スカーレットの心のつぶやき
つぶやき 目次|過去|未来
このままで居て欲しい。
あなたの心が変わらないでいつまでも今のままで居てくれたら
私はどんなに幸せだろう。
あなたの笑顔とあなたの笑い声が
私の今の生きる支えになっている。
あなたの顔を見るとほっとする。
あなたの声を聞くと安心できる。
理屈じゃなくて心の問題だ。
今まで何回もあなたとの関係は破綻しかけた。
でも、今もこうして何とか続いているのは
やはり神様が私とあなたを結び付けていてくれるのだろう。
そんな神様の心を無駄にしたくない。
喧嘩はしたくない。
少しでも居られる時間を長く持ちたい。
そのためには私自身を抑えよう。
言いたいことや思っていることも
少し控えめにしよう。
それであなたとの関係が上手くいくのなら
少々の努力は惜しまない。
だから私が生きている限り
あなたも生きていて欲しい。
そしてあなたの存在を愛しいと思えるようにしたい。
いつかまた破綻しそうになるかもしれないけれど
やはりこれ以上波風を立てないように
平穏で楽しい世界にしたい。
今の私は心からそう思う。
私には良いところってあるのだろうか。
最近分からなくなってきた。
私のすることなすこと全てが裏目に出る。
だから私って何も良いところはないように思えてきた。
几帳面は融通がきかない、
優しいは優柔不断
真面目は気難しい、
自分に素直は自分勝手、
根に持たないは気分屋・・
などなど・・いろんな点で皆駄目な気がしてきた。
私が自分で長所だと思っていたことが本当は皆短所だったのかもしれない。
性格は変えようと思ってもなかなか変わるものではない。
でも、自分の駄目なところに気付き、
それをいいようにしていこうという姿勢を持つことが
変われる第一歩なのかもしれない。
私が今良いと思ってしていることを
皆止めてみたら良いのかな・・・
朝も早起きしないで
家事も手抜きをして
眠い時は寝て、
したくないときは何もしない。
私から見たら自堕落だと思う生活を
無理をしてでもやってみたら
私も少しは変わるかもしれない。
でも、言うは易しで実行するのって難しいだろうな。
心の持ち方を変え、
行動を変え、
習慣を変えれば性格も人格も変わると聞いた。
まずは出来そうなことから始めよう。
几帳面さを少し良い意味の好い加減さに変えてみよう。
後のお楽しみ・・
今、外科医が自分の信念の元に
患者の人工呼吸器を外して命を絶った問題が起きている。
安楽死、あるいは尊厳死というものは
今の日本では基本的にまだ承認されていない。
末期の患者が自分の意思で死を望むとき
家族もそれを承知している時のみ
人工呼吸器を外したり、薬物の投与により
患者の命を絶つことは許されることになっているそうだ。
しかし、積極的安楽死とか消極的安楽死とか言われることが
本当に許されることなのだろうか。
色んな論議がされるだろう。
病院の中でカンファレンスがきちんと行われ
医者たちが皆患者の意思を尊重した処置が取られたとしても
何か割り切れない思いが残るのは確かだ。
今、「リビング・ウィル」は半数の支持を得ていると言う。
自分の最期を自分の意思で決めたいと願う気持ちから
また、苦しみや効果が得られない処置を
してほしくないと望む人は
生前にその意志を家族の者に伝えておくことで
安らかな死を得られるものだ。
母は私に言っている。
「人工呼吸器をつけたり無駄な延命はしないでほしい」と。
母が最期を迎えるとき
その最期がとても苦痛に満ちたものであった時には
私は母の意志を医者に伝えて
母の思うような最期にしてあげたいと思っている。
そして、私自身も同じように思っている。
無駄な延命は要らない。
心安らかに眠るように死にたいと願う私の気持を
今まだ元気な間に夫や娘に伝えておこうと思っている。
でも、いざ母が最期を迎えたとき
今思っているように簡単に割り切ることが出来るかどうか?
