スカーレットの心のつぶやき
つぶやき 目次|過去|未来
母が退院してひと月が経った。
急激な変化はない。
毎日、母の家で母と過ごす毎日の中で
母の微妙な変化に気付くようになった。
母が椅子から立ち上がる時の表情、
パジャマを着換える時の難儀度、
歩く時の歩き方などなど・・・
今日の母はどうかな?
大丈夫かな?
元気を出せているかな?
母の顔色と様子を見て判断している。
最近の母は退院した時に比べて
腰から足にかけての痛みというか重苦しさが
段々ひどくなってきているみたいだ。
一番最初に温熱療法を受けた翌日は
腰や足にも効果があったのかと思うほど
母自身が楽だと言っていたが
今は少しずつ痛みも増し
歩くのが歩きにくい
動くのが億劫だと言っている。
人は自分の気持ちに正直に居るのが一番良い。
何もしたくない時は何もしなくて良い。
またやりたくなる時が来るのだから。
そんな風に母に話した。
幸い、食欲はある。
私が作る昼と夜のご飯を全て食べてくれる。
母と私とで一人前くらいの量ではあるが
栄養的にバランスの良い献立を考えて作っている。
食欲のある間は安心だ。
何もいらないと言い始めたら心配だ。
食べるものについても
本来はその人が欲するものを食べると良いと思っている。
私がずっとそうしてきたから。
辛いものはダメだとか
甘いものは太るだとか
そんなことを考えず
自分の体が今一番欲しているものを
体に入れてやることが健康の秘訣だと思っている。
母と過ごす時間の中で
私自身の生活のペースも大体決まってきた。
これからも長い母との時間、
自分自身のストレスにならないためにも
少しは自分がしたいことをして
一日が良い日だったと思えるようにしよう。
それがまた母のためでもあるのだから。
一週間前にゲルマローラーなるものを買った。
新聞広告に惑わされてはダメだと思いながら
広告文に引き込まれてしまった私だ。
値段も安いものではない。
まあ高価過ぎるということでもないが
15000円ほどだった。
届いた夜から本を見ながら
チャンネル桜を見ながら
パソコン動画を見ながら・・
顔をゴロゴロ、首をゴロゴロさせている。
年齢による肌の張りの衰えや
小じわやそのほか気になることが
少しでも減り若々しい肌になれると信じて
ゴロゴロさせているというわけだ。
顔がほんのり温かくなる。
血液の循環が良くなるのだろうか。
少しはハリが出たような・・(笑)
首筋のリンパの流れも良くなったような気もする。
効果がなかったら返品可能とは書いてあったけれど
気長に続けてみよう。
首のシワは年を感じさせる。
年齢を重ねることは
それなりの値打ちのあるものだと思いたいが
悲しいかな・・女ごころ
いつまでも若く居たいし綺麗で居たい。
笑ってしまうけど本音。
顔を洗って化粧を落とし
化粧水をつけたお顔をゴロゴロ・・
続けてみたい。
先ほど、6時前、朝日が上がったので
国旗掲揚をしてきた。
昭和27年(1952年)4月28日に
日本国は米国から正式に独立したのだ。
日本がGHQから主権を回復され、
大東亜戦争当時の連合国と我が国との間で
サンフランシスコ講和条約が発効された日なのだ。
だから、4月28日は「主権回復記念日」なのだ。
本当なら祝日として国民が祝わねばならない。
でも、国旗掲揚は右翼だと思っている日本人が多い今の日本で
それを望むのは無理だろう。
せめて、思うところのある個人個人が
国旗掲揚をしてお祝いしようではないか。
明日は「昭和節」
つまり、昭和天皇のお誕生日
言葉上は「昭和の日」とされているが
明日も国旗掲揚して昭和天皇のお誕生日をお祝いしたい。
このつぶやきを読んでくれた人で
私も国旗掲揚しようと思ってくれる人が
一人でもいてくれたら私は嬉しい。
昨日は久しぶりに同志を会い色んなことを話すことが出来た。
日本を解体しようとしている民主党政権を打倒して
真正保守の政党が出てきたら
日本もきっと再生できるはずだ。
それまでは私が微力ながら頑張っていきたいと思う。
交通事故で入院した仲間もベッドの上できっとそう思っているに違いない。
昨夜のNHKTVニュースで
新潟県佐渡市で自然に放されたあとでつがいとなり、
自然の中で初めてとなる繁殖が期待されているのに
オスのトキが、22日のメスに続いて
またも卵を巣の外へ捨ててしまった様子が映し出された。
ショックだった。
あまりにも杜撰な捨て方に思えたからだ。
卵を孵化するために
つがいのトキが一所懸命に温めている姿は
やはり親鳥だなあ・・と感心していた。
でも、昨日、何の理由があるのかは分からないが
いとも簡単にぽいっと下に捨てているのを見て
とても悲しい気持ちになった。
人間社会でも親が子供を虐待死させる事件が多い。
鳥の社会に虐待などないのは分かっている。
でも、昨日の捨てる瞬間の映像を見て
人間の姿を重ねて見たのは私だけだろうか・・・
3個の卵のうち残るは1個だけになった。
自然に放たれてからの卵の孵化は難しいのかもしれない。
捨てられた卵が有精卵か無精卵なのか?
