母のタイムスリップ日記
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2008年11月30日(日) 小春日和の中で


朝 門前の鉢植えを植え替えたり あれこれ。
ビオラを購入してきたので ミニ葉ボタンとの寄せ植えにしたり 桜草の芽があちこちに出てきたので 纏めて同じ鉢に植えなおしたり…。

そうそう ニオイバンマツリが 5.6輪花を咲かせている。
それを屋根の下に移動。

3年前に購入したシャコバサボテンが今 満開。
ずっと外で過して貰っていて 水遣りも肥料も適当なのだが良く育っている。

珍しく作業なので ご近所さんから声を掛けられた。
桜草に興味を示していた方なので 少し大きめになった苗を分けて差し上げた。
以前 種をパラパラと蒔いて差し上げた時には 芽が出なかったので 苗で差し上げる事にしたのだ。
我が家の桜草は 自然任せで勝手に種が風に運ばれてあちらこちらで育つ。
門前のレンガの隙間に零れて 5ミリほどの隙間から芽を出して花を咲かせたり…である。
北側に位置しているのに 良く育つと感心することしきりである。

門扉に掛けてあるミニシクラメンと初雪かづらをみて ご近所さんが「買ったばかりのミニシクラメンがお日様にあたるとしおっとなってしまうのよ」我が家のを眺めて話された。
いつもお庭を綺麗に手入れなさっており 我が家の放置状態とは段違いなのだ。
鉢を見せて貰ったら 結構水分が多かった。
「ひょっとして水をしょっちゅう上げているんじゃない?」と伺うとそうだということだった。
そこで ずぼら流を伝授。
ご近所さん 家で何年もこうやって育てているのは判っているのだが 水遣りを頻繁にやっていると思われていたようだった。

ついでマーガレットの鉢をひっくり返して 根を見せてあげた。
カバーをつけていたら 小さな鉢の穴から伸びた根が 鉢カバーの形になっていた。「ねっ!放置し過ぎて葉が茶色になっても水やりすれば 新しい葉が出てくるのよ」と自慢しちゃったけれど これは自慢できる事ではなかったわと反省しきり。

午後 南側に咲いている小菊を根元からばっさり。
もう根元には新しい葉が出ていた。
鈴蘭も葉はすっかり黄色になってしまったが赤い実をつけていたのでそれを地面に埋めた。
ぶどうの蔓も剪定。

夕刻前に 菜園に出て 蕪やほうれん草や春菊やルッコラや大根を収穫した。

そんなこんなで夕暮れ時となって 買い物がてら娘の車に乗って外出。
今日は 娘久々に家にいた。

風もなく小春日和で庭の仕事の1日。


2008年11月29日(土) 昨日と今日の違いは?


今日で母の薬が切れる。
通院に同行するか お薬だけにするかとしばし迷う。

外出はリハを兼ねるので連れて出たいけれど 母が不安がったら困るし…。
今 大きな変化はないので 無理に通院はしないことに決めた。

午後の診察にわざわざ時間を合わせて出かけたら…。
土曜は午前のみに変更されていた。
他にも 通院して見えた方も数人いらしたが皆さん 直ぐ引き上げられた。人の気配が無くなってから 診療所に電話した。
灯りが付いていたので…。

医師は 外出の用があるから無理だと言われた。
仕方がないと諦めて 直ぐ傍にあるクリニックに立ち寄った。
娘が子供のころの罹りつけの医師。
今日の受付が友人だったので「だめもと」で。
必要なのはコニールのみ。
小さな声で 頼んでみたが「無理」と言う事で 直ぐに諦め 家に戻って飲み残しを探してみようと思った。

通路に出たら 母の罹り付け医師とばったり出会った。
「貰えた?」と医師。「無理でした」と言ったら「そう」と言ってから「ちょっと待っていなさい」と診療所に逆戻りして カルテを探し 薬を探してくださった。
「お金は 次の時に…」と。

つまり 月末なのでカルテを整理し医療請求の書類を調える時期。
それは 事務担当の人の仕事だし 薬だって 探し出すのは薬剤師さんだろうし…計算だって…。
そういうことだったんだなと思った。

「ありがとうございました。お手数お掛けしてすみません」と診療所を後にした。待っている間に 年末年始の休診日を手帳に書き込む。

それから 母の所にまっしぐら。
いやいや たこ焼き屋さんで トマトのたこ焼きが目に入ったのでふらふらと入り購入して 母の所に向かったのだった。
おやつに間に合って みんなでたこ焼きを食べた。
同じフロアで食べられる人は数人しかいないので 職員にも食べて戴くことにした。

今日の母は 昨日と打って変わったようにしょんぼりと寂しそう。
話しかけてもにこりともしない。
様子を見ながら トイレ誘導したらジャストミート。
それから 手洗い 歯磨きをし整髪。その後ギュッと抱きしめた。
暫くは 母のほうがギュッとしがみついて離れなかった。
不安が強いのか それとも体調のせいか?

ホール内を手を引いて歩いてみた。
足の運びがやや悪かった。
昨日が 良すぎたのだから…と沈み込みそうなる気持ちを納得させた。
玄関まで行くと外に出るかのようにドアの取っ手に手を掛けていた。
「今日は 寒いから休もうね」とくるりと方向転換。
若しかしたら 外に出たかったのかもなぁ〜。

居室に 掃除機を掛けた後アロマを焚いた。
母と暫く居室でキャッチボール。
上手に出来たが 笑顔少ない。

トイレかなぁ〜と思って誘導し「大」少し。
その後もあまり変化が無かった。

夕方になると更に気分が落ち込んでいくように見えた。
引継ぎが始まるころに そうっと施設を後にした。

帰路 バスに揺られながら考えた。
昨日と今日の様子の違いについて…。


2008年11月28日(金) 出来過ぎだわ♪


午後には雨も上がると言う予報を信じて 午前中 夕食の仕込を途中まで…。

昼ご飯後 自転車を飛ばして母のところへ出かけた。
ソファーで 指人形を手にしてニコニコ。時にあはははと独りで笑ったりでご機嫌な様子だった。
職員に排泄を確認すると5日目突入と言う事だった。
施設の職員ははらはらして見守っているのだろう。
おととい機嫌は悪くなかったし 今日もご機嫌だから心配は要らないと思うのだが…。

ソファーに座っている母の右ひざをちょっと強めに摩ってみた。
「いたいよ」と訴える。お〜ちゃんと言えるではないか!
左足も同じようにしたら 顔の前で右手を左右に振った。
勘弁してくれという意思表示だ。

トイレ誘導しようとしたら トイレの前で首を横に振る。
「用はないのね」と聞くと頷いた。
そこで居室の椅子に座って午前中に作った白滝と大根の生たら子の煮物をちょこっと口に運んであげたら 美味しそうに食べニコッと笑顔。 
剥いて来た柿も食べて貰う。柿も一昨日に昼食のデザートで薄くスライスして出ていたが あまり食べなかった。
でも今日は 8分割したものをするっと食べ 次はないのかと探すほどだった。

暫くしてから再度トイレ誘導したら 大・小お見事!
5日も滞っていたのに 固まっていなかった。
マグは止めてあるし…。アロエとラブレのおかげである。
小も良く出ていたので 水分もとれているのだろう。

これだけでも上々なのに…。
今日は 画期的!

ホールに移動して ビーチボールでキャッチボールをしてみた。
ちゃんと受けて返してくれる。
時にバレーボールのように打ち返してくる。方向もちゃんとしている。
ニコニコ笑いながら 時折なにやら話している。
こんな時だからと思って 小さなテニスボールの大きさの物に替えてキャッチボール。
これもちゃんとできるではないか!
それも お茶目な表情で片手キャッチ。
そして得意げに ニヤニヤしている。
おそらく10回以上片手でキャッチしていたので偶然に出来たというのではないのだった。
久しくこんなことはなかった。表情も豊かで…。

近くのテーブルで職員が数人で お正月のプランを練っていたが ちらっとみて驚いた顔をしていた。

母には 少し休息して貰って…。
先日 知り合いの民生委員さんから ピカチュウの折り紙を戴いた。
開けば籠になるものである。
それを持って ベットで過されている方のところを訪問。
ニコニコ笑顔を見せてくれ じっとピカチュウを見ていらした。

別の部屋のご家族が見えたので ちょこっと訪問。
少しレベルダウンされているのだ。
とても優しい方で 独りで哀しみを抱えてしまう方である。
ちょこっとお話をして ベットの柵をアロマオイルをつけたペーパータオルで拭いて差し上げた。
その紙を ダストボックスに捨ててしまえば 少し香りが残るだろう。
哀しみを背負っての帰り道はさぞかし辛いだろうと思って…。
長居して 二人の時間に割り込んでも悪いので 早々に引き上げた。

再度母とボール遊び。
そのうちおやつとなって休息。

母に介助していたらベットから車椅子に移乗して入所者のお一人が出てみえた。
ミキサーしたおやつとお茶ゼリーを召し上がっていた。
暫くしてから 母と3人でピーチボールのキャッチボールやじゃんけんをしたり 歌を唄ったり…。
うつろだった表情が生気がみなぎってきて 唄う声もはっきりしてきた。
夕食まで 起きて過されていて良かった。

西の空が赤みを帯びて夕暮れが迫ってくると母の気分が下降気味。
少しホール内を歩行。
すると「独りで帰ろうかな」と独り言。
車椅子の方も「動かして欲しい」と希望なさったのでホールを一周。
笑ったら 口の中が見えて舌苔で真っ白。
職員に伝えたら 直ぐに居室に移動して処置してくださった。
なかなか取れなくてねぇ〜と話されていた。
つい伝えてしまったけれど 躊躇せずに対応してくださりその素早い反応に思わず感謝!
なかなか出来る事ではないということは承知しているので…。

夕食の支度が始まったので そうっと帰宅。
反応が良い1日で嬉しかったけれど 夕暮れ症候群に心が痛む。


2008年11月27日(木) 自分への警告?


