スカーレットの心のつぶやき
つぶやき 目次|過去|未来
昨日は、母を整形外科へ連れて行き
そのあと、病院で待っていてもらった娘と三人で
帰りの道にあるエミフルへ行った。
娘は今回の帰省の時、病気もあって
重い荷物を持てないと言って
殆ど何も持たずに帰って来た。
だから、着替えもいるし
新しい春物の服やバッグが欲しいと言っていた。
娘が大阪へ行ってから
私は自分のものを買うのは極力ひかえているし
食費も夫と二人の生活で倹しくしている。
それが、昨日は娘の服や靴がバッグ等
私にしては大金が羽をつけて飛んで行ってしまった。
何故か昔から、娘のものは買ってやるのが惜しくないのだ。
自分のものを買うのと同じくらい嬉しい。
娘が喜ぶ顔を見るのが嬉しいのかもしれない。
これって親ばかというのだろうか。
まあ、昨日は散財したけれど
娘が元気で居てくれて
病院へ支払うのではなく
娘のためのものを買うことができることを喜びたい。
娘は明日、大阪へ帰る。
この一週間は食費も普段よりちょっと贅沢に使っているが
また、私の節約生活が始まる。
養護教諭の姿を追った
ドキュメンタリー映画「4分の1の奇跡〜本当のことだから〜」を
知っているだろうか?
私が参加しているMLでこの映画のことを知った。
http://www.yonbunnoichi.net/sakuhin/cast/
山元加津子さんは障害者の養護教諭として
今までたくさんの子供たちと接してきた。
亡くなった人も居れば、
今も元気で頑張っている人たちを通して
生まれてきた意味、生きる意味
普通の人にはきっと気付かないであろうことを
気付かしてくれる映画だ。
この映画を紹介してもらって
早速HPを見に行った。
感動した。
言葉にならなかった。
この映画をどうしても観たいと思った。
紹介されていたのは大阪十三の第七藝術劇場での上映だったので
3月に娘の所に行き、映画を見ようと思っていた。
MLで紹介してくださった方に
お礼の気持ちを書いて送った。
私が心臓に障害を持って生まれ
自暴自棄な気持ちになったこともあったが
今では、生まれてきて良かったと素直に思えるようになった。
自分の責任のように思っていた母にも
産んでくれてありがとうの言葉を言えることができるようになった。
このことを書いて送った。
そうするとお返事をいただいた。
大阪まで観に来なくても松山でも上映されるとのこと。
3月13日(金)で
一回目から三回目は愛媛県産業振興センター(松山市久米窪田町487-2)
四回目はテクノプラザ愛媛2F会議室(松山市久米窪田町337-1)
上映時間は1回目10:00 〜 12:00
2回目12:30 〜 14:30
3回目15:00 〜 17:00
4回目18:30 〜 20:30
となっている。
山元加津子さんのような人が
日本にいっぱい居たら、今の日本もきっと素晴らしい国になるだろう。
私もひとのため、世のために何が出来るか?