もし温めていても雛とならないのかもしれない。
それをトキは知っていて捨てたのかもしれない。
そう思いたい。
でも、悲しかった。
昨日は大阪の娘の演劇公演を観に行ってきた。
母のことや私の体調のこともあり
どんなになるか心配していたが
母のことは姉に頼み、
朝一番の高速バスに乗り観に行くことが出来た。
5時35分発、少し早目の10時半に梅田に着く。
メル友さんが一緒に観に行ってくれることになっていて
紀伊国屋前でお会いし地下鉄で芸術創造館へ。
午後1時からだが12時からの受け付け順に
好きな座席に座れるというので、早目にお昼を食べて
12時に受け付けてもらった。
娘からメールが入り今日の公演は2時間半という長丁場だと言ってきた。
2時間半の劇は今まで観た中で一番長い気がする。
初めにネットであらすじを読んだけれど
何か分からないことばかりで不安だった。
娘の所属する大学の劇団が主催ではなく
社会人が作っている(阪大演劇部出身)劇団で
娘たち三人が共演してものだ。
演目は「スクランブル江戸4YOU 」
ストーリーは
日本の平和は天皇陛下を頂点とする4人の男達と、
彼らが率いる組織EDO4によって均衡が保たれていた。
日本の全ての『権限』を支配する、
天皇陛下率いる『聖域(サンクチュアリ)』
日本の全ての『武力』を支配する、セイヤ率いる『男塾』
日本の全ての『交通・連絡手段』を支配する、
ヒリュウ率いる『福太郎電鉄』
日本の全ての『金銭』を支配する、
タイガ率いる『南斗十字銀行』
日本は彼らが互いに睨みをきかせることによって
絶妙な均衡状態が保たれていた。
しかし、ある日その均衡が突如破られる。
福太郎電鉄のヒリュウが『天皇陛下48の必殺技』の1つ『鎖国令』を破り、
クーデターを宣言したのだ。
己のみが自由に使える『交通・連絡手段』を用いて
諸外国へ渡ったヒリュウは、
『世界の武力』と『世界の金銭』を手にして日本への進軍を開始する。
事態を重く見た聖域(サンクチュアリ)は
男塾・塾長セイヤと南斗十字銀行・頭取タイガの2人に
福太郎電鉄・社長ヒリュウ討伐を命じるが…
天皇が出てくるが決して政治的思想を持ったものではないと娘は言った。
確かにアニメ的な要素がいっぱい。
マリオも出てくるファンタジー的要素も持っていた。
娘の役柄は皇太子の母でロシア人、
娘のキャラにあっていて母性がよく出ていたと思う。
それにしても演じる人たちの迫力が凄かった。
ダンスも激しいものだった。
舞台中を動き回り熱がとても入っていた。
さすが社会人の劇団の演出だと思った。
とにかく楽しいのだ。
笑いあり涙あり感じることありの2時間半を楽しむことが出来た。
18時20分のバスに乗り帰宅は夜中の0時を過ぎていた。
久しぶりのバスの旅で正直疲れを覚える。
でも、観に行ってやることが出来て良かったと思う。
2010年04月24日(土) |
竹田恒泰先生の研究会 |
昨日は竹田恒泰さんの古事記の勉強会に行ってきた。
先生のお話は2月11日の建国記念日の講演会でお聴きした。
思っていたよりも気さくで話も楽しく笑いの中に
要点を分かりやすく話してくれた。
その時にもらったパンフレットの中に
古事記の勉強会を一年間にわたってするということが書いてあり
早速申し込んでいた。
母が入院していることもあって
本当に参加できるかどうか分からなかったが
昨日はプレ勉強会に参加することが出来た。
一番前の席に座って先生の表情もよく分かった。
昨日は古事記の勉強をするのは何故か?ということから始まり
日本国が天皇陛下をいただくとても素晴らしい国であるということを
話してくださりとても感動した。
2000年以上続いているご皇室、
天皇陛下と日本国民は固い絆で結ばれている、
一般人がお互いに殺し合う戦争を一度もしたことがないのは
日本が世界の中でたった一国だ。
天皇陛下は国民の幸せを祈ってくださっている。
私たち国民もまた天皇陛下をお守りする。
そして、それが日本である。
今の教科書では神話を教えない。
日本の建国についても教えない。
日本がどのように出来たのか?
