スカーレットの心のつぶやき
つぶやき 目次|過去|未来
昨日は会の仲間と二人で
講演会を支援してくれ支援金も出してくれた
コムズへ最終的な報告書や収支決算書を提出するために行った。
領収書も完備しているし、文句は言われなかった。
9月の末に行われた講演会の後始末がこれで一応完了したことになる。
正直、ほっとしている。
昼前にコムズへ行ったので
帰りにどこかでお昼ご飯を食べようということになった。
私はあまり美味しいお店を知らない。
一緒に行った彼女は色々と穴場を知っている人なので
車で彼女の行く店についていくことにした。
車を走らせること30分足らず。
本にも載っているがあまり知られていない
美味しい鯛めしを食べさせてくれる店へ行った。
そこは民家を改造した造りで
とても風情があり、お店らしくない店だった。
一日30食限定、時間も昼の三時間だけ営業しているとか。
昨日はあいにく予約のお客さんたちが居て断られた。
私はグルメではなくそんなに食べることには拘らない。
でも、天然の鯛を使った鯛めしは食べてみたい。
食べられなかったから余計にそう思うのかもしれない。
帰宅してネット検索したら出ていた。
メニューは一つしかないらしい。
1500円で鯛めし、鯛の刺身等。
一度は行ってみよう。
人生何が起きるか分からない。
食べたいものを食べれる幸せを味わうのは
決して贅沢ではないだろう。
そんな気がしている。
やっと私の髪にあったシャンプーにめぐり合った。
今まで何度シャンプーやコンデショナーを変えたことか。
店頭に並んでいるたくさんの種類の中から
TVや新聞のCMを参考にして
多分、これなら大丈夫だろうという思いで
シャンプーを購入し試してみた。
でも、どれも私の髪質に合わない。
美容院で勧められたものも使ってみた。
天然素材、無添加のものも使ってみた。
これはいいかも?と思って数回使っても
やはり気に入らない点が出てきて
途中で使うのをやめて
まだボトルの中に残ったまま
数本のシャンプー類が置いてある。
今回、これは良いと感じたのは
たまたま、娘が免許合宿に行くときに買ってやったものだ。
値段も高いほうだったし効能書きを読んでいいかなと思ったのだ。
その後、娘が大阪に帰りお風呂場に残っていたものを
試しに使ってみたら、洗ったあとも
洗っている途中の手の感触が心地よい。
そして、乾かした後も良い感じがする。
私の髪質はダメージヘアーだ。
そして白髪染めをしているから
普通、洗うとごわごわした感触がある。
カラーリング用のシャンプーを長く使ったが
やはり今ひとつだった。
昨日は思い切って大きなボトルのものを買ってきた。
これを当分使って髪質が改善されるといいな。
お肌も髪質も老化現象がおきている。
これ以上老化がひどくならぬようにという願いで
体の外からも内からも、いいものと取り続けようと思う。
人生は山あり谷あり。
いつもそう思ってはいるが
起きるときには色んなことが起きるものだ。
夫は無事退院した。
そして、昨日の午後から仕事に行った。
医者から無理をしないようにと言われていたので
夫が帰宅するまで心配でたまらなかった。
顔を見て大丈夫だったと聞いてほっとした。
徐々に回復するだろう。
今日は、娘が心電図の再検査をする日だ。
今まで心臓に異常があったことはなかったので
多分、大丈夫だとは思うが
やはり結果が出るまで心配だ。
私は先天性の心臓疾患を持って生まれた。
大学に入るときの健康診断で
思ったより心臓の具合が悪化していて
手術をしないといけないと医者に言われた。
そして、大学一年と二年の間の春休みに一回目の手術をした。
年齢的に娘と同じだから余計に心配なのだと思う。
どうか、再検査の結果異常ないことを願っている。
母の目の手術もある。
私が元気にしていないとどうにもならない。
今日は6週間に一度の私の心臓の病院の受診日だ。
忙しくて無理をしているかもしれないが
今のところ自覚症状に変わったことはない。
だから、きっと何もなくいつもの通り投薬してもらって帰れると思う。
次から次と色んなことが起きるが
これも、また私の人生なのだから受け入れるしかない。
昨日から今日と夫が一泊入院して
小さな手術を受けた。
昨日の午前中、病院へ行き、
個室希望を言っていたが二人部屋しかないとのこと。
それでも、大部屋よりはいい。
ゆっくりとした部屋で居心地よさそうだった。
お昼までに着替えて二十四時間点滴が始まる。
下剤をかけて腸の中を綺麗にする。
トイレに通うのも大変そう。
下着を汚してしまったので
替えを一枚しか持ってきてなかったので
家へ取りに帰った。
同じ手術をする人が昨日は三人も居たとかで
夫の手術の時間は夕方5時頃になった。
ちょっとした手術でも手術は手術。
滅菌帽をかぶり、点滴して部分麻酔をして・・
やはり心配だった。
待つこと1時間。
無事終わり夫の顔を見てほっとする。
外はもう暗くなっていた。
付き添いは要らないとのことで帰ることにする。
昨夜は一人で過ごしたが
夫の居ない淋しさよりもたった一晩だから
ちょっと開放感を味わうことが出来た。
夫に朝、メールをして痛みはないかと尋ねたらないとのこと。
良かった。
9時までに病院へ行くことになっている。
夫は午後から仕事に行くと言っているが大丈夫かな?
