スカーレットの心のつぶやき
つぶやき 目次過去未来


2005年07月31日(日) 傷ついた小鳥

羽を痛めて飛べなくなった小鳥が一羽、

誰かに助けてもらいたいと思いながら

それでももう一度

自分自身の力で飛び立とうとしている。

仲間に傷つけられたのか、

それとも他のものにやられたのか、

どちらにせよ

小鳥は瀕死の重傷を負っている。

そんなに傷ついてまで

尚も飛び立とうとする元気はないはずだ。

もう命の灯が消えようとしている。

どこからそんな勇気が出てくるのだろう。

仲間の元へ帰りたいのだろうか。

それとも優しい母の元へ帰りたいと願っているのだろうか。

もしかしたら愛する人の元へ帰りたいと願っているのかもしれない。

帰ることができない体でも

一生懸命に帰ろう、生きようと頑張っている。

健気さを感じる。

痛々しい姿に自分の姿を重ね合わせてみた。

私が傷ついてボロボロになった時、

私は母の元へ帰ろうと思った。

愛する人の所へ行こうとは思わなかった。

求めても心は戻らないことが分かっていたから。

母だけは私を受け入れ

全てをやさしく包み込んでくれると思ったから。

この小鳥を母鳥の元へ返してやりたい。

でも、母鳥が何所に居るのか分からない。

彷徨う心と、

悲しみと淋しさでいっぱいになって

もう羽を動かす力も無くなった。

本当にかわいそうだ。

せめて心だけでも母鳥の元へ帰してやろう。

そしてこれでもう二度と傷つくことはないのだと

そっと教えてやりたいと思う。


2005年07月30日(土) 紅をさす

たった一本の口紅が人を生かす。

朝化粧をする時に最後に口紅をつけると

顔が活き活きしてくる。

昨日は歯医者だったので

朝から口紅をつけずに居た。

いつもと同じような化粧をしているはずなのに

どこか違う・・

何か変・・

私の顔が死んでいる。

気分が落ち込んで居る時と同じように暗い。

ああ〜口紅ってこんなに影響があるんだ。

たった一本赤く塗るだけで

私の顔が生き返る。

私が若い頃と違って

今は色んな色の口紅がある。

赤いものやピンク系、

茶色系、オレンジ系、

色々な色があるけれど

やはりちょっとくすんだ赤系の口紅が好きだ。

着る服装に合わせて口紅の色を変える。

まるで人を食べたような

真っ赤な血を連想させるような口紅は好きではない。

桜のように綺麗過ぎるピンクの口紅は

さすが私のような年齢になるとちょっと気が引ける。

やはり一番無難なくすんだ赤が良い。

秋になるとちょっと茶色系も良いな。

物思いにふけるときに

真っ赤な口紅も何か変だ。

やはり顔の表情は口紅で変わる。

だから気分的に越落ち込んで居る時は

わざと華やかな色を塗るのがいいかもしれない。

赤く塗ったら

きっと心も元気になるだろう。

綺麗に化粧をすれば

外へ出たくもなってくる。

いつまでもぐずぐずと悩んでいても仕方ない。

心を元気にして毎日を過ごそうと思っているから

口紅を塗って顔に生気を呼び戻したい。

誰かを好きになって

朝からルンルン気分の時は

化粧するのも楽しいし

最後に紅をさすと自分でもステキな顔になる。

これで笑顔を作ってみると

私の顔もまんざらでもないなんて

変に自己満足したりしてる。

やはりちょっと変かな・・

今の私は心が元気だ。

もうすぐ良いことがあるから。

生きているのもまんざら悪くはないと思う。

人生山あり谷ありだ。

雨の日もあれば晴れの日もある。

その日によって私自身の心も変わる。

これからは当分ばら色気分で居られるかな・・・

待つという楽しみもある。

さあ、今日は何色の口紅をさそうかな・・・

昨日のような死んだような顔は嫌だ。

明るい元気な顔で居たい。


2005年07月29日(金) 信念

何か一つの信念を持って取り組むということをしたことがない。

小さい頃からそうだった。

何かをするときは一生懸命にするのだけれど、

それは信念に基づいてしていたのではないように思う。

私が何かするときは

必ず義務感を伴っていた。

義務感でやるのと

確固たる信念を持ってやるのとでは

自ずから結果は違って来る。

田辺昇一さんは次のように言っている。

「信念とは、潜在意識と顕在意識の両方に明確に焼きついた映像である。
 
 無意識に働きかける、暗示と、意志と、

 理性の力を総動員したものでなければならない、

 信念は必ず人を動かす。」と。

やはり信念というものはあやふやなものではなく、

意識の中で明確にされたものであり、

簡単に諦めることができるようなものではないということだ。

私は本当に情けない。

あれほどやろうと思って始めた

ヴァイオリンも父の入院をきっかけに休んでしまった。

一度休むとなかなか再開する気が出ない。

頭では分かっていても、

心の中でしっかりとした意思が出てこないのだ。

折角買ったヴァイオリンが泣いてると思う。

ヴァイオリンだけではなく、

他のことでも本当に意志が弱い。

やる気はあっても

考えて無理だと思ったら挑戦するという気持が

なかなか出てこないのだ。

いつも楽な方に逃げている。

自分が傷つきたくないからかもしれない。

落ち込むのがいやだからかもしれない。

自分の無力さを痛感するのが嫌だからかもしれない。

どちらにせよ、私の中には信念というような

固く決めたものが存在しないのだ。

こんなことでは娘に偉そうなことは言えないな・・

他人には勿論のことだ。

自分自身が信念を持って生きてないのだから、

人様や娘にも何もいうことは出来ない。

何か一つでいい、

信念を持って取り組むことがあれば良いなと思う。

私の知人に

五年後にはショパンのバラードを必ず弾けるようになるのだという

固い信念を持って日々の忙しさの中でも

練習する時間を作って弾いている人が居る。

彼の信念の数分の一でも良いから

私も持って何かに挑戦してみたいと思う。

でも、やはり私のように意志の弱い人間には無理なのだろうな。

ああ〜情けない・・                      


2005年07月28日(木) やれば出来た!

昨日の朝、7時頃にHPの更新をし、

掲示板の返事と訪問、

メールの返事をしてPCを閉じた。

母の用事を済ませ、

一昨日からしている絵手紙の印刷に取り掛かったら

出来なくなっていた。

まあ良いか・・と思っていたら、

やがてインターネットへの接続が出来なくなり、

メールの送受信が出来なくなった。

お昼にも挑戦したけれど無理だった。

午後は姉に誘われた核酸のセミナーに行ったので

PCのことは忘れていた。

帰宅して夕食の前に開けてみたけれど、

やはり接続不可能状態。

夜になっても同じ状態が続いた。

今までもルーターの関係で

繋がらないこともあったので

今回もそうかと思っていた。

でも、夫のPCも娘のPCも繋がっている。

私のPCだけが繋がらないのだ。

確かに変だと思った。

ウイルスにやられたのだろうか・・・

それともPCが故障したのだろうか・・・

数時間考えて色々とやってみたが

同じ状態が続いた。

半ば諦めてリカバリーしようと思った。

そのためにメールアドレスや今まで撮った写真、

大事なメールや自分のHP関係のことを

皆CDに落とした。

そして試しに復元システムをやってみた。

昨日変になったのだから

一昨日のPC状態に復元してみたら?と思ったのだ。

神に祈るような気持ちでやってみた。

復元が完了して再起動させ、

立ち上げたPCへ願いを込めて・・・

日付が変わっていた。

何時間PCと格闘したのだろう?

でも、出来た!

