母のタイムスリップ日記
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2009年11月30日(月) 明日から12月だなんてなぁ


今日は 利用者さん訪問活動日。
朝 利用者さん宅前で待ち合わせた。
利用者さん宅前に着くと友人と民生委員さんとお話していた。
「はなさん あなた午後お約束があるって?悪いわね」と言われた。
確かに午後 町内のサロンの事で打ち合わせがある。
そういうことをいうと必ず気になさるので黙っていたのだけれど...。
「大丈夫ですよ。それほど大切な事ではないので『遅刻するかも...』ってちゃんと伝えてありますから」
活動中ずっと気になさっていらした。

今日は ニトリにお買い物に出るのだ。
バスを乗り継いで出かけた。
出かける方法は 幾つもある。
信号待ちしている時に 一台バスが行ってしまったので「別のルートで行きましょうか?」と提案する。
距離的・時間的にも短縮できるのだが 利用者さんは 自分の描いたルートを選ばれた。
昨日電話で ニトリの場所を伝えて駅からバス便がないので「歩けます?」とお聞きした。その時は「はい 大丈夫ですよ」と言われたのだが...。
今日「駅からタクシーつかいます」と話された。
タクシーを使うほどの距離でもないのだが...。
若し母を連れていたら歩けないだろう。上り坂が続く場所なのだ。
「じゃ 様子を見ながら帰りは歩いてみましょう」と伝えた。

90歳になる利用者さん「ニトリ」なんて良くご存知だと思う。
お訪ねしたら「テレビで知った」ということだ。

到着してお店に入ったら「あらら こんなに広くて一人だったら迷子になってしまうわ」と言われた。
必要なものを購入されて「安いわね」と驚いていらした。
買い物したものは 配送してもらうことに...。

場所が判るように外に出て 今いる所を確認して頂き歩けるか訊ねてみた。
すると「大丈夫そうですね」と言われたので ゆるりゆるりと歩いた。
落ち葉の積もった坂道は危険なので利用者さんの腰に手を回しながら...。

そうやって またバスを乗り継いでホームグランドの駅に戻った。
そこで12月の訪問予定を調整してお別れした。

家に戻って 午後の約束の場所へ伺った。
12月のサロンは クリスマス会の予定。
普段は食事はしないが 軽食を出して楽しみましょうと言う提案がなされてその準備について話し合った。
楽しみ方に工夫をしたい方が居られてビンゴゲームしようと提案された。
私は 準備することに自信がない。
これ以上の用は年末には避けたいのである。
私は 負担の少ない用を承った。

打ち合わせが終わって家に戻った。
ちょっと体調が不安。
そこで思い切って一眠り。30分程度だが...身体を休めた。

それから 夕食の支度。
どういう訳か玉葱丸ごと煮たものが食べたくて...缶詰めトマトとフレッシュトマトをブイヨンとオリーブでコトコト。
それだけでは 物足りないのでお肉を焼いて...。生野菜を添えて。ほうれん草のソテー。

明日は 早朝出の夫。もう お布団で眠っている。
今 ふろふき大根を作ってる。明日 母所にもって行くものである。
甘味噌も仕上がり 後は大根が柔らかくなるのを待つだけ。
今日は これが仕上がったら 遅くならないうちに眠りましょうっと。

わぁ 明日から12月なんだなぁ。


2009年11月29日(日) みんなで ワッハッハッ!

 
 母の所に行く支度をしている最中 電話を戴く。
丁度 お粥を保温する作業の時だったので ちょっと時間を戴いて保温袋に詰め込んでから。
10分と言っていたけれど おそらく10分では片付かない事が予測できた。
遅れるのを承知で話し込む。

私がパタパタとしている事はご存知なのだけれど 知り合って間もないので此方のタイムスケジュールは ご存知ないので致し方ない。
その上 相手にも時間の都合もあるだろうしお急ぎでもある...折角繋がったのだし...話せる時に話しておきたいしなぁ。

と言う訳で 暫く話し込む。おそらく30分ほど。
相手も時間を気にしてくれ 今週お会いして再度仕切りなおしする事になった。ヤレヤレ。

食事開始ぎりぎりに滑り込む。
職員が母に声を掛けて下さった。
それでもなかなか目覚めない。
「食事に...」と言う事だったので トイレ誘導を先にさせて貰うと勝手を言わせて貰った。
誘導はしてくださったとのことだがパットを替えてくれたということだったので...。

トイレ誘導するとパットはぐっしょり。
便座に座ると「小」も「大」も。
昼食前に誘導するのは こういう意味がある。
食べ方ものんびりなのでそれ以上に食事中の我慢を強いたりできないなと言う想いがある。
食事時間が延びて 職員には迷惑をかける事になるのだけれど それでも出かけた限りは守ってあげたい。

その後食事介助。
食事の間は座位が保てる。いや食事の時だけではない。
母に興味が沸けば座位は保てる。
職員の言葉を借りるなら覚醒していない時が立位や姿勢保持が難しいと言う事だ。
覚醒していない時というのは 母の立場から言えば 集中できないから寝ると言う事である。
どっちも正しい事だと思うけれど...。
捉え方は 職員と本人とは違うのだと感じている。

施設の食事は 柔らかコールスローと味噌汁とカレーライスとゼリー。
家からは柿と羊羹。
これ等全て食べ終えて1時間。
居眠りもせず笑顔いっぱいで食べてくれた。

口腔ケアを済ませて 足首の運動をして貰ってから立位し歩行。
この所かかとが以前より着くようになった。
一時的か判らないが 足首の運動とアキレス腱を伸ばす事ようになってから大分改善されたと思う。それと上履きのかかとの部分にフェルトを重ねて敷いていることもかな。

入所者の1人が「遊びに寄って!」と言ってくれた。
母と遊びに寄らせて貰った。
その方と足の運動をして 後はちょこっとマッサージ。

母のトイレタイムのため一旦居室に戻った。「小」排出。
そこへ訪問介護でトイレ介助に入ってくださった。
同時に入所者の方がお二人で母の部屋に遊びに見えた。
「人の部屋に入るのは 初めて...」と嬉しそう。

「まぁ ここには畳もあるねぇ。懐かしいなぁ」とニコニコ。
「どうぞどうぞ お入りください。座れますか?」と聞くと「座れますとも。。」と畳に正座なさった。職員が「お茶でもお持ちしましょう」といってくださった。
空っ茶を飲みながら 歌を唄う。
「私は最近 直ぐに忘れてしまってね。でもこうやって一緒に歌ってくれると思い出せます」と喜んで下さった。

「此の頃自分の年忘れちゃってね。頭が変なんですよね」
「私も忘れっぽくて困っていますよ。物忘れを独り占めしないでね。私も同じなんですよ。ところで何年に生まれました?」
「大正〇年」
「あらら 母は大正〇年ですので 母の方が上ですわ」
「そうですか。私よりふたつ上なのですね」と言いながら次の場面では
「私大正〇年生まれ この方は私よりお若いですね」と母をさして言う。
「いえいえ 大正〇年生まれなんですよ」
「あら 私よりふたつも先輩。若いですね」
こういう会話がエンドレス。

母が病の初期の頃 応えるのも面倒になって紙に書いて渡したっけなぁ。
これが 結構母を傷つけてしまって...。

そばに居る認知症でない方もニコニコ笑ってそばに居て 母もニコニコ笑って座っている。

母のお得意の牛若丸の歌を唄うとなんと母と同じように振付けた動作をなさる。此方は 飛び上がらんばかりに嬉しくなってしまった。
母はもう話せないし動作も付けられない。
「母も同じようにしてましたよ」と言ったら「だってこの歌 はやったんだもの...」と話してくださった。
「そうだったんだ。母からは聞けずじまいだったけれど 判ったぞ!」

この方は 忘れてしまう事も理解しておられる。
昨日も「〇さんが今日お休みなので 明日聴いてください」と職員に言われて
「私 忘れてしまうから紙に名前書いてください」と頼まれた。
ところが紙を取りに行って戻って見たら「私が聴こうとしたこと忘れてしまって...一体何を聞こうとしていたのでしょう?」と質問されてしまった。
何を知りたかったのかまでお聞きしていないので ちょっと困窮。
他の職員に「何を聞いていましたか?」と聴きまわっていらした。
また 私のところにきて「〇さんと書いてください」と言われて「〇さん」と書いたら「何をする人だっけ?」とそこで担当の役割も書いて差し上げたら「ありがとう」と感謝された。

今日も「私の母なんですよ」と伝えたら それはきちんと覚えられて「あなたのお母さんですか。おとなしい方ですね」といってくださった。

唄い終わってからお手玉を取り出して遊んだ。
「これこれ これも流行っていたのよね」と遊び始める。
ところがうまく行かない。
「昔は3つも4つも持って出来たんだけれど もう目が見えなくて出来ない。あははは」と。「手も思うように動かない。あははは」と。
母にはボールを持たせて参加して貰い 後の二人はお手玉遊び」
「あれ また失敗」その度に「あははは。昔はもっとうまく出来たのに あはは」
そのうちに 数を少なくして上手に出来るようになった。

