スカーレットの心のつぶやき
つぶやき 目次|過去|未来
今日は朝から晴れ☼、とても良いお天気だ。
やはり、晴れ渡った空を見ると気持ちが良い。
朝起きて、アズキの散歩に行ったあと
朝日が昇ったので
国旗掲揚をした。
今日は「昭和の日」
昭和生まれの私にとって
昭和ということばに郷愁を覚える。
平成の世も20年を過ぎたけれど
昭和の時代が良かったと思えてならない。
平成元年生まれの娘は
生まれた時から
身の回りにはものが溢れていた。
TVやクーラーは勿論のこと
パソコンも自分の傍にあった。
私が小さい頃は
冷蔵庫も扇風機もストーブもなかった。
TVが我が家に来たのは
私が小学校4年生の時だった。
戦後数年経って生まれたから
戦争の爪痕は残ってはいなかったけれど
たまに
街中で戦争で足をなくした人が
白い着物を来て松葉杖を傍に置き
お金をくださいという格好で座っていたのを見かけた。
その時にはただ可哀想だなあと思っただけだったが
今、思うと、あの人は年金も手当ももらいながら
戦争という悲劇をバックに
所謂、乞食生活をしていたのだと思う。
私が住んでいた家は
戦後、家のないひとたちのために
建てられた県営住宅で
家賃もないに等しいくらいで
部屋は3疊と4畳半のふた部屋だった。
それでも
狭いと感じたこともなく
祖母、両親、姉との5人で暮らしていた。
近所の子供たちと遊ぶのが楽しかった。
宿題を済ませたあと
日が暮れるまで外で遊びまわっていた。
そして、夜はTVもないから
早く寝ていたのだと思う。
その頃の習慣か
今でも早寝早起きの私。
昔の方が健康的だった。
食べ物も粗末だったけれど
添加物のない
手作りのものを口にすることができた。
そういう意味では
昭和という時代は良かったと思える。
戦争を体験した人たちにとっては
辛く苦しい想い出のいっぱいつまった昭和。
今日は、その昭和という時代を
思い出して過ごしたい。
このつぶやきが載っている
私のHP[スカーレットの部屋」は
ホームページビルダーで作って
私のプロバイダのサーバーからアップしている。
そのサーバーが6月から使えなくなる。
私が住んでいるのは実家。
でも、私の家になってしまった。
私の住民票を置いている家に
前のPCがあり
そのPCからHPの更新をしていた。
しかし
夫がプロパイダ契約を止めると言う。
6月からは
夫が購入したワイマックスを使って
ワイファイの環境の中でPCをすることに決めた。
だから
netwaveのサーバーでアップすることができなくなった。
今、見える画面が表示されなくなるらしい。
他の無料か有料のサーバーを借りて
同じように転送すれば良いと言うが
なんだかとてもめんどくさくなった。
だから
もうHPは閉じることになるだろう。
ただ、このつぶやきと草莽の心とアズキ日記は
それぞれ違うブログを利用して書いているから
今後も続けることができそうだ。
もし
見てくださる人が
面倒でなかったら
つぶやきと草莽の心とアズキ日記を
お気に入りに入れておいてほしい。
頑張れ日本のHPも無くなるが
これは仕方ないと思う。
なんだかんだ色々ある。
私には分からないことが山ほどあるし
今、しようとしている勉強も山ほどある。
頑張れ日本!の代表としての活動は休止状態。
このままで良いのか・・疑問
本部の意向に添いたい。
というわけで
HPが6月から見えなくなるかもしれないということを
ご了承ください。
そして
今後もつぶやきやアズキ日記等は
よろしくお願いします。
昨日は、夫の退院後の受診日だった。
腹部のエコーを撮り血液検査をして
その結果を主治医から聞いた。
退院して10日。
私の作る、塩分のほとんどない食事を
夫は文句を言わず綺麗に食べてくれる。
体重は少しは増加したが
これは許容範囲だ。
血液検査の結果
一時は肝不全になると言われた数値も
高目ではあるが、今までと同じに落ち着いた。
お腹の水も全くないというわけではないけれど
心配ない程度だとのこと。
入院して直ぐに高熱が出て
白血球の数が異常に増加したのは
結局のところ
原因が分からないと言われた。
脾臓を摘出しているので
免疫力が低下している。
何かに感染した時が怖い。
肺炎のワクチンはしてもらった。
このまま
自宅で療養を続けたら
来月の20日過ぎから
職場復帰が可能だと
主治医の診断書には書かれている。
これは
夫が順調に回復しているという証だろうか。
あれほど駄目だと思っていたのに
こうしてまた蘇った夫って
私と同じように
結構生命力が強かったりして・・・
はたからみたら弱そうに見えるし
痛々しい感じがするが
こんな、柳の枝のように
折れそうで折れない体なのかもしれない。
夫がこのまま回復を続けて
来月に職場復帰出来たら
こんなに嬉しいことはない。
この数ヶ月は私も不安の中に居たが
少しは暗いトンネルを抜けることができるだろう。
そんな時には
苦しかった時のことを忘れるに違いないが
やはり
覚えておくことも必要だと思う。
夫がどうか順調に回復してくれますように!
