母のタイムスリップ日記
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2010年09月30日(木) 会話成立?


会報発送日で 仲間と作業。
出かける直前に 数件電話があり少し遅れてしまった。

今回は 会報の他にも同封するものがあり みんなで知恵を出して無駄の少ない方策を考えた。

以前なら 前もって作業の手順を考えるゆとりがあったが...最近は 気力不足というか...。どうしても出来ていた頃と比較してしまうのが悪いくせ。
みんなの手を借りるという事も知恵の内なのだから...幅が生まれてきている...と思うことにした。

作業が済み家に戻って 食事の下準備。
今回のショートは 帰りの送りがないので車を準備して迎えに行く。
夫の会社の人にお願いしておいた。
先日も会社の用事の時に助っ人してくれた方である。

迎えに関しては ケアマネも施設の職員もかなり心配してくださっていた。
でも 変な話 家で外出する時には 原則1人だし 格別心配するようなことはないのだが...。

昨日 HCRに行く時 介護仲間と介護保険利用について話した。
すでに介護が済んだ方で セルフで介護保険利用していた方。
其の方も 殆ど1人で対処なさっていた。
ある意味で 其の方が楽ということもあるのだ。
ただ 状態の把握と使えるサービスについては ある程度知っておかないと出来ないことなので みんなができるという事ではない。
でも「それが介護する上の基本」ということで話は終わった。

施設について ショート時の説明を受けた。
「左足の爪が黒ずんでいました」と言われた。
其の指摘は 今回が初。
入所時身体チェックし帰宅時にも身体チェックしたそうだ。
そういえば 前回の時も身体チェックの話がなされたなぁ。

それは それでいいんだけれど...これって介護者にはプレッシャーがないのかなぁ。「対処が悪かったのでは...」という利用者からの苦情が出ているのだろうか?
でもねぇ。母の場合 指摘された部分は ショート利用を始めた頃からずっとあったものである。
だから 此方としては「今更気がついたの?」って感じ。
でも言われた時は「私のミスでそうなっていたのか?」と一瞬怯んだのである。

「絶対に 私はしていない」と思うこともなかったが「私がしたのかなぁ」と頭の隅で考えていた。
家に戻って確認し やはり 以前からずっとあるものだと判ったのだが...。

意地悪な見方をすれば「感触通りの観察力と対応だったな」ということになる。また「入れ歯を外して床に落としていましたが...」と言われた。
ニュアンス的には 「入れ歯が合わないのではないか」といった所。
「家でも入れ歯を押し出す時があります。その時は 本人に不快感がある時が多いですよ。例えば 排泄。また言葉掛けの少ない時ですね」と。
すると「施設では 大勢の人がいますので対応できないこともあります」と。
ちょっと意地悪して「若し 入れ歯が合わなかったら 食べる時にだって外れますよね」と。職員「そうですね」と。
実際は 不快感がある時には 食べている時にも外れる母なのだが...。
そこは 言わないで置いた。

悪口のつもりで書いているのではない。
以前 ケアマネにも伝えたことがあるが 施設での母の様子や一場面でもいいからホッとしたような事を知らせて貰えたら...と思うのだ。
バイタルは 施設の欲しい情報。感情の部分は 家族の知りたい情報。
感情面での話から 家族にはバイタルも見えてくることが多いのですがなぁ...。

いやいや ちょっと無理してショート利用させてもらったのだから...それは充分感謝しているのです。

母を乗せて家に戻り ひと休み。
トイレ誘導で「大」「小」排出。
その後 水分補給してバナナを食べて貰う。
お腹が空いているようなので 急いで食事を支度して食事介助。

いつもより早いピッチで食べていた。
食べるたびに「うふふ」と笑い声。
元気に帰ってきたのだから...良かったよかった。

食後 母の顔を拭こうとしたら「痛い」と母。
ちょっと母の腕に触れただけなのだ。
「え〜 痛くないでしょうに...」と笑いながら言ったら...。
「んだな」(そうだな)と返事した。
これって 会話になっているよね。

そういえば 食事前にテーブルを挟んで夕刊を読んでいたら新聞をトントンと叩いた。読み掛けだったので 更に読んでいるとまたトントン。
「私を見ていなさいって?」と聴いたら 深く頷いた。
新聞を片付けると ニコニコしながらじっと私を見つめる母。

なんでも答えてくれそうな気がして「お泊りは楽しかった?」と聞くとぷいと横を向いた。
「嫌だったの?」と聞くと遠慮がちに頷いた。
再度同じ事を聞いたら じっと考え込んでいた。
泊まったという記憶を探しているかのように見えた。

笑っているうちに大きなあくび。
ベッドに移ったら 直ぐにzzz。


2010年09月29日(水) あれこれと...


 急遽 願い出て 何とか空きベッドに滑り込めた今回のショートステイ。
「母には 悪いな」と思いつつ 自分の用事のため一泊のみ。

起床時もにこやかで落ち着いており 食事も美味しそうに食べてくれ食後もゆったりしていた。
私はといえば 急いで洗濯を済ませて 着替えをした。
母をショートに送り出すべく 玄関に誘導してクツを履き替えて貰った。
この頃から 母なみだ目。
後ろめたさを感じながら 手を撫でたり 頭を撫でたり...。
ちょっと落ち着いたと思った頃にお迎え。

母の表情が曇り じっと私を見つめる。
泊りだって判っているんだと感じた。
「ごめんね」と詫びながら ショートに送り出した。

なかなか厳しい現実。

母を送り出して 会の仲間とHCRへ。
広い会場を出来る限り回った。
母の使っている電動車椅子のメーカーさんのブースに立ち寄り 使い勝手の工夫をお願いしてみた。
車に積み込むとトランクに入らない様子を伝えた。
メーカーさん側としては いろんな車に乗せ確認したようだ。
つまりは うまく積み込めないのは入れる側の工夫だ。
入れるときの工夫を更に改善を図ると言って貰えた。
入り難い時の状況を伝えておいた。
でもトランクに詰め込む時の工夫を説明書に書いてもらえたら...助かると伝えるべきだった。
平らな所もボタン1つで動けばいいのに...という事を伝えられなかった。
顔見知りの用具屋さんが 車椅子に乗り込んだようだったので 今度あったときに是非ともお願いしてみようと思う。

...明日まで仕上げなければならない作業があるので今日はここまで...。
...しかし今日は眠い♪…


2010年09月28日(火) 雷雨の中...


母をデイに送り出して おでんの出汁を作る。
昨日 大根とたまごだけは下準備しておいた。

外出前に お鍋に根菜類とたまごとコンニャクを入れてコトコト煮て 火を止めた。これで夕食までには 味もしみこんでくれる筈。

お昼前に 急いで買い物に出かけた。
雷が遠くで鳴っていたが ええいままよと外に出た。
歩き出して5分もしないうちに 叩きつけるような雨となり雷も近くなった。

アスファルトに叩きつけられて跳ね返る雨。
傘に当たる小気味よい雨音。
歩きながら アスファルトに多数広がる王冠模様に見とれていた。
場所に拠っては 歩道に流れ込む雨水が滝のようにも見えた。
歩道に小さな川が出来たみたいだった。
見とれてもいられない 其の川を出来る限り濡れないように渡りたい。
歩道のあちこちに出来た川を避けながら歩いてみたけれど 無駄な抵抗だった。
強い雨で クツの中はびっしょり。
おまけに Gパンは 膝上まで雨に濡れてしまった。

強い雨になるだろうとは思ったけれど にわか雨のいちばん酷い時になるとは...とほほほほ♪

ようやくお店についた時「何処も濡れてないよ」風に買い物をして廻った。
さすがに体が冷えてくるので 急いで帰る。

雨は すっかり弱くなっていて...時間をずらせば良かったなといきがりすぎたことを反省。
でも時間に追われている身なので...。

そうそう 何処でそうなったのか判らないが帰る時傘を広げたら...骨が1本折れてしまってた。
10年以上使ってきた傘なので 仕方ない。
1度捨てようとしたけれど デパートの店員さんから「勿体無いですよ。まだ充分使えます」と言われて1年は 使えたのだから充分働いて貰いました。
修理してまで使うことも無いだろうなぁ。

家に戻ってから 湿っている洗濯物を外に干した。
日暮れまであとちょっと 少しでも風に当てておきたかった。

母がデイから戻った。
玄関前に来るとトイレサイン。
急いでトイレ誘導。「大」「小」排出。
それから りんごを食べて貰う。

暫くして夕食介助。
おでんだけれど...美味しそうに食べてくれた。
あれもこれもとついつい欲張って食べさせたくなるけれど グッと我慢して食べすぎに注意を払った。
今日は 一口食べるごとにニコッと笑う。
少し手間をかけただけだけれど...判ってもらえることが嬉しい。
たかがおでんなんだけれどねっ♪