今日、もう一日家でゆっくりと休めたら良いのに。
夫の母も心配していた。
やはり元気・健康が一番だ。
昨日は9月に亡くなった叔母の四十九日法要があった。
雨のぱらつく中、11時にお寺へ。
日の過ぎるのって本当に早いものだ。
叔母が亡くなり、残された長男夫婦が
叔母の住んでいたアパートの荷物整理をして
先立った叔父の残したものもあり
苦労しているとのことを聞く。
半年契約でアパートを借りて荷物をそこへ置いているのだとのこと。
私の母が亡くなったら、
父と母が住んでいた家の荷物の整理はどうするのだろう・・なんて考えた。
でも、考えたくないことも確かだ。
納骨のためにお墓へ。
これで、叔母も叔父の側でゆっくりとできるだろう。
納骨を済ませてほっとしている。
お墓からの帰り道のこと。
一昨日から皇太子殿下が育樹祭に来られていて
昨日も交通規制が行われていた。
偶然とは言え、一昨日も昨日も皇太子殿下の車に遭遇して
お見送りをすることが出来て
心から有難いと思った。
会食はかに道楽へ。
かに料理が特別好きというわけでもなく
それでも、淡白な味付けの料理は美味しかった。
従兄弟たちとの会話も弾んで
色々な話の中から情報も得ることが出来た。
散会は午後3時。
帰宅したのは3時半過ぎで、ちょっと疲れた。
昨夜は篤姫を見るつもりが
何と7時半頃から寝てしまった。
やはり気づかれもしていたのだと思う。
娘が電話で、アルバイトをするかもしれないと言って来た。
私と娘の会話。
「どんな?」
「居酒屋さん」
「家庭教師は?」
「時間的に無理」
「居酒屋さんて飲み屋さんやろ?」
「でも、友達と二人で面接に行くし、どちらかが落ちたら止める」
「大丈夫なの?」
「まかないがついているから」
「大学の勉強と演劇部の練習と、家のこととで忙しいのに・・・」
「・・・」
「体が一番だからよく考えてね」
「・・・・」
夫は一度やらせてみたらいいと言う。
でも、私は正直心配だ。
一年の間はバイトはせず、生活に慣れてほしいと思っていた。
二年になって時間的にも少し余裕が出来たら
バイトをやってみるのも良いかな?と思うのだ。
私も19歳の時に喫茶店でバイトをした。
それはヘアウイッグを買うお金が欲しかったから。
当時1万円という金額を稼ぐために
何日バイトしたか?忘れたが
決して楽しいだけではなくしんどかった。
娘はお金の不自由はさせてないと思う。
だから、きっと夕食が出るのが魅力なのだろう。
分からないでもないが、やはり心配。
でも、頭ごなしに反対するのは駄目だ。
一度やらせてみるのもいいのかもしれない。
何事も人生勉強。
もし、バイトで勉強がおろそかになり
体に無理がいくようならきっとやめるだろう。
まだ面接で落ちる可能性だってある。
しばらく様子をみよう。
昨日、まだ先で良いという母を説得して
いつも行っている眼科へ連れて行った。
この間、城川へ行った時
かまぼこ板の絵が殆ど見えないと言っていたのが気になり
母自身も白内障に手術をしたほうが良いのかもしれないと言っていた。
それが、またもっと先で良いなんて言い出したので
無理に引っ張って行ったのだ。
でも、連れて行って良かった。
視力も唯一見える左目に視力が落ちていたのだ。
右の目は数十年前に眼底出血をして0.1しか視力はない。
左目だけに頼った生活をしていた。
その左目の視力が落ちたのだから不自由だ。
先生と相談して白内障の手術をしてもらうことに決めた。
勿論、人によって違うから
この手術で視力が回復して見えるようになるという
確立は100パーセントではない。
でも、少しでも視野が明るくなったら良い。
最近の手術は日帰りで出来る。
正味の時間は10分だそうだ。
準備や後の時間を入れて2時間。
それでも、早いものだと感心する。
来月二回に分けて手術することになった。
過大な期待はしていないが
母がこの手術で、また好きな塗り絵が出来るようになれば良いのに。
白内障は老化現象であり
私もいつなるか分からない。
人間、どこかが一つ具合が悪くなっても
体全体に影響する。
元気な頃から気をつけるのに越したことはない。
母の手術が成功するように!!
いつも思うのだが
どうして、美容院へ行って満足した仕上がりにならないのだろう。
昨日は、二ヶ月に一度の白髪染めとカットに行った。
このごろはこの二ヶ月が危なくなっている。
ひと月に一度の割合で染めることが出来たら
いつも綺麗な状態で居られるのに・・・・
だか、費用のことを思うと
やはり二ヶ月に一度じゃないと美容院通いは出来ない。
9時から12時までかかって
3センチほどカットし白髪染めも終わった。
私はお客の中でうるさい部類だろう。
だって、自分がこうしてほしいと思うような髪形にしてもらいたいから。
だから、結構うるさく注文をつける。
昨日もカットの長さに始まり、
横と後ろのバランスなど
私なりに考えるものにしてほしいから注文した。
美容院の先生は私のこの気持ちをいつも汲んでくれて
それなりに努力してくれる。
これは有難い。
昨日は前下がりのボブスタイルを注文した。
でも、出来上がったら横をもっと長く残してもらいたかった。
横の髪が前に薄く長めに下がるスタイルが良かったのに
差があまりない。
気に入らないが文句は言わないでおいた。
きっとひと月もしたら普通のボブになってしまうだろう。
これが分かっているから極端に差をつけてほしかったのに・・・
思うような仕上がりにはならないなあ・・と
昨日も帰って鏡を見ながらつぶやいた。
昨日、母と城川の「かまぼこ板の絵展」に行ってきた。
今年は姉が団体賞を受賞した。
私は三点出して、一つ赤丸がついていたと姉が教えてくれた。
朝9時過ぎに家を出る。
行きは高速を使い、城川まで1時間走った。
まだ紅葉には早くて景色に感動することはなかったが
それでも、山や稲刈りの済んだ田んぼを見ながら
お天気も曇り空で暑くもなく、ドライブを楽しんだ。
母の腰が痛くなったらいけないので
1時間半ほどしか見えなかったが
やはり感動した。
一つひとつの作品への作者の思いが伝わってきた。
大人はうまく描こうという気持ちが感じられるが
子どもの作品にはそれがない。
ただ、描きたいから描いたと思う。
かまぼこ板に向かって絵を描いている姿を想像すると
私まで嬉しくなってくる。
最近の私は何かと忙しくて
出品は今年で最後になるかもしれないと思っていた。
でも、昨日、行ってみて、やはり素晴らしいと感じた。
だから、また来年も描いてみたいと思っている。
感動をもらって帰りは下の道で。
途中で道の駅により、お昼を食べ
母はお土産を買った。
私は何も買わなかったが母がお菓子と柿を買ってくれた。
まるで小さい子のようだ(笑)
今年も母と行けてよかった。
写真も撮れて嬉しい。
母は小旅行が出来たと喜んでくれた。
親孝行の真似事が出来て私は幸せだ。
来年も母を連れて行きたい。
専業主婦の私がなぜこんなに毎日忙しいのか?