専業主婦の私が何故こんなに忙しいのか?
家事の他にもやりたいことや
やらねばならないことがあって
本当にこうして畳の上に座る暇がなかなかない。
夜は夜で
最近はスマートフォンで遊ぶようになり
昨夜も寝たのは10時をすぎていた。
スマートフォンでこのつぶやきに書き込みができるのを知った。
でも、打ち込むのがしんどい。
検索やメールは音声でできるみたいだが
ブログや日記を書くのは
小さい文字盤を指で押すことになるのて
PCのようには早く打てないし
打ったとしても肩が凝ってしまう。
そんなこんなで時間ばかりが過ぎて行くのだ。
今日は、日課としているEEを
アズキの散歩の時に聞いたが
昨夜も中学英語の復習の途中で寝てしまって
今日の分もまだしていない。
そして
平泉澄の「物語日本史」も読む時間がなかなか出来ない。
忙しいと体のことや
目のことなど
考えることもないが
やはり目は酷使しているし
体もしんどいはず。
まあ、こうして時間が過ぎて行くのも良いか・・
連休を前に気分的にも慌ただしい。
今年の連休は娘が帰らないので
夫とアズキを乗せて、走って行ってみようと思っている。
連休明けには歯医者もある。
来月の半ばには
今の状況も少しは良くなっているかもしれない。
バタバタしている時には
先のことを考えるのは嫌だ。
なるようにしかならない。
時間の流れに身を任せて
ゆらゆらゆれながら過ごすのも
私らしい生き方みたいに思える。
今、4月24日、火曜日の午前2時をちょっと過ぎた時間。
いつもなら寝ている時間なのに
私はこうして起きている。
昨日のお昼ご飯の後
中学英語の復習をしていて
猛烈に眠くなり
ベッドの中に入ったら
何と午後2時まで、約2時間寝てしまった。
所謂、長い昼寝をしてしまった。
そのためか
いつもなら午後9時をまわると
眠くてたまらなくなるのに
昨夜はなかなか寝付けなかった。
夜中に、旧友にメールをしてみた。
返事が来た。
返事が来るって嬉しいものだ。
メールのやりとりをしながら
昔を思い出し懐かしくなった。
あれから4年は経っているのに
ついこの間のような気がしてきた。
おやすみなさいのメールをしても
なかなか眠れない。
本を読んでみた。
睡眠薬の役目をしてくれるはずなのに
やはり眠れない。
親友に電話して40分ほど話した。
それでも眠れない。
もう昼寝をするのはやめよう。
寝つきの良いのが普通なのに
こんなに目が冴えているのはおかしい。
早寝早起きの私が
徹夜をしようとしている。
朝は4時半に起きることになっているから
今、寝たら直ぐに起きねばならない。
このまま起きていようかな・・
でも、明日はきっとしんどいだろう。
明日の午後2時半には歯医者の予約が入っている。
歯医者で椅子に座って寝てしまいそうだ。
昼寝は短いのが良いと聞く。
もし、昼寝をしようとするなら
目覚ましをかけておこう。
長くても20分以内にしよう。
昼寝についての考察終わり。
本来アナログ人間である私には
最近の携帯の世界にはついていけない。
PCをしてはいるが
専門的な用語は理解できないし
説明を読んで理解しようともしないのだから
聞かれる夫の立場になったら
きっとあつかましいなあ・・・嫌だなあ・・と
思っているに違いない。
私がPCを始めたのは10年前だ。
夫が契約してくれた四国ネットウェーブのADSLだ。
光が届くようになっても変えていなかった。
一昨年、母が亡くなり、実家に住むようになって
自分の家にあるPCが使えないので
今、使っているPCを買った。
そして、ブロバイダ契約をしないで
DoCoMoの端末を利用している。
しかし
これが結構高い。
端末の使用料を入れて
一ヶ月6515円もかかる。
いっそ、スマートフォンにしようかとも考えた。
来年の2月でモペラの契約が終わる。
それまでは使うしかないかなあと思っていた。
それが、ちょっと変わってきている。
実は、夫が家で契約していたプロバイダ契約をやめ
ワイマックスを使うとのこと。
これがあれば、家だけではなく
何処ででもPCができるし5台までOKだそうだ。
そして
昨日、それが家に届いて早速使い始めた。
私が英語の勉強のために
新しいipodを買おうと思っていたら
ipod shuffleではなく
ipodo touchを買ったら良いと言った。
値段はipod nanoより6000円ほど高いが
値打ちはあると言った。
だから、ipodo touchを買った。
早速
夫がワイファイ環境を作ってくれた。
何と、ipodでインターネット接続できるのだ。
スマートフォン並みの機能がある。
昨夜は色々遊んでみたが
なれないので、文字を打つのも大変で
正直肩が凝った。
やはり、私には無理なのかな?