天皇とは何か?
そういったことを教えない限り日本は滅ぶと仰った。
本当にその通りだと思う。
天皇陛下と私たちとの関係は
お互いに守り祈りあう存在なのだ。
こんな素晴らしい国は世界中どこを探してもない。
人は何のために生きるのか?
それは人のために生きるのである。
人のために生きるということは公のために生きるということだ。
天皇・ご皇室を守ることが国を守ることであり
それが家族を守ることでもあるのだ。
子供たちに日本は本当に素晴らしい国だという誇りを持ってほしい。
そのためにも古事記・日本書紀を学ぶことが必要だ。
竹田先生の研究会に入会した。
次回は6月9日
これから一年間、勉強していきたいと思う。
先日、はちみつがいかにお肌に良いか?
健康に良いか?とNHKのTVでやっていた。
とても美しい女性の美容の秘訣ははちみつパックだとも言っていた。
なるほど・・と思いながらTV画面を見続けた。
顔のお肌も手の甲もとてもすべすべして綺麗だった。
はちみつが良いのは知っている。
毎朝パン食の私はトーストしたパンに何も塗らないでそのまま食べる。
マーガリンは体に悪いと分かって以来
何もつけなくて食べるのが習慣だ。
夫はブルーベリジャムを塗って食べている。
何も塗らずに食べると慣れるしパンそのものの味がわかって
結構美味しくいただける。
でも、TVではちみつが良いことを再確認して
はちみつを買ってきた。
勿論国産、それも地元でとれたもの。
正直値段が高いなあ・・と思う。
小さな瓶180グラム入りで900円だった。
400グラムの瓶で2000円。
小さな瓶はみかんのはちみつがあったので小さいのにした。
レンゲやみかんが無難だろう。
母にも一個プレゼントした。
毎朝、ほんの少し薄くパンに塗って食べ始めたが
このくらいの量では何も効果はないだろう。
料理にお砂糖の代わりにいれると良いみたいだ。
でも、勿体ない気がして出来ない。
せめて毎朝の少しのはちみつの効果が出てくれると良いなあ・・
母が退院してから頭がフラフラする
いつもぼうっとしている
トイレの便座が揺れる・・・等々
症状があり不安だというので
19日に貞本脳神経外科へ連れて行った。
平成20年にMRIの検査をしてもらってから
ずっと行っていなかったので初診扱いになり
当日には検査が出来ない、予約は5月の半ばになるとのこと。
それまで放っておくのはダメだと思い
昨日、朝8時前に病院に行き
MRIの当日検査を申し込み順番待ちをした。
問診後、どうやら検査をしてもらえることになった。
でも、検査の時間は11時15分。
それまで黄文雄氏の近現代史講座を持って行っていたので
勉強していて時間は直ぐに経った。
でも、母が座った姿勢のままで3時間も過ごしたので
後で影響があったのではないかと心配だった。
母のMRI検査の結果は異状ないとのこと。
本当に良かった。
一安心した。
帰りに北斗うどんでお昼を食べる。
母の方が私よりもたくさん食べるのを見て
安心したというか嬉しくなった。
母も気持ち的にほっとして食欲も進んだのだろう。
一昨日の朝は腰痛がすると言っていたので
長い間座ったことを心配していたが
温熱療法をしてもらった後腰痛もなくなったとのこと。
だから、昨日は長時間座っていても大丈夫だったのだろう。
夕方には愛大から連絡が入り
私が心配していた重症筋無力症の抗体検査の結果が
陰性だったと言われた。
最近は脚の無力感もなくなっていたので
多分陰性だろうと思っていたが
きちんとした結果が出て良かった。
検査はしてもらうものだ。
昨日は、結果はどうであれ検査は必要だと再認識した一日だった。
昨日は、母を温熱療法第一回を受けに松山西病院に連れて行った。
朝一番8時45分の予約だったので
家を7時半に出て8時前に着く。
受付もまだ始まってない状態で、もっと遅く来ればよかったと反省。
母は昨日の朝から腰の具合が悪く
長く待たせることになって申し訳なかった。
汗をかくから薄い夏のパジャマに着替える。
8時45分、いよいよ始まった。
私も母が治療をしているのを見せてもらうことが出来た。
言わば電子レンジのように外側だけ温めるのではなく
中まで熱が入る仕組みだとか。
四国では松山西病院だけしかやっていない治療。
先生がとても話しやすい良い先生だった。
私の質問にも快く答えてくれた。
先生は岡山の方で10年くらい岡山の病院で実績を積まれ
一年前から松山西病院に来ているとのこと。
まだまだ一般的に知られていない治療法だが
副作用もなく高齢者は103歳の人にもしたと言っていた。
昨日の母は初めてのこともあり
不安もあってはいけないので
40度くらいの温度で温めた。
本来は43度が良いそうだ。
母はぬるめのお風呂が好きな人で40度のお風呂には入れない。
私は反対に熱めのお湯が好きなので
もしかしてこの治療は私に向いているかもしれない。
人工弁の人もしているとのこと。
また、私のように脂肪が少なく痩せている人は
体の芯まで熱が入りやすいが
女性や脂肪が多くついている人は難しいらしい。
治療は40分。
思っていたより母は汗をかかなかった。
それでも朝の腰痛が治っていた。
次回は来週の月曜日だ。
二カ月やってみて少しでも効果が出ると良いな・・
いい夫婦の日って11月22日だっけ?
