スカーレットの心のつぶやき
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2008年01月31日(木) |
とうとう起きてしまった |
昨日の夕方、
生協が販売した中国製のぎょうざ(JTフーズの冷凍食品)で
食中毒が起きていたというニュースが飛び込んできた。
メタミドホスという
野菜などでアブラムシなどの駆除に使われる有機リン系の殺虫剤が検出されたとのこと。
でも、考えたら今回のことが起きても
決しておかしくはない。
先日来、中国から輸入される食品に対する危機感は持っていたのだから。
最近は食品を買うときには必ず生産国を確かめることにしている。
そして、いくら安価であっても
中国のものは買わないようにしている。
冷凍食品は食中毒の危険性は少ないと思っていた。
でも、今回のことで、冷凍食品も要注意ということが分かった。
JTが市販用の商品で
自主回収しようとしているのは
ぎょうざだけではなく
「中華deごちそう ひとくち餃子」「お弁当大人気!ミニロールキャベツ」
「お弁当大人気!豚肉のごぼう巻き」
「お弁当大人気!2種のソースのロールキャベツ」
「お弁当大人気!豚肉の3色野菜巻き」
「CO・OP本場中国肉餃子30個540g」
「CO・OP手作り餃子40個560g」
「CO・OPとろ〜り煮込んだロールキャベツ2個×2袋入」だそうだ。
我が家の冷凍庫には入ってないが
スーパーの冷凍食品売り場には並んでいるものばかり。
お弁当の一品として買っている人も多い。
大人だけでなく子どもたちも食べるものだ。
味が良く大人気ということだから需要も多かったのだろう。
被害が出る前に破棄するべきだと思う。
今回はJTの商品が対象になったが
他のメーカーのものにも危険性はあるかもしれない。
やはり国内産のものを使って
家庭で料理して食べるのが一番だ。
改めて便利で安いものだけに走る
我々消費者が反省しないといけないと思った。
昨日、ここに映画「南京の真実」について書いたが、
昨日の産経新聞に、
この映画「南京の真実」を首相官邸で試写会を開催してはどうかと
花岡氏がコラムに書いていた。
記事によると
三時が長く感じられない濃密な画面を
打ちのまされるような思いで見入ったという。
東京裁判で死刑判決を受けた
東條英機、松井石根ら
所謂「A級戦犯」7人の処刑までの
最後の一日をドキュメントタッチで描いたもので、
当時の巣鴨プリズンを再現、
俳優たちの凛とした演技が
なんともいえない重さをもって伝わったそうだ。
日本政府は、
米下院の「慰安婦非難決議」の背後にいる
中国や韓国の在米プロパガンダ団体の
「カネと票」を武器にした戦いに挑んでいない。
これは諜報戦争だ。
その戦争に対して、
日本の政府は対抗手段を持たないままでいる。
民間の草莽の団体であるチャンネル桜は
政府に率先してこういう映画を作ってくれた。
先日も小沢も福田も訪中し
媚を振りまいたがこれこそ日本の恥と言える。
何故、あの訪中の機会に
南京虐殺記念館に表示されている
被害者数30万人を訂正してくれといわなかったのだろう。
今の日本の弱体化を示すいい例だ。
試写会には党派を超えて国会議員がかけつけた。
心ある議員もいるのだ。
今、国会は「ガソリン国会」で攻防忙しいが、
国際的に見て私は恥ずかしいと心から思う。
もっと日本国家を考えれば
ガソリン代云々言っている場合ではないと思うのだ。
花岡氏の言うとおり、
この映画を日本中の人たちに見て欲しいし
与野党の国会議員が見るべきだと思う。
私もまだ行こうかどうか迷っている。
飛行機で行く人も多いとか。
東京の試写会では入場できない人も出たらしい。
ああ〜どうしよう・・・
チャンネル桜の社長であり
映画監督でもある水島総さんが制作している
映画「南京の真実」三部作のうち
一部「七人の死刑囚」が完成した。
これは、南京大虐殺はなかったという真実を
世界中にむけて発進しようと
有志が立ち上がり制作されたものだ。
その映画の試写会が
先日東京であり
今度は八尾市で開催されると言う。
見に行きたい!
毎日この気持ちが高まっている。
でも、今の私の置かれている状況を考えると
家を留守にするわけにはいかない。
昨夜のチャンネル桜で
水島社長がお礼の挨拶の中で
愛媛県からも試写会をしてほしいという
要請が来ているとのこと。
松山でなくても県内なら行ける。
是非、実現してもらいたい。
この映画「南京の真実」は多くの人たちに見てもらいたいと思う。
中国のプロパガンダである南京大虐殺、
日本国内にもあったとする派がある。
しかし、東中野修道先生はじめ
色んな人が実証的な検証をして
今ではなかったといことが判明している。
でも、まだまだそれを世界に発信してはいない。
まず、日本人なら真実を見てほしい。
自分の目で見て考えてほしい。
いつまで日本は自虐的になればいいのか!