慣れたら大丈夫なのかな?
というわけで
ついていけないと言いながら
夫のいうママに、私自身がワイマックスを
使うことになるかもしれない。
さあ、今から中学英語の復習だ。
一昨日の夜、申し込んでいたEEが届いた。
早速、試聴版を聞いてみた。
一緒に勉強をはじめようと言っていた親友に連絡。
私がまだ迷っていると言うと
本体を開けて聞いてみてと言われた。
1と2の両方で12枚のCDが入っている。
まず1枚目のCDを聞いてみた。
空港への道をどう行けば良いかを尋ねる会話だった。
二段階スピードにより
普通の早さの会話がとてもゆっくり聞こえる。
繰り返し聞いていると
早いスピードの会話も分かるようになった。
でも、
同じ箇所でひっかかるのだ。
どうしても聞き取れない。
リスニングの間は
テキストを見ないでくださいと書いてあったが
テキストを見て、文字で書かれた会話文を見て
ああ〜こう言っていたのだと分かった。
わかった上で再度聞いてみた。
それでも、やはり聞き取れない。
自分の力の限界か・・
やはり、私には合ってないのか・・・
そんな思いがした。
でも、
たった一日で止めるかどうか決めるのは
何とも情けない。
親友が言うように
最低一週間は聞いてみよう。
教材を付録のipodに夫が入れてくれた。
でも、最後の方が容量不足で入らなかったみたい。
頼んだ手前、文句は言えない。
入れ直すのは面倒なのだろうから
再度、入れ直してほしいとは言えない。
しばらく、親友には我慢してもらって
これを使ってもらおうと思う。
今日は二日目の教材を聞いてみよう。
そして
どうしても、私には合ってないと思ったら
やめても良いかなと思う。
海外旅行をする機会もない私に
海外へ行った時にする会話は必要ないかも?
それでも
聞く力がついたら儲けものだ。
諦めるのはまだ早いね。
思いっきり眠りたい。
朝、4時半に携帯のアラームが鳴る。
今朝は、鳴っても起きなかった。
それでも、気になるので5時前には起床。
これからは
日中が暑くなるから
アズキの散歩を朝、起きて直ぐに行きたい。
そのためにはやはり4時半には起きなきゃ。
朝食は6時と決めているが
今朝は、昨日、通帳を届けてあげた人からもらっていた
たけのこを炊いたり
その他、夫の昼と夜のごはんのおかずを作っていたら
いくら急いでも1時間半かかったので
6時半に朝食となった。
午前中は本当に忙しい。
アズキの散歩は8時半から9時。
帰って掃除。
9時半から買出し。
時計を見たら10時をすぎていた。
夫は自転車で何処かへ出かけた。
私が10時半に机の前に座り
英語の勉強を始めた。
でも、
CDを聞いていると眠くて眠くて・・
やはり睡眠時間が足らないのだろう。
寝るのは夜11時。
7時間は睡眠時間をとりたいが無理だ。
だから、昼間とても眠くなる。
それでも、寝ないのだから
私の神経は結構参っているはず。
たっぷり寝てみたい。
7時まで寝てみたい・・
でも、7時に起きたら
その後の私はパニックになるかも?
