母のタイムスリップ日記
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2008年10月31日(金) 担架で運ばれる


 昨日 担架に乗せられ 救急搬送初体験。

訓練ですから 心配なしです。

どうやら 認知症の人の搬送訓練というのは 地域では初らしかった。

不安な認知症の人の役を演じた。
いつも 言われるが「そっくりです!」
自分では 心底理解していないと自覚しているから とても複雑な気持ちになる。

誇張せずに取り組もうと意識している。
それが 本人に成り代わる責任と思っている。
笑いの種にしては いけないから...。

本人支援のため 更には 将来の自分のために取り組ませて戴いている。


2008年10月30日(木) 知り合いが認知症?


昨日は リハの日だったが 用事で母のところに行けなかった。
今日も 用事があって 夕方前に立ち寄って家に戻ろうと思っていた。

が用事が済んで 少し話し込み遅くなってしまった。
それでも まだ夕食前だから...とチャリを飛ばした。

大きな通りの信号を渡りかけている時 娘の同級生のお母さんとばったり出会った。
そういえば お子さんが出産なさってこっちにお住まいだったなぁ〜と思い出した。

お互い子供伝にお話を聞いていたし 久しぶり(おそらく10年近い)ので 立ち話となった。
結構 深い話となって緑地帯のあるところで暫く話し込んでしまった。

夕食が始まっている筈だが せめても食事介助で...とまたチャリを飛ばして母のところへ。

残りの介助を職員からバトンタッチした。
「今日は 機嫌が...」と職員が言う通リ 私と視線があってもふんという感じだった。
でも食事を終える頃には 少しの笑みが戻ってきた。
他の家族の面会があったというし きっと寂しかったのかもしれない。

トイレ誘導して 大小が見られて 歯磨きをして落ち着いた。
そうっと施設を後にした。

ここでちょっと深刻な話。
どうも 知り合いが認知症?
以前から 気になっており「若しかしたら...」と思っていた。

「かな?」と思われる方は 独り暮らしで 皆さんをお守りしている方である。 生活に支障は出ていない。

「かも...」と思ったのは一年前。
それが「やはり...」に変わってしまった。

おそらく 本人も時折 気がついているだろうと想像している。
ひとりで苦しんでいないかと心配である。
認知症になったとしても付き合いを替えるつもりはない。
有るがままに出来るところまで 変わらないお付き合いをさせて戴く。
そこは 理解して戴いていると思うのだが...。

問題は通院のきっかけ。
初期のうちなら 今を引き伸ばす事ができるから 何とかしたい。

「自分だったら...」と考えた。
自分がならないと言う保障は何処にもないから...。
やはり 告知を「どの時期に誰にして貰いたいか」は 明確にしておく事は大事だと思った。


2008年10月29日(水) 本当に始まるの?


弟が母への返済を始めるそうだ。
ようやく我が家の負担が減ると思いきや 提示額は 我が家の負担額を下回るものだった。
以前だったら「そうか」で終わっていた。
今回は こちらの希望額を伝えた。
それが 叶うのかは弟達の胸三寸。
でも「余裕を見ながら プラスアルファーをするよ」とも言っていた。
完済までの道は 長いだろうけれど...前に進めるということは 嬉しい。

希望は いろいろあるけれど 高望みして消えてしまうよりも細々と続けてもらうしかないだろう。

実は 先月「口座番号を教えて貰おうと思っていた」と留守電が入っていた。が 結局 今日までなしのつぶてだった。
また 空振りに終わるのか...との不安もあるが 次男からだったので大丈夫だろう。

友人達は 「親を思う気持ちはあったのよ」と慰めてくれるが...。
自分の心のうちは そう単純ではない。

これで 晴れて 実質母のお金で賄えるようになるのだろう。
父も空の上で ほっとしているのではないかなぁ〜。

しかし 考えれば我が家も良く踏ん張ってきたなと思う。
夫の頑張りと娘の協力に深謝。

先日 夫と散歩に出た時「オッ いいシューズ履いてるね」と言われた。
その時に 「靴下を除いて 全て娘のお下がりか 娘が購入してくれたものばかりよ」と言っちゃった位。
今まで 黙っていたのだから黙っていれば良かったのだが...つい言っちゃった。母を優先すれば そういうことになるのだった。
それを言えば 夫も余計なところでイライラするだろうから 言わなかったのだが...。

今日は ふるさとのもと同僚から果物が届いた。
お互いの近況を報告していたら 更に活動が広がって負担が増えているんだねと笑っていた。
断れない駄目な性格を良く知っているから...。
そういう同僚(というか先輩だが)定年退職して次の仕事を断り充電して数年。今年から 仕事を始めているという。

子育てや里子の支援活動の仕事。
プライベートなところで里親支援をしてきた方である。
大学の後輩からの便りに「先輩 テレビに出てたよ」と報告があり 仕事を始めたことは知っていたのだが...。
 


2008年10月28日(火) 何が原因かなぁ〜


家人が割りに早く仕事に出たので ちゃっと家事を済ませて母のところに出かけた。

今週 薬が切れるので定期通院。
夕方から 地域の方と打ち合わせが予定されている。
出来れば 母も同行と思っていた。
場所が 罹りつけ医の近くなのだ。

施設に着いて トイレ誘導し 昨日今日の排泄がないことを確認してからお腹をマッサージ。
「出る?」と聞くと頷くので 息むように伝えた。
とは言っても 言葉でいきめる訳もなくて「いちにのさん!」とこちらも息を止めて踏ん張ってみせる。
すると向き合う母も同じように動作する。
どんなに頑張っても 笑ってばかりで出来ない時もあるけれど 今日は しっかりとマネをしてくれた。
マッサージする腕をそうっと撫でてくれたりもした。
そのうちにするりと...。かたい握手をして「ありがとう♪」と一言。
母もぺこりと頭を下げた。
言葉は帰ってこないけれど でも理解しているのだなと感じる。

様子をみて切り上げ 手洗いと歯磨きを済ませ 着替えをして貰った。
「遊びに行こう♪」の誘いににっこりする母。
足取りも悪くないので バスに乗って通院できた。
バスを降りて 暫く歩いたら膝がカクンとなり 母も身を硬くした。
バランスを崩さずに済んだら「えへん」と言いたそうな表情で私をみた。
「危なかったね」という目線を送るとにやりとした。

バスの車窓から見える景色をじっと見入っていた。
不安そうな表情ではなく 楽しむ目線であった。

診療所で診察を待っている間も不安そうな気配はなかった。
診察室には 医師に手を引いて戴いてニコニコと入る。
診察を受け 血圧も安定しておりほっとした。
この所 診察の度に高めだったから。
やはり気持ちが落ち着き 身体も安定していると血圧も程よいのだなぁ〜と感じた。

これまで戴いた痛み止めやマグは 使わなくて済んでいる事もありストップして頂く。定番の薬のみ。

診療所を後にして トイレ誘導し その後お食事。
今日は おすし屋さん。
「お腹すいた?」と聞くと頷いた。
母の好きなものを注文して それを半分ずつ戴く。
アラ汁も頼んだ。それとあん肝も。
一口運ぶたびに 笑顔が零れた。
そういえば 久しぶりの外食。久しぶりのお寿司だわ♪
幸せそうな顔をみているとこちらの気持ちも緩む。
お財布の紐も緩んでしまうなぁ〜。

程ほどのところでお店を出て 外のベンチで荷物を整理して「まだ入る?」と聞いてみた。
すると頷く。再度確かめるが やっぱり同じ。
「甘いもの食べる?」と聞くとニコニコ。

近くにミスドがあったので入った。
母をテーブルに着かせ 注文。
シュークリームみたいなドーナツを頼み ホットミルクにした。
母は 顔を緩ませて食べていた。
でも 少し心配になって3分の2で止め 後はアイス珈琲。
ストローもちゃんと吸い上げていた。
吸い込む動作も 嚥下の物差しとなるし訓練にもなる。
調子の良い時は 全てが順調である。

夕刻までここで待っていようかとも思ったが 日が傾くに連れて気温も下がりそうな気配である。
ここで風邪を引かせても悪いので 近くのベンチに腰を下ろして爪切り。
お日様をいっぱい浴びて 気持ち良さそうだった。

ぎりぎりまで日向ぼっこをして タクシーに乗り込み施設に戻った。
直ぐに手洗いし トイレ誘導。
あちゃ!出た後だった。
施設に着いて待っている時に出たのだろうか?
それともタクシーかな?
ホットミルクで誘発させちゃったかな?
早々に綺麗にし 着替えを済ませてホールに移動した。
あと30分で予定される場所に着かなくてはならない...。

落ち着いている母をみて そうっと施設を出て チャリを飛ばした。

打ち合わせとは 明後日の徘徊高齢者SOS訓練について。
前回は きちんと台本を作り 配役もこちらで準備できて 幾度かの練習も重ねての事だったが 今回はいきなりである。
それも ほぼ配役は決まったようなものだった。
割り切れない思いは残るが 予定が明後日となれば しのごの言える状態ではない。

実は 徘徊の高齢者は 役所の人たちが体験してみればいいと思っていた。どういう心持になるか 言葉かけはどんな具合かを体験すべきと感じ始めている。
一緒に考えて見ることを惜しもうとは思わない。
今回は「やらせられる」の感が強い。
ま しょうがないか!