自分でも不思議に思うときがある。
一日、することがなくて退屈するなんてことはない。
昨日も分刻みでするべきことをこなしていった。
午前中は掃除や洗濯、ご飯の用意と普通の家事をした後
母を整形へ連れて行った。
帰りに母の用事で三軒の店へ。
その後母を歯医者へ。
1時に人と会う約束をしていたので
お昼前に急いでお昼を。
そうだ、娘に荷物を送らねばならない。
箱を調達してきて荷造りをする。
母からの連絡を待っているので
郵便局へもいけない。
約束の時間が迫ってくる。
母から終わったと12時過ぎに電話。
急いで母を家に送る、
その足で郵便局へ。
前に送った送り状があれば100円値引きしてくれるのに
うっかり忘れていて取りに帰る。
12時半を過ぎた。
結構気持ちだけ焦って運転。
1時の約束の時間に間に合った。
3時まで話す。
その後、帰ったら洗濯物の取り入れ。
新聞も読んでなかったのでざっと目を通す。
母の家へお風呂に入りに行き
帰って夕食の仕上げ。
6時夫が帰宅して夕食。
友人から借りてきたDVDをダビングするのに1時間。
いつものようにチャンネル桜を観る。
拉致問題への覚悟が足りないことを実感。
そうしていたらもう22時近くなり眠くてダウン。
ざっとこんな一日を過ごした私。
今日は母と城川のかまぼこ板の絵展に行くので
4時過ぎに起床した。
眠いよ〜でも、安全運転をしなくっちゃ。
昨日は、夫と二人で買い物に行った。
これには前にちょっとした話がある。
それは、昨日は給料日だったので
いつものように娘に仕送る。
そして、通帳の残高を見てがっくり・・・
ああ〜やはり厳しい生活をしないといけない。
思い切って、かけていた私のガン保険を解約することにした。
これは掛け捨てでガンにならないと損した気分になる。
毎月4000円の額でも今まで7年足らずかけてきたの
30万円近くかけている。
ガンになったらそれなりの保険金は入るが
それよりも何だか勿体無い気がして
解約することにして保険会社へ電話をして話していた。
それを夫が聞いていて、解約に反対したので
事情を話した。
その後の買い物への私の誘いだったから夫は躊躇した。
でも、来週、夫が入院するので必要なジャージーの上下と
11月に入って娘のところへ行く秋物の服を買うつもりだった。
だから、それはそれ、これはこれと説得して買い物に行った。
夫は以前に比べるとやせている。
LサイズだったのがMサイズになった。
試着して夫に似合うものを探すなんて
考えたらずっとなかった。
夫のものを一緒に買いに行くことも久しぶりの気がして
何となく嬉しい気持ちになった。
娘の秋物のニットのジャケットも買ってやろうと思って探した。
可愛いのがあったので写メで娘に聞くと
それが欲しい、買ってとメールが来て買う。
それなりの出費だったが、これは仕方ない。
贅沢しなければ何とかやれるし
やるのが専業主婦の仕事だ。
夫にお金のことは二度と言わないつもり。
何とかなる!