やはり自信はないな・・・
ちょっとしたことで相手の気持ちを理解出来なくて
心がすれ違うことがある。
誤解は一生解けなくて終わるときもある。
今までもそんな経験をいっぱいしてきた。
その時はそれで仕方ないと思うけれど
時が経ちとても後悔するときがある。
あの時になんとしてでも誤解を解けば良かったと思うのだ。
後で気がつく何とやら・・かな
また今度もちょっとしたことで
メル友さんを一人失った。
否、失いそうになっている。
お互いに絶交したわけでもないのに
それでも何かメールが出来ない。
このままずっと今の状態でも良い・・と思ったり
ちゃんと誤解を解いて
元のように友人になりたいと思ったり・・
私の心は揺れ動いている。
どうなるのかな・・・
なるようになるだろう。
それこそ無理をしないで
自分の気持を偽らないで素直になるほうが良いのかもしれない。
日にちを置いてみようと今は思っている。
相田みつをさんの詩に次のような「声」という詩がある。
あなたの声を
電話で聞いただけで
その日一日
こころがなごむ
理屈じゃねんだよなあ
これって本当にそうだと思う。
時々どうしようもない気持ちになって
落ち込む時がある。
そんな時、友人と電話で話すことが出来た時
それまでの落ち込みがまるでウソのように
晴れ晴れとした気持ちに変わるのだ。
現金なものだ。
これって詩の通り理屈じゃないのよね。
でも、本当に心の奥の方で
あれほど暗くて重かった塊のようなものが
溶けていくのを感じるのだ。
不思議・・・
たった一言でも良い、
声が聞けるだけでハッピーな気分になれるのだ。
勝手なものだ。
でも、それが人間なのかもしれない。
そしてこういうちょっとしたことで
また元気になれるからこそ
生きていけるのだと思う。
私の元気の源は友人の電話。
昨日、ずっと描きたいと思っていた
タンポポの綿毛を絵手紙に描いた。
真っ白な丸い綿毛は
ちょっと触れるだけでふわっと飛んで行ってしまう。
春の風に乗って何所へでも飛んで行く。
そして、飛んで落ちた場所が何所であれ
そこに根を下ろし花を咲かせる。
生きていることや
自分の生活の全てに文句を言わず、
ただひっそりと咲いている姿に心惹かれる。
絵手紙を描いていて、
ずっと昔愛した人のことを思っていた。
今は何をしているのだろうか・・・
私のことは覚えているのだろうか・・・
楽しかったことだけではなかったし
喧嘩もしてお互いに傷つけあうこともあったけれど
やはり今でも私の心の中には
大事な人として存在し続けている。
きっと私が死ぬまで彼のことを忘れることはないだろう。
この綿毛のように
彼の元で飛んで行くことが出来たら・・
どんなに良いだろう・・
なんて思ってしまった。
儚いし淋しい夢を見ていた私。
今はこの家に居て生活しているのだから
私にはこの場所しか居るところはないのだから。
そう思えばまた頑張って生きていけるような気がする。
どんなことでも最後は自分の気持次第だとつくづく思う。
日常の小さなことでも
今、私が直面している問題でも
誰が解決してくれることではない。
私自身が心の中で決着をつければそれで済む問題なのだから。
私が一番心地よい状態に居られれば
家族も楽しいだろう。
私がいつも心で何かを思い悩んでいれば
それそ感じ取るであろうから楽しいはずはない。
結局、私の心が私の居心地を左右するのだ。
分かっている。
自分で自分の首を絞めるようなことをしないようにしたい。
人のことばかり気にせず、マイペースで居たい。
最近の夫との関係、
これからの夫との関係を考えると落ち込むことが多い。
まるで私など存在しないかのような夫の態度は
私の心を傷つける。
私がどんな状態で居ても、何を考えていても
何をしていても全く関心を持たない。
よく夫婦は空気みたいなのが良いというけれど
これでは空気以下だ。
私は透明人間か?と言いたい。
私は生きている。
私はここに居る。
声を大にして言いたい。
ずっと叫んでいても夫の心には届かない。
夫とのことが私の今の一番の気がかりではあるが
もう考えるのはやめた。
思い煩うなんてアホらしくなった。
もう良い、もう良いのだ。
割り切ればそれで済むことだから。
私の考え方次第で何も辛いことはないのだから。
そう思うと少し楽になった。
私は私が一番楽なように生きていきたい。
人に相談を受けた時、
私はいつもまるで自分のことのように
一生懸命になって考える。
私を相談相手として認めてくれたからこそ
人にあまり話したくないことを話してくれるのだと思うから。
私の人生の中で経験したことは
人がしていないこともたくさんある。
勿論その反対で
人が経験することを全くしていないことも多い。