その後 現在の状況や今後の事を話して終了。

とっぷりと日の暮れた道をチャリを飛ばして家に戻った。
明後日が終われば 小休止できるかな?


2008年10月27日(月) 夕刊記事から...


朝日の夕刊で見つけた記事。
アルツハイマー進行抑制という見出しでフェルラ酸効果のことが書いてあった。
和歌山市であった国際シンポジューム「米と疾病予防」で広島大学名誉教授中村重信教授が発表されたそうだ。
フェルラ酸(米糠から抽出された天然のポリフェノール)の臨床試験で効果が認められたという。

認知症の介護家族が使用して「効果がある」とあちこちで記載されているので ある程度の認識は持っていた。

「ポリフェノール効果は効果があると言われている」と地域の医師も紹介くださっていたが「赤ワイン等の...」ということだったし 海外では いちょうの葉かDHAのサプリメントでという事を話されていた。

フェラル酸の効果は 軽度 中度 重度に渡り効果が見られたそうだ。
サプリメントかぁ〜。
そうだ ちょこっと罹りつけ医師に相談してみようかな?
母の初期の時期に 漢方とかいろいろ試みてくれたしなぁ〜。
あの頃は 母のお腹痛いに振り回されて断念したからなぁ〜。

今日は 訪問活動日で家事援助だった。
施設入所が近くなって 気持ちが揺れているのか らしくない事が目立っていた。
自宅はそのままで 時折戻るっていっても環境が変わるってストレスだろうなぁ〜。

家に戻ってから パソコンでの作業。
少しずつ書き溜めているけれど...毎月の事ながら慣れない作業である。


2008年10月26日(日) 入浴


 少しゆっくりと起床した。
家人は 時間的にはゆっくりだが 今日も仕事。

気遣いもあって「ゆっくり起きていいよ」の言葉に甘えさせて貰った。
でも 明け方 母の夢をみたので気分的に少し焦っていた。

午後 母のところに出かけた。
ソファーに座って少し居心地悪そうな表情。
トイレ誘導をして 昨日・今日の排泄の確認をして お腹をマッサージ。
少し固めだが 中等量にやや足りないくらい物を排出できたので ひと安心した。
ラブレ今朝は 服用しなかったようだが 朝食に乳製品が出たからということだった。

おやつ後 入浴。
昨日は 時間切れで入浴できなかったという事だ。
脱衣室に入る時には「やんだ」の拒否があったが 何とか入浴できた。
身体を洗って 洗髪して 湯船に浸かって貰った。
今日もリフトは使わずに入浴。
湯船の前に立った時には 足を自分で上げた。
そこに無理はなかった。
勿論 身体を支えたり手すりに掴まるように腕を誘導したりはあった。

洗髪も強く拒否はしなかった。
お風呂から上がった後はゆったりと落ち着いて気持ち良さそうだった。
頭を乾かす時にも ゆったりとしていたし...。

お風呂から上がった時には 夕食となっていた。
職員から お手伝いしないでごめんなさいと言われたけれど 手伝いをあてにはしていないので気にしないように伝えた。
きょうは 私に水分を準備してくれた。

食事が始まったので そうっと施設を後にした。

雨が降るかと覚悟していたが 降らずに助かった。
自転車だもの...。


2008年10月25日(土) 介護のイヴェント


昨夕 近所の方から「温泉に行くのでよろしく」と頼まれた。
「お天気が良いといいですね。楽しんでいらしてください。家も明日は 日中留守になると思いますので 出来る分だけ気をつけておきますね」と伝えておいた。

明け方 娘が帰って来て 夫から起こされた。
目覚ましセットしたのに 不発。
これは 寝る直前 オンとオフを間違えてしまった私のせい。

娘が目覚まし代わりとなった。

起きて パタパタしてたら娘が手伝ってくれ 駅まで送ってくれた。
寝過ごした割りに 一本速い電車で行けたのは 娘のおかげ。感謝!

今日は イヴェントの日。
早い人は 5時から会場に入って 準備にしている筈。
最寄り駅に着いた時 7時の鐘の音が聴こえた。

会の仲間も手伝いに来てくださった。
80歳のペアが 1番乗りで 準備から 片付けまで残ってくださった。
「無理しないでいいからね」と伝えていたのだが...。

ネットワークの仲間も連日お手伝いくださっていた。
5時から準備くださった方たちは 昨夜2時ごろまで踏ん張ってなさっていたようだ。
一つのイヴェントをするには 準備もなかなか大変である。
母の排泄コントロールがあるので 今回は緩やかなお手伝いとさせて貰った。

介護者のイヴェントなので 介護関連の様々な催しものが準備され また 食事 排泄 成年後見に関するものまで展示・相談コーナーも。
医療相談コーナーも設置された。

介護を学ぶ学生さんと介護者がセッションもした。
この所 報道されてもいるが 介護に向かう学生さんが少ない。
出生率が下がっているのだし みんなが介護関連に向かう訳でもないのだから仕方がないのだが...。
高校の進路指導の際に給与が低いし大変だからと説得するところもあると聞いて驚いている。
そんな中 貴重な学生さんに介護者の思いも知って貰おうとの企画?
結構 話が盛り上がった。

遠くから足を運ばれた方 就労しながら介護している方も見えた。

会場には 足を運べない人からのメッセージも届き 介護者の声として張り出した。
いつもは 介護者のコーナーまで見ない人も 張り出された中身を立ち止まって読んでいる人を多く見かけた。
中には 介護事業関連の人だろう方が数人で立ち止まって「これだよな」といった風に何回も指差して読みあう場面もあった。

会の閉めの時 ジョイントの方が合唱の指揮をとってくださった。
何の約束事もなかったのに マイクを持った時 お話してくださった。
予定にはないことである。
でも きちんと道筋立てて話されていて 響くものがあった。
「肩を組んでみましょう」との声に 会場の人は自然に肩を組んだ。
後でお聞きしたところによると 最近はお話しすることも難しくなってきていたそうだ。
打ち合わせの挨拶をした時 名詞を探され右往左往なさっていた方とは思えないほどだった。

会場に足を運ばれる人の殆どが 認知症を理解している方ばかり。
皆さん 感動なさった様子だった。

夜も更けた頃に 家に戻った。
睡魔に襲われながら 片づけをし 家人と1日の話をしていて 日記更新が出来なかった。

温泉に出かけた家の窓から灯りが零れていて 帰って見えたのだなと申し訳ない気分。


2008年10月24日(金) もう少し先でよさそうかな?


早昼飯を摂って 母のところに出かけた。
明日はどうしても母の所に行けない。
マグを止めているが 「大」の状態によっては マグ再開も考えなければならないからである。

あと少しで食事終了というところでバトンタッチ。
残りを介助。食欲はまぁまぁ。

食後トイレ誘導。
「出る?」と聞くと頷いたので お腹をそうっとマッサージ。
するすると健康を思わせるものが出てきて安心した。
これなら マグ再開は も少し先延ばしでもよさそう。


手洗いと歯磨きを済ませ 椅子に座って水分補給をした。
飲みっぷりが良かったのは 湿度が高いからだろうか?

それから 手洗い用のミューズを容器にいれた。

帰る前に 投薬担当の方に ラブレとアロエエキスで対応してくださるようにメモを残した。
おやつの前にそうっと施設を後にした。


2008年10月23日(木) わわっ!あめ!


