母のタイムスリップ日記
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2009年10月31日(土) どうしようかなぁ


お粥を炊き 水分補給のためのゼリーとか肉や魚に変わる蛋白源として使って貰えばとお豆腐等も持って母のところに向かった。

母は 今朝も覚醒が悪かったと言う事で 車椅子で食事介助を受けたようだった。「今 ようやく覚醒した所です」と職員は言っていた。
でもテーブルに突っ伏して寝ていたのだけれど...。

居室トイレに歩行して誘導し トイレ介助。「大」「小」排泄。
そこへ 昨日マグを一錠服用したとの報告を受けた。
状態として硬いものではなかったので 今後はヨーグルトで対応しマグは様子をみて使って欲しいと希望を伝えた。

整髪・洗面・介助しての歩行を少し試みた。
それから居室に掃除機をかけて 母を昼食のテーブルに誘導した。

ヨーグルトを購入して施設の冷蔵庫に収納。

午後に依頼されていることがあって 今日は母の食事介助は出来ない。
その旨は先に職員に伝えてあるので後はお任せして移動した。

今朝夫は 早朝に家を出ると言うので 其の儘起きて 作業に手を加えて何とか纏めきった。

初めて訪れるその場所は ちと遠い。
でも介護する仲間とお話できた。

お役目を果たして 家に戻ったのは夕方の六時近くだった。
それからちょこっと介護仲間に電話をした。
介護の研究のために...ということで依頼されていることがあって その要請もあった。そこで しばらく介護の話となった。
その方の住む地区で今日 特別養護老人ホームの説明があったそうだ。
特養の説明は 映像で...。そして地域で高齢者率の高い所は...等の資料の報告があったそうだ。
「初めての人にはわかり難い話で 一般の人の質問もチンプンカンプンだったこと。介護者の会で得た情報を持っていたので話の内容は判ったけれど 知りたい事はもっとあった」と話していらした。
話した方は なんとなく高い所からの物言いで 好感が持てなかったとも言っていた。過去の経験から納得できた。
「そうか 相変わらずなんだな」と感じたりした。

特養が地域に向かって発信する説明会と言うものには出たことがないのでなんともいえないのだが...。
介護者の知りたい中身と特養サイドから発信される内容って合致しないのは何故なんだろうなぁ。
何処もそうなのかなぁ。
お話を聞きながら何となく気になった。

今日の事は済んだけれど 来週また依頼されていることがあってその準備がありボチボチと始めている。
連休の合間にふるさとで中学の同級会が開かれる予定。
行きたいなと思いながら行けるのかなということも脳裏を掠めて出欠の返事を保留にしたてら「介護忙しいの?」と電話が入った。
「開催前日の返事でよいから 待っているよ」ということだった。
準備してくださる方の労に感謝しているが こればかりは即座に返事できなかった。
娘から「自分の楽しみも大事にすべきよ。いつも後回しにするのは良くない習性」と言われた。
明日何処まで出来るか 母のことをっ出来る限り考えて最良の方策を考えて決めようと思っている。


2009年10月30日(金) 本音を聞けた


昨夜も最終トイレ誘導は1:30。
それから チョコチョコと作業をして 頭がもわんとしてきたの8分方完成させて就寝。

入浴したせいだろうか 母はぐっすり眠っていた。

今朝は6時に起床。
トイレ誘導した。
起こす時に 母の足を揃えて置こうと動かした時思い切り右腕をつねられた。おそらく 筋肉が固まっていて動かすのが辛かったのだろう。
瞬間の事だった。
しかし強い力だった。
そういえば とんとんと起こす時も「判っている うるさい」と怒ってたなぁ。潜在的に あれこれ言われても動かせない事実を感じているのはやっぱり母なんだなと改めて感じた。
起きていたらけして言わないし 第一話せないのだ。
それを思うと辛い。

朝食をとり始めたのは7時過ぎ。
パクパクとよく食べた。

朝食後 此方が洗濯をしたり 生協の荷受をしているうちに母はテーブルに突っ伏して眠ってしまった。
食後1時間は経過しているので 布団で寝て貰った。

昼食の30分前に起こしてトイレ誘導。
気になるのは お通じ。
食事の量が減ってからお通じが間遠い。
今日も幾度もマッサージを試みるのだが 一向に変化がない。

それから 食事介助。
なかなか 飲み込まない。
暑さのせいかとあごの所をアイシング。
少し動き出したので 片付けた扇風機を取り出して風を送った。
すると5分もしないうちに ごくりと飲み込み それからは順調。

午後介護者の会へ母を連れて参加。
途中抜け出して 役所に書類を提出。
それから施設に戻った。

とりあえず今日の様子である。
まだ 作業が終えていないので...あとひと踏ん張り。


2009年10月29日(木) お腹がふくれれば...瞼が...


昨夜は 午前1時に最終トイレに誘導し 今朝5時に2度目のトイレ誘導をした。1度目は間に合ったけれど 2度目はさすがにね。
でも残りはトイレへ。
この所の母の様子をみていると2度寝させると更に深く眠る傾向があるので
其の儘起床して貰う。

しかしなぁ。今回は 夜間の立位のきついこと。
ベットならまだ楽なんだろうけれど...。
目覚めて貰うまで時間と体力を要した。

幸い夫も6時には仕事に出かけるというので 夫を送ってから朝食。
お粥さんとご飯の混合と 温泉卵 かぼちゃの煮つけと味噌汁。
全て食べ終えた。
そうそう 起き抜けに日本茶を130ccと柿を1個たべた。

おそらく4.50分で食べ終え 傾眠等はなかった。むしろ「うふふふ」と幾度も笑ってた。
それから 自分の朝食。
母は向かい側に座って見守ってくれた。
私が食べ始めると1回1回頷いてにっこりする。
こりゃ「しっかり食べてくれて嬉しいよ」という表現か!

洗濯したり キッチンの後片付けをしていたら母テーブルに突っ伏して居眠りを始めた。
こりゃ遺憾と思って 布団に寝かせた。
考えれば 施設の睡眠時間よりずっと短い。

洗濯物を干し終えたし ちょっと休憩しようと母の隣で添い寝したら 本格的に眠ってしまって 10:30〜12:00までぐっすり。
それから母をトイレ誘導。
歩いている途中に出てしまったようで母泣き出す。
こりゃ悪い事したなぁ。

それから大急ぎで昼食。
目覚めたばかりなので 口当たりの良いもの...と思ってケーキを出したらぺロッと食べ終えた。調子に乗ってヨーグルトやお粥やトマト・かぼちゃ・焼き鮭等を食べてもらった。水分はお茶250cc。
お昼も傾眠はなかった。

その後トイレ誘導。
これも間に合わなかった。パットにしっかり吸収。

テーブルに着くとまた眠りだす。
「お腹がいっぱいになると眠りだす」ってことかと思うほど。
寝る子は育つって言うけれど 寝るばあさんも育つか?
いや 冗談。
此方は 歩行を何とかしたいと思うのだけれど 眠り始めるとなかなか難しいのだ。

寝ている間にメールチェックすると「ぎょっ!」
依頼されてたことの内容が変更になっていた。「どうする!」
もう下書きしてたのになぁ。「しょうがないよね。夜仕事だわ」

母の居眠りを背中で感じながら 夕食の準備。
今日はポトフ。豚ヒレを大きくカットして...。
母が食べられなかったら またうなぎにしようと思った。

母は途中で目覚めたので 弱火で事コトコト煮ながら両手引き歩行。
日のあるうちに少しお散歩に連れ出そうと思っていたけれど出来なかった。

夕食は6時半ごろスタート。
ポトフは お肉も含めてしっかり食べた。
お粥とご飯。サトイモの煮物。かぼちゃ。柿。それだけ食べても物足りない様子の母。ケーキを昼の半分食べて貰う。珈琲も飲んで貰った。
そこへかまぼこが届いた。ふんわりしたさつま揚げだったので一口母に運んだらまたモグモグ。よく食べる。