やはり、遅くても5時には起きないと。
ああ〜眠い(-_-)゜zzz…
眠い目をこすって英語を頑張ろう。
今日は、ちょっと良いことをした。
近くのスーパーのゆうちょ銀行のATMへ行き
入金しようとしたら
そこに、ある銀行の預金通帳が置いてあった。
手に取ってみると重い。
どうやら二冊入っているみたい。
ご夫婦の通帳と一緒にカードも二枚入っていた。
このままでは誰かが持って行くと思い
一応、私のバッグの中に入れた。
警察へ拾得物届けをしようと思ったが
もし、手間取る間に
落とした人が慌ててカードを使えなくなる処置をしたら
後で面倒なことになるかもしれない。
名義人の名前はフルネームで書かれているので
帰ってから電話番号簿を見てみた。
すると、ちょっと離れた町に住む人で
電話番号の登録もされていた。
その電話にかけてみた。
一度目は何回か呼び出していてもつながらなかった。
しばらく、時間を置いてかけてみた。
相手は女の人が出て
どうやら、今、お帰りになったばかりで
まだ、バッグの中を見ていないということだった。
それでも、私の話すことが理解できたみたいで
御礼の言葉を言われた。
手渡そうと思うと言ったら
ある場所で会おうという話になった。
そして、
車で20分ほど走って
その場所へ。
待つこと数分。
私より5才くらい年上の女性が来た。
やはり、その人だった。
良い人に拾われたと言っていた。
御礼など、初めから期待していなかったが
堀たてのたけのこや大根等の野菜と
つくしやわかめや切干大根などなど
色々、御礼にもらった。
私自身
以前に財布を落としたと勘違いをして
その中にいれていた
カード類を不正に使用されたら?と思うと
とても不安でたまらなかった経験がある。
もし、
今日の人が同じような思いをするのではないかと思ったから
連絡してあげたのだ。
夫に話したら
警察へ届けるのが一番良いと言った。
勿論、それはそうだ。
でも、直接手渡してあげることが出来て
私は良かったと思っている。
ちょっとだけいいことをした思いがする。
2012年04月19日(木) |
英語の復習とリスニング |
私の子供の頃からの夢はピアノを弾けるようになることだった。
娘が生まれ、我が家にもやっとピアノが来て
そのうち、グランドピアノを私が欲しかったので買い換えた。
その頃はまだ両親が元気だったので
私も小さい頃からの夢だったピアノを習い始め
なんとか、曲も弾けるようになっていた。
でも、その後父や母の看護や亡くなった後
色々忙しくなり、ピアノからは遠ざかってしまった。
いつかは再開したいと思っている。
私のもう一つの夢は英語を話せるようになるということだった。
中学・高校・大学と英語に触れている時は
それなりに出来ていたが
あれから40年近く英語から離れると
もう何もかも忘れてしまって
単語や文法の基礎までわからなくなってしまっている。
そんな私が、この間から
もう一度英語を勉強したいと思うようになった。
TVのCMのスピードランニングを見ていると
聞くだけで話せるようになるのかと
ついつい誤解してしまう。
そんなに簡単なものではないことは分かっている。
あれはCMなのだから。
それでも、魅力がある。
耳でネイティブイングリッシュを聞いていたら
段々と、聞き取れるのではないかと思うようになった。
親友に話すと、彼女もしたいと思っていたと言った。
スピードランニングではなく
エブリディイングリッシュが値段的にも手頃で
ネットではNO1だということなので
早速、昨日、一番初歩の分を申し込んだ。
その前に、ある人からキング牧師の演説を勉強したら?と
言われていたので、これもIPODに入れて聞いている。
英文と日本語訳をプリントアウトして
文字を目で追いながら、耳で聞いている。
マスターは出来ないかもしれない。
でも、何年かかってもこの演説がスムーズに聞き取れ
内容も理解し、自分の口で話せるようになりたいと思う。
そんな私が、昨日、近くの本屋さんへ行って
「中学3年間の英語を10時間で復習する本」と
「高校3年間の英語を10時間で復習する本」を買って来た。
英会話は中学英語を理解していたらできると書いている。
そして、英語の基礎の基礎、b動詞から始まっていた。
CDも付いている。
一日1時間の復習で10日勉強したら
中学の英語は思い出して大丈夫だろうと思う。
そして、高校英語もマスター出来たら
