スカーレットの心のつぶやき
つぶやき 目次過去未来


2010年10月31日(日) 納骨

昨日のつぶやきに書いたことを

思いきって姉に言ってみた。

「今、母の遺骨が私の傍になるから

私は泣くこともなく生きていけている

もし、四十九日の法要のあと、納骨したら

私の心が崩れ、喪失感に襲われ

きっと生きて行けない気がする」と。

そして

「私の心の中で、母が亡くなったことを受け入れ

母の思い出と共に生きていける自信がつくまで

たとえ、それが一周忌になろうとも

納骨をしたくない」と。

姉に話しながら涙が出てきた。

姉は分かってくれた。

そして、私の思うようにすれば良いと言ってくれた。

嬉しかった。

早速、お寺さんに電話をして

四十九日の法要のあとの納骨はしないと伝えた。

私の気持ちを説明して、了承して下さった。

集まってくれる親戚の人たちにも

事情説明をして法要の時間が一時間遅くなったことを連絡した。

皆、私の体や心を心配してくれているので

了解してもらえた。

これで、母としばらくまた一緒に居ることが出来る。

良かった。

母には「父ちゃんと同じお墓になかなか入れないけどごめん」と

謝った。

母は私の気持ちをきっと分かってくれると思う。

4年前に父は亡くなったのだが

母は、納骨の時に父の遺骨の一部を分けてもらい

母が縫った袋の中に入れて持っている。

だから、母の納骨の時にも同じように

遺骨の一部を分けてもらって持って居たい。

何かあったら母の遺骨に話しかけることが出来る。

そうすれば、納骨して家に遺骨がなくなっても

私はいつでも母の傍に居ることが出来る。

納骨をしないとなると

祭壇はどうするのか?

野位牌は?

卒塔婆は?

巳午は?