これからの人生を生きる指針にしようと思う。
娘が生まれて19年間近く
一緒の家に居て生活を共にしていたときには
何も感じなかった疲れが
この数日、娘が帰省しているというだけで
私に重くのしかかってくるのが不思議だ。
別に、娘に気を遣う必要なんてないのに
何か、神経がピリピリしている。
きっと、これは私の生活のリズムが
娘が居ることによって狂わされるからかもしれない。
起きるのも遅い
朝食を食べるのは昼近くになる。
従って掃除も洗濯もなかなかできない。
昨日も昼前に起き
嫌そうにちょっと何かを食べ
(私はちゃんと朝食の用意をしていた)
12時に松山で友人に会うから送って行けと
当り前のように言う。
私はここで断っても喧嘩になるだけだからと思った。
また、この間から考えを変え
私ができることはやろうと思ったから
結局送って行き夕方には迎えに行った。
案の定、熱が出始めた。
最近、バセドウ氏の症状も落ち着いていて
大分楽になったと思っていたが
この数日、やはり無理をしているのだろう。
娘もまた、一年近い一人暮らしのため
家族に合すということや
私への気遣いなど(これは元々なかったが)
何もする気がないようだ。
好きなように生活したいみたいだ。
お互いに自分のペースで生活したいということだろう。
娘は日曜日に帰るみたい。
後、4日、頑張ろう。
この間からの娘の電話で
春休みも演劇部の練習で忙しくて
帰るなら24日から27日の間しかないと言っていた。
短くても、帰省したいという娘の気持ちは嬉しかった。
それが、月曜日の朝電話があり
日曜日の夜から38度以上の熱があり
今から病院へ行こうと思うとのこと。
私は驚いて早くお行きと言って電話を切った。
その後の連絡で、盲腸炎の手術をした病院へ行き
医者に事情を話すと
もしかしたら腹膜炎だったらいけないので
腹部のCTを撮り、血液検査をしてもらったらしい。
その結果、腹膜炎ではないが白血球が増えているので
炎症を起こしているのは間違いない。
風邪ではない、腹痛と下痢から腸炎と診断された。
大阪で一人でいるのも心細いだろうから
帰れるなら帰ってくる?と言っておいた。
私が行ってやっても良かったが
熱が下がったら帰省すると言ったので連絡を待った。
そして、下痢はしているものの帰省するとのこと。
高速バスは5時間もかかるから大変なので
飛行機でお帰りと言って手配をした。
昨日のお昼前に着いた。
高校生までは太っていたのに
本当に痩せてほっそりとしていた。
46キロだという。
もう少し太ったら良いよと言っておいたが
下痢も治り、体調も回復したら少しは太れると思う。
今週末まで居てある程度体の具合がよくなったら帰れば良いと思う。
娘の居ない生活に慣れていると
一週間でも娘の居る生活はちょっと疲れそうだ。
昨日はめざす会の学習会があった。
請願の処理報告についての
市議会の行政への質問を市議にしてもらいたいが
3月議会では無理のようなので
6月議会で取り上げてもらえるようにしたいという内容だった。
それが終わり、解散となって駐車場に行った。
隣に車をとめていた会の先生が私に話しかけてきた。
会の時には話ができなかったが
私的な話として1時間先生の話を聞くことができた。
先生が京大に合格したのは「一か八か」であり
その「八」の方だったとのこと。
それから、入試に共通一次試験は反対との意見を
大学で教えられている時に言ったが
ご自分の意見に賛成意見はなかった。
しかし、高校生活をのびのび送ってもらうには
平常、こつこつとまじめに勉強をして
成績をまあまあのところに持って行き
共通一次(今はセンター試験)でほどほどの成績を取らねばならない。
そうでなけれは二次試験が受けられないからだ。
先生の主張されたことは
いざの時に勝負をかけることできることが大切だ。
「一発勝負があるからこそ入試に意味があるのだ」というものだ。
入試で平常点がものを言うようになれば、
挽回の機会がなくなってしまい、
教育は間違いなく危機に陥りるとまで仰った。
私はどちらかと言えば
こつこつまじめタイプで努力するので
平常点を加算してもらいたい方だ。
そうでなければ、日ごろ真面目に頑張っていても
いざ本番でその力を出せず不合格になる場合もあるから
そんな時平常点を入れてくれるととてもありがたい。
