スカーレットの心のつぶやき
つぶやき 目次過去未来


2006年09月30日(土) お墓参り

昨日、少し山の方にある

母方の祖母のお墓参りに行ってきた。

父方の祖母のお墓に比べると

母方の祖母のお墓へはめったに行かない。

せめて一年に一度はお参りしたいと思っていた私は

腰痛のひどい母に代わって

一人で行こうと思っていた。

でも、母は自分の母のお墓だから

座薬を入れてでも行きたいと言った。

車で走ること50分。

お彼岸に供えた花も大分しなびていた。

祖母のお墓に来るといつも生きている母のことを思う。

母を産んだ人のことがとても愛しく思えるのだ。

それは私にとって母がとても大切な人だから

その母を産んでくれた祖母へ心から感謝をしたいという

思いがあるからだと思う。

母は父が亡くなったことを報告していた。

ご先祖様ではお願いをしたら駄目だと聞く。

生きている私たちの様子を知らせるだけが本当だと思うが、

どうしても母のことをお願いせざるおえなかった。

母がこうして後何年お墓参りに来れるか?

母と過ごすことが出来る時間がずっと続いてほしいと思う。

母も一年ぶりに出来たお墓参りを済ませ

何かほっとした感じがしている。

お墓参りが私の中で当たり前になったということは

私自身が年を取ったということなのだろう。

お彼岸も終わったというのに

田舎の道には真っ赤な彼岸花が咲き乱れていた。


2006年09月29日(金) 食べられる幸せ

食欲の秋到来。

昨日、定期考査で昼前に下校する高二の娘と待ち合わせて

お昼を一緒に食べた。

注文したランチを美味しそうに平らげる娘を見ていて

何だかとても嬉しくなった。

食欲は人間の本能であり、普通の行為である。

そんな当たり前のことがあの頃の私には出来なかった。
 
大学一年の秋、失恋と心臓手術への不安から拒食症になった私は、

やがてお決まりの過食嘔吐になり、

地獄の日々を過ごすようになった。

何とか大学は卒業できたが、

体重は三十キロ以下になり、

ついに大学病院へ入院してしまった。

入院している間は吐く事もなく体重も増加するが、

家に戻るとまた元に戻ってしまう。

結局、花の二十代は入退院の繰り返しで

青春を楽しむどころではなかった。

今もまだ食べることへのこだわりというか意識がある。

本能のまま食欲のまま食べることが出来ない。

つい頭で食べてしまっている。

お腹がいっぱいになるまで

縛られずに食べてみたい気がする。

ちょっぴり太めの娘が

ダイエットの言葉を口にするたびに不安になる。

娘には私と同じ道を歩んで欲しくない。

食べられる幸せって最高だから。


2006年09月28日(木) 本当の美しさ

先日もTVで整形手術をして

美しくなった人たちの特集番組があった。

女として美しくなりたいという願望はある。

しかし、私は整形手術をしてまで美しくなりたいとは思わない。

もちろん整形手術を全否定するわけではない。

整形手術をすることにより

それまでのコンプレックスから解き放たれて

性格が明るくなり

人生に対して積極的に向うようになることは

とても素晴らしいことだと思う。

母は85歳だけれど

時に冗談交じりにこんな話をする。

