スカーレットの心のつぶやき
つぶやき 目次過去未来


2008年11月30日(日) 琴欧洲

力士は大きい!

初めて力士を間近に見てそう思った。

昨日はエミフルに琴欧洲が来て

トークショーとサイン会があるというので

夫と義母と三人で行ってきた。

11時から始まるというので10時半に行ったのだが

300席あるイスはもう満席で

皆番号札をもらって待っていた状態。

結局立ち見となった。

11時にいよいよ琴欧州が舞台に。

大きい!身長は2メートル6あるとか。

隣に立った女性アナウンサーが子供のように見えた。

白系だからか美しい顔立ちをしていた。

これは女性にモテルだろう。

トークショーは客の質問で始まる。

好きな食べ物はチョコレート。

日本に来て一番びっくりしたことは

地震。

ブルガリアヨーグルトのコマーシャルに出ているから

ヨーグルトが好きだと答えるのかと思ったが

正直な人だなあ・・・

好きな女性のタイプも

国籍は問わない、やさしい人であれば良いと。

25歳の若者の好感の持てる発言だった。

抽選会では当選した人、一人ひとりと握手して

赤ちゃんの頭をなでてあげていた。

サインも観客の前でスラスラと。

抽選で当たった人に手渡ししていた。

私は相撲はほとんどみなくなった。

子供の頃は柏戸が大好きで

大鵬が嫌いで柏戸を応援したいたものだ。

今は力士の名前も有名な人しかしらないし、

最近の角界での問題も多い。

でも、相撲が大好きな人はまだまだいっぱい居る。

これからの相撲界を背負って立つであろう

琴欧州の活躍を心から応援したい。


2008年11月29日(土) 朝まで生テレビ!

昨夜は頑張って起きていて

午前1時半から4時半まで朝生を見た。

テーマは「田母神氏発言と自衛隊問題」

番組のHPによると

「朝まで生テレビ!」では、

田母神論文の問題提起とその内容の問題点とは?

今自衛隊はどうなっているのか?

自衛隊に対する理解と信頼をどうすれば回復できるのかを

議論したいと思ったとか。

出演は

○ 平沢勝栄 (自民党・衆議院議員、元防衛長官政務官)

○ 浅尾慶一郎(民主党・参議院議員・党「次の内閣」防衛大臣)

○ 井上哲士 (日本共産党・参議院議員、参院外交防衛委員)

○ 辻元清美 (社民党・衆議院議員、党政審会長代理)

○ 潮 匡人 (元防衛庁広報、帝京大学短期大学准教授、元航空自衛官)

○ 姜 尚中 (東京大学大学院教授)

○ 小森陽一 (東京大学大学院教授、「9条の会」事務局長)

○ 田岡俊次 (軍事評論家)

○ 西尾幹二 (文芸評論家)

○ 花岡信昭 (ジャーナリスト)

○ 森本 敏 (拓殖大学海外事情研究所所長)
      
○水島 総  (日本文化チャンネル桜社長) 