メールの送受信も

インターネットも開いたのだ。

ヤッター!という気持ちだ。

いつもの私なら直ぐに夫に頼むのだが、

今回は慌てず落ち着いて自分の力で出来た。

やれば出来るのだと思う。

色んなことが分かっている人から見たら

きっと可笑しいだろう。

でも、私のようにPCに精通していないものにとっては

この数時間頑張ったことを褒めてやりたい気がする。

何でも諦めず、

投げず、

頑張ってみることって

とても大事なことなのだと思う。

さあ、今から寝よう。

0:54だ。


2005年07月27日(水) 懐かしくまた強烈な思い出

一生忘れることの出来ない思い出、

それも心に残るステキな思い出、

懐かしくまたとても強く心に残っている思い出、

大人になってからではなく、

子どもの頃のそういった思い出がある人が羨ましい。

私には子どもの頃の懐かしく強烈な思い出がない。

あったのかもしれないけれど、

今では記憶の彼方に行ってしまって、

思い出そうと思っても

思い出せないのかもしれない。

何か一つの花を見て、

その花にまつわる思い出を持っている人は

どんなに年を取ろうとも

決して忘れることの出来ない花になると思う。

本当に私にはそういったものがないのだ。

何故だろう・・・

悔しい気もする。

父や母と行ったところの思い出でも良い。

小さい頃に遊んだ友達のことでも良い。

花でも、絵でも、音楽でも、

何でも良いのだ。

自分にとって忘れることのできないものがあったら

今の私の心も少しは癒されるかもしれない。

小さい頃の記憶や思い出は

頭の構造によって忘れてしまうことになっているのだろうか。

それとも、

嫌で思い出したくないことだから

忘れることになっているのだろうか。

もし、そうだとしたら

私には楽しかったことや

嬉しかったこと、懐かしいと思うことが

何もないということになる。

そんなことはないはずだ。

夏になれば家の裏の川で

魚を取り、いかだを流して遊んだはずだ。

ちゃんと写真に残っているのだから

それは確かなことだ。

でも、私には強烈な記憶として残っていない。

そういえばそんなこともあったかな?というくらいのものだ。

私だけなのだろうか?

皆何か一つは大事な思い出のものがあるのだろうか?

私は病弱で外で走ったり

泳いだり、山登りをしたりした思い出はない。

そうかと言って寝ていたのでもない。

それなりに遊びもしたはずだ。

母の思い出話を聞いていると

小さい頃に食べたものや

遊んだことを楽しそうに話してくれる。

私がいつかおばあさんになった時、

孫に話してやれる思い出話ってあるのかな・・

ないのならそれはとても不幸なことだ。

この数年間の思い出はいっぱいある。

楽しかったことも

また辛く悲しかったことも、

絶対に忘れることのできないショパンの曲もある。

でも、小さい頃の記憶が欲しい。

孫に話してやれる記憶が欲しい。

最近何故かそんなことばかり思っている。

何故だろう?


2005年07月26日(火) 怒り

怒りを忘れていた。

故意に忘れていた。

怒りは心を縛る。

何にも捉われたくないと思っている私は

自由に羽を広げて心の中で飛ぶためには

怒りさえ持たなければ良いと思っていた。

時に爆発しそうになる怒りを

何とかして鎮めていた。

でも、限界がある。

段々と腹が立ってきた。

考えれば考えるほど理不尽に思える。

私が一方的に悪いと決め付けられるのが心外だ。

言えるものなら直接顔を見て怒りをぶつけたいと思う。

いい加減にして欲しいと思う。

人を振り回さないでもらいたいと思う。

怒りの感情を持つことは

相手に対して位置的に低い位置に立つことになる。

相手の奴隷になっているのだということも

重々分かっている。

腹なんて立てたくはない。

いつも穏やかな気持ちで居られたら

どんなに良いだろうと思う。

瀬戸内海の海のように

まるで鏡のような静かな海を見ていると

太平洋の荒波のような

私の心が癒される。

海を見に行こうか・・・

一人でじっとして

静かな海を見ていたら

今の私の心もきっと治まると思う。

腹が立つときは怒れば良いと言う人も居るだろう。

でも、私の尊敬する

中村天風先生の言葉

「怒らず、怖れず、悲しまず」に反することだ。

簡単でもなかなかできない。

怒りの矛先は誰に向ければ良いのだろう。

言っても仕方ないことかな・・・

愚痴っても結論の出ないことだから。

今は私の心の中でだけ

怒りを爆発させることにしよう。


2005年07月25日(月) 憎めない

私は人を憎んだことがない。

今までにもいっぱい色んなことがあり、

心も体もボロボロになったことがあるのに

それでも相手を憎むことが出来ない。

何故だろう・・・

人を憎むだけのことにまだ出会っていないのだろうか?

それとも私の心の中には

人への憎悪が欠落しているのだろうか?

もしそうならそれは嬉しいことだ。

人への憎しみは持ちたくない。

たとえ、どんなに私が傷つき

ボロボロになったとしても

人を憎みたくないと思う。

そんなことは甘いよといわれるかもしれない。

確かに、自分の子どもや親、兄弟配偶者を殺されたとしたら

犯人への憎悪で心はいっぱいになり

そのいっぱいになった心が爆発してしまうかもしれない。

私のように喜怒哀楽が激しい人が

そういう心の状態になったとしたら

自分の心にブレーキをかけることが出来ないような気がする。

ということは、

私はとても恵まれているということだ。

人を憎んだことのない私は幸せなのだと思う。

それは私が生まれてから今日までずっと

母親の愛情をたっぷりと受けてきたからだろう。

母親の愛情が足らなくて

いつも何か心の中に満たされない思いや

母の愛への渇望があったとしたら

誰かに裏切られたり、

誰かに嫌われたりした時は

自分自身ではなく

相手が悪いのだと決め付けて

相手への憎悪を大きくしてしまうと思う。

こんなことを考えていると、

やはり私はとても幸せな育ち方をしたのだと思える。

そんな私が心の病気になったのは

母のせいでもない、

やはり私自身の心の弱さが原因しているのだと思う。

あのずっと昔に味わった、

とても辛く悲しい出来事も

今は遠い所へ行っているように思う。

もし、あの時人を憎む気持ちがあったなら

今の私はないと思う。

私の心は複雑で自分でも分からないことが多いけれど、

人を憎むことが出来ない心だけは

本当に幸せなことだと思う。

母に有難うと心から言いたい。


2005年07月24日(日) ものは考えよう

朝、必ず4時に目覚める。

習慣って怖い。

今日は夫と娘が日曜で休みだから

本当はもっと寝ていられるのに、

やはり同じ時間に起きてしまった。

眠たい・・

寝れば良いのにと思うのに寝れない。

しんどい・・

しんどければ休めば良いのにと思うのに休めない。

損な性分だと思う。

バカじゃないかと思う。

私一人が頑張ってもそれで世界がどう変わるかなんてことはないのにな。

私の力なんて微々たるものなのにな。

何でこんなに一生懸命に頑張ろうとするのだろう。

ちょっと手を抜くことを覚えたら

どんなに楽に生きることが出来るか!

想像しただけでも分かるのに、

人にNOと言えない私は

いつもいつも頑張ってしまう。

頑張ればそれで済むという問題ではないのも分かる。

いつもこういう風にして

自分の首を絞めているのに、

やはりやめられない私が居る。

今日も明日も明後日も、明々後日も・・・

すっと用事が詰まっていて

毎日外出することになりそう。

家の中でぼ〜っと出来ない性分なのだから

文句を言える筋合いでもないな。

人に頼まれたら何所へでも行く私。

夫にも娘にも両親や姉にとっても

とても便利な存在なのだと思う。

まあ人にそう思われるのも悪くはない。

私が元気で人のために動くことが出来るのだから。

文句をいうのはやめよう。

するのなら気持ちよくしてあげよう。

NOと言えないのが分かっているのだから

絶対に嫌な顔をしないようにしよう。

やればやれるのだから。

それにしても暑い。

あ!