「私がもう十才若かったらしわをとる手術をしてもらうのに・・」と。

冗談交じりに話しているが本心でもあるような気がする。

私ももう少し鼻が高ければいいなあ・・とか

もう少し目が大きければいいなあ・・とか

思わないわけではない。

でも、人の美しさというものは

決して外見だけのものではなく

その人の内面からにじみ出るものではないかと思う。

いくら顔貌は美しくなくても

心を明るく持ち元気で前向きに生きていれば

その人は魅力的だし

生き生きとした姿に美しさを感じるはずだ。

本当の美しさとは

その人の心、真心に通ずると思う。

私は心美人になりたい。


2006年09月27日(水) 秋の味

TVで秋鮭がとても体に良いと言っていたので

今日の夕食は鮭のムニエルした。

鮭は低カロリーで栄養がある。

あの赤い部分には癌予防に良いと言われるアスタキサンチンという

栄養素があるのだそうだ。

また脂質には成人病を予防する

DHA・EPAが多く含まれているのだそうだ。

値段もそんなに高くはないから

食べないと損な気がする。

亡くなった父は塩鮭が大好きだった。

それ濃い塩で辛目の鮭でないと駄目だった。

だから、私が生鮭を買ってきてムニエルにしても

美味しいとは言わず文句ばかり言っていた。

そんなことを思い出しながら鮭のムニエルを作った。

副菜は茄子とアゲと豆腐の味噌汁、

それと余った茄子を煮付けた。

茄子の煮付けはだし汁と醤油と鷹の爪で味付けする

とてもシンプルなものだけれど本当に美味しい。

鮭のムニエルにはかぼちゃとにんじんとシメジを

炒めて付け合わそう。

秋の味だ。


2006年09月26日(火) 母の性格

私は6月に亡くなった父に顔も性格も似ていると思っていた。

でも、この頃は性格は母そっくりだと思うようになった。

母は気丈な人だ。

そして自分が思うようにしたいと思う人だ。

これは決して悪い意味ではなく

人に頼らず

自分で出来ることは自分でしようという良い意味での性格だ。

私が東京へ行く前頃から

母の腰痛がひどくなっていた。

でも、いくら心配しても仕方ないと思い

予定通り上京したのだが

帰宅すると治るどころか余計に悪くなっていた。

私が居ない間姉に来てもらおうか?と母に聞いてみたが

母は一人で何とかできるから良いと言った。

人からみたら可愛げのない人に思うかもしれないが

私も人に頼らず何でもできることは自分でしたいと思うから

母の気持ちがよく分かり姉には頼まなかった。

母は今85歳。

腰以外は大丈夫で元気で居る。

でも、これから段々と腰が悪くなり

一昨年のように圧迫骨折で入院するようなことにならないとも限らない。

私はその時は父を看たのと同じように母の世話をしようと思っている。

でも、母はそんなことになるのなら何処かの施設に行くなんて言っている。

本心ではないと思うが

母には甘えてほしいと思う。

母の少し強気な性格をもっと甘えることの出来る

同じ強い性格に変えてほしいな・・・

人に甘えることは違う意味で強さではないかと思う。

でも、母に似た私も娘には同じように言うかもしれない。

少しは可愛げのある人になったほうが良いかも?