少し冷え込み 小雨が降り出した今朝の空模様。
起き抜けに 「今日は 大丈夫かな?」とふと思った。
利用者さんから 依頼されていることのある日だからである。

時計と睨めっこしながら家事を片付けていると電話が鳴った。
「〇さんの代理のものです」と言う事で「外出は無理」との利用者さんからの電話だった。
こんな天気なので それが一番と思った。

それから 書類の整理をし 今月の報告書を出そうとして肝心の利用者さんの印を戴いていないことに気がついた。
黙っていても 利用者さんは了解してくれるとおもうのだが やはり利用料のことなので きちんと伝えて了解を得た方がよいと思い施設に電話した。 利用者さんと直接お話ができて 解決した。

印刷しなければならない物があって プリンターのスイッチを入れたらインク残量が少ないとの表示があった。
何枚印刷できるかが判らないので インクを購入しに出勤する娘にくっついて出かけた。
ついで銀行に立ち寄ってエネルギー補給。

急いで家に戻って印刷し 夕刻には ポストイン。

印刷と同時進行で依頼されていることの骨子を組み立ててみた。
しかし 焦点が絞りきれないので 保存して後日に廻した。
内一件は 1週間後のことだ。
まだ「案」なので 焦る事もないだろう。

今週 朝日新聞夕刊で認知症のことが取り上げている。
ようやく 公で取り上げるようになったかというような感がした。

医療も介護も日進月歩しているけれど 介護者の要望だって日進月歩している昨今。

でも 適切な表現がしにくくなった本人の傍にいるもの(家族やそれぞれの専門職)が 本人の表情を読み取って 本人の望む方策を探ることは 大切にしなければならないのだろう。

ともすると 母の気持ちより自分の考えを優先させがちな私は 特別な自戒を込めて接して行かなければならないだろう。


2008年11月26日(水) 話せない不自由


朝 お弁当を作って母のところまでチャリを飛ばした。
ゆったりとした時間が流れていた。
母の顔をみると「やぁ きたのね」という表情で見つめられた。
2日休んでしまったからなぁ〜。

居室誘導し ちょこっとお話。
その後 トイレ誘導。「小」ジャストミート。「大」少量。
職員に確認を取ったら 4日目に突入らしい。
その割りに 笑顔で お腹も張っていない。
水分が足りていないような気がする。
祖頚部少し赤みを帯びていた。最近目立つんだよねぇ〜。
ある意味では 排泄より気になっている。

押入れを整理しながら 母と手遊びをした。
手遊びをすると母の笑顔が増す。
おそらく 1対1でしっかり向き合うので 母が安心するのではないかと思う。ホールにいる時は 笑わなかったが 居室に入ると良く笑った。
「あはは」「ふふふ」と。

そのうちに昼食の時間となってホールに移動。
食事の始まる前に お部屋で寝ている方のところに出かけて 暫く話した。にこっと笑顔を頂戴した。

今日 気がついたが普通食は 母だけとなってしまったみたい。
魚だからなのかなぁ〜。

調子が悪かった方が みんなと食事できるようになっていた。
でも ミキサー食。
母より早いペースで食べ終えたが どうなんだろうなぁ〜。
母だって 今日は35分くらいで食べ終えたのだけれど…。

食後 うとうと始めた方がいた。
食べ終えたあと30分は 起こしていた方が良いと思い 歌の好きな方にお手伝い戴き 母も交えてみんなで歌った。
母もご機嫌で手拍子をとったりしていた。

リハビリの時間となり居室で準備。
横になって貰ったら 上体を起こして両手を付いて横すわりの格好になった。ずりずりと両手を使って身体を起こしていた。
久しく見ていない動作だった。
寝返りすら打たない時もあれば こうやって起き上がれるときもあるから寝返れないわけではないのだろうなぁ。 

リハビリ中も数秒置きに身体を起こした。
それが 右側を下にするとピタッと動かなくなるのが通常パターン。
今日も同じことが起きた。
なぜ 右下だとそうなるのだろうな?
心臓との関係かな?

リハが済んで 入浴まで時間があるので ひとりドラックストアに走ってラブレを購入。

戻って入浴介助。
今日は 大騒ぎなし。時折笑顔を見せてくれた。
洗髪も身体を洗う時もすんなりだった。

入浴時リフトがセットされていたので 片付けてシャワー椅子を出した。
浴槽に入るときは良かったが 出る時が大変だった。
お湯を抜いて 滑らないように浴槽にバスタオルを敷いたらすんなり出られた。
家では 滑り止めマットを敷いているが 施設にはないのでバスタオルで代用。
家では すのこの上にだってバスタオルと滑り止めマットを使っている。

出る時 母は幾度も困ったような表情をしていた。
嫌と言うよりも「困ったな」と言う表情だった。
それで 滑るので怖いのだなと感じたのだった。
言葉が話せたら「すべるから怖い」と訴えられるのだろうに…。

風呂から上がっても落ち着いていた。
気持ちよかったらしい。
そういえば 身体を洗っていて垢の出が少なかった。
前回 担当した職員が丁寧だったのかな?

水分補給後 程なく夕食。
夕刻から ちょこっと用事があるので 食事介助は諦めて施設を後にした。


2008年11月25日(火) たかが5分


 5分という制約の中で どう伝えるかを考えていたら2時間が経過してしまった!

仕上がったものを読んでみたら 3分50秒。
加えて 4分20秒。

たかが5分 されど5分。微妙な時間だなぁ〜。



2008年11月24日(月) あららら


 今朝 お願いがあって 介護仲間を訪問。
するとお母様が 転倒骨折で入院なさっていると仲間は話してくれた。

「毎日 リハビリを施して 麻痺した手が動くようになり 看護士さんから褒められるようになったのになぁ〜」としょんぼりなさっていた。
独りで介護なさっている男性。
目を離した一瞬にベットから落ちてしまったそうだ。
悔しいだろうな。辛いだろうな。

快復までの道のりは長いかも知れないが これまで通リ ゆっくりペースで向き合って行くことになるのだろうと思う。
他の機能が落ちる事のない様に…と陰ながら祈るしかない。


2008年11月23日(日) うわっ!


朝 菜園に出た。
収穫だけのつもりだったが そうは行かなかった。

小春日和が続いたせいだろう草が目立った。
そして 空芯菜が寒さで焼けてしまっていた。

それらの作業をぼちぼちと。
すると近くにあるグループホームの方がお散歩している姿が見えた。
菜園に呼んで 蕪やほうれん草を抜いて 農作業体験をして頂く。
皆さん「ありがとう」とお礼を言われて帰られた。
次のお散歩が方が見えた。
歩行が少し不安定な方たち。
丁度 春菊を摘んでいたところだったので それを持って帰っていただく。
「これなぁにかね?」と聞いていた。「春菊」と皆さん わかっていらした。
公園で清掃作業していた方たちが 夏みかんを捥いで 差し上げていた。「黄色いのでないと…」と言いながら楽しそうだった。
地域の交流の風景だ。

時計をみたらお昼近くなっていて 慌てて家に戻った。
夫がお休みで テレビの番をしているので 昼食の準備。
後片付けを済ませて 母のところまでチャリを飛ばした。
本当は ちょこっと紅葉を観にでかけるのもいいかなと思ったのだが 少し気になるところもあったので 夫には留守番を頼んだ。

昼食の終わったフロアはのんびりとしていた。
母は 珍しく手をあげてアピール。

他のフロアの方が 遊びに見えていて少しご機嫌が斜め。
そこで 居室で3人で手を繋いで めだかの学校を唄った。
2.3回唄っていたら 別の方も見えて 4人で また 唄った。
母以外の方は ちゃんと唄える。
母は もう歌詞も出ないのだが 手を繋いで前後に手を揺らしていて唄っているつもりになっていた。

「ありがとう♪」と他の方が部屋を出て行かれた。
その後 トイレ誘導したら 便座に座ると待ってましたとばかりに小。
♪やったね♪といったら頷いていた。
その後 少量の大も。昨日 出ていたと言うことなので心配は要らないだろう。

トイレから出て 手洗い 歯磨きをしていたら 先の他のフロアの方が入り口まで来ていた。
母は それを感知して「どうぞ お入りください」とはっきりとした言葉で言った。驚いてしまった。
最近の母は 言葉が殆ど出ない。
それなのに こうやってタイミングよく お話できる時がある。
その次の言葉が続く訳ではないのだが…。