食後も落ち着いていて テレビのコマーシャルを見ては笑っていた。
資生堂の跳ね上がって足をパッと上げるコマーシャルと 後は子供が笑っているコマーシャルだった。
コマーシャルで笑えるという事は 今日の母の意識は良好という事だろう。

昨日 どうしてあんなに怒りぽかったのかは判らないけれど まっいいやぁ。


2010年09月27日(月) どうしたのかなぁ


デイから戻った母の機嫌が悪い。
クツを履き替えて貰っている時 私の背中を叩いた。
とんとんと言った物ではない。
結構強い力だった。

家に入って 椅子に座ってもらって バナナを食べて貰い水分補給。
其の時にも 足をドンドンとさせていた。
次にはテーブルをせわしく叩く。

トイレ誘導したら「大」排出。
これだったかと思ったが それでもやまない。

食事が済む頃 笑顔を見せてくれたが 就寝のために着替えている時も私の背中を強く叩いた。

私の接し方はいつも通りで 特に変わりはないんだけれど...。
どうしたのかなぁ。

排尿もたっぷりあるし 熱もないし...。

就寝後 時に目をパッチリ開けていたり...が幾度もある。
デイの連絡帳には 特に変わったことも記されていなかったしなぁ。

ついさっきも...パッチリ目覚めていて視線が合うと「うふふ」と笑う。
トイレ誘導も2度済んでいるが 誘導の時にもぱっちり覚醒していて「うふふ」と笑う。
いつもなら 眠くて眠くて...という調子なんだけれど...。

一晩過ぎれば 治るかな?


2010年09月26日(日) アイドル的存在?


目覚めは 爽やかな母だった。
気温が下がっているので 厚手のカーディガン。
着替え始めると 笑顔となった。

朝食は 珍しく夫も一緒。
夫を送り出して...洗濯したり片付けたり...。
昨日 外出した事もあり 外に干せなかった湿っぽい洗濯物を先に干し 乾いた物を取り込みながら 洗った物を干していく...。
明日からお天気は下り坂と言うので 洗っておきたい物を次々洗濯機に投げ込んだ。 おかげで物干しは 満タン。

「涼しくなったから...」と油断すると水分不足を招くので せっせと水分補給に励む。りんごジュースだったり 焙じ茶だったり ゼリーだったり...。

おかげで トイレ誘導も忙しい。
テーブルをとんとんと叩き「おかちゃん」と叫ぶ。
トイレ誘導するたびにしっかりと出してくれた。

昨日 娘が母の見守りをしている時寒そうだったので 肩に毛布をかけたら「さんきゅう」と返事したという。
聴けなかったのが残念。

昼食後 少し休息して 入浴介助。
気持ち良さそうにしていた。
洗髪の時にも 嫌がらなかった。

お風呂上りにゼリー。
それから手足の爪切りをして 頭を乾かした。

この所 りんごや梨を薄く切って食べて貰っている。
昨年の今頃は 噛む事を忘れてしまったようだったし よく噛まずに呑み込んで噎せていた。
だから もうりんごや梨は 摩り下ろすしかないかと思っていたのだが...。
今は ちゃんと噛めている。
それも時に自分の手に持って口に運ぶ。
今日 3時のおやつの時にラムネ菓子をテーブルに置いていたら 手を伸ばして指で持って 自分の口に運んでいた。
思わず「やったね♪えらいね♪」と叫んでしまった。

いつもうまく行くとは限らないが でも興味も示さなかったころのことを考えるとずいぶん改善されているような気がする。
無理を強いることはしないけれど 簡単にあきらめる事もしたくない。
出来たら「ありがとう」出来ない時には 直ぐにやめる。

夕食の支度があらかた終えた時 夫が帰宅。
直ぐに夕食となった。
時折 夫の言葉に反応するので 夫は喜んでいた。
時折ふざけた動作をして見せて 母の笑いを引き出していた。
良くなったところを見るのは 誰もが嬉しい。

就寝後も トイレサインは続く。
2時間ごとにたっぷりなのだが 熟睡できないのでは...と気になったりもする。トイレ誘導後は 直ぐにzzzとなるので まいいかぁ。


2010年09月25日(土) ひぇ〜!


昨夕 急に体調不良となった。
原因は...自ら招いたことだと思う。
しかし 一晩うなされていた。

体調が低調だと自覚はあった。
が 車は急に止まれない。

気持ちも少しゆらゆらしていたのだろう。
母の夕食の介助をしている時 ふと友人のある言葉を思い出して涙が止まらなくなってしまった。
「なんだ 自分だけ別れる為の言葉を残して 私にはいう機会をくれなかったじゃないか...ずるいぞ」と。
このひと月 時折そういうクレバスに入り込むことはあったが 音楽を聴いてしのいできたのだが...。

冷静になれば「いろいろの楽しく深い時間を歩めたのだから...」と思うし家族の寂しさを思えば 私の寂しさなんて...とも思う。
やはり 弱ってしまうと 思考回路がマイナスに作用してしまうということなのかなぁ。

今日 TBSラジオの永六輔の土曜ワイドを聴いて居た時に のけぞってしまった。(この件では ツイッターでえらく盛り上がったそうだ)
番組では スタジオ内のパソコンから資料も引き出しているようだが 永氏には それがパソコンだという認識がなかったのだ。
おそらく世の中にパソコンがあるという事は知っているのだが...現物を見たことがなかったという事なのだろうか?
パソコンといわずに「そこの箱から資料出して...」と。
実は 聴いていたのは 最初からその辺までで その後どういう流れになっていたのかは知らない。

昨夜の話に戻るが 体調が悪いのは夫からみても充分判るほど。
其の様子をみて「あ〜 お母さんは 俺の何倍も苦労しているんだ。だから…」と傍で話しているのを耳にした。
そうは言っても 何かを手伝ってくれる訳でもない。

「明日は 会議があるので娘に助っ人を頼んでいるけれど 時間がぎりぎりなの」と話したら「俺が途中で家に戻るから 頼まなくともいいんじゃない」なんてことも言っていた。

が今朝仕事に出かけた夫は 戻って来なかった。
今日 遅く戻ってきて「あれ なんで娘がいるの?」と驚いている夫。
昨日話したことは 全く覚えていない。
「ふふふ リップサービスね」なんて言えない。

実際 そういう事が多いので 必然的用事の時には朝の確認若しくは携帯で確認しておく必要になることが多い。
今日は 娘にお願いしていたので 夫の手伝いは必須ではなかったので 当てにする事もなかったのだが...。
ユニークな夫ゆえ 余裕を持っていないと大変なことになるのです。

後で「おれ 認知症だから...そういうことも起きるかも...」と。
とんでもない話です♪


2010年09月24日(金) 記憶のスイッチ


意味不明のことばが多い時には 意味のある話は殆ど消える。
意味の判る言葉を発する時には 発語は少なく静かである。

静か過ぎて刺激が足りないのかと思ったり機嫌が悪いのかと思ったりしていたのだが 若しかして心配事もなく安心できる状況なのかもしれないと思えて来る。
まだ はっきり断定できないが...。

今朝 デイの支度をしてダイニングに座って貰った。
ダイニングをくるっと見回してから「忘っでだっけはなぁ」とにこにこ。
ここが家である事を忘れてしまい 今気が付いたといったニュアンスだった。

母は今でも 記憶のスイッチが点いたり消えたりしているんだろう。
点く時もあるのだから それで充分なんだけれど それは介護する身の論理なんだろうね。


2010年09月23日(木) おはぎ


 ショートステイから戻ってから 意味が全く判らない言葉が多くなってしまった。
此方の話は届いていると信じていた。
母の耳元で「おらいの大事な大事な〇ちゃん!」と言ってぎゅっと抱きしめたら「ありがどさま♪」と涙を零した母。
やっぱり通じているわ♪
いずれ また言葉を発するようになるだろうと信じている。
単語であっても 内側の思いを発してくれれば嬉しい。

今日 自分の指に触れながら「ここのところが...」と言った。
何か変化でも起きているのかと思い よくよく見たけれど何も変化は見られない。痛いのかと思って押してみたけれど 痛がりもしなかった。
困ったことが起きているわけではないのでホッとした。
そして何より 言葉を発したことが嬉しかった。

今日は 彼岸の中日。
夕食はおはぎ。(残念ながら 十勝のおはぎを購入しました) 
ゴマとつぶのおはぎ2個を食べた。
何となく 足りないかとお粥さんも少し追加して おかずは普通に...。
食べすぎがちょっと心配だったけれど 食後も特に変わりなくてホッとした。

「祝日の今日もデイがあるのよ」と夫に言ったら「ま 出来る限り楽すればよいよ」と言われた。
夫は 祝日のデイは ショートステイのようにいつもとは違う形で予約するのだと思っていたようだった。
でも排泄は家で 朝・夕は家で食事だし...。
内心「言うほど楽できる訳ではないぞ...」と思うのだけれど確かに祝日もデイに出して楽しているのだと思い直した。

お昼前に 買い物に出た。
家の中では 結構ムシッと温かだったので厚手のTシャツで外に出た。
雨脚が強く Gパンの裾がビッショリとなった。
長袖を羽織らなかった事を後悔するほど冷えた。
昨晩はエアコンを入れて 扇風機を使っていたことが信じられないほどの気温の変化である。
暑さ寒さも彼岸まで...とは言うけれどこの気温差...。
24時間内に15.6度の気温差だという。

母には 七部袖の厚手のTシャツに七部袖の上着を着用させたけれど...それでも寒かったかもしれない。
これからは 気温差も大きくなっていくのだろうから...気をつけないといけないなぁ。 


2010年09月22日(水) 詐欺事件?