そのうちにまたウトウト。
その間に後片付けをして...。

本来今日はデイで入浴の日である。
次の入浴は施設で火曜だ。
迷った末に 母に入浴して貰った。
これも至難の業。何しろ何の準備もない浴室である。
力に任せてえんやらこと...。
無事身体も洗えて洗髪も出来た。
ドライヤーで乾かし終えたら また眠そうな母。
仕方なので ちょっと早めの9時で就寝して貰った。
今zzzzと気持ち良さそうに眠っている。

夕方に役所から連絡が入って 補助金の交付に関しての書類を送付しているといわれて慌てた。「みてない!」
探したら未開封の封書が...。
添付書類も必要みたいだ。
これも夜仕事。
お昼寝は 寝ておけというサインだったかなぁ。

夜仕事が増えたのに...また夫饒舌。長いお話を聞くことに...。
「俺の親ではないからね」という話になり 地雷を踏まないように用心しながら応答。
今日は20代でフランスに渡り 学んできた頃のお話だった。
どうやら古い友人から電話があったらしく そのお零れって感じ。
忙しい時に限って 夫が饒舌になるのは何故かなぁ。

昨日も今日も 事態を察した方が熱いメッセージメールを次々と下さりありがとうございます。明日まで 母のあったかな腕の中で過しまぁす。


2009年10月28日(水) 足りないものは...


「傾眠して 昨日は噛まなくて 飲み込まなくて...食事きちんとできていません。今朝も起床時傾眠で立ち上がりも難しく車椅子を使っています」との職員の報告を受けた。

母の寂しさを体がカタカタするほど感じていたので 今日はお弁当をしっかり作ってゆっくり過そうと思って出かけたが それだけでは足らないと反省して家に連れてきた。
リハビリも断り 明日のデイサービスもお休み。夕食介助のボランティアも断った。

職員が「車で送ります」と言ってくれたが それも丁重に断った。

何が足りないか...。
それは 私との時間だと感じたから。
伸びてしまった髪の毛も気になったし...。

でも 昨日駅近くの自転車置き場にマイ自転車おとまり中。
その上 鍵を忘れて家を出てしまった。
途中介護仲間の家に立ち寄る用事があって...。
仲間は 自分のうちの自転車を使ってといってくれたのでお借りしてしまった。ぎゃふん!

借りた自転車を返しに行き 泊めてある自転車置き場に行って金曜日まで撤収しないで欲しいとお願いをして 家に戻って荷物を置いてから スタコラと施設に戻った。

それから車椅子を押して 美容院へ。
その後スーパーで買い物。
その足で 以前世話になっていたデーサービスに立ち寄って...。

間抜けなのは鍵だけではなかった。
仲間に借りた自転車の籠に自分の弁当を忘れてしまった。
仲間から「何ごとか起きたのではないか...」とメール・電話が入っていた。
慌てて電話したら お弁当を持って自転車を飛ばしてきてくれた。
とんだ迷惑をかけてしまった。

それから ながぁい急な坂道を休み休み上って我が家に着いた。

母は 固形物も噛めて 傾眠は全く無くて...。
夜10時に就寝。
ただ1日座っていたので おそらくこの数日そうだった筈で...。
歩行は 安定しなかった。
それでも 室内は両手引きで何とか歩けた。
段差も何とか乗り越えた。

今ひとつ安定しないが 気力を取り戻さないとどうにもならない。
母は スーパーでも果物をみてきょときょと。
興味は生まれる。
デイの職員の話しかけに最初は反応しなかったけれど 暫くしたら声を出して応えていた。職員は目いっぱい話しかけてくださった。

母は かなり疲れてる筈だが そういった気配は見えなかった。

しなきゃならないことがあるので...踏ん張るしかない。


2009年10月27日(火) 「・・・・!!」


 いつもより少し早目に母の所に出かけた。
「…!!」
ひたすら母に謝った。
謝るしかない。

母の笑顔に出会った。
でも謝るしかない。

食事介助はできない。
後ろ髪を引かれながら自転車で駅に向かった。

違う地域で介護をしている仲間とお話した。
話しながら朝の景色を思い出して涙が零れた。

仕方ないね。私が悪い。


2009年10月26日(月) 冷たい雨 恵みの雨


 目覚めたら雨が降っていた。
「わぁい 今日の活動お休みだ」降って湧いた休日。
昨夜 遅くまでかかって作業を終え メール添付して送ってホッとした。

「さてと今日はどうする?」
気になっている菜園は雨で無理。これもホッとした。
「じゃ 午後にでも母のところに行って見よう」と思って お粥さんを炊き始めた。

その間に お掃除 お掃除と掃除機をかけて拭き掃除。
その時 早く仕上げなくてはならないものがまだ残っていたと思い当たる。

パソコンを立ち上げ 作業に入った。
午後までかかって 何とか1つを仕上げた。

1日家にいるとサクサク片付く。

夕食の準備もしながらの平行作業。
湯気の立つキッチン。ほかほかあったかい。
雨で湿度が高くなっているので 床は更に湿り気を帯びてべったりという感じとなってしまった。

今日は 母のとこ結局行かなかった。
明日は昼食介助は出来ないけれど ちょこっと顔出して厚手の衣類出したほうが良いのかもしれないな。
でも 施設って暖房が入る。
そうなると それほど厚手にならなくてもいいんだよね。
だから 衣類の準備って難しい。

お休みするとカサカサした心にちょっとしたゆとりが生まれる。
これからのこともぼんやりと考えてみたり...。

今日は ラジオも政治のニュースや芸能ニュースが話題になるだろうと思ってラジオも切った。

私には 静かな1日だったが 母には...「ごめんなさい」


2009年10月25日(日) 寂しかったのよのね♪ごめん!


 お粥さんを炊いて 副食を持って母のところに出かけた。
生憎の雨なのでテクテク。

夫がまだ家に居たので「送って貰える?」と聞いてみたが返事がなかった。
留守番して貰ったばかりだし 休み無く仕事しているのだからねぇ。
1度言って返事が無ければ 2度目は言い出さない方がよいと長年の経験から察知。

母はソファーでぐっすり眠っていた。
時間をかけて母を起こしてトイレ誘導。「大」「小」排出。
それから 居室の椅子に移動。
その途端 母はべそをかいて涙を零し そのうち嗚咽となった。
こちらもちょっぴり。。.

想像だが きっと椅子に座る頃にだんだん職員と違う人と気がついたのだろうと思う。

昼食はカレーライス。
普通食だった。
少し遅れて席についたのでお粥に替える訳にも行かない。

ゆっくりと母に合わせて昼食介助。
ほぼ完食で万歳!母の食べる意思がみえたので時間オーバーを意識しながらである。1時間越えである。

その後居室に戻って水分補給しトイレ誘導「小」排出。

今日は ここまで。
月曜〆が一件あり 仕上がっていないので 急いで家に戻って作業。
これから あと2件。そして月末の作業と控えている。
母には まだちょっと辛抱願わねばならないのだ。

それにしても 今日は寒かった。
寒いという表現は 本格的な冬に申し分けない気もするのだが...。


2009年10月23日(金) 次の1歩


今日の1日で大きな収穫があった。
始めの一歩に過ぎないけれど 1つ前に進めそうな気配を感じた。

介護専門職の方と本音で介護サービスについて同じ土俵で考えられそうだ。

…個人的連絡…
例のショートの件 やりましたぞ!拾い上げてくれた人がいました。

それにしても...。
毎日自転車を飛ばして筋力もついている筈だと自負していたけれど 今足の腿がカタカタ言っている。


2009年10月22日(木) あっちもこっちも...


