが

その人が名乗り出て会見をすればいい。

彼女は入院中の身、

心身ともにそうとう疲れているはずだ。

今日の会見も無理をして出てきたのだろう。

人が信じてくれなくても

神様はわかっている。

だから

彼女がスタップ細胞が存在するという論を私は信じる。

ただ、他の点については

言葉を濁していたし

はっきりしないこともある。

今一度、実験をやり事実を証明してほしい。

彼女の場合は無理をしてでもやるのだろう。

どんな人でも無理をしたらダメだ。


2014年04月08日(火) 今日

朝から空は晴れ渡っていて気持ちが良い。

気温も暑くも寒くもないちょうど良い温度になるみたい。

昨日より4度も高いが昨日がちょっと肌寒かったから

この季節の気温なのかもしれない。

私にとって今日は色んな意味を持つ日になりそうだ。

春は別れと出会いの季節だ。

別れがあるから出会いもある。

出会わなければ別れもない。

いくらいつまでも一緒に居たいと思う相手でも

心中しない限りいつまでも一緒に居ることはできない。

だからこそ

人と人との出会いを大切にしたい。

一期一会を大事にしたい。

そう思って今まで気遣いもしながら

自分の気持ちの真逆のことでもやってきた。

でも、そろそろ無理をしないで

嫌なことは嫌だと

言えるようにならなきゃ。

そういう意味で今日は勉強の日になるだろう。

明日が明るい日であるためにも

今日、この日を悔いのないように生きよう。

無理をしないで

気を遣いすぎないで

繋がりも求めすぎないで

比べることをしないで

焦らないで

楽に生きて行こう。


2014年04月07日(月) やはり・・・

昨日は、食欲がちょっと出て来て

お昼は夫とスシローへ、夜は焼うどんを作って食べた。

このまま順調に治るのかと期待していたと言っても過言ではない。

アズキの散歩をしてみたりもした。

坐骨骨折の箇所の痛みは大分良くなった。

でも、歩くときにかばうから左足、腰に痛みが出て

まだ普通の速さでは歩けない。

片足で立つのはやっとできるようになったが

後で痛みが出てくる。

首の痛みや頭痛や肩の凝りもひどいときがある。

日によって違うのだ。

だから、ちょっと気を良くして無理をすると

てき面に熱が出てしんとくなる。

こんな調子ではまだまだ治るのは先のようだ。

レントゲンを撮ってもらったらまだ首の骨が治ってないらしい。

とにかく、今までの私とは違うのだ。

スマホにして楽しめるかなと思っていたが

余計にしんどくなってしまった。

そんなこんなで、フェイスブックをお休みすることにした。

いつか、また元気になったら

笑顔の写真を載せよう。

つぶやきも毎日は書けないかもしれない。

とにかく、無理をしないことにした。

焦らないし、比べないし、人へのいらぬ気遣いもしないようにしよう。

さあ、私がまた元気になる日はいつだろう。


2014年04月06日(日) 冬に逆戻り

昨日も寒かった。

嵐とまではいかないが

雨と風がきつかった。

そして

今朝も寒い。

衣替えはまだしていなかったから

また、冬ものを出して来て

真冬に着ていたのと同じものを着ている。

背中には貼るカイロを貼っている。

先日、灯油を2缶注文して良かった。

暖房がまだ必要だ。

ここはまだましだけど

今朝は山梨・河口湖町では雪景色だった。

四月の雪・・

今日は二月末から三月の初めの気温だとか。

桜も雨で散ってしまっただろう。

四月は入園・入学式の季節だ。

桜の花が満開の下での入園・入学式は絵になるが

傘をさして雨の中の式はおもしろくない。

明日からは天気も回復するみたいだ。

入園・入学式頃は晴れるようでよかった。

日が過ぎるのは本当に早い。

事故からひと月以上経つ。

昨年は、伊勢神宮や出雲大社に参拝できて

今年は良いことがあると思っていたが

そうでもなかったみたい・・・

いつになったら元気で明るい私に戻るのだろうか。

心の問題だけれど

体が悪いときに心を元気にするのは難しい。

そう思うと、パラリンピック出場の選手たちの心が

いかに強いかと改めて感心する。

せめて天気や気候が春になってくれたら

私の心にも暖かな風が吹いてくるかもしれないな。

もう、冬はいやだ。


2014年04月05日(土) 違った生き方