在宅に戻って 毎日入浴できるようになった母。
施設にいる時に入浴介助すると一時間は掛かっていた。
今 家での入浴介助は15分から20分で済む。
手抜きしている訳ではない。
足指の間も綺麗に洗える余裕が出た。
洗っても洗っても垢が取れない状態から 1度洗っただけで充分綺麗になるのだ。
入浴介助が下手だった訳でないのだなぁ。

お昼前に知らないご婦人から電話を戴いた。
どうにも要領を得ない電話だった。
でも事件が起きたら困るなぁと心配になって 地域包括支援センターに問い合わせてみた。
「該当者はないけれど 住所と電話番号から探ってみます」との返答。

暫くして折り返しの電話があった。
名前が違っていた。
でも昨日 近所に住む方を訪問した地域包括の方が 妄想・作話が多く不穏な人がいる...という情報が入っていたそうだ。
民生委員さんにも確認して確実な情報となって これから留意していかないと...話に上った方と住まいが一致したとの事だった。

以前 1度家に電話を下さり一方的に話して 自分の用が済んだら 名前も告げずに電話を切った方と話し方が似ていた。

詐欺事件になるのではないかと気になっていたので ちょっと安心した。
また 此方に電話があったら 地域包括に連絡することになった。

知り合いの人の名前を使って見えたので...という知り合いの名前が其の方の本名だった。


2010年09月21日(火) 言わなきゃいいのに...


父の法事 欠席した。
「出かけるなら母も共に…」と思っていたが 私の気力不足。

法事の終えた晩に弟から電話があった。
「なんで来なかったの?寂しいもんだったよ」と。

口を開くとつい相手を責めてしまう。
「法事の席にいるべき人は母だよね」「そこにどういう配慮があった?」と。
「それなら そうと言ってくれれば 何とかしたよ」

「あのねぇ そういうけれど 法事に来ない事の寂しさをいうなら 母の誕生日・母の日・敬老の日…音沙汰なしだよね。そういう時の寂しさは こっちにもあるのよね」
「この間だって 誰も何も言わなかったし 寄りもしなかったよね。家では 此の儘だと 母の生きているうちに逢うなんてことはないよねという話になったよ」
「面倒見てよ...なんて今更言わないと判っているでしょうに」

「判った。出来る限り行くようにするよ」
電話の向こうで 思わぬ反撃にやぶへびになってしまい しょぼんとしてしまった弟の姿を想像できた。

言ってしまった此方も妙に空しい。
「ごめん 忙しくて...」とだけ言っておけば良かったのに...ついつい余計な言葉を発してしまった。


2010年09月19日(日) 秋の空…


 母も家族も皆変わりなく過しています。
2.3日日記お休みします。


2010年09月17日(金) それぞれの介護模様


朝早く夫を送り出して 1人でのんびり朝食を摂り 洗濯して…。
家の中の扇風機を集め 空気清浄機1機を掃除した。
集めて…とは言っても扇風機は 3台しかないけれど…。

埃が目に付いてきて限界だった。
お風呂場で洗ったけれど 1番外側の羽をカバーしている所の掃除が厄介。手間よりも 目がおかしくなるのだ。
両目が「たて乱視」なので 目がちらついてきて頭が痛くなる。
眼鏡をかけているので普段はあまり感じないのだが…今日はチラチラして困った。

それでもほこりもとれて 綺麗になって気持ちが良い。
それからお風呂場を掃除した。
その後順繰りに掃除機をかけたところでお昼少し前。

午後は 介護者の会。
今日はボランティアスタッフだけで誰も来ないかもしれない…なんて思ったが皆さん 時間になると集って見えた。

久々に見えた仲間もいた。
終末期と言われながら 奇跡的に息を吹き返す…そんな日々を在宅でなさってきた方である。
疱瘡を避けるために 1時間半毎に体位交換をして亡くなる其の日まで疱瘡は出来なかったそうだ。
98歳の大往生。
この方 母と同じ頃同じデイに通われていたのである。
途中癌の手術もなさった。

医師には 家族の意思は統一されていて自然に死に到達できるようにしてあげたいと伝えてあったようだ。
看取りのころのお話を伺うと かなり丁寧に其の時期の事の説明を受けていらしたようだった。
細かい事は省くけれど…。
真摯に向き合って歩調を合わせて介護なさっているのが見て取れた方である。

自分で文字を打ち込み介護している風景を一冊の本に纏められたこともある。表紙から閉じるまで全て手作り。
大切な一冊を会に戴いたのである。

他にも 在宅に戻す事は困難なので せめても1日家で過させたいと入院先から家にちょこっと家に連れて帰った方のお話も伺った。
家で過す半日のために 息子さんご夫婦が 車椅子ごと乗れる福祉カーをレンタルして 他の介護用品もレンタルして家に戻られたと言う。
家に入るためには10段の階段を上らなくてはならないと話されていたのだが皆で協力して踏ん張れた様子だった。
お孫さんの様子をニコニコ眺めて 辛そうな表情もせずに過せたと伺った。
4時に戻る予定だったが1時間オーバーして送って行かれたそうだ。

介護の終えた人も自分の介護を振り返り 足りなかった所良かった所等率直に介護を振り返られていた。

看取り終えて 多少の悔いは残るかもしれないが それも糧として過されている姿に 自分の看取り終えた後をイメージできたりもした。
皆さんに教えられて今があるとつくずく感じた1日だった。
皆さん口を揃えて話されることは 介護をしていればこそ受け止めてもらえる場所だと話されていた。

他にも終わり近くに滑り込んで見えた方の話も印象的だった。
独身女性で介護なさっている方。
いろいろのジレンマを抱えていて 医師が当事者の方だけ向いて語られて自分が誤解されているといきり立つ想いを抱えて見えた。
とても硬い表情で見え 肩に力が入って同じ言葉を繰り返された。
「どうしましょうかね?」と自分に問うような 皆に意見を求めるようなそんな疑問を投げかけれた。
皆さん それぞれの想いを伝えていた。
勿論基本は 其の方に同意なさっていた。

気持ちが治まりそうになくて…そうっと席を立って其の方の肩から背中にかけてをそうっと撫でて差し上げた。
見る見るうちに緊張が解けて 表情に緩みが生まれた。

人の介護に「ああしろ」「こうしろ」なんて言えない。
「充分がんばっているのは みんな判っているのよ」「医師の考えにも多少の道理はあるのよねぇ…」とやんわりと伝えた。
「そうですね」としみじみ言われてた。
何も解決はしてないと思うけれど 気持ちが解れれば きっと自分で何かを考え出せると思うのだ。
帰り際 みんなが「よく がんばっているねぇ」と次々に一言話されていた。

それより後に滑り込まれた方もいる。
自分の親と嫁ぎ先の親が終末期に入っていてねぇ…と話されてた。
介護模様も様々です。


2010年09月16日(木) 余裕があれば…


強い雨音で目が覚めた。。
ラジオをつけると大雨警報が出ていた。
「ちょっと寒いかな」と感じて母をみるが 母はポカポカしていた。
布団の中で雨音に耳を聞きながら しばらく うとうと。
目覚ましの音を合図に起床。

母は 朝すっきりと目覚めた。
着替えをするとニコニコ。
トイレ誘導後 洗面等朝の介助。
それから 水分補給及び食介助。

今日からショートステイの母。
季節の変わり目で 特に急激な気温の変化に 母の衣類の選択に悩んだ。
予報に拠れば 明日からはまた夏日になるというので 着替えは少し地の厚い半そでにした。
だが 今朝の気温は半そででは ちと涼しすぎた。
だから 昨夜準備した物を取りやめて 七部袖のブラウスとカーディガンとした。

今回は 秋風も立ち始めたので 家の片付けをしようと思っている。
何処まで出来るか 気力次第なのだが…。
自分の首を絞めない程度に踏ん張る予定。

午後買い物に出た。
気温が下がり 母もショートという事で余裕が生まれ 往復歩いた。

身体介助していると介護する者の身体な負担が増す。
私にとって 体のバランスを取り戻すためには歩くのが1番なのだが この夏の暑さでそれも出来なかった。

歩くと言えば 最近歩く速さが遅くなってきている。
たらたらと歩いている訳ではないのだが 気が付くと人から追い越されてしまっているのである。
「なんとかしなくちゃ」と思っていても出来なかった。
今日は 意識して早めに…。
でも 学校帰りの中学生に追い越されて まだ遅いと思い知った。
追い越して行った中学生に速さを合わせて歩いてようやく速度を掴めた。