いい夫婦ってどんな夫婦だろう・・・
夫唱婦随?
それとも友達夫婦?
いつも笑って話し合える夫婦?
黙っていてもそばに居るだけでほっとできる夫婦?
手をつないで歩ける夫婦?
二人で居れば幸せ感を味わえる夫婦?
私にはどれもみな素敵な夫婦の姿に思える。
年を取って、縁側に座布団を敷いて
お茶を飲みながら黙って座っている夫婦になれれば良いなあ・・
年を取っても同じ思いで居られる夫婦って良いなあ・・・
私たちってどんな夫婦だろう?
最近は母の家に居ることが多くて
夫の顔を一日中見ない日もある。
朝、夫が起きてくるまでに家を出て
私が帰ったら夫は実家にお風呂に行ってる。
私と夫は一言も話すことなく
ご飯のことをメモに書いて会話をしている感じ。
最近の私は少々ストレスたまっている。
夫との関係がもっとスムーズに行っていれば良い。
喧嘩はしないが会話もしない。
こんな日々で良いのだろうか・・
夫婦って何?と改めて自分の胸に聞いてみる。
昨日は緊急役員会を開き
「頑張れ日本!全国行動委員会 愛媛県本部」の立ち上げを相談した。
私の熱い思いは伝わったものの
今の支える会のままで良いではないかという意見が出て
私以外の人は皆賛成したので
結局、結成は断念した。
仕方ない。
そして5月9日に「子供手当反対「「夫婦別姓法案反対」の
街宣活動をすることに決めた。
本当はデモがしたかったのだが
集まってくれる人も少ないと思うので
今回は街宣活動のみになった。
これも仕方ない。
そのあと、知人のお見舞いに行った。
前に二度行った時は
症状も思ったより重くなく
ほっとしたのだが
昨日行くと、意識不明になったと聞き
後遺症に似た症状も出ていると聞き
涙が出てきた。
それでも私たちが行くと分かったし
ゆっくりと言葉を考えながら話してくれた。
でも、今までを考えると嘘のようだ。
否、今までが凄かったから余計にその差を感じるのだろう。
ゆっくりと休みなさいと神様がくれた休暇ですよと私は言った。
看護されている娘さんが倒れないかと心配だ。
私自身母の看護を半年だがしたから
大変さはわかる。
どうか病気に負けることなく
また復活してほしい。
桜の花はほとんど散った。
代わりに白色とピンク色の
ハナミズキの花が満開に近い。
綺麗だった。
ハナミズキの花を見ながら
一日も早くお元気になってほしいと心の中でつぶやいた。
温熱療法なるものを皆は知っているだろうか?
私は最近、ある人から教えてもらって初めて知った。
言葉の通り、
摂氏三三度〜四五度くらいの温度で患部をあたためる治療法である。
体を温めるのが良いということは
以前から知っている。
冷たいものが好きで
平熱が35度台の私には耳の痛い言葉だ。
母が入院し治療を受け退院したら
温熱療法を受けさせたいと思っていた。
昨日、母を温熱療法をしている病院へ初めて連れて行った。
先生の話を聞き改めて納得してしてもらうことにした。
所謂ハイパーサーミア(がん温熱療法)である。
母が受けていた治療には副作用があり
今も母の体調はすぐれない。
しかし、このハイパーサーミアには目立った副作用がないと言う。
高齢者にも向いていると言う。
患部を43度の熱で温めるらしい。
温めるのは電子レンジのような仕組みの装置に入り
40分ほど熱を与える。
二枚の電極で身体を挟んで高周波を流す方法。
体を通してほぼ一様に電流が流れるそうだ。
癌細胞は35度以下になると活発になる。
反対に43度以上になると死滅するのだ。
もし、母に温熱療法が効き
現状維持で居られたとしたらこんな嬉しいことはない。
やって良いということはやってみたい。
合わせて食事療法もやると良いのだが
母に話すとそれは良いと言った。
でも、体に悪いものを食べるのはやめ
新鮮な果物と野菜中心の食生活に切り替えたい。
母のためでもあり私自身のためでもある。
温熱療法は来週の火曜日に第一回を始める。
ワンクールが二カ月で終わる。
そのあとでCTを撮ってみて効果を見るとか。
母も頑張る。
私も頑張ろう。
母が去年の秋に入院した頃から
半年にわたって看病のために
病院に毎日通っていたが
知らず知らずのうちに自分自身も無理をしていたようだ。
バセドウ病は再発するし
体重は減少を続けるし
肩こりはひどくなるし・・と。
でも、そんなことは母に比べると大したことはない。
母は病気と闘っているのだという思いが強かった。
母が退院しある意味ほっとしているのは確かだ。
退院後は毎日母の世話(食事が主だが)のため
母の家に朝から晩まで行っている。
入院していた時よりも体はしんどいが気は楽だ。
でも、一気に気が緩んだようで
それまで気にしてなかった肩こりがひどくなり
とうとう歯に来てしまった。
数日前歯医者に行った。
右の奥歯数本に金属をかぶせているのだが
その一つの歯の下が折れているので
歯茎が炎症を起こしていると言われた。
かぶせていた金属を外して歯茎の痛みはなくなった。
食事は左の歯で食べている。
歯医者は言った。
一度は前のように金属をかぶせる治療をしてみるが
今度ダメになった時は入れ歯になると。
部分入れ歯になる!