思っていた通り

田原氏が人の発言を遮って

自分の言いたいことを言い

自分が持って行こうとする方向へ

誘導するのがとても嫌だった。

意外だったのは

森本氏が左翼的な発言をしたことだ。

私から見てまもとな発言をしたのは

西尾氏と潮氏と花岡氏と水島氏だけ。

田母神氏の歴史認識についても

左右に分かれてしまったのは思っていた通りだった。

そんなに村山談話を重要視しないといけないとは思わない。

東京裁判史観から脱して

真の日本の歴史を見つめなおすことが大事だと思っている私は

田母神氏論文を全て支持する立場だ。

自衛隊も憲法にはっきりと明記すべきだと思う。

田母神氏を更迭した日本政府のやり方は

逃げているとしか思えない。

あの参考人招致として委員会で発言の場を与えたのだから

田母神氏にもっと論文の内容について話をさせるべきだったと思う。

おやふやな状態で更迭しただけでは

国民は納得しないだろう。

電話やファクスアンケートでは

6割の人が田母神氏の論文・歴史認識を支持していたし

自衛隊を憲法に明記することも8割が支持していた。

分かっていないのは政治家ばかりのようだ。

国民は学んでいるし真実をついていると思う。


2008年11月28日(金) やはり

笑ってしまう。

このつぶやきのバックをピンクにしたが

自分でも落ち着かず、結局また元に戻してしまった。

正直、これでほっとした。

後のHPは薄い色にしたまま。

でも、やはり自分の好きな色が良いとつくづく思った。

やはりと思うことがまだまだある。

昨日は、久しぶりに親友と会った。

いつものように5時間足らずお喋り。

何でこんなに次々と話題があるのか?

私にとって一番楽しい時間をいつも過ごすことが出来る。

やはり、最高だ。

朝のみのもんたの番組は彼独特の言い方で

反体制の立場で批判をしている。

今朝も麻生総理の発言について

鬼の首を取ったかのような発言をしていた。

しかし、あれほど重要な

国籍法改正案については

この何も報道しない。

知らないのか知っていて報道しないのか。

やはり、今のマスコミ・マスメディアはおかしい。

私が杞憂していたフィリピン人の女子中学生問題も

やはり日本は滞在延長を認めた。

もしかしたら特別許可を与えて

ずっと日本に居座ることになるかもしれない。

色々と脈絡のないことを書いてしまった。

やはり!の一言だ。


2008年11月27日(木) 色いろいろ

私が一番好んで着る服は

ほとんどが黒色の服だ。

たまに、明る目の色の服を買い着てみても

何となく自分ではないような気がして

また同じ型の黒に着替えほっとしている。

好きな色が黒というわけではない。

好きな色は何?と聞かれても直ぐには答えられない。

私が開いているHPは三種類ある。

一つはこの日記。

これは7年前にHPを立ち上げて以来

ずっと書き続けているもので

書かないと何か落ち着かない気がする。

もう一つは、先生から頼まれたのがきっかけで

協力してくれる友人のお陰で作ることが出来た

「アジアに生きる大東亜戦争」

最後の一つは私が一人の主婦として

日本を考える、いわば政治的・社会的な問題について

思うことを書く日記風のものだ。

そして、これらのHPの背景の色を全て黒にしていた。

黒にすると文字の色を自分で設定しないといけないし

結構面倒だったが

私なりに気に入っていたから、満足していた。

でも、黒のバックは何か暗く右翼的だと言われたこともあった。

最近は、ある人に黒は嫌いだ、トンネルの中に入った気がすると言われて

改めて見直すと確かに暗くて閉塞感を覚える。

そこで、バックの色を変えることにした。

淡い色が良いといわれて何回もやり直した。

そして、二つのHPの背景の色を薄い色にした。

これは暖かなピンク色。

正直何か落ち着かない。

黒の服ではなくピンク系の色の服を着た時の気分だ。

私が私でないような気もする。

まあ、段々と慣れてくるだろうし

背景が明るくなって感じが良いとメールをいただいた。

しばらくこのままで慣れるのを待とう。

色って人の心を写すものかな?

私が黒の服を好んで着たのは

私が暗かったから?

いやいやそうではない。

理由は分からないけど、やはり黒が落ち着くのだ。

また背景の色を元の黒に戻したりして・・・

これもまた私の気分次第かな?


2008年11月26日(水) もしかして?

先日来、娘に電話をしたりメールをしたりしていたが

一向に返事がないので心配していたら

昨夜遅くに電話が入った。

クリスマスプレゼントの話や

公演時間のことなどを話した後で

先日城川へ行った大学生の話をした。

一度娘は大学生と話してみたいと言っていたので

私は携帯メールアドレスを教えてあげた。

その後は話してはいないみたい。

私が彼を褒めたからかもしれないが

同じ演劇部の男子学生のことをしきりに褒めるのだ。

確かに、その学生は二度見た公演でもとても良かったし

好感の持てる男子の印象がある。

娘は19歳、来年の4月には20歳になる。

今まで、好きな男子友達は居なかった。

親としては心配と安心が混じった複雑な心境だったが

昨夜の娘の話を聞き

もしかして?好きなのでは?と思った。

これは同性の勘というか私の直感だ。

当たっているかどうかは分からないが

もし、娘がその人を好きになったのであったら

どうか恋が実ることを祈りたい。

私の思いすぎかもしれないが

母としては嬉しい気がする。

夫に話したら、笑っていたが

内心はあまり良い気持ちになっていないかも?