これからの未来の人たちへ
今こそ真実を検証しそれを伝えなければならない。
情報戦争勃発」とも言える危機的事態に、
今こそ、大同団結し、
誤った歴史認識を是正し、
プロパガンダ攻勢に反撃すべく、
南京攻略戦の正確な検証と真実を全世界に伝える
映画制作されたことに
心から大きな声援を送りたいと思う。
頑張ってもらいたい。
そして、出来たら9日の八尾市の試写会を
一人でも多くの人たちに見てもらいたい。
私も行きたいと心から思う。
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◆ 映画 南京の真実 第一部「七人の『死刑囚』」 試写会 ◆ 【大阪】 日時 : 平成 20年 2月 9日(土) 17時30分開場 18時30分〜 舞台挨拶 19時〜22時頃 上映 場所 : 八尾市文化会館プリズムホール 2F大ホール 大阪府八尾市光町2-40 (近鉄八尾駅より徒歩5分) 電話 072-924-5111 入場料 : 無料 主催 : 映画「南京の真実」関西上映実行委員会 連絡先 : 090-5128-1569 キャスト 松井石根 … 浜畑賢吉 東條英機 … 藤巻 潤 広田弘毅 … 寺田 農 土肥原賢二 … 渥美國泰 木村兵太郎 … 久保 明 板垣征四郎 … 山本昌平 武藤 章 … 十貫寺梅軒 花山信勝 … 三上 寛
広田静子 … 烏丸せつこ 松井文子 … 上村香子 ほか [制作趣旨] 南京陥落70周年の今年 (平成19年・2007年)、米国サンダンス映画祭にて、南京「大虐殺」映画が公開されました。 さらに、中国、カナダ、米国等で計7本の南京「大虐殺」映画製作が予定され、全世界で公開されると言われています。 歴史的事実に反し、誤った歴史認識に基づくこのような反日プロパガンダ映画によって、南京「大虐殺」なる歴史の捏造が「真実」として、 世界の共通認識とされる恐れがあります。 また、そこから生まれる反日、侮日意識が、同盟国の米国だけでなく、 世界中の人々に定着しかねません。 「情報戦争勃発」とも言える危機的事態に、 私たちは大同団結し、誤った歴史認識を是正し、 プロパガンダ攻勢に反撃すべく、 南京攻略戦の正確な検証と真実を全世界に伝える映画製作を決意しました。 映画は英語版や中国語版等も同時に作り 、世界同時公開を目指します。また、 インターネットの動画配信も実行する予定です。 この映画製作には、全国草莽の皆さんの熱いご支援ご協力が必要です。 是非、映画製作にご参加いただき、祖国日本の誇りと名誉を守りましょう。 平成19年1月 映画「南京の真実」製作委員会 監督 水島 総 日本映画監督協会会員 日本脚本家連盟会員 日本文化チャンネル桜 代表
今朝、朝の家事をしながら
TVをつけていると
本の内容の中身の
「受験必勝法」なるものを紹介していた。
それによると
勝つ確立の高い大学から受けること、
むやみに色んな大学を受ける
受験行脚はしないこと、
受けようと思うところが不安だといって
レベルを下げないこと、
そして、親は「泰然自若」
つまり、
落ち着いて物事に動じない、
安らかでもとのまま変化せず平気でいることだそうだ。
先日の三者面談で娘は
周りから「絶対に大丈夫だ」とか、
「第一志望校からぶれるな」とか
変なハッパをかけてもらいたくないと言った。
確かに、私は親として
頑張ってもらいたいという思いで
「気持ちを変えないで絞って行け」という意味のことを言っている。
これは、折角の力を出さないのは勿体無いという気がするからだ。
でも、いらぬことは言わないのが一番のようだ。
娘が良いと思うようにすれば良い。
親はお金を出し、
手配をして落ち着いているのに限る。
そう思うとなんだか緊張もとけてきた。
受験必勝は願いだが
これも運のものだ。
後ひと月足らずの間で
娘は一回りも二回りも成長するに違いない。
娘の言うように
結果ではなくやった過程が大事なのだから。
最近、私は疲れていると
自分自身の体調で分かることがある。
昨日の朝もまるで
去年の春のようなしんどさを感じた。
でも、今は弱音を吐くわけにはいかない。
娘が一番しんどいのだから。
だから、頑張っているが
昨夜はとうとう9時前に寝込んでしまった。
睡魔に勝てなかった。
そして、今朝3時半に目が覚めたが
ずぼらを決め込んで6時まで布団の中に居た。
でも、まだ体がだるい。
いつものようにエンジンがかからない。
こんなことで娘の受験についていけるのだろうか・・・
少し不安になる。
昨夜、夫が私が前から読みたいと思っていた本
「めぐみへ」を借りてきてくれた。
この本は北朝鮮に拉致された
めぐみさんのお母さん・横田早紀江さんが書いた本だ。
めぐみさんが拉致されて30年、
お母さんは71歳になった。
残された自分自分自身の時間を思うと
どんなにか不安になり焦燥感を覚えることだろう。
横田夫妻の活動はやがて日本国民を動かした。
自分の娘を取り戻したいと願う気持ちが
世論を動かしたことになる。
この「めぐみへ」を私はじっくりと読みたい。
昨夜は早く寝てしまったから読めなかったが
今日は時間を作って読み上げたいと思う。
今朝、起床して着替えをしようと
パジャマのズボンを脱いだら
左足のくるぶしのちょっと上に
1センチ大の赤い丸が。
触ってみるとひりひりする。
どうも、あんかで低温やけどをしたみたいだ。
低温やけどは寝ている間に
あんかが原因でよく起きると聞く。
昨夜は布団の中に入っても寒くて
ついついあんかを足で挟んで寝ていたみたいだ。
皮は剥けずについているから良かった。
低温やけどにはひどい思い出がある。
もう20年前のことだが
やはり左足の内側にひどいやけどをした。
意識不明になった時に
家人が見つけるまであんかが足に当たっていたみたいなのだ。
皮も剥け、重症だったので
やけどの部分を切り取り縫合する手術をした。
ケロイドになって醜い痕が残った。
モデルでもなく足の傷くらい大したことはないと
気にもしなかったのだが
今朝、改めてその時の傷跡を探したら
なんとなくなっていた。
綺麗な皮膚が出来き、ケロイドもすっかり治っていた。
人間の再生化の力って凄いなあとつくづく思う。
心臓の傷は二本走っているが
これはまだはっきりと残っている。
縫合の痕を見るたびに
自分の心臓手術を思い出すが
やけどの痕が治ったから
あの時のことはもう忘れて良いということなのだろう。
嫌なことを忘れることも必要だ。
今回のやけどは大したことがなくて
本当に良かった。
でも、今夜から気をつけよう。
昨日の午後、本当に久しぶりに
誠さんから電話がかかってきた。
先日、送っていただいた
「まことやの詩」へのお礼で
姉と二人で心ばかりのものを送ったことへの
お礼の電話だった。
声がとてもお元気そうだった。
でも、今は痛みが最高潮だという。
だから、誰かと話していたり
筆を取って書いていると
痛みがまぎれるらしい。
誠さんと私は波長が合うと
誠さんに言われた。
やはり、健常者とは違う
身障者として通じるものがあるようだ。
誠さんは、私から元気をもらうと言う。
私の声を聞くと元気になれると言われて
とても嬉しかった。
私自身、今まで生きてきて
若い頃の投げやりで負けている生き方と
今の元気な自分とを比べると
不思議でたまらない。
何故、今は体調に関わらず
こうして元気で居られるのだろうと
誠さんとの電話をきっかけに考えてみた。
つまりは自分以外に大切なものを見つけたからだと
結論づけた。
私にとって、家族、特に娘の存在が
とても心の支えになっていると思う。
日ごろは腹の立つこともいっぱいあって
早く、独り立ちしてもらいたいと思う時もあるが
やはり、娘と過ごす時間が
私にはとても重要な時間だと思う。
だからこそ、こうして元気で居られるのだから。
娘を産んで本当に良かったと思う。
娘の幸せが私の幸せでもある。
誠さんが家族に見守られて
支えられて今まで頑張ってきたのと同じように
私も母や夫や娘に支えられてきているのだと
反省と感謝の気持ちでいっぱいになった。
誠さんとの電話は
私に大切なものを再認識させてくれた。
先日の娘のセンター試験の結果で
早稲田の法学部のセンター試験受験は
ちょっと難しいみたいだ。
合格ラインには居るのだが
何せ早稲田だから、東大受験者も腕試しや
滑り止めで受験するはず。
定員が50人、
上位50人が二次試験免除になるので
これを狙っていたのだが
どうも難しいみたいだ。
娘よりも上の人が50人ではおさまらないはずだから。
ということで
やはり来月の早稲田入試は上京する必要がある。
ホテルの手配は済んでいるので
今日は飛行機のチケットを購入してくることにする。
難関私立大学へ受験者の集中がみられる言う。
少子化で、段々受験者も減り
地方の私立は定員割れになるだろう。
受験者が全員合格時代に突入したと聞くが
やはり有名難関私立合格は厳しい状況みたい。
本命は私立ではないから
後は、娘の頑張り次第だ。
昨夜はそんなことを考えていてほとんど寝ていない。
とても不安になる。
親が緊張してどうなるの!