などなど、色んなことが気になるが

分からないことは誰かに尋ねれば良い。

少しほっとしている。


2010年10月30日(土) 悲しくないわけ

私が泣かないわけが分かった。

自分でも本当に不思議だったが

そうだ!と思えることが分かった。

それは、母の姿が遺骨となったけど

私が見える場所、いつも傍にいるからだ。

祭壇をまつっている部屋は

母の家のリビングだ。

そして、母が最期に電動ベッドを置いていた場所だ。

毎朝、御霊具繕をかえ、お茶とお水をかえ

お花の水を取り換え、手を合わせている祭壇が

私の傍にあるからだと分かった。

母の最期の二日ほどは、会話が出来なかった。

それでも、私は母に話しかけた。

母は時々、首を動かし、声にもならないう〜んという声を発した。

私が母に話しかけたことはきっと分かったはずだ。

だから、今、母の遺骨に向かって話しかけているのも

母がベッドで寝ている時に話しかけたのと同じなのだ。

返事は返ってこない。

声も聞けない。

首を動かすこともない。

でも、私には母が居るという実感がある。

だから、何をする時でも

「母ちゃん」と呼びかけ、話しかけている。

お風呂に入る時もご飯を食べる時も

買い物に行く時も

二階へ洗濯ものを干しに行く時も・・

いつでも「母ちゃん」と声掛けしている。

昨日も声なき声で返事が聞こえた。

だから、私は寂しくない。

悲しくない。

泣かないのだ。

四十九日の法要を来月23日にすることになっている。

納骨もする。

母の遺骨がお墓に納められたら

私の見えるところに母が居なくなった気がして

急に悲しくなり寂しくなり泣くのではないかと思う。

いつまでもこのまま母の遺骨を部屋に置いておきたい。

せめて一周忌までそうしたい。

お寺さんに尋ねてみようか。

母の遺骨の傍で生活したい。

そうでないと、私は崩れそうだ。

生きていけそうもない。

母の残した言葉を守ろうと思うけれど

それができないかもしれない。

そんな気がする。


2010年10月29日(金) 早合点

昨日は、母の私へのメッセージの言葉を思い知った。

「急ぐな、慌てるな、怪我スルナ」だ。

そのメッセージは、9月18日に書いてくれて手渡してくれた。

普段から家の中でも外でも

早く動き回る私に母がいつも注意していた言葉でもある。

小指をひっかけて骨折したり

タンスやピアノに頭や足をぶつけてアオジを作ったり・・・

大した怪我ではないが慌てて行動していると

痛い目にあっていた私への苦言だ。

昨日は怪我はしなかったものの

私の早合点で青ざめたことが起きてしまった。

それは財布を盗まれたと勘違いしたことだ。

明日、雨の中外で動くことがあるから

レインハットを買おうと思い

夕方になって近くのショッピングセンターへ行った。

適当なのが見つかってレジへ向かう途中で

ブーツコーナーを通った。

9月1日が私たち夫婦の結婚記念日だったので

夫が私へ何かプレゼントしてくれるとのことだった。

でも、母の看護で忙しくそれどころではなく

そのままになっていたのを思い出し

ショートブーツを買ってほしいと言っていたので

何か良いのはないかな?と思って探してみた。

その時に財布の入った袋状のバッグを

長椅子の上に置いたままにした。

ブーツは良いのがなくインハットを持ってレジに行った。

会計をしてもらいいざお金を払おうとしたら

バッグの中に入れたはずの財布がない。

エッ!

嘘!

頭が真っ白になってしまった。

もしかして家に置いているのかもしれないと思い

自宅へ帰ってさっきまで居た台所を探してみた。

でも、どこにもない。

ショッピングセンターへ電話したが財布の忘れものはないとのこと。

じゃあ、きっとあのブーツを見ていた時に

誰かに財布を盗まれたのだ・・と思った。

早速、警察へ行き事情を話し盗難届を作成した。

財布にはショッピングとキャッシングのできるカードが何枚か入っていた。

もし、誰かに使われていたら大変だ。

カード会社数社に電話して使用できないようにしてもらった。

それでも、不安はあった。

現金は数万円で、警察の人に言わせると少額だとのこと。

そんなことを言われても、私にとっては大事なお金だ。

警察署を出て車を運転しながらも心は落ち着かない。

諦めるしかしょうがないのかなあ・・と思いながら

もう一度家を探してみようと思い自宅へ戻った。

冷静になって買い物に行く前の私の行動を思い出した。

そうすると、台所しか入ってなかったと思っていたのが

隣の部屋に入っていたのを思い出した。

それで、もしかして・・と思って部屋に入ると

何と財布が夫のPCの上に置いてあった。

ああ〜良かった!

