スカーレットの心のつぶやき
つぶやき 目次過去未来


2008年07月31日(木) やっと7月も終わり

今日は7月31日。

まだ7月!?と思うほど今年の梅雨明けは早く

なつの到来が早かった。

今年の夏は異常だ。

これが友人と話をしていていつも話題に上る。

私が小さい頃は夏でもクーラーもない時代だった。

氷の冷蔵庫と扇風機が小学校の時に我が家に来た。

今思うと不思議だけど、

今のような暑さは感じなかった。

暑いと思ってもせいぜい30度だったように記憶している。

それが、今では所によれば39度まで気温が上がる。

確かに異常だ、このまま地球がどうにかなってしまうのではないか?と

不安に思う。

義母の家にはクーラーがない。

今までは何とか過ごせたが今年の暑さはこたえる。

義母にクーラーをつけるように勧めた。

義母もそうしたいと言っている。

夏はまだまだこれからだ。

8月、9月、時には10月になっても暑い。

家の中でも熱射病で亡くなる人も居ると聞く。

今年の夏を無事に過ごすためにも

少々の電気代は言っていられない。

頑張らないと。

元気で居ないと。

明日から夏本番8月だ。


2008年07月30日(水) 冷蔵庫のない暮らし

日曜日の夜、母の家の冷蔵庫が突然冷えなくなった。

夜中近く、母からの電話で行って見ると

冷凍庫の中身が全部溶け出して駄目になってしまっていた。

冷蔵庫の中はなんとか品物はもったものの

腐るのは時間の問題。

一昨日は、惠先生とご一緒に三机や西条に行く予定だったが取りやめた。

母は「行ってもかまんよ」と言っていたが

本当は私に居てもらいたいという気持ちが伝わってきた。

結果的に私が行くのを取りやめ、

電機屋さんやメーカーとの交渉をしてあげることが出来てよかった。

昨日、メーカーから冷蔵庫をみに来てくれた。

その場で修理できればよかったが

どうも、冷蔵の心臓部分が動かなくなっているらしい。

部品を交換しないといけないが

工場に部品がないとのこと。

取り寄せるには日にちもかかるし

買ってまだ8ヶ月しか経っていないこともあって

結局新品と交換してくれることになった。

でも、早くても4日後になると言う。

いくら、辛抱強い母でも夏に冷蔵庫が使えないのは困る。

メーカーに代わりのものを貸して欲しいと言ったが

本当か嘘か、今は出払っていると言う。

仕方ないからパーソナル冷蔵庫を買ってあげようかと思い

電機屋さんに行って見た。

あるのはあったが、霜取りを自分でしないといけないから面倒だ。

母は必要ないと言う。

そこで、発泡スチロールで出来たボックスに氷を入れて

母の家に持って行った。

一つ購入して二つ持っていったので

何とか腐らさない程度には保冷が出来そうだ。

母のために数日はその日に食べるものを買いに行ってあげるつもりだ。

それにしても、

あって当たり前のものがない生活が

こんなにも不便なものだと改めて解った。

いつもは冷蔵庫の有難さを思ったことなどないが

感謝しないといけないとつくづく思う。

一日も早く、新しい冷蔵庫が届くと良い。




2008年07月29日(火) カキ氷の思い出

「暑い夏にはカキ氷!」そんなキャッチフレーズがよく似合う、

猛暑の日々が続いている。

私には忘れられないカキ氷の思い出が二つある。

ひとつは、一昨年の6月に亡くなった父との思い出だ。

父は、食事は勿論のこと、水さえ吐いてしまう状態だった。

医者には止められていたが、

ひとさじのカキ氷を欲しがる父の口元に、

真っ白なカキ氷を作り、

砂糖を少しかけて父の口に運んだ。

あの時の父の嬉しそうな顔は忘れられない。

二つ目は、私が小さい頃の思い出だ。

あの頃の我が家は、

お店で売っているカキ氷を食べる経済的余裕もなかった。