そう先生に話てみた。
勝負に勝つとか負けるとかの問題ではなく
これは、学校教育の問題だと言われた。
そうか・・・
そうなのか・・・
絶対評価への見直しがされているが
そんなものなのかもしれない
変に妥協した私が居た。
2009年02月23日(月) |
田母神元空幕長の講演会・懇親会 |
今日、2月23日は皇太子殿下の49歳のお誕生日だ。
心からおめでとうございますと申しあがる。
事前の記者会見の様子を拝見したが
皇太子殿下の御心を知ることはできなかった。
皇統に関する質問に対するお答えは
「差し控えさせていただきます」だった。
今上陛下が一番御心を痛めていらっしゃる問題だから
皇太子殿下としてのお考えをお示しになることを希望する。
さて、昨日は待ちに待った田母神元空幕僚の講演会に行って来た。
日本会議・郷友会の主催によるもので
会場には300人の聴衆が集まった。
「危険人物の田母神です」の言葉で始まった講演は
ともすれば重くなりがちな内容も
田母神元空幕長の軽妙洒脱な語り口に
真正面から切り込まれ
それがまた聴衆を惹きつけて2時間はあっという間に過ぎて行った。
田母神元空幕長が首になったいきさつから始まって
戦後体制からの脱却こそが
日本の再生の始まりであると言いう話。
東京裁判がいかに間違った裁判であったかの話、
中国の軍事力の増大に対して
日本の防衛費の縮小は今後の日本の防衛体制を危うくするという話の後、
また、今後大きな戦争は絶対に起きることはない、
ましてや核戦争などは起きないが
軍事力を保有すること
核兵器を持つことが
抑止力になり外交力になるという話には
皆、尤もなことだとうなづいていた。
そして、現在の日本の政治に触れ
自民党を村山談話派と田母神派に分ければ良いと言われた時には
笑いと共に、大きな拍手がわき上がった。
そのあとの懇親会では
たくさんの人の要望に応え
ご著書のサインや写真撮影をして
食事をする時間もないほどだった。
私もすでに買って読んでいた本を持参し
サインをしてもらい名刺の交換をした。
そして、厚かましくもツーショット写真を撮ってもらった。
最後の主催者挨拶の時に
めざす会の仲間が少し話し、
そのあと僭越ながら私の音戸で
「日本のためにがんばるぞ、日本をまもるぞ」と
シュプレヒコールを上げてお開きになった。
本当に感動的な一日だった。
今も講演会を思うと胸が熱くなる。
ひと月に20日も講演会で飛び回っていらっしゃると聞く。
来月には米・ロサンゼルスへ講演会に行かれるとか。
田母神元空幕長が辞職されて良かったと思う。
これほど日本の中で歴史認識についての論文が
左右どちらにせよ評価されたものはなく
一般国民の中にも歴史認識の見直しを求める声も上がった。
どうか、おからだには十分気をつけられて
これからも日本のために頑張っていただきだいと思う。
昨日は、知人から参加証をいただいていた
「薬師寺21世紀まほろば塾」なるものへ行って来た。
これは薬師寺が主催しているもので
今まで18回も開催されているとのこと。
フランスでも開催されたと言っていた。
正直、「まほろば塾」というものが何であるか?
全く、知らなかった私は
座席に座って周りを見渡して
中高年の人たちばかりであり
宗教的なものかと思って、ちょっと身構えたりした。
昨日は作家平岩弓枝さんの講演会の後
薬師寺管主と俳優滝田栄さんの対談が行われた。
平岩弓枝さんはTVドラマの脚本も書かれた方で
「肝っ玉かあさん」は有名だ。
平岩さんの本は若いころよく読んでいたし
TVの脚本を書かれるようになって
ドラマも拝見している。
昨日の話はそのTVドラマのロケでのエピソードだった。
心をテーマにした講演会だったので
先生のお話になることを聞きながら
仕事とは何か?
自分がひとのためにできることは何か?と考えさせられた。
滝田さんと管主との対談は
正直平岩弓枝さんの講演よりも内容的に惹きつけられた。
滝田さんと言えばNHKの大河ドラマの主役や
朝ドラにも出演されていた。
そのころから素敵な俳優さんだなあと思っていた。
観たことはないが、帝国劇場では14年間も
レ・ミゼラブルの公演で主役のジャンバルジャンを演じていた。
その滝田さんが今、仏像を彫っている。
何故、仏像を彫るようになったか?
