母のタイムスリップ日記
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2014年02月27日(木) 純粋まっしぐら♪


月末のPC作業を終えた。万歳!

昨日 訪問の依頼を受けて向かった帰り道 看取りの終えた介護仲間のお宅の前を通りかかった。
その方は庭先で雪消し作業をしているところだった。
それにしても ずいぶん量が多い。

その方の家は 急な坂の下にある。
聞けば 道が凍って危ないので 道路の雪を庭に落としたそうだ。
道の雪は その方がおひとりでなさったようだ。
道を挟んで 住人はほかにもいるし 道の奥にも住んでいる人はいる。
誰も手伝わないのだなぁ。

雪消ししている介護仲間の顔は雪焼けして真っ黒だった。
どれほどの時間を使ったのか想像できた。
腰傷めない?と聞くと「最初は辛かった。でも慣れてくるとそうでもないよ」と言われ「結構な運動になっているようで 体調もいいよ」とニコニコ。

実は同じ仲間で別の地域に暮らす方も 大雪のあった日 道の雪かきをしたそうだ。片づけに北国の暗黙のルールがあるからせっせと道の隅にたかくたかく積んで行ったと話していた。
冬の間の通学を思えば 雪道を歩くことはなんでもないと言われた。
ご近所の方は 自分の家の前を人が通れる道を1本作るだけだったそうだ。
それをみて「やるしかない」と思われたようだった。

私の周りの介護経験者は「やるしかない」と動く人が多いな。
「してやる」という気持ちが微塵もなくて…純粋まっしぐらだ。


2014年02月25日(火) 「ガバッ!」と起きたら…


今朝目覚ましが鳴って「寝過ごした!」と慌てた。
母のベッドが空っぽで「あ そうだった」と2度寝。

次に目覚めたとき 青くなった。
夫の出勤時間ぎりぎり。
「ガバッ」と飛び起きて朝食の支度をして無事夫を送り出した。

実際 寝ている間も2回目覚めてベッドをみた。
役目が身体にしみついてしまっているみたいだ。

夕方 事業所からの活動依頼があった。
同じ町内の 単身世帯の高齢者で骨折して歩行困難。
お米が切れてしまったとかで買い物のお願いだった。
こちらの空いている時間だったので受けることにした。
継続しての訪問は無理だろうが 単発型なら時間があれば受けることにしている。早速明日朝 訪問予定。


2014年02月24日(月) ショートステイへ


母に何かが起きた訳ではないのだが 日記を更新できなかった。

今日から母はショートステイ。
昨晩 ショートステイの荷物を再確認しながら「さて 今回の母のショート利用は何の用事があったかな?」と考えてしまった。
…呆けたんとしている…

そして今日は会議が予定されていたと思い当たった。
飛び石状態で用事が入っているのだった。

ショート中にしてみたいこと 行ってみたいところ等をいつも思い浮かべてみる。実際は 殆どそんなことはできない。でも思い浮かべて見るだけで少しだけ気分転換になる。

そんな夢見る夢子ちゃん状態だったので 予定されていることを瞬時に思い出せなかった。深層心理で思い出したくなかったのかな?

昨日は娘と2人で母の入浴介助。
そろそろシャワーキャリーを導入すべきだなぁ。

昨日 夕食介助中に傾眠が始まり細切れの食事となった。
時間に追われているわけでもないのに時折妙に焦ってしまう。
「介護者ペースで引っ張らないように…」と自分に言い聞かせながらの介助となった。

今朝 の母は こちらに視線を向けて 頷いてよく噛んで食べていた。
右足首のむくみが強いのが気になっている。
他は概ね悪いなりに落ち着いている。






2014年02月19日(水) ♪ファイト♪


夫の故郷のことは 娘と姪っ子のラインである程度見えてきている。

昨晩 夫が「高速道路が通れるようになったから 物資届けに行ってくる」と言い出した。
「物資は ある程度入るようになって来ているようだから」と言ったら夫が怒り出した。