夏休みになると母は10円を私の手のひらに握らせ、

氷屋さんへボールいっぱいのカキ氷を買いに行かせたものだ。

その氷を落とさないように、

溶けてしまわないうちに、走って帰った。

勿論、氷の上にかける蜜もない。

買って帰ったかき氷の上に、

パラパラと砂糖をかけただものだったが、

最高の味だった。

最近、店で見かけるカキ氷は、

フルーツやアイスクリームが乗った、

高価で贅沢なものが多い。

でも、私が一番食べたいのは、

懐かしい素朴なカキ氷だ。

そして、父の仏前にもそっと供えたい。


2008年07月28日(月) 惠隆之介さんの講演会

昨日、惠隆之介さんの講演会があった。

惠先生は作家で、現在グロリア・ビジネススクール校長をされている。

元海上自衛官で、防衛問題をはじめ

色々な分野での論説をされるジャーナリストでもある。

最近は、大東亜戦争・スラバヤ沖海戦で

敵兵であるイギリス海軍の兵たちを救助した

雷(いかづちかの工藤艦長を描いた本

「敵兵を救助せよ!」で有名な人だ。

この本はTVでも紹介されたが

昔の日本軍隊がどうだったかを知るとてもいい本だと思う。

昨日は、この本の話だけではなく

沖縄問題(惠先生は沖縄出身)や

武士道の話、

今の日本を救うためには

子供たちに本当の日本の歴史を教えなくてはならないという話や

本当に勉強になるお話を伺った。

会場でも、惠先生の著書を売っていたが

私はこの「敵兵を救助せよ!」は買って読んでいたので

昨日はもって行っていて

先生にサインをお願いしてしてもらった。

今日は惠先生や数人の人たちと

西条の楢本神社や三机湾に行く予定だ。

この神社には、

特攻第一号・関行男中佐ら軍神が祀られている。

また境内には特攻記念館もある。

三机湾は真珠湾を海底から攻撃した

特殊潜行艇の乗組員の訓練がなされたことで有名である。

当時上層部が宿泊したのが現存する岩宮旅館で

先生たちと夕食をしてから帰る予定になっている。

今日も暑そうだ。

昨夜、母の家でトラブルが発生し

そのために予定している今日の西条・三机行きが中止になるかもしれない。

でも、昨日、惠先生にお会いして話をすることも出来たし

講演会を聴くことも出来て本当によかったと思う。


2008年07月27日(日) バイキング

昨日は、久しぶりに親友と会って

お昼を食べ4時間半お喋りすることが出来た。

場所は、松前にあるエミフル。

夏休みの土曜日ということもあり混んでいたが

広いから人がうようよしているという感はしなかった。

何処で食べる?ということになり

色々と見て回った結果

バイキングをしている店に入ることにした。

私はバイキングは基本的には好きだ。

自分が好きなものだけを取って食べることが出来るし

デザートもついている。

ただ、難点はついつい卑しい根性が出てしまって

食べ過ぎてしまうことだ。

昨日も、全ての種類の料理を食べようと思い

それぞれ少量ずつお皿にとったら

結構大量になってしまった。

最近はお菓子というものを口にしていなかったので

プチケーキやババロアや・・デザートも取りすぎて

自分でいやになるほどだった。

味がちょっと濃い目。

もう少し薄味にしてくれると良い。

値段も1500円、値段の割りには今ひとつかな・・・

来月、娘が大阪から帰ったら

エミフルにいきたいと言っていたので

ここでお昼を食べようと思っていたけど

ちょっと考え物だ。

まあ、昨日の外の暑さも知らず

程よい冷房のところで親友とお喋りが出来たことが

一番の収穫だったように思う。

次もここで、でもお昼は別のところにしようと思う。


2008年07月26日(土) この暑さは何?

それにしても毎日暑い日が続く。

今年は今までで最高の暑い夏になるかも?