ああ〜これだけは避けたいと思っていたことが
現実味を帯びてきた。
今日は二回目の歯医者だ。
歯茎は赤く腫れていたのが今は落ち着き痛みもない。
もしかしたら入れ歯にしなくて済むかも?と
淡い期待を持っている。
一生自分の歯で食べたい。
そのために歯のケアは入念にしている。
それでも母に似たら歯は弱い。
まだ60にもならないのに入れ歯は嫌だ。
神様お願い!もう一度自分の歯にかぶせたので済むように。
母が退院して二週間以上経つ。
退院した時に比べると少しは良いと思いたい。
これは、私が思いたいと思っているだけで
実際の母の体調は良いとは言えない。
昨日もしんどいと言っていた。
体中がどてんとしんどい。
鉛をつけているかのようにしんどいと言う。
入院する前に比べると確かにしんどそうだ。
これが治療の副作用の影響なら納得できる。
母にある人が言った。
二週間くらいしたら楽になると。
母はその人の言葉を信じて待っているようだった。
私は病状というものは
人それぞれで、他人と比べることをしてはいけないと思っている。
だから、母が二週間以上経っても
なかなか回復しないのは仕方ないと思う。
母は来月89歳になる。
いつ何が起きてもおかしくない。
母は最近よく言う。
父の七回忌を絶対にするのだと。
その口調があまりにも強いので反対に心配だ。
本当は後二年とちょっと元気で居てくれるか不安だ。
私は毎日母の家で過ごす。
食事の世話をして一緒に食べる。
母は今はまだ食欲もあり
量は多くないが、私と同じくらい食べる。
美味しいとも言ってくれる。
ご飯がおいしく食べることが出来る間は大丈夫だと
私が勝手に思い込んでいる。
毎日パジャマで過ごしている母、
化粧もしないでかつらもかぶらない。
本来の母を考えるとそんなことはないはずだ。
人のためではない、自分のためにきちんと身だしなみを整える母だ。
母がパジャマを脱ぎ普通の服を着て
化粧もして綺麗になろうとした時
母は回復したのだと思う。
誰でもしんどい時に身なりのことまで気が回らない。
春が過ぎ初夏となった頃には
母のパジャマ姿にさようならをして
一緒に高島屋へでも行けることが出来る日を
心待ちにしている。
14日になった。
今日は愛大で検査をしてもらう日だ。
と言っても私一人がそう思っているだけで
実際に医者は検査などしない可能性が高い。
予約はフリー枠なのでいつ診てもらえるかも定かではない。
朝早くに行って順番を待つしかない。
私が心配している病気の抗体検査をしてくれるだろうか・・・
4月のはじめに電話した時頃に比べると
症状は軽くなっているし
あの時のしんどさも足のがくがく感も少なくなっている。
体重も1キロ増えた。
だから、やはり違うと思う。
それでも行くことにしているから行こう。
結果はまた分かってからここに書こうと思う。
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思ったよりもはやく診てもらうことが出来た。
7時半に病院に着き血液検査をして
9時半に診察してもらえた。
私が心配している重症筋無力症の抗体検査をしてもらったが
結果はしばらくかかるとかで
今日は何も分からなかった。
それにしても愛大の私がかかっている医者には腹が立つ。
患者に対しての接し方が偉そうなのだ。
今日も何が気分を害したのか
私が目の話をし始めると切れて怒りだした。
呆れた。
患者の相談センターに行き医者の話をして
愛大をやめてほかの病院にかかりたい。
この医者にかかっているとストレスがたまり
治る病気も治らないと言っておいた。
次回は6月の予約だ。
何と検査結果をその時に話すというのだ。
なんで電話一本かけてくれないのか?