それはその人の生き方で違うのだから当たり前だ。
親が子のことを思うとき
親自身が子の辛さを自分のものとして受け止め
それを真剣に考え相談に乗ってやることができれば
それは親としても幸せなことだと思う。
子は親への信頼を固く認識しなおすだろう。
親が子の気持ちや立場を考えないで
一方的に親の気持ちを押し付けたとき
親子関係は破綻するかもしれない。
私が若い頃に悩み苦しみ、
その結果心の病気になり入退院を繰り返し、
自殺未遂を何度も繰りかえした時も
私の父には何もわかってもらうことは出来なかった。
母は一生懸命に分かろうとしてくれたけれど
それは虚しい努力に終わった。
結局その人自身が体験しなければ
いくら頭の中で考えてみても分からないのが本当だと思う。
先日、私が相談を受けた人の娘さんのことも
その人には理解し難いことが多かったみたいだ。
電話で少し私の考えることや気持を話したとき
「ああ〜本当にそうなんだね」と言っていた。
分かろうと思っても理解できない父親としての立場、
でも、一生懸命に娘のことを思う父親の気持ちが
私にはとても伝わってきた。
こんな父親を持った娘さんなら
今はとても苦しくて逃げ出したくなっている人生を
きっと自分の力で切り抜けていけると信じている。
今日もう一度相談を受けることになっているが
私はこの言葉をその人に伝えたいと思う。
人と人との付き合いって本当に難しいと思う。
こちらが相手のことを思い
良いと思ってしようとしたことが
相手に嫌がられる時がある。
そこまでひどくはなくても
ちょっと有難迷惑だと思われることがある。
今度の日曜日26日は
私の友人の誕生日だ。
誕生日は一年に一度のことだし
とても大事なことで私は祝ってあげたいと思っていた。
だから、私がこの間から作っている
70年代から80年代にかけての懐かしいフォークソングを集めたCDを
お誕生日のプレゼントとして贈ろうと思っていた。
数日前電話で私の気持ちを伝えたら
案の定何か戸惑っている様子だった。
去年も一昨年も同じだった。
気持ちはとても嬉しいけれど
その気持ちだけで良いと言われたのを思い出した。
そしてはっと気付いたのだ。
こちらの好意を相手に押し付けてはいけない、
相手の気持ちを一番に考えることが大事なのだと思った。
だから、今年は誕生日のカードだけ送ることにした。
これならきっと友人も気楽に受け取ってくれるに違いない。
今月になってひと月足らず
どうしたら良いか迷っていて
私の貴重な時間を取られたことがとても滑稽に思えた。
そんなに深刻に考える必要なんてなかったのに・・・
私の気持は気持ちとしておいておこう。
そして友人の気持ちを大事にしよう。
何だか一人舞台で一人がバタバタ芝居をしていたような気分だ。
それにしても好意を受けることや
人への気持ちを品物に表すことって面倒だな・・・
でも、これが日本人が昔から持っている
ちょっと曖昧なそして謙虚ないいところなのかもしれない。
そう思えば私も納得できる気がしてきた。
皆さん〜ご心配をおかけしました。
肩の凝りは大分良くなりました。
やはりPCに長く向っているのが原因だったようです。
今日からはあまり一生懸命にならないようにしたいと思っています。
今朝の新聞に先日投稿した文章が載りました。
思うままにというブログに載せましたのでまた覗いてみてください。
さて今日のつぶやきです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「友達って良いなあ・・」
私には無二の親友が居る。
彼女とは小学校から中学まで同じで
高校だけ違ってまた大学も同じ。
今も殆ど毎日電話で話したりメールの交換をしている。
彼女とは月に一回くらい会って話しをしようねと言っているのだけれど
私の父のことや彼女の都合もあって
この数ヶ月会ってなかった。
先日、その親友と会っておしゃべりをすることが出来た。
ちょうど肩の凝りで悩んでいた頃、気分転換になった。
去年の10月の私の誕生日のお祝いのランチを奢ってくれた。
私たちは話し出すと時間の経つのも忘れて話し込んでしまう。
だから美味しいものよりも長く座っていることの出来る所が適している。
先日はお昼のバイキングを食べながら話した。
彼女は私にとって掛け替えのない人だ。
彼女には何でも言えるし気を遣うことが全くない。
学生時代の延長の付き合いが出来る。
私がとても落ち込んで死にたくなっている時でも
彼女と電話で話していると
段々と元気になり
それまで悩んでいたことがまるでウソのような気分になる。
電話を切る頃には、泣き出しそうだった私が
笑って話をしていることが多い。
本当に元気が出てくるのだ。