エブリディイングリッシュを聞いても
今以上にわかりやすいのではないかと思う。
60の手習いではないが
私の夢だったピアノも英語も
少しずつ頑張っていこうと思う。
人生、後どのくらい生きられるかわからない。
これからは、私がやりたいと思っていることをやろう。
そう決意したのも、夫のことがあったからだ。
夫は色々私の勉強に協力してくれる。
有難い、感謝している。
頑張るからね。
2012年04月17日(火) |
修行中(#^.^#) |
昨日、夫が退院した。
手放しでは喜べない。
試験的退院だからだ。
夫は完治したわけではない。
完治はしていないが
今のまま入院していても
治療は何もない、
ただ、食事療法と安静治療だけだ。
だから、医者は家でできると判断した。
勿論
主治医は退院しても大丈夫だから許可をしたのだろう。
ただ
次回、25日のエコー検査で
また、腹水が溜まっていたら
再入院となる可能性も大だ。
だから
おめでとうと夫に言えなかった。
夫が家でアズキを遊んでいるのを見て
やはり、退院して良かったのだと思った。
正直言って、夫が退院したことで
私の、これまでの3ヶ月の肉体的に楽で
気持ちも自由にできることから来る
楽な生活から
夫の食事作りを中心にした
忙しく大変なものになった。
親友の言うように
修行に入ったといいうことだろう。
今日はその二日目だ。
夫が自分の家ですることがあるので
お弁当を作って持って帰ってもらった。
夫の居ない昼、少し息抜きしている私が居る。
午後から、ちょっと出かけてこよう。
修業中でも、心は楽に、ストレスをためないようにしなくっちゃ。
桜の季節も終わり近くなった。
近くの桜はほとんどが散り、葉桜になった。
夫の病院へ通う途中の土手の桜は
ピンクの絨毯を敷き詰めている。
一昨日、姉と石虎亭の庭の桜を見に行って
今年はこれで見納めかな・・・と思っていたが
昨日は、親友と内子の石畳の
有名なしだれ桜を見に行って来た。
お天気も良く、朝は少し肌寒く感じたが
日中は汗ばむくらいの暖かさになり
風もあまりなく、行楽日和になった。
石畳は、以前、夫の父が健在な頃
夫の両親と4人で行ったことがあるが
行ったのは水車小屋辺りで
しだれ桜で有名な石畳の宿辺りではなかった。
下の道を走ること30分ほどで到着。
国道から入る道は狭く
離合するのもやっとの道で
運転も気をつかったが
無事到着、思ったより簡単に行けた。
驚いたのは、観光客が多かったこと。
しだれ桜はもう少し早く行っていたら
もっと綺麗だっただろうと思った。
色も大分白くなっていて葉桜まではいかないけれど
時期を過ぎた感じがした。
この桜の木の近くに手打ち蕎麦を食べさせてくれる店があり
そこも人が多かった。
そば粉を練り、そば打ちをし
それをゆがいて客に提供するので時間もかかる。
メニューはざるとかけの二種類、
玉ねぎのかき揚げとおにぎりが別にあったが
私たちはざるそばを注文した。
コシがあってちょっと固い気もするが
これが手打ち蕎麦だと親友が言うので
そうなんだ・・・じゃあ、今まで私が食べていたのは何?と思うほど
蕎麦!!という感じがした。
しだれ桜の後は近くの弓削神社にかかっている
屋根つき橋を見に行った。
1300年代、河野氏が云々と書いている説明を見て
古い木製の橋を恐る恐る渡った。
その裏の山には樹齢何年だろう?
とても古い、幹の大きな木があった。
この木に触れるとパワーをもらえるよということで
いっぱいいっぱい力を下さいと念じながら
コケがいっぱい生えている木を撫でた。
弓削神社では夫の快癒を祈願した。
私が夫の両親と行った石畳の水車まで
またくねくねした道を走った。
水車小屋が二つ、清流の中に立っていた。
その近くにかかっている田丸橋も屋根つき橋で
「坂の上の雲」のロケに使われた橋だった。
ここもとても趣があり
この辺りのオゾンをいっぱい吸い込んでリフレッシュした。
仲良く写真撮影している家族連れやお弁当を食べている夫婦も居た。
水車小屋から車で走ること数キロ、
内子の八日町の町並みへ。
親友は初めて来たとのことで
何処かへ小旅行に来たみたいねと言っていた。
内子の町並みは好きだ。
古い町並みは保存されていて
家を勝手に修復できない、許可証がいるのだ。
昔に比べると活気がなくなり
観光客も減って来たが
昨日は日曜日ということもあり