何故、仏教に興味を抱き出家したいとまで思うようになったか?
ご自身の生い立ちの話や
俳優としての苦労話の中で
そのわけをお話になっていた。
滝田さんの話を聞きながら
私は自分自身を省みた。
私はひとのために生きてきたのか?
いつも自分が中心で考えてはいなかったか?
そう思いながら話を聞いていると
涙がポロポロ出てきた。
そして、その涙が私を浄化してくれた。
生まれ変わろう。
そう決意することができた。
今までの私とは違った生き方をしよう。
人が喜ぶこと、人が幸せになるようにと願って行動すること
それがいかに生きる上で大切なことか思い知った。
帰りに滝田さんの著書「滝田栄、仏像を彫る」を買い求めた。
半分まで読んだ。
読み終えたら、また私が変わるかもしれない。
昨日は、バセドウ氏病の治療でかかっている
愛大病院へ行って来た。
10時の予約だったが
血液検査の結果に時間がかかるため
9時には検査してもらわないといけない。
そのために、朝7時半に家を出た。
着いたのが8時15分、やはり朝の渋滞に巻き込まれてしまった。
血液検査をして10時前に私の順番が来た。
この数日、あのしんどさがなく
微熱もないみたいで
私自身、少し良くなっているかなと思っていた。
やはり検査結果の数値は正常値に近くなっていた。
3錠飲んでいた薬も2錠に減った。
発症した時から始めた投薬治療、
医者が飲むのをやめて良いと言ったので
やめたら今回の再発。
だから、一生飲んだ方が良いのだと思い医者にそう言った。
しかし、医者は数値が下がり正常値になったら
投薬は中止しないと
今度は甲状腺機能低下症になると言う。
これもまた亢進症とは症状が違うものも大変だ。
再発を繰り返すようなら
甲状腺の手術か放射線で焼くしかないらしい。
今はそんなことは考えないで良い。
その時に考えれば良いと思う。
どうか、このまま正常値に戻り
再発しないように祈りたい。
手術は私の場合はまた面倒だから
なるべくはしたくない。
でも、完治のためには仕方ないのかもしれない。
ああ〜ダメだな・・・
またPCに時間を取ってしまった。
今日は、バセドウ氏病の治療をしている
愛大病院へ行く日なのに。
早く寝ないと明日しんどいよと
自分に言い聞かせているのに
まだ眠れそうもない。
昨日はお昼にめざす会の仲間と会って
ランチを食べながら色々とおしゃべりした。
何と5時間も粘ってしまった。
個人的なこと、公のこと等・・・
でも、楽しかった。
時間が経つのに気付かないくらいだった。
これからの会をどうしたらよいか?
次の講演会は誰に来てもらうか?
今の事項は今後どうなるか?
食後のコーヒーをお代わりして
まだソフトクリームまで食べてしまった。
私たち以外にお客は皆無状態。
外は雨がざあざあ降っていた。
帰宅して夕食を終えて
会報を二つHPにアップした。
また一字一字を打ちこむことになっていたので
時間がかかってしまったが
まあ何とか出来た。
自己満足の世界だが
やはり仕上げたら気持ちが良い。
早速、メールで仲間たちにアップを知らせておいた。
そろそろ寝なきゃ・・・
昨日は、二か月に一度のカットとカラーをしてもらいに
美容院へ行って来た。
朝は冷え込んで寒いと思ったが
終わるころには顔は上気し汗をかいてしまった。
この頃は二か月に一度のカラーでは
間に合わないようになってきた。
頭のてっぺんに白髪が2センチほど立つ。
耳の横にも数本の白髪が目立つ。
髪をかき分けてみると
中にはいっぱいの白髪を見つける。
本当はひと月に一度のカラーにしたら良いけれど
経済的にも言ってちょっとしんどい。
だから、やはり当分二か月に一度になりそうだ。
最近はボブカットをしている人が多くなった。
私はこの二十年ずっとボブカットだ。
それでも、流行があって
髪をすいたり、感じを変えたりしてきた。
本で見るとフレンチボブに惹かれた。
これは髪をあまり減らさずに
裾が重たい感じでボリュームもある。
どちらかと言えば私はこの方が好きだ。
だから、今回はフレンチボブにしてほしいと言った。
二センチも切ったから
本当に短いボブになってしまった。
帰宅したら母が若くなったねと言った。
確かに少し若くなったかもしれない。
まあ髪は伸びるから少々短すぎるくらいの方が良い。
年をとって長くしている人を見てあまし良い感じを持たないから。
夫は何も反応なし。
良いねの一言を言ってくれたらうれしいのに・・
それほど良くないということか?