このひと月あまり

体の不調に伴って

今まで、頑張って来たことが

何か、遠い出来事のように感じられるようになった。

体力も使い、気も遣い、お金も使って

少しでも日本のため

世のためにと思ってやってきたこと。

後悔はしていない。

この5年間私自身が生きがいだと思って

やってきたことなのだから。

体の調子が悪くなると

心まで弱くなってしまう。

中村天風先生が一番嫌いな

消極的な考え方、気持ちの持ち方しかできなくなった。

ちょっとしたことで

人って変わるものなのだ。

変わらない人も居る。

強靭な精神を持っている人なら

肉体的に経済的にも

そして、精神的にも追い詰められたとしても

それを乗り切り

同じように精力的に動ける人も居る。

でも

私にはできない。

周りから気持ちの持ちようだとか

神様がくれた休みの時間だからだとか

慰めの言葉をもらっても

勿論そうだけれど

私の今の気持ちは受け入れることが難しい。

それならそれで

自分がどういう生き方をしたいのか?

一言で言えば

これまでとは全く別の真反対の生き方

世のため人のためではなく

自分自身のために生きる生き方をしよう。

全くこれまでとは違う環境の中で生きてみよう。

そう思うのだ。

一つずつ、切れることから切って言って

不義理でも気にならないようにしたいし

出来たら、これまで関わってきた人たちの中で

私がこれからは関わりたくない人に

別れを告げるのも一つの手だ。

なんだかんた言いながら

これまでにも何度そうしようと思ったことか。

今ならできる、今しかできない。

体調が良くなることだけ考えて生活しよう。


2014年04月04日(金) 後で気がつく何とやら

バカは死ななきゃ直らないとか

後で気が付くバカの知恵

だとか、日本にはよくぞ言い当てたという言葉があり

まさに

私がいつも自分のことなのだと思う言葉だ。

体調が悪いのに

無理をしてアズキの散歩に行くことや

無理をして歩くことなど

分かっているはずなのに

やってしまって体調を余計に悪くしてしまう。

しまったと思っても遅い。

まさに「バカは死ななきゃ直らない」だし

「後で気が付くバカの知恵」だ。

家族にそういわれても反論できない。

苦笑いするしかない。

御尤もですというしかない。

昨日は、病院の帰りに

例の当て逃げされたスーパーへ買い物に寄った。

私が左折して入ろうとしたら

対向車が私の前を右折して駐車場に入った。

なんと、マナーの悪い運転手だと思って顔を見たら

あの当て逃げ犯人の顔と似ているではないか。

隣には奥さんも乗っていた。

帽子を被って同じ感じの夫婦だった。

その人が車を止めた隣に私も止めた。

そして、車のナンバーを控えた。

車種を控えれば良かったのに

何か、気持ちが悪いことをしているような気がして

周りを見渡しながらやっとナンバーを控えることが出来た。

夫婦は買い物をしていた。

私は迷った挙句、ご主人の方にあのことを聞いてみた。

勿論否定。

私は謝ったがやはりどうしてもそう思える。

結局帰りに警察へ話に行った。

警察は駐車場から連絡してほしかった。

車を写真に撮っていてほしかったと言われた。

後の祭りだ。

ナンバーだけ言って後は警察に任せることにした。

帰宅して警察から電話が入った。

私が言ったナンバーを照会したが

その車だと断定できないと言われた。

私がもう少しきちんとした対応をすべきだったのだ。

仕方ない。

それに、その人が当て逃げ犯だという証拠が今ひとつだ。

車に傷はいっていたものの

それが昔の傷かもしれない。

色々なことを考え反省もし

これから同じことの起きないように

また、もし起きてもきちんど対応できるようにしよう。

後で気が付くなんとやらと言われないためにも。


2014年04月03日(木) 眠れなくて

昨日、午後から横になっていたせいか

夜中に目が覚めて眠れなくなってしまった。

体調不良に加えて睡眠不足になったら

余計にしんどくなるだろうと思いながら

夜中にパソコンを開けている。

私が最近気になっていることは

例の小保方さんのことだ。

私の周りの人たちは

彼女の捏造・改ざんを批判する。

確信犯だという人も居る。

でも、本当にそうだろうか?