まあ、今のところ、皆私のもしかして?に過ぎないのだけど。



2008年11月25日(火) エミフルにて

昨日は振り替え休日、

夫は、いつもなら当たり前の休みで

月曜日と重なりちょっと損かな?と思うが、まあ休めることが出来た。

晩秋に入り、今まで履いていたズボンが少々薄く感じるので

新しくこれからの季節用のズボンを買いにエミフルへ行った。

夫は笑って「上から下までエミフルだね」と言ったが

デパートは高価で手が出ないものが

エミフルでは手軽に買うことが出来る。

そして品質的にもそんなに落ちることはない。

消費拡大には貢献できないけれど

まあ良いか・・

というわけで、お昼を家で食べてエミフルへ。

お天気も悪く、休みということもあり混んでいた。

お目当てのズボンを二着買い、外へ出ようと思ったら外は雨。

傘を持っていなかったのでしばらく中で雨が止むのを待つことにした。

ちょうどホールでミニピアノコンサートをしていた。

最近はコンサートに行くこともない。

久しぶりに聴くピアノの音色を楽しんだ。

ピアノを調律してもらって

さあ、毎日弾こうと思ったのに・・・

昨日のピアノは私を啓発してくれた気がする。

木曜日には親友とエミフルで会う約束をしている。

土曜日は琴欧州がエミフルに来るとか。

夫の母と私の母を誘って夫と四人で行ってみようかな?