2006年09月25日(月) 行って良かった

思い切って靖国神社へ行って良かった。

心からそう思う。

往復それぞれ12時間の夜行バスは確かに辛いものだったけれど

それ以上にこの旅で得たものは大きかったように思う。

新宿から地下鉄新宿線に乗り九段下下車、徒歩5分、

私の心は期待でいっぱいになっていた。

靖国の象徴である大きな鳥居を見た途端、

「ああ〜本当に私は靖国に来たんだ」という思いがした。

大鳥居をくぐり第二鳥居、神門を抜け、拝殿へ。

二礼二拍手一礼という正式な形で参拝した。

若者の姿が多かった。

皆神妙な顔をして参拝している姿に感動。

私がどうしても見たかった

あのパール判事の顕彰碑、

そこに刻まれている「意見書の結語」の言葉

「時が熱狂と偏見とを

 やわらげた暁には

 また理性が虚偽から

 その仮面は剥ぎとった暁には

 その時こそ正義の女神は
 
 その秤を平衡に保ちながら

 過去の賞罰の多くに

 そのところを変えることを
 
 要求するであろう」を何度も読み返した。

やはりあの東京裁判が誤りであったことを再認識した。

それから遊就館へ。

世間で言われているような軍国主義一辺倒なのか・・

私のこの目で見て確かめたいという思いだった。

私の期待通りだった。

感無量。

今の日本の平和はこの靖国に眠っている方々のお陰なのだと

改めて思い感謝の心でいっぱいになった。

「私たちは忘れない」という50分間のビデオを見ながら

私たちが教えられてきた歴史教育は間違ったものであり

日本がいかに素晴らしい国であるか、

また先の戦争の本当の意味と意義を知ることが出来た。

見ていて自然に涙が出てきた。

展示されている遺影と遺書の数々を見て

今の日本人が忘れているものを見つけることが出来た。

私は右がかっているは思わない。

左翼的な人から見たら批難されるのかもしれないが

私は歴史の真実を知りたいという思いだけなのだ。

そしてその真実を娘へそして孫へと

伝えていく必要性があると思う。

靖国神社へ参拝できて本当に良かったと思う。


2006年09月22日(金) どちらにしようか・・

先週の土日に行く予定だった東京行き、

台風13号のために延期したのだが

今夜のバスで行くことになっている。

昨日から荷物を作りながら

さて、どのバッグにしようか・・と迷っている。

今回のために新しいバッグを買うのも

勿体無い気がするし、

そうかと言って今あるバッグでは

小さかったり、不便だったりする。

やはりリュックが良いかな?

ショルダーが良いかな?

あの靴を履くとなると

色がこげ茶だからバッグも茶系統にしたい。

でも、私が着る服は黒が多いからバッグも黒が多い。

そしてスカート派だから手提げが多いのだ。

昨日高島屋へ母の用事で行った時

小ぶりでも機能的なリュックを見つけた。

色も濃い茶色だった。

買うのはちょっと・・と思いながらも

昨日買っておけば良かったかも・・と思ったりする。

どうしようかな・・

お昼までにはちゃんと決めなきゃ。

こんなことで迷うなんて私っておかしいのかな?


2006年09月21日(木) 父の叔母のこと

昨日は父の百か日だった。

姉と父の叔母が来てくれてささやかな供養をした。

父の叔母は今年91歳。

三越が自分の生活の場と思うほど

三越への思い入れが深い。

毎日おしゃれをして出かける。

そして叔母専用の椅子に座り

隣に座った人へ話しかけて友達の輪を広げている。

叔母の長生きの秘訣

それは一におしゃれ、二におしゃべり、三に感謝だと言う。

娘時代からの化粧品の数は今も同じ、

オーダーの服を着て

アクセサリーをつけ精一杯のおしゃれをして出かける。

ステキな音楽や有名な画家の絵を鑑賞して心を癒す。

地下の食料品売り場の店員さんたちと顔なじみになって

叔母の姿が見えない日は皆が心配すると言う。

叔母がこうして元気で楽しい暮らしが出来るのも

六年前に亡くなった夫のお陰だと

いつも感謝の心で居ると言う。

心元気で有難いと思う気持ちを持つことが

本当に大切だと父の叔母を見ていてつくづく思う。

叔母は100歳まで

否、もっと長生きするだろう。

そして同じようにおしゃれをして

自分のホームグランドだと思う三越へ行き

楽しい時間をおしゃべりに費やしてほしい。

叔母の人生に乾杯!


2006年09月20日(水) 胃が痛くて・・

昨夜は疲れていて

肩の凝りもひどかったので

いつもより早く8時に寝た。

母の家のお風呂の掃除をしてあげようと思っていたのに

眠気には勝てなかった。

私は寝つきが良い。

夜は嫌なことを考えず

寝ることだけ考えて寝るようにしてから

直ぐに眠れるようになった。

もう朝かな?と思って時計を見ると

まだ11時過ぎだった。

たった二時間とちょっとしか経っていないのに

もう起きる時間かと勘違いをしてしまったようだ。

再び寝た。

今度は猛烈な胃の痛さで目が覚めた。

夜中の2時だった。

この胃の痛さは何?

初めてではないからちょっと安心。

でも、痛い。

みぞおちあたりを押さえると悲鳴を上げそうになるほど痛い。

何でだろう?