でも、今外でコオロギが鳴いている声が聞こえる。

季節は移っているのだ。

この暑さもやがて治まり、

また秋もやってくる。

そう思えば何となく気持も楽になってきた。

物は考えようだ。

良いように考えよう。

そして私の気持を苦しめることをやめて

もっと気楽に行動をしようと思う。


2005年07月23日(土) 投稿「パン屋の誠さん」

昨日の新聞のてかがみに投稿が載った。

「パン屋の誠さん」の投稿だ。

これは是非載せて欲しいと願っていたので

昨日の朝姉から「載ってるよ」という電話をもらった時は

本当に嬉しかった。

夜、息子さんからお礼のメールが届き、

続いて誠さん本人から電話を頂いた。

とても喜んでくれていた。

私の方こそ嬉しかった。

たったこれだけのことで人を感動させることが出来るなんて、

書いた甲斐があったとつくづく思う。

息子さんからメールを頂いた時に

まことやさんが今度売り出すサブレを試食していたところだった。

昔の味だった。

ニッケの香りがほのかにする素朴な味だった。

素直に美味しい!と思った。

これはきっとヒットするに違いない。

そう思いながら

もう一度今朝の投稿を読み直した。

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「パン屋の誠さん」

海の見える小さな町でパン屋を営んでいる誠さんから、

詩集「お世話になった皆さまへありがとうの心をつたえたい」

第九集が届いた。

誠さんは五年前に工場の機械の事故で頚椎(けいつい)を痛めた。

初めの三ヶ月は痛みと絶望と半身不随になるかもしれないという不安で、

死ばかり考えていたという。

でも今では車いすに乗って、頼まれればどこへでも講演に出掛けている。

気分のよい日には店先に座って不自由な手で筆を持ち、

まるで仏様のような笑顔で詩を書いている。

眠れないほどの痛みとの戦いは続いているというが、

そんなことを感じさせない幸せそうな顔をしている。

自分が生かされていることへの感謝と、

また自分を支えてくれている人への謝意を忘れない誠さんの心が、

頂いた詩集の言葉の一つ一つから感じられる。

事故に遭わなければ今の誠さんは居ないと思う。

「生きているからこそ悲しみも苦しみもあり、

生きているからこそ別れのつらさがある。

生きているからこそ病や死に出合う。

でもそれらから逃げずに前を向いて生きたい」と言う

誠さんに会うと元気が出る。

またおいしいパンと誠さんの笑顔に会いに行こう。


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息子さんからのメールの中の言葉が嬉しかった。

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てかがみ、ありがとう。深く、深く感謝です。

朝の僅かの時間に、新聞を読んでいます。

パンをこねながら新聞を読んでいたら、

○○○○さんの名前が、目に飛び込んできました。

てかがみは、題目より、筆者を確認する習慣がついているので、

○○○○さんの名前を見るなり、嬉しくなって、

題目を見れば、今度はびっくり!