ハハハ・笑ってしまう。
他人はそんなに私のことなど見てないよ。
と自分に言い聞かせている。
2009年02月18日(水) |
松山市市議会議員に会いに |
昨日はめざす会の仲間と
松山市の市議会議員数人に会いに行って来た。
一昨年の12月
めざす会は松山市の男女共同参画条例の運用について
改善してもらうための請願を行った。
一言でいえば
この条例の中からジェンダーフリー色を一掃してもらいたいというものだ。
これに対して
そして、市議会議員の中で賛同者も多く
請願は通った。
去年の暮
市側から市議会に対して
請願がどういう風に生かされたかについての
報告が出て、めざす会は検討した結果
請願の趣旨に沿った報告にはなっていないと
市議に議会で質問をしてほしいと申し出たのだ。
しかし、市議の中で
賛成の立場だった人も
党として行政を敵にはできないとの返事。
昨日、会って話した市議も
初めから賛成の立場でなかったためか
請願の内容とこと細かく理解して
賛成したものはほとんど居ないだろうと答えた。
そして、詳しい知識のない議員たちは
報告が的を外れてはいないし
我々の請願に沿ったものだと言った。
中にはジェンダーフリーそのものを
理解していない人もいるように思えた。
期待はしていなかったものの
議員たちの勉強不足には呆れた。
私は入会して一年足らずで
請願を行ったときにはいなかったから
詳しい事情も分からなかったが
分からないながら学習会に参加し
色々なことを知るにつれて
国でも地方でも行政とはこんなものかと思ってしまう。
昨日は刺身のつま状態でただ座っていただけだが
もし、初めから請願に関わっていたら
もっと、自分の意見を持って同席できたのにと残念に思った。
今年も、城川町のかまぼこ板の絵展の作品募集が始まった。
今年のテーマは「こころ」
去年、展覧会を見に行き
その時にこのテーマを聞いて
私の頭にひらめいたものがあった。
悲しい・楽しい・苦しい・不安・期待・・・などなど
心の中には色々な思いがかけめぐる。
だから、その思いを絵にしようと思った。
幸い、バセドウ氏病の症状がひどく出ないうちに
三枚描き上げていた。
早めに描いていて良かった。
手が震える状態では描けないもの。
今も集中しようとしたら震えることがある。
2月1日から作品募集が始まった。
いつもはこの日に届くように出すのだが
今年は、娘の所から帰ってから出した。
なんとなく、ほっとしていたところに
姉から「モナリザ」を描いてほしいと頼まれた。
今、ギャラリーしろかわでは
高校生が描いたたくさんのモナリザの絵が展示されているという。
青春白書という名前だそうだ。
姉がこのことに関連して
自分たちもモナリザの絵を描いてみようと提案したのだ。
姉の友人を誘って計10点の作品が集まりそうだ。
私も描いた。
土曜日に描いたのは
何か悪女的なモナリザになったので
昨日、再度描き直した。
今度はにこやかなモナリザになった。
モナリザの絵は色が全体的に暗いし
顔の表情が難しい。
顔を描く前は良いと思っても
眼鼻を描くとこれはだめだと思って
何度も手直しした。
出来上がった作品を携帯で撮って