お次は塗り絵。
「お好きですか?」
「うん 昔はしたけれど 今は目が見えない」

率直に今の想いを語ってくれる。
此方は その方の冗談めいた話に笑い転げてしまった。

この方は 入所して間もなくて 先日のお財布の件の方。
あの時は 怒ってばかりだったんだ。

施設でこれだけ大きな声で笑ったのは久しぶり。
母との会話も殆どないし...。

母の居室に集まったみんなで笑い転げてしまった。
母もこの間居眠りひとつない。
いつもなら 1人でこっくりこっくりする時間。

1時間ちょっとの時間だけれど とっても貴重で楽しい時間だった。
そうそう 母ともこんなこと言い合って笑い転げた時もあったなぁ。
あまり笑うと「笑うなっ!」って怒られたこともあったなぁ。
怒ったり 泣いたり 悲しんだり...本当にいろいろあった。
此方も負けずに怒り返したり...。

入所者の方は 同じ話の繰り返しになったりするけれど 根っこが優しい。
気持ちの休まる1日だった。
職員もこれくらい楽しめたらいいのになぁ。


2009年11月28日(土) 夜道をとことこ...


母の所に 自転車で走っている時「こんなに穏やかなお天気なら ちょこっとお散歩連れ出してみよう」と思った。

施設に着いて トイレ誘導「大」「小」排出。
それから 食事介助。
今日も順調で 1時間掛からずに終了。
食べる量だって 施設の食事+果物+うなぎ。

ようやく母の変化に此方が追いついたと言う感じである。
転倒で骨折こそしなかったけれど ショックが強かったのだろうし また痛みもあったのだろう。それも薄れたような気がする。

食事を居室で摂るようになって 母がいつも私を見ている。
みんなでお食事するとどうしても母以外の方とも話してしまうし見てしまう。そういうこともきっと原因のひとつだったのだろうと感じている。

それに ヤッパリ味が判っている。
果物や甘いものを口に運ぶとニヤリとする。
何を食べても同じなのではない。

笑顔を頼りに母についていくしかないのだろうなぁ。

食後 爪きりをして 居室に掃除機を掛けた。
その後ホールを歩いた。
これも踏ん張って貰った。

療法士さんのアドバイスを生かしている。
サポーターで固定するのは 歩行する時。
いつも固定していると筋肉や骨が固まってしまうのだそうだ。
アキレス腱がピンと張ってしまわないようにするため 椅子に座っている時はつま先を手前に引いてかかとが上がるようにしておいたほうが良いという事だった。自然にかかとが床に付くのだそうだ。
ひざの上に少し重いものをのせるのも良いそうだ。
足がピンと伸びきってしまわないようにするための留意することだと言う。
いずれはそういうこともおきて来るのだと思うけれど 出来るだけ先に延ばしたい。

朝のお天気が様変わりして雲が広がってきた。
雨は夜のはずだが...。
今日のお散歩は 取りやめた。

訪問介護が入ると言う事でそうっと施設を後にして家でお食事。

その後 ちょこっと息抜きの誘いが娘からあってお出かけ。
お買い物をしたら「南極料理人」という映画のチケットが手に入ったというので夫の了解を得て見に出かけた。
監督とプロデューサーの対談もあって ちょっと得した気分。

帰路 夫と待ち合わせて 夜道を トコトコ家に戻った。
なにせ 夕食2回分のカロリーを消費するには歩くしかないのでした。


2009年11月27日(金) とりとめも無い話


地域の中で認知症の啓発活動が行われている。
認知症の理解を深める第二ステージ。
これからも順次進められていくのだ。

関わった方が 今ひとつ何かが足りないと感じているのだそうだ。
介護している人の声と当事者がいない...ということ。
この間 母のことや他の事で参加できなかった。

「誰かいないかしら...」と水を向けられた。
...そうだよね。地域の中では なかなかいないのだ...
「やりましょうか?母と私」
「エッ いいですか?」
「何処まで出来るかは判らないけれど 1歩踏み込むきっかけになるのなら協力しますよ」と言う事で 予定は組み込まれた。

本当は もう少し軽い方がいいのだけれど...今 協力できる人はいないのが現実である。

これをきっかけに 変化が生まれる事に期待している。

ここに書いたことがあるかどうか...。
私は 人が運営する事に乗っかるのは好きだが 自分から何かを背負う事はあまり得意としないし やらなくて良いのならやりたくないのが本音。
これが いつの間にか...。
自分で変わろうとしたのなら褒めて貰えるし高い理想を持っているなら良いのだが そういうことではない。

基本は母と共にいかに歩むか...それだけ。
それだって 積極的に介護を始めた訳でもないし...。

母の介護だって 過去の介護者の作った道にのっかっているんだと言う想いがいつもある。
だから 自分に今できる事を試みて 次の人にバトンタッチできればいいのだろうと考えるようになった。基本は 無理をしないということ。
そうしているうちに何かが変わるのだろう。
それが 将来お世話になる時にプラスされるなら尚よいのだ。

みんなの前で誇れる程の介護なんてしていない。
用は誰にもできる事をしているに過ぎにない。

でもこれがちょこっと変わる。
母と共に出る事で 介護している人が「それ位ならできる」と思って貰えたらいいなという想いである。
「介護が楽しいものよ」何てことは言うつもりはない。
苦しい事もあるよでも けど 歩むうちに何とかなってくるのよね...って言う程度のもの。それを感じて貰うきっかけを作ってみようかなと思った。
私の介護なんてその程度のもの。

それも母次第私次第。
命あってのものだから....どっちが先立つか知らないけれど 出来る限り母の後に...と望んでいるけれどね。
できる時にできる事をあまり無理せず...である。

さてと 今日もいつも通りの日。
深く眠っている母を起こして トイレ誘導して「大」「小」排出して貰って 食事介助をして...。
母の笑顔を貰って...。

あっ いやいや 今日は母から「ばぁかぁ〜」とも言われたんだな。
母の背中はますます丸くなって円背になっている。
そこで母の頭をグイと起こした時「ばぁかぁ〜」って言われたんだ。
勿論 私が悪い。
でもね 実はそういう言葉を発してくれたことが嬉しかったりするのだ。
「いよっ!よくしゃべってくれた!」と。
そこで「ありがとうね」と母に感謝いたのだった。

食事は そこそこのペースで漬物と鳥皮だけは残量。
施設の食事+くだもの+お刺身。お汁はグリンピースのミルクスープだったのでお腹の事を考えカット。水分不足は困るので ジュースで補完。

午後は役所に出向いて臨床心理士の語る認知症。
それから 参加者の質問に専門職や介護職の方が応えてくださった。
勿論介護者からも...。

その中で吹き出してしまったのは 精神科医に「先生にはお世話になったけれど 本人が行きたがらないので 通院できないのです。ごめんなさい」と複数の人が謝っていた事。
補足で「介護する家族の多くの人が同じ思いをしていますよ」と伝えるとホッとなさっていらした。
やっぱり できない事に介護者は「申し訳ない」って思っているんだなぁ。
そんなの介護者の責任でもないだろうに...。


2009年11月26日(木) 専門職の方達と...


 午後会議の予定があるので 資料の準備等をしたり 依頼された書類に記入したり...。

出かけるため 戸締りをしている時 留守を頼まれた御宅の雨戸が開いていることに気がついた。
電話をして預かっている者を手渡した。
心配するほどのことは起きなかったと明るい表情にホッとした。
気丈なかただなぁとつくづく感じた。
ただ 内面までは見て取れないので 言葉通リではないのだろうと想像している。入り込み過ぎない距離で「いつでもどうぞ」と窓を開けておこうと思っている。

午後の会議は 介護者の集まりなので気が楽である。
参加者出来る人は少なかったが それぞれの会の事情や地域の事情も見えた。イヴェントの振り返りもあり 今後に向けての話にもなった。

その後 イヴェントでチームを組んだ方たちと交流会。
介護者が出会う専門職の方たちとのチームである。
いろいろの想いがあったが イヴェントの済んだ今 ちょこっと本音で訴えた。言っても受け容れて貰える土壌も出来ているので 介護者支援についてあれこれ伝えた。
直接利害が生じるような関係ではないので 気軽に話せる。
専門職の方と同じ土俵で介護を話しあえる場になりそうである。
下手をすると介護者にこき下ろされる…と感じ取って大笑いした方がいた。
そうならないように此方も配慮していくし 専門職の方の想いも知り 介護を考えられるようになればいいなと思う。

その後 会場を移してリラックスタイム。
ここでもかなり本音で話ができた。

リラックスタイムの途中で退席。
夜 電話訪問する方がいるから。
でも時間が遅くなり 今日は取りやめた。

明日は 地域での会がある。
自治体主催ではあるが ここにも臨床心理士 精神科医 地域包括等が見えて話される。介護者主導になっているわけではない所が残念ではある。
けれど ないよりはまし。
細いつながりをより太く育てあげることもお役目だろうと思う。
ここでも地域の介護者の方が参加して踏ん張ってくれている。


2009年11月25日(水) おたより...