父親の記事を家族で囲み、読みました。

ほうきを片手の母が、涙をこぼしながら、何度も静昌してました。

父親は新聞を読みながら、記事を額に何度もあてて、

ありがとうを繰り返していました。

お客さまも読んでいた方が多く、

報告と感動の言葉を、たくさん頂きました。

父親も、○○○○さんとのありがたいご縁の話を

お客さんに誇らしく、祈るように、話していました。

書きたいことも、たくさんありますが、先ずはお礼まで。

ありがとうございました。

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昨日は朝の胃の痛みが夜まで続いたけれど

本当に意味のある良い一日だった。



2005年07月22日(金) 胃の痛みその3

ああ〜しまった・・・

食べるのではなかった。

食べたくない時は食べない方が良いのだ。

でも、食べてしまった。

どうしても飲まねばならぬ薬があるから

空っぽの胃に入れるのは悪いと思って

欲しくもないのに今朝も食べた。

焼きプリンの小さいのに無糖ヨーグルトをかけて食べた。

案の定胃がまた痛み出した。

吐き気もしてきた。

ムカムカしてきた。

昨夜も夕食を済ませた途端に

物凄い胃の痛みが来た。

下腹も痛かった。

我慢しきれずにとうとう吐いてしまった。

そうしたら胃は楽になったのだが、

急に脱力感や倦怠感に襲われた。

きっと脱水状態になったのだと思う。

それでもお風呂だけは入ろうと頑張ってみた。

シャワーだけにしたけれど

体や髪を洗っている途中で倒れそうになった。

こんな場所で倒れたら格好悪い。

気力で何とか洗い終えて外に出たら

とうとうへたり込んでしまった。

アイスクリームを食べてみた。

冷たいのが気持ちよくて

美味しいと感じた。

それで治ったと思っていたのに

今朝はまた昨夜と同じようなことになった。

でも、今は吐いては無い。

頑張ってこらえている。

胃の検査は来月の19日の予約を取っている。

それまでは我慢しよう。

それにしても不調だ。

決して精神的なものではない。

夫の関係がうまくいったとしても

これは治るとは限らない。

もしかして・・・?とも思うが、

人なんていつどうなることが分からない。

生きるのも死ぬのもこれはどうしようもない

人間が考えてどうなることでもないと思う。

だから、今生きていることだけ見つめたい。

後悔のないようにしたい。

私が今一番したいことをしよう。

胃の痛みも忘れることが出来るだろう。

一生なんて終わらないとそれがどうだったかは分からない。

それにしても痛いな・・


2005年07月21日(木) 気分のムラ

私ってやはり変なのかもしれない。

毎朝同じように起きて直ぐに

鏡を見てにっこりと笑っているのに

心が笑ってない時がある。

無理に笑顔を作って

自分を元気付けようとしている。

無理をしては駄目だ。

絶対に駄目だ。

いつものようにその反動が来るのだから。

しんどい時は何もしなくて良いのに、

昨日も何かしなくてはいけないという

強迫観念にかられて

家中の掃除をして汗をいっぱいかいた。

疲れた。

何もする気がしなくなった。

何でこういう風に心の中が荒れるのだろう。

気分のムラがあるのだろう。

皆そうなのかな・・・

母を見ていると、

いつも穏やかだ。

夫もいつも冷静だ。

親友もいつも同じ大らかさを持っている。

私だけが右往左往して

自分が自分を振り回しているような気がする。

何もしたくない時は

何もしなくて良いのに・・・

何かしたくなったときにすれば良いのに・・・

ああ〜本当にバカだ。

この気分のムラは父にそっくりだと言われる。

父のそういうところが大嫌いだったのに

私は同じようなことをしている。

今朝も4時に起きて6時にはほとんどの家事を終えた。

今日は何をしようか・・

たまには目的なして

街をぶらつくのもいいかもしれない。

でも、これってやはり逃げているように思う。

何から逃げているのか・・

何を求めているのか・・

私は自分自身で一番よく分かっている。

愛が欲しい、

私だけに向けてくれる愛が欲しい。

愛情欠乏症の症状がまだ出始めた。

ああ〜嫌だ。


2005年07月20日(水) 自分でも分からない・・・

今朝は起きてからずっとイライラしている。

何故か自分でも分からない。

また私の例の悪い病気が出てきたのだろうか。

自分の思うままにならないと腹が立つという

とても子どもじみて情けない心が

何かの時に私に現れるのが怖い。

本当の意味で大人になりきっていない私を感じる。

やはり一昨日の夫との喧嘩が後を引いているためだろうか。

夫はいつも冷静で私のことを見守っているタイプの人だ。

付き合っている時、

今思えばあれがプロポーズの言葉だったのかなと思う言葉を言ってくれた。

「○○さんの心の病気を僕が治してあげる」

嬉しかった。

この人についていけば間違いないと思った。

5歳年下だという感じもしなかった。

ありがたいと思った。

そう思っていた私と

今の私の心は同じだと思っていた。

やはり夫に甘え、

夫は決して裏切らないという確信を持っていた。

だから、夫が話しの途中から逃げるように居なくなると、

私は置いてきぼりをくったような

私自身の人格を否定されたような、

私から心が離れて行っているような、

そんな気持ちになった。

勝手な言い草だと思う。

私自身を振り返ってみたら

どうだろう。

私の心は今も夫にあるのだろうか。

夫が私の側に居て当たり前、

私の元から去りはしないという

思い上がりが存在するのではないだろうか。

でも、夫も人の子だ。

神様ではない。

限界というものもある。

そろそろ私のことで限界を感じているのかもしれない。

それならそれで良いと思う。

なるようにしかならないと思う。

私が歩み寄ってそれでも離れるのなら

私が追っても仕方ないのだと思う。

私の疑心暗鬼かもしれない。

夫は案外けろっとしてるのかもしれない。

私一人が心の中で悶々としてるのかもしれない。

それにしてもイライラするこの気持ちを

そうすれば抑えることが出来るのだろうか?

今日からかまぼこ板の絵展が始まる。

初日には行ったことはない。

でも、気分転換に車を走らせて行ってみようか・・

でも、今の心で行ったら交通事故を起こしそう・・

やはり家に居て

好きなショパンを聴きながら

少し心を落ち着かせて

冷静になってみるのが良いのかもしれない。

それにしても、

自分の心ってどうしてこんなに不可解なのだろう。


2005年07月19日(火) 逃げないで

私の話から逃げないで欲しい。

喧嘩が続いても最後まで話をして欲しい。

私がこういう風に思うのは間違っているのだろうか?

途中で話を切り上げられると

私そのものを否定された気がする。

私の言うことが間違っていたとしても

それは人の意見や気持ちだから仕方ないし、

あなたの言葉が間違っていたとしても

それも仕方ないと思う。

戦争ではない。

これは話をして理解しあうことだ。

なのに、あなたはいつも逃げる。

何故?

卑怯だと思う。

そう、話の途中で逃げるのは卑怯だ。

男らしくない。

自分の気持を言いたいことだけいってそのまま逃げるのはやめて欲しい。

気持ちのすれ違いはどんな場合でもある。

あなたにはあなたの、

私には私のこころがある。

考えもある。

だから、それを理解することが一番大事なことだと思う。

逃げないで欲しい。

でも、あなたは私の元から逃げ去った。

いつものことだけれど

やはり悲しいし嫌なことだ。

またしばらくは冷戦状態が続くかな・・

まあ良いか・・

これも時の流れだ。

相手にするのはやめよう。

接触を持つのはやめよう。

しばらくこのままにしておこう。

いつかまた自然に話しをするときも来るだろう。

それまでは私の世界の中で時を過ごそうと思う。

それにしても逃げないで!と声を大にして言いたい。


2005年07月18日(月) 理屈じゃない

心は自分ではどうしようもないものだ。

理屈じゃない。

心は自由だ。

何を思ってもそれを遠慮することはない。

心には羽がある。

空高く自由に飛べる羽がついている。

心の色がどうであれ、

真っ白な心のキャンバスに

絵筆をとって描くことが出来るのは

自分自身だけだ。

誰にも私の心を自由にすることは出来ない。

たとえ、神様でも無理な話だ。

毎晩寝る前に一日あったことを思う。

反省することもあるし、

心がちょっとだけ痛むこともある。

あんなことを言わなければ良かった・・・

あんなことをしなければ良かった・・・

そんなことを思うこともあるけれど、

反対に、

あの人のことを思って、

会いたいな・・と思うことがある。

会えないと分かっていても、

これはいけないことだと分かっていても、

でも、心をどうすることも出来ない私。

心は自由だから、

思うことも自由だから、

駄目だと思っても思うのは良いのだと

自分に良いように思っている。

理屈じゃない。

それはいけないことだとか、

理に反していることだとか、

そういうことを言う人は、

きっと人を想ったことがない人なのだと思う。

真っ白な心のキャンバスに

淡いピンク色でぼかしを入れて、

その中に

真っ赤なハート型の絵を描いてみる。

心は青春、

そう、私は元気、

私は幸せ。

だって、理屈じゃないんだから。


2005年07月17日(日) 悔いのないように

人生は短い。

まだ子どもの頃なら間にあうと思うけれど、

人生の折り返し地点をとっくに過ぎた今の私は

後の残された人生を悔いのないものにしたいと心から思う。

失敗を怖れていては何も出来ない。

小さな失敗を重ねてこその人生だ。

私にはこの小さな失敗の経験があまりなかった。

小さい頃から自分の願うことは通った。

我儘だったからだろう。

私が病弱だったから

親も私の思うようにさせたのだと思う。

そして、私自身も勉強も頑張れば

その分だけ成果も出たし、

私が思いを寄せたら恋も成就していた。

それがあの19歳の時に挫折したのが

私の人生が壊れていくきっかけになった。

決して後悔はしないつもりだった。

あの時の私の選択は間違っていなかったと信じたい。

でも、結果的には心の病気の原因になり、

今も苦しんでいる「境界性パーソナリティ障害」を発症する

原因にもなった。

あれから30年が過ぎた。

今はもう思い出しても辛くはない。

寧ろ冷静にあの頃の自分自身を判断できるようになった。

私は思う。

結果的には悪くなったけれど、

私は悔いの無い選択を出来たのだと。

だから、これからも私の思う通りに生きようと思う。

他人に迷惑をかけない限り、

法律にふれない限り、

私は自分の心に素直に生きようと思う。

それが他人から見て変だと思われても良い、

私が良いと思うことをしようと思う。

自分勝手なことをするかもしれない。

他人には理解できないことをするかもしれない。

でも、迷って居る時は

止まらないで行動に移そうと思う。

実行してみようと思う。

周りに気を遣うのはもうやめよう。

悔いのない人生を送るためにも、

心の思うままに生きようと思う。


2005年07月16日(土) NOとは言ってみたものの・・・

私は人にNOと言えない性格だ。

家族や友人に何かを頼まれたら

物理的、能力的に無理なこと以外は

大抵のことは引き受けてしまう。

そんな私が、

今日初めて断ることをした。

それは何かと言うと、

数日前、娘の友人のお母さんに頼まれたことである。

彼女が最近しだした小物コーディネーターの仕事の中で

着物展示場への誘いを受けたのである。

私は着物は着ない。

数枚持っては居るが

自分で着付けも出来ないし、

後片付けや手入れも面倒だし、

一番は着ていて窮屈だから着ない。

そんな私だからいくらステキな着物が並んでいても

見て回ることはしない。

でも、そんな私が展示場に来て見てと頼まれた。

即行けないと言えばそれで済む話なのに

私はNOと言えなかった。

何も買わなくても良い、

ただ見に来てくれるだけで良いと言った。

彼女の顔を立てることになるなら

それも良いかなと思いOKしたのだ。

でも、後でよく考えてみると、

冷やかしで行くのは気が引ける。

私は友人の顔を立てるために何か買うだろう。

着物は欲しくない。

娘が成人式を迎える頃になったら

母親としてまた日本人として

娘に数枚買ってやるであろうけれど、

今は正直無用のものだ。

それがわかっているのだから

行くつもりはないという私の意志を

彼女に伝えようと思った。

そして彼女にNOという返事をしたのだ。

彼女とはそういった付き合いをするのではなく、

利害関係のない付き合いをしたい。

こんなことで気まずくなるのは嫌だ。

勇気を出して断った。

言葉は柔らかく角が立たぬよう気遣って断った。

彼女はそれでも来て欲しいと言った。

買わなくても良いし、

見るだけの人も居るからと言った。

私は今日は私の気持の通りの返事をしようと思ったので

最後まで「ごめん、行けないのよ」という言葉を通した。

でも、後味がとても悪い。

彼女に済まない気持ちでいっぱいだ。

断るのなら初めからちゃんと断ればよかった。

彼女に期待を持たせておいて

断るなんてとても卑怯だと思った。

やはり私自身の心を抑えて

相手からの頼まれごとを

ちゃんとしてあげた方が良いのではないか?と思った。

ああ〜やはり私はしんどかった。

気持ちがしんどいのだ。

OKと言って何も買わないでも良かったのではないだろうか?