 今日は朝から トタパタ。
母のこともいろいろあり めまぐるしく1日が終わった。

詳しくは後日。

また 明日の更新はお休みします。
母のことが理由ではありません。
私も何とか元気にしてます。


2009年10月21日(水) おっとっとっと!!


朝は 早めに起床してせっせこ家事に勤しむのだが 時短が思うように出来ない。焦りながら 母のところに向かった。

施設の玄関を開けると正面の居室のトイレのドアが開いていて車椅子も見えたので介助しているのだなとわかった。
「お世話さまでぇす」とホールに入ってみるとソファーに座っているはずの母が床に転がっていた。
先日娘があるテレビ番組の施設の風景でみた光景。
でもそこではそれなりの訳があってそうしている。

母はいつもソファーに座っている時間である。
ありゃりゃ♪
急いでそばに行き母の名前を呼んでみた。目は開かないがもそもそしているので意識はある。
床に起こしてみると目を開けようとしているのが判った。
おそらく ソファーで居眠りをして深く眠って前のめりが強く出たのだろう。それと排泄かなぁと瞬間感じた。

それからゆっくりと母をソファーに座らせた。
でも重たい身体で(きっとショックで身体を動かしたくなかったのだと思う)先ずは浅く腰掛けて貰って 次に深く椅子に座ってもらった。

大概もう少し早く来ているが 今日は出遅れ気味。
もっと早く来ていればこんなことにはならなかったなぁと反省。
母には「ごめんなさい。私が悪かったね。ごめんごめん」と謝った。

手足首から順繰りに動かしてみた。特に痛がる様子はない。
次に膝・肘・肩と順繰りにぐるぐる動かしてみるが痛がる様子はない。
次に首 これも特に変化なし。それから頭の毛を分けながら 見てみたが特に変化なし。ホッとした。
そうこうしている内に 母は涙を零し始めた。
「大丈夫よ。悪かったね。ごめん」と再び謝る。

騒ぎを感じた職員が介助を終えて見えた。
「どうかなさいましたか?」と。
発見時の様子や痛がっている様子はないことを伝えた。

他の方の介助に当たっていたのだから 仕方ないだろう。
職員の話を伺うと 転倒したような大きな音は聴こえなかった。
私の付く寸前に母をみて椅子に座っているのをみて 入所者の介助に入られたということだった。

それから職員は 別の職員に伝え更に看護を担当する方にも連絡を入れて確認したようだ。
両手引きでトイレ誘導。更に痛みの確認をした。
歩く時には 幾度か泣いていた。
特に痛がっている様子はやはりなかった。

そこへ別の職員が飛んできて「大丈夫ですか」と。
腕・足・頭をチェックしていた。
「きっと大丈夫と思います」と伝えた。

それから「脳下で検査を希望なら行きます」と言われた。
ソファーの高さは30センチちょっとかな。
「転倒状態は 考えれば膝を折り曲げていた。
ひざからずりずりと左前にゆっくり崩れて行ったような感じ。
なので通院はしないでいいです」と返事した。
「それに 療法士さんも見える日なので...」とも。

母に時折笑顔も見えたので 血圧を計測。
ちょっと高めだが無理もない。

転倒が居眠りか排泄が原因と私は見ていたが 職員は脳のことも気になっているんだなと思った。脳出血とか脳梗塞である。
それがあったとしても 特に大きな変化は見られない。

母は次々に職員が見えるので やや不安げな様子を見せた。
手洗いを済ませて 昼食。

今日は居室で食べる事にした。
ふたり向き合ってゆっくりと食べるほうが 安心できるだろうと思った。
向かい合って母の手を私の膝の上に載せるとそっと私の様子を見る母。
ゆっくりと食事したいところだが 1時から訪問リハビリがあるのでそうも言っていられない。
おかずは 汁物を除いて食べ終え ご飯も4分の3は食べた。
口腔ケアを済ませたところで療法士さんが見えた。
転倒の話をしたら 動きを見てみましょうと椅子から横になるまでの介助をしながら様子を見てくださり 更に細かい所まで見てくださった。
「だいじょうぶですね。でも 人に拠っては転倒のショックから立ち上がり等不安がる事がありますので...」と教えてくださった。

リハが済む頃にはzzzzの母。
明日のデイの支度を整え終える頃 母が目覚めた。
トイレ誘導。「小」排出。
今日はケアマネとケアプランの確認が予定されており 母をホールに移動させて ケアマネと職員との3者でプランの確認。

その間の母の様子を見ていると結構しっかり座っており背中を伸ばしてキョトキョトしていたのでホッとした。

その後 職員が介助しトイレ誘導。排泄なし。

それから 水分補給。
時間を置いて トイレ誘導「小」排出。

歩行もしっかりしてきて心配なさそうなので施設を後にした。
今日は 余裕があれば母を連れて美容院に髪きりに出かけようと思ってたが取りやめ。私1人で出かけた。

ソファーからの転倒は いつか起きるかも知れないと思っていた。
だから 施設から帰る時には ソファーの前にテーブルを置いて向き合うソファーにテーブルをきっちりくっけるようにしていた。
拘束になるだろうけれど 転倒するよりはよいかと思ってのことだった。
でも 施設に行けば 決まってソファーの前は何も置いてない状態が続いてたので職員にも考えがあるのだろうとおもい 職員のやるように座らせていたのだった。

厚顔な私だけれど...これでも 託している身である事は ある程度認識している。 母のためによくないだろうとは判っていても...。
起きてしまった事をあれこれ責めても始まらない。

ごめんね。母さん。悪いのは私です。


2009年10月20日(火) あつかったなぁ!


 昨日帰りの電車の中で「ムッ」とする場面があった。
そこで一言も発せなかった自分が情けない。

女性専用車両に乗った。
ラッシュ時で当然座席は満席で立っている人も多い。
立った場所が 優先席付辺。
普段から携帯メールをしている人は見かけているのであまり気にならなかったのだが そこへ杖を使う男性が乗り込んできた。
入るなり その男性は「ここは優先席のエリアです。携帯の電源は切るのが当たり前でしょう。そんなことも知らないのですか」と怒鳴った。
言われた女性は くるりと背を向けた。
わざわざ見ていなかったが きっともうやめたものと思っていた。

優先席に座っているご高齢の方が 男性が杖を持っていることに気がついて立ち上がって席を譲ってた。

出発間際になって人がどんどん乗り込んできて 気がついたらさっき注意された人が自分の隣に押されて戻ってきてた。
男性は座ってしまったので 人の影になって見えない様子だったが しっかりメールしている。
横顔をみるとキッとした表情でもくもくメールしてる。
注意すべきかと思うが もう一喝されているのだから状況も判っている筈と思い気持ちの収まればやめるだろうと思って注意しなかった。
ところで...と思って周囲を見渡すと 反対隣の方もメール送信。
注意された時には 既に乗っていた人である。
そこで声を発しない自分が情けない。

さて 今日の母は居眠りモード。
食事はかなり難しそうに感じたので 公園でご飯を食べる事に決め 車椅子に乗って外出。勿論 トイレ誘導後。

手持ちの物は少ないので コンビニに寄って母の食べやすいものを購入し公園へのベンチへ。
外に出ると目は開く。
ベンチに座って昼食。
今日は 湿度も高く気温が上がって 体がだるいのではないかと思った。
母に聞くと「そうだ」といわんばかりに頷いた。何処まで真実かは不明。

それでも 持参したお粥やみかんも含めてあれこれ食べた。
いわゆるつまみ食い的にいろんなものを...。トータルで軽く一食分という所だろう。時間は 休みながらで1時間ちょっと。