自分に言い聞かせながら日々を過ごしている。
ああ〜早くこんな日々が過ぎてくれると良い。
昨日は我ながら親ばかなことをしてしまった。
まあ、いつものことだけれど・・・
娘が忘れ物をしたとメールが来た。
現代国語の問題集を忘れたという。
センター試験以後は
学校の授業は午前中のみ。
午後は自習や下校が自由だとか。
娘はお弁当を持って行って
毎日遅くまで勉強して帰宅している。
そんな頑張っている娘の様子を見ると
親としては協力せざる終えない。
一時間目に間に合うように車を出し走ること30分。
事務室に問題集を預け事情を話して手渡してもらった。
夫は「持っていくのはやめ」と言ったが
こうして、娘にしてやれるのも後少しだと思うと
どんなことがあっても持って行ってやりたいと思った。
娘が生まれて以来、私は一生懸命に子育てをした。
自己満足に過ぎないかもしれないが
遣り残したことや
「あれをしてやったらよかった」という後悔はない。
今回のことも同じだ。
お昼頃に娘から「有難う、助かった」とメールが来た。
帰宅した時も「有難う」と言った。
やはり持って行ってよかったと思う。
こんな他愛もないことが
きっと後になって良い思い出になるのだろう。
娘と過ごす時間が懐かしく思う日が来るに違いない。
早く、出て行って欲しいと思う気持ちと
いつまでも、今のような生活が続けば良いと思う気持ちが
複雑に交差する。
親って勝手なものだな・・とつくづく思う。
昨日は本当に寒い一日だった。
冷たい雨と風、雪は降らなかったけれど
一昨日よりも寒いと感じた。
そう、昨日は大寒、
名前の通り、この冬一番の寒さだったように思う。
午前中、歯医者へ。
この前の歯石取りの続きで上の歯をやってもらった。
後は念のためもう一度検査で行かないといけない。
母も今日お昼前に歯医者だったので送迎をした。
お昼は夫が県立図書館へ仕事で行くので電停まで送る。
午後が布団の中にもぐりこんでうとうとするが
部屋が寒くて布団でも寒さを感じた。
早目のお風呂で体の芯から温まった。
こんな日は温かいものが一番、
夕食は鍋焼きにした。
お昼に、娘からメールが来て
昨日のセンター試験の自己採点の結果
第一志望校の合格ラインに無事入っていたという。
本当に良かった。
これで、本番まで頑張る意欲もわいただろう。
風邪を引かずにこの寒さに負けずに頑張ってほしい。
それにしても、寒い!
昨日は色んな意味で疲れた。
娘のセンター試験最終日に加えて
私の父方の叔母の三回忌があった。
朝から冷たい雨。
雪にこそならなかったけれど
最高気温が6度という
この冬一番の冷え込みだった気がする。
叔母の三回忌は11時から始まった。
母の膝・腰・歯痛などを理由に
お寺での法要の後の会食は断った。
娘の試験が2時半に終わるので
それまで三越で時間を潰した。
ちょうど、「与 勇輝展」が開催されていたので
母と見てみようと会場へ。
驚いた、相当の人が並んでいるのだ。
サイン会もあるようで、並んで見る時間の余裕もない。
諦めてお昼を食べ(母はホットケーキを紅茶に浸して食べていた)
娘を迎えに行き、帰りに高島屋へ寄った。
ここがまた混んでいて駐車するのも大変だった。
娘は自分へのご褒美だと言って
可愛いクマのぬいぐるみを買った。
7階では「全国上手いものめぐり」も開催されていたが
ここはパス。
帰宅して、娘が久しぶりに夕食を共にする。
NHKの大河ドラマを見て
あまりにもしんどいのでそのままベッドへ。
昨日のように疲れる日が続くと
バセドウ氏病が再発しそうな気がした。
今朝もしんどさが残っている。
でも、娘の方が疲れているはずだ。
一昨日・昨日の試験の自己採点が今日学校である。
どうか、結果が良く
第一志望校に向けて勉強できると良いな。
今日は午前中は、私も母も歯医者がある。
予約時間が違うので二度行かねいといけない。
午後は少し休みたい。
一昨日の金曜日、三ヶ月ぶりに
愛媛「正論」懇話会の第十二回講演会が
全日空ホテルで開催された。
講師は現代史家の秦郁彦氏で、
「日本近現代史をどう見るか」をテーマに講演された。
南京事件など日中間で
歴史認識が異なる問題について
「重要なことは(事実)だ。
最後には(事実)が勝つ」と強調した。
秦氏は19〜から20世紀に世界を席巻した帝国主義と振り返り、
経済学者のマルサスとマルクスという二人のMが
大災厄をもたらしたと指摘。
「日本人が幸運だったのは
先人の良識の所産であり、
天皇制が残ったことだ」として、
皇室の存在意義を説いた。
また、南京事件や従軍慰安婦など
見識が分かれる国際的な問題は
「正面からぶつかり合っても相手は意地になるばかり、
相手が自分で考え自分で主張するのを待つしかないとした上で
相手が冷静に調べようというときに読めるよう
歴史的事実をきちんと英訳出版しておくことも必要だと述べた。
私は秦氏の本を数冊読んだが
今、ひとつ納得いかない点があった。
例えば、南京事件の日本軍の虐殺が
4万人だという説だ。
私は虐殺はなかったと思っている。
秦氏に質問したいと思い
事前に本を再読し、他の本も読み
私なりに質問をまとめていたが
一昨日の話ではそういった点にまで及ばず
質問時間もなくて、残念だった。
講演会の前に昼食会があり
隣に座った女性2人と知り合い
話も出来たのが良かった。
行くまでは緊張していたが
やはり行って良かったと思う。
これからも、歴史事実を知る勉強を
し続けていきたいと思う。
今、19日(土曜日)のご縁0時31分だ。
こんな時間まで起きて、
明日の娘の試験会場までの
市内電車の時間表を調べていた。
明日は会場に8時半までに行かないといけないから
家を何時に出なきゃいけないか?