用事があり出かけるので 母のところにも立ち寄った。
マグを止めて貰っているので 排泄誘導をしておきたかった。
便秘となって 具合が悪くなったら手数を掛けてしまう。
頼んだ以上 家族としてできる限りのことはしておきたい。

食事の終わった施設は 落ち着いた雰囲気だった。
排泄はないとの事で トイレ誘導した。
何とか「大」を排出できた。量は少なめ。でも少量ではない。
私も安心したけれど 母もホッとした表情だった。

昨夕からラブレを使っているが 夕方でおしまいなので 購入するため母を連れて外出。
半分ほど行ったところで雨がぽつぽつ。
慌てて逆戻り。
折角 母の気分が乗ってきていたのに残念。

施設に母を連れて戻ってから 独りでドラックストアに出かけラブレを購入した。
帰路コンビニでプリンを調達し母のおやつと水分補給とした。

ラブレ服用により 軽い腹痛が起きているみたいだった。
難しいところである。
マグ・牛乳・ラブレ どれが良いのか母に聞いて見たいところだが...。
様子を見ながら判断するしかないなぁ〜。

職員が入浴を勧めてくださったが 今日は介助できないと伝えると今日か明日に...と言われた。

雨が降り出し 用事のものが濡れないようにカバーして 施設においてある傘を片手に自転車で戻った。
役所の印刷機を借りて 印刷をした。
実質100枚だが 裏表なので200枚とカウントされる。
とはいっても 家で印刷するよりも時間は短縮されるし印刷費用も定額なので助かる。

用事を済ませてとっとこ家に戻った。
雨が本降りとなってチャリは置いたまま。

洗濯物びっしょり!

夕食の下準備が出来たところで 雨が止んでいた。
急いで 駅までトットコトットコ。
チャリに乗って家まで戻った。


2008年10月22日(水) おさんぽ♪


心ならずも2日面会をお休みしてしまった。
母も安定しているので出来た事である。

排泄が気になっていた。
が 2日連続「大」はなかったようだ。
こうなると職員の方がプレッシャーとなってしまうことは想像できる。

施設に着いて それが判ったので 母をトイレ誘導し「大」を排出に成功。でも 量的には多くないのが不安材料。
案外 母は元気で笑顔も見せてくれたので 心配は要らないと思う。

職員と話しているうちに マグの話も出た。
マグの処方については きちんとした事が判ったので安心した。
マグ服用に関して 職員と話をした。
避けられるものなら アロエエキスや乳酸菌利用でコントロールしたい。
でも5.6日便秘ならマグを使用出来ないか。
マグは最終手段としたいと伝え 後暫く様子を見たいと伝え 了承を戴く。

牛乳との関連も様子をみたいと伝えて 牛乳を飲んだ日は記録として残していただく事になった。

記録を見て 今後のことを考えられるようになった。
これで一安心。

排泄のリズムがこの所変化したことは 職員も私も共通して気になっていたことである。
これで 落ち着いてくれればいいのだが...。

リハも落ち着いて受けられた。
療法士さんとも話したが 夏の間の痛みは何だったのだろうかと言う話題になった。
お天気の変わる時 多少の影響は有るみたいだと話されてた。

足も腰も痛みはないような母である。
今日も 歩行安定しており ドラックストアまで普通のペースで往復できた。

母は 褒められると涙ぐむことが多い。
おそらく嬉し涙。
考えれば 初期のころも一般デイにいると憶してしまうが 認知症デイにいるといきいきとしていた。
お役目を持つと 嬉しそうだった。
それも 難易度が程よい状態で達成すると良かったと記憶している。
おそらく 今もそうなんだろう。
出来ない事が多くなって それを感じているので 褒めるタイミングとスキンシップが鍵になっているように思う。


2008年10月21日(火) まだまだ行き渡ってないのかなぁ〜


朝 外出の準備をしていたら 役所から電話がきた。
介護の部門ではない所。
介護者の会のことが ちょっとしたコラムに掲載されて 町内回覧されたらしい。
それを読んで(おそらく今朝) 直ぐに電話したみたいだ。
電話を受けて貰えるかという確認だった。

今日は 外出するので留守になるので こちらから掛けますが 都合はどうなのかをお聞きしたら「今ならきっと都合が良いのだと思います」と言う事で 直ぐに電話をかけた。

役所の方の話では「かなり困っておいでのようだった」と言う事だったので早い方がよいだろうとも思ったのだ。

名前を名乗ると直ぐに「アッ」と言う反応。
直ぐに 今の事と簡単な経過を話しはじめた。
介護者の健康上の理由と現在目の離せない状況で 会に出向く事は難しいと言う事だった。

病についても 特に検査もなさらずに10年が過ぎたと言う事だった。
介護保険利用もここ数年のようだし...。
制度を知らずに過ごしていらしたのだのだろう。
年齢的に 発症は早いので若年性である。
どんなに 心細い思いをしていらしたのだろうと切なくなった。
10年前だと地域に介護者の会は出来ていたのになぁ〜。

何よりも「病のことも知らないのです」と言う言葉はショックだった。
ケアマネが どの程度考えてくれているのか...。
何よりもご自身の健康問題もあるので 地域包括に問い合わせするように伝えた。
ケアマネを越えては失礼かと思っておられるようだった。

介護が始まった介護者は 情報に目が留まらないことが多い。
これだけ いろんな情報が発信されているのになぁ〜。

最近 娘から「お母さん パソコン使えるようになっていて良かったね」と言われたばかり。
ネットから引き出せる情報は 紙媒体より多いと思うのだ。
ただ ネットのあり方については いろいろ考えさせられる事も多いのだが...。

午後 イヴェントの準備で外出。
予定では 母のところに寄ってから...と思っていたのだが 時間的に余裕がなくなってしまった。


2008年10月20日(月) これでよかったのかな?


 くたびれて 今日のことを書く気になれないので 先週のひとこま。

先週 新しい傘を購入した。
壊れてはいないのだけれど みすぼらしくなっていたので ずっと気になっていた。10年以上使っているのだ。

デパートであれこれと広げてみた。

希望は 傘の生地が叱りしている事。

2つのものに絞られて 店員さんに聞いてみて 一つに絞った。
生憎の天気で傘を持っている。
出かける用もあって 2本の傘を持って歩くのもなぁ〜と思って 不要の傘を引き取って貰えますかと聞いたら「いいですよ」との返事。
傘を渡そうと思ったら「いい傘じゃ有りませんか 処分するの勿体無いですよ」と言われた。

そう言われて 置いていくわけにも行かなくなって...。
2本持って 外出。

結局 まだ 新しい傘はおろしていない。

無駄な買い物をしたということになるのかなぁ〜
駄目になった時に困るから これでよかったのかな?


2008年10月19日(日) いっしょにみっべ♪


 午後には 夫も娘も仕事と言うので 午前中は庭仕事。
西側の庭木の手入れをした。
南天やぶどうやサルビア・グアラ二ティカ。
まだ 途中だけれど 昼前に作業をストップしてお昼支度。

お昼後 家人を置いて母のところに出かけた。
母はソファーで左に傾斜して眠っていた。
トイレ誘導済ませてますと職員が教えてくださった。

母の背中をとんとんとしても振り払って「まだ!」という。
2度ほど繰り返して ようやく目覚めた。
立ち上がって貰って 居室に入った。

でも何か訴えたい様子。
「困っているの?」深く頷く。
「お腹痛いの?」首を振る。
「大?」深く頷いた。
トイレ誘導し お腹をマッサージしたら するりと大が。
程よいものだった。
職員に確認したら マグは止めずアロエをとめたということだ。
施設側としては マグを止めないという方針なんだろう。
家族としては 何故 緩くなるかそれを知っておきたいのだが...。
家に連れてきた時に試すしかないかな?
でも 家にいる時に緩いとは限らないからなぁ〜。

整髪して 着替えをして(他の入所者の方の洋服を着ていたので...)
歯磨きをして トイレ・居室を掃除し おやつを食べてからお散歩に出かけた。

出掛けに「やんだぁ〜(いやだ)」と言ったが ゆっくりと出たら もう足はスタスタ。足取りが軽い。痛みはないようだ。
秋になって散歩の距離を延ばしている。
小山のぼりも出来るようになった。
今日は「やま のぼる」と言っていたし一番高いところに着いたら「てっぺん」と言っていた。
最初公園の前に立った時「ふたり いっしょにみっべ!」と公園の中で遊んでいる親子連れの様子をみようと母が誘ったのだった。
久しぶりの言葉が とても嬉しかった。
母の頭の中には いっぱいいっぱいの言葉が浮かんでいるんだろう。
それを声に出すと違う言葉になってしまって しゃべるのをやめてしまっているように見える。

ちょっとした環境の変化が刺激となって脳が活性化するのかなぁ〜。
外に出ると ほんとに的確な言葉が出ることが多い。

近道で戻ろうとしたら 別の道を選び 途中タンポポを指差して撫でる仕草をしていた。これも 久々である。

破格の笑顔はないが ごくごく当たりまえに周囲の景色が見えているようである。お腹が安定し 足の痛みもないので 気持ちも落ち着いているのだろうと思う。
いや 季節のせいかな?