時に私の胃はストライキを起こす。

最近ちょっと食欲が出てきて

人並みに食べているからだろうか・・・

胃が待ってくれと言っているのだろうか・・・

体重が少し増えようとすると

自然にブレーキがかかる。

そしてまた元の体重に戻っていく。

太る心配はないから良いねと人に言われるが

胃が痛いのはやはり辛い。

今日はお昼を父の百か日なので皆で食べることになっている。

くれぐれも食べ過ぎないようにしよう。

今夜は痛くありませんように!


2006年09月19日(火) 敬老の日

昨日は午後、母とショッピングセンターへ買い物に行った。

敬老の日ということで混雑していた。

小さな女の子が可愛い花束を持って

嬉しそうにお母さんに笑顔を向けていた。

きっとおばあちゃんにプレゼントするのだろう・・

心温まるほんわかした良い気持ちになった。

私の娘には祖父母が3人居る。

6月に私の父が亡くなったから3人になってしまった。

私には祖母の思い出しかない。

父方の祖父も母方の祖父も

私が生まれる前に亡くなっている。

だから写真でしか顔を知らない。

二人の祖母も私が5歳の頃に

月をおいて亡くなってしまった。

小さかったから可愛がってもらったことも忘れている。

父方の祖母とは同居していたから

母よりも抱っこやおんぶをしてもらったらしい。

そんなことを思うと

娘はとても幸せだと思う。

娘から祖父母へ何かプレゼントでもするのかな・・と

思っていたが全く何もなかったみたいだ。

私の母はそれでいいよと言っていた。

娘が後5年くらい後に就職したら

初めての給料で何かご馳走してもらうのだと言っている。

それまで母が元気で居てくれると嬉しい。

娘は父の仏壇の前に座り手を合わせていた。

品物がなくても心があれば良い。

父も母もたった一人の孫である娘に

たっぷりの愛情を注いでくれた。

このことは娘自身が一番知っていると思う。

私に後何年かして孫が出来た時、

私の母が注いだのと同じ愛情を私の孫に注げるかどうか・・

今の私には自信がない。


2006年09月18日(月) ボランティア

人間が人生の最後に人のために出来る

何かボランティア活動をすることって

私の昔からの夢だった。

体力をつかうことが出来ない私が

何かできることはないかと考えていたとき、

ラジオで「マザーラン・ドアカデミー」の存在を知った。

ネットで検索してHPを見つけた。

資料を送ってもらって読んでいくうちに

本当に小さな活動が

大きな輪に広がっていることに感動した。

普通の主婦が数人集まって立ち上げたものだ。

夫や子供に迷惑をかけないようにを基本姿勢で

「グチと昼寝は死んでから」をスローガンに活動している。

アフリカのマリ共和国の子供たちへ

支援物資を送ったり

水田を作る指導をしたりしているという。

私に出来ることは

家にある着ない服や使わない毛布やタオルなどを

送ってあげることだと思い、

早速荷物をこしらえて

船積みに間に合うように送った。

船積み費用はかかるけれど

私が買いたいなと思うものを買わずに

節約すれば大した金額にはならない。

洗濯をしたものにアイロンをかけ

一箱送った。

年に何回かある船積みの日のうちで

19日に間に合うように送った。

私の気持ちが届くといいな・・

少しでも人のためになることが出来たことが嬉しい。

これからも一年に一回以上続けていこうと思う。


2006年09月17日(日) 楽しみ

今朝、メル友さんからのメールで

再来月、私の住む近くへ研修旅行で来られると知った。

そして、宴会の始まる前に

私に会いたいと言ってくれた。

私に会いに行こうと言って

数人で来てくれてから丸三年になる。

そして、今年の春

父が亡くなる前に私の方から

会いに行くことが出来た。

オフ会と言っても

距離的になかなか難しい。

でも、一年に二回も会えるとは!