複雑な心境だ。

本当はどうすれば一番良かったのだろう・・・


2005年07月15日(金)

人の顔って本当に不思議だ。

顔を見ればその人の心が分かる。

私は毎朝一番に部屋に置いている

結婚した時に持ってきた三面鏡を開ける。

そして起きて直ぐの素顔の自分と対面する。

何か嫌なことがあって夜眠れなかった時は

顔が死んでいる。

でも、何か楽しい夢を見たときや

誰かのことを想って寝たときの朝は

我ながら良い表情をしている気がする。

昨日、美容院へ行き髪を2センチ切った。

失恋したわけではない。

二ヶ月に一度のカットとカラーだった。

それでも気分が良くなった。

美容院の先生がこの髪型が私にはとても似合っていると言った。

考えたらもう十年以上同じ髪形をしている。

長さだけ短くして

最近増えてきた白髪染めを濃い茶色に染めて、

パーマはずっとかけたことがない。

人に似合うねと言われたらやはり嬉しい。

顔も明るくなる。

帰って携帯で一番新しい私を撮った。

画像として保存した。

笑ってみたり、

口を一文字に結んでみたり、

大きな口を開けてみたり、

人から見たらバカか!と思われるかもしれない

色々な表情をしてみた。

そして、表情を色々と変えて撮るうちに

私の心の中のもやもやも段々と消えて、

何だか楽しく嬉しい気持ちになった。

心の中に何か楽しいことがあると

表情も随分明るくなる。

この一ヶ月あまり続いた

私の落ち込みからようやく抜け出そうとしているような気がした。

一生続くであろうと思っていたことも、

時が経てば段々と忘れていくものなのだ。

もう過去を振り返るのはやめよう。

今を大事にしたい。

そしてこれからの私自身の心を大切にしたい。

誰かを想って泣くことはしたくない。

誰かを想って眠れないことがあっても、

それは嬉しくて楽しくて眠れない夜だから良い。

私の今朝の顔はとても爽やかな笑顔だ。


2005年07月14日(木) カラオケ

昨日本当に久しぶりにカラオケに行ってきた。

去年の叔父のお葬式の後、

集まった両親や従姉たちと行って以来のことだった。

一年ぶりだった。

私は基本的には一人でカラオケに行くのが好きだ。

誰にも気遣いすることなく

自分で何曲でも思いっきり歌うことが出来る。

でも、昨日は近くに住む

娘の同級生のお母さんと二人で行った。

彼女も上手い!

本当にステキな声をしている。

ちょっとふっくらされている人だから声量もあるのだろう。

午後1時からフリータイム制になるので

午後5時まで4時間歌った。

一人とは違って交替で歌うから

実質はいつもと同じ2時間歌ったことになる。

歌った曲もいつもの通りの古い懐かしい曲ばかりだった。

一緒に行った彼女は私より丁度一回り年下の人なので

私が懐かしい曲を知らないのもあった。

でも、気持ちがすっきりした。

やはり歌って良いなあ・・・

お腹の底から思いっきり声を出すのが良いのだろう。

この最近の嫌なことも皆忘れて歌うことに没頭出来た。

一年間行ってなかったので

声が出るかどうかちょっと不安もあったけれど

それなりに歌えた。

自分で上手いなあ・・と自己満足の曲もあった。

地声と裏声の切り替えがスムーズに行ったような気がする。

私が歌った曲の中で

彼女が褒めてくれたのは

しっとりと歌う歌と、

中島みゆきの「地上の星」

黛ジュンの「雲に乗りたい」

松山千春の「時のいたずら」

そうか・・

私は本当はテレサの歌が大好きなのだけれど、

こういうのも良いのかもしれないな・・

まあ、最近落ち込んでいた私の心が

ちょっとだけ上昇気分になったのは確かだ。

父が入院し看護に明け暮れた日々では

カラオケに行こうとも思わなかった。

そして、今回も私一人ではカラオケに行きたいなんて

思いもしなかった。

誘われたからこそ行けたのだと思う。

何でもそうかもしれない。

私一人がこうだと思い込むことが駄目なのかもしれない。

たまには人に言われたままに

動くのも良いのかもしれないと思う。

流されることも必要なのだと思う。

昨日の4時間¥1000は私にとっては

本当に安い代価だったと思う。


2005年07月13日(水) 長生きの秘訣

こころが晴れて笑顔が出た。

昨日出会ったちょっとした時間、

私のこころの中に涼しい風が吹いてきたようなそんな時間を過ごせた。

お年は90歳だと言う、

昨日行った日赤の循環器センターで出会った男性は、

身なりもきちんとしていてとてもステキな方だった。

何よりも自分のポリシーを持って生きていらっしゃる方だった。

見た目はお元気そうだったけれど、

受診しているのだから病気を持っているのだろう。

何所が悪いのですか?と尋ねたら

不整脈がひどくて

電気ショックをしてもらったこともあると言う。

決してそんな風には見えなかった。

何となく話しかけたのだがしばらく色々なことを話してくれた。

その人は一人で暮らしているらしい。

奥さんを数年前に亡くして、

息子さんが一緒に住もうと言ってくれるが、

お嫁さんに気遣いするのも嫌だから

一人で何でもできるうちは一人が良いと言っていた。

確かにそうだと思う。

夫婦二人で暮らすことが出来ればそれが一番だけれど、

一人になっても気楽なのが良い。

ご飯の支度も全てご自分ですると言う。

出来合いのお惣菜の味は嫌なので

毎食作っているそうだ。

( ¨)¨)¨)¨)¨)¨)¨) エー!!

本当に驚いた。

私のように専業主婦をしていても

忙しい時には出来合いのお惣菜を買ってくることがある。

お弁当にも冷凍物を入れる。

何だか恥ずかしくなった・・・

その上、毎日朝食べる食パンも焼いているというではないか!

レーズンを入れたレーズンパンを焼くのだそうだ。

ちょっと甘味もあって、焼きたては美味しいと言っていた。

その通りだと思う。

おかずも作り、パンも焼き、

洗濯も掃除も買い物も一人でしているとか。

瀬戸内海のごご島に住んでいるから

日赤までは船と電車を乗り継いで来ないといけない。

さぞ大変だろうと思ったが、

若い頃から勤めていたから何ともないと言った。

ああ〜何から何まで素晴らしい!