施設に戻って 手洗いをして食卓に着いた。
少し悩ましい表情だった。
帰っちゃうって 判っているんだよねきっと。
ごめんね♪


2008年10月18日(土) 高いところが好きと言う訳ではないが...


午前中から 庭木の剪定。
最初は脚立でを使って 塀にのぼり ヤマモモを剪定。

片付ける前に娘が仕事に出かけた。
気がつけばお昼。
食事を摂ると一気に気持ちが萎えてしまいそうなので 作業を続けた。
ヤマモモは 木が柔らかいので剪定は楽。
でも 剪定した枝を束ねて 散った葉っぱを掃き集めるのは手間がかかる。

そのあと しいの木を剪定。
夏前に剪定したが これは伸びるのが早くて...。
ロングの梯子をかけて 木にのぼり剪定。

剪定が終わる頃 お隣の子供達が帰ってきた。
「わぁ〜い これ触ってもいい?」と葉のついた枝を振り回していた。

暫くして かまきりを虫かごに入れて「木だけ欲しい」とやってきた。
枝を束ねるところだったので 葉っぱを落として籠に入る大きさに枝を切り詰めてあげた。
「虫どっかいなかなぁ〜」と虫探しに出かけていった。
青虫なら ヤマモモの木に結構いたんだけれど...遅かりしゆらのすけ...。

それから 昼食を摂り 敷地内の枝を束ねて草取りをして...。
南側は これで完了。


2008年10月17日(金) しっぱい しっぱい ごめん♪


朝 北側の庭木を剪定。
ご近所の方が出て見えて「お久しぶり」と挨拶を交わす。
近所なのに ここ3週間位お会いしていなかった。
何処か具合でも悪いかしら...と気になっていた。

バッサバッサと枝を落としていたら その方が剪定ばさみを持ってきて 束ねやすいように切って下さった。
「じぶんちは終わって暇だから...」と言って下さったが 有り難い事です。

あまり無理をせず 適度のところで作業を切り上げ 早昼飯を摂って母の所に向かった。
今日は 荷物がいっぱいで 小さなものが落ちてしまわないようにタオルを一番上に乗せた。

が 施設に着いたら そのタオルがない。
慌てて逆戻り。
別に新しいのに替えればいいことなのだけれど...。
道端に 泥にまみれて放置されたままのタオルやハンカチ 果てはお布団等を見かけるとあまりいい気持ちがしない。
自分の物がそうなってしまったら...と思って探しに戻ったのだった。
幸い 半分ほど戻ったところで 見付った。

母は また下ったようだった。昨日はなかったとの事で 今朝 アロエを再開したそうだ。
職員と看護士と3人で話して マグを止めてもらうことにした。
これまで職員に聞いた時「マグ止めています」と言っていたのだが 看護士さんの話では 止めていないということだった。
様子をみながら...とお願いした。

居室に掃除機を掛け始めてから 爪が伸びていたことを思い出して手足の爪切りをした。
それから 再度掃除機をかけて 床拭き。
荷物をロッカーに片付けて トイレ掃除。

おやつの時間となって みんなでおやつを戴く。
その後 お天気に誘われてお散歩に出た。
足の上がりもよく 腰も軽い。
痛みがないという事なのだろうと想像する。
しかし 母と過ごしている時間が だんだんサイレントになってきている。
表情はあるし 反応も返ってくるのだけれど...。

暫く歩いて「帰る?」と聞いたら 首を横に振った。
更に歩いて 再度「帰る?」と聞いたら「帰った方がよい」という返事だった。そこで 少し遠回りをして公園の小山を2つ 上ったり下りたりして1度休息をした。
その辺りから 何を聞いても「?」の反応。
「わからないの?」と聞くと頷く。

ゆっくり立ち上がって 施設に戻り トイレ誘導したら...出た後だった。
なるほど 帰りたかったのは そういう訳だったのだか そして失敗したのでそちらに気をとられて 返事が出来なかったのか。
もう少し...と距離を延ばし悪い事をしたと思う。
「かんべんね」と言ったら 私の肩を撫でてくれた。


2008年10月16日(木) 致し方ないこと。


 朝 東側の庭木を剪定していたら 葉が重なりあっている所にもそっとしているのが見えた。
近くに寄ってみたら 蜂が20匹近く玉のようにかたまっていた。
羽をぶんぶんさせているが 飛ぶ気配はない。
巣ではないのだ。
こんなの初めてみた。
近所で蜂の巣でも払って 行き場を失ってしまったからだろうか?
自分の中でちょっとした謎である。
折角 今日は剪定するぞと踏ん張ったものの怖さが先にたってしまって早々に家に入った。
でも 放置するわけには行かないなと思いなおして 殺虫剤を持ってこわごわ近寄ってシュー!
後は飛ぶように家に入った。

庭は諦めて 菜園に向かった。
蕪や春菊やほうれん草や大根等の間引き。
ついで草も抜いた。
腰を屈めての作業である。
間引いたものは 小さいけれど柔らかそうで つまみ菜として持ち帰ることにした。

空芯菜も脇から程よく育ったものがあり収穫。
レッド・イエローのピーマンも収穫。

つまみ菜は 家に戻って土を落として洗った。
若い頃は こういう処理はあまり好きではなかったが 一つ一つ根を落としていたら 気持ちが落ち着いてくるから不思議である。

春菊の間引きは から揚げの下に敷いた。
蕪のつまみ菜は 揚げと味噌汁にした。
ピーマンは 縦に刻んで なすと揚げて紫蘇酢をかけた。

手間と値段を考えれば 買ったほうが安いかな?
でも 土に触れ 下処理をしている気持ちは 買えるものではない。

と言いながら 菜園に出向く前の気持ちは よいこらしょって感じなのだが...。

「野菜を育てるのが楽しいなんて...趣味だから言えるのよ。これが 生活のためだったら そんな気持ちにはなれないよ」と学生時代の仲間が言っていた事を思い出す。
でも 小さな菜園で育ててみるとほんと気持ちが柔らくなってくるものだ。

夕食は 相変わらずひとりなのだが ほっこり気分で食べられた。

昨夕 私の話を拾い上げて電話をくださったかたがいる。
介護者と手仕事しながら 交流してみませんかという企画である。
企画プレゼンもなく 簡単な事業計画で審査して戴くのみというので 今日計画書を作った。
市民団体はたくさんあるのだが 横のつながりに欠けている。
そこを繋げれば 地域作りのきっかけになるのでは...という話を春頃にしたのだが...。折角拾ってくださったのだし コラボも可能というので実現できるようにと思った。
企画書が通ればの話しだけれど...。
他にも 誘われた事がある。それは どうするか思案中である。

夕方 東側の庭を見たら 蜂が...。
かたまっていた場所をみたが やはり巣はなくて...。
庭で蜂を飼う訳にもいかないので致し方ない...。


2008年10月15日(水) ジンジャーの花のおかげ?


 朝 雨に散ったきんもくせいの花を箒で集めていたら お隣の方が「ジンジャーのお花が咲いたの。今持ってきますね」と庭に入っていった。
直ぐ 手に3輪ほどのお花を手に戻っていらした。
ジンジャーの花は 真っ白でほのかに良い香りがした。
清楚な蘭の花に似ていた。
気持ちの良いスタート。

母の所に向かう。
昼食前に施設に着いて トイレ誘導。
下りざかの「大」
残量があるか気になり 今朝の状態をお聞きした。
すると昨日、今日連続しているとの事だった。
じゃ もう大丈夫かと思って手洗いを済ませて食卓へ移動。
母は施設の食事で私は手弁当。
食欲はまぁまぁと言ったところで完食。
お向かいに座った方が 今日は眠そう。
本人に聞くと「眠くないよ」と言われるのだが...。
言葉も少ないし ぼんやりしていた。
体調でも悪くなければよいのだが...。
食べる時 エプロンをなさっているのだが 外れていたので別の家族と一緒に直して差し上げた。
ついで姿勢を起こして差し上げた。
食事中噎せる時があるので...。
「ありがとう」と本人からお礼の言葉を戴けた。

食後 トイレ誘導するとパットに少し付着物があった。
様子を見たが それ以上続かなかったので 切り上げてリハの体勢。
リハの途中で少し臭ってきた。
リハが済んでトイレ誘導したら また付着物あり。
今度は 腹を据えてお付き合い。
母には悪い事をしたなぁ〜。
昼食前にしっかり対応できていれば こんな思いをさせずに済んだんだわねぇ〜。
残量は中等量でこれでほぼ落ち着いた。