彼女を擁護するわけではないが

彼女はスタップ細胞を発見したのではないだろうか。

一度、偶然にせよできたのではないか。

科学はいかなるときでも、実証できなければならないという。

でも、初めは皆に信じてもらえないことが

100年後には当たり前のことになっている可能性もある。

そんなことを言っている教授の話を動画で見た。

https://www.youtube.com/watch?v=6MFRYEJ4q90&noredirect=1

それにしても、今回のことで

新しい発見に挑戦しようとする若い科学者が

恐れて、しなくなるのではないかと懸念している。

理研の態度、小保方さんと共に研究したという人たちのことなど

私には納得いかないことがいっぱいある。

素人の私が専門のことに口を出せるはずはないが

彼女の反論というか説明を聞いてみたいとは思う。

眠れない時間は色んなことを考えてしまう。

私自身のことや世の中のことなど。

やはり、夜は何も考えずに寝るに限る。

でも

もう後2時間で私が起床する時間になる。

変に中途半端に寝たら余計に頭が痛くなるかもしれない。

このまま起きていようかな・・



2014年04月02日(水) 身辺整理

年齢を重ねるにつれて

身辺整理をしないといけないと

常々思っていた。

今回の事故で体調も悪く

このまま元気になれない気もする。

だから

余計に、今、私が付き合っている人たちを

本当にこれからも付き合えるのかどうかを考えて

義理をかいたとしても整理しようと思う。

前に使っていた携帯の操作がなかなかできなくなり

これを機会にスマホに変えた。

当然、電話番号とアドレスが変わった。

前の携帯に登録している人の中で

これからも関わっていくであろう人だけに

アドレスと番号が変わったことを知らせた。

中には、エラーで戻ってきた人も居る。

仕方ない。

御縁がなかったのだろう。

というわけで、随分おつきあいをする人が減った。

もし、何かで知らせなかった人が

携帯にメールをくれた時

繋がらないので不信に思うかもしれない。

でも、どうしても、私に連絡しないといけないと思ってくれるなら

どうにかして連絡をくれるだろう。

若いときとは違う。

そろそろ年賀状も出す人を減らそうと思っている。

こうして、身の回りをきれいにシンプルにしていこう。

話は変わって

スマホにしてから、確かに便利でパソコンを開かなくても用は足りる。

でも、このつぶやきを書くときはパソコンが便利だ。

打ち込むのが早い。

スマホからも打てるけど小さい字だし打ちにくい。

利用も少しずつ慣れてきた。

分からないときは聞いて教えてもらいながら

何とか使いこなせるようになった。

勿論、簡単で最小限の使い方だけど。

今日も何とか生きて行こう。



2014年04月01日(火) ついてない

私って本当についてない。

というか、何かに憑りつかれているのかな・・・

先月26日に、信号待ちをしていて後ろから追突された。

まだ病院通いをしている。

昨日も熱が出て頭も痛くてずっと横になっていた。

夕方になって

どうしても、近くのスーパーへ買い物に行かなきゃと思い

ついでに、100円ショップで買い物をして

スーパーに入るために車線変更した。

その時、ドンという音が。

びっくりしてバックミラーで後ろを見ると

車が私の車の右にぶつかったようだった。

運転していた70歳くらいのおじさんが

にやっと笑っている顔が見えた。

隣には奥さんも乗っていた。

彼らも同じスーパーに行こうとしたのだろう。

ぶつけられたところで車を止めることが危ないので

一応スーパーの駐車場へ移動しようとした。

当然、ぶつかってきた車も後をついてくると思っていた。

でも、結局、車はどこかへ行ってしまった。

つまり、当て逃げされたのだ。

私が止まっていたのではないが

向こうが右後ろからぶつかって来たし

私が走る線の前には車はいなかった。

相手が悪い。

もし、相手が悪いと思っていなければ

堂々と主張するために警察へ一緒に行くはずだ。

逃げたということは自分に非があると思ったからだろう。

近くの警察署へ行き事情を話して事故扱いにしてもらったが

多分、相手は名乗らないだろうとのこと。

当て逃げ損ということだ。

幸いけがはなかったが

車と私の心が傷ついた。

今日は車屋さんに車を持って行き

修理の費用を見積もってもらうつもりだ。

保険屋さんからの電話も入るはず。

昨日は帰宅した後で体調がまた悪くなった。

買い物なんかに行かなきゃよかった。

本当についてない。

もしかして、昨日は仏滅?


スカーレット