スカーレットの心のつぶやき
つぶやき 目次|過去|未来
今日で8月も終わりだ。
今日8月31日は父の誕生日。
父は今年で84歳になる。
80歳まで現役で仕事をしていた。
元気で病気らしい病気もしたことがなく
私たち家族のために働いてくれた父が
昨年の11月の半ばに突然体調不良を訴えて入院した。
父にとっては初めての入院生活で
色々と不安もあったことだろう。
入退院を繰り返して
今年の春4月にやっと退院できた。
あまり長生きはできないと言われていたので
私達家族も覚悟はしていたが
こうして今年の誕生日を無事に迎えることができて
本当に良かったと思う。
好きだった芝居見物もボツボツ出来るようにまで
回復していた父だったが、
最近はまた具合が悪く
食欲もあまりないみたいで心配している。
今は栄養のことなど考えなくても、
口に合った好きなものを食べることが出来ればそれで良いと思う。
いつも父の体のことを考えて
献立を立てて料理をしている母に
「好きなものだけでも良いから食べてもらって」と言っておいた。
毎年今日は皆で父の好物を食べに行くのだが
今年は外食はやめた。
父が今日食べたいものは何か?と思って尋ねたら
巻き寿司が食べたいと言ったそうな。
それだけでも食べる気持ちになってくれたことが嬉しい。
今朝電話で父に「おめでとう」と伝えた。
昨日は今日届くように絵手紙を描いて送った。
今年の父は何も欲しいものはないと言うので
先日高島屋へ行った時に
軽くてレンジもOKでちょっと洒落たマグカップと
それに合う蓋を買ってプレゼントした。
水分を沢山摂るように言われているので
父が私の選んだカップで何でも良いから
飲んでくれると本当に良いなと思う。
今のままで良い、
出来るだけ長生きをしてほしいと心から思う。
「お誕生日おめでとう!」
人生には色々なことがある。
誰でも一生に一冊は本が書けるというけれど、
私のこれまでの人生も平凡ではなかった。
過去に捉われているわけではない。
過去を懐かしく思っているのでもない。
今を大事にして生きようと思ってはいる。
でも、人生の折り返し地点を過ぎた頃から、
これからの私自身の人生に一抹の淋しさを覚えたのは確かだ。
だから一生恋をしていたいと思った。
誰かのことを思っている時は
体の中から元気が出ていた。
誰かを好きになるということは
いけないことだとは言えないのではないだろうか?
恋は何歳になっても出来るものであり、
その恋が生きる源になっていることもある。
私もそうだった。
どんなに忙しくても、
どんなに大変なことがあったときでも、
決して弱音を吐くことはしなかった。
心の中が満たされていると
こんなにも元気になれるものか!と思った。
未婚、既婚に関わらず、
誰かのことを思い、
誰かに恋心を持つということは
決して悪いことではないと思う。
これをいけないことだと言う人は
本気で人を愛したことがないから言えるのだと思う。
頭では分かっていても
心は別問題だ。
人を好きになる気持ち、
その人のためならどんなことでも出来ると思える気持ち、
生きていて良かったと思える気持ち、
ちょっとしたことに幸せを感じることが出来る気持ち、
それらは皆人を好きになり、
心の中で温めているときの
何とも言えない至福感だ。
私もまだまだこれから色んなことがあるだろう。
時には悩み苦しむこともあるだろうが、
私の人生は一度しかない。
私の人生の中で主人公は私自身なのだ。
死ぬときに幸せだったと思えるような人生を歩みたい。
何も怖れず、
自分の心に素直になって
色々なことを経験しながら
今よりももっともっと大きくなりたいと思う。
あんなに痛い思いと恥ずかしい思いをしたのに・・
まさかとは思うけれど不安になってきた。
手術して10日になる。
本来なら二週間後に抜糸をするはずだったが、
最近の糸は体に溶けて吸収されるので
このまま放っておいても1〜2ヶ月後には綺麗になると言われた。
これで痛みも出血もなくなるものだと信じていた。
でも・・・
今日痛みを覚えた。
もしかして違う所を切って縫ったのではないか・・
そんな気がしてきた。
あの時の医者の様子では信じて良いと思ったのだが・・
もう少し様子をみてみよう。
そして痛みが残っていたら
これは医療ミスということになる。
もう一度手術することになるかもしれない。
そんなことのないように願っている。