「何が必要なのか聞いてからにしたら?」と言ってみても怒りは収まらない様子。余計なことは言うまい…。

そして今夜。
「明日 実家に行ってくるから 何がいるか聞いておいて」と。

「…!!」

今日は 母と1日過ごした。
午前中 ケアマネがプラン変更の印鑑を貰いにみえた。
ついで 最近の様子を聞かれた。
「機能的には落ちているが 大分落ち着いてきているように感じる」と伝えた。

デイの連絡帳を見ていると午前 午後 少し休ませているようだ。
うちでは こちらの都合でちょこっと横になってもらうことはあるがベッドに入っても目はぱっちり。
ショートでは 以前からベッドで横になる時間があると報告を受けている。

褥瘡は治った。
「 車椅子によるものだったと思ます」と伝えた。
「そうですか」とケアマネ。
こういった話デイ側からは上がって来ないのだろうか?

午後は 療法士さんが見えた。
「右足が固まってしまいましたね」と言われた。
「そうか」でも左足だってまっすぐ伸びるわけではないのだが それを固まったと言わないのはまだ大丈夫ということか?
腕だって 肘だって手首だって ずいぶん固まったが いっときより良くなってきている。
足もそういう風にならないのかな?

意識して動かして…現状維持に努めてとアドバイスを頂いた。

このところ「大」が緩めでマグラックスの服用を止めていた。
数日止めて 大分改善されたが便秘するほどにはなっていない。
でもそろそろ服用を再開した方がいいのかな。

血尿には効く薬も 食欲や排泄に悪さをする。
次回の診察の時にきいてこようと思う。
食欲減で体重減。もともと痩せている母だが 介助しているとごつごつと骨を感じてため息が出てくる最近だ。

母の名前を呼んでも反応がないのに「○ちゃん 大好き!」と話しかけると私をじっと見つめて「うん」と言う。
食事時 口が動かなくなって目をつぶった儘になり唇が脱力して食べ物がこぼれてくるので「だめじゃぁ〜ん」というと顔を横にそむけて知らんぷり。
とあれこれと変化のある毎日の母。
「ファイト!○ちゃん!」


2014年02月16日(日) すわっ!


自分の暮らす地域の雪のことでいっぱいいっぱいだった。

夫の実家方面の積雪は ニュースで知っていた。
かなりの雪だなと思っていたけれど 国道沿いだし除雪できるだろうと思っていた。昨日電話してみようと思いながらこちらも手一杯で はやい時間に就寝するので明日へと思った。

娘がいとこにラインで聞いてみるからと言っていた。
早朝の電話で地域が機能しない状況と連絡があった。

ますは夫に「必要な物があったら言ってと伝えて置いてね」と言って実家に電話して貰った。
積雪の大変さだけ聞いて電話を切ってしまった。

夫が仕事に出た後 義姉たちに電話をして足りなくなりそうな物を聞いた。
2.3日は何とかなると思うということだった。
上の義姉は庭に人が1人通れる道を作ったのと言っていた。
その道が雪の壁だということだった。
雪を捨てるところがないから除雪できない。
道路も除雪されていないので車も動かせないということだった。

上の姉は2.3日で薬が切れるが 通院できない状況らしい。

1度に降る量としては すごい量だ、
雪国育ち(とはいっても豪雪地帯ではない)のものとして大変な量だと思う。

北国はそれなりに雪対策はできているが 降ったこともない地域では対策もないだろうし…。

夫の故郷に限らず 雪で交通が麻痺してしまった地域の皆さんにお見舞いもう下げます。
介護している皆さん 衣料品やオムツなど大丈夫かしら。
デイは当然ないのでしょう。
どうか 無事に毎日が過ぎますように…と祈っています。



2014年02月15日(土) ふふ「羽生君に負けずに…♪」かぁ。


午前1時頃 玄関ドアを開けたらドアの前まで雪が積もっていた。
10時に雪かきしたのに…。

玄関が真北を向いていて 北風が強く吹いて雪を運んできたのだ。
降雪量も滅多にないことで 雪がやむことを願うのみだった。

朝 4時半 食事の支度よりも雪かき。
ドアよりも門扉のほうの雪を掃いた。
吹き溜まりだと40センチ位。

夫を5時に送り出して再度眠るつもりだったがあまりの積雪に目がぱっきーんと覚めてしまった。
母のオムツ替えと体位交換を済ませてTVニュースをみたりラジオを聴いたり。