団体の観光客や外人さんたちを結構見かけた。
本芳賀邸が改修されて公開されていた。
芳賀家は和蝋燭を作っていた家で
本当に古くて歴史も伝統もある素晴らしい家だった。
庭の蔵を見せてもらったが
蔵だけ見ても素晴らしさに圧倒された。
そこを出て町並みを歩いた。
内子座は、丁度上演中だったので
中を見に入ることができす外から建物を見た。
私は二度入って見たことがあるが
ここは歌舞伎も上演され、昔ながらの桟敷で
上演する役者たちもやりやすいと評判の芝居小屋だ。
車を置いた駐車場までの帰りの道は
左右に並ぶ、色々な店に入ってみて
買い物はしなかったけれど
楽しい時間を過ごすことが出来た。
午後4時になったので帰路に着いた。
小腹も空いたので、帰り道の中山の道の駅で
手作りパンを買い、サービスのコーヒーを飲みながら
小休止。
家に着くまで色々な話をしながら
本当に良い時間を過ごすことが出来た。
こんな日帰りで行ける所に
時々行きたいねと話した。
夫が自宅療養が始まると
私もなかなか外出が自由にできなくなるので
昨日は羽を伸ばすことができて嬉しかった。
本当に楽しい一日だった。
昨日、午後から晴れるということで
姉と一緒に石虎亭へお昼を食べに行った。
ここに行くまでの道にも桜並木がある。
奥道後の山の桜もとても綺麗だった。
母が生きていた頃
私の運転で山桜を見せてあげたことがある。
母は子供のように歓声をあげていた。
奥道後の山桜を見ると
母を思い出し、ちょっと胸がきゅんとなった。
石虎亭へも姉が母と私を連れていってくれたことがある。
山で採れる山菜や
アメノウオの料理や猪の肉の料理などが出る。
昨日は桜を見るのと美味しいものを食べる目的で
石虎亭へ行ったのだ。
庭のしだれ桜も綺麗だった。
何組かの人たちが
やはり桜と料理を目的に来ていた。
私たちが駐車場に車を止めた途端
二匹の犬が庭を走っていたのがわかった。
先に来ていた人たちはお馴染みなのか
犬とじゃれている。
私もアズキを思い出して、可愛いなあと思った。
姉が尋ねると雑種犬だとのこと。
ご主人がとても可愛がっていると聞いた。
でも、首輪がしていない。
放し飼いだ。
そして、案の定トラブルが発生した。
私は少し長めの薄い生地のスカートを履いていた。
そのスカートは買ったばかりで
昨日、初めて履いた。
薄い金茶色にベージュの水玉模様がある
プリーツスカート。
春らしいし裾が揺れるのが好きで買った。
そのお気入りのスカートを
二匹の犬が噛んで引っ張ったのだ。
止めてと叫んでも犬はおかまいなして
ますます引っ張る力を強くした。
どのくらい時間が経ったのだろう。
私の声に飼い主が家から出てきて
その犬たちを連れていってくれた。
でも、ああ〜(´;ω;`)
私のお気に入りのスカートがべりべりに破れた。
薄い生地だから破れやすかったみたい。
気がついた時はもう遅く
右の裾が6センチくらいの穴
左は小さな点ゝの穴があいた。
ご主人が弁償しますと言ったけれど
同じスカートはもう売っていない。
手に入らないのだ。
高価なものではないが
私にとっては好きなものでもあり
初めて履いたということもあって
とても悔しくて気分も落ち込んだ。
犬を放し飼いにするのは如何なものかと思う。
犬の嫌いなお客さんも来る。
客商売、それも食べ物商売の店は
そのくらいのことは分かっていて当然。
結局、お昼ご飯の山菜定食は美味しかったけれど
気持ちがスカートにむいていて
何か落ち着かなかった。
お勘定を払う時に
おかみさんが、弁償として買った値段の金額のお金を
私に渡して、謝ってくれた。
それでも、気持ちは晴れなかった。
お金がほしいのではない。
同じスカートが欲しい。
弁償したから終わりだと思っているような気がして
釈然としなかった。
こんなことが起きるなんて想像もしていなかった。
言っても仕方ないけど、元に戻してほしいと思う。
昨日、4月13日は
娘の23才の誕生日だった。
4月から新しい環境の中で生活を始めた娘。
昨日の誕生日は
丁度、研修合宿の最終日で
誕生日のお祝いどころではなかったかもしれない。
社会人となった娘、23才になった娘、
もう、私が思う、小さな頃の娘ではない。
一人の立派な大人だ。
親元を離れて生活をしだしてから
5年目を迎えた娘に
私が手を差しのべる必要もないのかもしれない。
それでも
何か、親としてしてやれることがあるのかな?