昨年までは 自転車を使っていたし 歩く事も少なくなってしまっていた。
何ごとも意識していないとスローペースになっていくなぁと思う。
のんびりも大切な事だけれど 母と歩いた頃のペースと比べると段違いに遅い。自分に甘くなって来ていると反省。

昨日電話を貰った介護仲間に電話したら 今日もケアマネは見えなかったようだ。
介護者がケアマネに電話したら「今日は 忙しいので明日電話します」と言われたそうだ。
訪問でなく電話なのか!それも2日遅れてか!
「なんなんだそれは…」と思った。

幸い 痛み止めが効いて少し歩けるようになった様子だったが 新たに腫れが出て熱を持ってきているようだと話していた。


2010年09月15日(水) 体力と睨めっこして…


昨夜の雨で気温がすっかりと下がった。
家の中は モヤッとしていたが 外に出るとすっかり秋の風。

母は今朝はにこやかに起床した。
熱もないし…噎せもないし…ホッとした。
食事の前から 水分補給して朝食介助。
しっかりとたべ デザートに梨といちじくを食べて貰う。
「大」「小」の量がやや少なめなので 水分や繊維の多い食物を摂取してもらった。
梨は殊のほか喜んでいた。

洗濯をしながら 美容院に行くか近所の床屋さんにするかと迷っていた。
朝の気温なら 車椅子を押して行く事も可能だが…。
戻って昼食介助・入浴介助は ちょっと辛い。
急いで 近所の床屋さんに走って「混んでいる?」と聞くと「30分あとならきっと大丈夫」と。
母には悪いけれど 今日は近場で堪忍ね♪

家に戻ったら母変な顔をしていたのでトイレ誘導。
少し出かかっていたが後はトイレにて排出できた。
昨夜も牛乳飲ませようかなぁ 下剤かなぁと迷っていたが使わずに済んで良かった。
尿量も戻ってきていた。
手当てが済んだらほぼ30分経過していたので 車椅子で向った。
所要時間3分位のところである。

パーマのかかっている所を残して綺麗にカットして貰えた。
この床屋さん 母が家に居る頃には時折利用させて貰っていた。
「お金がないから 行かなくともよい」と言っていた頃の事である。
役所で 美容補助券を出していた頃で其のチケットを見せながら納得して貰っていたなぁとあの頃の事を思い出した。

家に戻って 昼食介助。しっかり食べてくれた。
休息後 入浴。
たっぷりのお湯に浸かって貰った。
今日は浴槽に置く椅子を使わないでみたが 肩までお湯に浸かるとぷかぷか浮いて安定しなくて介助しにくかった。
母の立場からすれば安定しなくて不安だったと思う。
元気な頃は 湯船の中で体が浮くなんてなかったけれど なぜ今は浮くのかなぁ。

洗髪・体の洗浄…を済ませて無事入浴も済ませ脱衣室に移動した時ピンポンとチャイムが鳴った。
宅配だった。再配達のお願いも面倒なので 母をひとり椅子に座らせて荷物を受け取った。
何事も起きなかったから良かったけれど できれば避けたい所だ。

水分補給をしておやつを食べて貰って 夕食の支度を始めた。
風呂上りの母は ちょっぴり疲れているようでぼんやりしてたので助かった。

昨日の痰は煮魚の小骨のせいではないかと思って 今日は出来る限り喉をするりと通るものにして様子を見た。
実は 昨日 お祝いの膳に春菊と桜海老の和え物があった。
他に危ないなと思うものは私のおかずと変えて食べて貰っていたのだが 桜海老は ちょこっと食べてもらったのだ。
どちらが…というものでもないが やはり食材は注意しておきたい。

今日は 咳こむこともなく痰も見られなかったので安心できた。

母を寝つくまで母の傍で ちょこっと「ためしてがってん」を見た。
特に目新しい情報ではなかったのだが…介護もしない人が あれこれ口出したりしないだろうかと思ったりした。
ちょっと意地悪な見方かなぁ。

ふと気がつくと 携帯に介護仲間から留守電が残されていた。
掛けなおすにはぎりぎりの時間だけれど きっと不安になっているだろうと思って電話してみた。
それから暫く話込んだ。
病の当事者が急に歩けなくなり 通院したそうだ。
最初は内科 原因は見当たらないので整形を勧められ 整形に行けば問題なしとまた内科へ廻され…結局の所内科医が対症療法として痛み止めを処方されたそうだ。
それだけでも「ふぅ〜」って感じだけれど ケアマネに連絡を取ったら生憎休みで…。介護タクシーの人がケアマネと連絡を取ってくれ 明日訪問になったそうだ。
でもねぇ。気になる。
お布団に寝ている人が 急に歩けなくなって介護者はパニックを起こすって気にならないのだろうか?
現実に オムツ替えも苦労なさっていた。
一応 緊急に対処していく方法ふたつ伝えた。
それから ベッドの事 ポータブルトイレの事 車椅子の事等を伝えた。
他にもデイやショートのことも…。
「あ〜慌てていて 途方に暮れていた。そうですね。方法はいろいろありますね」と冷静になった様子だった。


2010年09月14日(火) デイサービスの敬老祝賀会


目覚めが悪い母だった。
5時半ごろトイレサインがあったが 眠くて見ないことにしてしまった。
きっと母は2度寝してしまい 起きられなかったのだと思う。
目覚めが悪いのは 私のせいである。

トイレ誘導後も目が覚めなくて 結局食事の時間まで影響した。
食べ方がスローペースになって 時計と睨めっこ。
食事の時間は 1時間みているので間に合う筈だが ちょっと焦った。
昨夜の尿量が少ないので 今朝はいつもより100cc多く摂ってもらう。

敬老祝賀会なので ちょっぴりおしゃれしてデイに出かけた。
此方も 11時ちょっとには家を出て 敬老祝賀会へ。

先日ケアプランの確認に見えたケアマネに 急遽ショートを1日追加して貰った。HCRに出かけたいと思ったからである。
事業所とあれこれ相談して なんとかショート枠が取れたと連絡があった。
そんな訳で ケアプラン変更で新たなプランに印鑑が必要となり 今日印鑑を持参した。

少し早目について職員とちょっとだけ話した。
デイの敬老祝賀会に参加は 8.9年振りである。
あの頃に参加していたご家族は 誰もいない。
利用している人の中にも顔見知りはいなかった。

亡くなってしまった方も多い。
もともと認知症のデイは 10名が定員だったので…。
寝たきりで 辛うじて命を繋いでいる方もいる。

前の席だったので 後ろの席の方の中の食事形態まで見えなかったので
どれくらい重い人がいるのか判らないが 母は間違いなく重いほうだろう。

同じテーブルを囲んだ方は 母と同じ頃からデイを利用なさっていたようだった。ただ 認知症ではないので部屋が違っていたのだろうと思う。

お祝いの会には 役所から係長と保健士さんが見えていた。
施設長は もと役所の方で…一応顔見知り。あまり良い思い出はないのだが…。
一応 ご挨拶をして「お世話になっております」とお礼を伝えた。
以前の施設長さんは 出席した家族や利用者の方とお話をしていたが…今回はない。役所の人とばかり話していた。
役所の方も利用家族と話す場面もなかった。
それじゃ来る意味はないのではないかなぁ。
顔見世興行でもあるまいし…。

会食が済んで 休息後体操。
其の辺りで 退席させて頂き 家に戻った。
それから とっとこ夕食の支度。
母が家に戻ってくるのを待って 通院。
途中までは車椅子を押して それからタクシーに乗って移動。

診療所は空いていて直ぐ診察。
血圧が高かった。
普段はやや高めなのだが…。

お薬を戴き 家に戻ったらもう7時。
それから 夕食介助。
食事も済んで 母の部屋で休息していると夫が帰宅。

母を看て貰って 夫の分だけ支度した。
それから暫くテレビを見て貰って休息続行。
食後1時間半ほど経過して就寝。
寝る前に 少し咳をしていた ふと見ると透明の痰が出掛かっており母は手で引っ張り出す所だった。
慌ててティッシュでふき取った。
唾かなと思ったら痰だったんだね。
少し注意して行かなければならないね。
熱が出ないからまだ良いと思うけれど。