その後 飲み物を少し飲んでもらっていたら 職員が「お風呂 いかがですか」と聞きに見えた。
こちらで介助するので 一番最後にさせてくださいとお願いした。

母に「お風呂はいる?」と聞くとゆっくりうなずいた。
順番が来て入浴。
職員はリフトを使うので リフトを出していてくれた。
折角だけれど リフトを片付け シャワー椅子を準備した。

大きなバケツにお湯を汲んで ゆっくりとお湯をかけた。
最近気がついたのだが シャワーの音を聞いただけで母はそわそわとするのだ。だから シャワーはお湯をためるだけに使うようにしている。
背中から洗い始めた。
それから腕。
腕に泡がいっぱい着いたら「これなんだ?」と母が聞いてきた。
「石鹸の泡よ」と伝え 私の手のひらに泡を集めてふ〜っと吹いて泡を飛ばして見せたら 母の顔が緩んだ。
緊張を解くために数回同じ事をしてみた。
順繰りに洗って 最後に洗髪。
これもお湯をたっぷり含ませたタオルで頭を濡らしてからシャンプーでゴシゴシ。いつもなら 嫌がり始めるところだが 今日は落ち着いていた。
シャンプーがなかなかあわ立たなかった。
結局2回シャンプーをしてリンス。

夏の間は シャワーで済ませたが ソロソロ浴槽に入っても良い季節だ。
体が滑らないようにわきの下にタオルを巻いて 浴槽に誘導した。
母はそろりと足を挙げて浴槽に入れた。
今日は 手すりに掴まってもらうこともやめた。
騒ぐ事もなく浴槽に浸かる事が出来た。
やはり 強行突破は 母の恐怖心を煽ってしまうようだ。
これぐらいゆったり入れば 何とかいけるという事だろう。

湯船でゆったりしている時 シャワー椅子を片付けた。
下手に 椅子に掴まられてしまって転倒してしまうことが怖いのである。

湯上りにかけ湯をして 無事終了。
母の怒鳴り声が響く事はなかった。
時間は一時間以上。
母のペースに合わせていけば 何とか出来そうな感触。
でも 今日はきっと良い日だったんだろう。

頭を乾かして浴室を出たら もう食事。
その前に 少し水分補給をした。
勿論 私も...。

母の食事が始まった頃 そうっと施設を後にした。


2008年10月14日(火) 陣中見舞い

利用者さん訪問。
挨拶を終えて早々に「有料老人ホームの空きがでたので入所する事に決めました」と話された。
入所しても自宅には 時折戻って草取りをしたり掃除をしたいと言う事で これからも訪問を続けてほしいとの事だった。
お元気だからできることである。
来月も下旬ごろに入所ということになりそう。
訪問が終わる訳ではないけれど...少し寂しい。

活動を終えて食事をして もろもろの用のために外出。

イヴェントのチラシと新聞を渡すために地域包括に立ち寄る。
今日は 全ての地域包括を廻る予定だったが 最初に立ち寄ったところで 連絡会の時にそれぞれ配ってくれると言ってくれた。
それに 事業所のほとんどの方が イヴェントに足を運んでくださると言って下さった。
注文もあったので できる限り努力すると伝えた。

お買い物をしていたら 介護仲間とばったり出会う。
お元気そうでホッとしたが この所体調の変化が多く検査を重ねていると言う事だった。
結構大変な状態なのに 笑顔を見せて下さる。
介護もあり お役目もあり...。
介護仲間の頑張りに力を貰った。後を追う身としては お手本である。

その足で介護仲間へ陣中見舞い。
取材のためテレビカメラがまわっている日で 予想以上に長丁場になりそうな気配となったようで 昨日電話を戴いた。
取材のお願いを振った身としては オロオロした。
製作の方に 介護者なので 極力短く負担を少なめに...と要請した。 
それで 今日 陣中見舞いをするしかないと思ったのだった。
カメラが休息中の時間にチョコッと訪問。
カメラが廻る前に引き上げてきた。
撮影が終わったら「ゆっくりお風呂に入り疲れを癒してね」とラッシュのバラの花が浮く入浴剤をお詫びに渡してきた。

その後雨の中 テクテク歩いた。
その辺りは 子育ての時期子供と良く遊びに出かけたり 友人とお散歩したり 母と共に訪れたりしていた思い出多き場所。
昔は綺麗に手入れされ 子供の声が響いていたのだが...。
ちょっと寂しい風景となっていた。

夕方家に戻って 次々に電話が入った。
1番嬉しかったのは テレビ取材 早目に終わったということ。
ご本人が眠くて予想以上に早く寝入ってしまわれたからだそうだ。


2008年10月13日(月) 繋がっていたね♪


 朝 夫を送ってから 家事を済ませて 母のところに出かけた。
母はテーブルに向かって座っていたが どうにも臭う。

直ぐにトイレ誘導した。
大・小の失禁があった。
トイレでの取替えなので ベット上よりは楽。
母が手を出すと困るので 両手を持って 歌を唄いながら 清拭。
私の介助は 大概トイレで出来ているので 珍しい光景。

あらかた綺麗になったので手を離すと 母は私の手を撫でてくれた。
その後 手洗いを済ませて 母の歯磨き。
程なく昼食となった。

ニコニコ笑顔の母は 自分のペースで食事を始める。
勿論介助だが 食べたくない時は口を閉じる。
そういう時は 噎せる寸前か口の中に残ってる時である。
口の中に溜まっている時には スプーンでお汁を掬って口に運ぶ。
「美味しい?」と聞くと 頷くので美味しく食べられているのだろう。

ゆっくりだったけれど 遅くならずに食べる事が出来た。
でも 他の方と比べると15分近く遅れている。
食器の後片付けをする職員には申し訳ないが でも食べる事が優先だから…。

食べ終わった後 母に伝言。
昨夜 母の職場だったところから電話を戴く。
「50周年記念になりますので お知らせまで…」と昔のお話をしてくださった。母の様子もお聞きくださった。
母は一時 病で仕事を辞めていた。
その後 請われてその職場に入ったのである。

女学校時代に3人の友人が夢を語り 3人とも実現した。
その友人の所に 復帰したのである。

二人とも 母よりお元気だったのに 先に召されてしまった。
認知症の母が1番長生きできている。

食後に伝言を伝えると じっと聞き入っていた。
母は 理解できたようだった。
電話を戴いて「伝言くださいと言われても…」と何処かで思っていたのだが…。
招待状を戴いても判らなかったかも知れない…。
電話を受ける事も無理だし...。
心にかけ 存在を忘れずにいてくださった事に感謝である。

歯磨きを済ませて トイレ誘導後 そうっと施設を後にした。
家では 家人が待っている。
昨夜も帰宅が明け方だった。
休みが取れず 連日残業でかなりきついだろう。


2008年10月12日(日) 万歩計


スカッと晴れた気持ちの良い朝だった。
菜園に出て 草取りやら葉ものたちのおろぬき 唐辛子の取り入れ 紫蘇の実の収穫等。

家に戻って 下準備。
葉唐辛子の佃煮の準備。
唐辛子は できる限り取り除いて 葉を摘み取った。
紫蘇も穂と葉だけ摘み取った。
空芯菜も育ちすぎたので 葉だけ摘み取る。

夫がやってきたので これ幸いと実だけにするための作業を頼んだ。
「手が黒くなるんだよね。知っているんだ」と言いながら 了解してくれた。
とはいっても 下準備はこちらで…。
新聞紙を何枚か広げて 穂紫蘇を入れた器と実を入れるざるを準備。
夫は 丁寧に作業してくれた。

娘が「お父さんは?」と気にかける。
「作業中」と言ったら「あら珍しいこと」と笑っていた。

その間に 葉唐辛子の佃煮を作る。
佃煮の仕上がる少し前に味見したら 辛味が足りなかったので 青唐辛子を3本ほど刻んで入れて再び事コトコト。
程よく仕上がった頃 夫の作業も終了。
感謝して受け取り 洗ってからお塩を振って少し放置して水分を軽く絞って冷凍庫へ。
これは 漬物に使ったりおにぎりに使ったりするために保存した。

昼食を取っていたら どうも夫の様子が変。
腰に来ているみたいだ。
おそらくぎっくり腰の前触れが起きているようにみえた。
夫に聞くとそうだと言う。

こんな時は 歩くに限る。
ほんとは 母のところに行きたいけれど…夫を散歩に誘う。
「行く」というので 2時過ぎから散歩に出た。
今日は 夫はお休み。
朝「ばあさんのところに行くのか?」と聞いてきたので 遠慮して言わないのだと感じた。
日ごろは 強気の夫だが 時にはこういう気遣いがある。
母にかこつけて いつも放りっぱなしなので罪滅ぼし…。