 やたら眠い此の頃。
朝 起きてもねむいねむい...。
えへっ やりたくない病が始まったかな?

今日から ご近所の奥さんが手術のため入院。
高齢者世帯。

ご主人 認知症の認定を受けてデイ通いがようやく始まったばかり。
ケアマネさん ショート先を見つけてくれたらしい。
隣街の有料老人ホーム。
「へぇ あそこショート受け入れできるんだ」とびっくり。

新聞と郵便物を郵便受けから取り出して保管する用を依頼された。

一泊 状況によっては2泊という事だった。
簡単な手術といっても腫瘍の手術だし...。
ショート帰りも退院後直ぐのようで 大丈夫かなとちと心配。

連絡は いつも封書でポストに入る。
最初はご主人がいるから...と言っていたけれど そうではなくて時間を割いて貰う事に遠慮があるのかもしれない。
返事は 此方も郵便受けに。

昨日 お手紙書こうかと迷ったが 不安を煽ってもいけないしと思ってじっと我慢。今朝 「行ってきます。面倒掛けてすみません」(他にも書いてあったけれど)とのお便りが入っていた。
もう手術は済んだだろう。無事終えて 戻って見える事をそうっと祈っている。

うちの通リは 門構えでしっかりガードされており 通リに面している所は石塀。外部の人からはとっつき難い家並みと言われている。
私もそう感じる。
特に親しくしている方もいないのだが なんかのご縁でこういうことになったのだろう。アッ 今年町内会の当番だからかな?
町内会は フリーズした儘半年以上が過ぎた。

母のところは いつも通りの水曜日。
トイレ誘導 食事介助 リハビリ等。
まあまあ 順調に終わった。


2009年11月24日(火) サイズ違いのポカ!


お天気はまずまずだが 夕方には確実に雨が降るという予報。
今日は デパートの開店時間に合わせて家を出た。

購入するものは 母の上履きと足首サポーター。
つま先で立つのでちょっとの工夫が必要かと思ってのこと。
秋に購入した室内履きは素材が柔らかく良いものだと思っていた。
でも かかとには滑りとめが付いているけれどつま先にない。
立位の時つま先が滑ってしまうのをみた。
また足の甲には ゴムが入っているがこれが脱げてしまう原因にもなっていた。

そこで足の甲を調整して止める室内履きにしなければ。。と思っていた。
脳出血などで麻痺の起きた人に足首を固定している装置を見た事があり そこまで仰々しくなくともいいから 足首を固定してみようと思ってもいた。

爪先立ちとは言っても酷いものではないのだが 放置して余計具合が悪くなるものも困る。母との約束があるのだから...。

そんな訳で 予定したものを購入してとっとこ施設へ向かった。
母が同行していないので 2種類を購入。

母は車椅子に座っていたが 目覚めていた。
今日は 施設に役所の方が見えているとのことで人員配置は多いように感じた。いや 実際はいつもの人員配置なのだろうけれど フロアに人が多く声も良く聴こえた。

サポータを装着させてみた。
ところが 見本で私が装着した時のようにうまく行かない。
1つは 調整の効かないサポーター。それがうまく行かない。
よく見たらサイズを間違えていた。
調整できる方はすんなり。母も気持ち良さそうでニコニコ。
調整できない方も何とか着けて 新しい靴を履いてもらう。
それから 歩いてみるといつもよりつま先立ちが目立たない。
歩きなれると尚改善された。
つまり サポーターを取り入れること 靴を替える事は正解だった。
これから 更に靴の中のかかとの当たる所に(靴底シートのようなものを使って)少し厚みを加えて調整してみる事にした。
これ位なら母に無理を強いる事の無いものだろうと思うから。

手も 時折握っているのも同じ事ような原因だろうと感じ始めている。
そう佩用症候群ってやつ。
酷くならないうちに 手を打たなければ...。
今日は フワフワボールを両手に持たせて様子を見た。
握力をボールが受けてくれる筈。しないよりましだろう。
手もまだまだ動くけれど...できる事は気がついた時にしておかなくちゃね。

居室に移動してトイレ誘導。「大」「小」
その後昼食。
今日も順調に食べ終えた。
今日は 小豆粥を作って運んだ。小豆は血液に良いと聞いた事があるので・…。施設の食事は おそば。それとかぼちゃの煮つけともみじ饅頭。
お粥も含めて全量摂取。食べすぎがちと心配なので もみじ饅頭は半分。

口腔ケアを済ませてトイレ誘導。「小」排出。
それからホールを両手引きで歩いた。
すると入所者の一人が「遊びこーしー」と言ってくれたので寄らせて戴く。
そこで その人はベットに移動して 母は椅子型トイレへ座ってもらう。
足の屈伸をして差し上げたら「あのね この間やってもらったら 夜寝てる時足痛くならんだよ。動かすといいんだね」と言われた。
「そうそうがんば♪」
「今日は入浴日だから 支度しに戻らなきゃ」といったら「おかあさん 置いていっていいよ」と母はニコニコ。
そこでちょこっとお任せして 居室で入浴準備。
戻ってから入所者の人に「ね 頭洗える?」と聞くと「洗えるよ」
「じゃ お風呂の時1人で洗っている?」「いいや」
「今度 自分で洗いたいって言えばいいんじゃないのかな?」
「そんなこと言っていいの?」「うん」
「じゃ 今度言ってみる」とニコニコ。
確実に1人で洗える訳じゃないと思うけれど全部やってもらうのは本人のためにはならないと思うのだ。
1人でして見たいって ちゃんと言ってみる事だ。
きっと 職員はできる事まで奪い取ることはしない筈。
そう信じている。

そうこうしている内に入浴の時間となって 母は別のフロアのお風呂に移動して行った。
そこで 私も施設を後にした。
なにしろ サポーターのポカやってしまってしまったので別のに替えないと...。

実際 もう少し使ってみないと効果の程は判らない。
本人は話せないのだものね。


2009年11月23日(月) お片づけ


青い空が広がりワクワクするけれど 何処にも出かけない。
ちょっと不満も残るけれど 片付けなければならない。

今日は 家の中を中心にと思っていたが 庭の草も気になる。
丁度 ゴミ回収の日なので目立った草をささっと抜き取った。
昨夜 片付けで出たゴミもついでに纏めて出した。

衣類の洗濯後 ぬいぐるみやクッションを手洗いし 脱水して陰干し。

その後浴室の掃除から始めた。
部屋の中で増えている紙ごみ。
特に住所等が記載されている分をシュレッダーにかけた。
これが なかなか時間がかかる。
急に止まってしまって「あちゃ 故障!」
諦めて 暫く他の事をしていたら 急に動き出した。
そして思い出した。連続して使うと熱でとまってしまう事を。

またシュレッダー開始。
こんなことを3回繰り返し ようやく纏めてあった紙ごみの廃棄終了。

それから 押入れを片付けて 掃除機を掛けた。

何しろ 家のことはいつもいつも後回し。
時に時間が出来ても頼まれるとついつい...。
本当に よくぞ散らかったなと言う感じである。
気合を入れて取り組もうと思うのだが 乗ってくるまではとろとろの作業になってしまう。年のせい?とも思うが 年に逃げるのも恥ずかしい。

いくら頑張っても 時間にかぎりがあるのだ。
さて今年中に片付けできるかな?