2010年09月13日(月) ぶり返し


いつも通りに朝の介助。
デイに送り出す。
迎えの職員も「蒸しますねぇ」と汗だく。
エアコンの車内から外に出てを繰り返すのだろうから なかなか大変だろうと思う。

母を送りだして家事諸々。
汗だくになるが あと少しの辛抱。
其のうちに汗も出なくなる…と。

午後買い物に出た。
明日は デイの敬老祝賀会に参加するし明後日は デイのない日。
食品を補充しておかないと…。

家に戻って コロッケを揚げた。
1日置いてしまったので いつもより味が落ちる。
やっぱり 手早くその日のうちに作るべきだった。

揚げ終えた頃 母がもどって来た。
午後 ベッドに横になるほどではなかったが 少しうつらうつらしたと言う。
最近 ベッドに入ってもうつらうつらして熟睡してないのが影響していると思う。

直ぐにトイレ誘導して「大」「小」排出。
それからみかんを食べて貰い 水分補給。
帰宅してからトントンとテーブルを叩いていたが 水分補給が済んだら収まった。

それから配膳して夕食介助。
コロッケは パン粉があり中にはひき肉。
ちょっと怖いので とろろ芋を準備して コロッケ お粥 とろろ芋の順で介助。勿論ちゃんと噛んでいるのを確かめてから…。

食後はデザートのゼリーで水分追加。
休息後 母の部屋に移動した頃夫帰宅。

支度する間 夫に見守りを頼んだ。
それから 母に着替えてもらってベッドへ移乗。

夕食時「此方の言葉を理解しているんだねぇ」としみじみと語る夫。
これまで幾度も言っているのだけれど 実感がなかったのだろう。
「やっぱり すごいことだよ。お母さんも貴女も 踏ん張ってきているからだねぇ」と言っていた。
私の踏ん張りは 母の頑張りがあるから発揮できる物で 母が1番踏ん張っているのだ。
介助の時に「がんばっているね」「えらいね」「すごいね」と言うと必ず頷く母である。
意識しなくとも歩ける私達だが 母は踏ん張って歩いているのだ。
母と共に過ごしていると 当たり前のことを当たり前にできていることに 感謝の念が湧いてくる。


2010年09月12日(日) ミニドライブと散歩


夫も休日なので 朝はいつもより30分寝坊した。
洗濯機を廻しながら 朝のひと通りのことを終えてひと休み。

昼食前に 母の入浴介助。
やっぱり 気持ち良さそうである。
施設にいた頃は 入浴時には泣いたりしたものだが いまは湯船に浸かるといい気分の様子がみてとれる。
もともと お風呂が大好きで ちょこっと拒否しても「入ってよかった」と言うくらいだったのだから...。
我が家の湯船は半分埋め込んであるので湯船の高さの椅子さえあれば
何とかなる。
湯船の底には 滑り止めマットを敷いてある。
今は 介護仲間から譲り受けた椅子を底に沈めてあるが これがないと困る物ではない。

変わったのは 洗髪から身体を洗うまで全て浴槽の中で行う。
最後にお湯を抜きながら シャワーする。

だから浴室には 介護用具はなくとも何とか間に合う。
でも誰もが出来る事ではないので 真似は禁物です。

私にとって 入浴介助は 今のところ大変な介助ではない。
でもこれが毎日だったら…どうだろう?

「負担かな?」と思うのは 夜間のトイレ誘導かな?
後は 母の食事を作って介助する事が負担かもしれない。
でも 自分を含めて家族の夕食を作る人がいるなら 負担ではないかもしれない。

夜間のトイレ誘導をポータブルに切り替えると少しは楽になるのかもしれない。ただ 夜間も含めトイレに移動することが歩行訓練になっているので
まだポータブルを使うつもりはない。
出来れば トイレがもう少し広く 便座が高くできれば少し楽できるかもしれないなぁ。
狭い故に 壁に立たせて下着を上げたりできるのでメリットもある。
トイレも介護用具は何もない。

トイレには ワセリンとゴム手袋と手製のウォシュレットと薄めた石鹸液と専用タオルとポップアップ式の体拭きと薄荷油が置いてある。
他にスーパーの小さい方の袋と替えのトレパンとパット。

ベッドの回りにも食卓の周りにも介護用具はない。
食卓の椅子には クルッと回転するマットがありました。これは施設にいる時から使っています。
ベッド脇にある椅子には 滑り止めゴムを敷いていました。

ベッドに柵はない。
この8ヶ月の間 ベッドから落ちそうになったことは1度もない。寝返りが打てないのだから落ちる事もない。

お粥釜は 介護仲間から戴いた。有効に使わせて貰っている。
浴室の滑り止めマットも介護仲間から戴いたものでこれも重宝している。

あらら 入浴のところから脱線してしまった。
つまり 我が家での母の暮らしは 要介護5であっても 福祉用具にあまりお世話になっていない。
これがベストと思わないで欲しいですが でも何とかなっています。
後は 母と同室で眠る事くらいです。

さて 入浴後 夫に運転して貰ってドライブに出かけた。
「遊びに行くよ」と伝えたら 母の表情がパッと明るくなった。
今日は 初期のころ毎日お散歩していた河川敷に出ました。
土手の上には車は入れないので 車を降りて車椅子に乗り換えて…。
広々とした景色が好きな母だったので 連れて行きたいと思ってた。

外は暑いけれど でも吹く風に秋を感じた。
母も気持ち良さそうに 広々とした景色に見入っていた。
土手のスカンポの葉に手を伸ばし触れていた。
スカンポを折って母に持たせたら 大事そうに撫でてずっと持っていた。

それから スーパーまで車椅子を押して出かけ 久しぶりに母とお買い物。
夕食の時間が迫ってきていたので 夕食はお刺身にすることにした。
実は 昨日コロッケを作る筈が カレーに化けました。
今日は 午前中にジャガイモをゆでて 玉葱を刻み ひき肉を炒めて
コロッケの形に纏めるところまでの作業は済んでいました。
後は 小麦粉とパン粉を叩いて揚げればよいだけだったのですが時間が足りないと思い 急遽お刺身に替えました。
今日もコロッケでは ありませんでした。
でも明日は 必ずコロッケです。
何でもそうですが 家で作った物の方が美味しいのです。
例え冷えてしまっても…。

夕食介助も終えて 母は眠そうな表情なのでトイレ誘導後着替えてベッドへ移乗。
今日の夕食はいつもより1時間遅れ 就寝も遅れました。

失敗は ドライブに出かける時母用の水分を準備し忘れてしまった。
そこでコンビニに立ち寄り お茶を購入。
本来トロミ剤を少し使うところですが コンビニにはないので少量ずつお茶を飲んで貰いました。
噎せずに飲めました。母も「待っていました」とばかりに 沢山飲んでくれました。

そんなこんなで 1日が過ぎました。
まだ暑いのだけれど 秋を感じて1歩前進でした。

夫は 初めて母への介助を目の当たりにして驚いていました。
勿論 介助している私をみて「大変だな」とは言いますが そこでおしまいだったのです。
特に 驚いたのは 食後の口腔ケアでした。
入れ歯を外して洗浄後 歯ブラシでゴシゴシ。
その後 大きな綿棒で口の中を綺麗に拭いて その後口腔ケアの液体で仕上げ…。一連の介助をみて「どうして?」と質問された。
「誤嚥性の肺炎の予防」というと「肺炎」って風邪から引き起こす物ではないのかと…。そこで あれこれ説明したら納得していました。
その後 介護保険や施設のこと病院に入院するとういう事に話に移って行った。
いつもは「おれ 長生きしないから…」と言う夫ですが「ほう」「えっ?」と驚きの連続。介護の領域に入る前に少し認識を持って貰えた事は ちょこっと収穫でした。
「何れわが身も…」高齢者と共に暮らしているとそう思わずにはいられません。夫が全て判ったとは思えませんがねぇ。
私だって 全てが判っている訳ではありません。
母と共に歩んでいると いろいろと教えられます♪


2010年09月11日(土) 2人3脚は続く


デイの無い日なので 家でゆったりと過す。
今朝 「何が何してなんとやら...」みたいなちゃんとした話し言葉を発した母。その時に書き留めなかったので 記憶の彼方へと消えてしまった。
残念無念である。

午後ケアマネの訪問があった。
母がじぃっとケアマネさんを見つめていた。
「なんだか恥ずかしいですね」「心の内を見透かされるような感じがします」と話していた。
「皆さん そうなさるのではないですか?」と聞いてみた。
暫く考え「そうとも限りませんね」との返事。

母が施設にいた頃のことを考えても じっと見つめ続ける人は多くはなかったかもと思い当たる。

「今朝 文章になる様な話し方をしたのですよ」と言うと…。
「話しかければ 直ぐに反応を返せるのですから そういう事があっても不思議じゃないですね」と言われた。

母はやぱり特例なのかなぁ。

食事の時 人参が口の中に少し残っている時にお粥さんを運んだら首を横にふり 口を開けなかった。
その後 口が空になったら ちゃんと口をあけて食べてくれた。
其の少し前に ちょっとだけ噎せた。
自分は食べられる状況でないと察知して自衛したのだと思う。
言葉では言えないけれど 自分の状況をある程度理解できて危険回避が出来るんだな。
こうやって 母の意思表示を感じ取りながら2人3脚の毎日である。
だから安全と言い切れない現状ではあるのだが...。


