スカーレットの心のつぶやき
つぶやき 目次|過去|未来
私の母は今年5月で米寿を迎える。
三年前に父が亡くなって以来、一人暮らしをしているが
頭もしっかりしているし、
淋しさよりも気軽さを覚えているようで
去年の夏には入院したもののまた持ち直し
もしかしたら、私よりも元気みたいな気がする。
そういう、私の体調は相変わらずで
熱もあり、体重も減ったまま、
夜も眠れず、心臓の動悸もして、
体調が良いか悪いかと聞かれれば悪いと答えるくらいの体調だ。
しかし、やらねばならないことはやる。
傍からみたらバカかと思われるかもしれないが
この一日一日がとても大事に思えて
何もせずぼーっと過ごすことができない。
昨日は、母を整形外科へ連れて行き
帰りにエミフルでお昼を食べた。
以前、母が双海町の道の駅に行きたいとい言っていたのを思い出し
午後双海町へ車を走らせた。
母のお気に入りのじゃこ天を買い
店に入って色々なものを楽しそうに見ている母を眺めて
ああ〜連れてきてあげて良かったと思った。
三っつほどお土産を買っていたようだ。
帰りの車の中で
母が小旅行ができたと喜んでいた。
今度はお天気の良い日に双海へ行って
海を見ながらランチをしようと言った。
たった、これだけのことが
母にとって喜びとなるなら
私はどんなことでもしてあげようと思う。
母と共に過ごす時間はあまり残されていない。
その母との時間を楽しい時間にして
いっぱい思い出を作りたい。
今年還暦を迎える姉が
年金が少し入って小遣いができるから
母と私と三人で花や景色を見に行こう。
お昼は私が奢るからと言っていたが
やはり家族って良い。
母の喜ぶ顔を見るのは私にとっても喜びだ。
母には元気で長生きしてもらって
父の分まで親孝行したいとつくづく思う。
2009年01月30日(金) |
人に対する心 その2 |
昨夜も眠れなかった。
必ず夜中に目が覚めて
布団の中で色んなことを考える。
そして、昼間なら考えもつかないことを
いわば妄想してしまうのだ。
寝返りを打ち
悶々とした時間を過ごし
朝を待つこの時間の苦痛なこと。
昨日、心のままを書き綴った後で
読み返し、また自分の情けなさを恥じた。
人に対する思いは色々ある。
その日によって変わる。
決して揺らぎのない気持ちもあるが
特定の人への気持ちが
プラスとマイナスに行きつ戻りつの関係で
頭の中をぐるぐると駆け巡る。
正直、疲れる。
何でこんなくだらないことに支配されるのか。
普通なら気にも留めずに忘れることを
いつまでも覚えているのか。
もし、私がアルツハイマーや痴ほう症になっても
この固執している気持ちだけを
忘れることなく持ち続けるのだろうか。
そんなことを思いながら4時を迎えた。
昨日はめざす会の勉強会に参加して
集中して公のことを考え力を尽くそうと決心。
体の調子が今ひとつなのが
私にとって歯止めになっているものの
思い込んだら一途な私ゆえ
のめりこんでしまいそうになる。
本も色々枕もとに置いているが
一冊一冊じっくりと読もうとすると
なかなか読破出来ない。
人に対する気持ちも同じだ。
心の中で色んな思いが縦走するから
ひとつにまとまらないのだ。
夜には考えないようにしよう。
明るい光の中では人に対する思いも
明るく楽しいものになりそうだから。
あなたを好きじゃないなら
嫌いにならないといけないと
ずっとずっと思っていた。
私なりに努力をした。
嫌なところを紙に書いてみた。
顔を思い出し、言われた言葉を頭に浮かべ
こんなことがあった
あんなことを言われたと
思いつくままに書いてみた。
言葉に出しても言ってみた。
「あなたは私を利用した、でも・・・」
「あなたは自分勝手だ、でも・・・」
「あなたは私の心を傷つけた、でも・・・」と
何度も同じ言葉を口に出し
音にして私の耳に戻してみた。
でも、
でも、
やはり、
あなたを心から嫌いになれない。
いっそはっきりと面と向かってそう言えば
どんなに心が軽くなるだろう。
でも、言えない。