こんなことって・・
あってほしくない・・
心からそう思う。
15日間の入院を終えて、
25日に退院した。
久しぶりの我が家は良いものだ。
私が居ない間に出来なかった家事を頑張っている。
退院時もまだ本当ではなかったから
あまり無理をしてはいけないのは分かっている。
でも、家族も私自身も前のようにするのが
何か当たり前になっているような気がして、
この三日間は一生懸命に家事をした。
何か一つでも不自由なことがあって初めて、
そのものの大切さを感じるものだ。
私が居ない間、夫は結構大変だったみたいだ。
私が部屋を掃除し、
涼しくして
美味しいものを作って夫を待っていたら
「ああ〜有り難いな・・」と夫が小さな声でつぶやくのが聞こえた。
私の存在価値もやっとわかってくれたみたいだ。
夫も娘も不自由な思いをしたようだが
私も今回の入院は
左手にずっと点滴をしていたので
右手だけしか自由にならず
本当に左手の有り難さを思い知った。
お風呂の時間が一番大変だった。
左手が使えないから
右手だけで顔も体も頭も洗った。
右手だけしか使えないから
体を洗う時、右手を洗うことができないという
当たり前のことに気付かなかった。
右手と背中が洗えない。
左手が使えないだけでこんなにも不自由な気がするとは思ってもみなかった。
昔子どもの頃に見たサリドマイドの女の子が
両方の足の指を使って
家事をこなしていたのを思い出した。
彼女は弱音も吐かず、
一生懸命に家事と育児をこなしていた。
人間は何でも慣れてしまって
何でもないことへの感謝の心を忘れがちである。
健康であること、
家族と一緒に居られること、
当たり前のことが出来ること、
それが生きる意味なのかもしれないと思う。
体が不自由であっても
決して心が不自由なのではない。
不自由と思わないで
いかなることでも負けないで
生きていくことの大切さを思い知った。
明日から娘の学校も本格的に始まる。
朝4時半起きの暮らしが戻ってきそうだ。
頑張らなくっちゃ!
昨日一日外泊してみてつくづく思った。
主婦が病気をすると家の中がメチャメチャになってしまうと。
私が居て当たり前の暮らしだった。
家族は朝起きたら朝食の準備が出来ていて、
帰宅すれば綺麗に掃除が出来た部屋が涼しく、
洗濯物も綺麗になってアイロンもかかって
収納されている。
冷蔵庫の中にはいつでも食べたり飲んだり出来る状態のものがあり、
夕食も栄養的に考えられたものが並べられている。
夜には台所も整頓され
洗ったシーツやパジャマを着て気持ちよく眠ることが出来る。
今まではこんなことが当たり前だった。
それがたった数日間私が居ないだけで
生活のリズムも物事も狂ってしまっていた。
今朝はいつものとおりに早く起きて
娘の弁当を作り、朝食や夕食を作った。
私にとってはちょっとしんどい仕事だったけれど
やはりやらねばという気持ちが強くてやってしまった。
夫や娘が料理、洗濯、掃除ができなくしてしまったのは
私に原因があるのだと思う。
今回の入院は短くて済みそうだけれど、
これからもどんなことが起きるか分からない。
本当の優しさは
夫や娘たちが一応の家事をこなすことができるように
私がしてあげることなのではないかと思った。
でも、私の本音、
「少しはお母さんのありがたみが分かった?」と
心の中でつぶやいている。
今週の水曜日ここで限界を書いたが
あれは虫の知らせだったのだろうか。
病院へ行ったら即入院になった。
入院の準備も何も出来ていなかったので
外出許可をもらって数時間の間に荷物をまとめて
10日に入院した。
そして今日は一時外泊許可をもらって帰っている。
入院するのではないかという予感はしていた。
来週の月曜日には大学病院へ転院することになっている。
色々な人生がつまった病室で私も色々と考えている。
元気になって早く元の生活に戻れることを祈りながら・・・
しばらくは神様がくれた休養だと思って
ちゃんと治して来ようと思っている。
体力の限界か・・・
本当に今朝は起きるのが辛かった。
でも、同じ時間に起きている私。
相変わらず悪い状態が続いている。
足首の捻挫は湿布を貼っているためか
少しずつ快方に向っている。
日にちはかかるだろうが治るのは間違いない。
でも、もう一つの方がやっかいだ。
結局昨日元院長先生に相談してみた。
今日は元の心臓の病院へ行くことにした。
どうなるのだろう?