朝食済ませて 洗濯をしてトイレ誘導で「大」「小」を排出後 母をベッドに移譲して雪かき。
1時間ほど。戻って水分補給。
戻って昼食の支度をして介助して トイレ誘導後またベッド移譲して雪かき。
今度は30分程度。

戻って 水分補給しおやつを食べて貰って 夕食の支度を途中まで。
今度は20分ほどの雪かき。

夕食を介助するころには 母はちょっとご機嫌斜め。
「ごめん ごめん。ごめんなさい」と謝って夕食介助。

それから 就寝まではマッサージをしたり…。
そして就寝。

1日 臭気はあるものの 見た目は綺麗な「小」だった。

午後 月曜利用のデイより電話があった。
道路状況によっては 月曜日はデイがお休みとなることもあると思います。
当日連絡入れます。
ということだった。

予定は入ってないものの 自分の通院だったり食材購入だったりがある。
できれば デイ利用と行きたいところだ。

仕方ないけれど…。

今日は 疲れた。
手に豆もできている。
2週連続の雪かきは ちとしんどい。

仕方ないんだ。
「羽生君に負けないで頑張ろう!」
これは TBSラジオの土曜ワイドラジオ東京にゲストできていた北山修の言葉だ。「うん それ いい言葉」と使わせて貰うことにした。


2014年02月14日(金) うなずき


昨日 デイへと送り出す時 送迎の車の中の母と視線があった。
こちらを見ている気配があったので窓のそばまで寄って行った。
手を降る私にコクリと頷いた母。
何か月ぶりだろう。

今朝 デイより「今日は 午後1時半ごろの帰宅となりますがいかがなさいますか?」と電話があった。
買い物があるので「利用希望します」と伝えた。

2時少し前 母は帰宅した。
すぐにトイレ誘導して「大」「小」排出できた。

それからお茶で水分補給して貰いながら過ごした。

夕食は 煮魚と野菜スープ。ヨーグルトとおかゆ。
鶏がらでスープをとっていたので ジャガイモ ニンジン タマネギ 鶏肉等でにんにくで炒めた。そしてトマトの缶詰を入れてコンソメと塩・コショウで味付け。母の分はチーズを入れてグラタン風。

食事に要する時間が短くなった。
あらかた食べ終えたころ時計を見たら20分程度。
食べ終えたのが30分ちょっと。
はやく食べることがいい訳ではないが 食べる時間が短いのは良くなってきていると思える。

就寝前 足のマッサージ。
元には戻らないけれど せめても現状維持できますように。

朝から降りだした雪 1日中降り続けている。
積雪は前回と似たようなものかな。
天気予報があたって 雨が降りはやく消えてくれればいいなぁ。

夫は明日仕事。
道路事情がどうなるかが判らないので今日のうちに 準備を済ませておいたようだ。あとは自分の身体を移動するだけという。
車で移動なのか電車なのか…お天気次第といったところ。
朝 早起きして送り出さねばならない。


2014年02月12日(水) おかえりなさい♪


夕方 落ち着いた表情でショートより帰宅した母。
職員に向ける表情も静かな笑顔だった。

ショート中 特に大きな変化もなく過ごしたと報告を受けた。
抗生剤を使うこともなかった様子だった。

母の様子は 少しずつよい方向に向かっていると職員も感じられている様子だった。デイからそういった話は聞かれない。
私も同じように感じていたのでショート先からの報告にホッとした。

「トイレに行く?」と聞いたら 小さく頷いた。
誘導したら「大」「小」排出できた。
不発はあってもこういう応答ができるようになってきたのは 体調が戻ってきたということだろうと思うのだ。

ショート帰りだが 食事中の傾眠もなくしっかり食べることができた。
就寝前も覚醒していたので 昨日教わったマッサージをして緊張を解いた。
手の拘縮もひところより緩んでいる。
足も少しずつ改善できればいいなと思う。

昨日 娘がレンジで作る茶碗蒸しのレシピを教えてくれた。
10分足らずで仕上がるのでどんなものかと思ってたが 仕上がったものをちょこっと味見したらほんとに母にぴったりのものだった。
これなら 冬にも夏にもピンチの時のおかずとして使えそう。
アレンジもできそうだ。