眠る事もなく食べたが 言葉は少ない。傾きも強い。調子がよいと傾いた身体は自分で立て直すのだが 今日はできない。

2時から入浴なので その時間に間に合うように戻って 着替えを準備。
後は脱衣室まで誘導して 職員にバトンタッチ。

その後 会のチラシ作成のためあちこちを走り回って 用紙を調達して夫の会社へ向かった。
業者に頼めば 費用がかさむので...。
夫の会社のコピー機を使わせて貰ったのだが コピー機の機嫌が悪くて...
かなりの時間を要し とっぷりと陽がくれてもまだ終了せず。
残りは 会社の方にお願いして出来る所まで踏ん張った。

夫は夜打ち合わせが入っているとの事で 時間調整で一緒にご飯を食べ バス停まで送ってもらって家に戻った。

夜 介護仲間から相談の電話を受けて長い時間お話。
施設選びに関することだった。

母 明日はどんな顔見せてくれるだろうな。


2009年10月19日(月) 時代の流れ


早朝に夫を送り出して 鰹節で出汁を作る。
それから 昨夜準備したゆで卵の殻をむいたりした茹でした野菜を鍋に並べて出汁をいれて...。ことこと。

最近 夕方になると気温が下がるし おでんもいいかなと思った。

10時半に打ち合わせの約束があるのでトットコ駅に向かった。
その前に 郵便局に立ち寄って郵便物を速達で投函。
電車に乗って打ち合わせの場所へ移動した。

打ち合わせや作業を済ませて我が家へ。
今日のおでんは気温が上がってしまって...ちと失策。
ま 丁寧に準備したのだからそれで良しって事にしよう。

ひとり夕食を済ませたころ 娘から電話が入った。
昨日の結婚式の様子を聞いた。
花嫁が招待客の人への気配りが素晴らしかった事。
何だかなぁというブラックユーモアのお話。
高校の友人達が それぞれの場所でしっかり根を張っている姿をみて感動した話。(別に有名企業でキャリアを積んでいるという話ではない)

家に着いた時 先日の同窓会に出席した人からお手紙が届いていた。
ホテルに携帯を忘れていって 此方が慌てて自宅に電話をかけたのだが繋がらなくて留守電にメッセージを入れていた。
その事に「気がつかなくてごめんなさい。そしてありがとう。」という便りだった。
何故気がつかなかったかというと 携帯電話が主流で固定電話を殆ど使わないという事だったらしい。
今は そういう時代なんだなと感じた。

我が家の留守電は確実に使われ 携帯も・携帯メール・パソコンのメールも
全て 稼動している。勿論手紙も...。
通信手段が随分多岐にわたっているのだなぁ。
母が病にならなかったら使いこなせていたろうか...。


2009年10月18日(日) 今後の行方…


以前に記したかも知れない「我ご町内の事」
我が家は 今年 班当番に当たっている。
前年度の班当番から引継ぎを受けたのは3月。

あれから まだ総会が開かれていない。
規約に会長が認めないと総会を開けない事になっているそうだ。

その会長さん。
「今月中に開きます」と毎月のように言っていまだに開いていない。
開く意志はあるようだが アクションを起こせない。

会長の身の上に諸事情があり動けないようなので「替わりましょうか」というの人もいたのだが会長役を降りない。
会計は別にいるし 不正とかがあるわけではない。
いったい 何に固執しているのだろうかと憶測を呼んでいる。

会長になりたがる人はいないので 役を受けてくださるのは本当にあり難い。
でも 回覧も廻らない状態で町内会は凍結状態。

これまで自主的に活動くださった防災担当の方 毎年消防署の方を呼んで訓練をしていた。昨年急になくなれて 引継ぎもなく其のまま空白。
老人会も 役を受けていた人がなくなり 自然消滅に近い。

そんなことがあり 町内会とは別立てで サロンを立ち上げた。
もう今月で4回目。
もと民生委員 現民生委員等4名が協力して始めた。
仕事は分担しているので1人の責任とはならない。

サロンのある日は 結構お人が集まる。
社会福祉協議会の人は 参加者が多いほうだと言う。

今朝 そのサロンのチラシを作り直してプリントアウトした。
母のところに出かけて 戻ってから担当の方にお届けした。
今月は地域包括の方が見える。
昨月お願いをしてきてくださることに決まっている。
さて 何名の方が見えるかな?
チラシは開催日直前に配る事に決めてあるのだ。
町内会に入っていないマンション入居者に向けても参加を呼びかけている。

町内会 サロン 双方の今後の行方が気になっている。

さて母。
今日もトイレ誘導で「大・小」
食事介助も1時間内に終えた。

洗面時アロマを施すとにっこり笑顔を見せてくれる。


2009年10月17日(土) 抜け出せたかも...


朝は出来る限りパソコンの作業はしないようにしている。
イヴェントが近くなってきて 作業できる日が限られてきていると気がついた。そんなことで パソコン作業の続きに手を付けた。

家事をしながらなので 物干しに移動中 階段を上がっている時なんかにアイデアが生まれると消えないうちに...と焦る。
パソコンの前に戻って打ち込んで また家事。
母のとこに行くのはやめて家で作業したほうが良いのかも...なんて想う。

そうも言っていられないのでチャリを飛ばす。
母は 割合ご機嫌で目の前で職員がパソコンで打ち込み作業をしてた。

トイレ誘導して「大・小」
髪の毛を梳かして洗面。
その後食事介助。
テーブルにつくのは2名のみ。いつものメンバーは デイサービスにお出かけだった。

今日も快調にお食事。1時間足らずで全て食べ終えた。
一時はこのまま下降線を辿るのかと覚悟したが やや改善されてホッとしている。

「あきらめない。大丈夫」と思うようにしているけれど いつも前向きでいられる訳もなくて 自分の身体に変調を感じた時が何回かあった。
特に人の声がとても耳障りだった。
ラジオも切ってしまったし 夫の話も...。
特に夫は 珍しく饒舌で話が長く 聞いているのが辛かった。
施設では テレビの音 職員の話し声が辛かった。
自分の変調を感じて せっせとアロマを使った。
移動中はさすがにそれも出来ず 道端のハーブをちぎってみたり...。

母が良いほうに変化した事で 気分的に大分解消されて今は普通になってきた。

私の介護なんて在宅の方と比べれば 何てこともないのだけれど 時折深い闇に入り込んでしまう。
気にしないようにしているけれど...。

隣の地域の介護仲間からメールが届き「先日は おかしかったよ。自分を大事にしなさいね」とあった。
やっぱり 人にも察知されるほどだったんだな。
母の変化に呼応する自分だとつくづく感じた。


2009年10月16日(金) ご・め・ん


最近 雨戸を開けて青空が広がっていると「秋だな」って思う。
青空といっても そのつど違う。
雨上がりの青空は 格別。くっきりすっきり。
気温が下がってくると これまた くっきりすっきり。

くっきりすっきりの景色に出会うと妙に心が弾んでくる。

今朝も気持ちの良い青空だったけれど ちょこっと霞んでいた。

家を出た時には「風が冷たい」って感じたけれど施設に着く頃には 風が心地良かった。

今日の母は ソファーできょときょとしていた。
時間的には やや早め。これが15分違うときっと眠っているのだろうな。
という事は 覚醒のリズムがあるって事かなとも思うけれど でも はっきりは言い切れない。

今日はなかなか立位できなかった。
トイレ誘導した時に 立ち上がりたくなかったのだと判った。
母には母の理由があるんだな。

昼食介助 今日も画期的。
おそらく40分くらいで食べ終えた。
確かめていないけれど摂取量を抑えているのかな?
見た目には そう変わっていないように思うのだけれど...。
なにしろ 母のフロアで普通食の人は母だけ。
比較しようにもねぇ。

明日から下り坂のお天気との予報なので 午後 お散歩に繰り出した。
歩き通すことは 難しいので車椅子を使って時々歩行といったお散歩。
お散歩前 こっくりこっくりしていたのに 外に出たら目はパッチリ。
電池を購入するため立ち寄った家電店でもきょときょとしていた。
コスモスに触れようと手を伸ばしたり...。
特別の笑顔はなかったけれど 外の風に刺激を受けたように見えた。