職員にもこのことを伝えた。職員も驚かれる。
ともすると 作り話ではないかと思われるほどの出来事なのである。

何となくだが… 先に手を繋いで唄った事がぼんやりと記憶に残っていて
知っている人という記憶があったからではないのかなぁ〜。
下手をすると 私のことすら「誰?」と言う目つきになるときがあるのだから…。ただ 私の場合は しばらくすると必ず思い出してホッとしたような表情になるのだが…。

記憶のスイッチが頻繁にオン・オフされているかのように見える最近の母である。
その後 おやつとなった。
おやつは 職員にお願いして 初秋の衣類をしまいこんで 冬物を取り出す作業。
おやつが済んだころに 居室に入って貰って作業を見守って貰った。
衣類を出している時に「それ」と言う表情だったので 手渡した。
じっと見入っていた。
何かを思い出しているのだろうが 言葉がないのでそれが何なのかまでは判らなかった。

その後爪切り。
行く度に忘れてばかりだった。
今日は 手の爪だけ。風呂上りに足の爪を切ってあげたいが…。
この所 タイミングが合わないなぁ〜。
爪切りの時に 拒否はなかった。

掃除機を動かしたついでに ホールのお掃除も…。
母もホールに移動して貰って 作業を見守って貰った。

掃除後 居室で過ごされている方のお部屋を訪問し ちょこっとずつ遊んで貰った。

「4時には帰るから」といって家を出たのだが 時間オーバー。
帰路 スーパーに立ち寄る。
あれやこれやと籠に入れているうちに お財布に補充するのを忘れていた事に気がついた。
それも 鯛を1匹 三枚に卸して貰ってから気がついた。
お財布の札の数を確認し 籠の中身をささっと暗算し胸を撫で下ろした。立ち寄ったスーパーの近くには キャッシュコーナーがないのだった。

お財布の残 800円。あわわわ!


2008年11月22日(土) 少しずつ…


 ふう〜!
あと1週間もしたら 12月に突入。
少し出遅れているけれど ぼちぼちとお掃除。
あ 未だ年賀状こぅてないなぁ〜。

押しつまらないうちに…と思うけれど。
どうなるかな?
幸い 12月の予定は 結構空欄が多いぞ。

どうか 埋まりませんように…。


2008年11月21日(金) ミスったけれど助けられた!


午前中 介護仲間と施設見学に出かけた。
二人ともネットで地番や場所を確認していたのだが 施設の電話番号のメモを忘れてしまった。

とことこ歩いていたら 日ごろ何かと介護者の会との連携を取ってくださる福祉機器を扱う会社の前を通過した。
二人で 判らなかったらここに飛び込もうということになった。
結局 そこに戻ってお尋ねした。
会社の方 嫌な顔一つせずにきちんと調べてくださった。
その上 お茶まで戴いて…。
通リがかりの人であっても親切にしてくださった。
その後 名詞を渡し 日ごろお世話になっていることも伝えた。
自分達の不注意でそうなったのだけれど…そのおかげで 何処の支店でも良い対応をしてくださるのだと判って嬉しかった。

地図を手に着いた施設でも丁寧な説明を受けられた。
小規模多機能デイ。
公の認可を受けていると言う事だった。

この施設には 良いところと「?」と言うところがある。
欠点を知った上で 利用すべきだろう。
短期急遽なら 自分としては利用する時もあるかもしれないなぁ〜。

帰路 仲間と昼食を取りながら 夜の会議の資料に目を通してもらう。
今後の介護者の会のこと。

その後 仲間と別れて母の所に出かけた。
お散歩とトイレ誘導。
相変わらず 言葉が出ないのだが…。
歩いていて自転車が来るのが見えたら「危ないからこっち」と話した。
ほんとにほんとに不思議。

施設を出た後も 一軒家の門の前に来ると何か話して門に入ろうとする。ひょっとして家だと思っているのかなぁ〜。

夕方 家に戻って夕食の支度をして 軽く夕食を摂って 会議へ出向く。地域の介護者の会の現状を伝え 本人と介護者の支援を介護者の立場から発信。
また この会議の仕上げのイヴェントについても提言。
地域の人を巻き込んで 行政との協働事業の総仕上げである。

地域包括の方からも認知症の理解を深めるための良い提言があった。
これから後にどう繋いでいくのか…そこが大きな課題である。

朝 起きた時に1日無事に終えるかと少し不安だったのだが 無事終わって 肩の荷がおりた。

認知症介護の取り組みは 家族それぞれ異なる。
ネットでつながる人 本を読む人 それぞれである。
アナログオンリーの人も大勢。
いろんな立場の本人・介護者を出来る限り拾い上げていかないと…。
そして 地域の理解を広めていかないとなぁ〜。


2008年11月20日(木) 約束

母の元職場から 50周年の式典のしおりが送られてきた。
母の写真が仲間と共にあった。
母に見せて欲しいという配慮である。
写真は こちらにもあるものだが しおりに掲載されているところが重要かな?
さて 母はどんな反応を示すだろう。

女学校の3人組も 職場の3人組も残っているのは 年長者の母のみである。

病の発症は一番先。
他の方は 認知症以外の病。
認知症になると合併症で亡くなるといわれていたのだが…。

母の仲間で認知症発症の方がおいでだが 皆さん 母より後に発症して先に亡くなってしまった。

神経質で心配性の母が1番長生きできている。
私には それが不思議である。

根拠のない単なる勘だが 93歳というのが次の節目と考えている。
これを難なくクリアできたら また暫く共に過ごせそうな予感がある。

来年がその時。
機能低下が目に付くが どうか 生活の質が保たれて過せます様に…と願う日々である。
「歩けること」「食べること」というのが 守ってあげたい事の基本なのだ。
母のフロアでは 介助は全面的に必要だが…それが出来ているのは母一人。(普通食と限定すれば)
おそらく 母が通ったデイの初期の仲間の内でもいないだろう。

認知症になった母と約束した事は ぎりぎりまで歩けて食べられるように協力するからねと言うことだった。 
母の頑張りと周囲の協力があったからこそ 今日の日があるのだと思う。

脳出血 転倒骨折紆余曲折を経て「良くぞここまで…」と感じている。


2008年11月19日(水) 富士山も夜空も 綺麗に見えた日


朝 母の所に行く支度をしていたら電話が鳴った。
利用者さんからだった。
自宅に戻られており「25日の訪問日は施設の用事で外出は無理となった」との連絡だった。
心細いお声だったので 受話器を置いてすぐさまお宅を訪問。
玄関先で少しお話を伺った。
「他の曜日に変更可能だから 遠慮なさらずに」と伝えた。
施設では 居室も全て職員がお掃除してくれて 外出も面倒で 話を出来る方もすくなくて…と話されてた。

利用者さんが入所なさった有料老人ホームには MCIの方も居られる。 
それは たまたま母の通院でその施設の方の通院風景をみているので知っている。割合的にどのくらいの比率なのかは知らないが…。

利用者さんのお話を伺う限り 結構多いのかなという感じがした。
そうなると お元気な方は 少し物足りないのではないかと想像する。
MCIの方とそれ以外の方に対して それぞれ適切な対応がなされているのだろうか?

電話も受付の前にあるためにあれこれ話せないとも言われてた。
利用者さんの両手を握らせて頂いて「〇さんだから 大丈夫。何かあったらいつでも電話してください」と励ました。

これからは 一回はお掃除。もう一回は 話し相手とお食事をしたいと希望なさった。
ご近所なので 出来る事はさせて頂こうと思った。
利用者さんの家の前は 枯葉が溜まっていた。
やはり 利用者さんがいないと結構散らかるものだなぁ〜。

家に戻って支度して母の所に向かった。
母はソファーに座っていた。
少し俯き加減だったのでトイレに誘導。
失敗はなく 座ると同時に小。
それから手洗い うがいをしてホールへ移動し 昼食。
30分ちょっとで食べ終えた。
塩法華の焼いたものだったが小骨がとりきれていなくて 母は舌で小骨を出していた。
よしよし それが出来れば多いに結構と思う。
法華は塩味が薄く 食べやすかったようだ。
青菜の胡麻和えもちゃんと食べきっていた。

食後 いつもはベットで過ごされている方が 車椅子で出て見えたので少し歌を唄ったりしてすごす。
今日は 非常に表情が良い。
こんな日をご家族に見ていただけたらどんなにか励みになるだろうと思ってしまう。

母を 居室に誘導して トイレと歯磨き。
トイレ誘導はジャストミート。
朝から尿量がすくなかったようだが これだけ出れば心配ないだろうと感じた。

それから リハビリ体勢で療法士さんを待った。
程なくして療法士さんが見えてリハビリが始まった。
今日は 幾度も身を起こしていた。

リハが済んで直ぐに起きて貰いトイレ誘導。
やはり 良い音がして小が出た。
排泄は昨日あったようだし…心配なさそう。
「外は冷たい風が吹いているけれど お散歩行く?」と聞いてみるが どうもはっきりしないので 母はお留守番。
薬局まで ラブレを買いに走った。

戻ってまもなく 下のフロアの方が看護士さんと一緒に見えた。
看護士さんは 別の方の家族とお話するために見えたようだった。
でも一緒に見えた方が手を放してくれないのでお困りだった。
そこで「この方をお借りしてもいい?」と訪ねてみた。
すると快諾して頂けて…解放できた。
その代わり 今度はこっちの番。
歌がお好きな方なので ソファーに座って唄った。
母も手を上げて歌を聴きいっていたので快だったのだろう。