本当に嬉しいことだ。

時間は短くても

毎日のようにメールで話は出来ていても

やはり会って顔を見て話しが出来るって

有意義なことだしステキなことだと思う。

後二月・・

直ぐ経つだろう。

楽しみだ。


2006年09月16日(土) ちょっと早まったかな・・

台風13号が近づいている。

この台風は超大型ということで進路が心配だ。

今夜のバスで東京へ行く予定だったが

この台風のために延期をした。

チケットも購入していたので

それを一度キャンセルして

また新しく購入する手続きをしてきた。

思ったよりも面倒だったが座席も取れて一安心。

でも、今朝のTVで台風情報を聞いていると

近づくのは明後日当たりで

東京は明日も曇りのち雨らしい。

これなら今夜のバスで行けていたのに・・

私が何か決めて実行しようとする時、

よくこういうことが起きる。

来週の金曜日に延期したが

その日は東京は雨が降るみたい。

ああ〜〜ちょっと早まったかな・・

でも、決めたのだから迷わないようにしよう。

出来たら来週の金曜日と土曜日

大雨にならないで欲しい。


2006年09月15日(金) 男の子って・・

昨日は近所の友人が休みだったので会う約束をしていた。

何処かへドライブ?

それともおしゃべり?

カラオケ?

そういう風に誘われていたから私もそのつもりでいた。

でも、会うと息子の運動会へ付き合ってと言われた。

息子さんは私の娘と小中同じだったが高校は違った。

その息子さんの高校の運動会だった。

お天気も良いしきっと楽しいだろうと思いOKした。

でも、その後彼女が言うには

「息子に見に来たことが分かると怒られるから内緒で」。

驚いた。

男の子ってそういうものなのだろうか?

娘は見に来てほしいし

写真やビデオも撮ってほしいと言う。

参観日も来てくれと言う。

それが当たり前だと思っていた私は驚いた。

彼女は帽子を目深くかぶり

顔を隠して見つからないようにしていた。

写真も私にそっと

そしてさっと撮ってほしいと言う。

私は言われる通り数枚の写真をさっと撮った。

10分ほどで学校を出たが

何か変な感じだった。

親が子供の運動会を見に行って

怒られることって変だ。

私は娘一人だから分からないのかな?