大阪はこちらよりも暑いと天気予報で言っていたから

帰宅したら少しはましかな・・・と思っていたのが大間違い。

娘の部屋は小さいからクーラーをつけると効きが良いし

寒いくらいになるのに

帰宅したらそれなりの部屋の広さもあり

朝日の差す部屋など居れたものではない。

なるべくクーラーをつけずに過ごそうと思っても

昼前になると我慢できなくなってつけてしまう。

省エネ温度は28度だとか。

でも、28度では暑いから26度に設定してしまう。

母に言わせると

冷房代を節約して病気になったり倒れたりすることを思うと

夏の間の三ヶ月、電気代にはかえられないと。

だから、私も勿体無い気はするが入れてしまうのだ。

夜は22時くらいまでつけて

その後は消して扇風機の風で朝まで寝て汗もかかず

快適に寝られる。

だから、暑くて眠れないということはない。

今もせみの鳴き声がジージー、ミンミンとうるさい。

このせみの声だけで暑さを感じる。

今年の夏を無事に乗り切っただけで儲けもの。

それにしても暑いな〜〜〜〜


2008年07月24日(木) やっと帰れる

娘が交通事故に遭ったという知らせを受け

急遽大阪へ来て一週間。

毎日がとても忙しく

また暑く

本当に大変な日々だった。

やっと、今日帰ることができる。

娘の症状は思っていたよりも

順調に回復している。

事故に遭った数日は

むち打ちの症状と手の怪我、そして全身打撲による痛みで

つらそうで見ていてかわいそうだったが

日が経つにつれて

段々とよくなり、大学も休むことなく行くことができた。

まさに、大難が小難ですんだことを

心から感謝している。

事故に遭うと、けがも大変だが

警察関係や示談交渉が面倒だ。

警察へ事故届も相手のひとがしなかったので

私が娘を連れて警察署へ行き事故の報告をして

事故届を出してきた。

本来、事故に遭ったらすぐに警察に届けるのは

免許を持っているバイクに乗っていた人がするものであり

警察も、相手のひとは犯罪行為を犯したことになると言っていた。

翌日は現場検証に立ち会い、

相手のひとも来て事情説明をしていたが

警察から注意されていた。

自転車はひとと同じ扱いで

100パーセントバイク側に過失があるとのこと。

相手の女の子(娘より3歳上)は

娘の体のことを心配し、謝るばかり。

そんな姿を見ていたら、気の毒になってしまった。

娘が載っていた自転車は全損で乗れない。

彼女が新しい自転車を買ってくださいと

¥25000渡してくれたので買うことができた。

娘の治療費は病院側から自費で支払うように言われたので

今までずっと10割負担で払っている。

金額も馬鹿にならない。

治療費は相手の自賠責で出るとのことだったが

それもなかなか話が進まず

やっと、昨日払ってもらえることがわかり

書類を見せてもらった。

娘の治療が終わってから

医者の診断書や治療経過明細書を書いてもらうことになるから

また、来月には大阪へ来なければならない。

お盆の前に、娘が一週間ほど帰省するというので

その後のことになりそうだ。

なんだかんだ大変だったが

娘の症状もだんだん良くなっているから

安心して、今日帰ることができる。

私も自分の体調不良のことを思う暇もなかった。

帰ってからも、色々と用事がたまっている。

私が倒れないようにしなくっちゃ。


2008年07月17日(木) 娘が事故に

昨日の午後、大阪に居る娘から

人身事故にあったという携帯メールが来た。

驚いてすぐに娘に電話をしたが

大学で講義を受けているのかつながらない。

分からないと不安も募る。

夕方になって娘から

「バイクとぶつかって怪我をした」と知らせがあった。

どの程度の怪我なのか?

大丈夫なのか?

相手との事故は警察へ知らせたのか?