そんな親友を持っている私は幸せだと思う。
これからもずっと彼女の存在は私にとって大きな存在でありつづけるだろう。
彼女との付き合いを大切にしたいと心から思う。
もっともっと話をしていたかったが
お昼と夜の入れ替えもあって
3時に店を追い出されてしまった。
11時半から3時までそれでも3時間半は喋ったことになる。
もっともっと話をしたかった。
今度は桜の咲く季節にお弁当でも持って
お花見でもしながら話をしようねと言って別れた。
昨日の朝起きて見ると首がまわらなくなっていた。
前にも一度あったけれど
その時は左側がひどかった。
今回は右だ。
もしかして五十肩?なんて思ったけれど
これはPCのせいだと分かった。
最低2時間続けていると肩から首筋
そして背中まで固まってしまう。
多分PCの高さが合わないのだと思う。
昨日は下を向くことさえ出来なかった。
トイレで下着を上げることも苦労した(笑)
勿論お風呂も大変だった。
ということで治るまでPCは休むことにした。
「皆さんごめんなさい。治り次第始めますので時々覗いてみてね。
2006年03月15日(水) |
これからの日本のために |
今ベストセラーになっている
藤原正彦さんの著「国家の品格」を読んで感動した。
国を愛する心「愛国心」を持つことが
直ぐに右翼に結びつくと思われているが
世界の中で今まで
日本がこれだけの文化と伝統を持ち続けてこれたことを誇りに思う気持ちや
外に向って
「日本は素晴らしい国だ」と声を大にして言える自信を持つことが
本当に大切なことだと再認識した。
この本の中に出てくる「武士道」と云う言葉。
外国にはない日本独特の精神を表している武士道精神を
取り戻すことがこれからの日本のための第一の道だということ。
この武士道の中で受け継がれてきた
義・勇・仁・礼・誠・名誉・忠義・克己
これらを見直す必要があるのではないかと思う。
新渡戸稲造著の「武士道」を読み始めた。
なるほどと思うことがたくさんある。
戦後60年が過ぎ
今の日本を愁う人たちが多く出てきてほしい。
親と子の関係、
家と国家との関係、
これら全ての礎になっている
昔からあった日本の伝統文化、そして精神を
改めて考え直す必要があるように思う。
また、今の日本と諸外国との関係を見るときには
歴史の中で何が本当に真実なのかを
見極める目を持ちたいものだ。
中国や韓国、そしてアメリカとの関係についても
本当のことを知り、認識を新たにすることこそ
これからの日本を担う人たちにとっての課題だと思う。
今まで知らなかったことを
「中国・韓国人に教えてあげたい本当の近現代史」と云う本を読み知った。
また今は「戦後六十年の大ウソ」という本を読んでいる。
アメリカが世界を牛耳ろうとしている今、
アメリカが日本にしてきたことを
もう一度考えてみたい。
国のために命を捨てることが出来るか、
弱者への思いやりを持つことが出来るか、
お金が全てだと思わない
もっと大切な心を持ちたいものだ。
事実を事実として理解した上で
自分の考えを持ちたい。
今の子ども達に道徳と修身の教育をすることこそ
日本を昔のような素晴らしい国にしていくための道だと思う。
今日はホワイトデーだ。
ホワイトの名前の通り今日は雪になるところが多いみたい。
春3月なのに寒い一日になりそうだ。
ホワイトデーは
バレンタインデーにもらったお返しに
男性から女性へプレゼントする日。
このホワイトデーなんて不要だと思う。
バレンタインにプレゼントしたから
そのお返しを期待して待っているようで不愉快だ。
と思いながらも何処かで期待している私が居る。
バレンタインデーのカードをメル友さんたちに出したけれど
今日のホワイトデーにカードがかえってきたのは二人だった。
私の人徳が足らないからかな(笑)
娘など私にホワイトデーのプレゼントを要求してきた。
娘が私にくれたのは
人からもらったクッキーのおすそわけ。
それでも上げたのだからお返しが欲しいと言う。
私は1000円の文庫本のブックカバーを買って
娘にプレゼントした。
やはり何か借りがあるような気がして落ち着かない。
夫は姉と私と娘と仕事先の人から
チョコレートをもらったのに
ホワイトデーなんて考えにもないみたいだった。
だから私が夫の代わりに姉と娘へプレゼントを買いに行った。
私へのものは何もないのか・・
ちょっと淋しい気もしたので
夫に口紅を買ってもらった。
でも、後でお金を請求するなんてちょっと・・ね。
夫には何もその気がないかもしれないし。
バレンタインに勝手にしたことだから
夫には関係ないと言われるかもしれない。
夫はそんな性格だ。
わかってはいるけれど
人間関係をスムーズにするための