車椅子を押して暫く歩き 車椅子に座って貰う時 わっと泣き出した。
もう少し 歩きたいという意思だったのかもしれない。
だから 暫くしてからまた歩いて貰ったけれど 母の意志を尊重するよりも此方の都合を優先したんだよね。 ご・め・ん♪

お散歩から戻った頃 消防車 パトカー等が数台近くの川辺りに出動。
何が起きたのだろうと驚いた。
散歩してきてばかりの場所を出動した職員が検証していた。
時間的には 10分も経過していない...。
母に目を向けていたので 何も気がつかずに通ってきたんだなぁ。


2009年10月15日(木) 少しのゆとり


 朝食を食べ始めると電話が鳴った。
「おはよう」とむすめからだった。
「今 仕事が終わったよ。これから家に戻る」と。

忙しい聞いていたのだが...。
離れているとその辺が見えないな。

切手を貼って出すだけの郵便物。
それを毎日バックに入れて持ち歩いていた。
今朝は 母の所に行かない日で 朝からの用事もなくてゆったりとして手紙に更なる遅れた言い訳を記して投函できた。

たった4.5時間の事だけれど でもやっぱり時間の余裕を感じる。
実際に 溜まったことを片付けきれなくとも。。.

午後会議のため 電車で移動。
最終打ち合わせ・顔合わせ...。

その後担当の仲間と場所を替えてワイワイ。
この中には 在宅で男性1人で踏ん張っている仲間がいる。
夜間の睡眠が...と以前話されていたが やはりこそっとあくび。
1人で介護の大変さを想像できた。

介護者の立場で 介護サービスのこと等あれこれ話した。
結構深くきつい視点である。
表に出さないけれど いろいろある。

就寝の時間だわ。今日はここまで。


2009年10月14日(水) おっ!


周囲の人の協力を得て パソコンの作業もようやく形になりだした。
それにしても 自分のPC操作は未熟そのもの。
ワードでちゃんと保存できたにも関わらず 添付しようとするとファイルが見つからない。
いつも通リならファイルも開けて探し出せるのに...。

仕方なく ワードを開いて プリントアウト。
それをファクシミリで送信するというローテクぶり。

思うように出来ないと徒労感で凹んでしまう。
PCに向かって「何処にしまってくれたの!」と語りかけたくなってしまう。
いや 実はぶつぶつと言っているのだけれど...。

そんな調子で朝 ファクシミリを送って 母のところにでかけ その足で また電車に乗って待ち合わせの場所へ向かった。

トイレ誘導 食事介助 リハの準備 明日のデイの準備等を済ませて。
さすがに移動の電車では こっくりこっくり。
考えれば 昨日もそうで 電車移動で束の間の睡眠が確保されていると思った。

そうそう 母の食事画期的。おっ!と目をぱちくり。
お粥も持参したけれど 今日は使わずに1時間掛からない内にほぼ食べ終えたのだ。
最近 こういうのが増えた。
一時的なものだろうか?何となく心当たりもある。
もう少し様子を見てから判断しようと思う。

丁度 むすめの職場に近い所なので 電話しようかなとも思ったけれど 家で片付ける用事があるので其のまま帰宅。

家に戻ったら 朝送ったデータが仕上がって戻ってきていた。
おっ!と目をぱちくり。
でもデータに手を加えて返信すると昨夜と同じようになることは目に見えているので 訂正ヶ所をピックアップして送信。

今 パソコンに向かうのも嫌気が差している。
そんな訳で 今日はこれまで。


2009年10月13日(火) きょうも...


朝 母のものと我が家の夕食の準備。

母のところに出かけ トイレ誘導 食事介助 諸々。
家に戻って洗濯物を取り込み その後 打ち合わせのため電車に乗って出かけて 夕刻遅く帰宅。

戻ってから PCの作業の続き。
もう 1時。

さて もう寝ないと...。


2009年10月12日(月) 自慢できる事ではないね!


 家の雑事を片付けながら 急ぎの案件の作業。
メール添付して送受信。案件を確認しながらの作業。

介護仲間とメールで作業を進められるなんて...。

「さぁ覚えるぞ」なんて思ってパソコンに向かったのは ほんの初期だけ。
後は 手探りで 行き当たりばったりで身に付けた技ばかり。
技なんて書くとオーバーで 気がついたら出来るようになってたという具合。
そして「よくできるわね」なって言われるけれど 今だって手探りに変わりはないのである。
そしてパソコン作業の経験者が仲間となって 連携がとれるようになった。
作業は 手探りなので結構な時間を使ってしまう所が難点。

家事と作業とどっちが捗ったか...。
多分どっちも似たようなものだろう。
中途半端に終わるのは私の常。
どんなもんだい! タハッ!自慢出来る事ではないね!


2009年10月11日(日) 強力な助っ人


 今朝は夫もゆっくりという事で 少し寝坊した。
寝坊できるということは 余裕があるということだが 後の時間にしわ寄せが行く。娘は 友人の結婚式に行くために必要な物や季節の靴等を持って自分の城に戻っていった。

そんな訳で 今日もぎりぎりに施設に滑り込んだ。
それも夫に ちょこっとした昼食の準備を済ませて...。

母はウトウトしていたが直ぐに目覚めたのでトイレ誘導「大」「小」排出。

それから昼食介助。
昨日と違って今日は 口の開きが悪い。
おかずが魚だった。一見すると青魚の煮物に見えた。
骨まで食べられそうに見えたので 味見もせずに「これなら大丈夫」と口に運んだのだが 進まない。
「おかしいな」と思って味見すると 少し生臭くぱさぱさしていた。
「これじゃ無理だ」と思い 冷蔵庫に入れてた「カマンベールチーズ」に替えた。
チーズが運ばれるとにっこり。
濃い目に味のついたきのこご飯とお粥とで何とか食べ終えた。

居室に入ってトイレ誘導「小」口腔ケアを済ませて 手足の爪きり。
気になりながら毎日が過ぎてようやく出来てホッとした。
爪きり後 散らばった爪を掃除機で吸い込んだ。
それからベランダに出て整髪。
いつもは居室で整髪するのだが 掃除機をかけてしまったので髪の毛が散らばっては困るのでベランダに出たのだった。
ベランダに出るには 高さ15センチよりちょこっと高めの敷居がある。
段差を乗り越えられるかと不安だったのだが 今日は何とか足を上げてくれて抱え込まずに出ることが出来た。やったぁ!
毎日この動作をしてみれば 足を上げる機能がちょこっと復活できるかも...と希望が生まれた。

暫くは 外の様子を眺めた。
風が心地よく吹いて 車の動きを見てた母。

整髪を済ませて居室に戻った頃に訪問介護の時間となった。
そこはお任せして 終了後 みかんを1個食べてもらった。
美味しそうににっこりしながら食べていた。

3時に約束があるので 職員にお願いして施設を後にした。
昨日遅くまでの作業は そのためのものだった。
いつもは 自力で作業しているのだが 今回に限り介護仲間にお願いした。
レイアウト案はほぼ決まっているので 下原稿で説明してお願いして快諾を得て今日の打ち合わせとなった。

打ち合わせの場所に気持ち早めに着いて昼食を摂った。
そこへ仲間が見えて 介護の話をしながら...。

在宅で踏ん張っている方だが 台風のあった日に脳梗塞を起こして救急搬送し 現在入院中で病院の対応等近隣の病院の体制についてあれこれとお話くださった。

その後 打ち合わせをして 作業を依頼した。
無償のボランティアである。
パソコンの作業の出来る人は なかなかいない。
何しろ手探り状態でワードの作業しているが それ以上慣れている人はいない。だから 強力な助っ人の出現なのだ。

ひとまず肩の荷を下ろしたが まだ取り組む作業は残っている。
家で夕食の支度をして夫の帰りを待っていたら「おおい!出てこないか」って夫から呼び出されて お付き合い。
「ちょっと手一杯なんだ」と言い出したいところだが いつもいつも母のことや諸々で迷惑をかけてばかりの身なのでそうも言い出せなくて...。
「はぁい」と返事してトットコ出かけた。
帰りも ゆっくり歩いて家に戻った。

まだ仕事は片付いてない。


2009年10月10日(土) おお!早い!