言えばそれで終わりとなるのが
私の卑怯な心の中で怖がっているのがわかるから。
じゃあ、このまま中途半端な心で
あなたに接していけば良いのだろうか。
白黒つけずにグレーの状態で
波風立てずにうまくやれば良いのか。
頭の中で
あなたを嫌いになれないと叫んでいる私が居る。
顔を見ることもなく
声を聞くこともなく
いっそどちらかが亡くなってしまえば良いなんて
そんなことまで考えてしまう私は
もしかして
心が病んでいるのかもしれない。
あなたを前に言えないから
こうしてこんな言葉を綴っている。
本当にバカな私が居る。
昨日、「悼む人」の残りの四分の一を読み上げた。
涙なしには読むことができなかった。
人が生きるということ、
死ぬということの意味を
改めて考えさせられた。
そして、私自身が死ぬ時は
最期まで家族と共に居たいと思った。
亡くなった人の魂は
永遠に生き続けるかどうか
私にはわからない。
でも、亡くなった人の思い出は
自分が生きている限り
心の中にずっと残っていると思う。
天童荒太氏に次のようなメッセージを送った。
--------------------------------------------------------------------- 天童荒太様
「悼む人」一気に読みたかったのですが、
今までの作品と違って
私自身の胸に刻みながら一歩一歩ゆっくりと歩むように、
読ませていただきました。
涙が出てきて止まりませんでした。
悲しいのではないのです。
自分でもわからないけれど、心が洗われるような、
心の中が真白・透明になるような・・そんな気がしました。
人は誰でもいつかは死にます。
生まれた以上、死に向かって歩いていっています。
私も何度死と直面したでしょう。
先天性の心臓疾患で生まれ、
若いころは拒食症で生の限界まで痩せ、
また弱い心のために自分で死を選んだこともあります。
私などこの世に生きていても何の意味もない人間なんだと思っていました。
でも、娘が生まれ、
自分以外の命を感じることができてから、
私は新たな一歩を踏み出すことができました。
主人公の母の命が消えた時
新たな命が生まれたシーンは
私の中で特別な思いで印象的でした。
今、私は57歳、
人生の折り返し地点を過ぎ、
残りの人生を、私は自分のためではなく、
誰かのために生きたいと願っています。
母のため、夫のため、娘のため、そしてまだ見ぬ孫のために・・
そして、誰からも知られることなく死んでいった人のことを、
私の心の中に刻むことができればどんなに良いかと思っています。
「永遠の仔」以来の天童様のファンとして、
これからも自分自身の声に耳を傾け、素晴らしい本を書いてください。
遅くなりましたが、「直木賞受賞、おめでとうございます。」
先日、直木賞を受賞した
天童荒太氏の「悼む人」を読み始めた。
天童氏は私と同郷ということもあり
また、前の「永遠の仔」以来ファンになった。
今回の「悼む人」は
天童氏があの9.11テロが起きて
たくさんの人々が亡くなったのがきっかけで
書こうと思ったのだと聞く。
この本は正直重い。
人の死とそれを悼む青年の姿をテーマだから。
特に、ガンの末期で自分の余命を知り
死に向かって歩いて行く
主人公の母の姿が私の心に重くのしかかっている。
殺人や事故で毎日多くの人が亡くなっている。
病気で亡くなる人たちも
事故や殺人で亡くなる人たちも
皆、同じひとつの命が消えるということだ。
それでも、病気で亡くなり
家族に看護され看取られた人たちは
自分の死に納得してないかもしれないが
回りのものたちは、それでも良かったと思う。
しかし、事故や事件で亡くなり
遺体すら見つけてもらえなかったり
遺体を損壊されたり焼かれたり・・
そんな惨い目にあった人の家族の気持ちを思うと
言葉では言い表せない怒り・悲しみ・恨み
それらの気持ちが結局亡くなった人を
無事に成仏させてあげられない気がする。
勝手な言い分かもしれない。
この本の主人公のように