入院ということにならなければ良い。
明日はお盆前のお墓掃除に行く予定だし、
娘も夏休みの補習が始まってお弁当が要るようになる。
家事だけではなく
両親のことも気になるから
入院は避けたいと思っている。
でも、今朝のしんどさは限界かも?と思うほどのしんどさだ。
HPは閉じて正解だったと思う。
今まで見てくれた人たちに心から有難うと言いたい。
立ち上げて三年余り、
私なりに一生懸命にやってきた。
もしHPを立ち上げていなければ
一生出会うこともなく過ごしたであろう人たちとの出会いがあった。
嬉しいこともいっぱいあった。
私の我儘で何回か閉じたり再開したりしたけれど、
皆私の我儘に付き合ってくれた。
本当に有り難いと思う。
HPも限界に来ていたのだと思う。
やれることはやったからもう二度と立ち上げる気持ちはない。
こうして書いているつぶやきだけを残そうと思う。
私が一番楽で居られることを続けたいと思う。
心だけではなく
体が楽であるためには
入院も良いのかもしれない。
今日病院へ行って先生の言葉に従うしかないのかもしれないと思う。
人の命とか生きる力って本当に不思議だ。
今日は父の病院の診察日だ。
この頃の父の様子を見ていると
本当に病気?と疑いたくなる。
つい二ヶ月前までは
家の中をパジャマで歩いていた。
笑顔もなかった。
食べることも厭々みたいだった。
それが最近の父は嘘のように元気になっている。
大好きな芝居見物に出かけることが出来るようになった。
前は毎日のように行っていたけれど
もう駄目かな?
二度と芝居見物は出来ないかな?と思っていた。
それがまた温泉や劇場に足を運んでいる。
本当に楽しそうだ。
往復歩くことや自転車に乗ることもあるので
私も内心は心配しているのだけれど
こうして父が好きな芝居を見に行くことができることが
本当に嬉しい。
人の中に持っている生きる力を痛感している。
自分が元気だと思う心がこうして本当に元気にさせるのだと思う。
「病は気から」って本当だ。
私もこの一週間は体調が悪い。
色々なことを思う。
暑さもあって本当はバテそうな日々を送っている。
でも、負けないようにしたい。
父を見習おう。
今日も心元気で体も元気で良い日になりますように!
天才ってやはり居るのだな・・
努力だけでは追いつかない才能を持っている人って
本当に凄いと思う。
でも、才能よりも努力が大事なことのように思う。
私の尊敬する天風先生の言葉の中に
「心の態度が、積極的になると、心の力が、不可能を可能に逆転せしめる。」がある。
心を強く持って積極的な態度になると
その心の力が不可能を可能に変えるというものだ。
確かに初めから諦めていたら何も生まれない。
絶対にやり遂げようと思う固い意志があれば
それは期間は長くかかったとしても
出来るものだということを
私の友人から学んだ。
私も友人のように頑張ろうと思うのに
やはり駄目だと思う気持ちが先に立ってしまって
やる前から引いている私が居る。
才能は大事なものだけれど
それに対しての努力はもっと大事なものだと思う。
ああ〜ヴァイオリンも休んだままだし
かき上げようと思っていたエッセイも
小説も中途半端のままになっている。
気持ちがあっても行動に移さないと駄目だ。
頑張ろう。
遠い先にあるものを信じて
一歩ずつ進んで行こう。
そうすれば才能のない私にも
きっと道は開けると思うから。
私は今までなんと軽々しく命について語っていたのだろう。
命の尊さを感じないなんて・・
生死についてそんなに深く考えないなんて・・・
生まれたのだからいつかは死ぬ。
その死ぬ時期が早いか遅いかだけの問題であり、
死ぬことは個人の意志に任されても良いなんて思っていた。
でも、昨日の原爆の日に
ヒロシマで被爆した人たちの話や
悲惨な写真を見ていて
涙が止まらなかった。
平和を願ってのコンサート、
平和を訴える人たちの言葉、
詩を朗読する人の心、
若者同士が語り合っている姿、
これらを見ていて私は自分を恥じた。
やはり命というものはとても大切なものなのだと思った。
私がいくら病気だとは言え、
命について語ることは私の傲慢さから来ているのだと気付いた。
花の命、
虫の命、
魚の命、
動物の命、
そして人の命、
皆それぞれ尊いものなのだ。
花を見て美しいと感じる心、
動物を見て可愛いと思う心、
山や海に癒される心、
風と共に思う人への想い、
皆命を感じるではないか。
ああ〜今こうして生きていることに感謝しよう。
そしてこれからも生かされるであろうことを心から祈りたいと思う。
今、私はとても幸せだ。
淋しさも落ち込んだ気分も味わっていない。
きっと心の中で存在を確信することが出来たからだと思う。
永遠の別れは辛いと思っていた。
どんな形であれ
あなたと繋がっていることが出来たら
私がこれからどんなことがあっても
生きていけると思った。
あなたのやさしい言葉と
あなたの笑顔と
あなたが一生懸命に話してくれる
あの姿を思い出していると、
私の心がとても柔らかくなってくる。
あなたとのことは未来もないし
どうしようもないことだけれど
私にはとても大事なこと。
あなたが居るから私はどんなことにも耐えていける。
あなたの存在は私の生きる力。
あなたへの想いは一生変わらない。
あなたと出会えて
色々なことがあったけれど
今では全てが私にとって
大切な思い出になっている。
あなたに会えなくても良い、
あなたの顔も
あなたの声も
あなたの掌の感触も皆
私ははっきりと覚えている。
このままで良い・・・
このままの状態が一番心地良い。
有難う。
「がくん」という感覚と共に
左足足首が反対方向を向いた。
まさか、こんなところに階段があったなんて!