潤滑油になっているプレゼントだってことを
夫にも気付いて欲しいな。
まあなんだかんだ言っても遊びに過ぎないこういうことに
別に目くじらを立てる必要もないし
深く考える必要もないのかもしれない。
複雑な心境の一日になりそう。
眠い。
「春眠 暁を覚えず」の言葉の通りだ。
夜はなるべく11時までには床に就くことにしているが
朝起きるのが4時だから睡眠時間は5時間しか取れていない。
体は慣れてくるというから大丈夫なのだろうが
時に物凄い睡魔に襲われる時がある。
何かに夢中になって居る時や
運転中のように緊張している時には襲ってこない。
襲ってくるのは本を読んでいる時や
TVを見ている時が多い。
また午後2時頃に講演を聞いている時は
寝てはいけないと思いながらつい寝てしまう。
脳細胞がどうにかなっているのだろうか。
たまにこうしてPCの文字を打っている時さえ眠くなることがある。
こんな時は気分転換をはかるか
思い切って寝るのが良いのだろう。
昔、私が小学校三年の時に秋、
学校から帰って宿題をしようと机に向かいながら
寝ていたことがあった。
どうしようもない睡魔が襲ってきて勉強しようと思いながら寝てしまったのだ。
母が見に来た時、いつも眠っていたらしい。
これは変だということで医者にみてもらった。
初めの医者は「秋だから春と同じで眠いのでしょう」という答えだった。
親は次に日赤へ連れて行った。
診断は「心内膜炎」という心臓の病気が進んでいて
体が衰弱したための眠りだった。
それから数ヶ月の入院で治ったけれど
それによって弁膜症が一つ増えてしまった。
そんな昔のことを思い出したが
今の私が眠いのは単に睡眠不足に違いない。
ああ〜思いっきり寝てみたい。
もう飽きたと言えるくらい寝てみたい。
この数日はとても暖かくて四月の陽気だったのに
今日と明日はまた冬に逆戻りだとか。
雪も降るなんて天気予報で言っていた。
天気も晴れたり曇ったり、
気温も高かったり低かったり、
これと同じで人の気持も変化する。
父の機嫌が良かったと思っていると
急に悪くなり当り散らしている。
これも皆からだが言わしていると思えば腹も立たない。
私の心も変化した。
もう後ろは見ないことにした。
去っていくものを追わないし端を通り過ぎていくことへも
関心を持たないようにしたら
何と楽になったことか。
物事は何でも考えようだ。
縁のない人や縁のないこととは別れるのが一番だ。
こんな私にもまた何かいいことがあるに違いない。
いつまでも若く居たいと思うから
これからは気持ちを明るく楽しくして生きていこう。
まあときには落ち込むこともあるかもしれないけれど
その時はまた立ち直るのを待って歩けば良い。
いつまでも悪いことは続かないし
いつかまたいいことに出会うと信じて。
「人生晴れたり曇ったり」だ。
泣いたり笑ったりしながら生きていくのだ、
これも皆私が主人公である私だけの人生だから。
2006年03月11日(土) |
覚悟はしているものの・・ |
昨日は父の具合が悪くなり
午後いつもの病院へ行って診てもらった。
状態はあまりいいものではなかった。
覚悟はしていたものの
やはり・・気落ちしてしまった。
母や姉や私よりも
父自身が落ち込んでいる。
最近の父は機嫌の良い日と悪い日が交替に来ている。
その父の機嫌に踊らされているというか
振り回されていると言っても過言ではない。
父の機嫌が良い時には
母と菜の花や梅を見に行くことが出来るけれど
そうでない時は実家へ行くのも億劫になる。
まさに腫れ物に触るという状態だ。
一昨日は母と梅津寺へ行き写真を撮って来ることが出来て
スライドショーにして載せることも出来た。
でも、これからはどうなるか分からない。
今日からしばらく入院が嫌だという父を
毎日点滴通院しないといけない。
私自身の体調も限界が来ている。
心を元気にして頑張ろうとは思うけれど
いつどうなるか分からない。
母の精神的ケアーも必要になってきている。
家に一人病人が居ると
その家の空気も変わるし
周りの者たちが大変になる。
日頃元気だったから余計にそのギャップが大きい。
でも、愚痴をこぼしても仕方ない。
姉と力を合わせて
父や母のことを診ていこう。
そして時々気分転換をして
私自身が倒れないようにしたい。
覚悟はしているものの、やはり辛いことだ。
昨日の午後、母と梅津寺の梅を見に行って来た。
本当は先日夫と行った七折の梅を見せてあげたかったのだが
母の足腰のことを思うと
あの七折の山道は無理だと思い
名前の通り梅が咲いている梅津寺にした。
ここは海の側にある遊園地だ。
ジェットコースターや観覧車や怖い乗り物がある。