事故や事件で亡くなった人を
そのひとたちを恨みや悲しみや怒りと言った感情抜きで
ただ、忘れないでいたいと思う気持ちで悼む人の
存在価値があるのだと思う。
人はいつかは死ぬ。
そして、人々の心から忘れられる。
法事をしてそのひとを偲ぶとしても
日常の生活の中ではいつも思ってはいない。
二年前に亡くなった私の父のことも
普段の生活の中では忘れていることが多い。
父には申し訳ないけれど
それが生きている人の普通ではないだろうか。
私だけが悼む心を忘れているのではないと思う。
だからこそ、他人であれ
その人の死を悼む人がいてくれることは
とてもありがたいことだと思う。
ようやく四分の三まで読んだ。
後四分の一。
また読後の私の気持ちが変わるかもしれない。
昨日は本当に一日生きているのか死んでいるのか
自分でもわからないくらい体が動かなかった。
朝から夕方までぼーっとしていた。
熱を測ると37.8度あった。
平熱が35度台だから
37.8度も出るとこれはしんどい。
それでも、気になるからお昼までに掃除だけした。
買い物へは行かず
一日家に居ようと思って
午後からは今読んでいる「悼む人」を読み続けた。
でも、夕方になって母から電話があり
持って行くものがあるので母の家へ。
最近、母の家は中を直したので
片付けが残っている。
本来なら私がしなければならないが
昨日はそれもできず
片付けの手伝いは延期することにした。
体重を測ってみると
何と、少しは増えたと思っていたのに
昨日は最低の37.6キロしかなかった。
何でこんなのだろう。
薬を飲み始めて少しはましになったと思っていたのに・・・
やはりなかなか本当にはならないのかな・・・・
本音は今日も、外へも出ず家の中で過ごしたい。
少しずつ体調も回復していると思っていた。
先週は大阪の娘の所で
私の体力以上の労働をしたし
往復のバスの疲れもあるし
きっと、帰ったら寝込むに違いないと
母も夫も、そして、私自身もそう思っていた。
それが、帰った翌日には病院や母の用で動き
昨日も久し振りに一番の親友と会って
いつものごとく4時間、お喋りした。
昨日までは別に特別しんどいとは思わなかった。
それが、今朝起きるのが大義で
結局、私にしては珍しく起きたのが8時だった。
いつものように家事をしていたら
再発当時のあの何とも言えないしんどさが襲ってきた。
脈も速い。
立っているのも大変な状態なので
今日、予定していた母の家の片付けの手伝いをやめることにした。
こうして何かの影響が出るのが遅くなるのは
年のせいなのだろう。
今日、明日、大人しく休んでいたら
また、少しは回復するかもしれない。
やはり神様が私へ警告を発しているのだろう。
自分の体は自分で守るしかない。
自業自得だと言われても反論の余地はない。
まだ寒中ではあるが
日差しに春を感じるときがある。
日の暮れも大分遅くなった。
来月の初めには
伊予路に春を呼ぶという椿祭がある。
私の体調も少しずつ回復している。
昨日は愛大へ行った。
血液検査の結果はあまり変化はなく
薬の量も減らなかった。
でも、12月の末に比べると楽になった。
大阪から帰って寝込むかもしれないと心配していたが
思っていたよりもつらくなく
何とか家事もできるようになった。
人間の体なんて気持ちが影響するものだ。
大阪の娘が熱を出したと聞いて
急いでかけつけ、大したことがないと分かり
安心して部屋の片付けも頑張ることができた。
私のこの病気の再発は
神様が私に何かを伝えたかったのだろう。
無理をするな、休めと言っているのかもしれない。
体は病気でも心は病気ではないのだから
心元気に頑張らないといけない。
やはり天風先生の仰っていることに間違いはない。
これからも、病気と付き合いながら
毎日を頑張っていこうと思う。
そのうち春はやってくるのだから。
19日、月曜日の朝まで
行くのを躊躇っていたが
結果的には行って良かった。
勿論、バセドウ氏病が治ったのではないから