2010年09月10日(金) 人の事だけれど...ついつい。


目覚ましが鳴る音と夫のトタパタで目覚めた。
「今日は早くでないといけない日だった」と夫。
「お茶だけでいいやぁ」とそそくさと出勤していった。

おかげでゆったりと朝の支度ができた。
リサイクルゴミの回収日。町内会の資金となるので協力。ダンボールやら紙ごみ等を纏めてから母を起こした。
今日はしっかりと椅子に座っていられた。

トイレ誘導 着替え 洗面 整髪 朝食 歯磨きと一連の介助をして母をデイに送りだした。

デイから戻っった母に 水分補給したりおやつを食べテ貰ったり...。
其の間 母の傍を離れて食事の支度をしたり 鉢植えに水をやったりしていた。

作業が済んでトイレ誘導した時「あそびましょう」と母。
「私の傍にいて...」という思いの表現だろう。
「はい。遊ぶの大好き。今度 宮城に行こうか?それともタカラズカに行く?」と応えたら なにやら嬉しそうな表情となった。

「車椅子だから行けない」「食事ができないから無理かも」と先日の会食の時と同じ発想では...。
大きな無理をせずに何とか打開したい現状である。
外に出れば きっと満足する。そういう母だから。

良く行くブログに沢山の書き込みがあった。
就労しながら介護している方。それも3人。
ある日 仕事から戻ると家の中が壊滅的状況だったと言う。

そこに書き込まれた言葉に絶句してしまった。
介護者には 介護者の想いがある。
専門職の方の書き込みもあった。
迷い悩んでいる介護者にそう言うか...と思った。
家族のことにまでも踏み込んでいた。
ご家族が傷ついていないかと心配でしょうがない。
当事者と介護者が納得できるところに早く軟着陸できれば...とそうっと見守っている。
書き込みに唖然としてしまって ひとこと書き留めて置きたくなってつい。


2010年09月09日(木) 看取り後の介護者...

昨夜は 早起き夫が居ないので 目覚ましをいつもより30分早目にセットした。
いつもは ガタゴトの音で「起きたんだな」と察知して 次の目覚ましのなる前に起きられる。

夫はいつも笑う。
「あのねぇ 普通年を重ねると朝早く目覚めるものだけれど 貴女は若いのかなぁ」と。

自慢じゃないけれど 若い頃は目覚ましなんていらなかった。
周囲で「いくつ目覚ましがあっても足らない」と言っても「なんじゃそれは」と思ったものだ。
年を重ねていくに従ってずうずうしくなって来たのか 朝がすっかり弱くなってしまった。遅くまで起きているのは 若い頃から同じなんだけれど...。

今朝は 目覚ましが鳴って「起きなくちゃ」と思いながら3度目覚ましを止め時計を見てまた眠ってしまった。

結局 いつも通りの時間におきだして 洗濯機を廻して 母を起こして...。
何時も通りの介助。
母 前のめりがきつく 椅子に座しての着替えはいつもより手がかかった。
「調子悪いかな」と少し不安になった。
でも熱もないし 下痢もない。

おそるおそる食事介助。
いつも通りの食欲でちょっと安心。
母の眠りが起床時に深かったのかも知れない。
食事が済む頃には ニコニコ笑顔が戻ってきていてホッとした。

連絡帳を書いて 身支度を整えてデイに送りだした。
介護仲間から戴いた手芸の材料を手渡して喜んで貰った。
介護仲間に伝えなくちゃね♪

母を送り出して 急いで朝食。洗濯物を干して 町内のサロンへ駆け込んだ。MCIの方の所を訪問して誘ってみたが 今日は「眩暈がして危ないから行かない」といわれて今日は玉砕。
前フリが足りなかったかもしれない。
余裕がないと得てしてこんな結果となる。

サロン早抜けは 先に伝えていたので 30分ほど早く抜け出して家に戻り
次の場所へ向う準備。
お昼は 外で...と思って家を出たが 生憎昼休みの時間と重なり何処も満員。結局空いている蕎麦屋さんへ。
お腹に詰め込んだ後デパートに走った。
日傘が壊れて 古いのは日焼けしていてちょっとみすぼらしい。
朝の内は曇っていたので良かったが もうすっかり強い日差しとなった。
夏物の売れ残りの商品から 何の考えもなく選んで購入。

介護仲間と共に電車に乗り込み会場へ向った。
いつも滑り込みだが今日は余裕で到着できた。
本来の話は後回しにして イヴェントの話を検討。

この話が終わる前に会場を後にする事になる。
デイの送りにぎりぎりの時間。
家に着いて5分もしないうちに母が帰ってきた。
今日は 戻るのは遅れなかったのでホッ。

水分補給・トイレ誘導で「大」「小」排出。
それからゆっくりと夕食介助。

母の食事が済んで休息中に夫が帰ってきた。
まだ自分達の食事の支度が出来ていない。
急いで あり合わせの物を並べて 夫晩酌開始。
昨日のお通夜の様子を母と一緒に聞いた。
母もニコニコして聞いていた。
一時間ほどして 眠そうになった母を終身支度をしてベッドへ移動。

それから食事の準備。
夫の話を聞きながら食事。
食後「電話をする...」と夫。
葬儀のあった従姉妹の家だった。
「貴女も出なさい」と。
暫く 亡くなった経過を伺った。
在宅で訪問看護を受けながら過していたが 介護者が転倒して大怪我をして入院したため 仕方なく介護の場所を病院へ移したそうだ。
暫くして安定したので お父様を別の病院に転院。
その後休息に状態が悪化したそうだ。
其の事を悔いていて...「家に置いておけば良かった」と。

従姉妹の年齢は 夫と同じ。世代的に大きな差はない。
でも独身。
精一杯の事はなさったとおもうのだが 此方が慰めても何の益もない。
優しいおじさんのお話をして 私達にも優しくして下さり感謝していると伝えた。

そういえば サロンに見えた方も在宅から施設に移され 数ヶ月しないのに亡くなってしまったというお話も伺った。
此方は 老健と同系列の医療施設といったりきたりした挙句のことだった。
この方も90歳を越えている方だった。
それも認知症は極々最近出現し それ以前はお元気な方だった。
病院のこと 施設のこと等個人的にあれこれ相談を受けていた。

亡くなってしまうと残された者は 遡って悩まれる方が多い。
たとえ 亡くなられた方が90歳を越える高齢者であっても...。
喪失感が癒されるまでには 時間が必要である。

従姉妹は 病院から喪主をつとめるために外出し また病院に戻ると聞いた。杖を突いてお役目を果たされたようだった。


2010年09月08日(水) 恵みの雨

 
デイのない日。
今朝 夫から用事を頼まれた。
母が家にいるので 会社の事務担当の人に母の見守りをして頂くことになった。
時間通りに見えた。
それまでに母の用を済ませて パットも多量に対応する物にした。
何事も起きないとは思うけれど やはり1時間1人にしておくのは避けたいのである。

母と一緒にテレビでもみていて貰おうと「タケちゃんの思わずわらっちゃいました」のDVDをつけておいた。
母にとって毒もなく 何となく笑えるもの。

あたふたと戻ってみると「なんにもおきませんでした」と彼女。
用が済んで直ぐに会社に戻っていった。

それから昼食介助。
トイレ誘導を済ませて療法士さんを待つ。
程なく見えて リハ開始。
普段足が震えないかと聞かれた。
其の状態は 何となく判るのでそういう事は起きていない。
立位時踵が上がっているが 歩く時には1度後ろ体重になっても踵を床につけてから 前に体重を移してから歩き始めるようにしていると伝えた。
別に誰に習った訳でもないのだが そうする事で歩行が安定するように感じるのでそうしていた。
「それでよいでしょう」とのことだった。

療法士さんが帰られたあと 水分補給とおやつ。
夫が帰宅。
夫の義理のおじさん(94歳)がなくなり御通夜に出かけるためである。
本来なら夫に同行すべきだが ちょっこと遠い。
母を連れて行くにも支障があるので 今回は夫のみ。

夕食の準備をして休息。
…今日も頭では コロッケを作っているのだが テーブルに乗ったのは 煮物である。母の食べ易い物を優先させると献立も限られてしまう。
キャベツを買い千きりキャベツを作ろうと思っても おひたしに化けてしまう。時間と気力が不足してきている...