2008年11月24日(月) 城川へ

今年の夏、ヒッチハイクの大学生を

車に乗せて上げたのが縁で文通が始まったのだが

その彼(この呼び方には躊躇いがあるか)と昨日は城川の「かまぼこ板の絵展」を見に行ってきた。

9時半に高知から来る彼をバス停まで迎えに行き

そのまま高速に乗って城川へ。

彼は若いのに、高知の名物のお菓子をお土産に持って来てくれた。

助手席に座った彼と城川へ着くまで色々な話をした。

手紙の中で話し足らなかった話をいっぱい話してくれた。

彼の御両親のこと、兄弟のこと、

大学生活、寮生活のこと、

将来、何をやりたいかということ、

今の日本について、政治的な話もした。

城川では本当にじっくりとゆっくりと

一つひとつの作品を見ていた。

人それぞれの考えや思いが作品から感じられると

見た後で私にそう感想を話してくれた。

来年は自分も描きたいというので

かまぼこ板を三枚買ってプレゼントした。

帰り道は立ち寄った道の駅でお昼を食べ

お土産を買ってあげた。

内子の町並みをみようということになり寄って

一時間弱ぶらぶら歩く。

内子も寂れたものだ。

あの小京都という宣伝文句は可哀想。

もっと何とか観光客を呼ぶことを考えないといけない。

帰りのバスの時間が道の渋滞のために間に合いそうもなく

結局一つ先のバス停でギリギリセーフ。

バスの中で食べるようにとお弁当を買うつもりだったのに

そんな時間もなく、申し訳なかったと思う。

一日があっという間に過ぎた気がする。

普段よりは運転にも注意したし

息子のような若者と共に過ごす時間は

娘と過ごす時間のようにはいかなかった。

でも、一緒に見に行ってよかったと思う。

改めて人との出会いの不思議さを思った。


2008年11月23日(日) 幸せな日々

心の中に不安がないこと、

おろおろすることがないことが

こんなにも心の安定につながり

それが自分自身に幸福感をもたらすとは

この最近の私自身を振り返って

改めてその通りなのだと納得している。

そして、きっぱりと物事を諦めることや

自分自身にとって悪影響を与える人を

言葉が悪いが、切り捨てることが

生きていく上でとても重要なことだと思うようになった。

こんな気持ちになれたのも

年を取ったからかもしれない。

あの19歳の時

もし、今の私のような気持ちになれていたとしたら

心の病気にもなっていなかっただろうし

もっと強い自分を見つけていたかもしれない。

若さとは向こう見ずで怖い反面

とても未来に起きることに対して不安を持つのだと思う。

この今の安定した幸せな日々が

永遠に続くとは思わない。

昨日、母とエミフルへ行き

楽しい時間を過ごすことが出来たが

後何年、このような母との幸せな日々が続くだろう。

考えても仕方ないことだ。

今を大切にして

心に素直になって

決して奢らず、また卑屈にもならず

真の心で人と接していこう。

それが、私を幸せな日々へ向かわせてくれることになるのだから。

今日は、また一日楽しい時間を過ごすことになりそうだ。


2008年11月22日(土) 奇跡は喜積です

一昨日、パン屋の誠さんから色紙が届いた。

書かれていた言葉は

「奇跡は喜積です」

この言葉は、禅宗の高僧が書かれた言葉だそうだ。

思ってもみなかった言葉だけに

色紙の文字を読んだとき一瞬釘付けになった。

何度も何度も読み返した。

「奇跡は喜積です」

そうか・・・・なるほど!