居室に掃除機を掛けるので母を居室に誘導し椅子に座って貰う。
母はじっと掃除をするのを見入っていた。

今日は 時折きちんとした文脈のある話が出た。
なんと言ったか忘れたが 綺麗な言葉だった。
でもそれは 1.2度だけで 後はサイレント。
ほんとに不思議だ。
職員も「〇さん(母)は ごめんなさい ありがとう ははっきりと言える時がありますよね」と話してくれた。
そうなのだ。そういう瞬間があるのだ。
きちんと判っているのだと感じる瞬間である。
その代わり 嫌な時はどうあっても嫌。
今日 耳に触れた時 おもいっきり手を払われた。
耳に触れられるのが嫌いな母なのである。

そろそろ耳のお掃除に耳鼻科通院したいところだが この様子だとなぁ〜。頭が痛いなぁ〜。
なにせ 耳垢が自然落下してくれない特殊な耳の構造なのだ。
それに これまで通院していた耳鼻科は2階にある。
これも難関。
耳鼻科新規開拓しなくちゃいけないかも…。

そういえば 今日 ニュースで雪景色が映し出された。
その時 母はじっとテレビに見入っており「冬だね」と呟いたら頷いた。
映像をみて 言葉を理解したという事だろうか それとも単なる偶然かなぁ〜。


2008年11月18日(火) うまく行けばいいな


朝 介護仲間に電話した。
在宅介護に戻ったけれど デイ利用の回数が減ってしまった方。
入院の間に デイの席がなくなってしまったらしい。
後1日デイが確保できれば 何とかなるとおもうのだが…と探されていた。

紹介したデイにケアマネと一緒に出かける予定と言われたのでどうなったかなと思ったのだった。

ケアマネさんは 優秀な方で「医師の所見」「ケアプラン」を持って出かけた様子だった。
迎えたデイの職員が「これだけ丁寧な所見を戴けると教えられます」と話されてたそうだ。

デイの職員には 1度お会いしているが 若い(きっと娘と同じくらいの年齢)のに しっかりと受け答えが出来て 説明もきっちり出来る方だった。
とても真摯な態度で驚いた事を覚えている。

仲間もすっかり気に入ってくれて 後はお試しで使ってみて決まるのよ…と言われてた。
うまく行けばいいなと願っている。

1日 昨日出された宿題の事を考えていたけれど まだ纏まっていない。
「あと3日かぁ〜」


2008年11月17日(月) 探りながら…


昼食めがけ 母の所に出かけた。
先にトイレ誘導した。
その後 昼食。

食事を始めようとしたが 母の口が開かない。
しばし様子見。

再度チャレンジし 少し口を開いてくれた。
職員に排泄を確認したら出ているという。
食事の前に傾眠気味だったということだ。
手や身体を触れてみるが熱はない様子。
今日の昼食はカレー。
母はカレーは好き。
でも 口の中に何時までも溜めており呑み込まない。
硬いものはない筈だが…。
「歯が痛いの?」と聞いても反応がイマイチ。
噛んではいるようなので 歯の痛みではなさそうだが 確実ではない。
全量食べきれるのだろうかと不安を抱きながら ゆっくりと介助。
なかなか呑み込まない時は デザートのゼリーを少し運んで様子をみたり…。
時にはちゃんと呑み込んだりも出来るので 母のペースを探りながら介助した。気がついたら 何とか全量を食べ終えた。
その割りに1時間は掛かっていなかった。
無理やり詰め込むこともなく介助できた。
水分も 味噌汁 お茶 ポカリスウェット等も全量。

それから 再度トイレ誘導して歯磨きをした。
歯磨きを嫌がることもなくちゃんとできた。

午後 役所主催の介護者の会があるので 母をホールに誘導して 一旦施設を離れた。

バスで 会場に移動した。
今日は 認知症と薬のことを精神科の医師にお話して頂く。
このことに関しては あらかじめお聞きしたい事を役所の方を通して伝えておいた。
特に 周辺症状に対しての薬の副作用についてと新しいタイプのサプリメントも含む認知症薬まで。

かなり具体的に話して下さった。
現在の治療薬についても触れてくださった。
服薬していて気になる症状が出たら 医師に相談して欲しいと。

サプリメントについては その前に詳しい経緯を教えて下さる方がいて
ある程度理解できていたのだが…。
それでも いろんな立場の方から情報を得ると言う事は とても大切だと感じている。

会場に足を運んだ方は 結構多く 参加者からの質問もいつもより多かった。
役所の方は 交通の便の良いところだから集まったのだろうと言っていたのだが…。

会が終わってから また 母の施設に向かった。
夕食ぎりぎりの時間となった。

職員がおやつの時にも 食べる事に抵抗があったが 水分もうまく取れたという報告を受けた。トイレ誘導後夕食。

また ゆっくりと介助。
時折不機嫌になる。他の方に声を掛けると特に機嫌が変化するようだった。
あらためて「ごめんね」と謝って母に向き合うと食べてくれた。 
夕食も全量を食べ終え ラブレとアロエエキスも…。

すっかり日の落ちてしまった道を 自転車を飛ばして帰宅。
家では 留守電がチカチカ。
急ぎの用ではなかったので 夕食後確認を取った。


2008年11月16日(日) たまにはね♪


曇り空から お湿りが落ちてきた。
近くの学祭が今年で終了とチラシが入っていたので 夫と二人で出かけた。
いつもの場所を目指して 山坂を歩いたが学祭の気配がなくて「あれ」と言う事になった。
二人ともチラシで日にちを確認できているので「正門」の方に移動。
裏道を使ったので 鬱蒼とした山道。
大きな公園と隣接しているのだ。
あちこちに オレンジ色のからすうりを見かけた。
ミズヒキも 表通リのものは色も褪せているのに 山道では まだ健在。

夫は 初めて通るようで「こんなところがあるのか」と驚いていた。
この道は 母と7年前位までは 時折歩いていた。
遠くまで出られない時 山に入ったような感覚になれたから。
あの時だって 80歳を越えていたんだ。
よく踏ん張ってくれたものだと思う。

正門の方に着くと「ドン!」という音が響いてきた。
「ばくだん」を作っている音だった。
野菜や果物やお米 卵 花等産地直結で販売されていた。
その辺りまでは 夫もゆっくりしていたのだが…。
お餅の注文をしてつきあがるまでの待ち時間にイライラし始める。
20分と言う時間が待てない様子。
「先に帰る」とスタスタと帰っていった。
もともと気が短い人だけれど…最近加速してない?

入れ替わり娘がやってきた。
そこで 餅を待ちながら 焼きそばやフランクフルトやトン汁を食べながら腕相撲や腹話術等を見てすごした。

餅がつき上がったとの放送で取りに行って スタコラ帰宅。
みんなで昼食。

母のところは 今日は休む事にした。
久しぶりに家族が揃っているのでこちらを優先することにした。

合間に学祭で様子見に購入したジュースを開いて飲んでみた。
これが非常に美味しい。
後で ネットで調べたら1リットル700円するものだった。
これを150円で購入してきた。
こんなことなら もう少し購入しておくんだった。

寒いので 夕食には シチュウを希望した夫だが…。
家族揃ったらすき焼きを作ろうと材料を揃えていたのでご希望をかなえられず。
シチュウに使う根菜は 日持ちするけれど 菜園から収穫したばかりの春菊等は 新しいうちに使い切りたかったのである。

と言う訳で 夕食にはワイワイとすき焼き。
「ご飯が美味しい」と言う夫。
「そりゃ 炊き立てだもの」というと…。娘が「仕方ないよ」と。

狙い通リ 今日は ほぼ食べきった。
家族が揃って食べられる日だとこうできるんだよね♪
おかげで お腹がはちきれそうである。
久しぶりの満腹感。
夕食の時間も夕方6時半と平均的な時間だし…。
たまには こんなことがあってもいいよね♪


2008年11月15日(土) 確認中


 先日の会議で得た情報を確認中。
電話で問い合わせもして 来週 直接お話を聞いてみることにした。

地域の事業所にも確認した。
結果 ご存じなくて 事業所でも探って見ることになった。

今日は 1日家に篭っていたので 疲労も解消された感じがする。


2008年11月14日(金) ご機嫌超ななめ…


 家の近所に介護仲間がいる。
独身男性でお母様を介護なさっている。

私自身も介護中の身であり 家のこともありなかなかお会いできない。
母のところに出かけるときにもチャリを飛ばすので なおさら会う機会が減っている。

今日 介護食を持って訪ねた。
昨日は 10時ごろ訪ねたが 洗濯物が綺麗に干されていて留守。
独身男性だが 干し方はとっても丁寧で驚いた。

今朝は9時ごろ訪ねた。
「丁度食事も終わって落ち着いている時間なので上がって顔でも見ていってよ」と言われ 上がらせて戴いた。
初対面である。
お元気なころ 腰を曲げて買い物にお出かけの姿はお見かけしていたが名前も存じ上げない方なので ぺこりと挨拶のみ。
腰が曲がっているので 挨拶も返ってこないこともあった。