色々と知りたいことがあるが埒が明かない。

歩くのも痛いという。

全身打撲でますます痛みがひどくなっているようだ。

擦り傷も深いらしい。

娘からの知らせを受けて

居ても立っても居られない心境になった。

昨日は、心臓の病院でレントゲンや詳しい血液検査をしてもらったが

別に変わったことはないと言われ

このしんどさは過労から来るものだと分かったから

母も安心してくれて

娘の所へ行ってやったら良いと言われた。

夫にも知らせて了解を取り

今朝の便で大阪へ行くことにした。

どうか大した怪我でありませんようにと祈るばかりだ。

でも、考えようによったら

大難が小難で済んでよかったと思う。

もし、相手が人で怪我をさせていたらと思うと

娘が怪我をしたことの方がよかったと思える。

娘も試験の最中なので

きっと寝不足だったのだろう。

神経も集中できなかったのかもしれない。

気をつけないと、交通事故は本当に怖い。


2008年07月16日(水) 正論懇話会

昨日は正論懇話会に出席してきた。

今回の講演会は

平成19年度の正論大賞を受賞された

佐伯啓思氏の講演で

「日本人の精神のあり処」と題するものだった。

先生の本は一冊読んだことがある。

反米保守の立場で

アメリカに追随する日本を批判していたように思う。

今回の講演も

アメリカをもとにする

グローバル化から日本を救うものは

昔から日本人のこころに存在する

武士道精神や、義、宗教心などであり

それは教育によって植えつけられるものであるという話だった。

何でもアメリカの真似をすれば良いという

日本の姿勢に私は疑問を持っていたが

佐伯先生の話を聞いて

その思いを深くした。

構造改革は日本だけでなく

世界を破滅させるものである。

グローバル化はアメリカスタンダードつまり

アメリカが標準となり、全てがアメリカの思う壺なのだ。

勤勉さ、道徳心の高い日本は

アメリカナイズされない

日本独自の文化ややり方で良いと思う。

日本独自の価値観を大事にして

教育で子供たちに教えていけば

まだまだ日本は大丈夫だという思いがする。

これは、日下公人さんが言っていることにも通ずる。

日本には素晴らしい道徳心がある。

これこそが世界で誇れるものだと思う。

昨日の講演会を聴き

何となく嬉しくなり、また日本に誇りを持ち

自信を持って生きていくことが出来るような気がした。


2008年07月15日(火) 「竹島は日本固有の領土と主張すべき」

文部科学省は、14日発表された、

中学校の学習指導要領の解説書の改訂版で、

初めて竹島について触れたが、

韓国へ配慮した結果、

「竹島が我が国固有の領土」であると明記することを断念した。

また、

「我が国と韓国の間に竹島をめぐって主張に相違があることなどに触れ」

と、まるでひとごとのようだ。

領土問題は国家の主権に関わる問題である。

先の洞爺湖サミットにおいても、

北方領土問題や竹島問題について、

日本政府は相手国の嫌がることをしないという方針のもと、

明確な主張をしなかった。

これは国益を損することであり、許されないことである。

韓国の最初の地理の教科書では

韓国の領域を示しており、

それによると竹島(独島)は韓国の領土ではなく

日本の領土であると示されている。

また戦後の資料においても

竹島は韓国の領域には入ってない。

竹島は日本固有の領土なのだ。

外交は力である。

領土問題を少しでも相手国に譲ったら、

取り返しのつかないことになる。

竹島は日本固有の領土であると

日本政府は堂々と主張すべきである。


2008年07月14日(月) しんどかった

昨夜、大阪から帰宅した。

今回の大阪行きは特にしんどかった。

梅田にお昼に着きお昼ごはんを地下で食べた後

歩くにも辛いほど、胸が苦しくて

このまま死んでしまうのではないかと思うくらい。

もしかして、母の声を聞くのもこれが最後?なんて思って

母に電話してしまった。

心配をかけることになるのだから

本当は電話などしないほうが良かったのに

あの時は本能がさせたような気がした。

母に何をしてほしかったわけではないし

母を困らせたいと思ったのではない。

でも、結局は母に心配をさせる結果になってしまった。

何とか、娘の家へ到着。

部屋の状態は想像以上のひどさ。

何から手をつけたら良いか分からないほどだった。

洗濯物が部屋中、足の踏み場もないくらい

散らかり放題。

一枚いちまい拾い上げ洗濯を。

総枚数150枚。

よそゆきの服を30枚ほどクリーニングへ。

費用は¥18000を越えた。

何だこりゃ!?