もし私にも男の子が居たら

同じようにいわれるのかもしれない。

親としてちょっと淋しい気がする。


2006年09月14日(木) 思わぬ電話

昨日の夕方、

いつも投稿をしている新聞社から電話がかかった。

一昨日の新聞に投稿した私の拙文を読んで

私と話がしたいという人が居るとのこと。

個人情報厳守ということもあり

私の電話番号を教えていいかという打診だった。

私の投稿に対して反対意見ではないかと言われ

少し不安もあったけれど

「いいです」と答えた。

早速電話がかかってきた。

60代の男性で昭和史を勉強されている人だった。

私の意見と違うところもあったが

東京裁判や戦後の封印された歴史の事実

また靖国問題なろ同じ意見もあり

話が出来て良かった。

あの戦争の全責任は昭和天皇にあるという意見には

私は賛成できないところもあるが

考え方は人それぞれなので

私が偏った考え方をしないためにも

昨日のように色んな意見を聞き

考えることが大事だと思う。

新聞の力って凄いと思うし

反対に無責任なことは書けないし

反響も大きいということを改めて知った。

これからももっと勉強していこうと思う。


2006年09月13日(水) 父の月命日

昨日はメンテナンスでつぶやきが書けなかった。

見に来てくださった人にごめんなさい。

今日は13日、

6月13日に亡くなった父の月命日だ。

もう三ヶ月・・

まだ三ヶ月・・

複雑な思いだ。

皆が心配してくれが母はとても元気だ。

私がまだ実家に寝泊りをしているから

淋しさを感じないと言ってくれる。

母が一人になったときのことを思うと心配だが

私もいつまでも実家に居るわけにはいかない。

いつか帰る。

その時に母が気落ちしないか・・・

やはり一年、二年、三年経つまでは淋しいはず。

その頃には母も88歳になる。

今度は母自身の体が弱ってくるとも思う。

毎日父に母を守ってねと頼んでいる。

今日は母とお墓参りに行き

改めて母のことを頼んで来ようと思う。

「千の風になって」では父はお墓には居ないという。

でも、母と私の姿を見たら、

父もきっと喜んでくれるだろう。


2006年09月11日(月) 秋刀魚

店頭に秋刀魚が並んでいる。

9月に入り朝晩がめっきり秋めいてきた。

秋は食欲の秋でもある。

元々魚が嫌いな私は

この秋刀魚の美味しさが今でもわからない。

確かに焼いている時に香ってくる匂いは

食欲をそそりお腹もグーって鳴りそうになる。

でも、内臓をつけたまま食卓にのる秋刀魚は苦手だ。

目黒の秋刀魚という落語にも出て来るくらいだから

よほど美味しいのだろうし

身体にも良さそうだ。

だから、毎年秋になると

今年こそは食べようと思う。

でも、いざとなると引いてしまう。

夫には秋刀魚を用意しても

娘と私は鯖にしてしまう。

私が秋刀魚を食べないから娘も食べないのだろう。

好き嫌いをさせたのは私の責任だ。

母は体に良いからと割り切って食べているが

亡くなった父は

食卓に秋刀魚が並ぶと機嫌が悪かった。

そんな父を見ていたから今の私が居るのだろう。

今年こそ秋刀魚の塩焼きに挑戦してみようかな・・




2006年09月10日(日) 体調不良

昨日から肩の凝りがひどくなった。

何か変わったことをした覚えはない。

一昨日足のつぼのマッサージをしてもらった影響かもしれない。

いいことをしてもらって

体調不良になるなんて変。

他に原因があるのかも?

今週の土曜日には東京へ行くことになっている。

だから今週中にはこの肩の凝りを治さないと、

行きも帰りも高速バスなので

余計に肩が凝りそうだ。

一緒に行くことになっている親友は

風邪気味だとか。

お互いに年かな・・なんて思った。

台風が来ない限り行こうと思っているから

親友は風邪を

私は肩こりを治さないといけない。

今週はPCもしばらく休もうかな?なんて思っている。


2006年09月09日(土) 何でも考え方

私はいつも何かが起きると

腹を立てたり落ち込んだりすることが多い。

自分でも直そうと思いながら

これがなかなか直らない。

でも、些細なことから

少しでも楽になるような考え方をしようと思う。

たとえしんどいことをしていても

元気でこんなことが出来る幸せを感じればそれでいい。

嫌なことに出くわしたら

今度はきっといいことがあると信じて

乗り切ろうと思うようになった。

私も少しは成長したのかも?