昨日はお別れ遠足の小中学生が二組来ていた。
娘が小さい頃は春と秋に写生大会があってよく連れてきていた。
でも、最近はこの遊園地も寂れてしまった。
訪れる人も段々少なくなっているようだ。
梅も想像していたより少なく
正直「大したことないな・・来た甲斐がないな・・」と思った。
梅よりも彼岸桜の方が綺麗に咲いていた。
それでも母は今年も梅の花を見ることが出来たと言ってくれた。
菜の花の時のようにお互いに写真を撮りあった。
母の心の中でて一つ一つの区切りが出来ているのではないかと思う。
私の中でも色々な意味で今区切りをつけている。
先日来落ち込みそうになっていたことにも
私なりの結論を出すことが出来たし
心の中でちゃんと終わりを迎えることが出来た。
一つの区切りをつけることが出来た。
父のことや母のことに対しては
まだまだはっきりと割り切ることは出来ないけれど
少しずつ私の中でその時を迎える心の準備をしようと思う。
お天気もあまり良くなくて
良い写真は撮れなかったけれど
母との小さな思い出作りが出来た。
やはり行ってみてよかったと思う。
私にとっては母も父もどちらもとても大切な存在だ。
それなのに、私の心の中では母の存在がとても大きい。
父が私の幼い頃から仕事の関係で家に居る時間も少なく、
父と一緒に遊んだ思い出もほとんどないからだろう。
私が心の病気になったり心臓の手術をしたときも
母は一生懸命に私のことを思ってくれたし
看病もしてくれた。
でも、父は自分が嫌な思いをすることから逃げていたのか、
私にとって父の存在は意味がなかった。
それでも父のことを私が看護をしたのは
本当にいつまでも元気で居て欲しいと思う
子どもとしての私の気持からだった。
去年の暮れに退院してからの父は
日によって機嫌のいい日と悪い日がある。
父の気分次第で家の中が変わると言っても過言ではない。
母はたまらないだろうと思う。
昨夜も母から電話がかかり
父の容態が悪いと言ってきた。
私が急いでかけつけると父はとても苦しそうだった。
病院へ電話をして連れて行くつもりだったが
あることに気付いてその処置をしたら
父の尿が出始めて苦しさがなくなった。
父が最近機嫌が悪かった原因にもなっていたようだ。
今日は機嫌がいいかもしれない。
父に振り回されるのも嫌だけれど
父の気持ちを思うと仕方ないかな?とも思う。
父が一日でも長生きしてくれることを願っている。
落ち込んだりまた元気になったりの繰り返しの人生。
いつもの私のパターン。
今回のことでも正直落ち込んでいたのだ。
落ち込むというか
何か虚しいというか
心にぽっかりと穴が空いたような・・
そんな気持ちなのだ。
今までの私のように
部屋の片隅で、膝っ子憎を抱えて蹲っているのではない。
普段と同じように動いているのだ。
家事もするし、
本も読むしTVも見る。
母と買い物にも行き昨日は菜の花を見に行った。
朝はいつもと同じように40分歩いている。
でも、何かが違うのだ。
はっきりと言葉では言い表せないけれど
心の中でため息をついているようなそんな気分なのだ。
潔く諦めるときは諦めて
自分を偽ることなくありのままで居たいと思う。
勿論毎日が心元気で過ごせたらどんなに良いだろう。
天風先生の言葉通りに生きることが出来たらどんなに楽だろう。
皆私の心の持ち方次第。
心を無理して捻じ曲げようとは思わない。
今のまま時の過ぎるのを待つのが一番だ。
私の心の中でいつかちゃと整理できるはずだから。
それまでは流されることにしよう。
季節は私の心に関係なく変わってきている。
春は確かに来ている。
菜の花や梅や沈丁花や・・
昨日は鶯の初鳴きも聞いた。
さあ、前を見て歩こう。
重いコートを脱いで、
体も心も軽くして歩いていこう。
もうやめた。
私でない私を演じることを。
疲れてしまった。
気を遣って言いたいことも言わず、
ちょっとしたことで
一喜一憂してきた私。
この頃はもう好い加減にしてほしいと思うようになっていた。
この4年間の間、
私でありたいと思いながら
私自身を押し殺して
相手に合わせてきたことは
相当のストレスになっていたみたい。
もう嫌だ。
残りの人生そんなに長くはない。
そんな貴重な人生を無駄に過ごしたくない。
相手に嫌われるのを怖れて
自分が思っていることの数分の一も言えないなんて
やはり何か変だ。
もうこの辺で芝居をやめよう。
私らしくありたい。
いつもの私でありたい。
断ち切ることの大切さをしみじみ感じるようになった。
潔くけじめをつけて
新しい道を歩いていきたい。
私には潔さが欠けている。
これは私の短所だ。
いつまでも引きずり、悩んでいる。
もう駄目なものは駄目なんだと諦める潔さを持ちたい。