洗濯機がフル回転。

台所、トイレ、風呂場の掃除をして

夕食を作れたのが午後8時。

娘の顔を見た喜びよりも

つい愚痴ってしまった私。

親ばかだと承知しながら

それでも、娘の部屋を片付け手助けしてやっている。

最近の子はこういう風な子が多いと

クリーニング店の奥さんが言っていた。

私には理解できないことだが

これも、皆私の躾の至らなさから出た結果だ。

三泊四日の滞在は家事に明け暮れた。

体調不良にも関わらずやることはやったという

変な満足感に満たされて帰りのバスの人となった。

娘への親としての愛は間違っているのだろうが

やはり、私の親ばかは治らないのかもしれない。

文句は言わないで居たい。

梅田の地下で起きた症状は

一番最悪であり、滞在中は起きなかったのが不思議だ。

それでも

普通とは違うのは確かだ。

単なる疲れに過ぎなければ良いが・・・

明後日は、心臓の病院で、診てもらおう。



2008年07月10日(木) 大阪へ

この最近の体調不良は

もしかして去年の春に発症した

バセドウ氏病の再発か?と思い

昨日は愛大の主治医の元に行ってきた。

血液検査の結果は異常なしと出た。

一応安心したものの

症状は同じゆえ、不安も残る。

来週の水曜日は心臓の病院の受診日になっている。

バセドウ氏病の再発でないとすれば

この体調不良の原因は何なのだろう・・・・

単なる寝不足や過労が原因ならば休めば治る。

今日から日曜日まで、大阪の娘の処に行くことになっている。

本当は体調のことを思って

娘に行けないかもしれないと言ったのだが

色々と事情もあり

やはり行くことにした。

今回は、いつものように無理をしないようにしよう。

メル友さんが言ってくれた言葉を胸に叩き込んでおこう。

「埃が積もっていても、死なない」

本当にその通りだ。


2008年07月04日(金) ○○回目のお休み

今日からしばらく、お休みします。

このひと月ほど、夢中で我武者羅に走った結果、

とうとう、倒れる寸前まで来てしまったようだ。

一昨日の夕方から心臓あたりが

胸苦しくなってきた

何ともいえないしんどさを覚えた。

これ以上、今のペースで頑張ると

本当に倒れてしまうと感じた。

明後日、日曜日の

拉致被害者を救出するぞ!国民大集会は

どんなことがあっても行かねばならない。

ご家族の気持ちを思うと

私の体調不良などぶっ飛んでしまう。

でも、

今日の学習会と明日のチラシ配りは

休ませてもらうことにした。

作成中のHPはほとんど仕上がった。

後2つのコンテンツを仕上げれば良い。

先生の宿題はまだ済んでないが

先生に体調不良を話してしばらく待ってもらおうと思う。

どんなことを言っても

自分の身体のことだ。

健康が一番。

また、元気で活躍するためにも

しばらく、休むことにする。

また、復活したら「つぶやき」も復活します。

その時はよろしくお願いします。


2008年07月03日(木) 行政って・・・

先日、今週の日曜に(7月6日)に開催される

「拉致被害者を救出するぞ!国民大集会in愛媛」の

十枚ずつチラシや整理券を姉や友人に配って

行ってもらいたいと頼んでほしいと言っておいた。

友人も姉も皆に伝えてくれたらしい。

また、違う友人からは

ポスターを貼りたいが何処で手に入れることが出来るか?という

問い合わせが来た。

県の主催だから県に置いているのではないかと思い

そう返事をしておいたのだが

どうも県には置いてないとのこと。

そこで、私の住む市の市役所に問い合わせてみたら

置いているとのこと。

私の市では拉致被害者がいるから連絡会があるのだ。

そこで、市役所に行きポスターをもらってきた。

問い合わせてくれた友人に二枚送り、

残りは市内の郵便局、JRの駅、スーパーマーケットなどに

貼ってもらうよう頼みに行った。

躊躇するところもあったが

それでも目に付くところに貼ってもらうことが出来た。

私のような民間人が頼むよりも

市の人が頼めばもっとすんなり引き受けてくれるだろうし

多くの場所に貼ってもらえるはずだ。

市役所にそう言うと

「国の予算で県の主催だから」と言った。