今日も仕事の夫。
ご機嫌で帰宅。
仏語でフランスの方とお話したらしい。それも仕事で...。
夫が 仏語を使えるなんて知っている人は極少数。
見た感じガチガチのおっさんだし...。

「一瞬 話せるかと思ったけれど 出来たよ」とニコニコ。
それも営業に繋がったらしいから 更にご機嫌だった。

1時間近く聞く一方の話。
夫はしゃべる人で話の腰を折られるのを嫌う。
だからひたすら相槌を打つのだが ちょこっと口を挟んだら「おもしろくねぇ」とおへそを曲げてテレビの部屋へ移動した。
此方は 仕事を中断していたのであり難かったのだけれど...。

と言う訳で 1日家に篭ってお掃除で過ぎた。


2009年11月22日(日) ひとさじずつ 確実に


小雨が降ってきたので 駅までとっとこ。
施設に着いたのは いつもよりちょこっと遅れた。
ソファーに座っていたので 少し話しかけてそれから立位。

トイレ誘導「大」「小」排出。
ホールでカシャッと音がしたので 食事だと判った。
今日も居室でお食事。
家に豆腐と剥いた柿を忘れてきたことに気がついた。ったくなぁ しょうがないなぁ。
焼き魚の大根おろしかけと春雨の酢の物ともうひとつ何かあったなぁ。
あとは 汁物とご飯。
家からは 白子のポン酢かけとプリン。
白子はプリン体だからコレステロール値には良くないだろうと思うけれど でもなぁ。年が明ければ94歳になるのだし...食べやすいものや好きなもの食べて貰っていいんじゃないかとも思う。生活の質を選んであげたいと思うのだ。
身体的機能低下も感じるけれど あとちょっと踏ん張って貰いたい。
いつも書く事だけれど 母は充分すぎるほど踏ん張ってくれているので脱帽なんだけれど...。それでもあとちょっと...。

食後 お茶もいっぱい飲んだ。
お茶の時はひとさじ ひとさじ口に運ぶ。
そうやっていると今年なくなられたOさんを思い出す。
大きなコップになみなみのお茶を スプーンで掬って飲んでいらした。
たとえひとさじでも 確実に水分を摂取できるということを目の当たりにして感動したのだ。
母は自力で...とはいかないけれど それでもひとさじずつだと噎せもない。

食後ホールへ移動してテレビを見て その後トイレ誘導。「小」
またホールに戻ってソファーに座ってもらう。
他の方とおしゃべり始めたら またうとうと始めた。
そんな訳でそうっと施設を後にした。


2009年11月21日(土) 合言葉?


 少し遅れて母の所に出かけた。
途中介護仲間とばったり。
母の施設の近くの特養に入所なさっている奥様の所へ出かけられるのだ。
それも1日2回である。

「これから?」「そう遅れたけれど...」と言葉を交わし お互い急ぎの身なので 岐路で別れた。

母は ソファーで深く眠っており 暫く声を掛けて目覚めるのを待った。
それからトイレ誘導。「大」「小」排出。
ホールでカシャっと音がしたが 別段気にも留めなかった。

11時45分ごろ 職員が見えて「皆さん 食事済みました」って。
デイサービスに出かけてる人もいて 食事は母を含め3人のみで 他の方は自立なさっており サッと済んだみたい。

ホールは暖房が効いているので 居室の窓を開けて食事。
食事が始まると目はパッチリ。
いろんな言葉を発した。
「すんなな」と母。「うん すねよ」と私。にやりとする母。
「するなよ」「しないよ」という言葉のやり取りなのだが 母が「するなよ」と発する言葉に意味は持っていない。
特別 私が何かしている訳でもないし しようとしている訳ではない。
きっと何か母の内なる所で感じることがあるのだろうと思う。

他にも そんな言葉だけのやり取りが数回あり その度に母はにやりと私の目をみていた。
まるで合言葉みたい。

食事もいいペースで進んだ。
家から運んだものも含めて綺麗に食べ終えた。

昨日も今日も 食後にきんつばを食べて貰っている。
この時だけは 大きな口をあけてくれる。

食後口腔ケアをして トイレ誘導。この回は空振りに終わった。
ホールに移動しようと思ったら2時から訪問介護ということで ちょっと時間を置いてもらって職員と母とおしゃべり。
トイレ誘導したところで 此方は施設をあとにした。

それから ちょこっと電車に乗って移動。
ワンちゃんの絵画を見に出かけた。
ちょっぴり気分転換。
小さな しゃれたアトリエに作品が展示されていた。
介護の仕事をなさっている方ということだった。
大変なお仕事をなさり 余暇でそういった趣味を持っておいでなのだなぁ。
感服してアトリエを出て お昼を食べてない事に気がつき食事。
近くに お気に入りのお店があるので立ち寄ってみたが やっぱ夜しか開いてないんだな。残念!

テクテク歩いておすし屋さんでランチ。
試しに...と思ったのだが これがとても丁寧で美味しかった。
今度はここを目的に来ても良いのかなと思った。

しかし日の落ちるのが早いな。
5時過ぎるともう暗いんだもの...。


2009年11月20日(金) ホッ!


来年1月からケアマネを替える。
昨日 事業所にお願いしたら「今はいっぱいいっぱいで...」といわれた。
そうか 今時の事業所は利用者さん大勢なんだな。一昔前とは事情が違うのだと悟った。

「ちょっと待ってください。今日お休みの方もいますので明朝電話します」と。
約束の時間は9時。
今朝8時半にベルが鳴った。
「出来る人いました。今担当者と替わります」
ということで ケアマネジメントしてくださるケアマネさんみっけ!
「いや 昨日お先真っ暗の気分になりましたよ」と言ったら「そうでしょう。そう思ったわ」と...。無事決まったから こんな事も書ける。

ひとまずホッ。
でもケアマネさんとはお初。
お相手は昨日の会場で私を見て既に知っていらした。
さて...どんな人?
声の感じからイメージできているのだが...その人なら大丈夫そうなんだけれどね。

入所前お世話になっていた事業所なのだけれど この方はいなかった。
だから母のこともご存じない。
何処まで理解して頂けるのかな?

今朝1番のニュースに小躍りしていたら 生協の配送が定時過ぎても見えない。午後には 介護者の会があるので早目に出かけようと準備万端整えていた。1時間過ぎても見えない。
「そういえば 担当者が変わるのだった」と気が付いた。
1時間半過ぎた頃に諦めて 家を出た。
するとふたつ目の角で配送車とであった。
「これから向かいます」というので家に戻って荷受。

母は車椅子に座っていた。
あれこれ話しかけてから立位 トイレ誘導。「大」「小」排出。
その後 昼食介助。
今日も順調に食べられた。
施設の食事は 豚肉のしょうが焼きと野菜のお浸しとわかめの味噌汁+柿+さといもの煮物 これで1時間。
普通と比べると遅いけれど今の母にとっては早いほうである。

食後と口腔ケアをしてトイレ誘導。

後はお任せして 家族会へ走った。
家族会では 施設の話が多かった。


2009年11月19日(木) 魔が差して...つい♪


町内サロンの日。
今年の8月に始まったサロン。
毎月10名ちょっとの方が集われる。
メンバーは 入れ替わるけれど...それが程よいと感じる。
今は まだ 準備段階と思う。
先ずは集まりを周知して貰う事。
それから 徐々に世代間交流。
そして町内に根を張っていければいいのだろう。
以前も記したが サロン活動は分業で運営できている。
知り合いを誘って下さる方。
期日近くになるとサロン開催日の案内を掲示板に貼り付けて下さる方。
集った方と会の様子を記録してくださる方。
私の役目は 広報の原稿を起こす事と役所や社協や地域包括への要請役。
他にも みんなで歌いたいよと言う方は 歌詞を書いて人数分プリントしてきてくださる。

いいなぁと感じるのは 訪問看護や介護を仕事としている方もお休みを調整し参加して下さる。勿論 町内に居住なさっている方である。

誰かが突出するのではなく 受身でない形で参加できていると感じている。

きょうは 自分や身内の病気について話題となった。
それは 今月中に癌再発のため入院なさる方の話から始まった。
「自分も数年前に手術した」と言う方 ご主人を失くされ ご自身も病を抱えている方...等々。
症状よりも今を語る方のお話に清清しさを感じた。
勿論 そんな生半可なものではない事は承知しているけれど...。

午後 1番は銀行の用事。
それから役所に走り滞っていた事は全て完了。
その後地域の事業所が企画した介護者のためのリフレッシュ事業に参加。
コンサートを楽しむ。
コンサート後役所の人と今後のことで相談を受けた。
その後介護仲間と少し話しこむ。

後は家に帰るのみだったが ちょっと魔が差して今朝見たミスドのチラシを思い出してお店に立ち寄ってしまった。
これだけは 今日の余計な消費行動。ま たまにはいいかぁ。

帰りは家まで テクテク坂道を上って帰宅。


2009年11月18日(水) やれやれ♪


昨日の我が家は すき焼き。
お肉が余ったので 朝 さといもと大根と人参とお肉で煮物を作って母に運んだ。施設のお肉は無理でも 我が家のなら大丈夫と思った。

施設に着くと車椅子に座っていた。
暫く母と遊んでから 居室のトイレへ誘導。「大」「小」排出。

居室で過ごしていたら カシャカシャと音がした。
11時15分 昼食開始。
「早いのですね」と職員に言ったら「午後人手が足らないのです」との事。
11時30分でも早いと思うのだけれど...人手が足らないと言われるとどうもね。

今日も居室で戴く。
ロールキャベツとほうれん草のシーチキン和えとインゲン煮。お汁はかき玉汁。
今朝作った煮物と柿と珈琲(砂糖入れて)1時間。
よく食べてくれました。勿論 母は11時半過ぎに食事開始。

リハの準備を済ませて 明日のデイの支度を準備。
明日朝の寒さはどのくらいだろうと気にしながら準備。

リハが始まり「今日は調子良さそうですね」と療法士さん。
リハの途中で寝入ってしまったので 其の儘寝かせた。
暫くして目覚めたので 立位してもらってトイレ誘導。「小」
やっぱり 母のサインだなぁ。