体のしんどさは言葉にできないくらいある。
でも、娘の顔を見て安心した。
風邪の熱も想像していたほど重くなく
大学へも行けたし
ご飯も私よりもたくさん食べることができていでた。
いつものことながら
娘の部屋は足の踏み場もないほど
脱ぎ散らかされた服でいっぱい。
玄関のドアを開けた途端
ああやはり・・・・という思いがした。
トイレやお風呂場へも行けないほど。
台所は言うまでもない。
入るなり涙が出てきて
母に「もう帰りたい」と電話してしまった。
母が行ってやったら良いと言ってくれたから
迷っていたのを行くことに決めた。
だから、思わず母に泣き言を言ってしまったのだ。
でも、来たからにはやるしかない。
思いっきり愚痴をこぼしたあとは
黙々と片付けを続けた。
ゴミ袋は7個出た。
台所の炊飯器を開けると
中は青カビと白カビが充満していた。
まるで油絵絵具で描いた絵のようだった。
兎に角、私が寝られる場所を確保しないといけない。
結局、夜6時45分までかかって
大方を片づけた。
翌日も片付け・洗たく・買い物と一日中働いた。
でも、昨日の昼前に娘と別れる時には
「やはり来て良かったよ、●●ちゃんの風邪も大したことなくて」と
娘に言う余裕もできていた。
私が何もかもしすぎるから
いつまで経っても同じ状態なのかもしれない。
それは私の責任でもある。
放っておくことの大切さと難しさを
つくづく感じた4日間だった。
一週間前に電話で話して以来
大阪に居る娘から何も連絡がないので
木曜日に「元気?」とメールを打った。
すると昨日「元気じゃない 風邪ひいた しぬ」のメールが来た。
驚いて電話をすると
今にも死にそうな声で
「お母さん、いつ来るん?」と言う。
私は今週は心臓とバセドウ氏病の病院の予約がある。
母の家も内装工事中で何かと気になることが多い。
また、私自身の体調も万全ではなく
熱っぽいし、足もふらふらするし
何ともいえないしんどさがある。
だから、「行ってあげたいけど、今週は無理、病院へお行き」と言った。
生憎、昨日は土曜日、今日は日曜日で医者は休み。
救急病院を調べて電話番号をメールで教えた。
夜になって「病院へは行ってない」
あとは何を書いているのかわからないメールが来た。
心配になって電話をして
「行ってあげたいけど病院があるから・・・」と言うと
娘は怒ったように電話を切り
その後は何回かけても切ってしまった。
私は「じゃあ月曜日に行くから」とメールをしたが
母も夫も反対。
ここで、娘が自分の力で乗り切ったら
自信もできるし、それが娘のためになると言われた。
確かにその通りだ。
でも、病気の時は心細いものだ。
一人暮らしだから余計に心細いだろう。
母親が来てくれたらどんなに嬉しいことか。
本来なら今日にでも行っている。
それが出来ない私自身にイラつく。
本当は行かないのがいいのか?
娘のために行ったほうがいいのか?
一番大事なことは何なのか?
一晩考えた。
そして、夫に「今回はやめようわい」と言った。
夫は娘に「がんばれ」と励ませば良いと言う。
心を鬼にして今回は娘に行けないと言おうか。
でも、一度行くよと言ったから・・・
ああ〜悩む。
人を嫌いになるときのきっかけは
色々あると思う。
そして、そのきっかけは自分自身にとって
不愉快極まる場合が多い。
今年になって半月が経つが、
私はあることでとても不愉快な思いをした。
気にしなくても良いと親友は言う。
でも、気になるのだ。
私の悪い癖で
気になり始めると一日中そのことばかり考える。
寝ても覚めてもはオーバーだけど
寝ていない間は確かに頭から離れない。
人の気持ちを裏切る行為は
絶対にしてはならないと思っている。
それが知り合いや友人となると余計にそうだ。
今回、私が不愉快になったことは
この知人であり友人であったから
私の心の中で許せないのかもしれない。
全くの他人だったら
何の縁もない人だったら
同じことをやられても
私は気にしていないだろう。
だから、今回のこともそのくらいに思えれば良いのだ。