私は毎日こころがしんどいとか、

落ち込んだり悲しんだりばかりしていた。

本当に恥ずかしくなった。

こういうふうに年をとれたらどんなに良いだろう。

一人でも淋しくない、

一人でも自立してやっていける。

そういう生き方を見習わないといけないと思った。

その人が毎日食べているという

しいたけとコンブとバナナとリンゴと、

豆腐と豆類。

皆体に良いものだ。

だから90歳になっても元気でいられるのだろう。

本当に恥ずかしいな・・・

昨日出会ったあんな人のように生きることができたら

どんなに良いだろう。

自然と海と無農薬野菜と添加物なしの食べもの・・

そして体を適当に動かすこと、

ストレスを作らないこと、

いつも笑顔で居ること、

これこそが長生きの秘訣なのだと思う。

私には無理かもしれないな・・


2005年07月12日(火) 矛盾した心

正と負、

理性と感情、

道徳と不道徳、

倫理と不倫、

人生は背反するものばかりで出来ているような気がする。

私の心の中も

相反する心が揺れ動いている。

理性では分かっていることも、

ある時は感情に流され、

不道徳の道へ走りそうなときがある。

反社会性な行動をとることはないけれど、

何処か心の片隅では

自分を壊そうという破壊の力がうずうずしているのかもしれない。

皆、矛盾した心を持ちながらも、

普通に暮らせるのは何故だろう。

私だけがこうしていつも自問自答を繰り返しているのだろうか。

過去と現在、

現在と未来、

愛と憎しみ、

執着と忘却、

軽蔑と尊敬、

社会と反社会、

同情といじめ、

人間の心や行動は

全て矛盾したものから出来ているではないか。

私とわたし、

貴女とあなた、

君ときみ、

赤と黒、

混沌と整然、

ああ〜なんだか分からなくなりそう。

考えるのはもうやめよう。

なるようにしかならないのだから。

考えるのはやめて寝よう。

明日は必ずやって来るのだから。

明日の朝の私は白だろうか。

それとも黒だろうか。

その中間のグレーの私で目覚めたい。


2005年07月11日(月) 生と死

私には生きるということと

死ぬということの意味が分からない。

頭では分かっているつもりだけれど、

どうして生きなきゃいけないのか、

どうして死は悲しいものなのかが分からないのだ。

他人を殺そうとは思ったことはない。

それは自己嫌悪になり

一生その罪を背負って生きるのが嫌だからではない。

監獄の中で終わることが耐えられないからだ。

自由を奪われるのは嫌だ。

勿論それだけの理由ではない。

他人を殺すことは勿論悪いことだし、

罪になることも分かっている。

人間の命が地球よりも重いという言葉もある。

でも、自分の命を考える時、

そんなにも重いものなのか、

それが実感として来ないのだ。

自分を可愛いと思う気持ち、

自分を大事にしようと思う気持ち、

良い意味での自己愛が充分に育っている人は

自分の命は勿論、

他人の命も大切に出来る。

でも、私のように自分の命がそれほど大事だと思ってないものは

他人の命に対してもあまり深く考えられないのかもしれない。

ここにこんなことを書くと、

また私の人格を疑われるだろう。

皆まともな人ばかりなのだから。

私のように命について穿った考えを持っている人なんて居ないはず。

でも、生きていることには違いない、

死にたくても死ねない私のような者も居れば、

生きたくとも長くは生きられない者も居る。

そんなことを考えていたら、

生きるというの意味を理解できない私は恥ずかしい。

今日は父の日赤の泌尿器科外来の日だ。

明日は私の心臓の病院の日だ。

父も私も命のために通院している。

私だって通うじゃないか!

ということは、まだ生きようと思う気持ちがあるからだ。

なんだかんだといわずに

ただ流されてみるのも良いのかもしれない。

今日の父の病院の結果が良いものであるようにと願う私は

本当は命の尊さを分かっているのかもしれない。

そんなことを思う今朝の私。

父には長生きしてほしい。

これは本音だ。


2005年07月10日(日) 心がバラバラ・・ああ〜しんど

ああ〜今日は本当に疲れた。

今だにNOと言えない私。

今朝の大雨でまた前と同じ状態になり

浸水?と思うほど前の道路は川のようになった。

夫は市の対策本部に詰めるために朝から出て行った。

今日は本当は夫と娘と三人で外出の予定だった。

今の私にとってそうすることが一番の治療になると医者は言った。

気を紛らわすというのではないが、

私の苦しみから遠ざかる一番の近道になるというのだ。

何か違う気もするけれど、

まあ医者の言うことに従ってみようと思った。

でも、夫は駄目になり

結局私は娘と二人で高島屋のバーゲンに行った。

私は買い物はなかった。

スポンサーと荷物持ちだった。

それにしても人が多すぎる。

お中元とバーゲンシーズンだからだろう。

しんどかった。

人のものを探してぶらぶらするのは本当にしんどい。

自分のものなら文句もないが

人の買い物に付き合うのは本当に疲れる。

自分が楽なように生きようと思うけれど、

体も心もしんどい方を選んでいる私が居る。

これは死ななきゃ治らないのかもしれないな。

たとえ、娘に恨まれようと

お母さんはしんどいから、

「自分で探して、

自分の荷物は自分で持って!」

こう言えるようになりたい。

頭と心と体がバラバラ状態の私、

これが一つに統一できるのはいつのことだろう?


2005年07月09日(土) coming-out

coming-out(カミングアウト)っていうのは

元々は女性が社交界にデビューすることをいうそうな。

それが今は同性愛者であるということを

自分が世間に公表する意味に使われている。

また、社会的にはまだまだ受け入れられにくいことを

皆の前で公にするときにも使われる。

私が今日この場でカミングアウトしようとしていることは

私自身の心の病気のことである。

このつぶやきを見てくれている人は

もうお気づきのことだと思うが、

私はちょっと変だと思われているであろう。

今までも何回HPを閉じると言いながら

また再開して皆を振り回してきたように思う。

そんな私を知って去った人もいっぱい居る。

それは仕方ない。

この場で本音をぶつけているのだから。

この数日も私の心の揺れ動きを正直に書いて来た。

というより、私にはこのつぶやきこそが

私自身の心を吐き出す唯一の場所になっているからだ。

私はこのひと月の間、本当に苦しい心を持て余していた。

そして火曜日についに心療内科に行った。

私の今の状態、

生まれてから今までの私のことを話して、

医者に読めと言われた本を読んだ。

そして、私は私自身の病名を知った。

「境界性パーソナリティ障害」

これが私の病名だ。

感情をコントロールできない、

愛情を貪り続ける、

自分を壊そうとする、

一つのことに執着する気持ちの強さ。

全ては「見捨てられたくない心」が原因している。

私は変化が苦手だ。

人の心が変わることが耐えられない。

それも症状の一つだ。

私がここにこうして自分の病気のことを

カミングアウトすることによって

ネットとは言え、

関係のあった人たちが皆

私の元から去っていくかもしれない。

それでも良いと思う。

私がどんな状況でも

私を受け入れてくれる人たちも居るだろう。

そういう人たちのためにも

私は死ねないと思う。

ここで公にして私はちょっとだけ強くなった気がする。

この「境界性パーソナリティ障害」と付き合いながら

私自身が楽な気持で暮らすことが出来るのなら、

いつかは治ると信じたい。

そして、治ったらもっともっとステキな私が現れるのかもしれないと思う。

まだまだこれから長い道のりを苦しむだろう。

でも、私を支えてくれる家族、友人、そして私自身のためにも

生きていて良かったと思えるようにしたい。

coming-outした今日が私の再出発のスタートラインなのかもしれない。

とにかく、今は生きるしかないと思う。








2005年07月08日(金)