桜の花は長くても数日が見頃だ。
満開に咲いた桜の花は
見る人の心を楽しませ慰めてくれる。
でも、散る時は思いっきり散るからこそ
日本人の魂に訴えてくるものがあるのだろう。
西洋のバラの花は確かに美しい。
満開の花はとてもいい香りを放つ。
人はその姿と香りに酔いしれるけれど
バラの花は枯れてもまだ茎にしがみついて
花びらが茶色になってもその醜態をさらしている。
それに比べると桜花の潔く散っていく姿って良い。
私も日本人だ。
何事も執着する気持ちを捨て、
良い意味で諦める、
これで良しと思う気持ちを持とう。
潔さの中から次に進む心もわいてくるというものだ。
自分の心に限をつけよう。
父のことも母のことも
夫や娘のことも
そして私が今まで引きずってきた
過去の恋にも全てに潔い態度を持ちたい。
今を大切にしていくことが
私の輝くであろう未来へも通じると思うから。
昨日の朝、いつものとおり歩いていると
向こうから歩いてくる一人の女性と出会い立ち話をした。
その人は私が時々投稿している新聞で
見かける名前の方で絵手紙もされている人だ。
ひと月くらい前に
投稿欄でその人のご主人が亡くなられたことに対する
ご自分の思いを綴っていた。
ご主人の突然の死に対して
その時でなければ書けない気持が
読む人の心に訴えてきて感動したものだ。
反響も多く励まされたと言っていた。
でも、ご主人の死に対して投稿したことを
変な風に解釈している人も居るかもしれないと言っていた。
その話を聞き、先々月、私が叔母の死への追悼の気持ちで書いて
投稿したものの従姉の反対にあって
載ることになっていたのを断ったときの気持ちが甦ってきた。
あの時はとても悲しかった。
従姉とは考え方の相違を感じたものだ。
私は叔母でなくても父の死であっても
同じように素直な気持ちを書き綴っただろう。
それが従姉には通じなかったことがとても悲しかった。
断ったときの新聞社の人も残念だと言ってくれた。
それで良いと思った。
大勢の人に読んでもらえなくても私の気持に変わりはない。
悲しみは今も私の胸の中に深く存在しているし
叔母の顔を二度と見えないことへの淋しさもある。
でも、叔母の四十九日も済み私の心も落ち着いてきた。
人の考え方って様々だ。
私と同じように思う人の方が少ないのだ。
だからこそ生きていることが面白いのかもしれない。
今日は叔母のお墓参りに行き、
載らなかった投稿文「叔母の死」を
墓前に供えて来ようと思っている。
人はいつかは死ぬ、
私の一番大切な人も死んでしまう。
私にとって一番の理解者であり、
私にとってかけがえのない母も私の側から居なくなる。
頭ではそう理解しているつもりでも、
実際に私の側から母が居なくなるということが信じられない。
母は私を全身全霊で愛してくれた。
どんな私になろうとも守ってくれた。
母は私の全てであり私もまた母の全てだった。
母は命に代えても私を守ろうとしてくれた。
そんな母を私はどのくらい悲しませてきたのだろう。
数え切れないくらいの親不孝をしてきた。
言えないくらい苦労をかけてきた。
今私が母にしていることなど
母が私にしてくれたことの何億分の一にも足らない気がする。
昨日、母を病院へ連れて行き、
帰りに二人で高島屋へ寄って買い物をしたとき、
母の歩く速さや
母がサイフからお金を出す様子や、
車の乗り降りの様子を見ていて、
本当に母は老いたと感じた。
母の昔の強さが嘘のようだった。
母とこうして買い物をすることが出来る時間は
後どのくらい残されているのだろう。
今の私に出来ることは何なのだろう。
母とお昼を食べた。
私よりも先に食べ始めた母だったが
私よりも遅く食べ終えた。
何ごとも時間がかかるようになった。
昔、娘が小さい頃食事をさせていた頃のように
待つことが多くなった。
母の歩数に合わせ、
母の食べる速度に合わせることが
私にはとても難しくなってきている。
母を待つことをしなければ・・
そして母と一緒に過ごす時間を大切にしなくては・・・
私の人生の中で大きな部分を占めている母との時間、
私にとって宝物になるであろう母との思い出。
それは皆、私が今まで生きてきた証だし、
私にとってとても大切なものなのだから。
昨日は一ヶ月ぶりの父の受診日だった。
最近の父は、気が向いたら時々掃除機をかけたり
お風呂を簡単に掃除したりしている。
でも、後は家の中でパジャマ姿で
寝たり起きたりの生活だ。
そんな父は夜になると
真っ暗な部屋で一人ぽつんと座り
うなだれている姿を見せるようになった。
私は声をかけようにもかけられなくて
黙って父の元を去っている。
本当は「元気を出して」と言いたい。
でも、何か言葉をかけることが出来ないものを感じるのだ。