頭では分かっている。
でも、頭で考えることと
心で感じることには差異がある。
その差異があるからこそ
こうして苦しい思いをしなければならないのだ。
相手に直接に抗議をできれば良い。
でも、それをやると人間関係がずたずたになる。
そして、私の心も今以上に傷つくであろう。
だから、私が忘れることができるまで
待つしかない。
そう、日が過ぎれば
きっと、私も気にしないようになるろうから。
それにしても、
人の気持ちなんてわからないものだ。
そして、人を信じられなくなることだってある。
私はそんなことはしたくない。
人を傷つけるようなことはしたくない。
2009年01月16日(金) |
櫻井よしこさんの講演会 |
昨日、櫻井よしこさんの講演会を聴いてきた。
朝、起きたときから体調が悪かったので
行く間際まで迷っていた。
でも、こんな機会はめったにない。
いくらしんどくても寝込んではないのだから
聴きに行こうと決心。
親友と一緒に、ホールにはいるための長い行列に並んだ。
二階席だったが席は確保できた。
演題は「日本の行方」
日本は戦後国家のない国だった。
日本を取り巻く、特に中国という国の実態と脅威。
米の中国に対する態度。
日本が真の意味で自立し、
中国や米になめられないようにしないといけない。
また、村山談話が生まれた背景を説明し、
田母神論文の正当性を論ずる。
これからの日本は自国を日本の力で守ることができるようにしないといけない。
結局は自衛隊を国軍にして憲法改正、
軍備の整備の必要性なのだろうが、
憲法改正には言及されなかった。
私的にはもっと突っ込んで極論を論じて欲しかった。
でも、軍事力なしの外交力はないことを力説された。
90分という時間があっという間に過ぎた。
櫻井先生が一番言いたかったことは
明治維新の時のような日本の危機と
今の危機を比べると雲泥の差がある。
今は経済力と技術力を持っているのだから
日本人一人ひとりが目覚めれば
元々日本が素晴らしい伝統や文化、歴史のある国なのだから
日本を立ち直らせることは可能だということ。
そのためには歴史を学ぶことをしていかなければならないと言っていた。
内容は私が読んでいる櫻井先生と田久保先生の共著
「国家への目醒め」の内容と同じで
すでに読んだからか
今回の話は頭の中にすっと入ってきた。
本当に意義のある講演会だった。
もっと櫻井先生の話を聴きたいと思う。
眠れない。
寝付きは良い。
でも、22時に寝ても必ず夜中1時過ぎに目が覚める。
布団の中で悶々としているが
そのまま寝ていることができず
結局起きてこうしてPCを開けている私。
鬱の始まりか?
それともバセドウ氏病の症状だろうか・・・・
どちらにしても
眠れないのは辛い。
夜眠れないからといって
昼寝はしないから
どうしても睡眠時間は少なくなって
体にいいわけがない。
そして、不眠はやせにつながる。
布団の中で、
パジャマの上から自分の体を触ってみると
鎖骨、ろっ骨、脇腹、腕の骨が
ゴツゴツと手に当たる。
これじゃ女の魅力もあったものじゃない。
お風呂からあがって
素っ裸で体重計に乗ると
38キロを切っている。
なかなか元に戻らない。
こんな痩せた貧相な体を恥ずかしく思う。
あの若い時25キロまで痩せた時は
体重が減るのが面白くて
異常に嬉しかったのが嘘のようだ。
不眠が解消されれば
体重も増えるだろうか・・・
眠ろうと努力してもダメ。
今夜はぐっすりと眠りたい。
2009年01月14日(水) |
公のために私を捨てるか? |
私のような年になると
人生の折り返し地点を過ぎて考えることは
後は心安らかな日々を送りたいということだ。
そのためには
自分が嫌だと思う人間関係を捨て
自分が楽しいと思える人との付き合いをしていきたい。
しかし、そうも言っていられないのが世間かも?
実際、この数日というもの
私は迷い続けている。
公のために私を捨てるべきか?
それとも、自分が楽に生きるのを選ぶべきか?