不注意だった。
サイフにレシートをしまおうとして
店のドアの外に少し行ったところに
小さな段が二段あったのに気付かなかった。
あつ!と思った時は遅かった。
鈍い痛みが走った。
アッやってしまった・・・
まさか骨折?
無意識に左足首を動かしてみた。
痛みはあるものの動いた。
ああ〜良かった、折れてなかった。
今から数年前
左の手首を骨折したときは
本当に死ぬかと思った。
意識が次第に遠のいていき、
目が見えなくなり
耳だけが聞こえる状態になった。
元々心臓が悪い私はちょっとしたことで驚く。
そして心臓が早鐘を打つ。
だから骨折した時は
きっと心臓がパニック状態に陥り、
意識が遠のいていったのだと思う。
もし、私が交通事故に遭ったなら
きっと死因は外傷性ショック死だと思っている。
昨日は左足首捻挫で済んで本当に良かった。
神様有難うと心の中で言った。
数日前、換気扇の掃除をしていて
突然羽が外れて私の左横50センチのところに飛んできた。
もしこれが直接私の顔や頭に当たっていたら?
どうなっていたかを想像すると本当にぞっとした。
あの時も神様有難うと言った。
この数日間の体調不良で心も少し落ち込み気味だった。
昨日の捻挫は本当に弱り目に祟り目という言葉がぴったりだ。
昨日は厄日だったのだろう。
暑さも加わって私の注意力も散漫になっているのかもしれない。
昨日の捻挫は神様の教訓だったのかもしれない。
あれぐらいで済んで良かったと思おう。
昨日は明と暗という二つの気持ちを同時に味わう一日になった。
父は三人兄弟だ。
父が長男でその下に叔母と叔父が居る。
一番下の叔父は去年の夏に亡くなった。
残る叔母は78歳になる。
私にとっては唯一の叔母である。
小さい頃から干支が同じで気心も似ている叔母とはとても気が合った。
大好きな叔母だ。
その叔母が最近体調を崩して弱ってきた。
父も去年の秋から入退院の繰り返しで
具合が良くない。
正直言って二人共いつどうなるか分からない状態だ。
そんな叔母が父に会いたいと言った。
松山に住む叔母を迎えに行き、
昨日は夜遅く送っていくまで実家に居た。
父と叔母は久しぶりの再会を共に喜んで
話も弾みとても楽しそうだった。
私も嬉しかった。
兄弟って良いものだなあ・・
素直にそう思った。
私には二歳上の姉が一人居るが
幼い頃からあまり仲の良い姉妹ではなかった。
二人が色んなことで交流を持てるようになったのは
本当につい最近のことだ。
姉とは顔も似てないし性格も全く違う。
昔から二人が一緒に居ても決して姉妹とは思われなかった。
最近の若貴兄弟の諍いを見ていて
姉と私の間のことを思い出したりしていた。
父も母もきっと悲しいだろうな・・
たった二人だけの姉妹なのだから
もっと仲良くしなきゃと思うのだが、
やはり考え方の相違で意見も違い
どうしても二人の心がすれ違う。
昨日も実家に来た姉とちょっとしたことで気持ちの相違が起きた。
正直言ってもう良いと思った。
姉妹の縁を切っても良いと思った。
二度と付き合う気持ちはない。
こちらから折れることはしたくない。
そんな気持ちを味わうなんて思ってもみなかったから
今朝になっても良い気持ちはしない。
昨日は父と叔母との再会ができて
本当に良い気持ちになれたのに
直ぐに姉とのことが起きて
一日に同時に明と暗の気持ちを味わうことになった。
このまましばらく冷却期間を置くことにしよう。
今朝はそう思っている。
スカーレット
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