そう思うと
娘の頑張りを応援することしかない気がする。
そして
困った時
後ろに居るよ、
だから、今は、前を向いて
自分のできる限りの可能性を信じて
やりたいことをやってほしいと思う。
そんな
娘の誕生日のお祝いに
娘の好きな猫のポストカードを送った。
そして
この間行った時にアズキやかぶちゃんと一緒に写した
写真に添えて、お祝いのお金を送った。
昨日の夜
娘から元気そうな声で電話があった。
合宿の帰りに
皆で、大和ミュージアムへ行ったらしい。
お母さんが好きで行きたい所だと思うと言っていた。
お土産も買ったよと言っていた。
たったこれだけのことが
私にはとても嬉しかった。
23才、結婚してもおかしくない年齢だ。
どうか、体だけにはくれぐれも気をつけて
色んなことがあるだろうけど
負けないで前を見て歩いていってほしい。
一日遅れたけど
「お誕生日、おめでとう\_(^◇^)_/\(*^^*)/ おめでとっ!」
今年になって、目が見えにくいとうか
充血がひどく
痛みもあり、目を開けたままでいるのが
とても辛い時もあった。
でも、眼科には行かず様子をみていた。
夫の入院中のこともあり
時間的にも精神的にも
自分自身の目のために病院へ行く気持ちにもなれなかった。
この最近、症状がとてもひどくなり
☂の日はそれほどでもないが
晴れの日の紫外線の強い時には
本当に目を開けたくない・・・
そんな日々を過ごしながら
市販の、一番値段の高い目薬を買って来て
一回さしたら、しみて痛みい。
充血は一時的には治るけど
また同じことの繰り返しだった。
昨日は、心臓の病院の日で
夫の病院へは行かなかった。
また、診察が早く終わったので
思い切って家の近くの眼科へ行った。
母が白内障で手術をした病院で
先生がとてもやさしく話しやすい人で
母を連れて行っていた頃から
信頼のおける良い先生だった。
眼科へ行くのが嫌なのは
眼底検査の時と視力検査があるからだ。
でも、そうは言っていられない。
眼底検査も視力検査もしてもらって
先生の診察を受けた。
私が症状を言うと、目に傷があるのかもしれないと
検査をしてみたが異常なし。
視力も老眼はあるがよく見えていると言われた。
結局、今の私の目の症状は
病気ではなく疲れ目だとのこと。
夜、本を読むのが一番いけないのだろうなあと思いながらも
毎晩、読み続けていたから
余計に症状が重くなったのかもしれない。
ビタミン入りの目薬を出してくれた。
この目薬をさしても改善されなければ
再診してくださいと言われた。
しばらく様子をみよう。
そして、目を酷使するのはやめよう。
目の病気ではなかったことだけ
診察してもらってわかったので安心した。
目は大事にしないと。
さっき、夫が入院している病院の
主治医から電話があった。
この数日の夫の様子は
以前に比べると大分快方に向かっている。
まだ腹水が少し溜まってはいるものの
完全に無くなるのを待たずに退院できるかもしれないとのこと。
夫自身
病院のベッドの上で寝ているだけの生活に
飽き飽きしているはず。
出来たら退院して
家で日常の生活に戻りたいのだと思う。
私もそれは良いことだと思う。
でも
でも
やはり不安が残るのだ。
1月に救急車で運ばれた時のようなことが起きたら・・
と思うと
手放しで退院可能を喜べないのだ。
複雑な心境だ。
夫の居ない暮らしに慣れてきたせいもある。
自宅療養が始まると
この3ヶ月近い、私の自由な暮らしはストップする。
そしてまた
昨年の秋から末にかけての
一日中、ご飯のことをする生活に戻る。
塩分と水分制限の食事作りは
正直言ってしんどい。
私が今一人で気楽にしている暮らしに比べたら
雲泥の差がある。
まあ、これも仕方ない。
喜ぶべきことなのだから。
今日は私の心臓の病院の受診日なので
夫の病院へ行くのは明日になる。
明日、朝一番に行き
主治医と面接をして
夫の正直な気持ちを聞い来よう。
2012年04月10日(火) |
ちょっと遅くなりましたが・・ |
報告が遅くなってしまったけれど
先週の土日に
東広島市に住み始めた娘の家に行ってきた。
先日行った時は船と電車を乗り継いて行ったが
今回は車を運転して行った。
娘の買い物に車がないと駄目なことがあり
また、アズキを連れて行きたかったので
四国内は高速を走ったものの
四国を出たのは初めてだった。
6時に家を出て伊予インターから高速に乗った。
松山道を走り小松で降り
今治インターまで下の道を走った。
そして、いよいよしまなみ街道を走る。
平均時速90キロから100キロ。
下り坂は気がつくと120キロ近く出ていた。
途中で休むこともなく