夫に相談しても決めるのは私自身だ。
誰に相談してもそれは愚痴るにすぎない。
決断を出すのを急がず
もう少し考えてからでも良いと思うが
一日中そのことが頭の中をかけめぐる。
脈が速くなる。
食欲も出ない。
眠れない。
いつもそのひとのことばかり。
実際疲れる。
嫌だ。
嫌いなのだからそれで良いではないか。
今のこの病気もストレスが原因だという。
それなら、ストレスのたまるようなことから
一つでも離れることが大事ではないか。
もし、それで人間関係が崩れることがあっても
それはそれで仕方ない。
私は残りの人生を苦しみより楽なことの多い人生にしたい。
公は大事だ。
そのためには己を捨てることが必要だ。
そんなことを考えていると
あの大東亜戦争で己を日本のために捨てた人たちが
とても凄いと思える。
私など普段は偉そうに言っていても
結局、何もできない小さな人間なのかもしれない。
この二三日、また体調が悪くて
HPの更新も休んでいた。
波があるのだろうか・・・
今日は楽だと思う日とそうでない日がある。
だから、予定がなかなか立てられない。
人と約束していてもそれが実行できるか自信がないのだ。
だから、私ができそうだと思うときに
したいことをやるしかない。
15日には櫻井よしこさんの講演会がある。
親友と聴きに行こうと言っているが
もしそれもキャンセルになるかもしれない。
今朝は夜中に目が覚めて
めざす会の仲間から送られてきていた
なでしこ通信26号の原稿を
ホームページビルダーでアップした。
でも、宣伝がありなかなかうまくいかず
3時間もかかってしまった。
これ以上は私の力ではできないから
もし、気に入ってもらえなかったら
作成を降りようと思う。
今は自分の体を一番に考えたいのに
いろんなことが気になって養生できない。
でも、これは誰が悪いのでもない。
私自身が考え方を変えれば済むことなのだから。
夜中に起きるのはもうやめよう。
二、三日前の体調の悪さが10としたら
昨日は8、
今日は6くらいまで回復してきた。
嬉しい。
昨日は県病院の眼科へ行き
気になっている眼の手術について相談してきた。
今の医者は責任逃れをしたのだろうかと思うほど
私の眼の手術について任せろ的な発言をしなかった。
私は心臓の薬を飲んでいるために
手術の時はその薬を中止し
代わりにへパリン入りの点滴をしながら手術、
薬を再開して数値を確かめて退院となる。
昨日の眼科の医者は自分ではそんなことはできない、
循環器の医者も忙しいからそこまで気をつけることはできないと言った。
薬を飲みながらの手術になると言われたのだ。
私の眼は自分で意識しているが
他人からは変だと言われたことがない。
母も夫も娘も友人も手術はしないでよいと言う。
だから、私の気持ち次第ということだ。
昨夜は一晩ようく考えた。
今はバセドウ氏病も落ち着いていないし
眼の手術をするのも落ち着いてからになる。
今まで57年間過ごしてきたのだから
もういいじゃないかと思えるようになった。
来月再診の予約をしてきたが
医者に手術のことは断ろうと思う。
心臓の手術のようにしないと命にかかわるというものでない限り
危ない橋は渡りたくない。
今、こうして少し上向きになってきたのだから
前を見て気持ちを元気に持って
暮らしていこうと思う。
何でも峠がある。
これ以上の苦しみはないと思う時を過ごすことができたら
あとはこっちのもんだ。
きっと治ると信じて、これからも明るく生きよう。
2009年01月09日(金) |
世の中から取り残されそうな |
昨年の末からの体調不良で
自分自身の体力の低下と共に
やる気が失せているのがとても気になっている。
やはり、
「健全な精神は健全な肉体に宿る」という言葉は本当のようだ。
あれほど熱心にしていたHPの更新も
数日休んだりした。
それでも、政治や社会の動き
勉強している大東亜戦争に関することが
参加しているMLで読むたびに
もっと知りたい、勉強したいという気持ちが
沸々と湧いてくる。
昨夜は眠れないので
アパグループ発行の本を再読した。
やはり戦後の日本人に万延している
自虐史観から脱却しないと
これからの日本は真の意味で自律できない気がする。
正直しんどい。
今の私にはこれが精一杯だ。
歩くのもやっと、家事をするのもゆっくりでしかできなくなった。