それより家族が喜ぶ顔を見るのが嬉しい。
良い日になった。
昨日は母と城川のかまぼこ板の絵展に行く予定にしていたが
私が行く気になれなくて
こんな日は高速運転はもしかして事故でもあってはいけないと思い
中止した。
でも、秋晴れの気持ちのいい日曜日。
夫は仕事の日で居ない。
母と県立美術館で始まっていた
「美がむすぶ絆 ベルリン国立アジア美術館所蔵日本美術名品展」
を見に行ってきた。
これは、ベルリン国立アジア美術館が所蔵する
平安時代の仏画から、近世絵画・浮世絵、
そして近代の日本画まで、
よりすぐりの日本美術の名品70点を紹介するもので、
16年ぶりの里帰り展となりとか。
会場はひんやりとしていて
一つひとつの作品に見入ってしまった。
お宝鑑定団でよく出てくる作者の名前の作品を
目のあたりにしてこれはすごいと思った。
日本の貴重な作品がなぜ外国へ流出してしまったのか、
日本人には良いものであるという美意識や鑑賞する目がなかったのか。
それでも、こうして普段なら見えないものが
お里帰りという形で
日本人が目にすることが出来るのは幸せだ。
中には感心するもの以外に
なぜこの作品が?と思ってしまうものもあった。
私でも描けるのでは?などと恐れ多くも思ってしまったものもある。
細かな描写や浮世絵、美人画、水墨画などを
一時間かけてゆっくりと鑑賞した。
何でも本物を観るのは良いことだ。
こうして、母と一緒に
芸術の秋を楽しめたことは良かったと思う。
人生は楽あり苦あり
山あり谷あり
泣いたり笑ったり
このごろ、このことがしみじみ分かるようになった。
若い頃は何かあると落ち込み
人生に失望し
二度と自分は幸せになれない
生きてはいられないと思ったものだ。
今のような
強さが過去の私にあれば
あの時に人生を投げ出そうとしたりしなかっただろう。
無駄に年を取ったのではないということだ。
もし、こんなことを娘に話しても
娘は頭で理解しようとしても
心や体で実感として感じないだろう。
それは色々なことを体験し
そこから学び取っていかなければ
その人自身のものにはならないということだ。
本を読んでもためになることや
人生の指針を書いている。
そのためになる話や人生の指針を
頭と心と体で理解し自分のものにするには
やはりそれだけ色んな経験をするということが
必要なのではないだろうか。
最近は何をしていても長続きも集中も出来ない。
いよいよ老化したのだと実感する。
それでも、生きている以上
命がなくなるまで生きなきゃと思う。
死にたいなどと思わないようになった。
本当に不思議だ。
若い頃、あんなに思いつめ死と隣り合わせに居たことが
まるで自分のことではなく
遠い存在のように感じる。
今の私は幸せだ。
でも、人の幸せなんて最期の日にならないと分からない。
死ぬときに幸せだったと思えるような人生を
生きるためにも毎日を大切にして生きていきたい。
色々なことがあっても
決して投げず、諦めず生きていきたい。
昨日、親友とお喋りをしていた時
姉から携帯へメールが入った。
それはあの「パン屋の誠さん」の体調が悪いという知らせ。
誠さんは痛みのために眠れない日々を過ごしながら
痛み止めで少しの間だけ
その苦痛を阻止していた。
そして、何も痛みなどないかのように
店に座って来るお客さんたちに
あの素敵な笑顔を見せてくれたいた。
動かない不自由な手で色紙に言葉を書き
詩を作り本を自費出版もした。
最近はご無沙汰していたので気にはなっていたが
そんなに容態が悪いとは思ってもみなかった。
以前には夫と二人で誠さんのかまぼこ板の絵展に出す
般若心経を書いた作品をパネル化するのを手伝った。
体調も落ち着いているものと安心していた。
それなのに、痛み止めの投薬の副作用で
腎機能が低下したために投薬を中止したとのこと。
文字も震えてなかなか書けないと
姉に最後の手紙のような形で返事が来たらしい。
心配でどうすれば良いのかわからなかった。
その後、姉から来たメールで今の状態を聞き
ちょっとだけ安心できる内容だったので良かった。
誠さんに絵手紙かハガキを書いて出そうと思う。
昨日、我が家のピアノは
三年半ぶりに調律をしてもらえて
きっと喜んでいるだろう。
先日、久しぶりに蓋を開け
ポロンポロンと弾いてみた。
私でも、音が変?だと分かった。
私が自分で買った大きな買い物の中の一つである
このグランドピアノをもっと大事にしないといけないと思った。
調律してもらうことに決まってから
毎日ちょっとずつ弾いている。
今日は9時半から12時までかかって
音を綺麗にしてもらった。
一音一音を耳で確かめながら調律するのを見ていて
本当にすごいなと感心する。
仕事が終わった調律士さんに
「なぜ調律士になろうと思ったのですか?」と尋ねた。
その人は、「カワイに入社して調律の仕事を受け持ち
学校に入って数年勉強した」と言う。
それで調律士になれるのか?とも思ったが
毎日毎日勉強し訓練していたら
たいていの人がなれると言った。
100人中2人くらいは駄目でやめると言う。
それにしても、この仕事をしている人の音感はすごいと思う。
昨日、調律をし終えて弾いてみたら
本当に音色がとても綺麗で
耳に心地いい音色が聞こえてきた。
さあ、本気になって弾いてみよう。
時間もあまりないし、弾けなくなっているが
ボツボツ何年かかってもいいから
一曲だけ、私の曲と言えるものを作りたい。
ピアノに憧れ紙鍵盤で練習していた
幼い頃を思い出したら
今、ここにピアノがあるということだけでも
私には夢のようだし有難いことだ。
頑張ろう。
昨日、また彼から手紙が届いた。
彼とは、私の息子であってもおかしくない年齢、
娘と同い年の大学一年生だ。
彼と呼ぶ呼び方が悪いのだが
何と読んで良いかわからないので彼と呼ばしてもらう。
彼と知り合ったのは
今年の夏の終わり、
そう例のヒッチハイクの彼だ。
ヒッチハイクをしていた彼を車に乗せ
目的地まで連れて行ってあげたのがきっかけで
文通が始まった。
お礼の手紙やお菓子が届き
私が返事を書いて以来今まで6通の手紙が届いた。
前回の手紙で
私が城川のかまぼこ板の絵展の話をして
一緒に見に行きませんか?と誘ったのだが
一度、私のところに来たいと言っていた彼は
是非一緒に見に行きましょうと返事をくれた。
ヒッチハイクをしていたのは夏休み。
10月からは大学の授業も始まり忙しくなっているはずだ。
11月の末の連休頃に行ってみようかと
昨日の手紙に書いて送った。
娘にそのことを話すと
その人と友人になりたいから紹介してと言っている。
是非、娘と彼が友人同士になって
色んな話をしてくれたら良いと思う。
彼は五人兄弟らしい。
娘は一人っ子。
きっと良い友達になれるだろう。
娘と彼とは生年月日が三日違い、
血液型も同じAB型、
趣味も演劇と映画つくり
考え方も似ている気がする。
映画のこと、演劇のこと、人生のことなど
色んな話をしてお互いに成長してもらいたい。
私には娘一人しか居ないが
彼と知り合って、息子が一人出来たような気がして嬉しい。
昨日は手紙を添えてみかんを彼に送った。
先日、娘にみかんや果物等を送って喜んでくれたから
きっと彼も喜んでくれると思う。
お母さん代わりの私と文通してくれる彼は
きっと自分の両親も大事にしているのだろうと思う。
来月、再会できると良い。
母も姉も良かったねと言ってくれた。
夫も笑っている。
小さなことだけど、何だか嬉しい。
今朝、4時半に目が覚めたとき
何か自分の中に違和感を覚えた。
この違和感は何だろう?