心に少しだけ光が射してきた。

私の歩く道を示す道しるべを見つけたような気がする。

これからの私は自分のことを認識して

それから逃げないで立ち向かっていこうと思う。

苦しいことや逃げたくなることもあるだろう。

今までよりも身動きが取れず苦しむ時もあるだろう。

でも、きっと私は治ると信じたい。

それには人にNOを言えるようになりたい。

何でもOKと引き受けて

一生懸命にして疲れてしまうって馬鹿みたいだ。

良い格好をするのはやめよう。

嫌なことはNOと言えば良いのだ。

自分の中で迷ったり、

悩んだり、

不安に思うことを引き受けたり、

安請け合いして約束しないようにしよう。

私の中の見えない部分に

こうして光が射し始めたというのに、

また暗闇の中に入る必要はない。

私にとって有害な人とは付き合わないで良いのだ。

私がいつも楽で居られるような

変わらない真心と

一貫した態度で接してくれる人たちと

これからもお付き合いをしたいと思う。

私のこの曖昧な状態を

分かってくれる人たちの存在が

私の生きる道を作ってくれるのかもしれない。

変化に振り回され、

その変化に戸惑い、苦しんできた私。

人の心は変化するのだという

誰にでも理解できることがらが分からない私。

これがきっと病気なのだと思う。

でも、病気の中に逃げ込まないようにしよう。

私に起きる全てのことを

病気のせいにするのはやめよう。

病気は結局私の心が作り出したものだ。

誰のせいでもない。

人のせいにせず、

人や物事は変化するのだということを

私の中で素直に認めることが出来た時、

それまで二分割しかしなかった私の心に

中庸というグレーの部分が生まれるかもしれない。

その時に私の中の壊れかけた部分が修正されるのだと思う。

光を信じて生きていこう。


2005年07月07日(木) 私の中の見えない部分

それはまるでジグゾーパズルの最後の1ピースを

なくして探し回った挙句、

部屋の片隅に落ちていたのに気付き、

急いではめ終えた時のような気分だった。

私の中の見えない部分が少しずつ見え始めてきた。

この数日間の欝状態は確かに異常だった。

以前からこういう落ち込みを何度も経験しながら

それでも、また立ち直ることが出来ていた。

友の助言、誠さんの言葉、

メル友に教えてもらった言葉などで

少しは支えることが出来ていたけれど、

私は決心して心療内科の門を叩いた。

私の心の中を全て話すことが出来た。

誰にも話すことの出来ないこと、

過去に捉われている私の心、

自分でもどこか変だと気づきかけていたこと、

そういうことを全て話した後、

医者は私に一冊の本を読むように勧めた。

そして、その本の中に今まで見つからなかった答えを見つけた。

読んでいくうちに涙が止まらなかった。

私の全てに当てはまることが書いてあった。

何かいつも不完全燃焼的だった心の中が

少しずつ整理されていっている。

夫にも娘にも読んでもらったら良いとの先生の言葉通り、

昨日夫と娘の前で私の今の状態を話し

本を読んでもらうように頼むことが出来た。

夫や娘が今の私のこの状態を理解してくれることが

私が治る道の第一歩となるような気がする。

決して夫や娘を当てにしているのではない。

でも、私のような心の病気を持つものにとって

自分自身の周りに居る人たちの

適切な対応が大きな影響力を持っている。

まず、私の中の見えない部分を知ること、

そして決して逃げないこと、

急がないこと、

楽な気持ちで生活すること。

今の私にとっては机上論に過ぎないけれど、

これを実践していくことによって

今の私から正常な私に戻ることが出来るかもしれない。

先生の言うとおり、

後最低三ヶ月、自分を冷静な目で見ていこう。

そして、いつか見えない部分が良いように

表に現れる日を待とうと思う。

それまでは他人には不思議で理解できない行為があるかもしれないけれど

もうそんなことは気にしないで居よう。

私にとっての本当の幸せをつかむためだ。

自分自身との見えない戦いの火蓋は今切られた。


2005年07月06日(水) いつかきっと今よりも・・・

絵手紙を描いた。

本当に久しぶりに絵筆を取った。

5月の母の誕生日に母の好きなカラーの絵手紙を描いて以来だった。

心の底から描きたいと思って描いたのではない。

こんなことをいうと、

出した相手の人に失礼になるけれど、

本当は描くことによって

私の中で何かが変わるかもしれないという

淡い期待があったからだ。

少なくとも、

絵手紙を描いている時だけは、

私の心の中で渦巻いている闇の嵐も少しは治まるだろうし、

今にも私の体からあふれ出しそうな真っ赤な血も

何とか体の中に留まってくれるだろうと思ったのだ。

今の季節の花は色々ある。

近くの花市場に行ってみた。

今が旬のアジサイ、

水槽の中で薄紫色の神秘的な感じさえするホテイアオイ、

そして活けるのはちょっと難しい、

赤やピンクや濃いピンク色の背丈の高いグラジオラス、

これら三種類の花を買ってきた。

いつものように絵手紙の道具を机の上に広げ、

墨を摺り、

ハガキに向って筆を下ろした。

筆を持つ手が上手く動かない。

そりゃそうよね・・

だって、こういうものは毎日描いてのものだ。

昔のようにほぼ毎日描いていたときは

ヘタはヘタなりに満足のいくものが描けていた。

でも、今回は違った。

やはり描き続けるということが

本当に大事なことなのだと実感した。

それでも描き始めて二時間のうちに

計八枚の絵手紙が完成した。

出来はあまり良いものではなかった。

出す人のことを思いながら宛名書きと

添える言葉を書いた。

梅雨の季節に合うカエルの切手を貼り、

昨日六人の人に宛てて投函した。

今日あたり届くかもしれない。

昨日出した人の中の一人である私の親友に

「絵手紙を出したよ」と電話で言ったら、

彼女は「今の心で描いたものは怖いから・・」と言った。

「大丈夫よ、明るい感じがするからね」と答えながら、

私の最近のこのつぶやきの中に存在する

私自身の心を思った。

そうだ、

いくら絵手紙で良いことばを書いたとしても

私の今の心は相手には届かないかもしれない。

絵には心が反映するから。

いつかきっと今よりも

落ち着いた心で描ける日が来るだろう。

その時にはまた親友に出そうと思う。

そんなことを思いながら、

久しぶりに絵手紙のページを更新して

「ああ〜こういう他愛もないことが

私の心を少しずつ解き放ってくれることなのかもしれない」と思った。


2005年07月05日(火) 真っ赤な涙

出来ることなら何もかも無にしたい、

あの人の存在も、

あの楽しかった思い出も、

あの苦しかったことも、

皆、無にしてしまいたい。

そして、自分自身を無にすることが出来ないのなら

せめて白紙の状態から

もう一度やり直したいと思う。

もしやり直すことが出来たなら、

もう二度とあんな思いはしたくない。

人を思うのはやめよう。

人の心を自分に重ねるのはやめよう。

私は結局私一人なのだ。

孤独は良い、

孤立じゃなければ一人でも生きられる。

あの人のことを思わないで、

もう過去に捉われないで、

自然に任せて生きてみたい。

涙はオブラートに包んで

ゴックンと飲み込んだ。

今は涙は私の胃の中で

消化液と混じって黄色く変色していることだろう。

涙がやがて、

私の中で真っ赤な血となって

体中を流れていく。

そして今にきっと体中で悲しみを感じるのだろう。

目から出る液体に過ぎない涙が

一旦体の中に入った途端に、

まるで生き物のように

私の体を蝕んでいく。

涙は綺麗なものだと思っていた。

水色の涙もあると思っていた。

でも、それは所詮綺麗事なんだ。

悲しみや苦しみや辛さの涙は

水色ではなく真っ赤なのだと思う。

真っ赤な涙が私の体の中で

エイリアンのように私を侵して行くのなら

耐えるしかないのかもしれない。

何もかも無に出来るのなら

この真っ赤な涙も無に出来るだろう。

そして、もう一度やり直すことが出来るのなら

もう二度と真っ赤な涙を流すことはしたくない。

綺麗事でも良いから、

水色の涙を流したい。

私の心の中をハッカの香りでいっぱいにしたい。

真っ赤な涙にペパーミントの香りは似合わないから

やはり涙は水色にしなくっちゃ。

無にするか

水色の涙にするか、