いつもと同じ電車でいいのか?
結局、余裕を持つためには
いつもと同じ7時19分の電車で行くのが妥当だと分かった。
早すぎるかもしれないが
遅くなって慌てて電停から会場まで
歩くのは嫌だろう。
会場で待つ時に寒さ対をして
風邪を引かないようにしてほしい。
こちらがドキドキしてしまう。
高校受験の時にはこんな気持ちにはならなかった。
娘が小さい頃
ピアノのコンクールに出場した時に
間違わずに弾き終えるかどうか
胸がドキドキしたのと同じくらいだ。
どうか、落ち着いて
自信を持って
実力を出して頑張ってもらいたい。
私は3時半起きだから
そろそろ寝よう。
とにかくいつもと同じが一番良い。
親の緊張が娘に響かないように
今朝、顔を見たら同じ態度で接しよう。
平常心!
2008年01月18日(金) |
あれほど慎重にしたのにな・・ |
私ってあれほど慎重になり
娘の願書出願をしたつもりだったのに、
昨日、突然、同志社大学から電話があり
出願して書類の中に
ひとつ余分なものが入っていたと連絡が入った。
同志社大学は一般入試とセンター試験入試を受ける予定だ。
一般入試の方が先に出願することになっていたのに
センター入試に必要な写真を貼った台紙を入れていたのだ。
娘に確認したいと言われたが
毎晩帰宅も遅く、朝も早いので
娘と電話で話すことはなかなか出来ない。
娘から大学に電話して欲しいといわれた。
普通なら高校へ電話することはないが
今回は緊急事案だから仕方ない。
担任の先生に事情を伝えてもらうことにした。
娘が休み時間に大学へ電話して話をしたようだ。
娘が帰宅するまでは
私のミスを問われるかと緊張していたが
案外けろっとしていたのでほっとした。
高校の先生も大したことではないと言ったとか。
記載漏れや受験料未納などをした人は
先生から注意されているそうで、
やはりミスをする人も居るのだな・・
それしても、この緊張感は何だろう。
娘の高校受験のときには感じなかったものを感じるのだ。
親が緊張してどうするの!と言われそうだが、
後ひと月あまりはこんな状態が続くだろう。
いよいよ明日・明後日はセンター試験だ。
寒そうだし風邪を引かないように
実力を出して頑張って欲しいと心から思う。
娘に「頑張れ!」と心の中でつぶやいている。
昨日の朝は、起きるのが大儀で
出来たら午前中か午後は昼寝をしようと思っていた。
でも、結局、午前中も午後も車を走らすことになってしまった。
「唐饅」というお菓子がある。
これは愛媛県の南予地方のお菓子で
八幡浜の名産だ。
全国的にも珍しいお菓子だ。
薄くて固めの小麦粉の饅頭の皮の中に
黒餡が入ったのと柚子餡が入ったのがある。
最近ではチーズが入ったのもあるみたいだが
やはり、昔からの伝統的なものが美味しいみたい。
パリッとした食感が好まれるようだ。
正直、私には美味しさが分からない。
でも、母や義母は好物のようだ。
これも、色んな菓子舗が作っているが
ある店のが美味しいという。
それは松山では三越とグランフジ松山にしか置いてないので
昨日はそれを買いに行ってきた。
母が喜ぶ顔が見たかったのだが
母は歯が痛くなりこのお菓子は食べられそうもない。
義母は喜んでくれた。
日持ちがするお菓子なので
母も歯痛が治れば食べるだろう。
それにしても、私って、誰かが食べたいとか
欲しいとか言うと直ぐに買いに行く人だと
自分でもおかしかった。
まあ、これが私の良い所かな?なんて思っている。
即行動が長所でもあり短所でもある私の昨日の行動だった。
このひと月あまり前から
娘の受験で私は親として自分自身を反省している。
夜食を作ったことがない。
娘が帰宅する頃までに
ついうとうとしてしまう夜もある。
受験生の親のあり方はどうなのだろうか。
こんな私で良いのだろうか?
自信が全くない。
娘に言われた。
「受験までは私にイライラさせないで」と。
こんな言葉をもらう親って親失格だろうな。
私は娘の受験では出来る限りのことをしている。
夜食を作ることだけが受験の親のすることではない。
雰囲気を重くしないように
あまりに神経質にならないようにと
普通にしようとつとめている。
昨日は受験願書を郵送した。
封をするまでとても緊張した。
娘とは顔を突き合わせて
願書の記入漏れはないかと検討し
私には間違いないと思うが
もし・・ということがあるから
何度も何度も見直しをしチェック項目をチェックしなおし
昨日の朝、私立大学の願書を郵送したのだ。
早稲田と同志社。
早稲田受験は私がついていくことになった。
後は国立の願書提出が残っている。
今週の土日はセンター試験。
この試験結果で今後の道も大体分かる。
どうか、娘が、無事日ごろの力を出すことが出来ますようにと
祈るばかりだ。
受験生の親としては
合格したら一人暮らしの準備・引越しも待っている。
うかうかしていられない。
緊張するな・・
たった一人の娘の受験で
こんなにも緊張するなんて笑われそうだ。
昨日、センター試験に必要な
鉛筆削りを求めて松山の店を数件探し回った。
そこで同じように買い求めに来ていた
受験生の母親と会った。
皆同じなのだ。
今、私が受験生の親として出来ることをしよう。
今、ある本を読んでいる。
それは内田康夫の「靖国への帰還」という本だ。
この本を新聞の広告で見た時から読みたいと思っていた。
内田康夫といえば
浅見光彦シリーズで良く知られている。
彼がこの本を書き下ろした時
どんな気持ちだったのかと思い浮かべてみた。
本の帯にはこう書かれている。
「大切な人を想うこと。
ただ未来を信じること。 これは、私の代表作になるかもしれない。
あの日の空、あの時の想いは、
いまとつながっている。
若者たちが純粋に生き、散った時代があった。
そしていま、信じることを忘れた現代に
彼は何を見るのか。
還るべき場所を失くした青年が探し求めた指名とは。」と。
あの大東亜戦争の時、
本土に焼夷弾を撒き散らすB29を迎え撃つべく、
死闘を展開する日本航空隊に配属された学徒動員された
主人公はB29を撃墜した後行方不明になり
彼は戦死者となって靖国神社に祀られる。