そういえば
昨夜はPCの動画で西村眞吾先生の
拉致被害者を救出する国民集会の動画を見ながら
寝てしまっていた・・・
PCの画面は黒くなっていたが
電源を入れるとすぐに動画の画面が出た。
どうも電源が自動的に切れたみたいで
私はPCをつけたまま寝てしまっていたようだ。
そして、もうひとつ何かが変だと気づいた。
枕元の携帯を見てみると
やはり23時前に娘から電話がかかってきていた。
呼び出し音が聞こえて携帯を取り
何かを話したことは覚えている。
でも、いったい何を話したのか?という記憶がないのだ。
それより三時間前
20時過ぎにも娘から電話があり
色んなことを話したがこれはちゃんと覚えている。
23時の電話は、
私が最後に寝ていたからもう切るよと言った記憶だけしかない。
夜中に近い時間にかかってきたということは
きっと何かの用事があったに違いない。
それも、その遅い時間でも私に話さないといけないことが・・・
ああ〜何だったのだろう?
記憶がないのだ。
起床してから家事をしながら
朝食を食べながら一生懸命に思い出すのだが
何も頭に浮かんでこない。
浮かぶのは20時に話した内容だけ。
携帯で話したのに私の脳は完全に寝ていたようだ。
気になる。
今朝、娘が大学に行く前に
こちらから電話をかけてみよう。
それにしても情けない・・・
昨日は13日、父の月命日だった。
母が最近、歯の具合が悪くて
食事も固形物が食べられず
まるで離乳食のような舌で押したら
すぐに喉に通るようなものばかり食べている。
だから、力も出ないし体力も落ちるのではないかと
内心心配している。
そんな母の状態だから
いつもなら、父のお墓参りの後は
お昼を何か食べて帰るが
昨日はお墓参りの後お昼を食べないで帰宅した。
姉とお墓で待ち合わせ。
姉は手際よくお墓の掃除をする。
これは感心する。
義兄の両親のお墓参りにもよく行っているから
色んなことに気が回って如才なく出来るのだろう。
私は昔からお墓参りに行っても
実感がわかず、ただいつもの通りに掃除をして
お花をあげ、手を合わすことしかしない。
そんな自分は冷たいのだろうか?と思うこともある。
私自身が死について、
昔から身近なものに感じていたから
死ぬということへの怖れがないのかもしれない。
そして、死んだらお骨はお墓の中にあっても
魂はもうお墓には居ないような気がする。
「千の風になって」の歌詞の通りに
私はそこには居ません・・
死んでなんか居ません
そうなら、お墓参りはどんな意味を持っているのかと
考えてしまうのだ。
そんな私に比べて母や姉は
お墓の父に話しかけていた。
私がおかしいのだろうか?
時々、分からなくなるときがある。
でも、ご先祖様には感謝している。
私がこの世に居ることは
ご先祖様のお蔭なのだから。
昨日は父のお墓の前でそんなことを考えた。
そして、母の家により
父の仏壇に父の好物を供えて手を合わせた。
昨日は、私の住む市の一部の秋祭りだった。
本当は15日が本祭りで
小中学校も休みで、子供神輿が出て賑わう。
それが、今年から10月の第二日曜日にすると決めたところがあるみたいで
子供たちはお祭りの法被を着て、獅子舞を見ていた。
大人がお神輿をかく都合で日曜日に変わったようだが
日本の祝日を日曜日の次にした国の姿勢と
同じだな・・と思わざる終えなかった。
秋晴れで日本の秋を満喫しながら
夫と義母と三人で
久谷町にある八塚古墳を見に行ってきた。
田んぼの中に八基の群集古墳がある。
市の教育委員会の文によると
文殊院が所有するが、墳墓の形は後世の開発より変形している。
1号、3号、5号、8号墳が円墳、
2号、4号、7号が方墳である。
円墳は直径7メートルから10メートル、
方墳は一遍10メートルを少し超える程度で、
高さは1.5メートルから3.5メートルの規模である。
石室は未調査となっているが、
横穴式石室で時代は古墳時代終末。
農業祭祀の歳時墳とも考えられている。
この八塚は、四国遍路の元祖といわれる衛門三郎の
八人の子供を祀ったとの伝説もあり、
塚には小さい祠がおかれ、石地蔵が祭られている。
古墳と伝説の関係が明である。
普通なら気づかないが市の史跡に指定されていた。
古に心をはせる時間を持った。
それから、車で走り見奈良のコスモス祭りに行ってきた。
でも、時期を過ぎたみたいで散りかけているのもあり
そんなに綺麗だとは思わなかったが、
午後からの三時間は
秋を味わうことが出来て良い半日だったと思う。
数日前から、我が家の応接間にどんと座っている
グランドピアノの存在が何か気になって仕方ない。
娘がピアノを習っていた十年ほど前に購入したものだ。
アップライトピアノからグランドピアノにした頃は
娘もピアノが大好きで私も娘のピアノに必死だった。
だから、夫にも相談しないで
私の判断で夫のお金を使わずに買った。
あれから十年。
娘は途中でピアノをやめてしまい