水分補給の影響だろう 尿量が多い。
午前と午後と「大」排出。状態は良い。

食後入浴介助しようと思ったが 眠そうなので今日は取りやめた。

入れ替わり立ち代り 人が来て母にとっては緊張する日だったかもしれない。

おそらくひと月ぶり位の雨。
おかげで 久々に涼しい。
涼しいってこんなにも楽なんだな。
夏は暑いものと受け止めて来たけれど 休みなしの暑さだったからなぁ。
明日も2つの予定が入っている。
帰り母のデイの送りに間に合うか...それが心配。
何しろ 送迎に関して迷惑をかけることが多いので困った家族だろう。


2010年09月07日(火) トイレサイン変化かな?


PCの具合が悪い。
容量がいっぱいになっているせいだろう。
とにかく 重たい。

 いつものように起床していつものようにスタート。
特に変わることもなく食事を終えた。

母をデイに送り出した後 昼食を食べに戻るかもと言い残して出かけた夫のために昼食の準備。
午前中は 出来る限りエアコンを使わないので 家の中 すごく暑い。

支度を終える頃 介護者の会の定例会に出かけた。
今日は 介護の研究をなさっている方が 説明をしたいという事で少し早目に向った。

会の事は また次の機会にでも...。

母がデイから戻る時間に滑り込み 送りの時間に間に合った。

夕食もいつも通り。
ただ 夜間になるとパッチリ目を開ける。
どうやらトイレサインに変化が出てきたように思う。
今日は 朝からフル回転で少し疲れたので ここまで。


2010年09月06日(月) 「いだましいなぁ」


 昨夜 ライブが終わって 赤坂でインドネシア料理のお店でお食事し戻ったので 家に着いたのは 午前零時少し前。
夫は テレビの前でzzzz。
気配で目覚め「いっぱい寝たからなぁ」と起き出した。
それから またおしゃべり。
付き合って 午前2時過ぎまで。

昨日の今日でさすがに疲れて朝は うつらうつらしていたが 6時ごろ「準備もあるから 早く出るよ」というので 起き出して食事の支度。
夫を送り出して眠ればいいやと思っていたけれど そう思い通りに睡眠できる訳でもなかった。
朝なら…と庭に出て 草取りをした。
いつもの生活が始まれば草取りなんて後回しとなってしまうのは毎度のことである。

ざっくりと草取りしたら ご近所さんが動く気配。 
先週夫の義姉から送られてきたジャガイモを配った。
このジャガイモ近所でも美味しいと評判のもの。
そうそう お食事会の前日に義姉にお礼の電話をした時に 此方のしまいこめぬ想いを吐露して耳を傾けて貰った。
亡くなったあいつへの想いや弟達のこと。
電話の向こうでも涙を零してくれている気配を感じた。
義姉達には いつもいつも支えて貰っている私。

話は またお食事会のこと。
お食事会の事は お嫁さんにも弟にも姪にも感謝の言葉を戴いた。
だが 姪の「父が到らなくて…」と詫びる言葉に「いや 本当はこういう事は娘である貴女がして当たり前のことなんだけれど...」と想ったのであるが それは口にしなかった。

いまや結婚式だって親が準備するのが当たり前みたいになっているけれど…そうじゃないと思う。
少なくとも 夫も私も自分達で準備するのは当たり前と思っていたから。判らない事は親に聞きながらではあるのだが...。

でもそれぞれ家の事情があるだろうから なんとも言えないので黙っていたのだが...。

さて 話を今日に戻して...。
ご近所に配り朝食を摂り 洗濯を済ませた頃 急に眠くなってひとねむりした。1度目覚めたが もう買い物に出たら母の迎えが遅れてしまうと思って再度眠った。

しっかり目覚めてから 夕食の支度を済ませて 母を迎えにでた。
今日の母は 姿勢も保っていてホッとした。
送迎バスに乗り込むと 笑顔も見せてくれた。
「これは…」と家に戻ってトイレ誘導すると「大」
ショート中は1度もなかったいう事でめでだしめでたし♪

それから水分補給し梨を食べてもらった。
昨年は 薄く切ったりんごでも噎せていたのでこわごわと。
でも 咀嚼力は戻ってきたようで薄きりの梨もちゃんと食べられた。

夕食を盛り付けて食事介助を始めると徐々に言葉も出てきた。
介助の時テーブルに少し零したのでふき取ろうとしたら 自信のないか細い声で「いだましいなぁ」と。
「いだましい」とは方言で「勿体無い」とか「残念」とかいう意味だったと思うのだ。何しろ 方言をあまり使わないし 最近では耳にする事もないので...忘れかけていた言葉なのだ。
想いを適切な言葉で表現できた。
なんだか ほんわりとした気分になった。
母と暮らしているからこそ 味わえる独特の気分である。

夜は 少し遅くまで起きていたが 具合が悪い様子もなくニコニコしてので安心ゆえの夜更かしと勝手に解釈している。


2010年09月05日(日) 1日で3本締め2回も…


姪っ子は数年前に結婚した。
挙式はしなかった。

この夏 男の子を出産。
義父母さんが孫に逢うために日本に見えた。
そこで出産のお祝いを兼ねて親族の会食をすることになった。
それが 今回のお食事会。

弟が指定した日は 母のショートが入っていた。
このショートは 3日の用事とこの日の夜の情熱大陸の談志と爆笑問題のライブを見るためのものだった。

母を同席させたいと思ったのだが 長時間は無理で 母が食べられる物も少ないだろうと想像できた。
それでも「出来れば...」と思い ショート先には「この日外出するかもしれません」と伝えていた。
でも どう考えても夜の時間に響くので母を連れて行くことは断念した。
自分の楽しみを取りやめたくないという我儘だった。

弟のお嫁さんのお母さんも 圧迫骨折後歩行が大変になっているので 会場はそちらの近くに決めた。
何となく元気な人優先させてしまった。
主体は 実家のことなので母を優先させても問題はないと思うのだ...。
でも 言い出せなかった。

私自身も自分の都合を優先したので 人の事を責める事は出来ないのである。

下の弟も夫婦で参加。
この10年来 我が家に来てはいない。
だから 心の隅っこでは 遠路はるばる来たのだから母の顔を見て行ってくれればいいなってちょこっとだけ期待していた。
が結局のところ誰も見えなかった。
電車で20分足らずの所まで来ていたし 宿泊は隣の駅近くだったのだ。

食事会の時1度だけ直ぐ下の弟が母の存在を義父母に伝えた。
でも 話だけなので携帯の待ちうけ画面にしている母の写真を見ていただいた。
母のことが話題になったのはこの1度だけ。
あっ いや  後1度あった。
お嫁さんのお母さんが「今日は お母さんにお逢いできると思っていた」と。

ふたりのお嫁さんから母のことは1度も聞かれなかった。
父の法事の話を切り出しても母をどうするなんて話もなかった。
そういうことだと十分想定できていたのだけれど 終わってみると「やっぱり」と重たい気分になった。
家の家族も皆同じ思いで 帰路重苦しい気持ちとなった。

普段は 自分のために母と暮していると思っているのだが...自分しか暮す人がいない母だと突きつけられたような感じがした。

義両親との食事会は 楽しく笑いに満ちた時間だった。
義父母さんと姪の婿殿は イスラエル出身。
前日にネットで調べてヘブライ語の祝福の文字と簡単な挨拶のメモを作って準備した。

ご両親が到着した時「シャローム」と出迎えた。
とても驚き「シャローム」と返してくださった。
遠い所から逢いに来て下さった御礼の想いが伝わればと思いて土産も渡せた。

夫も話し込み お父さんが幼い頃フランスで暮らしたことがあると判り話しも弾んだ。
娘は 浴衣だったので それも喜んでくださった。

姪には 出産のお祝いと品物を準備してそこには ヘブライ語の言葉を添えて...。婿殿はそれを非常に喜んでくれた。
勿論 両親へのお土産にも同じヘブライ語のカードをつけて...。
言葉も判らない者としては 最低限のお礼のつもり。

お食事会も時間も押せ押せで 最後は3本締めで。
夫曰く 手拍子という物は何処の国もあり 3回やれば 最後はリズムを掴んでばっちりと合うものなんだよ...と。

ご両親からスカーフのお土産を頂戴した。

それぞれ 帰路に着き我家族も1度家に戻った。
戻って直ぐに今度は赤坂に向う。

会場にはぎりぎりで着いた。
最初のトークは談志。
舞台に立ち Gパンとブレザー姿。
話しながら舞台下座から ゆっくりと中央へ。
「はなせるかなぁ...」なんていいながら じっくりと自分のペースで会場の人を引きこむ話術は健在だった。

次に爆笑問題。
談志を師匠と仰ぐ太田は非常に緊張しているように見えた。
それでも 今を切り込みながら 話は進み会場を沸かせた。

最後は 談志の落語。
楽屋で身支度を整える所からカメラでライブ中継。
大サービスというかなんというか...。
落語は 後半で落ちを口走りかけて...「まいいかぁ 落語ちゃんちゃかちゃんやるからな」とカバー。
見事最後は落語ちゃんちゃかちゃん。
緞帳が下りて 再度上がり 爆笑問題と〆。
そして 話を締めるのに また3本締めとなった。
実は 談志のトークネタの前ぶりは イスラエルの話題だった。