姉に送って見てもらったら
うまい!と言ってくれた。
今日、その二作品を郵送する。
もし、我々が出したモナリザを
ひとつのコーナーに展示してくれて
話題に上ってくれたらどんなに良いだろう。
私の青春白書は善と悪の心をあらわしたモナリザだ。
やはり、病気の時には無理をせず
休めるときには体を休めるのが必要なのだと
昨日はつくづくそう思った。
大阪から帰ってからずっと休んでいなかった。
母のこともあり、
また姉に頼まれたかまぼこ板の絵を
余分に一枚描いたのも無理だったのだろう。
一昨日までは熱もあり体も熱くしんどかった。
昨日は朝7時まで寝て
朝食を食べ家の掃除等をしてから
本を読みながらお昼までうとうとしていた。
午後はたかじんを見るつもりだったが
夫が七折へ梅を見に行こうと言うので
義母を誘って三人で出かけた。
七折の梅まつりは今月20日から始まる。
今年は暖冬のせいか梅の開花も例年より10日早いとか。
昨日もつぼみの梅もあったが
白やピンク、濃い赤の梅の花がいっぱい咲いて
そこらじゅう香りがしていた。
地元の人たちが花見をしていた。
生憎曇り空で写真を撮ったがあまりきれいには写らなかった。
それでも、今年も梅見をすることができて良かった。
義母は俳句をするがどんな句ができただろう。
本当は私の母も誘いたかったが
二年前、母を誘って見に行ったのがきっかけで
腰の具合が悪くなったのを思い出し誘わなかった。
その代わりに桜を見せてあげようと思う。
こんな些細なことでなんとなく幸せな気持ちになれるなんて・・・
これが本当の意味での幸せなのかもしれない。
昨日、2月14日はバレンタインデー。
私が若いころにこの日があったら
きっと何人もの男の子にチョコを渡していたよね。
なんて話を夫としながら笑った。
商業ペースに踊らされているからと
バカにしたものでもない。
日ごろは思っている気持ちを相手に伝えることができなくても
この日を口実に気持ちを伝えることができるのだから。
私のバレンタインはもちろん夫が相手だ。
でも、一人ではさみしいので
母と亡き父にチョコをプレゼントした。
昨日は、夫の好物の鳥料理を作り
ちょっとだけ豪華な夕食を支度した。
そして、夫が帰るのを待って
気持ちをこめてチョコをプレゼントした。
夫はありがとうと言って食事のあと、口の中にチョコを入れた。
そして夜。
私はインターネット通販で購入した
ちょっとだけエッチな下着を夫に見せた。
二人で5つの小さな箱を開けながら
これは何?
エーっ!おかしいね。
なんて、傍から見たら笑うであろう会話を。
夫が風呂から出て
二人でTVを11時過ぎまで見た。
こんな夜って他愛ない夜だけど
なんとなく嬉しい。
この年になっても夫婦が仲良くいられるって嬉しい。
夫とこんな関係になれたのも
私が考え方を変えたからだ。
相手を変えようとか
相手に求めすぎるのはだめだ。
やはり、自分自身が変われば相手も変わる。
せっかく縁あって結婚したのだから
離婚しないで最後まで連れ添いたい。
今の私たちならそれができそうだ。
なんとなく良いムードを夜を過ごすことができた。
バレンタインデーに感謝しないといけないかな?