昨日お話下さった看護師さんは 顔見知りの方だ。
母とは面識はないのだが 気にかけて様子を聞いて下さった。
症状を話しただけで家族の対応の苦労を思い浮かべて下さった。
家族の接し方を話しただけで家族の意思を感じ取って下さった。
身近にいる専門職の方がこういう反応はない。
ナースも含めてだ。
こういう看護師さんなら家族と向き合ってよい方法を探し出せそうなきがする。

実は以前「はなさん 医療行為が必要になった時 家族の休息のための預かりをしますよ」と言って貰っている。
「遠いですよ」と言ったら「送迎します」と即答して下さった。

まだ その時は来ていないので何ともいえない。
交通事情によっては 2時間ほどかかる場所なのだ。

介護仲間は その病院で看取りまで託した。
「気難しい親だったのに いつ面会に行っても頭髪も綺麗で パジャマもいつも綺麗で安心して預けていられた」と言っていた。

あらら 余談にずいぶん踏み込んでしまった。
今日になってしみじみと思い出している。


2014年02月11日(火) 聞けて良かった♪


今日は講演会。
介護仲間の希望もあって 病院の療法士さんと看護師さんに来て頂いてお話を伺った。

これまで 療法士さんのお話を伺った中で1番納得いくお話だった。
若い療法士さんを5名も連れてきてくださり 介護者自身の身体のことまた拘縮等が始まる前 また始まってからのほぐし方など実技で教えて頂けた。

リハビリテーションとは 誰でも どこでも いつでも してよくて 何のためかと言えば 当人の生きがいを保つためであると言う姿勢に共感。
無理をしないということは 元気なものにはなんでもないことが病気の人にとってはきついこともある。身体に触れるということは受ける人の安心につながるので無理をせずに心地よい対応で…。

なるほどね。
時々「あ時間がない。でもやっておかないと…」と少しきつめの対応をしてしまうのが介護者の現実だ。
心して接していこうと思った。

看護師さんのお話も 便の緩みや便秘等の仕組みを具体的に教えて頂いた。
これは 非常に参考になった。
また最新のオムツには緩い便に対応できるオムツもあると教えて頂いた。

同じところが赤くなってしまう時には 内部に褥瘡が起きている可能性もあるので要注意と伺った。

他にも参考になることがたくさん聞くことができた。

さて講演が終了して…。
夫の誕生日。
昨日のうちからお赤飯の下準備を済ませておいた。
プレゼント等を準備して娘と落ち合って家に戻った。
大急ぎでお祝いの準備をして夫の帰宅を待った。
朝には「もう お祝いする年ではないから しないでいい」と言っていたが…。

やっぱりお祝いは嬉しかった様子。
日ごろ 母のことにかまけて放置の至らぬ妻業ゆえ せめてもの罪滅ぼし。
いえいえ 罪滅ぼしというほどのこともしませんが…。

今日も 出かける前に雪片付け。
雪片付けを始めると「あと少し あと少し」と切り上げ時を見失ってしまう。
片づけた後は ジワリと筋肉痛。
3日も続くとやっぱり少し疲れも出てくるな。
明日は 母が帰ってくる。
小さな用事が1日の中に重なっていき 家の中の片づけができていない。
明日ラストスパートだわ。
ショート先から連絡がないので それなりに落ち着いているのでしょう。



2014年02月10日(月) とりとめのない話


午前中は「サロン」
母のいる日やデイのある日は遅刻することが多い。
今日は 準備の所からお手伝い。

いつも男性の方があれこれ作ってみんなにごちそうしてくださる。
今日は白菜のミルフィーユ漬け。
女性陣から作り方の説明を求められてレシピを教えて下さった。

雪も降って足元が危ないのでお休みする方も多かった。
そこであれこれと健康談義。

サロンの後片付けを済ませて家に戻っお昼をとってまたお出かけ。
出かける前に ちょこっと雪片付け。

地域で市民活動している人たちとの連携を模索中。
ここ数年 活動団体のつながりが広がり始めていると感じている。
オフレコのお話があれこれと…。

2時間ちょっと熱い談義が続いた。
経過を踏まえながら来月も逢いましょうということになった。

介護中の身では なかなか動けない。
一緒に考えてくれる仲間の存在は心強い。
「自分」という意識はなくて「どうしたらよいかね」という思いからの出発。
結構面白がっている面々。
「人が人を引っ張ってきて…」という感じだ。