生きていくということは

苦しいことや悲しいこと、

嬉しいことや幸せだと感じることなどが

日々、自分自身に押し寄せてくるのを

時に泣いたり、嘆いたり

時に歓喜の声を上げたりはしゃぎながら生きるということだ。

私の今まで、生きてきた道を振り返っても

若い頃は、本当に色々なことがあったし

苦しい病気との闘いの日々だった。

それでも、心から嬉しいこともいっぱいあった。

人の気持ちは持ちようだ。

悲観的に生きるより出来たら楽観的に生きていきたい。

天風先生の言われるように

心まで病む必要はない。

心元気に積極的な心で生きていきたい。

そして、喜びをいっぱい積み重ねて

それがいつか奇跡となるように

前を向いて生きていきたいと思う。

この言葉は私の胸にしっかりと刻み込まれた。

誠さんの痛みは相変わらずだという。

しかし、きっと誠さんもこの言葉を胸に

痛みに負けないで生きていかれると思う。

昨日は誠さんにハガキで返事を書いて投函した。


2008年11月21日(金) 水仙

昨日はめざす会の仲間のお宅へ初めて行った。

郊外の山に近いご自宅は

自然に囲まれた静かなとても落ち着いた雰囲気の

私の大好きな景色に囲まれたお宅だった。

用事を済ませたあと

家の周りのお庭を拝見した。

石灯籠があり丹精に剪定された植木の庭に

黄色いツワブキの花がいっぱい咲いていた。

私は花の中で、コスモスとつわぶきと水仙の花が特に好きだ。

ボタンやバラのように派手な花ではなく

ひっそりと、でも、凛とした姿で咲いている

ツワブキや水仙の花に心惹かれる。

友人は花の苗を買って来て

庭の土を耕して植えたという。

その話をする友人はとても幸せそうな顔をしていた。

私がツワブキの花や水仙が好きだと話すと

裏庭にいっぱいあった水仙を

球根ごとごっそりとおがして、

持って帰ってと言って私にくれた。

帰りに近くの喫茶店でお昼を食べ

お互いに今の日本の現状への不満を話し

どうすれば日本が立ち直れるかについても話した。

微力ながらめざす会として

日本再生に尽力したいと心から思った。

家に帰ったあと早速庭に水仙を植えた。

二つ花の芽が出ているから

今年の冬に花を咲かせてくれるだろう。

私の好きな水仙の花、

咲いたら絵手紙を描いて友人に出そうと思う。


2008年11月20日(木) 母との時間

昨日は今年一番の冷え込みと聞き

一日家の中に居ようと思って

朝の化粧もそれなりに簡単に済ませて

のんびりした気分で過ごしていたが

母から「お歳暮を送りたいので高島屋へ連れて行って」と電話が入った。

母は来月白内障の手術をする。

手術をすると二週間は化粧が出来ない。

だから、高島屋へだと行けないから

今のうちに行っておきたいと思ったのだろう。

11時頃に入り、お歳暮を日にち指定して送った。

それから特別催しものをぶらっと見て

四川飯店に入り、五目あんかけ焼きそばのお昼を食べた。

母は最近、とても食事が美味しくて

体重は同じだがお腹回りが大きくなったと嘆く。

でも、病気をしたら体重も減るのだから

今、食事を美味しく食べられることは元気な証拠だ。

私はそう言っておいた。

母と二人で過ごす時間はd何段と減る。

今は元気で一緒に外出できるが

今にそれも出来なくなるだろう。

だからこそ、行ける時に一緒に色々なところへ行きたいと思う。

そして、昨日は母の歩く速度に合わせてゆっくりと歩いた。

私にはこの点が欠けているから自分でも気をつけている。

今年は紅葉も見せてあげることが出来た。

来年も母と過ごす時間を大切にしたいと心から思う。


2008年11月19日(水) 洗濯乾燥機

昨夜、久しぶりに娘と電話で話すことが出来た。

最近は来月の演劇公演の練習もあり

とても忙しそうでなかなか電話も通じなかった。

この冷え込みで風邪を引かなかと心配もしていたし

昨夜は1時間ほど話し込んでしまった。

演劇は脚本を書き、演出もしているのだが

そのことで仲間の一人から、色々と嫌味を言われたりして

嫌になったと愚痴っていた。

勿論、娘も全ての人が良いと言ってくれないのは分かっているが