昨日は父の月命日だった。
先月は、母の家を直していて姉に行ってもらったので
母はとてもそのことを気にしていた。
私もお正月以来父の墓前に行ってない。
8時半に家を出て
まず母を耳鼻科へ。
私が大阪へ行っていた時
喉が痛くて耳鼻科で診てもらったとのこと。
大分よくなっていたので私も安心した。
その後、いつもの整形外科へ連れて行き
そのまま松山の父のお墓参りに行った。
お墓を拭き掃除をし
父の好物を供え、手を合わせた。
整形外科で母を待つ間に
何とも言えないくらいのしんどさが襲ってきた。
お墓参りを終えるころは
昨日が暖かかったことも手伝ってとても暑く
汗をかいたがこれは熱があるのでは?と思っていた。
帰りにお昼ごはんを食べたが途中で食べれなくなってしまった。
それでも無事帰宅。
母が父のお墓参りに行けて安心したというのを聞き
しんどかったが行ってよかったと思った。
帰宅して熱を測ったらやはり37.3度あった。
寝ればいいのに
めざす会のHPの作成途中だったので
会報を2つアップした。
やりながら、自分は本当にバカだと思った。
頼まれたら断れない性格を恨んだ。
私が倒れても誰も代わってくれない。
そして、私が倒れたら母に心配をかける。
だから、自分の体は自分で調節しないといけない。
分かっている。
それなのに出来ないのだ。
姉から昨夜、また頼まれごとをされた。
NOと言えない私は
引き受けたものの、さてどうしよう・・と思案中。
かまぼこ板の絵展の作品は昨日3点出した。
だが、姉に頼まれてもう一枚描くはめになりそうだ。
やはり、バカは何とやらというがそのとおりだと笑ってしまう。
先の3日、節分の日、
午前中に今夜食べる恵方巻きを買い
今夜は豆まきをしようなどとのんびりしたことを考えていた。
3日の夜中に娘から電話が入りお腹が猛烈に痛いといっていた。
救急病院へ行くように言ったものの
今までも腹痛はたびたびあったので大したことはないと思っていた。
それが、午後パソコンに向かっていた私に
娘から電話があり医者に代わるという。
医者の話は「虫垂炎なので緊急手術をする、早く来てくれ」とのこと。
心の準備も荷物の準備もしていなかった私は
取るものもとりあえず急いで荷物を作り
空港へ電話して1時間後の飛行機の予約をして空港へ。
娘の病院に着いたのは午後5時を少し回っていた。
大部屋のベッドに横になっていた娘は
お腹の痛みと不安でとてもつらそうだった。
私は娘と同い年の時心臓の手術をしている。
だから、虫垂炎の手術なんて大したことないと思っていたのは確かだ。
しかし、初めての手術はどんな手術でも不安はある。
娘を元気づけながら午後8時の手術を待った。
午後9時、無事手術を終えた娘は
眼に涙を浮かべてはいたものの私の方を見てにっこりした。
ほっとした。
成功して本当によかった。
一日遅ければ腹膜炎をおこしていたかもしれないと聞き
手術をしてもらってよかったと心から思った。
娘は、それから5日入院した後
一昨日抜糸も無事終え、自転車にも乗れるようになった。
元気な顔をして、偉そうなことを言い始めた娘を見て安心し
昨日の昼のバスで帰宅した。
バタバタと忙しい一週間だった。
私も微熱があり体もしんどかったが
気が張っていたのだろう、元気に過ごすことができた。
ほっとして気が緩んだとたん
疲れが出ないと良いがと思っている。
昨日も一昨日に引き続いて
椿神社のお祭りで
拉致被害者救出のための署名・募金活動をした。
お天気もよく楽だった。
二日目で月曜日ということもあり
人出は一昨日に比べると少なかった。
ブルースカーフを首に巻き
12時前から署名・募金の呼びかけを始める。
私の声は体の割に大きくよく通るので
私が「北朝鮮による拉致被害者を救出する
署名・募金活動をしています。
ご協力をお願いします。」と大きな声で言うと
傍にいる数人がそのあとに引き続いて
「お願いします」ということにして
数秒おきにそれを繰り返した。
一昨日と同じで
無関心で通り過ぎる人がほとんどだった。
中には、二人連れの一人が
署名をしようと列を離れようとすると