そして、現代にタイムスリップした彼は
あの時、自分たちが死んでいった意味を
靖国への想いとして語るのだ。
この本の中で語られる
靖国神社への想いは
日ごろ、私が考えていることを代弁してくれている。
「靖国で会おう」と言い合って命をかけた彼らのことを
今生きている我々がバカだったとか
戦争の狂気の中での想いだったとかと批判する権利はない。
靖国神社が戦意発揚の意図を持って作られ
その目的に利用された施設だったとしても
それは分かりきったことであり当たり前のことである。
時代が変わり、情勢が変わったからといって
それが間違っていたと非難するのは
彼らが抱いていた信念を
全否定するものではないだろうか。
彼らは天皇陛下のためと信じて死んで行ったが
天皇陛下はイコール日本国家のことである。
そして、国家は母につながるのだ。
日本のため、家族のために
死にたくなかったとしても
潔く命を捨てたのである。
昨日は成人式だったが
果たして今の20歳の若者が
彼らの想いを理解するのだろうか。
日本国のために死ねるのだろうか。
最後に主人公は「月光」に乗り
靖国への帰還を信じて
雲の中に突っ込んでいった。
彼は、今靖国で仲間たちと再会を果たしているだろうか。
重い、存在感のある一冊だ。
今日は成人の日だ。
成人の日は私にとってあまり良い思い出の日ではない。
それは、成人の日が淋しい成人式になったからだ。
前にも書いたと思うが、
当時住んでいた家は
父の転勤により友人は誰も居ない土地にあった。
そして、市役所から成人式の通知が来なかったのだ。
でも、親が市役所に電話をしてくれて
出席出来ることにはなったが
当日になっても行こうかどうしようかと迷っていた。
振袖を着てはいけないということになっていたし
勿論、振袖も持ってなかった私は
普段着で行った。
そんな私はやがて後悔することになる。
受付に置かれている名簿に私の名前はなかったのだ。
住民票はその市にあるはずなのに
名前がなかったというわけだ。
その時の私の情けない、淋しい気持ちは今でも覚えている。
来るのではなかったと思った。
式典もその後の写真撮影も楽しいものではなく
写真そのものが送られて来なかった。
市役所に連絡したがその後一切送られてくることはなかった。
つまり、私の成人の日は無視されたことになる。
あの日、何で出席したのだろうか。
行かなければ写真がなくても平気なのに。
行ったばかりに、35年経った今でも苦い思いを思い出す。
再来年は私の娘が成人の日を迎える。
娘には良い思い出に残る成人式を迎えてもらいたい。
一生に一度のことなのだから。
2008年01月13日(日) |
振り込め詐欺 その2 |
先日、私が危うく詐欺の被害にあうところだった例の件を
昨日は地元の警察署に電話をして報告した。
水曜日に起きたことだったから
土曜日まで三日ほど経っているが
やはり知らせた方が良いと思ったのだ。
電話に出てくれた警察官の話によると
去年の秋ころから
私の住む市内で何件か同じようなことがあったらしい。
そして、私が業者から指定されたATMで
実際に被害にあった人が居ると聞いた。
私は業者のフリーダイヤルの電話番号はメモしていたのだが
相手の銀行の口座番号を聞くまでに気付き
途中でやめたので番号が分からない。
最後まで聞けばよかったと悔やまれる。
ただ、相手の業者の銀行口座が
大分県の大分銀行の鶴丸支店だということは分かっている。
だから、警察にはその銀行と口座名を報告しておいた。
警官が言うのは
被害にあうのはやはりお年よりが多いとか。
私はまだ若いし途中で気付いたから未遂に終わったのだと言う。
その通りだと思う。
この際、家族・親戚・友人・近所の人たちに
私が詐欺にあうところだったことを
話してほしいと頼まれた。
勿論、母にも友人にも姉にも家族にも
話したし、こうしてつぶやきにも書いたち
新聞にも投稿した。
採用されるかどうかは分からないが
警官にはそう話しておいた。
それにしても、今ころになって
恐ろしくなってきた。
こちらの個人情報は相手には分からないだろうから
これ以上関わることはないと思うが
今後は本当に用心しようと思う。
自分だけは大丈夫だという気持ちは
持たない方がいい。
誰にでも、どんな人にも起こる可能性のあることだから。
昨夜、NHKのローカルニュースを聞いていて、
とても違和感があった。
それは、今年の植樹祭に皇太子殿下がいらっしゃるというニュースだ。
NHKのニュースは
「皇太子殿下をお迎えして」ではなく
「皇太子をお迎えして」と言った。
以前にも天気予報担当の男性が
新嘗祭の説明の時
「天皇が・・」と話したのを聞き
とても嫌な感じがした。
しばらく考えていた末、
NHKの視聴者の意見を聞く担当の人に電話をかけた。
そして、私が思っていることを話した。
「何故皇太子殿下といわないのか?
「皇太子と呼び捨てにしているのは如何なものか?」と。
数分後担当者から電話があり、
{「皇太子をお迎えして」という言葉の通り
「お迎えして」と丁寧語を話した。
だから「皇太子殿下をお迎えして」というと
二重に丁寧語を言うことになるので
マスコミ報道の中では
二重の丁寧語で報道するのはやめるという規制がある。
そして、戦前と違い、天皇陛下が国民の象徴となってからは
大げさな敬語にならないようにしている。}とのことだった。
私としては納得が出来ない。
そういう規制の下での報道がされているのかと思うと
今の日本をあらわすようでとても嫌な思いがする。
天皇陛下・皇后陛下・皇太子殿下・皇太子妃殿下と呼ぶのが本当だ。
じゃあ、秋篠宮様が来られる時には
秋篠宮をお迎えしてというのだろうか?
やはりおかしい。
一夜明けた今朝になっても
そのことに拘っている私が居る。
日本にとって皇室は重要だ。
皇室をあまりにも国民に親しくさせようとする
今のマスコミの報道については以前から疑問に思っていた。
これはNHKのサヨク的な思想の現われではないか?とさえ思った。
私は天皇陛下・皇太子殿下と呼ぶべきだと思う。
2008年01月11日(金) |
くわばらくわばら・・ |
あぶなかった!