2006年09月08日(金) 携帯電話

一昨日の昼、

突然携帯の音が消えた。

娘からかかってきた電話の声が聞こえない。

着信音はしたのに

何故か操作音が全て聞こえないのだ。

話が出来ないからメール連絡をして

事なきを得たが

それでも話が出来ないのは困った。

急いでdocomoへ持って行った。

故障だと言う。

原因は分からない。

修理が必要で二ヶ月かかると言う。

購入して一年以内なので修理代は無料らしい。

修理してもらうと二ヶ月間

携帯が使えなくなる。

一瞬困ったなと思った。

有難いことに代わりの電話を貸してくれるとのこと。

二ヶ月間携帯なしで過ごしてみようかな・・とも思ったが

娘の帰宅時間を知らせるメールや

母が病院を出る時に知らせて来る電話、

また今月東京へ行くことになっているので

やはりなければ不便だと思い、

貸してもらうことにした。

カメラ付ではない古い機種だが

通話とメールは出来る。

数年前に携帯を持つ前までは

私には必要ないものだと思っていたが

いざ使えなくなると不安になった。

妙なものだ。

携帯なしの生活も悪くはないと思っていた。

今回はその経験をする良い機会だと思ったのだが・・


2006年09月07日(木) おめでたいこと

昨日、秋篠宮家に男子が誕生した。

誕生前から何かと話題に上っていたが

昨日は一日中、この話で明け暮れた。

確かに、これで未来の天皇陛下が生まれたのだから

今までの色々な心配は払拭されたのだろう。

でも、皇太子様と雅子様の心境は複雑だろう。

心から喜ばれることは出来るのだろうか。

ここで何かをいうのは差し控えたい。

ただ、これで皇室の果たす役割や

皇室外交の重要性、

2000年続いている皇室の存在が

改めて評価されると思う。

これからの日本にとって

色々な意味でプラスになることは確かだと思う。


2006年09月06日(水) 突然の電話

先日、本当に突然の電話がかかってきた。

私がPCを始めた頃だから

もう四年以上前のことになるが

その頃に初めて出来たメル友さんだった。

知り合って毎日楽しくメールの交換をしていたが

いつともなくメールの間隔があくようになり

やがて自然消滅してしまっていたのだ。

私のメールアドレスも変更したし

相手のアドレスも削除していたから

お互いに連絡など出来るはずなかった。

でも、電話がかかってきたのだ。

電話番号を教えていたのだと思い出した。

私自身は相手の番号を携帯へ登録していない。

だから、電話番号が表示されても誰か分からなかった。

誰だろう?と思って出ると

「○○です」との返事。

私にはピンと来なくて何度も名前を聞きなおした。

しばらくして「ああ〜○○さん!」と思い出した。

それから急に懐かしい気がしてきた。

新しいメールアドレスを教えて欲しいというので

教えたけれどやはり前とは違うような気がする。

月日が経つと話題もなくなる。

何を話していいのか分からなくて

メールも前のようには出来ない。

でも、私のことを覚えていてくれたことは嬉しかった。

相手も同じ気持ちだろう。

良い関係でこれからも仲良く出来たら良いと思う。


2006年09月05日(火) 終わりのない旅

「人生は旅であり、旅は人生である」と言ったのは

サッカーの中田選手だったが、

私もつくづくそうだと思う。

人生には必ず終わりが来る。

だから終わりのない旅はないのだと思うけれど

最近の私の日常を思うと

終わりのない旅をしているように思えてならない。

主婦には休日はあってないようなものだ。

日曜祭日、土曜日なんて関係なく

家事は永遠に続くし繰り返される。

私が今3時半に起き、

4時に自宅に戻り家事をする旅も

いつかは終わりになるのだろうが

何かとても虚しくなる時がある。

体調が悪い時は特にそうだ。

肩の凝りから歯に来て

食事もなかなかできないときでも

家族の食事を作らねばならない。

また、寝るのが遅くなり

朝起きるのがとても辛い時でも

3時半起床は変わることはない。

一日中何をしていても自由ではあるが

決してさぼったり休むことなない。

まるで何かに追われているような気がする。

夫や娘にはきっと理解してもらえないだろう。

私のように完全を目指すものが

もう駄目だと思った時が怖い。

欝状態になるかもしれない。

私も気分転換してみたい。

家事を放ったまま何処かへ行ってみたい。

終わりのない旅でも、

途中下車くらいはできるだろう。

ああ〜何処かへ行きたい・・

何もかも忘れて