私は何も言えなかった・・・・・

行政とはこんなものなのか・・・・

これじゃ拉致被害者を取り戻すことなど出来ない。

正直そう思った。

市役所にもそのポスターは貼られていない。

公民館には貼られていたが

図書館には貼られていないので

夫に頼んで貼ってもらった。

今週の土曜日には高島屋の前で

最後のチラシの配布のお手伝いをすることにしている。

本来なら行政がやるべきことなのに、

日本政府の方針があんなものだから

末端の行政がやるわけないか・・・

そんなことを考えると、

何か淋しい。

日本はこんな国に成り下がってしまったのだろうか。


2008年07月02日(水) またまた宿題が・・・

昨日は、私が師事している先生とお会いして

色々とお話を伺った。

今、制作中のHPについても

アドバイスいただき

またまた宿題を出されてしまった。

私の知識・能力の範疇を超えるものに思える。

本と資料もいただいてこれも読まねばならない。

宿題というのは

先生が大分の図書館から取り寄せて借りた本を

CDRに入れて読んでほしい、

そして、今私たちの間で話題に上っている件について

私なりの感想を述べてくれというものだ。

本は400ページほどある。

小説などなら一気に読むことができるが

専門的なものなので、一ページずつじっくりと読む必要がある。

さて、どうしたものか・・・

もう一つの宿題も

ある本と資料を読んで、どんなに思うか?を

聞かれそうだ。

大阪へ行く時にでも持っていってじっくり読もう。

家事や母のこともある。

あまり無理はしないようにしなきゃ。

私の出来る範囲でやるしかない。


2008年07月01日(火) 老人ボケとその家族

いまでは「ボケ」という言葉は

使ってはいけない禁止用語となっているのだろうが

あえて私はこの言葉を使う。

「認知症」という言葉の持つ意味合いが漠然としていて

何がどうしたのだということが理解できにくい。

さて、私の母は今年87歳、夫の母は79歳、

ともに一昨年夫に先立たれたものの

その後は一人暮らしの気楽さからか

心身ともに元気で、自分のことは自分でするし

勿論、少々の物忘れはあるものの

(これは年齢に関係なく私も物忘れはする)

ボケ症状は全くない。

先日、ここで親戚のおばのことを書いた。

今年94歳のおばは父の実の叔母であり母の従姉妹であるという

私にとっては説明しがたい存在である。

ここでは大叔母ということにしておこう。

その大叔母が最近娘の一人を亡くした。

その直後、あまり悲しい風でもなく

落ち込んでもないということを

母から聞いて、年をとるということは

そういうことなのだと変に納得したものだ。

それが、この数日、大叔母のことを心配して

母が電話してみると、大叔母の声が沈み元気なく

「死にそう・・・」などと弱音を吐いていたという。

さもあらんという心境だ。

そして、大叔母と同居している息子から母に電話が入り

母親のボケについて愚痴ったらしい。

お風呂に10日以上入らないし、歯も磨こうとしない。

同じ話を何回もする。

三越へ行っては同じ品物を買ってくる。

冷蔵庫の中にはアジの干物が腐るようにあるらしい。

そんな母親を見てたまらないのだろう。

彼の気持ちも分かる気がする。

一方、大叔母が母に電話で話すことからは

息子とのことが原因で死にそうなのだというではないか。

これはどちらがどうだという問題ではない。

母と息子との二人の関係が悪化しているためだ。

息子に母親への理解と思いやりが

もうすこしあればまた違ってくるだろう。

反対に、大叔母が家事全般をしてくれる息子に対して

有難うという感謝の気持ちがあれば、

また違ったものになるだろう。

確かに、姉や私が大叔母と話したときにも

何か変だと感じたしそれがボケの始まりだったのだと思う。

そして、今回の娘の死が大叔母のボケの度合いを進めたのだとも思う。

どうすればいいのか?

世間で介護疲れで殺人事件が起きるのも

こういった息子と親との同居、娘と親との介護関係が原因だ。

どうか、大叔母にとっても息子にとっても

居心地の良い家になるようなそんな思索があれば良いが・・・


スカーレット