それを引っ張って止めようとする人もいた。
反対に、こちらに駆け寄ってくれて
励ましの言葉と共に2000円も募金してくれる人も居た。
「去年もしたのよ」と言いながら署名してくれる人、
「一体どうなっているのよね」と言いながら募金してくれる人、
「ブルーバッジが二つほしいから1000円入れます」と言った人、
色んな人がいたが、皆有難かった。
2時間はすぐに経った。
終わって救う会の会長からお礼の言葉をもらい
私は自己満足かもしれないけれど
やって良かったと思った。
そして、同時に一日も早く
拉致被害者を取り戻さなければならないと思った。
こうして活動をしているだけでは何も進展はしないのでは・・
でも、国民の意識を覚醒させねばならない。
地味な活動だけど重要なことだ。
そんなことを思いながら椿神社を去った。
伊予路に春を呼ぶと言われている
「お椿さん」(伊豫豆比古命神社(いよずひこのみことじんじゃ)のお祭り)が
旧暦の1月7,8,9日
つまり、2月1,2,3日に行われている。
昨日はそのお椿さんの境内で
「拉致被害者を救出する署名・募金活動」に参加して
今日まで二日間
12時から14時までの二時間活動をすることになっている。
昨日はお天気もよく
防寒のために厚着をし貼るカイロを背中に貼っていたが
途中で汗をかくほどだった。
参拝する人たちで混雑し参道を歩くのさえやっとだった。
12時からということだったが
30分ほど早く着いたため
11時半から活動を開始した。
私はめざす会の会員として救う会の人たちの
お手伝い、つまりボランティア活動をしたことになる。
体調は万全ではなかった。
熱もあった。
でも、署名を呼びかけ募金をお願いしている間は
体調のことはすっかり忘れていた。
何事も夢中になると苦しさも忘れられるということか。
参拝のため行列を作っているひとたちに
声を大にして呼びかけた。
しかし、皆私たちの姿を見ても
かけよって署名・募金をしてくれる人は
多くはなかった。
友人が声をかけても関心ないとはっきり言った人もいるとか。
拉致は国家の主権侵害問題だ。
同じ日本人として無関心でいられる神経を疑う。
もし、自分の子どもが?夫が?妻が?兄弟姉妹が?
拉致されていると想像したら
無関心でいられるはずないのだ。
他人事のようにそっぽを向く人は
想像力に欠けた人なのだろう。
中には駆け寄ってきてくれて
署名・募金をしてくれたあと
私たちに「頑張ってください」と励ましてくれる人もいた。
小学生が数人署名してくれて
お小遣いの中から500円玉を募金箱の中に入れてくれた。
大人でも知らんぷりをしている人が多い中
この子供たちに心からありがとうと言った。
今日も同じ時間に立つことになっている。
今日もお天気が良さそうで良かった。
頑張ろうと思う。
昨日、夫と映画「おくりびと」を観てきた。
去年の秋に上映されたのが
第81回米国アカデミー賞外国語映画賞部門ノミネート決定され
再上映となったのだ。
素直に良い映画だった。
泣けた。
役者がうまい人がそろっていた。
そして、何より、テーマが良かった。
誰でも死ぬ。
その最期の時、きれいに化粧をし
体をきれいにしてもらって旅立てるって
幸せだと思う。
納棺師の仕事がなぜ嫌われるのだろう?
なぜ疎まれるのだろう?
人の最期の旅立ちのお手伝いができるなんて
とても良い仕事だと思う。
三年前に父が亡くなったとき
葬儀社の人たちがてきぱきと
また心のこもった仕事をしているのを見て
私がもし若かったら
葬祭コーディネーターになりたいと思ったりもした。
確かに、見かけより大変だとは思う。
しかし、助産婦さんが生を受け取る人なら
納棺師は死を送る人だと思う。
確かに、重い映画だったから
心を癒す映画ではない。
でも、ひとは必ず死ぬ。
死から逃げられないのだ。
だからこそ、この映画を見るべきだと思う。
人の死はどういうものなのかを考えさせられるから。
スカーレット
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