いつもより多めに 歩く。
夫の万歩計は 9000歩だったらしい。
帰路 買い物を済ませて 戻ったのは夕暮れ時となった。
帰る頃には 怪しい雲行きとなった。

あわよくば 戻ってから母のところへ…と思っていたのだが その時間もなく
なってしまった。

夕方 連絡を貰い 介護仲間に電話連絡したら 夜間のおしゃべりで介護者が眠れない。
通院したら 血圧も上昇し体調が黄色信号が点滅していると言っていた。仕事を持っている方なので サービス利用のアドバイス。


2008年10月11日(土) 確認作業


 昨日約束した情報の件で それぞれ確認を取って まとめていたら結構な時間を要した。

返事待ちの時にネットをあちこち巡っていたら 介護者専門職の人材について意見を発しているブログがあった。
結構有名な方。
そのブログに書き込む勇気はないし メールアドレスも表示されていないし…だから記事の引用ができない。

最近 知り合いには 似たようなことを話していたのだが 介護を受ける立場からは 専門職の方には 言い出しにくい話だった。

そういう考え方をしてくれる方もいるのだとホッとした。

ブログに関しては もう一つ。
特定施設のケアプランについて…。
全国マイケアプラン・ネットワークのブログを見て戴ければと思う。
この話も以前から考えていた事で 同じように考えている人がそばにいたのだなぁと思った。
そのうちお会いする事もあるので 話してみたい。

自分の記憶のいい加減さにうんざりと言う事もあった。
先日 仲間から 今読んでいる本を見せて戴いた。
興味のある本だったので 書名と出版社を伺っていた。
今日 思い出してネットを検索していたが ヒットして来ない。
「?」と思って 仲間にメールで確かめた。
出版社名は間違いなかったのだが 書名が違っていた。


検索でヒットした中にその本が有ったのに 自分の記憶が正しいと信じてしまって 新しい本なのにどうしてヒットしないのだろうと思っていた。
頭が固くなっている証拠だわ♪


2008年10月10日(金) あたまが痛いなぁ〜


秋晴れの良い天気。
気温も上がるという予想に 何を着ようかと迷った。

今日は 隣の街の介護家族さん宅を訪問予定がある。
お話を聞かせて戴くだけなのだけれど…。

訪問時間が決まっているので 予定より 一本早めの電車を利用する事にした。

ご家族は少し鬱状態で ご自身の体調も含めて いろんな問題を抱えておいでだった。
お話を伺い 困っている事の中で解決できそうな部分での地域の情報を改めて資料で送らせて戴く事にした。

帰路同行した方と昼食をして別れた。
その足で母のところに立ち寄った。

ちょうど トイレ誘導中だったのでバトンタッチ。
少し 緩めのものが出た。
後で 職員から大量排泄があったということの報告を受けた。
そんな訳で「乳製品の解禁は延期」のお願いをした。
先日よりは 改善されてきているようなので もう少し様子見しておこうと思う。

おやつの介助時 時折拒否が見られた。
機嫌は悪くないようだし 熱もない。
お腹が落ち着かなくて食べたくなかったのだろう。
それでも 全量摂取できて水分もとれた。
持込のものまで飲食させる事は避けた。

「外に出る?」と聞いてもどうも出たくないようだ。
でも室内なら良いという返事だったので 室内を歩いた。
足取りも軽い。
居室のお掃除の時には 椅子に座って貰っていたが 掃除機が近づくと
足を上げてくれた。
この所 足の痛みでそういうアクションは起こさなかったので 痛みも大分改善されてきたのだろう。

夕食近くになったので 遅れている振込みもあるので施設を後にした。

世界的に経済が悪化しているというのが連日のニュース。
お金があるなしに関わらず 経済が混乱しそうな気配。
大恐慌という話も出てきた。
それも5年くらい続くなんて ラジオで言っていたなぁ〜。
消費を控えれば 余計経済が冷え込むともいわれている。
一体何を絞って 何を緩めればいいのか…。


2008年10月09日(木) 冷や汗


イヴェントの準備で会議ふたつ。
開催日が近くなってきているので 細かい打ち合わせや抜けているところがないか みんなで考える。
大分 形が整ってきた。

介護者発というイヴェントのため 介護者の視点がどうしても必要でお互い あれこれ調整しながら…である。
皆さん 良く時間を作ってくださるなぁ〜とつくづく感じる。

夜 地域のネットワークの会議があった。
これからの取り組みについて また先日のイヴェントの振り返り等が議題である。
それぞれの立場から意見を述べる。
地域の方が 認知症の見識が新たになったという心強い言葉を頂き嬉しかった。
介護者の声に耳を傾けて貰えてありがたかった。

会のメンバーに 介護者のイヴェントのチラシを配らせて戴く。
その折にも イヴェントのことを話す機会を戴き嬉しかった。
更に 精神科医が(大きな有名病院)「病院に掲示しますよ」と申し出て下さった。
それも 感謝だった。

地域の事業所の方も「大きな集まりがあるのでその時にチラシまけますよ」と言って下さった。

会議が終わっての帰路 事業所の方に送って戴く。
「はなさん 家族の理解があるからできるのね」と言われて…冷や汗。
理解というよりも「しょうがないね」と思っているだろうし…。
家事の後回しで 大変な状態。
理解というより「我慢を強いているんだもの…」

今朝 娘が言っていた。
「もう それぞれ自分でやれるのだから 家の事は気にすることはないよ」

母の介護が発端で いろんな事を学ばせて貰ったと思う。
母や家族に還元できているのかな?


2008年10月08日(水) 一番先にキャッチしたのは…


リハの日なので お弁当を作って母のところへ出かけた。
昼食前に着いた。
職員が排泄のお手当てをするところだったので こちらに任せて戴いた。

トイレ誘導の時には 少し嫌がった。
失敗が判っているのである。
「大丈夫 お任せを!」と胸を叩いて見せるけれど 不安げな表情は消えなかった。
汚れたものを人に任すことが申し訳ないという気持ちなのだという事が伝わってくる。
だからこそ 一緒にいる時には 早め早めの誘導を心がけている。

今日は 超緩め。粘液だった。
ちゃっとパットを取り除いて ペーパーで拭き取り 洗浄 拭き取り 洗浄 拭き取りを繰り返した。
その間も「大丈夫」を繰り返して伝えて…。
あらかた綺麗になった頃 母が腕を撫でてくれた。
母に出来る感謝の気持ちを表しているのだろう。
暫く お腹をマッサージして残りも出して貰って終了。

手洗いをしっかりしていたら 更に手を洗い流すように自力で水道の水に手を伸ばして流していた。久しぶりの場面である。

「トイレの後片付けをしている間待っててね」と椅子に座ってもらう。
立ち上がることもせずに おとなしく座って待っていてくれた。

それから 昼食。
他の方は 食事も中盤に入っていた。
母の介助をしながら 私も食べた。
お腹が落ち着くまでは 食べる速度もゆっくりだったが 暫くするといつものペースになった。
いつもより遅れて食事を始めたが ゆとりのある時間に終了。

お腹は下る事が多くなっているが マグは服用していないという。
乳製品は中止してもらう。

リハビリはいつも通リ。
落ち着いて受けていたが そのうちzzzz。
リハが済んでもzzzz。

その間に 他の方の居室でアロマを焚き 母の居室でもアロマ。
職員が「ホッとします」と話された。

目覚めた後トイレ誘導した。
その後 室内歩行。
母が歩いているのをみて「私も…」という方がいらしたので 車椅子を押して差し上げた。

おやつまで 秋の歌メドレー。
♪むらのちんじゅのかみさまの…♪と唄いだすと こちらが歌詞に詰まっても入所者の方の方が補ってくれた。
母と唄う時にも お互いに補って唄っていたことを思い出した。

三時ごろ「地震」と入所者の方が言われた。
職員も私も感じていなかった。
でも 言われて天井から下がっているモビールを見ると揺れている。
風も入っていないし エアコンも入っていない。

暫くして テレビに速報が流れた。
やはり地震だった。
「小さな揺れでもキャッチできて凄いわね。教えてくれてありがとう」とお礼を伝えると「私 地震直ぐわかるのよ」と得意そうに話された。

おやつを食べ終え 母に笑顔が戻ってきた頃にそうっと施設を後にした。

夕方から打ち合わせがあるので 会場に向かう。
先日のイヴェントのことと今後の予定の打ち合わせ。

ちょうど会場に向かいだす時に雨が降り出し チャリは駅に止めて家に戻り 洗濯物を取り込んでから向かった。
帰る時には 雨も止んだのでバスに乗って駅に戻ってチャリに乗って帰宅。
雨に振り回された一日となってしまった。