とんとんとドアを叩く音。
「ケアプランの確認の日でケアマネさん見えています」と職員が見えた。
1度椅子に座ってから 職員がホールに誘導してくださった。

母をソファーに誘導後 ケアマネと職員と3人で最近の母の様子を確認。
母に合うプランを立てるのは 施設の宿命で無理。
だから状況を確認と言う所。
見解は一致している。

ケアマネとの話し合いが済んだ後 訪問介護。
腰周りの清拭と水分補給してくださった。
今日は 銀行の閉まる前に立ち寄っておきたかったので ここでそうっと帰宅。
自転車を飛ばして 銀行についた時シャッターを閉めるのと同時。
滑り込みセーフ。やれやれと言う所。


2009年11月17日(火) 自発の力を引き出したい。


 小雨が降る朝でちょっと冷え込んだ。
自転車は無理で とっとこ駅まで。

結構な荷物。
オムツパット 洗濯した衣類やタオル お粥やおかず。
自分のお弁当。

今日は 車椅子に座っていた。
立位介助して居室のトイレへ誘導。
「大」「小」排出。

ホールでは 昼食が始まっていた。
今日も居室で食事介助。
持込みの食べ物があり食事制限の人へのささやかな配慮。

母は 今日はよく噛んで食べていた。
天麩羅 海老とキスとかぼちゃ。
ちょっと苦味のある味の付いた葉野菜。さといもの煮物 たまねぎのかき玉汁。
家からは 鯛のとろみスープ。主食はお粥とご飯の半分ずつ。
天麩羅も衣も柔らかでおろしも掛けてあり 口当たりは悪くないようでしっかり噛んで食べていた。
時間は1時間ちょっと。

私の分のお弁当は チキンライス。
「赤いご飯 冷たいけれど食べる?」と聞いたら頷くので4口ほど食べた。
生野菜のサラダのトマトとアボカドは喜んで食べていた。
つまり 施設の食事+があって1時間チョイなのでまあまあって所だろう。

今日は入浴日。
着替えを準備して職員に託した。
入浴介助は1時間。「他のフロアで入浴のため車椅子で移動します」と言われた。でも居室から車椅子は嫌だったので 出口までは両手引きで歩行し職員にバトンタッチ。
戻ってきたら 車椅子でテーブルまで見えて後は委託され此方が椅子に座らせた。水分補給も此方。

落ちついてから そうっと施設を後にした。
気配を感じた母に入れ歯の装着をしようと思ったら拒否された。
幾度かやり直したが やっぱり拒否。
今日は わかる日なんだろう。

椅子からの立位の時 自力での踏ん張りが弱くなっていたが 今日はしっかり自分で立とうとしてくれた。
やはり 立位の回数が多いと自発の力も生まれるみたいだ。


2009年11月16日(月) お勉強に...


午前中は利用者さんの所に出かける。
「片付けをお願いします」と言われたけれど ちょこっと剪定したら「お正月を迎えられる準備が出来ました」と言われて気が付いた。

そこで 全体 特に門から庭を見られることを意識して 剪定した。
利用者さんがバナナの木と言われる。私は芭蕉と思うが 正直どっちか判らない。実がなっているところは見た事がないし...。
数メートルの高さのものをバッサバッサと。
しかし よく増え 一年で大きく育つものだと感心することしきりである。
夏は日陰を作ってくれるので よいかも。
椿は 夏に茶毒蛾がいたので そうっとそうっと様子を見ながら。
フジの蔓も延び放題だったのでパッチンパッチン。
切るだけで活動終了とは行かないので 切ったものを小さく切って纏めて束にした。

活動終了後 家に戻って仲間と一緒に介護の勉強に出かけた。
シンポジュームが終わって 質問もしなかったけれど確かめてみたい事がいくつかあった。
丁度 パネリストに知り合いがいたので 後で確認してみようと思った。

シンポジュームが終わったら とっとことっとこ電車に乗って戻った。
気になることがいっぱいあって 行きも帰りも介護の話し満載。

地元の駅に着いたら真っ暗。


2009年11月15日(日) 甘えてばっかりだぁ


スカッとした青空が広がる朝。
先ずは 室内に干してある洗濯物をヴェランダへ。
それから洗濯機を廻した。
洗い終わる頃には 先に干したものが乾き取り込む。
また 洗濯物を干す。

母の所に行く準備をした。
支度しながらTBSラジオの安住紳一郎の日曜天国を聴いた。
正直 安住アナはそんなに好きじゃないのだが 何でも細かく考え込み それがどうなるかを確かめる。
以前 合唱コンクールで密かに応援して学校のレポートをして 駅でばったり出会った話とか...。翌年 その学校からコンクールの招待状が届いて見に行ったこと その後のエピソードとか...。
今日も番組最初のしゃべり...。
飛行場で最近気になるアナウンスを取り上げていた。
母の所に行く前に1人でくくく笑ってしまった。

母の所に行くと母は下を向いていた。
穏やかなお天気で自転車を漕いだので暑かった。
施設は暖房が効いていて 温かだった。
そんなことも影響していたのだろうか?
それに今日は 厚手のハイネックの綿Tシャツの上に絹のカーディガン。
居室に移動して トイレ誘導。
昨日 クリームシチューとヨーグルトを食べているので 大が柔らか。
これって腹痛を伴っているかも…と想像できた。
背中やお腹に久しぶりに薄荷を塗った。
少し薄手のブラウスに着替えて貰って 窓を開けた。
それから昼食介助。
今日は あったかなので居室で食事介助。

これがなかなか難しかった。
前屈が強い。つまり背中が丸まっているのである。
眠っている訳ではないのだが...。
椅子のひじの部分にクッションやぬいぐるみを置いて姿勢維持出来るようにした。それでも下を向くので 時に顔をあげて俯かないように抑えたり...。
良くないことしているなと思うけれど施設に託しているのでどうしても 此方が引き上げてからの事が気なる。
時間をずらせばいいのだけれど 夕食に影響してしまうし...。
食べたくない訳ではない様子。
今日は はまちのお刺身が6切れ シャケの刺身6切れ マグロのネギトロ。
おそらく かぼちゃとブロッコリーと人参の煮物(これが どういう訳かミキサーが掛けてあって何が何だかさっぱり判らないもの)
他にほうれん草のくるみ和えとはんぺんのおすまし。
家からは 大根とサトイモの味噌煮。柿。
母の状態がよくない時に結構な量だった。

お刺身で苦戦。
わさびが無かったので職員に戴いたが お醤油も無かった。それに 普通箸とスプーンが必須なのだが スプーンも抜けていた。
面倒なので 居室に置いてあるスプーンを使った。
お刺身は 新鮮なので身が締まっていてちょっと硬い。
私達が食べるならグッドなんだけれど...今日の母にはねぇ。

時間がかかる事を承知して 全ての量を食べ終えたのは 1時間半越え。
それでも くるみ和えとか柿とかは 口に入るとにんまりとした笑顔。

全部食べきれたので ホッとしたけれど 職員だったら時間はもっと制限されるし大変なのだろうと思う。

食後 口腔ケアをしてトイレ誘導。
その時訪問介護の時間となってバトンタッチ。

りんごジュースで水分補給した後 訪問介護で入れ歯装着。

食事が終わる頃には 丸い背中もしっかり伸びて...。
付いていないとこうなってしまう。
最近 気が付くと手をギュッと握っている。
そうっと開いてグーパーして撫でてあげる。
まだ硬縮では無いけれど これも気になっている兆候である。

機能低下にびくびくするけれど ちょっとずつ工夫を重ねて行かないとなぁ。
あと4ヶ月で94歳。認知症になって18.9年なのだから よくぞ踏ん張ってくれていると思う。
無理を強いるつもりは無いけれど それでも生活リハは重要だと思う。
ちょこっとずつ道を譲りながら 母との引っ張りあいが続くのだろうな。

こんな日に限って 長引いてしまう。
というのも長く放置していた菜園 昨日介護仲間が収穫して届けてくださってた。とうに撤去しておく予定のものも手付かずだが きっと片付けて下さっているだろう。
何だかねぇ。労の多い作業なので 感謝より先に申し訳ないと思ってしまう。
「それなら 自分がしっかりやれ!」といったところ。
だから 今日は菜園に出てちゃんと見ておかなくては...と思っていたのだ。
日暮れは早く モタモタしていると真っ暗になってしまうの気が気ではなかったのだ。

母の所から帰る道 自分の昼食を購入して 家で急ぎ食べてとっとこ菜園へでかけた。
暗くなる前に...と草を抜いたり枯れたものを抜いたり...と畑の整理。
そんな時菜園で顔なじみの方が見えて「水菜の種を撒いたら多すぎたので
おろぬくので それ勝手に空いているところに植えていいかなぁ」と言ってくださった。お言葉に甘えて..(というかみんなに甘えてばかりで.)そうしていただく事にした。