「おはようございます。いつも息子さんには 教えられています」と話しかけたら ニコッと笑顔。
お話は難しいかと思ったが 慣れて来るときちんとおしゃべりできる事がわかった。
「麻痺がある」とは聞いていたし 身体が硬くなっていると言われていたので 失礼して握手。
健康な時と比べれば 動きも悪いのだろうけれど まだ十分に動く。
実は 退院時には 動かなかったそうだ。
仲間のマッサージで改善されてきたのだそうだ。
足もちゃんと動く。歩行は無理で車椅子なのだが…。
ヘルパーさんがオムツ替えをする時には腰を上げてくれるそうだ。

この方 頑張りすぎずに自分のペースで介護なさっているんだなぁ〜と感じた。上手に息抜きなさってもおいでだ。
思ったよりもお元気なので安心した。

流れで母の話になった。
母を会に連れて出る時があり この方は母をみているので「元気そうで 家よりいいですね」と話された。
「いやいや 認知症だけで要介護4ですからね。言葉も出てこないし 食べるのだって全介助」と伝えたら 「判んないものですね」と言われていた。
ヘルパーさんから「まだまだ 状態がいいですよ」と言われてもぴんと来ないのだそうだ。

ヘルパーさんの訪問日と言う事だったので 長居せずに失礼した。
そういえば 「また寄ってください」って言われたなぁ〜。

家に戻って家のことをしていたら施設から電話。
今日 外出を予定していると言う事で 午後一で施設に出向き同行することにした。

早飯にして 施設に向かった。
自転車は 施設となりの知り合いの会社に連泊中なので 徒歩とバスで…。

外出の折には 母の機嫌超悪かった。
おそらくやきもち。
話しかけてもプィと顔を背けたり 介助の手を差し伸べると手で払われたり 顔を寄せると手でペンと叩かれそうになったり…。
これまでにない行動。
別に腹も立たないし哀しいとも思わない。
ただ「悪かったね」とそれだけ。
同行者は 職員と同じフロアの入所者。
入所者の方の方のみ向いていた時が少し長かったのである。
母とは手を繋いでいるからいいかと思っていたが 今日の母は 自分を向いていて欲しかったということだろう。
2対2より もう少し人数が多い方が気が紛れたのではないかなぁ〜。


2008年11月13日(木) 青空が吸い込んでくれた♪


 昨夜はパソコンに向かっているだけでは眠くて...。
家人の戻るまで あれやこれや動いていないと眠ってしまいそうだった。

今朝 目覚めて 久しぶりに右手の指の腫れと腰の重苦しさを味わった。
母が家にいたころは ほぼ慢性的な症状だったのだ。
最近は 家に戻ったくらいの事でここまでの症状は出なくなっていたのだが...。

母の動きが イマイチだった事とその割りにあちこち連れて出た事で負担が強く出たのだろう。

そうそう 入浴時にも困った事が起きた。
家人に助けを求めても 声が届かなかったので 独り踏ん張りすぎてしまった。浴室の改良をしていない事でのトラブルである。

頼めば こんな大変なことを任せっきりの兄弟達に非難の声が上がる。
それも 気軽に頼めない要因である。
折角 気持ちが戻り始めた兄弟と再度のトラブルを抱え込みたくはない。
不満は 家族同様に有るのだけれど...そこは割り切っていかないと...。

母の表情を見るにつけ 母と息子の関係を維持させておきたい。
介護は 家族のことも含めて複雑。

在宅で独りで踏ん張っている方のことを思えば これくらいの出来事は日常茶飯事だろうと思えば 独りで踏ん張れただけ たいした事もなかったのだと考えるべきだよね♪
いれば ついつい甘えてしまう...。

真っ青な空を見上げて グダグダした思いは すっぱりと振り切っておく事にした。小春日和の良い天気に助けて貰った。

手や腰に変化を覚えたけれど 疲労感は さほどではないので 菜園に出て収穫と手入れ。
戻って 掃除をして午後の会議の準備をしていたら 相談の電話や役所からの連絡があった。
役所からの連絡は 昨日のことを受けたものだ。
今回は結構素早い対応だ。力が入っているのかな?
相談の電話は 報告と相談の2本建て。少し長引いて 次の会議に少し遅れることとなった。

そうそう 母と私を助けてくださった教会のお仲間が亡くなれたとお知らせの便りをご家族から戴いた。
認知症になって こちらに来た母に 月に何回かお便りを下さっていた。
母より2つ年上の方。
これを伝えるかどうか...迷っている。
嬉しいお知らせなら伝えたいけれど...。
いずれ 約束された地での再会出来るのだから 伝えなくともいいかなとも思うのだが...。


2008年11月12日(水) ふう!あとひと工夫だなぁ〜!


早朝から「おかちゃん」と隣で呼んでいる。
判っているが眠い。布団の中で「はい」と返事だけしていた。
しかし ずっと呼び続けるので「こりゃ遺憾」と思って トイレ誘導。
目覚めているので 布団から起き上がるのはある程度(ほんの僅か)協力して貰える。
ただ 今の母は頭で理解できても 思うようには身体を動かせない。
布団の上で起き上がって貰うって難しい。
支えているのは私の腰と腕。
起き上がらせてもまっすぐに立つのは無理。
手を滑らせたら 其のままドシーンである。

便座に座った時に向き合ったら これ以上のものはないというほどの笑顔のプレゼント。
これだから やめられない!
布団に戻ったら さっきまでの頻繁な呼ぶ声が軽い寝息に変わって それから8時近くまで熟睡していた。
昨夜 母は11時過ぎまで布団の中で起きていたので ゆっくり寝ていて貰おうと思った。

こちらは 夫が早朝出勤なので もう眠る事はない。

家人をそれぞれ見送ってから母を起こした。
とんとんと肩を叩いても微動だにしなかった。
暫く続けたら「はい」と言う返事があったので「おはよう♪起きましょう」と声を掛けた。
それから ふとんを剥いで片足ずつ屈伸して貰う。
足首と膝と...。
動きが良いので 起こしてみた。
相変わらず まっすぐには立てない。
こんな簡単なことも出来ないんだなぁ〜と思う。
痛いところがある訳ではない。気持ちの中に不安が有るのだろう。
うんと持ち上げてまっすぐに立ってもらった。

それからは 急がなければ介助で歩ける。
まっすぐトイレに直行し 着替えをして手洗いと洗面・整髪。
テーブルについて 珈琲を一口飲んで貰って その後柿を摩り下ろした物を食べて貰う。
食べ物が入りますよという合図みたいなものである。
それから 朝食。

母を 合間に見ながら 布団を2階に上げたり洗濯したり 後片付けをした。
トイレ誘導で「大」がちょこっと。

リハビリの日なので 昼食後直ぐに家を出る予定。
家にも来てくれるのだが 3時にアポイントメントが入っている。
母を同行してもよいのだが 夕食に間に合わないし...。
あれこれ考えて 今日はリハをお休みして貰う事にした。

そう決めたら 腹も据わって夕食の献立を考えたり 新聞を読んだりしてすごした。
お昼丁度に 昼食。

それから 荷物を纏めてタクシーを呼んだ。

母の機嫌は 時間を追うに従い下降気味。
施設に着いてからは すっかり拒否が多くなった。
以心伝心みたいなものなのだろうか?
気持ち的にはちょっぴり辛いものがあるが 託しているのだからこれくらいは受け止める義務がある。

今回のお泊りで 起き上がりの時のあとひと工夫が課題となったなぁ〜。

ホールに移動して貰い 職員に対応をお願いして 約束の場所に向かった。

そうそう 今日 職員から歯科検診の結果の通知を戴いた。
訪問歯科医が診察に見えた時「母の状態で 新しい入れ歯を作れるか?」と前回質問した。おそらく その結果だろうと思った。

私としては 母の検診に立会い 様子を見て医師の判断を伺うという想定だったのだが うまく伝わっていなかったのだろう。
最も 歯科検診に立ち会う家族なんていないので 医師は当たり前のこととして行ったのだろう。

新規の入れ歯は 三角マークが付いていた。
その他の状況は 家族として把握していることばかり。つまり 罹りつけの歯科医の診断の通り。
訪問医は こちらに罹りつけの歯科医があることは 知らないだろうな。
そこまでの話もしてないし...。


2008年11月11日(火) 介護の日なんだってね♪


昨夜は ぐっすりと眠っていた母。
でも朝の目覚めは 少し遅め。
いくら声をかけても ぴくりともしないのだった。
久しぶりの外出で疲れたのかもしれない。
でも 眠れないよりもよいと言う事にしよう。

朝食を食べ始めるまでも 少し時間がかかった。
完食できたから それでよい。
朝食は7時半。施設よりずっと早い筈。
食事を終えるころにはニコニコ♪

それから身支度を整え 手荷物を揃えて近所のグループホームへテクテク。今日は 地域交流で芋煮会を予定していると言う事で10時半には施設へ。
大勢の人を見て少し緊張気味の母。

施設自体が新しいせいもあり まだまだお元気な方々が多い。
包丁を持ったりなさっていらした。
母は もう そういった事も出来ないので何だか 少しさびしさを感じた。
お手伝いもあるので 母の傍を離れたが一人ぼっちで可哀想なことをしてしまったかなと感じた。