2008年10月07日(火) 介護者の会


 今日は 介護者の会だった。
それぞれの思いを語り合った。

介護の背景は それぞれ異なり みかけは同じように見えても 根底では違っている事がある。
背景部分を話せる人と話せない人がいる。
でも考えてみると 皆さん 心配いらない場所と判ってくるとその背景まで語れるようになってくる。
それが とても不思議。
みんなで支えあえる場所である。

今日は 独り暮らしになられた方と誘い合って夕食を共にした。
「ショート利用しているので 今日は参加したい」という方もいらした。
介護者の会とは また違った感覚でおしゃべりも弾む。
考えてみると 会で高齢者介護なさっている方 一人っ子の親がおおいかな?
今度 よく調べてみよう。

日記の更新をしたりしていたら メールが入っていた。
「ガイヤの夜明けを見て」というもの。
気がついたのが ついさっき。
番組表をみて 時間をみたら既に終わったあとだった。
残念。


2008年10月06日(月) おめでとう♪


朝 古くからの友人から電話。
遠距離介護なさっている。
認知症ではないのだが 老々介護。
介護保険利用ができて ヘルパー利用も始まり ようやく環境が整ったと安堵していたら ヘルパーさんが事故にあわれて欠員。
ヘルパーさんなら誰でも良いという状況ではなくて 頭を抱えていらした。

訪問活動をしていて感じるが 家の中に見知らぬ人に入って貰うって 結構緊張するものである。
勿論 訪問する人も 緊張するのだけれど…。
でも 訪問する者は 元気なのだから そこは利用者さんの緊張を想像してあげるのがベストなんだろうなぁ〜。

友人は 親が白旗をあげるまで静観するしかないかなぁ〜って話していた。

銀行の用事があって 早目に家を出たが アクシデントがあって 銀行周りは午後に廻すことにして 母のところに出かけた。
昼食が始まっていて 職員からバトンタッチ。
母は 超ご機嫌。
向かいで食事なさっている仲間の顔を見て あははと笑ったりだった。
笑う口の時には 口も大きく開くし…。
順調に食事が進んだ。

食後歯磨きとトイレ誘導。
これも順調。
雨も上がったので お散歩に繰り出した。

歩きも安定していた。
母の気持ちも前向きで「歩ける」という返事だった。
それでも 夏の頃のことを考えて 途中2度程腰を下ろして休んだ。

気がつくと近所にケーキ屋さんが出来ていた。
普段通らないので気がつかなかった。
店先で眺めていたら 中から声を掛けられて椅子まで出してくださり 試食も薦められた。
母もニコニコ。
プリンを1個購入。

聞いたら 8月に開店したそうだ。
お散歩の楽しみが増えた。

お花屋さんの店先で秋の草花をみていたら にちにち草を見て「ほら」と母が指差した。「にちにち草ね」というと頷いていた。
昔 母が教えてくれたのに…と 歩んできた道をふと思った。

疲労も見せずに施設に着いたが 実際は疲れたようにドカッと椅子に腰をおろした。
でも後で気がついたのだが トイレ誘導が遅れたからあんな風な座り方をしていたのだった。
母の体調が良いと ついつい対応が遅れてしまうなぁ〜。

おやつの時間となったので そうっと施設を後にした。
用を済ませて 夕食の支度をして パソコンを開いたら 友人から嬉しいメールが届いていた。

「ばあちゃんになった」と。
おじいちゃんが 孫を産湯に浸からせる為 帰宅が早い…ともあった。
湯気の出ているじいさんばあさんの笑顔が見えるようだった。
年齢的には 後輩なのだけれど…一足も二足も早く じいさんばあさんなんだなぁ〜。
お孫さんが 彼女の元気の元になっていくだろう。
若い若いおばちゃん達もいて 賑やかなことだろう。
1日の終わりに 嬉しいメールだった。


2008年10月05日(日) 映画館へ


「おくりびとを観にいくぞ」と夫が言ったのは金曜日。
何処の映画館で何時から上映しているかを調べるのは 妻の役目。

そして 今日 二人で出かけた。

母の所に出かける日だけれど…。
夫から「でかけるぞ」と言い出すことは 滅多にない。
こちらが誘っても 大抵の場合「独りでいっておいで」とのたまう。
そんな訳で 夫の誘いを優先させた。
それ位は 母も 許してくれるだろう。

映画の中身はともかく 納棺士という仕事って何時頃生まれたのだろうか?
身内での葬儀に幾度か立ち会ったり それとなく聞いたこともあり この10年近くの間にいろいろな事を知った。

亡くなった方に化粧を施したりすることも最近多くなった。
職業としていうよりも家族等が行うと認識している。

以前 美容学校の教授からもお話を伺ったことがあるし 施設で亡くなった方も職員が化粧をして差し上げていた。

父の時には 頭髪を整えたのは私。
葬儀でお見送りにいらしてくださる方に恥ずかしくないように…と櫛で梳かした覚えがある。
体の清拭は 既に病院で 葬儀屋さんがしてくださっていた。

昔 母の友人のご主人が亡くなった時には 奥様と息子さんが 自宅のお風呂に入れて綺麗に洗って差し上げたと聞いたことがある。

だから そういった順序があることは ある程度 知っていた。

映画をみながら 幾度か涙が零れた。

伊丹監督のお葬式は身内からの視点。
おくりびとは 立ち会う業者の視点だった。

いずれにしても 人を見送る時には 穏やかな気持ちで温かくお見送りできればいいなと思った。

さて夫は どう見てたのだろう?
まだ 感想は聞いていない。
でも「納棺士って必要だよな」っていってたなぁ〜。
そのことに返事はしていない。


2008年10月04日(土) 涼しくなると…


秋晴れの良いお天気だった。
今日は 地域で認知症のイヴェントが行われた。
地域で実際に起きた事例を 地域の方で演じた。

認知症の方への話しかけは 皆さん敬遠がちである。
どうやって話しかけてよいか判らないというのが 正直のところだろう。
認知症になって 心まで変わってしまう訳ではないので 普通の人と変わるものではないのだが…。
記憶が繋がらないという障害と少しの変化に不安を抱くということを理解戴ければ 気持ちも楽になると思う。

そんなことを願いながら イヴェントに取り組んだ。
地域の方の参加を戴いて サポーター養成講座が開かれた。
講座の特別演目に 地域の方の演劇があった。
独り暮らしの認知症の方の設定。
団地で暮す認知症の方に起き易い場面等が演じられた。

参加者が頷いている姿が見かけられた。

講座終了後 徘徊ネットワークの演技。
認知症の人に受け容れてもらえる話し方を見て頂いた。

実は 徘徊ネットワークの時の認知症を演じさせて戴いた。
高齢者の徘徊の時に よく見かける服装をして演じた。

衣装は 母のものを借用。
勿論 演じた後に 理解を得るために極端な服装をしたけれど 必ずみんながそうではなく きちんとした服装の方もいる事は説明させて貰った。

会の仲間も演じたし また会場まで 足を運んで参加くださったかたもいらした。縁の下の力持ちがあればこそ…なのである。

イヴェントが終わって家に着いたら 誰もいない筈の家の窓が開いていて驚いた。
娘 休日出勤の予定だったが 疲れ果ててのびていた。
先月の残業時間が170時間だったというから それでも良いかと思った。
メールチェックしたら 返事が返ってきていないので出かけても無駄足と判断したのだそうだ。
宅配が来たようだが それにも出ていなかったみたいだ。

再配達を依頼して届いた荷物は 北海道の友人からだった。
ジャガイモ数種類 大根数種類 サラダかぼちゃ 坊ちゃんかぼちゃ 赤いブロッコリー 百合根等が入ってた。
珍しい品は きっと道の駅めぐりで集めてくれた筈。
これから 順繰りに楽しんで調理してみようと思っている。

そうそう 珍しい事に 娘 夕食の支度をしてくれていた。
チャプチエと特製の味噌汁。
スーパーで ホタテを購入してきたのでそれを焼いて 後は残り物のひじきの煮つけや煮豆等で夕食となった。

珍しく 新鮮な生イカが安く出ていたので購入した。 
ついさっき 塩辛も仕込んだ。
秋は キッチンでの作業が楽しい。涼しさのせいかな 食べ物のせいかな?