何もかも放って・・


2006年09月04日(月) 極楽と地獄

昨日は母方の祖母の五十回忌が催された。

法要も五十回忌ともなれば

悲しいというよりはおめでたいという感じがする。

そして普段は顔を合わすことのない親戚同士が

再会を喜び近況を話し合う場になる。

昨日も法要が終わるとフランス料理を食べに行き

そこでは故人の話とお互いの話に明け暮れた。

まあこれでいいのかもしれない。

ところで、昨日の法要で住職さんが面白い話をしてくれた。

それは「極楽と地獄」という話だ。

付け加えると「天国」という言葉はキリスト教でなければ

使ってはいけないらしい。

仏教では極楽と言うべきだと言っていた。

誰でも極楽へ行きたいと願う。

極楽も地獄もどちらも似たようなものだそうな。

極楽を覗いた人が言うには、

皆がテーブルに向って座り

フランス料理を食べていたそうな。

でも、フォークとナイフがとてつもなく長い。

自分が食べるにが難しいから

反対側に座った人とお互いに

ナイフとフォークを使って食べさせてあげていた。

地獄を覗きに行ってみたら

やはりテーブルの上にはご馳走が並び、

長いフォークとナイフで食事をしているのは

極楽と同じなのだが、

お互いに仲良く食べさせてあげるのではなく

その長いフォークとナイフで

自分のものだ、お前のものではないと大声で叫びながら

われ先に食べようとしている。

しかし、結局その長さ故、

自分の口に入ることはなく

ぼろぼろとこぼしていたという。

これが地獄だそうな。

なるほど!と思った。

極楽へ行きたいと願うならば

利己主義者にはならず

人のため世のために生きなきゃならない。

さて、私は極楽へ行けるかな・・・


2006年09月03日(日) 迷惑メール

今朝、自宅に戻りいつものようにPCを開けたら

メールの受信トレイに14通もメールが来ていた。

最近はメール相手も少なくなって

多くて一日に2通だから

おかしいな・・と思い見てみると

1通は友人からで後は皆迷惑なメールだった。

それも多分出会い系のようなHなメールだったみたい。

もちろん開けることなく削除済みへ。

その削除済みも皆削除した。

以前にもこういうことがありアドレスを変えた。

お陰で迷惑なメールは皆無だった。

また今回もアドレスを変更しないといけないかな?と思っている。

それにしても、世の中は暇人が多いな・・

人の迷惑も考えずこんなメールを送る人の気持ちが分からない。

それをする暇があればもっと有意義なことをすればいいのに!


2006年09月02日(土) 素肌美人

思い切って化粧品をA化粧品に変えた。

今まで使っていたI化粧品は

確かに温泉のイオンを使ったもので気に入っていた。

元々化粧はしていないように見えるのが好きだ。

だから、あまり濃くない化粧になるこのI化粧品が好きだった。

15年くらい使っていたが、

姉に勧められて変えることにしたのだ。

姉も変えて三ヶ月になるという。

本当に素肌が綺麗になったと思う。

昨日は、A化粧品の正しい使い方を

教えてもらった。

母も変えようと思っているみたいだ。

母は85歳、私よりも30歳上だけれど

昨日、洗顔から仕上げまでしてもらったら

母の方が綺麗だと思えた。

ちょっと悔しい思いもした(笑)

後三ヶ月経って今年の末になったら

私も素肌美人になっているかな?

きっと綺麗になるよ!

洗顔をしっかりして

10歳は若返るぞ!

信じることが大事だから、信じてみよう。


2006年09月01日(金) 嬉しい電話

昨夜、午後9時早めに休もうと思っていた所に電話が鳴った。

私は今実家で寝泊りしているので実家にかかる電話で

私宛にかかってくるものはほとんどない。

でも私宛の電話だった。

先日「かまぼこ板の絵展」で初めてお会いした方から

昨日新聞に載った私の文章を読んでお見舞いの電話だった。

8月はもう載らないのかな・・と思っていたら

昨日の朝載っているのを見つけた時、

やはり嬉しかった。

そして夜には遠いところから電話を頂き嬉しさは倍増した。

「骨折」という題で三週間前にヒビが入ったことを書いた。

お見舞いの言葉を言ってもらい

それからかまぼこ板の絵展の話や

絵手紙の話やお互いの親の介護の話など・・

30分くらい話たかな?

私の文章の隠れファンだと言ってくれた。

これからも楽しみにしていますとも言われた。

やはり書いていて良かった。

これからもボツにめげずに書き続けようと思う。

彼女にお礼の絵手紙でも描こう。


スカーレット