「介護」がキーワードではなく「地域の活動」がキーワード。
でもそれぞれに「介護」を考えている人たち。
こちらが発信する話と相手が活動していることがきっとどこかでリンクしてくる筈。

まとめきれないが 明日は講演会の予定があるのであとちょっと下準備しなくちゃね。


2014年02月09日(日) がっくし(*_*;

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雪片付けが朝の仕事となった。
自分の家はちゃちゃっと間単に。

ご近所さんと通り並びの高齢者世帯と1人暮らしのお宅の前を片付けた。
門が開くおたくは玄関まで。

昨年までは早々にきれいにしていた家も今年は違った。
わが身もいつそうなるか…。
つくづく感じた雪かきだった。

都知事選。
私は不在者投票を済ませておいた。
おそらく死に票になるだろうと思ったがそれでも批判のために迷わずに投票した。

誰に?選挙ポスターで1番いい顔をしている人に1票。
ハンサムという物差しではなく 人柄がにじみ出ている方に。
我が家では「誰に?」と言う取り決めもないのだが 殆ど同じ人に投票となる。今回も同じ人だった。

開票が始まってすぐに家族全員が がっくし。

さてと ネットの介護仲間であるTomyさんがショート利用時の車椅子の傾斜で苦労しておられる。

デイやショートに託す時 家族は 特にお願いしたいと思う時がある。
それは 私もある。
でも我が家は 一応伝えるが無理ならそちらのペースで…と言ってしまう。
それは母にとって都合が悪いと思っても諦めてしまう。

でもTomyさんは 傾きを判りやすいようにあれこれと考えて伝えようとなさっている。偉いなとつくづく感じる。

車椅子の傾きは咽せないようにという配慮だ。
利用している人の様子をよく見れば 咽せるかということは家族でなくとも判ると思うのだが…。
ここが難しい所だ。

大勢の方と接しているので個別の対応まではできないことがあると言われることがある。
でもほんとはどうなんだろうなぁと思う。

職員の方を見ていると とても丁寧に接して良く見ている方とそうでない方がいるようにみえる。
こちらが言わないでもきちんとできる方もいる。

あまりに細かく言って 介護離職なんてことになるのも嫌だし…。

立派に介護できる事業所もあるのだろうけれど おそらく少数。

Tomyさんの利用しているショート先は1ケ所。
それなら ショート先に行って咽る様子と咽せない様子を職員に見て貰って施設側で対応の工夫を考えてくれればいいのに…と思うのは介護者の我儘だろうか?求め過ぎだろうか?


2014年02月06日(木) 見過ごしていたな


ショートステイの薬の準備をしている時薬の副作用の説明に目がとまった。
なぜ見過ごしていたのだろう。迂闊だったな。

食欲が落ち来ていて「年も年だし。体調も良くないから こりゃ 仕方ないのかな」と思っていた。
「食欲不振」とあった。

これだぁな。

薬の服用を始めてから 症状は改善されてきている。
もう少し様子をみて判断しようと思う。

今日も調子が良い。
元気いっぱい。笑顔全開。といった具合ではないけれど…。
昨日 外出してさぞかし疲れただろうと思ってデイの帰りの様子を見てた。
けれど食欲が出てきている。
居眠りしない。

夕食を食べ終えるところで「お腹いっぱい?」と聞いたら頷いた。
問いかけに反応してくれる回数は増えている。


2014年02月05日(水) 昨日と今日の出来事


昨日は午前中に包括の会議に呼ばれて講演会のお知らせと介護者の会のPRをさせて貰った。
役目を終えて帰ろうとしたら役所の人に呼び止められて話し合い。
こちらも同じことで話をしようと思っていた時だったのでざっくりとした話はできた。