自分だけは絶対に大丈夫だと思っていたのに、
もう少しで振り込め詐欺にあうところだった。
一昨日の昼、
突然、社会保険事務所の職員だと名乗る人物から電話がかかってきた。
昨年度の我が家の医療費の払い過ぎによる還付金を振り込むので、
今すぐ銀行のATMへ行ってくださいと言うのだ。
普通なら、ここで何か変だと気付くべきだったのに、
私としたことが、
相手の親切丁寧な話し方にコロっと騙されて信用してしまったのだ。
携帯電話とキャッシュカードを持って
内心「やったー、思わぬお金が入る」といそいそとATMへ。
電話で言われる通りに画面を操作しているうちに、ハッと気が付いた。
どうもおかしい、こちらにお金が振り込まれるはずなのに、
私の口座から相手の口座へお金が出て行く操作をしている。
そのことを私が電話の相手に話すと、責任者に代わった。
でも、さっきの人と声が同じ。
私が「これって振り込み詐欺でしょう?」と言うと、
「絶対にそんなことはありません。」と必死で弁解していた。
私は操作を途中でやめ、電話を切った。
被害にあわずに済んで本当に良かった。
「くわばらくわばら。皆さんもお気をつけてくださいね。」
私がチャンネル桜以外で
見るTV番組は
毎朝、用事をしながら見るともなく見ている
ニュース番組と
NHKの朝ドラ(今年はちりとてちん)、
それとやはりNHKの大河ドラマ(今年は篤姫)と
NHKBS放送されている「デスパレートな妻たち」だ。
他の番組は見ない。
見たくもないというか
お笑い番組は多すぎて
脳みそが劣化しそうな気がするのだ。
この中で今一番はまっているのは
毎朝楽しみに見ている「ちりとてちん」と
「デスパレートな妻たち」だ。
昨夜も、娘が帰宅するのを待ちながら
「デスパレ」を見た。
脚本がいいのか本当に面白い。
というか興味をそそられる。
段々と佳境に入ってきたところだ。
眠たいのも我慢して見ることが出来る。
また、「ちりとてちん」は大阪が舞台で
朝の心を元気にしてくれる。
この番組でもしかして落語ブームが来るのでは?
主人公も好きだが
なんと言っても草々が良い。
あんな男性が居たらほれるだろうな・・
主人公の母親も良い。
あんな母親になれたらどんなに良いだろう・・
なんて思いながら毎朝15分を楽しみにしている。
大河ドラマの篤姫役の宮崎あおいが可愛い。
彼女の演技が楽しみだ。
TVはなくても生活は出来る。
でも、時には心を元気にしてくれる番組もあるから
頭から毛嫌いする必要はない。
仮想の世界へ私自身が入っていけるのだから。
一体、わが国の正義はどうなったのだろう。
何を信じて生きていけばいいのだろう。
法治国家である日本において
いかなる犯罪被害者になろうとも
決して復讐は許されない。
法によって裁かれることに任せるしかない。
では、法律とは何か?
国家として国民の生命を守るのが正義だろう。
もし、犯罪の被害者や被害者の家族になったとき
被害者は何によって守られるのだろうか。
昨日、福岡地裁で行われた
飲酒運転による三人の幼児が死亡した事故の判決は
危険運転致死傷罪を適用せず
あくまでも業務上過失致死罪とした。
この報道を聞いた時「まさか!」という思いがした。
裁判所の判決文によると
事故を起した被告は「高度に酩酊した状態ではなかった」と認定し
「正常な運転が困難な状態だったとは認められない」という。
酒を飲んで運転したらどんなことが起きるか?
100キロのスピードを出して運転していたらどうなるか?
どんなにバカでもその結果を想像できるはずだ。
まさに危険運転致死傷罪にあたる
「悪質で危険な運転」である。
このような判決が下されるのなら
「危険運転致死傷罪」などは無用だ。
これから何十年と輝くであろう未来のあった
三人の子どもたちはその未来を断たれた。
何の過失もないわが子たちの命を奪われた
両親の気持ちを思うと本当に胸が痛む。
今回の裁判結果が
今後、起きるであろう飲酒運転による事故を
助長する可能性だって存在する。
危険運転罪の構成要件を早急に見直し
もっと、柔軟に運用できるようにすべきだ。
司法の判断基準の見直し、確立してもらいたい。
我々日本国民が安心して住める日本になるためにも
この国の正義を国民の前に示してもらいたいと思う。
私が唯一視聴できると確信しているTVは
地上波では放送されていない「チャンネル桜」だ。
その代表でもあり社長でもある
水島総氏から「年頭所感」が送信されてきた。
今の日本を憂えるだけではいけない。
未来の大人である子どもたちに
本来の日本の姿を見せるためにも
今こそ、国民一人ひとりが
草莽崛起していく必要があると思う。
以下、水島氏の年頭所感である。
心ある人に読んでもらいたいと思い貼り付ける。
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皆様、明けましておめでとうございます。
旧年中は「日本文化チャンネル桜」に対して、変わらぬ熱い御支援、御指 導、御鞭撻をいただき、まことにありがとうございました。 また、映画「南京の真実」に対しても、ひとかたならぬ御支援、御指導をいた だき、まことにありがとうございました。 本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。
さて、激動の本年は、日本と日本人の「性根」が問われる年であります。 おそらく、今年の私達日本人の「あり方」によって、将来の子供達に残す 「日本」の姿が決まる年になるとも思われます。
チャンネル桜創立以来、社是として「草莽崛起」を提唱してきましたが、 ここに至って、「草莽崛起」こそ、「草莽崛起」のみが、亡国の道を突き進む 祖国を救う道なのだと、ますます確信するに至りました。
日本文化チャンネル桜は、本年も「草莽崛起」の旗の下、たゆまぬ前進を 続けていく所存であります。
さて、昨年は、戦後保守の期待を担った安倍政権が崩壊したという事態に 見られるとおり、戦後保守の脆弱さと底の浅さ、危うさが見事に露呈した年で もありました。
私達が最も深刻な問題だと考えるのは、戦後保守を担うはずの人々が、 この極めて深刻な事態、すなわち戦後保守の惨憺たる敗残の姿とその深刻 さに、ほとんど気づいていないことでしょう。 いや、気づいていても、まだ大丈夫だという希望的「先送り」が、思想的怠惰、 憶病として、今だ続いているという現実です。 GHQの強制があったとは言え、私達戦後日本国民は、「敗戦」を真正面から 引き受け、考えて来なかったように思われます。 今、「戦後日本」自体が無残な敗戦の事態となっているのに、それに対して 私達戦後日本人は手をこまねいているのです。 私達は、大東亜戦争敗戦時の轍を再び踏むのでしょうか。