まだ空いているところもあるので 少し遅いけれど種まきしようと思っている。
3月に菜園は返還するので 大きくなるものは避けて葉ものにしておこうと思うのだ。

とっぷりと日が暮れて足元も見えなくなりそうな時間にすっとこ家に戻り夕食の準備。洗濯物の片付け...。

夫は今日も仕事 休みなしで踏ん張っている。


2009年11月14日(土) 南風に変わって…


今日も変わらずの1日。

お昼 みんなと一緒に食事を始めた。
でも他の方が困っていれば直ぐして差し上げたいし 話かけられれば 無視はできない。聴こえぬふりも出来ない。
母が途中から食べ物を飲み込まず 私のことばにも無反応になり 今にも居眠りしそうな雰囲気となってしまった。

食事途中で居室に移動し食事介助。
すると口はちゃんと開き 目もパッチリ。
こいうことかと改めて反省。
「いやだ」とか「こっち向いて」とかの言葉は全く無いけれど そういう事なんだろうと思う。

1時間ちょいかかったけれど全部完食。+ヨーグルトとクリームシチューと柿。
食後にジュースを飲んでもらって水分補給。
クリームシチューは 家から持っていたものだが施設の食事よりあったかだった。
母は シチューににっこり微笑んだ。

そうそう 家を出る時に止んでいた雨がパラパラと降り始めた。
出直そうと思ったが シチューもあるので時間短縮したいと思って其の儘走ったのだが...。西の空は真っ黒。
止むを得ず 駅前に駐輪。
駐輪のおじさんが「帰りも降ってたら傘あるから借りてっていいよ」と言ってくださった。そんな訳で シチュー運びもいつもより時間を要したのだけれど...。

食後みなのいるホールに移動して 歌を唄った。
今年の始めころまでは しっかり歌を歌っていらしたのに...今は車椅子で意欲をなくされ声の元気もない。消え入るような声である。
時々隣で唄ってみたら 口を動かされたのでまだ歌えるし歌いたいのだなと感じていたので 元気を出して欲しくて...。
他の方も唄は嫌いじゃない様子なので 数曲歌った。
「そういう歌もあったよね」とみんな歌った。
久しぶりに施設内に歌声が響いた。

その後居室に戻りトイレ誘導「小」排出。
暫くして訪問介護。トイレ誘導。
その間 アロエエキスが切れるといわれているのでドラックストアに走って買い物。施設に戻ると母居眠りしそうだった。
ちょいと居室に呼んで運動して貰い その後ソファーに座りなおして貰った。

今日はここまで。
雲行きが怪しいので バスに乗って帰ることに。
それにしても…昨日の北風 今日の南風。
あったかさは やっぱり南風に軍配が上がるね。


2009年11月13日(金) 二人で介助...


朝は雨も無かったが 西の空には真っ黒な雨雲。
天気予報当たるよね。
だから 今日は自転車を諦めた。

施設に着くとソファーで深く居眠り中の母。
起こしても起こしても目覚めない。
足を撫でたり 上げたり。
手を撫でたり 上げたり。
顔や頭を撫でたり...。
ようやく ちょっと目を開けた。
そこで「立つよ」と声を掛けて 腰に両手をかけて膝を突き合わせて前によいこらしょっと引っ張る。
立ち上がり成功。それから腰に手をかけ足底が着地しているか確かめて1歩前に。また1歩。
そのうちに歩き出した。
安定しない歩き方は かかとが床についていない。
少し体重を後ろにずらして また1歩。
母に不安を感じさせる支え方は禁物。
それだけで歩く気力を失う。そりゃ不安だものね。

職員が「二人で介助しています。次のケアマネとの面談は...」と言うくらいだから職員は かなり負担に感じているのだなと思う。
見ていても 最近必ず二人で介助しているのだから言われなくとも判っている事であるけれど...。
私が1人で介助している時だって「だいじょうぶですかぁ」って言うくらいだものね。

でも 1人で危険と感じた事は 今の所ない。
此方が油断した時に危うさを感じる時もあるが 回数で言えばそう多くないし
過去の時の方が ずっと危うさを感じた事があるのだ。
いろいろあるけれど 言っても始まらない。黙するのみ。

下降していることは間違いないのだし…。

トイレ誘導して「大」「小」排出。
その後 椅子に座ってもらって整髪。

気が付けば食事が始まっていた。
ホールに移動して食事開始。
10分ほどして 暖房で眠そうな眼になってきた。
食事の場を居室に移して食べて貰う。
白菜の漬物は外させてもらったが 後は完食。
今日は 1時間半掛かってしまった。
が 居室に移動してからは居眠りはないかった。
施設の食事+ヨーグルト。
拒否もなかった。硬さの違う食材を一緒に口の中に入って噎せた。
だから1回の量を減らして確実に飲み込むまで ゆっくり待ったから遅くなったのだ。

食後 訪問介護が入った。「小」排出。
それから 今朝弟から送られてきた柿を食べて貰う。
これが美味しいと見えて大きくカットされていても口を大きくあける。
いつもいつもこの感覚に驚くばかりである。

それから水分補給でジュースを飲んで貰った。
そのご 室内歩行を行う。
踏ん張って歩いてくれた。

少し眠そうなので 今日は早目に引き上げることにした。

帰り道 雨が降り出す。
家に戻ったら 近所の方からのお便りがあった。
ご主人が認知症と診断されたばかり。
今度は奥様が 癌で手術ということで ある事を依頼する便りだった。
どんなにか心細い事だろう。奥様もご主人様も...。


2009年11月12日(木) 雑用の片付け


今朝 ふとしたことで介護者の会の案内にミスを見つけた。
3人の目でチェックしたのに気付かなかった。
既に配ってあるものもあるが 誰も指摘して来ていない。
たいした事もないのかも知れないが...放置も出来ない。
とりあえず残っている物に訂正を加えた。
1人では心もとないので仲間の助っ人を得て...。
とりあえず作業終了。

きょうこそ菜園に出かけようと思っていたけれど諦めた。

外出ついでにあちこちで用を足した。
そのうちの1つが眼鏡のレンズ替え。
手元用 つまり老眼のレンズに替える。
眼鏡屋さんで眼鏡を新調したのが6月。
だから 改めて検眼せずに済んだ。
それでも レンズ選びにも時間がかかった。

もう1つは スニーカーの修理。
靴底の先がパカパカする。
靴底以外は まだ綺麗で勿体無いと思って修理に出す事にした。
糊付けは 相性があってメーカーの方がいいと言われた。
以前聞いた時は「持って来て下さい」と言ってたのになぁ。
ましょうがない。
メーカーに問い合わせるしかないだろう。
でも修理のために荷作りして郵送料 修理費用を考えるとどうなんだろう。
やっぱり 諦めたほうがよいのかな。
たいした物でもないしな。


2009年11月11日(水) 仕方がないのだろうけれど...


強い雨の降る1日だった。
母はソファーで眠っていた。
ソファーの前には何も無くて...。
でも今日は 左側に傾斜して眠っていたので転倒もしないだろうけれどまた先日のような転倒が起きないかとちと心配になった。

ゆっくりと手足を動かして母がしっかり覚醒するのを待って立位介助。
昨日は ちょっと急ぎすぎて此方の腰に必要以上の力を掛けてしまって「スワッ!腰痛か!」と思った。
でも 今日の夕方には回復したのでホッと安心。
やはり介助の仕方って大事だと思った。
覚醒するまでの時間なんて数分の事。
その時間を惜しんで自分の身体を壊す訳には行かない。
まして母に不安感を持たせる訳にも行かない。

最近の母は すっかり私の誘導に慣れてくれた。
此方も母の動きが多少理解できた事ある。
どの足を軸にすれば 方向転換しやすいかも阿吽の呼吸。
手すりから手を離すタイミングも掴めたみたい。

また 身体的変化があれば介助の方法も変わるのだろうけれど...でも今しばらくは何とかなりそうだ。

トイレ誘導で「大」「小」排出。
手洗いを済ませて整髪し 昼食タイム。
今日は ホールでみんなと一緒。
高野豆腐のふくめ煮だけは 外させて貰って ヨーグルトを加えて完食。
ほぼ1時間。ご飯は 粥と普通のご飯を半分ずつ。

リハビリの日なので準備をして待つ。
その間に明日のデイの支度をした。
普段着も少し厚手のものを出して夏物は撤退して貰った。
リハが始まって直ぐにzzzz。
寝てくれてもいい。1日にメリハリをつけて体力を維持できればベスト。

今日 母は幾度も私にお辞儀した。
かなり意識的だったと思う。(きっとお礼)

どうしようもないことだが 訪問介護の排泄介助は時間的に合わない事が多い。今日も食事前に排泄。食事してリハ後に排泄。
その後に訪問介護。排泄なし。
そして15分後 トイレサインで誘導したら「小」排泄。
訪問介護でも洗って貰えるが此方も前後して洗っている。