急いで家に戻っておなかにエネルギーを詰めて 今度は介護者の会へ。

介護者の会に新しい方が見えた。
若い世代で独身。
通院拒否のため認知症の診断もできていない。
話を聞く限り明らかに認知症。
改正前なら要介護2位。

優しい方たちで毎日てんてこ舞いなのに「しょうがないな」という感じで接しておられる。爆発させないように工夫を重ねていらした。それでもたまりかねて会へ見えた。

話を伺いながら介護保険ってなんなんだと思ったが それはおいおいに。
こうやって孤軍奮闘している介護者ってもっといるのだろうと思う。

そして今日は 通院予約の日。
家を出る前にトイレ誘導してしっかり絞り出して通院したら…。
尿検査ができなかった。
残尿だけ検査と思ったので家で出せば病院ではトイレに行かないでもいいなと勝手に判断したのが間違いだった。
残尿は悪くなってなくて変わらずというところだった。
来月は検尿の容器を頂いてきたので家で採尿できる。

病院の向かい側にある調剤薬局に行って隣に美容院があることを思い出した。
窓を覗くとお客さんがいない。
そこでパーマをかけて貰えるかと聞いたら予約が入っているということだった。「しょうがない。諦めます」と伝えたら「待って 予約のお客さんに電話するから」と。すると客さんが時間をずらしてくれた。
そこでパーマをかけて貰った。

ゆるいお店で年を重ねている方なので カットもパーマもオールドファッションで昔使われていたパーマ液。
2時間半かけて…仕上がった。
時間をずらしてくれたお客さんも見えてお礼を言ったら「いえ 時間に追われるような暮らしではないですから…」と温かい言葉を頂いた。

それでも気になっていたので良かった。
母の反応は最初は「?」だったのにロットを巻きだしてあと少しで終わるという頃に「綺麗になるね」と言ったらにこっとして頷いた。
普段の暮らしと違う体験は母にとって良い刺激となる。

美容院を出て病院に戻ってトイレを借りてから家に帰った。

美容院を出て家に戻るまで居眠りしなかった。
夕食の始まるころにうとうとしたがあとは夕食をしっかり食べてくれた。

口腔ケアを済ませてトイレ誘導して…就寝。



2014年02月03日(月) 汗ばむ節分


「恵方巻」がすごいブーム。
なんだか知らないけれど 焼き鳥屋さんまで恵方巻を売っていた。

予約販売しますなんて売り込んでいたけれど 予約する人がいなかったから店で売っているのでしょうかね。
なにせすごい量が店先にあふれていてびっくりした。

今日はポカポカ。
歩いていたら汗ばんでしまった。

デイに出かける母も今日は いつもより薄着。
今日は 時折返事の頷きと共ににっこりしてくれた。
母流の言葉もぽつりぽつり。

母にイワシや巻きずしは無理なので・・・。
かど(にしん)の塩焼きと牡蠣とネギの味噌汁。おかゆ。お茶。
ほうれん草のクリームチーズ和え。イチゴの練乳がけ。ヨーグルト。
残さずに良く食べてくれた。





2014年02月02日(日) いやん♪


日記を更新して自分のページにアップされたのを確認したのに…。
消えてしまっていた。
「いやん♪」


2014年02月01日(土) 他愛ない話


「介護が長くなって大変ですね」と言われることが増えた。
そういわれた時答えに窮する。

「長生きしたくない」という言葉にも窮してしまう。

元気でいるに越したことはないと思うが「生きている役目」は病気になったものにだってあると思う。たとえそれが認知症であっても。

母に「頑張ったね」「我慢したね」というと必ず頷く。
その母の頑張りにいつも敬意を表している。

じゃ 一生懸命に全力疾走で介護しているのかといえば そういう訳でもない。
自分にできる範囲のなかの介護だ。

そして1番の理由は 「家で死にたい」といっていた父の思いをを叶えてあげられなかった悔いがあるから。悲しそうな顔を時々思い出す。
母が病院を希望するならばそれもよい。
でも母も家を望んでいる筈。
母の友人の女医さんが 薬物中毒になったご主人を息子と力を合わせて入浴させたりして在宅介護したという話を「そうできたらいいわね」としみじみと話していたことを鮮明に覚えている。

と書きながら「ちょっと疲れ始めているな自分」も自覚している。
…いつものごとく尻切れトンボ…

♪それでも何とかなるだろうぉ♪


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