もう始まったのだから、一つのことに向かって力を合わせてもらいたいと言っていた。

ところで、家の中はどう?と聞いた。

忙しいから片付ける暇もないと言う。

洗濯は干すのが嫌いだから

洗濯乾燥機があれば小まめに洗濯するとも言う。

今買っている洗濯機は乾燥機はついてないが

乾燥機能は備えているので

普通の洗濯機で洗うよりは部屋干ししても乾きやすい。

入学の時に買ったから買い換えるのも勿体無い。

でも、娘の家に片付けに行くことを思えば

少々贅沢でも洗濯乾燥機を買ってやろうかとも考えている。

PCを買い換えるつもりだったが、それを娘のために使おうか。

それにしても、私は甘すぎるな・・・


2008年11月18日(火) 白内障の手術

昨日は、来月二回に分けて

母が白内障の手術をするための

検査と手術説明のため眼科へ連れて行った。

眼の長さや眼の中の状態などを調べて

交換するレンズを作るという。

手術そのものは10分ほどで終わるもので

心配することもなく簡単に出来るようだ。

でも、手術したあと一週間

両目だからあわせて二週間は不自由する。

眼に水滴が入ると大変なことになるから

洗顔も洗髪も出来ない。

無論化粧も駄目だ。

そして、お風呂も首から下だけを洗うことは出来るが

その時に水滴が眼に入らないように気をつけねばならない。

手術した日の後三日間は通院

日中は眼の保護のためゴーグルのような眼鏡をかけ

夜寝るときは無意識に眼を触ったらいけないので

眼帯をテープでしっかりと貼り付ける必要がある。

母、一人ではなかなか大変そうなので

母の手術の後は母と共に居ようと思う。

それにしても、手術はどんなものであれ

大変なのだとつくづく思う。

私のバネ指の手術の時も

入院し天敵を続けてなかなか大変だった。

白内障は老化現象だから

誰にでも起きるものだが

出来たら、白内障にはなりたくない。



2008年11月17日(月) 講演会のはしご

昨日は私が入会している

「日本の歴史に学ぶ会」の講演会があった。

日本会議の会長の講演会で

「マッカーサー体制」についての話だった。

まさに、今のこのような日本は

あのGHQ体制によるもので

日本人が日本は悪かったという

自虐史観を植えつけられ

今だに脱却できない状態にあることを

嫌というほど知らされる出来事が

最近次々と起きていることに対して

私が日ごろから思っていることが

裏づけされた気がした。

その後はモラロジー協議会の講演会を

オブザーバーの形で聞くことが出来た。

講師は同じ会長さんだった。

日本の防衛問題についての講義であり

日本を取り巻く国々の軍事力を思うと

本当に日本が危機状態にあることを

痛感し、恐怖すら覚えた。

日米関係を無視することは出来ないが

日本は独自の防衛力を持ち

米と対等の関係で付き合う必要がある。

米の大統領がオバマ氏になり

今後の日米関係も自ずから変わってくる。

アジアに対してあまり興味のなさそうなオバマ氏だが

日本よりも中国や北朝鮮との関係を

友好なものにしていくに違いない。

そんな話を聞いて拉致問題はどうするの?

午前の講演会も午後の講演会を聞いても

結局は憲法改正をしないとどうにもならないのではないかと思った。


2008年11月16日(日) 告知

昨夜、「告知せず」というTV番組を見た。

フィクションということになっているが

これは実際に起きる問題でもある。

普段医者としてがん患者に病名や余命を告知する医者が

自分の妻には告知できなかった、否しなかった。

がん告知については私にも考えることがある。

それは、一昨年亡くなった父のことだ。

父は膀胱ガンだった。

私が医者からその病名を聞いた時

父に告げるべきだと思った。

しかし、姉や義兄の反対で告知しなかった。

父は亡くなる数日前に

自分の病状が一向に回復しないことや

段々としんどくなっていることに対して

苛立ちを覚えていた。

そして、文字にもならない文字で

私が差し出すノートに思いのたけを書いた。

どうして治らないのだ?