どちらにせよまだまだ時間がかかると思う。

今日からどのくらいの時間がかかるのかわからないけれど

いつかきっと真っ赤な涙は

私の体外へ出て行くと信じよう。

今はそうするしか仕方ないのだから・・・


2005年07月04日(月) 壊れていく心

私が私でなくなっていくような、そんな気がする。

私が消えていく。

まるで地すべり現象のように

意識しない間に心が崩れていく。

本当に消えたい。

何もかもから逃げてしまいたい。

やる気がしない。

でも、生きるしかない。

しんどくても、辛くても、嫌でも・・・

あの30年前の私とは立場が違う。

あの時は私は一人だった。

私のことだけ思っていればそれで済んだ。

でも、今は違う。

こんな私でも必要と思ってくれる人が居る。

少なくても4人は居る。

その4人のために生きなきゃいけないと思う。

死んでも何も生まれない。

私のことなどもうどうでも良いと思うだろう。

自分勝手に死ねば良いと思っているのかもしれない。

あてつけで死ぬなんて馬鹿みたいだ。

私が今のこの壊れていく心を取り戻すには

嫌なことを一日でも早く忘れ、

新しい明日を見つけなきゃ。

なかなか難しいけれど、

死ねないのならどうにかして自分を支えるしか仕方ないじゃないか。

頑張るのは嫌だ。

今の壊れていく心を壊してしまおう。

ゼロにしよう。

無にしよう。

そして、新しい何かを作っていこう。

でも、分からない・・・

今何をしたら良いか分からない。

助けて!

いくら叫んでも私の声が届かない。

消えたいと思う心と助けてと叫ぶ心は

私の中で戦いを始めた。

この戦いはどちらが勝つのだろうか。

助けて欲しいと願う気持ちが勝ったとしたら

私はこれからも生きていけると思う。

でも、消えたいと思う気持ちが勝ったとしたら、

本当に私はこの世から消えるのではないかと思う。

分からない、

本当に分からない。

今のこの苦しさから這い上がれる方法が分からない。

今にも壊れていきそうなこの心を

どうにかして今日一日だけでも

支えていこうと思う。

でも、本当に苦しい。


2005年07月03日(日) 光みつめて

        
誠さんの詩集第九集も今日で終わりです。

今まで読んでくださった方々に心からの有難うを言います。

「ありがとうございました」

誠さんはご自分が体験したこと、

死の淵に立ったこと、

生かされているということに気付き

毎日を感謝の心で暮らすようになって

本当に生きるという意味が分かったのだと思う。

私はこうして第九集をここに載せ、

また改めてこの誠さんの言葉の一つ一つが

とても意味のある言葉であり

生きることの大切さ、

何にでも感謝の心を持つことの大切さを

改めて思うようになった。

誠さんの生き方を真似するいことは到底出来ないけれど、

毎日の暮らしの中で

少しでも見習おうと思う。

私の今の心はとても乱れている。

頭も心もごじゃごじゃ状態だ。

原因もわかっているし

どうすれば解決するかも頭では分かっているつもりだ。

でも、心が、私の感情がついていけない。

だからこうして苦しんでいる。

こころを変えたら全てが上手く行くことも分かっているのに

どうして出来ないのだろう。

毎日を悶々とした心で過ごすなんて本当に馬鹿げている。

大事な時間を無駄に使っているのも分かる。

もっと大人にならないと。

あの18歳の時の心がそのまま今に繋がっているとしたら

こんなに情けないことはない。

誠さんの今日の詩のように光をみつめて生きていきたい。

一寸先は闇ではなく明るい光が射しているということを覚えておこう。

ああ〜それにしても何とバカな私だろう。

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私のネットの友人に我太郎さんという方が居ます。

我太郎さんも誠さんと出会い、

誠さんの詩に感動をされ、

ご自分のHPの1ページに素晴らしい誠さんの世界を載せています。

詩の題名に合わせて画像を載せてそれはステキなページです。

我太郎さんの所の誠さんの詩集はまだまだこれから長く続きます。

私は今日で終わりですが、

良かったら我太郎さんのHPの

誠さんの詩集のページを見てください。

↓のURLをコピーして貼り付けてくれれば行けますのでお願いします。

http://gatarou.web.infoseek.co.jp/sisyuu9_1_1.html

誠さんの詩「光みつめて」です。

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「光みつめて」

今あるこの姿に手を合わせよう

今ここを生かされている事を知り

ありがとう、ありがたいと

声に出し前向きに生きねばならぬ

いたみはしびれを我慢してはだめ

悲しみや苦しみを

じっと耐えてはならぬ

我慢も耐える姿は後ろ向き

決して長つづきはしない

大いなる宇宙に試されて

いることを知らねばならない

一寸先は闇ではなく

光であることを

信じて生きたい


2005年07月02日(土) 春のあらし

     「春のあらし」

吹きあれた嵐のあと

雲ひとつ無い青空の下

山茶花の花びらが散って

ピンクのじゅうたんが陽に映える

花びらのすき間から

タンポポの茎が2本頭を出した

冬から春への衣替え

つとめを果たした花びらの美しさ

タンポポの力強さに

宇宙の輪廻の教えを知り

春の息吹の声がきこえる

待ちわびた

春近し


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私の心の中にはいつも嵐が吹いている。

それはまるで春の嵐のようだ。

居ても立っても居られないほどの

焦りと苛立ちを覚えるときがある。

もっとリラックスすれば生きるのも楽だということは

誰に言われなくても

私自身が一番よく分かっていることなのに

でも、何かあると直ぐに心が乱れてしまう。

春の嵐はやがてそこにほっとする空気を生む。

私の綺麗に一掃された心の中に

可愛い花は咲くのだろうか・・・

雲ひとつない真っ青な空の下で

私は何を思うのだろう。

考えてもどうしようもないことを

いつまでも思っていても仕方が無い。

もっと心をゆったりと持って

心の中に嵐を呼んだりしないで

いつも秋のような静かな気持ちで居られたら

どんなに良いだろう。

昨日、友人が教えてくれた言葉に感銘を受けた。

それは

「心が変われば行動が変わる

 行動が変われば習慣が変わる

 習慣が変われば人格が変わる

 人格が変われば性格が変わる」

本当にそうだと思う。

毎日この言葉を唱えて

まず、今の心を変えようと思う。

もう心に嵐を呼びたくないから。


2005年07月01日(金) 光のかくれんぼ


       「光のかくれんぼ」

空を見つめて

もういいかい まあーだだよー

もういいかい まあーだだよー

真白いふち取りした灰色の雲が

空一杯足早に来ては去って行く

お日さまが顔を出してくれない

光が欲しい

光の声がききたいよ

ふと足元を見たらさくら草と

菜の花が私を見上げていた

もうすぐ春ですよと声がする

待ちわびた

待ちわびた春の声


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誠さんの心の声が聞こえる。

春を待つ声が聞こえる。

灰色の空から一筋射してくる

光を求めている声がする。

野の花も、木々も皆春を待っているのだ。

私の心にも一筋の光が欲しい。

曇った灰色の心の空がような

そんな光が欲しい。

何でもがその人の考え方一つで変わるということは

百も承知なんだけれど

これがなかなか難しい。

たった一本の電話、

たった一つのメール、

こんなものが私にとっては心に射してくる光になる。

いくら待っていても

私の心に春を呼ぶ

一本の光は射してきそうもない。

だから私には春は来ないのかもしれない。

でも、やはり待つしかないのだろう。

遠いところに行った人を

待つことはとても忍耐がいる。

でも、それも私が選んだことだから

待つしかないのだろう。

一筋の光よ、隠れてないで出てきて。

私の心を明るくしてほしい。

(なんて、こうして書きながら、自分で笑っている私、

 大分自分の心を支えることが出来るようになったのかな・・・)




スカーレット