もしかして、違う病気を併発しているのでは?と思ったりする。
何もかも放り出して休めばよいと人は言う。
しかし、私が何もしなかったら
夫はご飯も食べられないし家も汚くなってしまう。
私が無理をしてでもやらないといけないのだ。
理解してもらうのは難しいだろう。
常識では考えられないことが我が家では起きるのだから。
世の中の動きから取り残されそうな
不安な気持ちを持ちながら
何もできない私にイラつく。
早く、元気になって元のように勉強や
会の活動をやれるようになりたい。
せめて、新聞を隅から隅まで読めるようになりたい。
それにしても、熱も引かず
体は重く、だるく、しんどい・・・
2009年01月08日(木) |
体が鉛のように鉄のように |
今朝は6時半まで寝ていた。
最近は4時半に起きることができない。
あれほど朝方人間で
朝はいくら早くても大丈夫だったのに
怠惰というかだらしないというか
夫が起きる時間より30分早いだけの時間まで
ベッドの中に居るようになった。
朝、起きると「今日は動けるか?」と楽しみに体を起こす。
歩いてみるとそれはすぐにわかる。
今日は足のふらつきはそうでもなかったが
体が鉛のように重く
また鉄のように固く感じる。
それでも、朝ごはんを作り
夕ごはんを半分作った。
ご飯を食べようと思っても
ICUでベッドの上に座ってうどんを食べることができたのに・・・
今の私は固形物を噛むことすら難儀している。
もしかして、筋肉が委縮する病気なのだろうかと思ったりした。
筋肉が硬く緊張する病気なのだろうか。
いずれにせよ、私の力ではどうにもできない。
神様に任せるしかない。
来週は聞きに行きたい講演会がある。
行けると良いが行けない可能性が大だ。
娘のところにも行く予定だったが
これもキャンセルした。
こんな鉛と鉄でできたような体で
何処へ行けるというのだろう。
本当に体中が重くかたくてどうしようもない。
この数日の私の体調は
言葉では言い表せないほどの苦しいものだった。
足に力が入らない。
早足の私が母の歩くのと同じペースになった。
買い物をする時にはカートなしでは歩けなくなった。
熱も続いている。
じっと座っているのはまだましだが
動くことがこんなにも辛いとは思わなかった。
一昨日はあまりのしんどさに
心臓の病院に電話して入院させてほしいと言った。
でも、今回の私の症状は
心臓から来ているのではなく
バセドウ氏病の再発によるものだから
循環器科には入院できないと言われた。
今日、バセドウ氏病でかかっている病院に電話して
来院するように言われたので
診察をうけに行った。
入院はベッドの空きもなく無理だと言われた。
足の力のないのは病気のせいでもあるし
痩せて足の筋力が低下したためだという。
確かに体重は37キロ台まで落ちた。
えも、体のしんどさは
大昔拒食症で25キロの体重になったときよりもひどい。
あのときはやせてはいたが
歩くのも早く歩けたし動くのも平気だった。
まあ、それが拒食症の特徴でもあるのだが。
とにかく入院はできない。
医者のいうように家で安静にするしか方法はない。
いつか薬も効き始め楽になるに違いない。
それを信じて待つことにしよう。
本当に今の私の病気が
バセドウ氏病だけなら。
他に何も原因がないのなら。
人の心は弱いものだ。
あれほど、尊敬する天風先生の言葉
「心元気で」を実践していたのに
今回は自分でも情けないと思うくらい
心身共に疲れきって
何もかもが嫌になってきているのを感じる。
本を読めない、
新聞すら読めない、
何もしたくない、
何も考えたくない、
家族が煩わしい、
一人だけで生活したい、
誰とも喋りたくない、
朝、起きたくない、
これら全ては普通の私では考えられないことだ。
やはり心も体も病んでいる。
昨日の夜
一旦はベッドの中に入ったものの
眠れず悶々とした時間を過ごした。
大阪に帰って行った娘のことも心配だったし
母の家の工事のことも気がかりだ。
娘には大阪へ行ってあげると言ったものの
今の体調では自信はない。
とにかく
何もかも嫌で嫌で・・・
朝から何もしないで寝ていたい気分なのだ。
それなのに
夫の朝食の準備もあるし寝ては居られない。
私ひとりならごはんなど食べずとも寝ていたい。
ああ〜本当に一人暮らしの人がうらやましい。
そして、無責任かもしれないが