それまで不安な気持ちで待ち続けるというのか・・・
ああ〜こんな医者は医者ではない。
信じられず信頼できない医者のもとで治す気も失せた。
今日、4月13日は、私の一人娘の21歳の誕生日だ。
4月13日を迎えるたびに
早いものだ・・という感動を覚える。
私の頭の中では娘はまだまだ子供だという思いがあるが
実際に娘の顔を見て話をすると
大人になったのだと感慨深くなることが多い。
先日、春休みに母の見舞いもあって娘が帰省した。
たった一週間だったけれど
娘と共に母の病院へ行き、買い物にも行き
同じ時間を過ごすことが出来た。
そして、娘が思っている私への思い、本音を知ることが出来た。
正直、私の中で想像していたことでもあり
また、想像したくなかったことでもあった。
でも、娘の気持ちが理解できた。
そして、今までとは全く違う娘との関係が結べた気がする。
あれから一カ月近くになるが
娘とは本当の意味で母子の会話が出来るようになった。
その意味でも本当に良かったと思う。
今月25日には娘の公演がある。
大阪まで行く元気も体力もまだまだだけれど
心から観に行ってやりたいと思う。
今日の娘の誕生日に、クマの立体的なポストカードを送った。
携帯にはお祝いのメッセージを送った。
娘が大阪で元気で楽しい大学生活を送ってくれたら
親としてこんなに嬉しいことはない。
「○○ちゃん、21歳のお誕生日おめでとう!」
今朝、体重計に乗ってみると
一番少なかった時に比べて1キロ近く体重が増えていた。
最近、極力食べることにしている。
一食の量は少ないので
食後にお菓子を口にいれることにしたら
太れたというわけだ。
間食はしない生活の中で
お菓子を口にすることには抵抗があった。
それでも、太らねばならないと思い
食べることにしたら苦痛でなくなった。
後3キロは太ろう。
でないと、着る服がない。
どのスカートもウエストがブカブカになってしまった。
58センチのスカートも腰骨まで下がってしまう。
冬場は良い。
上に何枚も重ね着すれば痩せてみえない。
でも、これからの季節は薄着になる。
今のままでは見苦しい。
昨日は久しぶりにエミフルへ行った。
そして、新しい春めいたスカートを二枚買った。
ウエストはブカブカだが、ひもで縛るから融通がきく。
着丈も今持っているスカートに比べると
幾分短めだ。
長いスカートばかりはいていたが
短めの方が若々しい気がする。
今の調子で少しずつ元気が出てくれば
娘の公演も観に行ける。
その時に着て行く服も出来た。
何となく楽しくなる。
やはり元気が一番。
そして、少しふっくらめの体型が良い。
後3キロ頑張ろう。
私の尊敬する中村天風先生の言葉に
体は病んでいても心まで病むことはない
心元気で。
というのがある。
先生の言葉を読むと確かにその通りだと思っていた。
だから、落ち込んでいる人に
先生の言葉を伝えてあげたい気持ちさえしていた。
しかし、実際自分のこととなると
何かあるとすぐに落ち込んでしまって
食べたくなくなり眠れなくなり
そのことだけの囚われる自分が居た。
今回、病気の再発や痩せやしんどさに加えて
母の看護が重なり
心身ともに疲れていながらも
休むことは罪悪だという昔からの私の気持ちがあって
なかなか休むことをしなかった。
母が退院して家に居るようになり
母の家で家事をして母と時間を共に過ごすこととなって
母に付き合い午後からはごろごろした日々を過ごしていた。
正直、チャンネル桜を見たくない
政治的なことを考えるのも嫌だとさえ思った。
そして最高に落ち込んだ。
一昨日まで半月くらい死んだのと同じ状態だった。
それが昨日の朝、ある人からの電話で元気をもらった。
私にとって活動が生きがいだったのだ。
母は今つきっきりで看病するほどでもない。
私が居なくてもご飯の用意をしてあげていれば
自分で食べることが出来る。
姉にも頼むことが出来る。
だから、私自身の体調さえ良かったら
活動はできるのではないかと思った。
そうして母に話をした。
母のことを優先に私の体調も考えて
それでも活動できるならやりたいと。
私には生きがいなのだと。
母は分かってくれた。
すると心が急に元気になった。
勿論、体調はやはり悪い。
脚もがくがくする。
体重もなかなか増えない。
でも、心を元気にしていれば
何かやる気が出てくる気がする。
無理はしないようにはするけれど
やはり家に引きこもっているのではなく
外に出て誰かに会い、人と話をして
私の心を元気にしたい。
だから、頑張れ日本全国行動委員会・愛媛県本部を
立ち上げることにした。
支える会の役員会を18日に開いて話すつもりだ。
何が出来るか?今はまだ未知数だ。
でも、草莽の力で日本を良い国にしたい。
頑張ろう。
母の入退院と私の体調不良で
このひとつきあまり心が晴れない。
それにもました
支える会の活動が出来ないことが
私に焦燥感を余計に覚えさせる。
香川も徳島も兵庫も岡山も・・・
デモや街宣活動や講演会や・・
色々な活動を着々と行っている。
それなのに、私たちは
3月の西村先生の講演会を最後に何もしていないのだ。
日本は今本当に危機にある。
草莽が立ちあがる時だ。
だからこそ、全国行動委員会なるものも出来た。
私たちも愛媛県として何かしないといけないのに・・・
気持ちが焦るばかりで行動が伴わない。
子供手当、高校無償化、地方参政権、夫婦別姓などなど
問題はいっぱいある。
これらを社会に訴えていきたい。
ああ〜体がもっと元気だったら!