じゃあ私が弾こうと習い始めたものの
父の病気や看護や亡くなったことで
私の中からピアノへの思いはどこかへ飛んで行ってしまっていた。
それが最近、私自身の生活も安定し、
やろうとすることも何となく見つかった考えた。
私にとってこのグランドピアノは何?って。
そうしたら、急にピアノを愛しく思うようになった。
蓋を開けポロンと指でなぞってみた。
音が何か変。
そう、調律も数年やってない。
昨日は今まで頼んでいた調律士さんに連絡を取った。
今週の木曜日に来て調律してくれることになった。
三年半も放っていたとか。
これじゃピアノの音色もおかしくなるはずだ。
弾いてみても指もまともに動かない。
前に弾けていた曲を弾いてみても駄目だった。
そうだ、やり直そう。
もう一度ピアノに挑戦しよう。
バイオリンは部屋の飾りに成り下がってしまった。
せめてグランドピアノには悲しい思いをさせないよう
これから少しずつ弾いていこうと思う。
昨日、メル友からのメールで
バネ指のことを教えてほしいと言われた。
遠縁の方が指が痛み、その原因がはっきりしないという。
メールを受け取って即返事を送った。
でも、書きながら、
あれほど痛く辛い思いをしたはずなのに
今ではバネ指のことをすっかり忘れていたのに気づいた。
まだ一年しか経っていない。
そして、今年の春には右の親指もバネ指になり
手術しないといけない話となっていた。
それが、あるおまじないによって治ってから
右の親指の症状は全く出ていない。
人に話すと笑われるだろうが本当のことなのだ。
バネ指の痛さから解放された今、
メル友の遠縁の方の話を聞き
私の症状や手術の経過、ネット情報を送りながら
人間って本当に勝手なものだと思った。
喉もと過ぎれば・・の言葉通りだ。
昨日は夕方から久しぶりにピアノを弾いてみた。
本当に長い間蓋を開けることもなかったが
ピアノの音色は私の心を癒してくれた。
バネ指のためもうずっと弾けないだろうと思っていたが
ボツボツまた弾こうと思う。
メル友さんの遠縁の方が
正しい診察の結果、治療をして
一日も早く治ってもらいたいと心から願っている。
私は新しい人と知り合いになると
すぐにその人を良い人だと思ってしまう傾向がある。
そして、気を許してしまって
まるで、昔からの知り合いのような
小さい頃からの友達のような感覚になる。
挙句の果てが自分のことを話してしまうのだ。
確かに、今まで私が関わった人の中で
あの人とは知り合いになりたくなかったと思う人が
ニ、三人は居る。
でも、殆どの人が何らかの意味を持ち
私の中でしまったと後悔する人ではない。
こうして半世紀以上生きてきたのだから
出会わなければ良かったと思う人も居るし
それは当然のことだと思う。
私自身がしっかりしていて
また人を見る目も確かであったら
きっと、泣く目にも合わず、
また後悔することもないはずだ。
全ては自分が悪かったのだと思えばそれはそれで良い。
私は決めた。
これから、私の人生に関わる人、
それも、新しく出会う人に用心しよう。
よくその人を観察してどんな人なのか
私の中で分かり納得してから付き合うようにしよう。
これは私自身を守るためでもある。
後どのくらい生きられるか分からない人生、
嫌な思いや辛い気持ちを味わいたくない。
楽しく暮らしたい。
だから、人を切り捨てるのも仕方ないと思う。
私は私の人生の中で主人公なのだから
私が心地よく暮らせる人とだけ関わったら良いのだ。
こんな初歩的なことに今頃になって気づくなんて
親友が聞いたらきっと笑うだろう。
私はやはり私でありたい。
昨日は電気工事の人が家に来て
新しく回線を増やしたり、
ブレーカーを新しくしてくれたりして
一日落ち着かない時間を過ごした。
今年の夏は暑くて各部屋のクーラーを同時につけたり
洗濯機を回したり、電子レンジを同時に使ったりしたためか
ブレーカーが落ちてしまった。
停電になり母の家に避難したりして大変だった。
結局容量不足が原因だと分かって
直してもらう予定だったが
母の入院や私の予定が詰んでいて
なかなか工事に取り掛かるようにならなかった。
やっと昨日工事が終わりほっとしている。
工事中は一時停電になるので
PCは使わないでくださいと言われた。
終わるまでの時間、本を読んで過ごしたが
PCが使えないと何か落ち着かなかった。
留守にしているときはなんともないが
家に居てPCの前に座っていて使えないのは
何かお預けを食っているような感じだった。
これってPC中毒?なんて思った。
PCのない生活は車のない生活と同じで
今の私には考えられなくなっている。
若者が携帯がなければ生きていけないのと同じかもしれない。
これじゃPCを使うのではなく
PCの支配下に置かれたようだ。
一日PCを使わない日を作るのも良いかも?
でも、きっと無理だろな・・・
やはりPCのない生活は出来なくなってしまったようだ。
バナナの値が上がっている!