むやみに絶望を言い立てるつもりはありません。 しかし、昨年来徹底的に進んだ私達の祖国の危機的状態、すなわち日本が もう日本では完全になくなる状態が、訪れているのです。 そして、その危機が、私たち内部に起因しているという深刻さに気付かぬほど、 「戦後保守」は精神的、感性的に、貧しくやせ衰えてしまったように見えます。
一方では、自分は正しいのだが、あちらは云々といった形で、危機に陥った 全ての「日本問題」を、他人事として扱う戦後日本人風潮、無責任体質が、 戦後保守陣営の中に蔓延しています。
安倍退陣時に、安倍氏に対する「惻隠の情」を主張した方々がおられました。 それは戦後民主主義における「有権者」として、あるいは日本人の情としては、 共感も出来ますが、安倍氏を自分自身として、あるいは自らの同志として見る ならば、その苦しみ、孤立、痛み、弱さ、情けなさ等、全てを自分たち戦後保守 のものであるという強い自覚、痛切な自責が必要だったように思います。
それはチャンネル桜に対しても同様です。 日本文化チャンネル桜にも、多くの皆さんが訪れ、共に起ち、行動し、論議し、 そして意見が合わないと一部の方は去って行きました。 人の世の常ではありますが、淋しいことです。
考えてみてください。 私達は、醜い「戦後日本」に批判的ですが、日本人たることをやめるわけにい かないのです。 そのつもりもありません。
安倍氏に対する「惻隠の情」と同様、チャンネル桜の可能性と限界を自らの 姿(戦後保守の姿)として、お考えいただけず、残念ながら「他人事」として、 気に入らなければはい、さようならという姿勢は、極めて戦後日本的な「有権 者」(視聴者)志向だと考えます。
しかし、仕方ないことでもあります。
戦後日本は、既に六十数年の歳月を重ねました。 それに、チャンネル桜の運動も、表面的にはテレビ放送であり、映画製作に 過ぎません。 有権者として、日本を批判することは勿論当然の事でしょう。 視聴者としてなら、チャンネル桜も、欠点だらけの弱小テレビ放送局に過ぎ ません。
ただ、チャンネル桜創立の理念は違いました。 私達がチャンネル桜の創立と展開に希望を託したのは、保守的「有権者」 (視聴者)を増やすことではなく、少数でもいいから、本当に日本を担う 「さむらい=侍」集団を生み出し、その人々(侍)が、多くのシンパシーを持つ 「町人、お百姓」たちと共に、草莽崛起することでした。
この四年間、私達が見なければならなかったのは、少数を除いて、多くの 優しく善良な有権者、視聴者(町人、お百姓)は存在し、生まれましたが、 「侍」は、ほとんど生まれず、存在しなかったという現実でした。 侍を「自覚」「自称」する人々の多くも、いがみ合い、憎悪し合うことが「運動」 だと勘違いする人々でした。 そういう人々は、自分と行動を一にしないチャンネル桜を軽蔑し、憎むように なりました。 情けなく悲しい現実であります。
平成十九年は、戦前までの日本がほぼ完全に消失した年だと、後世から 言われる年になるかもしれません。 三十数年前、三島由紀夫氏の「予言」が、実現した年のような気もします。 そして、今、日本を取戻す戦いは、今、未来の人々に託されています。 私達は、今、子孫に私達の「つけ」を回そうとしているのです。
私達チャンネル桜は、少数の皆さんと共に、それは恥ずかしいことであり、 あってはならないと考えています。 だからこそ、私達は私達の原点でもある「草莽崛起」「敬天愛人」の精神で、 常に希望し、堂々前進する集団でありたいと考えています。 なぜなら、私達チャンネル桜は、誰よりも日本と日本人を信ずる者達だから です。
本年も力の限り、「日本」を主語にした放送事業、映画製作事業等を通し て、戦後日本への「異議申し立て」を全身全霊で担う覚悟でおります。 そして、その志を最後まで、貫き、進んで行きます。
願わくば、共に進まんとする同じ志の人々の多からんことを。
去年今年貫く棒の如きもの 高浜虚子
大日本(おおやまと) 神代ゆかけてつたへつる 雄々しき道ぞ たゆみあらすな 賀茂季鷹
平成二十年元旦
日本文化チャンネル桜 代表 水島 総 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ここまで読んでくださった方々に感謝します。
私自身、勉強の日々だが
少しでも今の日本を良くするために何をすべきか?
考え行動していきたいと思う。
私が嘗て心から愛した(愛したと勘違いしていた)従兄弟を
最近、とても嫌いになっている私が居る。
人を嫌いだと思う心が
私にも存在していたかと思うと
何となく安心したし、やはり私も・・という気がする。
私の長所は人を憎む心がないことだと
私の親友に言われたことがある。
でも、それって違うんだな・・・
憎む心は持たないけれど
人を嫌いだと思う心はちゃんとあるのだから。
あの時、今と同じように
第三者として私自身を見る力があったら
あのような悲惨な結果にはならなかっただろう。
もっと冷静に見ることが出来ていたら
あんな病気にもならなかっただろう。
今と同じように従兄弟を見ることが出来ていたら
愛することはなかっただろう。
全て今言えることであり
あの時には私には全く出来なかったことだ。
だから、後悔しても仕方ない。
ようやく30年経って
私も普通の心が持てるようになったのだと
自分自身を褒めてやろう。
後30年したら
今、思っている人への気持ちも変わっているかもしれない。
そして、また親友に言われるかもしれない。
「やっと気付いたね」と。
今朝、指の痛みで目が覚めた。
右の親指の付け根がズキズキ痛んだ。
動かさずじっとしていても痛い。
やはり腫れている。
じわじわ、恐る恐る動かしてみた。
自分の意思では曲がらない。
左手を添えて第一関節を持って曲げると曲がる。
伸ばしたまま手のひらにつけてみるとつくから
まだ、今の状態は最悪ではないみたい。
でも、気分がすぐれない。
やる気が出ない。
心だけは元気でいようと思っているのに
何かもうどうでも良いような気持ちになる。
PCのキーボードは親指を伸ばしたまま打っている。
携帯のキーは痛くて打てない。
だから、携帯へメールが来ても
どうしても返信しないといけない場合以外は
そのままにしている。
誠に申し訳ないが仕方ない。
娘の受験が終わるまで
どうにか指が悪化しないようにと祈るばかりだ。
昨日は夫は初出勤、娘はセンター試験のファイナル模試で登校。
朝、お弁当を作るので3時半には起きたけれど
その後は8時には家も片付きほっとできた。
お正月休みは6日間あったから
朝から晩まで食べることばかりしていて
正直疲れて、もう少し長引くとイライラしそうだった。
これが限界だったかな?