気持ちがあっても体がついていかないって
本当にもどかしい。
いらいらする。
焦る。
私は軍歌が好きだ。
そんなことを言ったら、きっと何?右翼?などという
バカげた感想を持つ人も居るだろう。
確かに、今の時代、軍歌を歌う人はほとんどいない。
高齢の戦争へ行った人たちが
戦友たちと集まった時に歌うくらいかもしれない。
でも、日本人として日本を愛する歌として
軍歌は最高のものだと思う。
昨夜はネットで軍歌をずっと聞いていた。
中でも抜刀隊という軍歌に惹きつけられた。
http://www.youtube.com/watch#!v=Kaz0S6uMdNY&feature=related
http://www.youtube.com/watch#!v=7bcmxYxJAss&feature=related
この歌は西村眞悟先生が一番好きな歌として
先日の講演会の後の懇親会で歌ってくれた歌でもある。
正直言ってそれまで抜刀隊という歌を知らなかった。
単調なリズムの中に流れる愛国心
国のため天皇陛下のために戦った
その心が聞いていて涙が出るほど伝わってきた。
そして、軍歌のCDが欲しくなってアマゾンで購入した。
届いたらずっと聞いていたい。
日本人としての魂が流れる軍歌を
これからも愛していきたい。
若い頃さだまだしばかり聞いていた私が
この年になって軍歌を聴くことになるとは・・・
人間って分からないものだ。
でも、軍歌は素晴らしい。
昨日は、母を双海の桜を見せてあげるために
車を走らせようと思っていたが
どうも母の体調が今ひとつで
とてもしんどそうなので桜の話をしなかった。
私は昨日の午後から母の家でごろごろしていたので
いつもよりは少し楽だった。
それでも夕方になると足ががくがくする症状は出てきた。
25日には大阪の娘の公演があり
観に来てほしいと言われているが
行けるかどうか・…分からない状態だ。
心も元気がなくなりつつある。
天風先生の教えに従ったら心は元気でいなくちゃと思う。
それでも、私はやはり弱い存在だ。
体を動かすのがやっとの状態で
国のことを思い支える会の活動を思うことが出来ないのだ。
あれほど熱心にしていたことが嘘のようだ。
母も本を読むのが好きで熱心に読んでいたのが
今はただ目を瞑って座るか
ベッドに寝ているかの状態になってしまった。
それでも、まだ母は私が作ったものを食べてくれる。
出来るだけ栄養のあるもので消化吸収の良い物を作っている。
昨日も私が作った夕食を全部食べてくれた。
だから、私もしんどくても頑張れる。
母の体調と私の体調
どちらかが良くなったら
きっとお互いに元気をもらいあって
また頑張れると思うのだが・・・
今日は午後から母を桜に誘ってみよう。
でも、母は私の体調を考えて遠慮するのだろうな。
そんな母が私は大好きだ。
いつの間にか桜は満開の時期を過ぎ
散り始めようとしている。
昨日は県病院の土手を走って
満開の桜を楽しむことが出来た。
今年は3月末から4月のはじめに入院していたので
例年なら母と姉と三人でお花見をするのだが
母の病気もあって今年はお花見をすることが出来なかった。
母は数年前から「来年の桜が見えるかな・・」と
心細い言葉を言っていたが
実際、今年の母を見ていてそれが現実のものとなるような
そんな寂しい気持ちになった。
それでも、どうしても母に桜を見せてあげたい。
パジャマのままで良いから車に乗せて
桜がまだ満開の所まで走って行こうと思う。
この間は入院していた病院の近くの桜を見たものの
もっと素晴らしい桜を見てもらいたいのだ。
去年も行った双海の桜
桜の下で記念撮影したあの桜を
母に見せてあげたい。
今日は曇り空。
本当なら真っ青な空と桜とのコントラストに見とれるが
曇りでも仕方ない。
母を誘って今日は午後からでも
車で走って双海まで行こう。
本当は昨日も今朝も私自身の体調が悪いが
母に心配をかけたくないので言わないで行こう。
私だって来年の桜を見ることが出来るとは限らないのだから。
今、母が入院していた病院のPCから書いている。
一応受診という形にしたため
予約外ということでいつになったら順番が来るか?分からない。
今朝は7時前に家を出て
私の眼科予約していた病院へ行った。