3時間で娘の家に着いた。
アズキが途中で吐いていたが
家に着くと元気で走り回っていたので安心した。
娘が飼っている猫のかぶちゃんは
アズキに対して恐怖を覚えたのか
いつもなら部屋中をのしのしと歩くのが
こたつの下に入って動かない。
アズキは喜んではしゃぎ回ったが
かぶちゃんは対照的で面白かった。
娘が必要なものの買い物や
家の台所の片付けや
なんだかんだ用事があり
あっという間に時間が過ぎた。
翌日は暗くならないうちに帰宅したかったので
午後3時に娘の家を出た。
午後6時に帰宅できるはずだった。
それなのに・・・
カーナビの設定ミスがあったのか
いつまで走っても高速に乗れと言わないのだ。
そして
結局1時間ちょっと下の道を走って
尾道からしまなみに乗った。
遅れた分を取り戻そうと
行きよりも飛ばして走った。
結局、帰宅したのは午後6時15分。
行きと同じくらいの時間で帰ることが出来た。
カーナビがあれば何処へでも行けると思う。
ある程度の自信もついたし
次に行く時は夫を連れて行ってあげようと思う。
夫が元気になるといいな。
娘の所に行ってアズキとかぶちゃんのご対面や
娘がアズキの散歩をさせている写真を
アズキ日記に載せたので
よかったら見てみてね。
通話専用の携帯を買った。
ウィルコムの携帯は
私にとって救世主だ。
ドコモの携帯は今まで通り使いながら
これも、なるべく安くあげるように
店の人が親切にプラン設定をしてくれた。
だから
ドコモの携帯はメール専用、
ウイルコムは通話専用。
これで、今、私が住んでいる
実家の固定電話も外すことが出来た。
通信費はバカにならない。
パソコンや携帯や固定電話を足していくと
本当に高くなってしまう。
広島に住み始めた、娘も
自分が通信費を払うことになって
通話料金が一番得な
ウイルコムの携帯を持った。
何より、私が嬉しかったのは
今まで、携帯をもたなかった親友が
同じウィルコムの携帯を持ってくれたことだ。
彼女とは2時間45分まで無料で話ができる。
その上
どこの会社、家の固定電話にかけても
一回が10分以内なら
一ヶ月に500回かけることができる。
500回もかけることはないだろう。
今までは、携帯で話すと結構高くつくので
話が長くなると困ったなあと思っていたが
これからは安心して話すことができる。
そもそも
通信費が高いのだ。
もっと安くできるはず。
今はスマートフォンの時代だから
通信費もたくさんかかる。
私もスマートフォンは、新しい携帯に付いてきたので
使おうと思えば使えるみたい。
でも、
最近は目がかすんできていて
PCの画面さえ見るのが疲れる。
その上にスマートフォンを使うのは
無理な気がするから
しばらくこのまま様子をみて
やはりと思う時に行動しよう。
携帯を持つ人たちの割合が100パーセントをこえ
今や一人に二台が普通になるのかもしれない。
携帯電話に振り回されたこの5日間だった。
夫が1月に入院して以来
私は心身共に疲れてしまったことがある。
その時に書いた詩、
「雑踏の中で」を
産経新聞の「朝の詩」に送った。
多分1月の終わりだったと思う。
それから、
毎朝、新聞の一面の一番上の「朝の詩」を見ているが
載らないので駄目だったと諦めていた。
昨夜、(毎日忙しく新聞を読むのは夜の7時になる)
いつものように新聞を広げた。
何気なく「朝の詩」を見ると
そこに、私の名前があった。
そして
「雑踏の中で」が掲載されていた。
信じられないくらい驚いた。
そして、改めて読んでみた。
あの頃の私の気持ちを素直に書いた詩。
友人に話したら
私とは反対の気持ちになると言われて
そうなんだ・・・
人によって違うのだなあと思った。
姉に電話して報告。
姉も喜んでくれた。
やはり
採用されたことは嬉しい。
二度とないことかもしれない。
私は長い文章を書くのは好きだけど
短い詩を書くことはほとんどない。
だから
こうして初作品が採用されたことは
私のこれからに影響するかもしれない。
ポエム・詩を書いてみようかな・・なんて思っている。
昨日の産経新聞の「朝の詩」に載った
「雑踏の中で」は以下だ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「雑踏の中で」
心が
壊れそうになったら
雑踏の中に身を置く
すれ違う人たちは
私を見ることも
笑いかけることも
話しかけることもない
まるで私は透明人間
誰かに心を覗かれる
こともなく
ただ
群集の中の一点となる
スカーレット
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