昨日は、近くのスーパーが恒例の¥99円均一の売り出しの日だったので
母を病院へ連れて行った帰りに立ち寄った。
ちょうどバナナが後一本しかなかったので
バナナを買おうと売り場に行った。
いつもは¥99円で一房売られている。
昨日もそうだろうと思っていたら
なんといつもと同じバナナが¥298円で売られているではないか!
正直えっー!!驚いた。
最近はバナナダイエットブームだと
TVや雑誌に載っているがやはりそのために
バナナが品不足になり需要が増えた分値上げされたようだ。
一緒にみていた一人の主婦は結局買わずにその場を離れた。
母と私は一房買った。
こんな状態はきっとしばらく続くだろう。
それにしても、日本人って何故こんなにブーム好きなのだろう。
以前、お昼のTV番組で○○が良いと聞けば
スーパーの○○売り場は空になったという。
納豆もそうだった。
寒天もそうだった。
世の女性はダイエットに神経質になっている。
少しでも痩せることが出来るのなら
何でもやってみるという気だろう。
バナナダイエットの効果が本当にあるのかどうか?
同じことをしても人によって違う。
効果の出る人も出ない人も居る。
やってみないとわからないから
バナナと水で朝食を済ますことに干渉はしない。
でも、市場の値が高くなるのは
バナナダイエットをしていない私には迷惑なことだ。
もっと賢くならないと。
何事もマスに流されるようでは情けない。
2008年10月07日(火) |
ほっとしたのもつかの間 |
昨日、講演会の報告書と収支決算書を完成させて
16の団体にクロネコメール便で発送した。
残りは領収書が揃ったら、
それと一緒にコムズに送付するか持参したら終わり。
数日はストレスで胃が悪くなっていたけれど
スムーズにことが進むようになって
それも治った。
今回の件では本当に夫に世話になった。
感謝の言葉をいくら言っても言い足らない。
夫が手伝ってくれなかったら
講演会の準備も後始末も
どちらも半分くらいしか私の力では出来なかったと思う。
昨夜は8時にベッドイン。
疲れもたまっていたし
一応終わったという安堵感もあり
朝の6時までぐすっり眠ることが出来た。
朝、PCを開けてメールチェックをしていたら
講演会が終わったので
良かったらまた次の仕事をお願いできますか?という
メールが入っていた。
今度はめざす会のHPに関することだ。
私に出来ることはやろうと思うので
能力外でなければやりますと返事をしておいた。
ほっとする間もなく忙しくなりそうだが、
これも、また日本のためと思えばやる気も出る。
何か使命感に燃えて頑張れるような気がする。
といっても、能力外のことは出来ないが・・・
昨日は珍しく一日雨が降った。
水不足の心配をしていたが渇水対策本部も解散したとのこと。
本来は雨は有難いのだが、出かけるときの雨は鬱陶しい。
11時半にエミフルで待ち合わせ。
お昼を何処で食べようかと一階の専門店へ行ってみた。
雨の日の日曜日、お昼時ということもあって
どの店も順番待ち状態。
前に一度バイキングを食べたが今ひとつだったし
後の店は長居が出来そうにないので
やはり、いつもの二階の広い場所へ移動した。
注文しようにも席がない。
二人で手分けして探し一つのテーブルをゲット。
注文しに行くと誰かに座られる可能性が大なので
紙に「ここは空いていません」というメモを書いて
テーブルの上においておいた。
ちょっといやらしいやり方かもしれないが仕方なかった。
注文したのはペッパーステーキランチ。
アツアツの鉄板の上に小さく切った肉と野菜。
これを食べる前に自分で焼く。
味は値段のことを思うと美味しかった。
でも、臭いが服や髪の毛にしみつきそうでちょっといやだった。
まあ、それでも4時間ほどしゃべることが出来たので
良かったとしよう。
いつも電話で話しているくせに会うとまた話がいっぱいあるのには
我ながら驚いてしまう。
アッという間に時間は過ぎていった。
本当ならまだまだ話したかったけれど
帰宅するまえにもう一人の人と会う約束をしたので
3時半過ぎに別れる。
久しぶりに会って話しが出来て
本当に楽しい時間を過ごせて嬉しかった。
何事もにも感謝しなきゃとつくづく思う。
今まで、ここに何度夫への不満を愚痴ったことだろう。
何故、あんなことを言ったのか?
確かに、あの時はそう思っていたのだろう。
よく、相手に変わってもらいたいときには
自分がまず変わることだという言葉を耳にする。
相手が誰であれ、相手を変えることなど不可能に近い。
相手に不満を言うのではなく
自分を振り返り、自分を変えてみたら
きっと自然に相手も変わるはずだ。
今の私たち夫婦の関係は
一番良い状態にある。
何でも話すことが出来、一緒に笑いながらご飯を食べることが出来る。
当たり前のことだが
私にとってはとても貴重なものなのだ。
昨日は私の誕生日に二人で買い物に出かけお昼を食べたのだが
夫が「何かほしいものある?」と聞いてきた。
今、これと言って欲しいものはない。
否、ひとつだけあった。
それは来年用に手帳だ。
予定を書き込む手帳は今の私には必需品だ。
買い物の最後に毎年使っている
赤い手帳をプレゼントしてもらった。
夫の気持ちが嬉しかった。
何がきっかけで今の関係になれたか?