いっそ死んでしまったらどんなに楽かと思う。
数日前、去年の末に比べると
少し体調が良くなったと思っていたのに
一昨日、昨日と本当にしんどい。
胸が苦しい。
息がしにくい。
ちょっと歩いただけでふうふう、
胸はドキドキ、
やはり普通ではない。
お正月を寝正月としていたら
こんなことにはならなかったはずだ。
でも、娘も帰省し、夫と三人分の
食事を作らねばならない。
掃除はしなくてもいいが
食べることはしないといけないから。
おせち料理は元旦であっという間に食べてしまった。
朝はお雑煮つくり
昼は簡単なもので済ませたものの
やはり用意や後片付けは私の仕事だ。
夫も娘も手伝ってはくれないし
起きてといってもなかなか起きてくれない。
愚痴を言いたくないけれど
やはり協力してもらいたい。
特に今の私の体調を思ってくれるなら
手伝ってくれてもいいのに・・・
ついついそう思ってしまう。
本当にしんどい。
薬もなかなか効かないようだ。
娘は今日の昼大阪へ帰る。
夫も明日は仕事だ。
ようやく私の本当のお正月が来るかもしれない。
何もかも放って寝ていたい。
胸の苦しさも少しは治るかも・・・
元日の夜に見る夢が初夢だと聞く。
「一富士二鷹三茄子」とは
お正月に見る縁起の良い初夢のたとえだ。
こんな夢を見る人はいないと思うが
私の初夢のように
何か私の未来を予測するような夢を見る人も少ないと思う。
確かに、目覚めて気持ちの良い夢ではなかった。
いつもなら見る夢のほとんどを忘れているのに
昨夜の夢は所々にせよはっきりと覚えている。
去年の末から体調不良に陥ったせいもあるのだろうが
昨夜見た私の初夢は
医者から心臓の手術の説明を受けていた。
私の心臓には今また心室に穴があいている。
自覚症状としては何もないのだが
やはり病気であることは違いない。
バセドウ氏病とも重なって
私の体は今病の真っただ中にいる。
その夢の医者の説明によると
私が心臓を手術した後遺症として
自らのことができなくなる、
特に下の世話を人にしてもらわないといけなくなるというものだった。
勿論、夢の中の話であり、現実的なものではない。
私は医者の話を聞いてこれは大変なことになる。
手術などしないで今のままでいる方がましだと思った。
夢では心臓の手術になっていたが
今月の初めに眼科へ行き
手術をするかしないかを決めることになっている。
この目の手術の後遺症のことを思うと
二の足を踏むのだが、今の状態が改善されるなら
手術も是と思ってしまう。
バセドウ氏病の症状は
薬を飲み始める前に比べると少し楽になっている。
今年は私にとって初夢が象徴するように
もしかしたら病気との闘いの一年になるのかもしれない。
健康が一番だ。
元気でさえいればどんなことでもできる。
私の見た初夢の暗示していることをよく考えて
今後の私の手術もよく考えてみたい。
2009年01月01日(木) |
明けましておめでとう |
平成21年の年明けを迎えた。
大晦日から一晩寝ただけなのに
元旦という意味のある日を迎えることになるって
考えたらちょっと不思議な気もする。
でも、日本人はお正月を神事と共に迎え
今年一年の新たな誓いを立て
一年の商売繁盛・家内安全・病気平癒・合格等を願う。
玄関にはしめ縄のお飾りや門松を立て
床の間には鏡餅を飾る。
世界中で最も静かな年明けを祝う国が日本だ。
子供の頃とは違って大人になってからのお正月は
嬉しいよりもしんどさを覚え
お正月なんて来なくて良いのに・・と思うようになったが
こうして元旦の朝を迎えると
やはりお正月を無事迎えることができて
よかったとつくづく思う。
メル友からのカードの年賀状も届いた。
年賀はがきも届くだろう。
朝食はお雑煮とお節料理。
主婦だから寝ては居られない。
でも、今日一日は掃除も洗濯もしないで
家事から少し解放されたいものだ。
昨年の末から体調不良の日々が続いているが
飲んでいる薬の効果も月半ばには効き始めるだろう。
今年は丑年。
友人に出した絵手紙年賀状にも添えたが
のんびりゆったりあせらずに
毎日を過ごしたいと思う。
そして健康第一、無理をしないで頑張りすぎないようにしよう。
今年もよろしくお願いします!
スカーレット
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