でも 外に連れ出すとだんだん明るさを取り戻し 手遊びも真似ていた。外では 炭で芋煮とお芋を焼いていた。

母の様子を見ながら 準備の手伝い。
風が冷たくて 防寒の用具を揃えていてよかった。
他の方は 寒いと言われたので大判のバスタオルを掛けて差し上げた。
職員や元気な方と違うのは 寒さの感じ方。
皆さん お元気だから心配要らないだろうけれど...。
風邪ひかないかと気になった。

芋煮会が済んでから 仲間と施設内見学をして 家に戻った。
家に着いたら ニコニコ笑顔が戻った。
トイレ誘導したら 大がちょこっと。

片づけをしながら 母と遊んで夕食の支度を始めた。
一時 沈み込んでいた。
どんなに語りかけても 反応なし。
ちょうど 施設の夕食の時間が過ぎたころだったので おなかが空いていたのかもしれない。

夕食が始まったら 笑顔復活。
しかし...。母はほんとに言葉が少なくなって サイレントの世界に突入し始めた。山坂はあるのだろうとは 思うが...。

食後のフルーツを取って 休息してから入浴。
入るまでは順調だったが 身体を洗おうとシャワーを使った途端 不安定になって それはもう大騒ぎ。拒否と声だ。
寒くもなっているので 少し焦った。
シャワーを諦め 湯船で身体を洗って お湯を抜いて洗い流した。
興奮しているので 言う事も耳に入らないようで往生した。
上がってしまえば 落ち着いて...。
ホカホカの顔で布団に入った。

今日は 夜更かし更新中。
入浴で興奮させてしまったのが原因。
こちらのミス。

隣に行っては 手を握り暫く傍にいて離れての繰り返し。
寝返りも出来ないし 立ち上がりも出来ないので 静かなんだけれど...。


2008年11月10日(月) ようやく...♪


昨日からのおでんを仕込んでいたが 今日は更にジャガイモ等も入れて火を通した。
練り物の準備がないので チャリを飛ばしてお買い物。
コーヒー豆もなくなりそうなので購入。
そうそう 着物の襟を拭くベンジンも切らしていたので購入。

最近 買い忘れが目立つのでメモを作っていたが そのメモを忘れてしまった。今日は 買い忘れもなく 他に足りない物も思い出せたので...。

家に戻って ちゃちゃっと掃除機をかけて 昼食を摂り 施設に向かう。
今日は 母を家に連れてくる予定だが 体調を見て判断しなければならない。
少し下降気味のように感じたが 身体の調子はまずまずと言ったところだった。トイレ誘導したら やや緩めのものが普通よりちょこっと多い位。
これで 安心して外出できる。
職員には 外泊を伝え お薬を戴く。

それから着替えをして荷物を纏めてゴー!
歩きだして気がついたが どうも足の運びが悪い。
右足が上がりきってない感じ。だから バランスを崩しやすい。
気持ちは 外出モードになっているようなのだが...。

いつものごとく 駄目ならタクシーと決めていたが 先ずはバス停までトットコ。
程なくバスが来たが 縁石と微妙な距離があり 母が乗車拒否。
無理をしないでもう一台待った。
次のバスは停車する時から 縁石に近く止めようと意識していると感じた。程よい距離で 母のゴーサイン。右足がステップに掛かったので 介助して乗れた。

美容院に寄りたかったので 途中下車。
階段が無理なら諦めるつもりで...スタコラサッサと信号を渡った。
広い道幅だが 点滅しないうちに渡り終えてホッ。

お次が階段。
一段目はクリアしたが 数段上ったら「嫌だ」と後退しようとし始める。
足の上がりが悪いのだから当たり前のこと。
「偉いね」と「ごめんね」を交互にささやいて励まし 何とか上りきった。

施設を出てバスに乗り 次は階段と急いだので 美容院に着いた時は落ち着きがなくて目が三角。
頭は流さないで 髪の毛を湿らせてロットを巻いていただくことにした。
後ろのロット巻きが終わった頃から きょときょとと落ち着きなかった視線が落ち着いてきた。
1度 小指の爪ほどの飴を口に運んだらペッと吐き出すほど不機嫌だったのだが...。
おやつも食べずに来たので 水分補給しなきゃと持参したジュースを飲んで貰い その後小さな虎屋の羊羹をちぎって運んであげた。
ようやく落ち着いてきた時には ロットも巻き終えた。
そこからは 笑顔笑顔。
ロットを外した時には 鏡を見てニコニコ。
美容院の方も「判るのですね」と喜ばれていた。
最初の時には 鏡すら見なかったのである。
少し強行突破したので 悪い事をしたなという思いでいっぱいだった。
でも この笑顔をみて間違いはなかったとも思う。

薬を洗い流して 少しカットして貰い 綺麗に整えて戴いた。
もう 嫌な顔は全くない。
美容院の人が 管理人さんにお願いしてくださりエレベーターを使えるようにしてくださって 無事外に出られた。
もう 外は真っ暗。
「歩ける?」と聞くと「歩ける」と言う返事だったので ゆっくりと駅まで歩いた。駅でタクシーに乗って我が家へ。

足の疲労が強かったのだろう 門からの数段を上るのに少し苦労した。
家に上がってからは もう ニコニコ。
 おでんを温め 味噌汁を作り 煮豆やらかぼちゃの煮物や切干大根でお食事を始めた。
結構速いペースで食べた。
食事の時間が いつもより3時間は遅いので程よくおなかが空いているせいだろうと思う。

食事が終わる頃夫が帰宅。
母の姿をみて驚き「元気そうだね」と喜んでくれた。

夫の食事が終わるまで母はニコニコ見守り。
その後 トイレ誘導後入浴。
夜なので 温まるだけ。
湯船に浸かるまでは順調だったが 上がる時に往生した。
今日は 足を上げる事が難しそうだった。
一度は 夫に助けを求めたが声が届かず断念し 独りで何とか解決。

その後は落ち着いてお布団へはいり 目を瞑っていた。


2008年11月09日(日) 暖房入れようかな?


朝 菜園に出向いて草取りと収穫。
気温が下がっているので 草の成長を見くびっていたかも。
お日様の力で 結構育っていたなぁ〜。
ぽつんと雨を感じて家に戻ったが たいした事もなかった。
ひょっとして 切り上げたいゆえに雨と思い込んだだけだったのかなぁ〜。

母のところに出かけて美容院に連れ出そうと思っていたのだが パソコン作業を始めたら それどころではない雲行き。
これから 役所と介護者の会のことでの聞き取りがあり まとめておく必要があった。
軽く考えていたのだが 今後を踏まえるとそうも行かないと思った。
会員の分布等を起こして あれこれ思案。
独りでは 煮詰まってしまうのでちょっと仲間に電話して相談。
話していることで状況が少し見えてきた。

更に深めるために 気になる人にも電話。
会に出られない人の中には 自身の地域交流で踏ん張っている人もいるので その活動の様子を伺うことが出来た。
また 自身の体調不良で介護を他の家族にお願いした人もいた。
同居はしないが 離れて援助する体制を取っている様子。
仕事でこれない人の中には 入浴の問題が生じてきている人もいた。
判っていそうで なかなか 見えない現実があると感じた。
自分なりのペースで息抜きをなさっている方もいらした。
でも 独りで介護なさっているので「時にはいらして...」とお誘いをした。

会への参加者は結構おいでなので 会場に入れなくなる可能性もあるし 多すぎて限られた時間で話しきれない人も...。
会を引っ張るのは 会員の方だが 外枠だけは出来る人たちで整える必要がある。

今 少し温めている事もあるので纏まったら みんなに提案してみようと思っている。

そんなこんなで 気がつけば 日もとっぷり暮れていた。

今日は 娘がもと上司の祝宴会に お呼ばれで出かけた。
珍しく 和服で頑張っている。
出先で 雨にあって「草履がやばいかも...」と電話が来たが大丈夫か?
夫も 仕事関連の顔出しがあり 出かけている。

夕食の準備をしながら 明日のおでんの下準備を始めている。
鍋やおでんの季節がいよいよ到来している。


2008年11月08日(土) 我慢を強いて...