思い当たる点はあるが、それはまあどうでも良い。
娘も家を離れ、残ったのは夫婦二人だけなのだから
仲良く暮らすことに越したことはない。
夫も私も元気で居られことを心から祈りたい。
やはり何事にも感謝する心を持ち続けたいものだ。
今日は私の○○回目の誕生日だ。
ここまで長く生きてくると
誕生日もあまり嬉しいことではないが
やはり一年に一回の今日という日を
素直に感謝したいと思う。
私はずっと誕生日は周りの人から
祝ってもらうものだという感覚を持っていた。
でも、本当は違うのだと分かった。
誕生日というものは
自分がここに生きていること、
すなわち、自分をこの世に送り出してくれたことを
感謝する日なのだと思う。
だから、父と母に感謝しないといけないと思う。
母は、今日の私の誕生日に
栗ご飯を炊いてくれると言う。
また、毎年のようにお祝いをくれるだろう。
それが母の私への愛であることは間違いないが
母の年を考えると母に栗ご飯を炊いてもらう自分が恥ずかしい。
私は母が元気で居てくれることが
一番の母からの贈り物だと思う。
毎年、私が年を重ねる毎に
母は一つずつ老いていく。
死というゴールに向かって歩いていっているのだ。
死は誰にでも訪れる。
老いているからそれを意識するだけのことだ。
こんなことを書いている私が今日どんなことが起きて
命を落とすかも分からない。
生まれたからには死んでいく。
当たり前のことだ。
それ故、今日という日を、今というときを
大切にして生きていきたい。
夫からも娘からもお祝いの言葉はないだろう。
でも、私は母への感謝の心と
こうして今日まで生きてこられたことへの感謝の心を持って
今日も元気で明るく一日を笑って過ごしたいと思う。
2008年10月03日(金) |
ストレスが胃に・・・ |
この間の日曜日の講演会の前からの準備と
終わってからの後始末まで
結構忙しい日々を送っていたが
終わった後の報告書の作成と
収支決算表の作成に神経を使いすぎたのか
この数日、胃の具合が悪い。
夏バテもせず食欲も普通で乗り切ったから
私の胃も結構丈夫になったのだと思っていた。
でも、今回のことが私にとってストレスとなっているのが分かった。
報告書は後援してくれた団体に提出する。
あらかじめ書式を送ってくれている団体には手書きするのだが
書式のない団体へは報告書をエクセルで作成して
それに記入して送ることになる。
書く時に間違わないようにと神経を張り詰めている。
また、収支決算表はお金のことだから
報告書よりも余計に神経をつかう。
一円も間違わないようにしないといけない。
会計を任された以上ミスのないようにしようと思い
一日中気にしている日々が続いている。
今日は会の役員の人と打ち合わせをするので
間に合うように現段階の報告書と収支決算表を印刷して
持って行くことにした。
まだ完成はしていない。
記入して収支を監査してもらってから仕上げることになる。
今になって引き受けたことを後悔している。
頼まれたらNOと言えない私の性格。
今回は責任を持ってやろうと思うが
本音は今後は引き受けたくない。
でも、また頼まれたらきっとNOと言えないのだろうな・・
2008年10月02日(木) |
大東亜戦争の言葉について |
私の家は産経新聞を取っているので
たまに母の家の朝日新聞を読むのだが
昨日はつい読むのを逃してしまっていた。
私の参加しているメーリングリストで
昨日の朝日新聞の朝刊に
麻生総理が大東亜戦争の言葉を使ったことに対して
下記のように批判したと載っていたらしい。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
麻生首相は30日、首相官邸で記者団から過去の戦争観を問われ、
「日清、日露(戦争)と、
いわゆる大東亜戦争、第2次世界大戦とは少し種類が違うと思う」
と語った。
首相は「明治憲法以来約120年。時代を振り返って、
日本の歴史として誇れる歴史もあれば、誇れない歴史もある」
との考えを示した。
「大東亜戦争」は当時の政府が決めた正式呼称だが、
戦後、GHQ(連合国軍総司令部)が公文書での使用を禁止。
教科書では「太平洋戦争」
「第2次世界大戦」の呼び名が一般的になっている。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー このことは、私もそうかな?と思っていた。
でも、私が作っているHPには
「アジアに生きる大東亜戦争」と表記し
敢えて太平洋戦争とは呼ばず
大東亜戦争と書いた旨をあとがきに記した。
戦後生まれの私は太平洋戦争と習ったが
本来は大東亜戦争というべきなのだから
麻生総理が大東亜戦争という言葉を用いたことは
朝日新聞のように批判されることではないと思う。
昨日の午後、郵便局へ用事があって
雨の中、車を走らせた。
3時前に入り用を済ませたら3時5分だった。
その間10分ほど。
さあ、車まで行こうといたら
郵便局の玄関の外にある傘立てにさしてあった傘がない。
えっ!嘘!
ない・・
盗まれた・・
正直ショックだった。
まさかという思いでいっぱいになった。
その傘は私のお気に入りの傘で
真っ黒でブランド名の入ったちょっと良い傘だった。
私がそんな傘を郵便局へ差していったのが駄目だったのかな・・・
思えば、8月、母が入院していた県病院へ行って
玄関の傘立てに日傘を立てていたのも
出てみたら盗まれていた。
この日傘も私のお気に入りのフリルのついた可愛い傘だった。
その時もとても悔しい思いをしたが
まさか、あれからひと月あまりでまた同じことが起きるとは
思っても見なかった。
もう戻ってくることはないだろう。
一応、郵便局の人には話をしておいたし
警察にも電話して話をした。
警察の人は腹が立ちますよね、でも、返ってこないでしょうと言った。
その通りだと思う。
去年は別のところでやはり雨傘を盗られたから
今回で三回目ということになる。
つくづく傘には縁がないということだろうか。
それにしても、人が信じられなくなりそうだ。
人の物を盗む気持ちが分からない。
でも、考えようによったら傘で済んでよかったと思うべきか。
他のもっと高価なものを盗られなかったと
思えば有難いと思うべきだろう。
運が悪かったと諦めよう。
スカーレット
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