2008年10月03日(金) お散歩日和


 お昼めがけて母のところに出かけた。
母の食事は 後ちょっとで終わるところだった。
職員からバトンタッチして 食事介助。
持参のお弁当を一緒に食べた。
母は汁椀に手を伸ばして自分で飲んでいた。

食後トイレ誘導し歯磨き。

そして身支度を整えてお散歩に出た。
程よい気温で風もあり お散歩には持って来いの日だった。

腕を組んでみたりしながら歩く。
バスに乗ろうかと思ったが 母がイマイチの顔になったので 少し休息。
「歩く?」と聞くと「歩く」というので どんぐりがいっぱい転がっている公園までテクテク。
どんぐりを見て「あれは?」と聞くので♪どんぐりころころ…♪と唄うと頷いていた。公園のベンチに腰を下ろしてひと休み。
それから 農家の野菜スタンドまで歩いた。
そこでゴマ柿を買おうと思ってお財布をみたら 小銭がなくてオタオタ。
すると 農家の方が出て見えて両替してくださり 購入できた。
「いいお天気で お出かけも気持ちいいですね」と母に声をかけてくださった。母 ニコニコ頷いていた。

それから 田んぼ沿いに彼岸花を見ながら歩いた。
ふと見たら 稲刈りをしていた。
わぁ〜もう そんな季節かぁ〜。
確かに 稲穂は垂れて黄金色だわ♪
アッそうか 我が家はもう新米を食べたんだったなぁ〜。

稲刈りは 手作業だった。
左手で稲を持ってサクッと鎌で切り 田んぼに置いて行き ある程度束が溜まると それを稲でまとめていた。
懐かしい景色である。
耕作面積が狭いから そうやっているのだろう。

幼い頃 稲穂を干している時までは 田んぼに入らなかったが 脱穀の済んだ田んぼで追いかけっこをして遊んだ記憶がある。
刈り入れた後の田んぼは 根っこが残っていて転ばないようにして遊んだものである。
走るたびに 足元からバッタが飛び跳ねていたなぁ〜。

母は 人が作業しているのをみるのが嫌みたいだったので 長居せずにテクテク。その足で ファミレスに入った。
久しぶりに アイスとプリン。
食事の時より 大きな口を開けて にっこりしながら食べていた。
飲み物も十分飲んだ。
トイレ誘導してから店を出た。
お次は 小山のある公園へ向かう。
この山も夏の間は 足の痛みもあって敬遠していた。
今日は 母が積極的に登った。
公園のそばを歩いている方が 私たちの「オイッチ二ッ!」の声に振り向かれて 微笑んでいた。
頂上で「頑張ったねぇ〜」といったら 大きく頷いていた。
それから下り坂…。これも傾きも少なく下りられた。
怖がる様子もなかったので 足の調子がいいのだろうと感じた。

施設に戻っても酷く疲れた風なことはなかった。

トイレ誘導して 手洗いを済ませて ホールに移動した。
落ち着いた感じなので そうっと施設を後にした。

久しぶりに長いお散歩が出来た。
入所したての頃と比べれば 3分の1も歩いていないのだが 最近では結構歩いた方だ。
10月いっぱい位は お天気ならお散歩日和になるだろう。


2008年10月02日(木) 施設見学

青空が広がったので 湿ってる洗濯物をベランダに出し うずら豆を煮ながら 洗濯機を2回廻す。
お天気だと気持ちも弾む。

豆も煮えて 洗濯を終えて お隣の街の施設に見学の問い合わせをした。いつでも対応してくださるというので 介護仲間と出かけることに。

介護仲間が「自転車で行く元気がある?」というので 自転車で出かけた。
その施設は山を登ったところにあり 結構大変だろう事は想像できた。

特養と高齢者専用賃貸住宅と小規模多機能型居宅とデイサービスと診療所があるという所。

地域外で利用できるのは高専賃とデイサービスのみ。
行政が提携を結んでいる地域からの受け入れ態勢があるので 該当する地区からの受け入れは可能だ。
我地域は 提携してないので高専賃とデイサービスのみのようだった。

外部サービス利用と聞いたので 伺ってみたら系列の施設の外部サービス利用対応という事だった。
高専賃からデイサービス利用が出来るということだ。

新しい施設なので 福祉機器も最新。
車椅子ごと浴槽に入れて 個浴できるタイプものがあった。
建物全体にゆとりがあり 廊下も広い。

それぞれの担当の方から 説明戴いた。
説明の仕方も 判りやすく素人にもわかるお話の仕方をして下さった。
出来て間もないので 定員に達していないので 利用できそうだった。

庭には 足浴ができる所があり曜日を決めて一般にも開放していた。
またビオトープもあった。

実は 母の施設から自転車で10分足らずでいける場所である。
これで小規模多機能施設が利用できるなら 申し込みたいところである。我地域には この施設がないのだ。
非常に羨ましく思った。

帰路 仲間と昼食を摂って 別れた。
その後 別の隣の街まで自転車を飛ばした。
園芸店に行って見ようと思ったのだった。
けれど あった場所に園芸店がなかった。
廃業したようだった。
空戻りするしかなかった。残念!

締め切り間近の依頼もないので 今日は ゆっくりとコロッケを作った。
久しぶりのことである。

洗濯物もからりと乾いて…気持ちが良い。


2008年10月01日(水) 晴れた それっ お散歩だぁ!


リハビリの日なので 昼食を持参して母のところに出かけた。
曇り日だけれど 何時雨が降り出してもおかしくない雲行き。
でも 晴れを半分信じて 洗濯物を外に一部出して 自転車で出かけた。

昼食も 哀しいかなおにぎり2個。
母はソファーに座ってた。
「ここよ」と言うように手を上げていた。
と言う事は 自分の所に来た人だと判っているのだ。

直ぐに昼食となった。
今日は クリームスパゲティーとインゲンの煮物となすの煮物とかぼちゃサラダ。
結構 重い感じの昼食だった。
おにぎりと交換してあげようかと思ったが こちらもちょっと胃が重いので トレードはやめた。

それでも 全量食べ終えたのでホッとした。

昼食後 トイレ誘導 大小排出。
トイレに入っているとまじまじとこちらを見つめる。
「トイレで出来て良かったね」というとゆっくりと頷く。
「いつも心配?」と聞くとやっぱり頷く。

右側の腰の辺りが赤くなっていた。
以前赤くなったところも完全には治りきっていないのだが 別のところが更に赤くなっていた。
右下にして寝ているせいだろうか それともオムツが合わないのかなぁ〜。夜間の体位交換って 職員には負担なのかなぁ〜。

「今朝 少し痛がりましたが 徐々に改善されました。ソファーに座っていると食卓の椅子よりも 立ち上がるのが大変そうです」と職員が話してくれた。
以前から気がついていた。
でも ソファーからの立ち上がる時 掛け声をかけ介助すると 母自身が足腰に力を入れて立ち上がろうとするので 自発的な力を引き出した方が良いだろうと思っていたので 特に報告していなかった。

その後 歯磨きをした。
今日は すすぎの水を吐き出さずに 3回ともごくりと飲んでしまった。
研磨剤は使っていないので まいいかぁ〜って所である。

リハ後 再度トイレ誘導し お散歩に出た。
お散歩の足取りは良かった。片手介助を望んだ母だったので 希望を叶えた。
でも 途中で周囲の景色に見とれている時 一瞬バランスを崩した。
ヒヤッとしたけれど 大きく崩れる事はなかった。
その時 母が「ごめん」と言った。

母の言葉は 何を意味しているのか判らない事が多く 室内では殆ど頷くか首を振るだけだったのに…。
適切な言葉を使えるのに驚いた。

「戻ろうか?」と聞くと首を横に振る。
「歩けるの?」と聞くと頷く。

そんな訳で いつものドラックストアの前までテクテク。
「座ろうか?」と聞くと「そういうこと」と言うので 腰より低い感じの石垣に腰を下ろして休息。
少し休んで 歩き出してコンビニに立ち寄って買い物をした。

施設近くになってきたらホッとしたような表情になった。
適度の運動量だったのだろう。

久しぶりのお散歩だった。
歩く距離は 少しずつ短くなっているけれど 歩きたい限りお散歩続けようと思う。

今は コスモスが見ごろ。
「コスモス」とは言えないし「綺麗」とも言えない。
でも「コスモスだね」と聞けば 視線をコスモスに移して 頷く。
まだ キャッチしているのだと感じられて…嬉しい。

夕方から 集まりがあるので おやつ後暫くして 施設を後にした。

今日の集まりは 週末に行う 素人劇団の演劇付き認知症サポーター養成講座の最終練習日。
これまで 地域の方と一緒にあれこれと練習してきた。
認知症になった方と接した事もない人が 一緒に学んで考えてきた。
後半になって 大学生の協力も得られるようになった。

徘徊ネットワークでは 警察の方の協力も得て行う。
数年前と比べると 警察の協力体制も大きく変化してきていると思う。

でも 認知症の介護の地域の環境は まだまだと感じている。


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