出遅れて 家を出た。
何せ 洗濯物を出したり引っ込めたり...。
また この所 自分の分の昼食を持たずに行くので 変な時間に昼食となってしまうのだ。
今日こそと自分の分の昼食も準備。
母の所に出かけるまで家事も含めてトタパタしてしまうのである。

尊敬する先輩から「眠る前に 翌日の準備を揃えておく」というお話を伺ったのだが 作業して零時を廻る頃に「早く布団に入らなくちゃ」と思ってしまう。
出来ない言い訳をしてもはじまらない。
出来る限り そうしよう!

母のところに出向くとこくりこくりと居眠りしてた。
でも 直ぐに目覚めてくれて トイレ誘導。「小」「大」排出。

その後 昼食介助。
口当たりの良い昼食でちゃちゃと食べ進む。
45分位で あらかた食べ終えたのには驚いた。
母の好みの味だったこともあるだろう。

食後トイレ誘導し「小」排出。
口腔ケアと整髪。それから居室の整理をした。

トイレ介助に見えて職員に託して その後お茶を戴く。
飲み込みもしっかりしていた。
フロア内も 両手引きで歩行。2回できた。

その後介護仲間のお宅に荷物を受け取りに立ち寄って 家に帰った。

この所 時間を要する煮物等からは遠ざかって手抜きの食事が続き夫にも悪いなと思い 自分の身体にも良くないと思いちょこっと踏ん張った。
その間に あれこれ作業して...。
そこへ此方から電話で尋ねようと持っていた方から電話を受けた。
そこでまた話し込み ようやく食事が出来た。
煮物と残り物の夕食。
終わった頃に 娘が訪ねてきた。
「腹ペコ。なんかある?」という。

自立し別のところに住み始めた娘は ほぼ毎日食事を作っている様子で 今時の流行に乗って 会社にもお弁当を持っていったりしているらしい。
でもこの所の忙しさで 今日は ずっと眠っていたという事だった。
ないものは出せないが あるもので夕食を出した。

少しおしゃべりをして それからパソコン作業。
ちょこっと手伝って貰ったり...。
その作業が2時ごろまで続いた。
翌日のこともあるので ほぼ完成となったところで眠る事に...。


2009年10月09日(金) 予感


母のところに食事介助に出かけた。
ソファーに座って居眠りしていた母は なかなか起きなかった。
昨日デイはあったようで 更にファミレスにも出かけていたようだ。
おおお 画期的だ!
午後の時間と思われるので風は小止みになっていた頃だろう。

それで疲れていたということではないと思う。
今朝 出遅れたのだ。
早く行く時と比べると1時間くらい遅い。
ゆっくり時と比べると30分くらい遅かった。
母の居眠りを避けるには声を掛けてあげることが有効。

トイレ誘導して「小」排出。
整髪・洗面しホールーへ移動。

食事の始めは快調だったが...他の方とおしゃべりを始めたら母の気持ちも緩んで居眠り。慌てて 母の注意を引きながら何とか食べ終えた。
違うフロアのご家族が珍しく母のフロアに見えていたが 介助の様子を見ながら「気を長くしないと出来ない事ですなぁ」としきりに言われた。

1時間半ほどかかってほぼ完食。
居室に戻ってトイレ誘導。それから水分を補うために持参した飲み物を飲んで貰った。

訪問介護に入ってくださったので 今日は託して施設を後にした。

午後は介護者の会の広報チラシを作成するため仲間と作業する日となっている。自転車を飛ばして打ち合わせ場所に出向く。

先日記した介護者のお役に立ちたいとボランティアを申し出てくれた方もお誘いした。
先日 会員の殆どの方が その方の発言でサーッと引いてしまった経緯がある。その方も「お呼びじゃない」と言う雰囲気は感じ取って居られた。

専門職として貴重なお仕事の経験のある方。
彼女の経験を是非とも発揮して欲しいという願いがあった。
個性の強い方だけれど その事をある程度自覚しておいでだとも感じていた。だから何れお互いに理解できる時がくるだろうと思っていた。
ただ かなり面倒かも知れない...と思って実は頭の痛い課題だとも感じていたのだ。

今朝 母の所に行く支度している時にご本人から電話を戴いた。
そこでお話している時「そうだ 今日は会のチラシを作るので会の趣旨を理解して戴くのには良い機会」と思ってお誘いしてみた。
予定があったようだったが キャンセルして来てくださるということだった。 それを 仲間に連絡できない儘...。

介護仲間は 彼女の姿が見えた時「ぎょっ」とした表情だった。
彼女に向けて 会の出来た経緯の資料をPCから引き出して手渡した。
それから行政のかかわりも経緯を説明した。
役所が紹介してきたのに 介護者の会の説明はほとんどなされていなかったのだ。

それから 彼女は適切な意見を出してくださり うまい具合に纏まった。
数名は 彼女の変化を理解してくれた。
でも数名は「何で?」と言う想いがまだ強かったようだ。

誰だって 最初は判らない。
彼女は打てば響く関係が安心できるようだ。
だから発言せずに居られなかっただろう。
不満に感じた人は 初参加だったら「空気をよんでよ」という想いだろう。
勿論その気持ちは判らないでもないのだが それも個性なんだろうと思う。

新しいボランティアの方は これまでと違う切り口で考えてくれるのは間違いないと確信している。みんな同じでは しょうがない。
集う仲間だって それぞれ異なるのだから...。

そして何より その方は自分の住む地域の認知症の方と介護者にどう関わってあげたら良いのか 地域資源は...と1人で踏ん張ろうと思われている。
多くの人は 想いがあっても アクションを起せないのが現実だから...。

もっともっと面倒かも知れないなぁと思っていたのだが よい方向に動き始めてホッとしている。ふわぁと肩の荷がおりたような気がするのだ。
距離が縮んだ感触は 此方の想い過ごしではないと思う。


2009年10月08日(木) 勿体無い?優雅


昨日 「最近は 多少の事ではデイがお休みにならないみたいだけれど 明日はどうかなといった」という話題になった。

今朝は 電車が止まったり 休校になったりしたみたいだから ひょっとしたらお休みになったのかな?
で 母はどうだったのだろう。
気になりながらいたのだが 1日家に篭ってしまった。

本当は 明日の町内の資源ごみ回収の荷物を纏めようと思っていたのだが
直ぐに済むだろうと滞っている手紙を書き始めた。
最近 メールで用事を済ませる傾向にあって ペンがなかなか進まない。
ん...反省だなぁ。

お便りは 8通。
1通だけは 書ききれなかった。サラッと済ませる内容ではないので ちょこっと面倒。

夕食に 赤毛瓜というものを使った。
北海道の友人が送ってくださった荷物の中に入って物のひとつ。
形は冬瓜を思わせるものだった。
北海道では 冬瓜が茶色になるのか...と思ったり...。
調理方法もメモしてあり 漬物か炒め物にするとあった。
「えっ 煮物じゃないんだ」と驚いた。

でも今ひとつはっきりしないので ネットで検索。

すると産地は沖縄が主流で南国の情報が俄然多い。
友人はあちこちの道の駅を廻って購入した筈。
道の駅といえば 産地直結だと思うのだが...これもいささか自信が揺らいでしまった。
沖縄産の赤毛瓜?北海道産?