こう考えると日中独居や1人暮らしの方のヘルパーさんの排泄介助なんてタイミングが合わない事が多いのだろうなぁ。
確かに トレーニングパンツやパットはそういうことのために開発されたのだろうしなぁ。排泄まで...あれこれは 言っても始まらないことか。

東京都は 賃貸型介護つき住宅建設を積極的に考えているというニュースを新聞で読んだ。特別養護老人ホームを建設は 土地を購入するだけでも大変だから...ということもあるのだが...。でも良いのか?
もう少し条件をつけるべきではないのかなぁ。
先日も行政担当の人からのメールに「人的問題・制度上の問題の両方があるのですね」とあった。そこまで理解できているようだけれど...。
これは個人メールなので公開は出来ない。

リハ後暫くzzzしていた母も目覚めて 水分補給。
その後 ホールのソファーに移動して貰い テレビを見て貰う事に。
暫く置いてから そうっと施設を後にした。


2009年11月10日(火) 胸が詰まる想い


午前中 母の所へ。
午後に介護者の会があるのでお弁当を作って 母の食べ物も持って...。
施設は 暖房が入っていてほんわかとあったか。
母は食卓テーブルを向いて車椅子で爆睡中。

荷物を置いてから 母に呼びかけたがzzz。
1度顔をあげたので 其の儘立位。
いや腰の重い事。やっぱりちゃんと目覚めてからでないと立位介助は難しい。

其の儘歩き出すと 歩き出すうちに目覚めて自分で足を踏み出せた。
トイレ誘導して「大」「小」排出。
その後着替え。
今日は 職員が忙しかったのだろうか?
長袖の下着に半そでのニットを着ていた。
はい 半そでニットの下から長袖シャツが出ていました。
長袖を出すのが大変だったのだろうかと思い 片付けようとロッカーを空けたら
ちゃんと長袖も見える所にあった。
でも職員の立場に立てば「忙しいのだから...」と思って半そでは奥にしまいこみ長袖を上に置き換えた。

昼食は 窓を開け払った居室で戴く事にした。
母以外の方は きっとあったかな部屋を希望なさっていると思ったから。

居室に移動してからは 居眠りもなくニコニコ。
食事も始まりが遅れた割りに 速いペースで食べられた。
おそらく一時間を切った。
施設の食事+ヨーグルト+サトイモ+鯉のうま煮
これで一時間を切るって画期的なこと。
でも以前「おっ!」と思った翌日にがくんと悪くなった事もあるので喜び過ぎないように...と思っている。

食後の口腔ケアと水分補給をして入浴のための着替えを準備した。
それから ホールのソファーに移動して貰って そうっと施設を後にした。

介護者の会には遅れるかもという予感があってメールで「遅れるかもしれないのでよろしく」と連絡しておいたが ぎりぎりで滑り込めた。
今日の介護者の参加者は少なめ。
お客様が3名ほど多いので会場はまあまあって所。

今日は 会の終わる直前に施設論議。
在宅の方がデイの送迎にあわせてお帰りになった後 施設に託している者同志と過去に施設に託した経験のある方と介護施設でボランティア経験のある方 介護施設で就労なさっている方達である。
ここに書き出せないが かなりシビアな話となった。

家に戻ってから 気になる方に電話を差し上げた。
徘徊が始まって介護が一気に大変になってきている方で 徘徊防止するための工夫について 情報提供。
でもドアを閉めたからって 今度はドアをけったりの行為が出るだろう事も予測できるので非常に難しい。

そんな話をしている内に 先日外に出ようとしたので止めたら振り払われた。
瞬間 自分の腰に巻いている整形用のベルトを首に巻いてようやく止められたというお話をしてくださった。
聴いている此方の方が 介護者のその時の事を想像できて涙が零れてしまった。徘徊や暴力のある方のショートステイは お断りが多いのに...。
家族 特に高齢の介護者の負担を もっと深刻に受け止めて欲しいなぁ。

その方は会で そこまでのお話をしていなくて。。.
でも何となく切迫している感じを受けていたので...電話してよかったと思った。

ドアだけではなく 徘徊を避けるための工夫を更に話し込んだ。
母の病の経過を話し その過程で私も同じような苛立ちを感じた事 そして過ちもあったこと等を伝えた。
その方は 母の過去の経過など知らないので...その辺をゆっくりと伝えた。


2009年11月09日(月) 雑家事

 
 普段 スニーカー履きだが この所ピンヒールを履いての外出が多かった。とはいっても毎日じゃないし ほんの数回の筈だが ヒールの底が磨り減ってしまった。
小指の爪ほどの底に集中して体重がかかってしまうから減るのが早いのかなぁ〜。
忘れないうちに...と修理して貰った。

その他にも支払い等もあって 雑用処理の1日。
ちょっと眠い。
身体がゆるゆるとしたせいかな。
まだ すべき事はいっぱいあるのだけれどなぁ。


2009年11月08日(日) 母と出かけた先は…


昨夜 娘から「外出に適したお天気だったら おばあちゃん 外に連れ出したい」と電話が入った。
私も 出来ればそうしたいと思っていたので「OK]

今朝 娘がやって来て 母用のお弁当を準備して施設に向かった。
母は 顔を見るなり泣き出した。
入所者の方が「今日は 泣いてなかったよ」と教えてくださった。

職員に「外出」を伝えて トイレ誘導して「大」「小」排出。
着替えを始めると母がニコッとした。
整髪をして 両手引きで歩行して車まで踏ん張って貰った。
母は 途中めげそうになったが「頑張るね。偉いね」といったら 頷いて一生懸命踏ん張ってくれた。
勿論 あまり無理は出来ないので 途中は腰に手を掛けて 立ち止まってもらったり...。「足を高く上げてね」といえば そうっと足を上げてくれたり...。
たいした距離ではないけれど よく頑張ってくれた。
「ありがとう♪」といったら また頷いてくれた。

車に乗ったら じっと外の風景をみていた。
行き先は 動物園。
動物園の駐車場についたら 持参した車椅子に移乗してもらって とっとことっとこ。
先に昼食を摂った。
1時間掛からずに食べ終えた。

それから バスに乗った。
インフルエンザが怖いので 近くの窓を開けて...。
車椅子ごと乗れるし付き添いも優先で...助かった。
車椅子の席は 一般の人とは区切られているので それだけでも嬉しい。

バスを下りて ゆっくりと園内めぐり。
母の視線からみる動物はちょっと遠すぎて...。
そんな時は 空を見上げて色付いた木々を眺めていた母。

母が1番興味を示したのは 鳥。
1番身近かにみえるからだろうと思う。
じっと見つめて何か言葉を発していた。

途中であったかな飲み物で水分補給。
ユニバーサルトイレで排泄。
水分も摂れているので「小」もしっかり出た。

「夕方には戻ります」と伝えてあり 約束の時間には戻れた。
着替えをして トイレ誘導して 程なく夕食。
車椅子もしっかり拭いて...。

施設に戻ると 母は私が動くたびに視線で追っている。
いつ帰ってしまうのかとみていると思うとちょっぴり切ない。

今日は珍しく 娘も家で夕食を食べた。
夫は残念ながら 仕事で一緒の食事は無理だった。

久しぶりに 楽しみだけの外出が出来た。
これから寒くなるし...。
でも お次も鳥だけ目指して出かけても充分楽しめそうな気がする。
娘の助っ人にも感謝。母の踏ん張りにも感謝。


2009年11月07日(土) 痛いのは... ヤッパリね。


曇り空の朝だったけれど「晴れますよ♪」と朝から予報が出ていた。
次第に雲が消えて 見事な秋晴れ。

この所 母と過す時間が短くて その上利用者さんの訪問日で「さて はて」と昨夜から考えていた。
娘が「明日は 仕事ないから食事介助手伝うよ」と言ってくれてた。

今朝 利用者さんから電話があり 訪問時間の変更をお願いした。
と言う訳で 今日は辛うじて食事介助ができる。

早目に出かけたので トイレ誘導(大・小排出)後 洗面したり 手足の爪切りをして 居室に掃除機をかけた。

その後 食事の時間となって 今日は居室で昼食を摂らせて貰った。
食事は良いリズムで食べられた。1時間ほどで食べ終えた。
メンチカツだったが 美味しそうに食べていた。
食事の他にヨーグルトとゼリーを追加してこれくらいだとまぁまぁって所。