ほっとした。

でも、私は何と早まったことをしてしまったのだろう。

猛反省。

警察へ電話して財布があったことを話し

盗難届を取り下げてもらった。

恥ずかしかった。

私が使えなくしてもらったカードは破棄しないといけないらしい。

それは仕方ない。

もし、再発行してもらうとしても

今度はキャッシングやショッピング機能のないカードにしてもらおう。

カードを持つのはやめようか・・・

母の家へ帰ったのは外が暗くなった頃、

母の祭壇の前に座って夕方に起きたこを報告した。

母が「良かったね、でも、慌てるなと言っていたろ」と

笑って言っている声が聞こえた。

本当にもう少し落ち着いて行動しよう。

今度は財布が見つかって良かったものの

いつどんなことが起きるか分からない。

良い勉強になった。


2010年10月28日(木) 二七日

昨日は、14日に亡くなった母の二七日だった。

気になっていたので、朝4時前に起床。

いつものようにお茶とお水を替え

お霊具繕を作る。

わかめとふの味噌汁

ご飯は私よりも多い量をまん丸くして

餓鬼仏のために少し箸ではねてお膳の上に置く。

煮物はかぼちゃとこんにゃくとしいたけと

ニンジンと高野豆腐といんげんを焚いて色どりよく

椀からこぼれおちそうなくらい、いっぱい盛り付けた。

母は香川名物のしょうゆ豆が大好きだったので

煮豆はしょうゆ豆を4個入れた。

いよいよお団子作りだ。

二つの高付に20個ずつ盛る。

一番下の段が10個

次が6個

そして3個、一番上に1個乗せてお団子が出来る。

初七日の時には湯がきすぎて

お団子が軟らかくなりすぎて

重ねたら崩れてしまってやり直した。

昨日は今度こそ成功させると意気込んだ。

ある人から湯がくのではなく蒸したら良いと聞いたので

昨日は40個のお団子を蒸して作った。

重ねるのになかなかコツが要る。

どうしてもうまくまとまらない。

熱い間に折った半紙に上に置いたので

半紙が破れてしまった。

やり直した。

お団子を降ろそうとしたら

何と柔らかいお団子に半紙がくっついてしまった。

笑いごとではない。

私は必死なのだから。

くっついた紙をはがそうとしたら

せっかく丸く作ったお団子がいびつになってしまった。

それでも、なんとか重ねて形も整った。

なんと、たったこれだけのことをするのに

一時間弱もかかってしまった。

四十日まではまだ5回お団子を作ることになる。

その頃にはきっとうまくなっているだろう。

もしかしたらお団子屋さんが出来るくらい上手になっているかも?

祭壇のお花の水を替え、母の前に座ってお経をあげると

もう二時間が過ぎていた。

きっと母が笑っているだろう。

母が私に残してくれたメモには

「急ぐな、慌てるな、怪我スルナ」と書いている。

せっかちで何でも手早くしてしまう私への

母の戒めだ。

母の言葉を思い出し、いくら忙しい朝でも

落ち着いて怪我をしないようにしなくっちゃ。

つくづくそう思った。

昨日は、お参りに来てくれた人も二組いた。

午前中は家を空けることが出来なかったので

予定していた銀行やドコモへ行けなかった。

当分、この忙しさが続きそうだ。


2010年10月27日(水) 戒名

昨日は、母の白木の位牌を持って

お寺さんに行ってきた。

理由は、大きさの違う二つの位牌のうち

小さい方の位牌の裏側に書いている

母の没年が間違っていたからだ。

母は10月14日に亡くなった。

戒名をつけてくれた

実家が檀家であるお寺のご住職が

平成22年と書かねばならないところを

14日が頭にあったのだろう

間違って平成14年と書いていた。

これが分かった時は正直驚いた。

位牌を作り直してもらおうと思い

本院さんに連絡したら

すでに拝んでいるしこの位牌は四十九日までのものだから

書き直したので良いだろうとのこと。

それで、昨日お寺に持って行って書き直してもらったということだ。

母の戒名はとても良い戒名だ。

父の戒名の一字を取り院号をつけてもらった。

壽という文字、香と言う文字、

そして、母の名前から翠と言う文字

美しい玉という意味の瑤という文字を使った

とても品のある美しい戒名だ。

きっと母も喜んでいるだろう。

ただ、戒名料って高額だったのにはちょっと・・・

○十万円もかかった。

もし、私がもし死んだら

戒名は要らない、俗名で良いと思った。

無駄なお金の使い方だと思ったからだ。

でも、俗名ではだめだと言われた。

これには理由があるのだろうが

お葬式や戒名料に多額の費用をかけるも変だ。

母もそう言っていた。

結果的には母が喜ぶであろう戒名をつけてもらえたのだから

少々高くても良しとしよう。

家に帰り祭壇に書き直してもらった位牌を供え

ほっとした。

今日は、母の二七日だ。

朝、40個のお団子作りに四苦八苦した(笑)

少し大きさの違うお団子が出来上がったが

母はきっと許してくれるだろう。

母はいつも私を見守ってくれるに違いない。







2010年10月26日(火)