昨夜 ワードで作業し始めた時にパソコンがフリーズしてしまった。
変調を察知して 立ち上げていた物は何とか保存を掛けられたのでひとまず安心。 あれこれと操作をして何とか解決した。

資料自体は 再度作り上げる事が出来るが その作業に要する時間が惜しくて...。

今朝 早目に母のところに行こうと思っていたが モタモタしているうちに予定より遅れてしまった。

出掛けに 弟より柿が届いた。
この柿の木は祖母が大切に育てたもの。
小さい頃は 祖母のところで時たま戴いた。
おそらく 祖母なりに考えて大切な方へ分けていたのだろうと思う。
我が家にも柿の木はあったが この柿ほど美味しくはなかった。
我が家の柿は「もたれ柿」と父が言っていた。
正式な名前は知らないが 干しても渋を抜いてもあまり美味しくないのだった。
ふるさとでは 甘柿はゴマの入った小さな豆柿しかなくて 多くは渋抜きが必要なのだ。

箱の表に「直ぐ食べてください」とあったので 早速荷を解いた。
焼酎の匂いが広がった。

母のところと「これが何より好き」と言う仲間の所へと小分けして自転車に積んだ。
小雨が降っていたが 晴れそうなので自転車で行く事にしたのだ。

施設について 母の様子を見ていたら 看護士さんが「予防接種の用紙に記入願いますか」と言う事で母にちょっと待って貰って記入。
その後 トイレ誘導。
昨日少し出たが それ以上出なかったということでラブレを飲んだそうだ。
暫くするとするすると出てきて 結構そのもの。
母もにっこり♪ ありがたいことである。

それから 歯磨き洗面をした。
職員に接種の時間をお聞きして ゆとりがあると判ったので洗髪だけさせて貰った。
洗面台での洗髪なので 少し母に我慢を強いてしまった。
接種後だと入浴できないし...数日中に美容院に連れ出したいので...。
許してはくれたけれど 母の機嫌を損ねてしまった。
濡れた衣類を着替えて 頭髪を乾かしてその後接種。
「痛い!」と叫んだけれど 直ぐに終わった。
でも接種時は動くと危ないのでまた押さえ込み。
ご機嫌は 更に悪化!

落ち着いてからホールに移動。
みんなで秋の歌のメドレー。
それから おやつを戴く。
今日は フルーツ一色。
皆さん美味しそうに戴いていた。
母は おへそが曲がっており 苦戦。
おへそを曲げる原因を作ったのは私なのだから...ひたすら甘受。

帰ろうと荷物をまとめていたら 下の駐車場に車が止まり入所ご家族の姿が見えた。
いつもの車と違うので気になって お見えになるまで待った。
お話を伺うと 昨日事故を起こしてしまったそうだ。
幸い 人身にはならなかったそうだが 車の側面が大破したとのこと。
怪我もなかったと言う事なので安堵した。

大丈夫そうなので 安心し そうっと施設を後にした。


2008年11月07日(金) 新たな出発


 訪問活動日である。
今月中旬 利用者さんは有料老人ホームに入居なさる。

お部屋番号に「11」が付くと気になさっていた。
利用者さんにとって「11」とは 縁起の悪い数字なのだと伺っていた。
「入所する月も11でしょ。お部屋も11が付くでしょ。何だかねぇ〜」と。
「11が11になりましたか?」
「いいえ」
「じゃ まだ 大丈夫でしょう。11を突破すれば 単なる偶然で終わるでしょうし...」なんて 理屈にもならない言葉で慰めてしまった。

広い庭の草取りをして バスに乗って独りで外出できて ご飯も作れるし 編み物は完璧に出来る90歳。

心配は 夜間で何か起きても近所に迷惑をかけると言う思いがおありなのだろう。

先日は「そのうち 長生き税を取られるのじゃないかしら...」なんて話していらした。高齢者は「すみません」って生きなければならないのかなぁ〜。

訪問活動は これからも続くのだが お掃除をしながら この家に灯りが付く事も少なくなるのだなと思うと何とも言えない気分となってしまった。

利用者さんは「老人ホームというと哀れな感じがするから 別荘と思う事にするわ。別荘を持つことは叶わなかったら...ちょうどよいわ」とも話されていた。

その言葉を 自分の胸に深く刻んだ。
そして これから始まる新たな生活の場所が 活き活きと過ごせる場所となるように...と祈った。

午後 母のところに行こうと思っていたが 明日 母が仕事していた所が50周年記念なので 気持ちだけ何か贈っておこうとデパートへ出た。
手紙と近況の写真は準備しているので 荷物に入れて送った。
実は 昨夜「電話だけのお知らせで失礼だと思い 案内を送らせて戴きます。初期の頃の仲良し3人組の写真も載せています」と連絡を戴いたのだった。
3人組みも 1番年上の母だけとなってしまったのだけれど...。
仕事をやめて32年。今なお 心に掛けていただけて有り難い事である。

デパートに立ち寄ったついでに 母のために冬用の綿仕立てのハイネックのセーターを2点購入した。
冬は首筋から冷えてくるので...ハイネックは必需品である。


2008年11月06日(木) 生活リズム


 昨夜 なかなか寝付けなくて 幾度も寝返りを打っていた。
これは遺憾と思って 好きな風景をイメージ。
なかなか像が決まらなくて困った。

今朝も目覚ましの鳴る前に目覚めて「未だ早い」と目を閉じていた。
目覚めたのは きっと 娘が帰宅した時間だったのだろう。

家人の生活リズムがそれぞれ異なっている相変わらずの我が家である。


2008年11月05日(水) 介護者の気持ちは...


 昨夜「これって虐待ですよね」という相談を受けた。
これから どうしようかと迷っての事だった。
話を伺い 施設側にそのことを話してみるように伝えた。
家族の話をどう受け止め どう対処してくれるかで その後に繋がっていくと説明した。

お弁当を作って 母のところに出かけた。
昨日 出しそびれた通信をポストにぽとり。
どうも 毎日 積み残しが多くて…困ったものだ。

前日には「明日は これとこれをこうして...」と考えるのだが 思ったことをきちんと次のステップに乗り出すことが遅れ気味。

先日も友人とその話となって 年齢との関係かしらねという事に落ち着いたのだが...。
昨日 人生の先人達とのお話の中では そういうことがあまり話題にならなかったことを考えると 乗り越えていくコツがあるのかもしれない等と感じたりもする。

自分の周りにおいでになる先人達は 実に賢くあられて教えられてばかりである。

母の施設に着くと 母はソファーに座ってやや不安げの感じ。
おそらく寝不足。
居室に入ると朝から母に関わって戴いたと思われることを感じさせる事が多々あった。
一見 いつもと変わりないように見えるのだが 家族ならではの感じることがある。
時として どういう接し方をしてくださったまで想像できるのである。
説明はなくとも...母が話せなくとも...。
今日の場合は 悪い意味ではない。

こんな事を職員に伝えたら プレッシャーになるだろうと思うので言って見た事もないけれど...。

母の排泄を確認してトイレ誘導。
おなかをマッサージして 排泄に結びつく。
程よい状態で 心配は要らないと感じた。
この時職員がみえ 朝からガスが出て あと少し...という状態だけれど負担にならないところで中断したと話してくださった。
排泄後 薬や乳製品との事であれこれ話して 暫くアロエ 乳製品で対応できそうだという事で一致した。
その際にお隣の居室の方が 家族の希望で入院し数日後に亡くなったと伺った。個人情報なので詳しいお話はなかった。
でも 家族とは時折お話しており 認知症ばかりが原因でないことは 判っていたので 何処かで覚悟なさっていたとはいえ お辛かっただろうと思った。

その後昼食をみんなで一緒に摂った。
施設から昼食を戴いた。
きっと献立で食べられない職員がいたからだろう。
お弁当 少し余ってしまった。
母は最初 飲み込みが悪く時折口を閉じて拒否。
様子をみながら介助していたら 後半は 笑顔が出て良く食べてくれて完食。時間が掛かって 療法士さんが見える直前に終了という状態となってしまった。

リハが始まるとzzzz。
滅多にないことなので 療法士さんも驚かれていた。
やはり 眠りが浅かったのだろう。

リハが終わっても少し寝ていたが 直ぐに目覚めてご機嫌が良かった。
それから 歯磨きと整髪。
今日は きちんと整髪されていたのだが 髪の毛がパラパラ落ちるので 頭皮マッサージをして整髪したのだ。
母は嫌がることはなかった。

今日は午後 話がしたいという方がおり約束していたので ホールに移動して帰る身支度。
どういう訳かそれを察知したように 母の表情が曇る。
職員も以心伝心ですよねと話していらした。
それでも 母の様子を見ながらタイミングを計って そうっと施設を後にした。

約束の場所に向かうとその方はもう見えていた。
「介護者の会に参加すると いつもいつも教えられます」と率直な感想を戴いた。
私自身 介護者の身であり それも介護暦が長い方なのに 会の度に教えられ学ばせて戴いてきている。
同じように感じている人がいるのだなと嬉しくなった。

介護者の会は 教える場所ではないのである。

それから 少し話し込み 何とか会の役に立てればと思っていますという言葉を戴いた。

夜 昨日話しそびれて帰られた方から電話を戴く。
1時間近く話し込む。
気持ちを替える事が出来たようで「暫く何とかなりそうです」と話された。
介護以外の部分での悩みで 介護にも影響して立ち往生なさっていた様子だった。 
過去の自分の姿と重なり どんなにか辛いだろうと思った。


2008年11月04日(火) みんなに唄ってくださった♪


介護者の会だった。
暫くお見えになっていない方が ちょこっと顔を出してみんな気がつかないうちに帰られた。
その方には 家に戻ってから電話を差し上げた。
そこから 長い話。
若年認知症のご主人を看取られて その後お父様の介護をなさっている方。
その方の時代には 若年性と気がついた時には 既に中期に差し掛かり 介護も手探りで なかなかきつかったというお話となった。
早く見つかって良い事もあるけれど 本人は辛いのではないだろうかというお話にもなった。
懸命に介護なさった方で...今なお いろいろ学ばせて戴いている。
海外のお薬をネットで取り寄せようとなさり あれこれ手を尽くされたのだが...叶わなかったのである。