このことへの疑問を綴った。

父は医者を信じていたはずだ。

決して治らないことに対して医者を責めることはしなかった。

一生懸命にしてくれる医者に感謝の言葉を書いていた。

でも、やはり父の心の中は不信感でいっぱいではなかっただろうか。

父は病気に疎く、医学的知識もなかった。

だから、普通ならがんであると気付いてもおかしくない症状も

私が説明するくだらない弁明を信じていた。

私は父に嘘をつくことが父のためだと信じようとした。

結果的にはそれでよかったのだろう。

父の性格から、もし告知していたら

自暴自棄になっていたかもしれない。

しかし、父も男だ。

責任感もある人だ。

もし、自分の病名や余命を知っていたら

家族に言い残す言葉を言っていただろう。

自分が何故こんな状態になるのかという不安と不信で

亡くなっていったことは父へ申し訳ないと心から思う。

人の人生を家族だからと言って操る権利はない。

生きることも死ぬことも本人の問題なのだから。

仏壇の父の位牌や写真を見るたびに

私は父への謝罪をしている。

私がガンになったときは

夫や娘だけが知っていて自分が知らないなんて

絶対に嫌だ。

私は告知してもらいたい。

自分の人生の最期くらい自分できちんとしたいから。


2008年11月15日(土) かまぼこ板の絵

本音のところを言うと

もうかまぼこ板の絵は描かないと思っていた。

今年出品したものも

実は、去年出す予定の中の三枚だった。

一昨年、私が団体賞を受賞して

やはりちょっと良い気分になっていたことは確かだ。

だから、描こうという意欲がわいてきて

一挙に6枚も描いたのだ。

それが何となく描く気が減ってきて

もう来年は出さないと思っていたのが本当だ。

でも、先月、母とかまぼこ板の絵展を見に行って

考えを変えた。

やはり素晴らしいと思った。

あの小さな板の中にそれぞれの思いを描いた作品の数々は

それが受賞作品でも、赤丸がついてなくも、

皆、本当に素晴らしい作品だと思った。

そして、数週間前からまた絵を描き始めた。

来年のテーマは「心」だという。

だから、そのテーマに関係した絵を描こうと思った。

二枚は描けた。

昨日、一枚また描いた。

途中のも一枚ある。

数年前の作品と比べたら

自分の腕が少しずつ上がっている気がした。

そして、描いているときは何もかも忘れて楽しいのだ。

楽しく描けることが一番だ。

絵手紙もかまぼこ板の絵も

やはり私の心を写すものであり

私にとっては子供のような存在だと

昨日、描きながらつくづく思った。


2008年11月14日(金) 紅葉を見に

昨日は、雲ひとつなく気温も10月の暖かさで

とてもいいお天気だった。

姉からの誘いの電話があり

姉の運転で母に紅葉を見せてあげようということになった。

母はとても喜んだ。

11時半に母の家を出る。

33号線を走り三坂峠へ。

少しずつ山々に赤や黄色の葉が見え始めた。

高知まで高速が通って以来

この三坂峠を越えて高知まで行く人が減ったので

車も少なくとても快適なドライブだった。

久万の美術館の直ぐ隣にある道の駅風な店でお昼を。

ここの蕎麦がとても美味しいという姉の言葉で

山菜蕎麦を食べた。

そば粉100パーセントかと思うような

私の好きな蕎麦で、味も最高に美味しかった。

その後、さらに奥に6キロほど走って

古岩屋へ。

ここには札所の岩屋寺がある。

聳え立つ奇岩、青い空の下

真っ赤に紅葉した木々がコントラストを呈して素晴らしかった。

カメラを手にした人たちが沢山来ていた。

紅葉をバックに写真撮影。

去年は三人で城川で写真を撮ったが

今年もこうして母と一緒に写真を撮れて本当に良かった。

母は高齢だが綺麗な景色を見て感動の声を上げる。

年を取るとあまり感動しなくなると聞くが

母はそうではなく、綺麗な景色に大きな声を上げるのだ。

紅葉を見に行って本当に良かった。

姉には感謝している。


2008年11月13日(木) 母への言葉

昨日、母と三越へ行った。

地下で買い物をし、さてお昼をどうしようという話に。

8階のレストランへ行ってみようと

エレベーターに乗った。

母は87歳、昔と違って

何もかも動作が遅い。

そして、足腰も弱くなっている。

私はそのことをよく分かっているのに

昨日は思わず母に強い言葉を言ってしまった。

エレベーターに乗って

8階まで行く途中でドアが開いた。

母はそこで降りるのかとドアの所へ行った。

ドアが閉まるのと母が出るのとがほとんど同時、

私は思わず「危ない!降りるのではないよ」と大きな声で言ってしまった。

母の顔が挟まれはしないかと思ったからだ。

でも、もう少し言い方があったのではないか?と後悔した。

母を労わるつもりがついつい・・・

母と一緒に何処かへ行くことも段々少なくなるはずだ。

母との思い出をたくさん作りたいと思っている。

だから、これからは母へかける言葉を気をつけよう。

ごめんねと心の中でわびている。