昨日の受診の結果、
血液検査は前と同じで小康状態を保っている。
「ああ〜良かった」とほっとした私の横で、
父が医者に尋ねた。
「先生、私はあとどのくらい生きられるのですか?」と。
医者は笑って言った。
「人それぞれですからね・・」と。
きっと医者は困ったのだろう。
誰にも人の命が後どのくらいか?なんて答えることは出来ない。
それが医者であっても同じだ。
父が医者に尋ねたいと思った気持ちは分かる。
日々不安な気持ちで暮らしているのだろう。
私が父の立場だったとしても
自分自身の余命について考えてしまうに違いない。
でも、いくら今健康な人であっても
明日のことは分からない。
もしかしたら交通事故で死ぬかもしれない。
そんなことを考えていたら生きてはいけない。
人は生まれたからには必ず死ぬ。
それが人によって早いか遅いかの違いはあるが
生きとし生けるものは必ず死ぬのだ。
それが無常というものだろう。
そしてその無常こそ日本の持つ情緒やあわれなのだと思う。
毎日朝起きて感謝の心で手を合わせ、
夜また感謝の気持ちで手を合わす、
そんな生活を父が出来たら
今の不安な心もなくなるのではないだろうか。
今、私の中で何かが変わろうとしている。
この体の不調は何だろう。
体中が痛い。
立っていても座っていても
手、脚、肩、首、背中、腕・・・
内蔵以外のあらゆるところが痛くてたまらない。
寝ていて寝返りを打つのも苦痛だ。
立っていると
いつもなら感じない頭の重さを感じる。
それほど脳ミソが詰まっているとは思えない私の頭でも
こうして意識してみると
結構な重さになっているのが分かる。
今も座ってキーを叩いていると
肩から腕にかけて激痛が走る。
力を入れているわけではないのに
知らないうちに要らぬ力がかかっているような気がする。
あれほど好きだった車の運転も
最近はとてもする気がしなくなってしまった。
原因が何なのか分からない。
これが私の更年期障害というものなのだろうか。
不眠でもなくイライラ感もない。
精神的にはとても落ち着いている。
胃の具合も核酸のお陰で良い。
でも、この体中の痛みはたまらないものがある。
いっそ死んだらどんなに楽になるだろうかと思う。
何もしたくない、
一日寝て居たいと思う時もある。
PCの具合も悪くなっているし
私自身の体の調子も変だし、
これらは私への危険信号なのかもしれない。
私に休めという合図なのかもしれない。
思い切って何もかも放り出してみようか。
休もうか・・
昨日一日の中で
朝9時20分から10時40分の間は
私にとって心に点滴をしているような時間だった。
一滴一滴、
命の水が私の体中に染透ってきた。
まるで枯れ欠けてしおれていた花が
新しい水を得て甦ったかのように、
私の心と体に元気が出てきた。
この1時間20分の世界は
私にとって一番大切にしたいと思っている時間だ。
受話器の向こうから聞こえる
あの人の息づかいに私の心は震えた。
昨日の私は一方的に話すあの人の話を
一句も逃さないように一生懸命に聞いていた。
途中で言葉を挟んだこともあったけれど
本当は私は一言も言わず
100%あの人の話を聞きたかったくらいだ。
時事問題や戦争の話、
日本人の素晴らしさについて話をしてくれた。
途中であの人は泣いた。
巣鴨プリズンに収容された戦犯たちの元へ
慰問のために訪れた歌手や落語家、
そして野球の試合やヴァイオリンの演奏家たち
皆の心は一つだったと言う話を
あの人は涙を流しながら話してくれた。
本当のことを知って欲しいと言われた。
事実を君自身で確かめて欲しいとも言った。
私も今「東京裁判」という本を読んでいる。
戦勝国は負けた国を裁いたという話は
この「東京裁判」だけだ。
そしてこの裁判は間違いだったということも
段々と分かってきた。
昨日のあの1時間20分の世界は
私を現実を見つめるという真摯な態度にさせてくれた。
こういう友人を大切にしたいと思う。
何気ない会話も良い。
HPの話やブログの話しも良い。
でも、私は私自身の趣味であるピアノや音楽の話、
そして経済や時事問題や
今の日本がどういう風にあるべきかと言った話もしたい。
私自身の今後の生きる道や
一番大切なものは何かということ、
そして幸せとは何かということ。
それら全ての話のできるあの人との時間を大切にしたい。
電話の向こうで聞こえていたオムレツを作る音、
私と話をしていた間に冷め切ってしまっただろう。
でも、私の心は温かくなった。
意味のある貴重な時間を持てたことに心から感謝したいと思う。
スカーレット
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