食後口腔ケアをしてトイレ誘導 ホールのソファーに座ってもらって施設を後にした。

自転車を飛ばして家に戻り 直ぐに利用者さん訪問。
外での作業だった。
話し声がするのでふとみると ご近所の方が声を掛けていた。
「耳が遠いから 聴こえないのよ」と利用者さんの声が聴こえた。
「どうしたかな?」と思って門の所まで行くと...。
「なんだかね 男の人が庭の中に入っていったっていうのよ」と利用者さん困惑気味。
ご近所の方は 認知症の症状が出ている方。
利用者さんも否定してはいけないと思って あれこれ対応していたが納得しなかった様子。
「こんにちは」とご挨拶をしたら「男の人がね...」とまた話し始めた。
「あぁ メーターの検針に見えたのよ。もうお帰りになりましたよ。心配くださってありがとう」と伝えると「それならいいんだ。よかったよ」と家へ戻られた。
検針なんて来ていないが 納得して貰える話である。
心配に思ったのだろうから そこはやっぱりありがとうだろうし...。

活動を終えて 家で探し物をしているうちに夕方となってしまった。
日の暮れるのが早くなってきたなぁ。

そうそう 職員さんから聞いた話だが...
予防接種のあった日に 一足先に職員の方が接種されて ひとしきり「痛いね」と話していたら 母が泣き出したらしい。
母の接種時には 接種のことも判らない様子で無事終えたらしいけれど...。
痛いのが嫌いな 母らしいひとこまだったみたい。


2009年11月06日(金) 確かな答え…


ふぁ〜い  ようやく依頼されたことが全て終わったぁ!
受けなければいい事なのだから 自分が勝手に背負い込んだ事。
だから 泣き言はいえない。

その上 合間に帰省して...。
これも 体力を消耗した。
でも 介護から離れていつもと違う空間で過ごせたので 気分は良い。

弟から送って貰った事は 夫の気分を害した。
「送って貰った事で これまでの事をチャラにしてしまうのか。俺達が背負ってきたことは そんなに単純なことか!」と言われた。
やっぱり そうくるんだなぁ。
でも そういう言葉もさらりと受け流し「ごめんねぇ。別にチャラにするつもりはないのよねぇ」とだけ答えた。

みんなの言い分を聞くたびに「そうだね」と思ってしまう。
良い人間ぶろうというのではない。
自分の様変わりぶりに驚くが これもストレス回避の策。
不満を数えていると自分の身体に支障をきたすのだ。
元気でなくちゃ怒れないみたい。
怒る人を見ているとエネルギーがあるなぁって羨ましく思ってしまう。

母の立位介助は 危険防止のため二人がかりとなり車椅子での食事が当たり前になってしまったみたい。
今日も「立位困難だったので車椅子を使っています」と言われた。
だから 立位が急速に難しくなっているように感じる。

私は 娘だからそう簡単には諦められない。
若しかして 此の儘立位介助が出来なくなったらどうするの…という不安が広がっている。母との約束 果たせなくなってしまうと焦る。
職員が危険防止という意味は充分判っている。
それでも 家族の想いは...違う。
これ以上 あれこれと言いたくはないので もう何も言わない。
坂道を転げ落ちていく事が見えるだけに正念場って感じだな。

よかったと思う事は 傾眠してなかった事くらい。
トイレ誘導は 1人で対処。
職員が気にして「大丈夫ですか」と言ってくれたけれど「大丈夫です」と返答。
立ち上がるための努力は 母がしてくれた。
「頑張ってくれてありがとう」って言ったら ニコッとしてくれた。

それだけが 確かな答えのように感じる。
今日は 父の誕生日。
もう亡くなって 15年が過ぎてしまった。
寂しいという想いも消えて いつも自分の1番近くにいるような気がする。


2009年11月05日(木) トタパタも今日が最期


 今日もパタパタと過ぎて たった今 今日の準備が仕上がった。
今日は 母のインフルエンザの予防接種を受けた筈。
昨日 突然言われて デイはどうするかの判断を迫られた。

疱瘡予防のためにも 週2回だけの入浴はカットしたくないのが正直な気持ちなので その旨を伝えた。
それも勇気がいるんだなあ。参ってしまう。

さてさて 明日もあるし疲れてもいるので風邪予防のためにも十分な睡眠確保しなければ。。.zzzzz♪


2009年11月04日(水) また...


 自分で覚悟していた事だけれど...作業に追われてる。
まだ終わらない。
1つは 明日昼まで。
もう1つは 明日夕方まで。

母のところに出かけて 元気な母とあった。
トイレ誘導で「大」「小」排出。
昼食も普通のご飯を1時間で食べ終えて リハビリを受けて...。

まずまず。
今日はここまで。


2009年11月03日(火) 兄弟のみで...


 早朝 ホテルから 弟に電話した。
これからの母のことを話しておく必要があった。
弟は 午後に仕事で関東に向かうとの事だった。

ホテルに迎えに来て ちょこちょこと出かけた。
末弟も仕事に出ており 戻ってくるのを待って昼食を一緒に摂った。
弟の会社にも立ち寄った。
ま 無理だけれど ここに母と住む部屋を作ってもらえば 住めそうと1人ニヤニヤしてしまった。

弟たちの車に乗せてもらって 家まで戻った。
というか送って貰った。

何だか悪いような気もしたけれど でもね これくらいのことじゃね。
弟は「お蔭様で...」と母の長生きしていることに感謝していた。

今回 同級生の中にも わだかまりで気まずい兄弟関係になっている人がいることを知った。
介護ってねじれていると余計に介護負担が重く感じる。

我が家も例外ではない。
でもそこを大分ふっきっている自分と出逢った。
なにも解決している訳ではない。
許すとか許さないとかいう気持ちではない。

我が家の家人たちには 申し訳ない気持ちでいっぱいである。
けれど そこに拘っていると抜け出せないやるせなさが残るだけのように感じるのだ。
このまま同じ気持ちでいられるかどうかは判らない。
でもとりあえず 今後のことを伝えて 協力を依頼した。
協力して貰えるかは不明だけれど...言うだけは言った。

同級会に出かけて 言って置くべき事も伝えて 後はマイペースで歩むしかないだろう。

岐路の車の中では 兄弟3人のみ。
きっとこれから先 こういう風に3人だけ出会うと言う事はないだろうと思っていたはず。
「オヤジも3人揃えたねと思っているよな」と弟も言っていた。
おそらく抱えている事も想っていることも違う筈だけれど 何処にも逃げ出せない車の中の時間は きっとそれぞれの胸に刻まれた時間になるだろうな。


2009年11月02日(月) ふるさとへ


朝 母のところに出かけて トイレ誘導して「大」排出。
介護保険外利用のヘルパーさんと久しぶりに出逢って 後は水分補給をお願いして施設を後にした。

途中買い物をして家に戻り 慌しくふるさとに向かった。
中学の同級会に出かけるためである。

行くのを散々迷ったが 幹事の方に前日でもいいから...といわれた。
夫は「行ってきなさい」と言ってくれていたが イマイチ不安だった。
娘から「自分のための時間を作るべき」と言われて ようやく腰を上げたのだった。同級会は18時スタートだったが 18:00到着。
峠を越える電車の窓から雪がちらつくのが見えた。
何年ぶりかな ふるさとの初雪みるの。

峠を下りれば雪は雨に変わっていた。
でも山に雪が降るということは 里も冷え込んでいる。
コートをやめて カーディガンを羽織っただけで傘も持たずにきたことを後悔した。

駅のホテルを予約して その足で会場へむかった。
仲間はもう盛り上がっており その中で圧倒された。
卒業以来初めて逢う人もいた。

ワイワイとして2次会 3次会と流れて 皆さん帰られたあと別のクラスの親しい娘とあって それから更に一時間話してホテルに戻った。

クラス会の話題は 親の事。
皆さん それぞれ介護のことやら 高齢になったことでの心配の様子。
その上 伴侶の病も気がかりと言う人もいた。

時々携帯をチェックして 何事もおきていないことにホッとした。


2009年11月01日(日) はやっ!


夫に送ってもらって母のところへ。
入り口に清掃用のバケツが置いてあったので 業者さんが入って清掃なんだなと判った。
母のフロアには 別のフロアの方も見えていて にぎやかだった。
ちょっと前なら ワイワイとおしゃべりに花が咲いたものだ。
最近の施設は入所同志や職員との入所者のおしゃべりは激減している。
シーンとして1人2人にぎやかにお話しする人がいるだけ。
それも 入所して間もない方の不安感による訴えである。
以前より施設に行く回数が増えているのに...である。
これは 私だけが感じている事ではないようだった。

昼食介助は 居室でさせてもらう事にした。
昼食はうどんだった。
「食べなかったら...」と言う配慮でお粥も準備されていた。
今朝も目覚めが悪く 朝食も大変だったと言うことだった。

母は目覚めて起きていて 居室のトイレ誘導。「大」「小」排出。
うどんは 母はよく食べてくれるのだが 職員は知らないのかなぁ。

介助始めたら 予想通リよく食べてくれた。
食べる早さも早く1時間足らずで食べ終えた。

その後トイレ誘導して「小」排出。

午後は別のフロアに移動すると思って 後はお任せして施設を後にした。


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