2008年11月12日(水) 絵手紙年賀状

大阪から帰って直ぐに

右の腕を打撲し、同時に私のPCが壊れたので

何となくPCをするのが億劫になっていた。

PCは夫と共有している分をまた使わせてもらうことにして

購入はちょっと見合すことにした。

打撲は大したことなく三日くらいしたら治った。

12月になったら母の目の手術や

夫の父の三回忌も控えているので

きっと気分的にも落ち着かなくなるだろう。

姉が絵手紙年賀状を描いたので

印刷してほしいといってきたのをきっかけに

今年は絵手紙年賀状を印刷ではなく

一枚いちまい手描きすることに決めた。

そして、干支の牛の貯金箱を買って来て

先週の半ばから描き始めた。

最近は絵手紙を描いてなかったので

筆がうまく使えない。

でも、頑張って描いているうちに

段々と感覚を思い出してきた。

昨日までに56枚描きあげた。

二種類の干支の牛を描き

言葉もそれぞれ似ていても違うものにした。

やったという達成感がある。

下手ではあるが心をこめて描いた。

やはり印刷より手描きはいい。

なんて自己満足している。


2008年11月05日(水) 行って良かった

楽しかった。

本当に楽しい時間を過ごすことが出来た。

9月の娘の公演を見てから二ヶ月ぶり、

団員の成長ぶりに驚かされた。

そして、何と言っても面白かった。

脚本も演出も素晴らしかった。

二時間があっという間に過ぎた。

演目は「幕末生徒会」

江戸幕府の終わりの動乱を

幕末高校に置き換えた演出、

薩摩高校や長州高校、

ペリー学園と幕末高校の生徒会とのからみが

内容的にも面白く描かれていた。

ちょうど、今の日本の国民の中に

米に対する不信感や敵対心があるように

日本対米英との戦い、

そしてNHKの大河ドラマの篤姫ブームもあってか

興味深く、笑いも感動もあるいい舞台だった。

三日間で6回の公演、

総動員数は500人を超えたとか。

立ち見も出て満員御礼で盛況だったという。

今回の娘の役は悪役だったが

それなりに上手く演じていた。

そして、感心したのは

主役が一人頑張るというのではなく

出演した人皆がそれぞれの人生ドラマを演じ

大勢が一つのものを作り上げていることだ。

娘の所属する演劇サークルのファンになった。

病み付きになりそうだ。

次の公演は12月18日、19日。

今度は一年生だけの新人公演だとか。

見に行こうと思っている。

それにしても、娘が元気で楽しく

学園生活を満喫していることは嬉しい。

若いっていいなあとつくづく思った。

本当に夫を誘って見に行って良かったと思う。


2008年11月02日(日) 二泊三日で

昨日から11月、秋晴れの日の続く行楽日和だ。

そして、一般的には昨日から三連休となっている。

夫は仕事の関係で三連休は少しずれる。

今回は今日から火曜日までの三日が休みとなる。

ちょうど、娘の大学の学園祭が

昨日から3日まで始まった。

娘も出演する。

衣装係にもなっていて毎日練習に頑張っているようだった。

9月の初めには学外公演を見に行ったが

今回は学園祭ということで阪大内で公演される。

前回はメル友さんが二人と夫の兄が見に来てくれた。

今回は夫を誘って見に行くことにした。

夫が娘の所に行くのは

今年の春、引越しのために一緒に行って以来のことだ。

二人が泊まるのは少々窮屈だが我慢しよう。

今朝6時45分のバスに乗り

4日の12時初のバスで帰る。

娘も父親が見にきてくれるので嬉しいみたい。

良い連休にしよう。


2008年11月01日(土) 忸怩たる思い

先日来、

ここには政治思想やイデオロギー的なことは書かないつもりで

日常のことを書いてきた。

しかし、昨日ほど私の心が怒りに震えた日はなかった。

まず、大阪高裁において

沖縄集団自決冤罪訴訟において敗訴となったことだ。

つまりは、あの大江の書いたことを

日本が認めたということになる。

赤松・梅澤両隊長が自決せよと命令したという

確固たる証拠は何もない。

それにも関わらず

大江は沖縄タイムスが発行した

「鉄の暴風」をもとに、ありもしない軍の関与が

あったかのように書き、

両隊長の名誉を傷つけたものである。

地裁判決も敗訴だった。

そして、今度は高裁判決においても同じだった。

次の最高裁の判決がもし二審と同じだったとしたら

もう日本の司法は終わりだと思う。

名誉を傷つけたことよりも言論の自由を優先するということだ。

また、同じ昨日

田母神空爆幕僚長が、日本は侵略国家ではない

これは濡れ衣だという論文を発表し最優秀賞を受賞したことで

日本政府は田母神氏を更迭したという。

これこそ、言論の自由はないのかと言いたい。

田母神氏の述べたことは全て真実である。

誰もが言いたいことを言ってくれたのだ。

それにも関わらず更迭だとは。

日本政府はおかしい。

周りの国に気兼ねして真実すら言えなくなったのだ。

麻生総理にも幻滅している。


スカーレット