終わってみて 何の関連もない場所で イスラエルの話題・3本締め。
それも 最後の締めがだらだらしそうで 3本締めで終わるという結末にまるで私達の重たい気持ちを慰めてくれているような...そんな感じがしたのだった。
思い込みの強い私らしい感じ方です。ちゃんちゃん!
手前味噌的な日記となってしまいました。


2010年09月04日(土) ギュッと押し込む


 奥様を看取られた介護仲間が 手芸材料を持ってみえた。
雑然と纏めてある其の荷物をみて 想いがいっぱい詰まっている物を整理するって 苦労も多かったのだろうなぁと思った。
またこれだけの物を残された奥様の当時の想いが想像できて胸がキューンと締め付けられた。

ご家族が認知症と気が付くよりもっと早い時期に認知症は始まっていたのだろう。

母のことを振り返えってみると「あ あの辺りからだったんだな」と思う。
母にも未完成の編み物や衣類があった。
割りに早く気付いて 父の遺品の整理もしていたこともありそれらの物は大分処理した。
母が1人で整理できるように荷物を減らしたのである。
箪笥も外から見て判るような工夫をしたし 帰省の折には 散らばってしまった箪笥の中身を元に戻していた。

そんな経験から 介護仲間の持ってきてくれた荷物に本人の叫びが詰まっているなぁと感じたのである。
母と同じ施設にいた事もあり認知症となってから周辺症状がかなり強いなぁと感じてた。
でも 優しさも感じた。
「あなた優しいのね」といってくれたまなざしに 発症前の人柄が感じられたのである。 「ありがとう」と言う言葉もちゃんと言えた。
プライドが傷つけられる事は嫌で 自分で出来なくなっている事を知られる事を本当に嫌がった。
それは 母にもあったが その方はもっともっと強かった。

届けて貰った手芸材料は フリーマーケットに出展して会の費用に当てたり デイサービスの手芸に使って貰う予定である。
他に布などもあるので それもこれから運んで来て下さるそうだ。
何しろ2世帯がゆったりと住めるスペースに荷物がいっぱいだと...。

詳しくは書けないが 今後のことも含めお話下さった。

明日はお食事会。
今日は いろいろの想いが過ぎり 気持ちが揺れた。
でも おめでたい事なのだから 気持ちを切り替えるように努めた。

自分も許されて生きているのだから心を広くしなくちゃ...と思いながらなかなか穏やかになれない自分が哀しい。


2010年09月03日(金) 交流会

 夫が突然 家の補修を始めた。
今日は 此方が用事があることは伝えてあり母もショートに送り出す予定なのに...。
夫は 夫の考えのもと 家族の留守の間に...と思ったようだった。

でも手伝いの人を放置も出来ず あれこれと支度した。
母をショートに送り出して 支度をして出かけた。

今日は 介護の周辺にいる事業所の方 企業の方 多方面の方との交流会。
イヴェントを行う前に...。
結構な人数が集まった。
企業でメセナ活動をしている方も助っ人に来てくれている。

「はなさん お久しぶりです」と挨拶を受けた。
以前認知症関連の会議でご一緒だった方だった。
看護関連でも介護者や介護・看護関連の人たちと手を繋ごう...という動きが生まれているという事だった。

夜の親睦会まで いろいろな方とお話した。
トロミ剤のメーカーさんとお話した。
母を見ているとトロミ剤を使うとお腹を下すように感じていたのでその辺の事を伺った。
トロミ剤は殆どの場合食物繊維なので 便秘がちの人はお通じが良くなることもあるという。
人に拠っては お腹が張ることもあるという。
「トロミ剤に 副作用が明確に記載されていないですよね」とお聞きすると「そうですね」と言うことだった。
ひとつ勉強になったし 母に使ってみて感じたことは間違いではなかったと判って一安心。

これから介護は何処に向っていくか...という話も出た。
施設利用料を高くして 介護の質を高めていく...という話は 最近介護仲間からも出る話。
でも 私は 直ぐに賛同できない。
介護保険の利用料を減らして生活を維持している人が結構いると感じているからである。
今は つましい生活をしていた方が介護保険を利用しているから何とかなっているが 贅沢な暮らしをしていた人は多様な要求をするようになるだろうという話も出た。
でも今の高齢者だって 我慢をしたり 満足できないが故に生きる気力を無くしている人がいると感じている。
結局の所 全体的に2極化しているのである。
高齢になっても厳然とそれがあるってどうなんだろうね。
その辺がどうにも納得が行かない。

イヴェント当日は 持ち場の対応に追われ他の人の交流ができないのは 主催する側だけの話でないことも判った。
今日の交流会には 延べ人数で100人以上になったという事だった。
直前に申し込みがあって 準備する人は大変だったと思う。
現に いろいろの連絡が深夜に入る事も度々。
此方は 介護もあって直ぐに返事ができないという現実もある。

肝心のイヴェントは10月であるが 今年は かなり深まっていくのではないと言う予感がする。

久しぶりに逢って いろいろとその後の話も出来た。
みんな それぞれの場所で踏ん張り 考えている事を知った。
結構曖昧な繋がりなのだが この緩やかな繋がりと言うのが心地よくもある。
介護者がもっと参加できればいいのだが 介護の日々では そう簡単な事ではないのだ。


2010年09月02日(木) おそるおそる...


母をデイに送り出した後 PC作業。
それから 介護仲間と会報発送作業。

この所気力不足。
もともとのんびりが好きなので...気力をキープしていく事が苦手。
なんでこんなことしているのかなと度々思う。

収穫も多いのだから 自分の老いの準備なんだろう。
あいつからの最後のメールに「ボランティアなんて...と思っていたけれど 今は違うよ」という風にあった。
もう何も言い返せないけれど...こういう場所に引きずり込んだのはあいつなんだけれどね。

あっ 脱線しちゃった。

デイから戻った母。
夕食前にトイレ誘導し「大」排出。
夕食は「さんまの塩焼き」
スーパーで秋刀魚をみて「今日はこれ」と決めた。
でも2本にするか3本にするか迷った。
「秋刀魚は細い小骨が多いので...喉に良くないなかもな」と思った。
でも旬だしねぇ。食べさせたかった。

夕食時 眼鏡をかけて小骨を外しながら介助。
面倒な作業でこりゃ失敗だったなぁと思った。
肝のところには骨も多い。でも折角の生秋刀魚なんだから肝の苦味もね。
ちょこっと口に運ぶとにっこりとしてみつめてくれた。
一回くらいはいいかぁ。

食後・就寝してから噎せないかと様子を見ているが 大丈夫そうだ。
小骨が誤嚥の原因となったら...とちょこっと心配だった。
秋刀魚を口に運んだ後 お粥さんを少量。よく噛んだのを確認してから 大根おろしと長いものおろしを混ぜた物を少し運んで 様子を見ながら介助した。


2010年09月01日(水) 母の手が...♪


昨夜 ETCのカードの請求のはがきと其の決済のお知らせのはがきをみていた夫。
「あれ こんなの使っていないぞ」と。
それから月ごとに見ていくと大きな金額ではないが 覚えのない引き落としが何件かあった。
そこで「カード止めないと大変なことになるよ」とカード会社に電話しようとしたが 営業時間時間外となっていた。

夫はETC以外に使わないので 誰かが偽造したのか?誰かにスキミングされたのか?とあれこれ考えていた。

夫 今朝 早目に会社に出て銀行に問い合わせ。
その結果 使った覚えのないものは カードを使ったのではなくて インターネットで購入した物だという事が判ったらしい。
それが偽造に拠る物ではなく 手違いが生じている可能性があるので調べて報告してくれることになった。
引き落とされた物は 戻してくれるそうだ。

娘からは「よく口座引き落としはちゃんと確認しないとね」と言われていた。
大金を持っているわけでもないのだが...やはりきちんと照合する必要があると大いに反省。
家計の分は 確認してるけれど夫の会社の分までは...見ていなかった。

カード利用は殆どないしネット購入も着払い方式なので あまり関係ないかと思うが...いやはや。

今日は 1日母と過ごす。
午前中のトイレ誘導で「大」排出。

午後療法士さんが見えてリハビリ。
夏期休暇でお休みとショートステイでお休みと2回お休みが続き久しぶり。
特別の変化もなく ゆっくりとリハビリ。

その後入浴。
この所ぬるい温度にしていたが 今日は普通に戻した。
と言っても40度くらい。
この方が 気持ち良さそうだった。入浴後も気持ち良さそう。
お風呂上りに水分補給。

そして テーブルでゆっくりして貰っている間に夕食を作り 夕食介助。
その後 母の部屋で洗濯物を畳んでいた。
すると母の手がそうっと伸びて来て 私の頭をそうっと撫でた。
「ありがとう♪」と言ったら 頷いていた。


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