レシピを見て 瓜系でさっぱりしてる味とあり 夏に美味しいとあった。

冬瓜の緑色のツルツルした表皮と違って網目の入った茶色の表皮。
切って 皮を剥いて種を取って「生でも食べられるかな」ちょこっとなめてみたら優しい酸味。
でも検索したものの中に酸味の事に触れているものはなかった。
「傷んでる?」と思った。
何しろ 見るのも初だから判断が付かない。

困って 更に検索すると「少し酸味」とあったのをみて一安心。
半分を甘酢漬けに使った。
残りは冷蔵庫。

目を瞑って家に篭ったものの 何もしないうちに1日が終わってしまったようで 勿体無いような 優雅なような...なんとも不思議な感覚である。


2009年10月07日(水) 降りる筈だったのにぃ!


今日は ある地域の見守り活動をなさっている所にでかける予定があった。
移動に時間がかかり 母の面会に行く時間を削らなければならないので「食事介助は出来ないのでお願いします」と職員に伝えた。
またリハビリの日でもあるので立ち会えない旨 療法士さんに連絡を入れておいた。

朝 お粥を炊いて母のところに補充。
トイレ誘導 洗面・整髪をして 明日のデイの準備と今日のリハビリの準備をした。施設を出るのは11時半と決めていたが 移動中に何が起きるか判らないので余裕を持って 11時少し過ぎた頃に施設を出た。

昨日も昼食を抜いてしまい どうやら今日も抜くようだなと覚悟してたが目的地に着いた時に 時間にゆとりがあったので ファミレスに滑り込めた。

約束の時間に到着できてホッとした。
会場となった場所は 大勢の方が見えていた。
こんなに早くから集まってくるのは地域性なんだろうな。
うちの地域ではここまで集うことはないだろうなと思った。

3時間半ほどそこで交流して 家路に着いた。
が戻る途中で不覚にも居眠り。
最初の移動で 居眠りをはじめ目覚めたら降車駅だった。
次の移動で各駅に乗り「次が降車駅だな」と思っていたのに気がついた時には乗り過ごしてしまった。
いやはや参った。人生初経験。
電車で居眠りなんて若い頃は全くなかったのに...。


2009年10月06日(火) ギャッ!


 依頼されたことを放置しすぎて四苦八苦の夜。
母のところに出向きいつも通リの介助。
午後介護者の会。
今日の話題には 介護者を追い詰めるような発言があり 冷や汗の連発。
詳しくはまた後日にするが 課題満載って感じ。


2009年10月05日(月) 勘所


 介護をしていて 困難に直面し立ち往生してしまう事がある。
待ったなしの場面では あれこれ試行錯誤をする。

母と共に歩み始めた頃は 介護に関する冊子は少なかった。
認知症の情報も少なかった。

そんな訳で 初期の頃は手探り介護をしていた。
まだインターネットにも繋がっていなくて四苦八苦した。
母にとって迷惑だった事も多々ある。
でも母娘の勘所で会得したこともある。
介護・医療の情報を手に出来るようになって「あの方法でよかったんだな」と感じる事もある。

今は 病の研究・介護の取り組み等の情報も大分進歩したと感じる。
助かる事も多いけれどその情報が母や自分には合わないと感じる事もある。

だから 介護ってそれぞれあっていいのだろうと思う。
ちょっとした間違いもあるかもしれないが 関わりやすい介護は 概ね自分と当事者に合う介護なのだろうなぁと思う。

今日 介護者の会の運営について話し合った。
介護者の学びのことで「身体介護介助の仕方」を講師を招いて開こうと言う事で その説明をした時のこと。
「あ それって 自分が移乗に四苦八苦している時に気がついた」という仲間がいた。
介護者は それぞれの場で困難に直面し 勘所が発揮されるのは 結構多いのかもしれないと思ったのだった。


2009年10月04日(日) 車椅子を押して...


昨夜 布団に入ろうとしたらもそもそと動いていた母。
直ぐにトイレ誘導。
立位もそう難しくはなかった。
先日のケアマネとケアプランの話をした時「朝は誰が介助しても立位困難な状態です」と言われていたので気になっていたのだった。
ちょっとパットが濡れたがトイレで「小」

4時に目覚ましをかけて寝た。
案の定 4時に もそもそ。
そこでトイレ誘導。これも何とか間に合った。

6時少し前に「おかちゃん」と呼ぶ声に目覚めた。
そこでトイレ誘導したが空振り。
でも「おかちゃん」が続くのでポカリを60cc飲んで貰ったらすぐにzzzz。
それから7時半までぐっすり眠ってた。
6時には夫が起きたので 其のまま起きた。
いつもなら母の寝ている部屋でテレビをみているのだが 母を思って散歩に出て行った。
散歩から戻る前に 母を起こして洗面。口腔ケア。トイレ誘導。

夫が戻る前に母にゆっくりと食事介助を始めた。
朝食が始まったのが8時。
それから1時間ちょっと。水分やや少なめ。
食後に温かい緑茶を淹れた。
これを噎せずに飲めた。おそらく200cc。
その後投薬。

10時ごろ少し眠くなったようで食卓テーブルでウトウト。
夫は横にさせたら...といったが 10数分で目覚める筈と思って其のまま。
予測時間ぴったりに 自然に目が覚めてしゃっきり!
それから フルーツ(ブドウ4粒)とポカリを60cc程。

トイレ誘導後 昼食介助。
お粥とふわふわのかに玉。大根の煮物。オクラの味噌汁。湯葉等。
通常通リの食事ペース。
やはり1時間ちょっと。

夫は仕事に出かけたのでトイレ誘導。「大」「小」排出。

施設にいる時の尿はトイレの水の真ん中にちょっと赤っぽくなる。
家にいる時注意深く見ていたが 透明である。
これは 便器のせいかなと思っていたが 母を送った時に施設でトイレ誘導した時も透明だった。
少し水分摂取が足りないのだろうか?
血尿と言う所まで行かないので まあまあこんなところなのだろう。

施設に戻る時は 迷った挙句お散歩代わりに車椅子を押していく。
午後の日差しは強めだったが それでも話しながら楽しんだ。
1時間ほどの道のり。
母の腰に負担がかかっては可哀想なので 時折下りて歩いて貰った。
最大で800メートル程。車椅子のハンドルに掴まってテクテク。
以前は 300メートル位で足を引きずったので直ぐにやめたが 今日は良好。
車椅子を押しながらきょときょとしていた。

足の上がりについては 家についたばかりの時には 部屋の敷居で立ち往生してしまって「よいこらしょっと」と持ち上げ障害物を乗り越えていた。
でも夜になったら 敷居に足を乗せるようにしてまたげるようになり今朝はちゃんとまたげるようになっていた。
母の足に感触が残っており 乗り越えようとする踏ん張りも見られた。

トイレも少しの失敗はあったが 朝の空振り以外は 全てトイレで用が足せたのでホッとした。母も判っているようで呼吸を合わせてくれるので有り難い。

昼食前 夫とテレビを観てもらったが どうも阿吽の呼吸とは行かなくて「ばあさん 俺を嫌っているみたいだ」とすねていた。
そういう訳ではなくタイミングの問題だろうと思うのだが 言っても言わなくても何れ接していればわかって来る事だろうと思って「そうなの?」とだけ返事。
夫は 歩ける・食べられるとは言っても かなり様変わりしていると感じたようだった。面倒なのは 弟達に「来るように...」という想いを強くし始めること。
弟達を庇う気持ち等全くないのだが 痛くもない腹を探られてしまう。
「困った人たちだねぇ」位で済ませてくれればいいのだが...。