人は悲しみが深いほど涙を流すことが出来ない・・

昔、そんなことを聞いたことがある。

その時には、正直理解できなかった。

悲しいなら泣くのが当たり前だと思っていたから。

でも、母が亡くなり、初めてその言葉が本当だったと分かった。

あれほど母を愛し

母の居ない生活など想像もできなくて

いつまでも母は私の傍にいてくれる・・・

母が死んだら後追い自殺をすると心に決めていた。

夫も娘もそんな私の想いを知っていたから

母が亡くなって、心配したのだろう、

娘は私に犬を飼ったら寂しくないから

四十九日までに犬を探してと言った。

夫は葬儀の日

葬儀場へ向かう車の中で

私の親友に「後を追って本当に死んでしまうのでは?」と

心配そうに語ったと言う。

そんな夫や娘の心配を背に

私はこの10日あまり

泣くこともなく事務的なことや

葬儀後の後始末や今後のことで

毎日忙しく動き回り

母の前に座りしんみりと母を思い

涙を流すこともない。

夜になると一日の疲れが出て早く休んでしまう。

本当に自分自身の状態が不思議でたまらない。

姉は母の話をするとすぐに泣いてしまう。

葬儀の時も母が読んでほしいと姉に託した

挨拶文を一行読んだら後が涙で読めなくなり

私に続きを読んでほしいと言った。

私は母の文章を前日に読んでいたので

母の言葉

「泣かないでください、悲しまないでください、笑って送ってください」

を守って、泣かなかった。

泣き崩れる姿を母に見せたくなかった。

意地でも泣かずに喪主の務めを果たそうと思った。

そんな私は情が冷たいのだろうか・・・

やさしくないのだろうか・・・

そんなことはないと思う。

いつか、きっと我を忘れて泣く時が来るのかもしれない。

涙って枯れるほど流すとその後は出ないと言うが

私も母を思って涙が枯れるほど泣く日が来るかもしれない。

でも、私は死なない。

前を見て明るく元気で生きていくのだ。

そう心に決めたのだから。





2010年10月25日(月) 有難う

8月のはじめにつぶやきを書いて以来

家に帰る時間もほとんどなく

PCを開けることもなくて

つぶやきを更新しないままにしていた。

母が14日に亡くなり

そのあと、色々な手続きや母をまつることなどで

毎日バタバタしている。

母の前に座りしみじみと悲しく時間もなく

涙も出ない毎日で

正直、私って冷たい人間なのか・・と思ったりしていた。

あれほど、母への想いが強く、

母の居ない生活など想像もできなかったのに

毎日、ご飯を食べて、寝て、たまにTVを見て

お霊具膳を作り、七日ごとにお団子を作り

掃除をし・・

一日のうち朝の1時間だけ自宅に戻り

夫の食事を作る生活。

掛替えのない人・母を亡くした私がする生活なのだろうか・・

そんな風に思いながらもうすぐ二七日を迎える。

昨日はつぶやきを読んでくれた近所の友人が

夜弔問に訪れてくださった。

たまたまつぶやきを読んでくれたそうだ。

そして、母のために涙を流してくださった。

本当に有難い。

また、今朝はメル友さんからのお悔やみのメールが届いた。

私はこうして周りの人たちに支えられているのだと

改めて思った。

一人で踏ん張って突っ張って生きてはいけない。

私は一人で生きていくことなどできない。

母が最期に残した言葉を守り

元気で明るく生きて行くことが

母への一番の供養だ。

今日も銀行や市役所へ手続きに走りまわる一日になりそうだ。

母が生きていたら「なんでそんなに動き回るの?」と言いそうだ。



2010年10月24日(日) 旅立った母ちゃんへ

母ちゃん、早いもので母ちゃんが父ちゃんの元へ旅立って

10日が過ぎました。

でもまだ父ちゃんとは会ってないですね。

私は元気ですよ。

母ちゃんが書き残した言葉の通り、

お葬式は泣きませんでした。

私が喪主だったからしっかりしないといけないと思っていたし、

泣いていては母ちゃんが安心して逝けないと思ったから。

母ちゃんと私は姉ちゃんが羨むほど仲が良く、一心同体だったね。

だから、小さい頃から、

私は母ちゃんが死んだらきっと生きていけないと思っていました。

その私が母ちゃんが亡くなった後、

初七日のお団子や毎日の御霊具膳作りに精を出しています。

自分でも不思議です。

まるで悲しみを、胸の奥深くに鍵をかけて

仕舞いこんでしまったような気がします。

たとえ母ちゃんの姿を見ることも、話すこともできなくても、

私は母ちゃんといつでも一緒に居ます。

そして、元気で明るく笑って生きて行きます。

だから、安心してください。

四十九日が済んだら、そっちで待っている

父ちゃんと仲良く暮らしてくださいね。

母ちゃんの娘で生まれて本当に良かった、

産んでくれて有難う。

幸せになります。


スカーレット