9時予約だったが前に行ったときに3時間も待たされたので
今日は早めに行くことにしたのだ。
7時半から受け付け機の前に並び
(一番だったが・・・)
眼科でも一番初めに並んだ。
8時半から検査が始まり
9時に先生の前に座る。
問題になっている目の手術にはためらいがある。
もう一つの目はバセドウ病の影響が出ているみたいで
治療するためにMRIの検査が必要だとか。
私は心臓の大動脈弁を人工弁に置換手術をしているので
本来ならMRI検査を受けることはできない。
でも、チタンなら大丈夫だとか。
心臓の病院に聞いてほしいと言われた。
そして治療するなら飲んでいるわワーファリンを止める必要があるので
5日間飲まなくても良いかどうかも聞いてほしいと言われた。
心臓の病院には明日問い合わせるつもりだ。
次回は5月のはじめの予約を取って病院を出た。
それから車を30分ほど走らせて
10時前に母の入院していた病院へ着いたのだ。
紹介状をもらうのと
母が入院中に撮ったMRIの検査結果を聞くことになっている。
あと、どのくらいかかるか分からないが待つしかない。
ああ〜疲れる。
昨日は支える会の会計監査をしてもらうために
監査の人と会い、お昼を食べながら監査をしてもらった。
これで21年度の会計・決算報告書を作成出来た。
今日は会員の人たちに郵送する。
帰りに入院中の知人のお見舞いに行った。
心配していたが順調に回復しているとのこと、一安心。
人どころではないのにやはり気になるのだ。
でも、夕方から具合が悪くなってしまった。
体重も最低の35、2キロになってしまった。
今にも倒れそうな気がしたが、なんとか母の夕食を作った。
私も食べようと思うが箸が口に運べない。
膝から下ががくがくして立っていられない。
最悪状態。
自宅に帰り、夫の顔を見て一言しゃべって直ぐに布団の中に。
横になって体を休めているとまだましだ。
だから、朝はまあまあ動ける。
今朝も晩御飯を母の分まで作った。
これが限界かも?
でも、今日は姉の運転で城川へ行くことになっている。
今年のかまぼこ板の絵は小さな板60枚に描いた。
大阪から帰っていた娘も3枚描いた。
娘の作品はとてもうまい。
やはり私とは違う。
姉は私と同じく小さな作品を100枚描いた。
それらを城川へ郵送するのも大変なので
姉の運転で一緒に行って手渡すことにしたのだ。
母のお昼を用意してから行くことになっている。
こうして一つ一つのことが着々と片付くことが嬉しい。
明日は県病院の眼科へ行くことになっている。
右の眼がバセドウ病の影響で大きくなっているのを
診てもらうためだ。
なんだかんだと本当に忙しい。
入院していた数日が嘘のようだ。
あの日々が懐かしい。
ゆっくりと寝ていられることがどんなに有難いか。
ああ〜今日も忙しくなって
夕方にはまた昨日と同じ症状が出るのだろう・・・
27日に母が退院し
30日に私が入院したが
無事2日に私も退院した。
たった4日間の入院だったが
母のことが心配でたまらなかった。
幸い、姉がずっと母の家に来てくれていたので
私が居なくても母は大丈夫だったことがとても嬉しい。
やはり姉の存在の大きさを知った。
私一人が何でもしていたから
姉は居ないものと思ったこともあったが
反省している。
私はカテーテル検査の結果
狭心症の疑いはなくなったものの
やはり依然として体がだるく重く動くのが動きにくい。
脚、特に膝から下が動きにくくなるのだ。
夕方になると症状がひどくなる。
バセドウ病の方は数値的にも正常値に近づいているので
この今の症状はバセドウ病ではないのかもしれない。
体重は入院しているときに36キロを切った。
今やっと36キロに戻ったがやはりしんどい。
この痩せ方は如何なものなのだろうか・・・・
という色々な心配もあるが
考えても仕方のないことだ。
14日の愛大の検査結果で判明する。
それまでは安静にしていないといけない。
母の家と我が家とを行ったり来たりの暮らしは
安静にはなかなかなれない状態だ。
しばらくは自分のことを大事に考えようかな・・
それにしてもこの体調不良の原因を早く知りたい。
スカーレット
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