隣の街からも見学に見えた。
少し遅れて見えた方は あまりの賑やかさに「本当に認知症介護者の会?」とドアの前で立ち止まったそうである。
入ってみて 明るい雰囲気での介護のお話。それも 専門的なお話もあり驚かれていらした。

テレビ取材を受けて 放送になった方のお話も聴けた。
以前日記に記したことがある。
放映後の反響が大きく 更に介護の事を放送することになったそうだ。
放映の有った日 取材にあたったスタッフから 私のところまでお礼の電話があった。
放送終了後もスタッフから電話を戴いているそうだ。
とてもよい放送だったのだが 取材の依頼は介護者にはきついので 熟慮しないとなぁ〜。

スタッフの方が 介護士の資格をお持ちだったと今日 初めて知った。
だからこそ出来た取材だったのだなと感じた。

会で最高齢の方もみえた。
90歳で在宅介護をしておいでなのだが 軽い脳梗塞を起こして救急で搬送されたそうである。
いろいろあって 3泊4日で強行に退院なさったそうだ。
その間 ご本人はどうなさったのだろうと気になった。
ヘルパーさんが見えて 火の始末等の管理をなさって無事 独りで過ごされたとお聞きして安堵した。

時間いっぱい枠を使っても順番までいられない方が 後で電話くださるといわれて 帰られた。
おそらく困って見えた方なので申し訳ないなと思った。

会が終わった後 会食の予定。
ほんとは 母も一緒の予定だった。
でも昨日のお散歩の疲労や 8日にインフルエンザの予防接種の予定があるので今日になって取りやめた。
施設まで出かけて 予定キャンセルを職員に告げ 食事介助後 トイレ誘導 歯磨きまで。
そんな訳で自分の食事を摂る時間を失ってしまった。

母の施設で過ごされている方のご家族で 会員である方は参加くださった。ご本人も交えての会食は 母の時以来。
参加なさった方の中には 独り暮らしの高齢者もおいでである。

みんな笑顔でワイワイとお食事をして別れた。
不思議な事に 参加者の多くが10月・11月生まれの方だった。
認知症の方が 誕生日を迎える方のために ♪ハッピバースデイ♪を3人分唄ってくださった♪


2008年11月03日(月) それなりに息が上がる


夫を仕事に送り出してから うずら豆を事コトコト煮始めた。
洗濯機を廻して 玄関先の鉢植えの入れ替えをしながらお掃除した。
それから 掃除機を使ってお掃除。
昨夜 掃除機の手入れをしたので使いやすい。
いつも こうならいいんだけれど 余裕がないと 使う直前に手入れなんてことも多い。

時々 お鍋を覘きながら洗濯物を干した。

掃除機の後は 拭き掃除。
こんなに順繰りに家事を進めるなんて久しぶり。

遅い朝食を娘と摂って デザートに 珈琲とケーキ。
ケーキとは言っても 小さな一口サイズである。
イタリアンのお店のものらしい。
娘が「お先にどうぞ」と言ってくれたが...。
あれこれ迷う。
小さな気遣いがあるからである。
購入した人は 食べてみたいものを選んでいる筈だから...。
手を出しかねていると娘が察知し「好みが違うからきっと大丈夫だよ」
「おばぁちゃんにも持って行ってね。小さいからいいでしょ」

食後早々に 母のところに向かった。
秋物の服やオムツ等荷物がたくさん!

施設に着くと母が自力でご飯を食べていた。
あと少しで終わるところ。
介助して食べ終えた。

その後 職員に排泄を確認してトイレ誘導。
ひょろひょろだったけれど 無事排泄。小も。

1日空いているけれど 大丈夫だろう。

手洗いを済ませて 持参した珈琲とケーキを食べて貰いながら お弁当を食べた。
昼食後だけれど 美味しそうに食べておりテーブルに置いたケーキにも手が伸びていた。

その後 散歩に出た。
田んぼのある所まで トットコトットコ。
「稲刈りも済んだんだね」と話しかけたら深く頷いていた。
途中コンビニに立ち寄り飲み物を購入し 公園で休息して水分補給。
冷たいせいだろう 妙な顔をしていたが 少し甘いので適量飲めた。
野菜スタンドに立ち寄って お花を買った。
手に持つと「いい香り」と言った風に深呼吸してニコニコしてた。

それからの道のりは 少し足の上がりが悪くなった。
ベンチからの立ち上がり等は非常に良いのだが 歩行が少し大変そうだった。
行きの道は休息しなかったが 帰路は2回ほど腰を下ろして呼吸を整えた。92歳なんだから それなりに息が上がる。

ゆっくりと歩いて 一時間ほどで施設に戻った。

それからみんなでおやつ。
持参した煮豆をみんなで戴いた。

母の傍を離れて 居室に掃除機を掛けていたら 少しご機嫌斜め。
居室に戻って 少しキャッチボール。
受け取るタイミングは うまく掴めるが 投げる事が出来なくて手渡し風になってしまう。
そういえば 最近取り組んでいないなぁ〜。
今日は 手のひらにすっぽりと入る小さなボールを使ったので難易度が高い。ビーチボールなら もう少し出来るかも知れないなぁ〜。

夕食が近くなり 日も暮れてきたのでそうっと施設を後にした。
今日は 視線で追う事はなかったが これも病の進行と関連しているのかなぁ〜。


2008年11月02日(日) えへへへ...


 朝 ご無沙汰を通している菜園に出かけた。
適度に間引いているので 菜っ葉たちは窮屈な思いはしてない。
でも程よく育っているものを収穫せずにいる事は 申し訳ない。

春ほどに成長は早くないが 順調に育っていた。
少し ひょろっとしているが...。

夏ならば とっくに草が生い茂っているのだが この季節は 草取りも楽。
でも 時間が気になって じっくりと腰を据えて取り組めなかった。

大根・蕪の間引き。春菊の摘み取り 空芯菜の摘み取り。
空芯菜は前回 バッサバッサと刈って置いたので そこから新しい芽が育って 程よく成長していたのでにんまり。

収穫物を手に帰ろうとしたら 菜園のおなじみさんが「収穫だけ?」と話しかけてきた。
「えぇ〜まぁ〜」と言葉を濁して「草取りも...」と。
「大分有ったでしょう」と言われた。
「はぁ〜 夏じゃなくて助かりました」とちっちゃな声で答えて すごすご引き上げてきた。

家に着いたら荷物が届いた。
ふるさとの友人から果物。
荷を解いて 先日の分とまぜっこして 取立ての野菜たちを洗ってご近所に配った。
好きなものが それぞれ異なるのでお好みに合わせて...。

それから栗ご飯にする栗の下処理。

夕食の下ごしらえが済んでから 書類の整理。
テーブルの隅に積んでいたものを順繰り目を通し分類し不要なものは破棄。
日ごろ 1番後回しにする作業なのである。

年を重ねるに従って 分類に時間がかかるようになっているように感じる。
何をするにも時間が掛かる。
少し前なら 一気に出来た事だけれど...。
この工程に時間が掛かるということを意識しておかないと片付け上手になれないかもなぁ〜。

ごちゃごちゃしていたダイニングが気持ち片付き 一息つけた。
お次は 夏服を片付け秋物を整理した。

午後には 母のところに行く予定でいたのだが取りやめた。
出来るうちに取り組んで置かないと...何時までたっても片付かない。

夜 気になっている友人に電話した。
元気な声が聴けて ホッとした。
整理整頓 お掃除の話で盛り上がった。
私だけじゃなかったわい。何の自慢にもならないのだが...。

片付けは まだまだだけれど...。
どうにも カレンダーの枚数が減ってくると焦ってくるのです。
日ごろの付けが廻って来る季節です。


2008年11月01日(土) 足元を見つめた


お誘いを受けて 能を観に出かけた。
簡略したものだが...楽しめた。
興味はもっぱら 足の運び。

粗雑な足運びが多いのでじっと見入った。
記憶に留めて 家で実践。
当たり前のことだけれど 出来るものではなかった。
足を動かせば身体が揺れるのだ。
緩やかな動きだけれど しっかりと踏ん張らなければ あのようには歩けないのだなぁ〜。

日々の暮らしの中 パタパタ・フワフワとしている自分を思い知った。
これから 折に触れ試みて 踏ん張りを感じさせない歩みを実践してみようかなぁ。

囃子方の 笛、小鼓、大鼓、太鼓の調べとゆっくりとした舞い。
静かな世界だった。
誘われなければ 出かけることもなかったろうし...。
機会を下さった仲間に感謝である。

会場を出て ふと思った。
母が好きだったなぁ〜。
考えが及ばなかった自分が恥ずかしくなった。

罪滅ぼしという事でもないが その足で母の所に出かけた。
比較的落ち着いていたが笑顔が見られなかった。 
排泄があり入浴したという事だった。
少しお茶を飲んで過ごした。
そのうちに笑顔が戻った。
トイレ誘導するとまた排泄。
マグは使ってないが アロエを飲んだとのこと。
アロエもラブレも中止という事にした。
自律神経だけの問題ではないのかなぁ〜。
 
娘が夕食の介助をしていた。
その後 職員にバトンタッチしてそうっと施設を後にした。


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