普通がいいとつくづく思う。
ハレの日は疲れる。
何もない平凡は日常が一番いい。
私一人の時間も出来て何でも好きなように動ける。
午前中は買い物や家事をしたら
午後は好きなことを出来る時間を持てる。
今日は午後、本を読んでいて眠ってしまった。
南から暖かな日差しが入ってきて
布団の中でぽかぽかいい気持ちになって
つい寝入ってしまった。
幸せだな・・・と感じた。
父の看護をしていた頃には昼寝をする時間なんてなかった。
疲れもきっとたまっていたに違いない。
今は母も元気だから、自分の家のことだけしたらいい。
当たり前だけれど、とても嬉しい。
そして、私自身の体調不良も少しは楽になれそうだ。
今月と来月は娘の受験のために
精神的にも肉体的にも忙しくなるだろう。
今、休める時に休んでおこう。
なんて思いながら、午後のひとときを過ごした。
一昨日、ちょっとしたことがあり
携帯電話の表側のガラスがひび割れてしまった。
別に使うのには影響はないのだが
なんとなく嫌な気がして修理できたら修理してもらおうと思っていた。
でも、昨日docomoの店へ行ったら
新しい機種を買った方が早いようだったので
思い切って新しい携帯に変えた。
電話番号やアドレスには変更はないけれど
前の携帯のメモリースティックに入れていた
画像を新しい携帯へ赤外線送信しないといけないとか。
また使い方も今までのとはちょっと違うし
マニュアル本を読みながらマスターしようとしたが
まだ分からないことが多く残っている。
今度の携帯はTVが見られるしTV電話が出来る。
また、オサイフ携帯になっているので
携帯で買い物が出来るみたいだ。
でも、私にはTVもTV電話もオサイフの代わりの機能も必要ない。
メールが出来て通話が出来ればそれで良い。
だから、使いこなすことはきっと出来ないと思う。
これなら、らくらくフォンというような
お年よりが使う携帯の方が良かったかな?なんて思った。
まあ、新年を迎えて、携帯も新しくなったので
今年一年を新しい気持ちで迎えることが出来そうだ。
本当は携帯電話なしの生活は可能なのだけれど
娘との連絡にメールは欠かせない。
だから、やはり私には必要なものだ。
本音は携帯なしの生活をしたいなと思うのだが・・
昨日は義母の元へ
義母にとったらひ孫、
夫には姪の子に当たる
満三歳の可愛い女の子が母親と祖母
つまり、夫の義姉と姪との三人でお年始にやってきた。
この小さな女の子は
私の娘が小さい頃に面影が似ている。
顎がキュンととんがっていて何とも愛くるしいのだ。
愛嬌もあり笑顔が最高。
よく喋る。
昨日はたった1時間しか居なかったが
あっという間に時間は過ぎていった。
今NHKの朝のドラマ「ちりとてちん」が放映されているが
毎朝見ているようで
見ているうちにあの落語「ちりとてちん」を覚えたとか。
まねをしてくれたのが本当に可愛かった。
小さい子が家に一人居るだけで
こんなにも家の中が明るくなるなんて
自分の娘の子育てをしている時には
気付きもしなかった。
こんなに愛しくて可愛い存在だと意識していたら
私の子育てももっと楽しかったに違いない。
あの頃の私はとにかく必死だった。
楽しんで育児をする余裕なんてなかった。
今になって後悔する。
もっと楽しい子育てをしていたら
今の私と娘との関係も
もっと違ったものになっていたに違いない。
昨日は小さい子と遊びながら
そんな思いでいっぱいになった。
いつか、娘が結婚し孫が出来たら
こうして家に連れてくるのだろうな・・・
私にはまだ孫の可愛さが理解できないけれど
きっと、昨日の姪の子と同じように
愛しく感じるのだろうと思う。
そんな日がいつか来るのだろうか・・・
来ないかもしれないし
案外早く来るかもしれない。
昨日、元旦に夫の母と私たち家族計4人で
伊豫稲荷神社へ初詣に行った。
ここは正一位の稲荷神社で県下でも有名だそうだ。
朝9時頃だったから、そんなに混んでは居なかったが
それでも、家族で御参りする人たちが次々とやってきた。
今年は娘の大学受験を控えているので
まずは娘の合格祈願を。
絵馬を買い合格祈願を言葉にして奉納した。
私は幸運の四葉のクローバーのストラップを買った。
そしておみくじを。
珍しく大吉だった。
今までも毎年ひくけれど
大吉が出ることはめったにない。
これは今年は春から縁起がいいかな?
病気も必ず治ると出た。
まあ、私はおみくじの類はあまり信じてはいない。
でも、自分にとって都合の良い所だけ信じよう。
去年は体調不良で色んなことがあったけれど
今年はラッキーな年になるのかもしれない。
娘は小吉と出て少し落ち込んでいた。
勉強をしっかりと書いていたので
やる気が出たようで、まあいいとしよう。
家内安全、皆が元気で過ごせるのが一番だ。
春には笑顔の娘の顔を見たいものだ。
神様、大吉だったのだから
私が喜ぶ結果が出るのですよね!
なんて、勝手なことを思っている。
皆さん、明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
トイレに貼ってある
「相田みつを」さんのカレンダーの
大晦日の言葉が「一生青春一生勉強」だった。
今日、平成20年の元旦に
この言葉を私の一年の目標にしようと思う。
数年前から、それまでは知りたいとも疑問にも思わなかった
日本の真実の歴史について勉強をし始めた。
私の友人から憲法9条の話や
大東亜戦争の話を聞いたのがきっかけだ。
それ以来、友人に薦められた本を読み
色んなことに興味が沸いてきて
今では、友人の存在には関係なく
私なりの勉強をすることが出来てきた。
そして、今一番勉強しているのは
あの南京事件だ。
自分でも感心するくらい知識が増えた。
やはり知らないということは怖いことだし
本当のことを知るということは大事だと思う。
私のライフワークとして
歴史の勉強をしていきたい。
そして、いつまでも若く居たい。
年は誰でも取る。
でも、精神年齢は止めることが出来るはず。
恋をして、誰かにときめく心を持ち
何でも興味を持ち
見てやろう、知ってやろうの精神を持ち続けたい。
今朝、今年一番の化粧をしたら
いつもよりとても化粧の乗りが良かった。
「おお〜綺麗!」と自己満足。
それで良いのだ。
自分で自分を認め、褒めてやる。
今年は自己自賛の年にしよう。
きっといい年になるに違いない。
東の空から上がる朝日を受けながら
私の心は明るく元気だ。
体調は不良でも心は元気で居られる自分を褒めてやりたい。
さあ、一年の船出だ。
荒波にあっても強風に煽られても
負けず、倒れず頑張って生きていこう。
一生青春・一生勉強。
スカーレット
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