夫にしたら 母親に逢いに来ない事 その上1人でヨタヨタしている姿を傍で見ているのが辛いのかもしれない。
なかなか微妙な話である。


2009年10月03日(土) よく眠っている母


雨戸を開けると青空が見えてお日様が出ていた。
「おお いい天気だ!」と夫は仕事に出て行った。

昨夜 強い風が吹いていたので ご近所の百日紅の葉が一面に散ってた。
直ぐに ほうきを持って外に出てお掃除。
ご近所の方も見えてシャッシャッと掃く。

掃き終えて家に入るとシャーッと言う音。
「?」と外をみると雨が降り出していた。

数分しないうちに雨はやみ お日様が顔を出したので洗濯物を出した。
でも 数分しないうちに また雨。
「きつねの嫁入りかな?」

お昼前に 施設の入所だった方のお別れの会が近くの教会で執り行われる。
施設には お天気と体調をみて参列しようと思っている事を伝えてある。
「どうしようかな?」と思ったけれど予報では午後には晴れると言う事だったので連れ出すことにした。
それからワタワタと準備して施設に向かった。
トイレ誘導して着替えて 車椅子に乗せて待たせているタクシーに乗った。

教会の門から中に入るまで急な坂がある。車椅子の人への坂。
上り始めたら 葬儀社の方がパッと見えて「押しますよ」と手助けして下さる。
あり難かった。
ちょっとでも休んだら逆戻りしそうな坂だった。
これまで この教会に来た事があるが母もまだ歩ける時だったのであまり意識していなかったがこんなに急勾配だったのだなと改めて知った。

教会の中に入ると母はきょときょと。
でも教会だと言う事は判っているようだった。
牧師のお話をお聞きして 賛美歌を歌う。

母は お別れ会とは気がつかなかったが 賛美歌を聞いているうちに気がついたようだった。椅子が浅いので 姿勢を直す時「ううん」と声を上げた。
とんとんと膝を軽く叩くと小さな声で「はい」と返事して静かになった。
普段滅多に声を上げないが緊張していたのだろう。
でもきちんとするべき所と言う意識を持っていたのは間違いなかった。

小さなお別れ会だが とても素敵なお別れの会だった。
教会の前でお見送りをして 家に戻った。

そう 母は今日我が家にお泊り。
昼食を済ませて休息してから入浴して貰った。
身体を洗ったら垢がぼろぼろ。この所入浴はお任せしているので気がつかなかった。ついでに洗髪もした。
我が家はバリヤフリーではないし 浴室・トイレもリフォームしていないのでかなり困難なことが多いのだが 何とかできた。
勿論 1人。

母も踏ん張ってくれたし...。

夕食前機嫌が悪そうになった。
5時半を廻った頃である。
「お腹が空いたの?」と聞いたら頷いた。
そこで どうかなぁと思いながらクッキーを一枚持たせた。
すると口に運んで柔らかくしてから噛みだした。
「おお!」ちょっとした感動だった。

夕食は「ほうとう」
熱々を口に運ぶと美味しそうに食べた。
食べ終わる頃には冷たくなってしまったけれど でも一人前しっかり食べた。
大根・人参・ジャガイモ・サトイモ・キャベツ・かぼちゃ・煮干・鶏肉の入れてうどんと煮て味噌で味付け。
フルーツはブドウ。 お茶もしっかり飲んで...。
1時間15分。食べる事の拒否は一度もない。噎せもない。

そういえば 我が家に着いて 暫くきょときょとしていた。
「判るよね」と言ったら頷いていた。
それから天井を幾度も見ていた。
首を長く伸ばして...。
環境の変化は良くないと言うけれど 変わったことでよく首を動かしていた。
これって 首の筋力維持にはいいんだろうなぁ。

食べ終えて 口腔ケア。水分補給。顔を綺麗に拭いた。
40分後 眠そうにしているのでトイレ誘導で「小」排出。
腰周りを綺麗にしてクリームを塗布。
それから たらこちゃんの抱き枕と共にお布団に横になって貰う。
アッという間に仰向けになって鼾をかいて寝てしまった。
30分ごとに様子を見ているのだが 左下になってぐっすり眠っている。
軽い寝息で 気持ち良さそうである。

1人で出来るかなと多少の不安はあったが 母は施設を出てから居眠りする事もなく 介護に呼吸を合わせてくれて頼りない介護でも何とかなった。

笑顔いっぱいの母であった。


2009年10月02日(金) 見付かった!


パラパラと雨の落ちる朝。
今日は母の通院にあてようと思っていたが この雨では無理かも...。

施設に着いた時 入れ歯を失くした利用者さんが白い歯を見せて出迎えてくれた。本人に新しい歯が出来たのと聞いたとしても正確に答えることは無理である。
歯を失くしてしまってから 気力を失われてウトウト。
おそらく気力ばかりでなく 他に圧迫骨折のためのお薬も投与されているのでその影響も有ったのかも知れないが...。
それでも 痛いと言いながら歩けて自分で食事できた事が遠い昔の事だったように思わせるほど憔悴していた。
歯が入ったら おしゃべりも出来て歌も唄えて...。
たかが歯と言えないのだと感じた。

職員から 他の方のベットのマットの下から見つかったと伺った。
私も一緒に探したし職員もご家族もみんな必死で探していた。
当然マットの下も探したのだけれど...。
焦ってしまっていたんだろうなぁ。
てっきり作り直した歯と思っていたので驚いた。
そして 程よい時期にふたつの入れ歯が揃った事に「良かったね」と思った。

さて母はと言えば ソファーで居眠り。
近くに行ったらパッと目を開けてニコニコ。
そのまま立位してもらってトイレ誘導。「大」「小」排出。
それから食事介助。ご飯とお粥と半量ずつ。
後は豚肉の炒め物で少し歯ごたえがあって噛み難そうだったので温泉卵に変更。野菜の煮びたしとかぼちゃの煮つけ。他に梅の甘煮や豆腐等を追加。
他の方に関わったりしたので少しゆっくり目だったが 準備したものは1時間少しで食べ終えた。

その間にこにこ。
それから居室に戻ってみかんを食べてもらった。
口に入れば二ッと笑う。
内側の袋は口の中に残るので此方で取り出した。
その後訪問介護を受ける。「小」排出できたようだ。
それから水分補給。

ホールに移動して貰って そうっと施設を後にして罹り付けの医師の所へ出かけた。お薬だけ戴き今日はおしまい。

地域のサロンの手続きもあり申請に出向いた。
郵便局に立ち寄り母のオムツの利用料を振り込んで 家に戻った。

明日は晴れてくれるだろうか?


2009年10月01日(木) 夢でよかった!


昨夜は 大急ぎでPC作業。
月末の作業無事完了できた。今日は 仲間と共に発送作業。

もう すっかり過去の話題となってしまった定額給付金。 
9月になってから書類を揃えて 昨日 送付通知が届いた。
大分遅れたが ようやく人並みに戴く事になる。
別に受け取り拒否をしようと考えていた訳ではない。
手にしてしまうと何となく使ってしまいそうで ぎりぎりまで引き伸ばした。

母のものを購入予定である。
娘の分 夫の分も戴くことになっている。

そうそう 今朝目覚めてからお布団の中でうつらうつらしていたら おかしな夢を見た。
最近 なにやら夢をみているなと感じているが目覚めてみると綺麗さっぱり忘れている。でも今朝の夢は違った。

何かの用で外出した。 
おそらく毎日と言う訳ではないけれど かなりの頻度で行く場所だった。
そこで バックを置いてその場所を離れてしまった。
「危ないないんだよね」と思いながら 急いで戻ったらお財布がバックに入っていたのでホッとした。
「とか言って 中身だけなくなるなんてことないよね」と言いながら開いてみたらメモやキャッシュカードやお金が消えていた。
冷や汗をかいて「さて警察が先かその場所の警備に行くべきか...」と迷っている所で目が覚めた。

思わず「夢でよかった」と独り言が出た。
「注意せよ」という警告だと思うことにした。


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