母のタイムスリップ日記
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2007年03月31日(土) ♪ハッピッ バァスデイ ハッピッ バァスデイ♪


昨日 ギブスから開放された利用者さん。
先週の内に 金曜日か土曜日と言う希望だったが 土曜日にして欲しい希望されたと事業所から連絡があった。

訪問すると「ギブスが取れて清々しています」と言われた。
今日は 入浴介助+いつもの活動である。
洗濯機を回して 浴室を流して湯船にお湯を貯めた。
お湯が溜まったので 入浴。
「何となく恥ずかしいです」と言われた。
「お気持ちわかります。私は母の入浴も介助しますが 慣れるまでは母も恥ずかしそうでしたよ」と言うと「お母さんも入浴させているんですねぇ。じゃ 娘に洗ってもらうつもりになります」と言われた。

片足を使わない入浴なので危険のないように 手すりの掴まり方を誘導。
何とか浴槽に浸かった。
その間に 掃除機を掛けた。
途中 声をお掛けすると「凄いあか」と言われた。
浴槽でギブスをつけていた足を擦られたのだ。
「ひと月 ギブスをつけていたのですものね。痒くないですか?」
「痒くならなかったわ」という事だ。夏じゃなくて良かったです♪

その後 浴室で身体を洗いシャンプーとをして差し上げた。

もう少しと言う所だが あまり急激も良くないので 今日はこれまで。
お掃除の続きをして その後洗濯物を干した。

それから 浴室の掃除とキッチンの洗い物をした。
先週 ササッと浴室のカビとりをしたが 特に作業内容までお伝えしなかったが「浴室綺麗と思ったらお掃除してくださったのですね」と言われた。
今日もついでに出来る所までお掃除。

今日の活動は 1時間半。

急いで 家に戻ってお昼を食べて 母の所に向かう。
お薬を頂き早々に施設を後にした。
バスに乗って 途中銀行やスーパーに寄ってお買い物をした。

母の機嫌は悪くなかった。
時々「あっちに行く」と言い出す。
大概の場合 人とすれ違う時にそう言い出すことが多かった。
人とすれ違う時 何か感じるのだろう。

家に着いて 早速おやつ。
お皿に和菓子と文旦を置くとせっせと自分で食べ始めた。
お茶は自力と言う訳には行かなくて 2杯たっぷりを介助。

小さなぬいぐるみを出して テーブルの上で遊んでもらう。
ぬいぐるみを座らせようとするが 直ぐにひっくり返してしまい 「あはは」と笑い出す。
楽しいならそれでよい。一人で笑っているので 時に笑いのお相伴。

夕刻になり お腹が空いてきたようだ。
「お腹すいた?」と聞くと「お腹空いたよ」と言う。
急いで作るね。とキッチンに立って仕事。

最近 娘から貰った坂本龍一のCDをかけたり ソプラノ歌手の「千の風にのって」をかけたり...。
母は 千の風より 坂本龍一の音楽の方がのったみたいだ。

みんなを待ったが なかなか帰宅しないので 母だけ早めに食事。
母は ニコニコしながら次々食べていく。
ほんとにニコニコしながら。
暖かいものを美味しそうに...。炊き立てのご飯を美味しそうに...。

結局1時間経過せずに 施設の食べる量より多く摂取できた。
食後は またお茶をたっぷり。

今日のご飯は 赤米のご飯。
お刺身。豆乳鍋。昆布と打ち豆と豚肉の煮物。

食事が済んだ頃 娘が帰宅して 母もおなじテーブルで見守り。
その間中 ずっとニコニコ。
おしゃべりも多かった。
やはり 施設外だと言葉が良く出る。

一息いれてから アイスクリームをあげた。
鍋で身体もホカホカしたのかカーディガンのボタンを外して自力で脱いでいた。出来るじゃん!やるじゃん!

暫くすると 目がとろりとしてきて今日は眠そう。
トイレ誘導後 入浴。
拒否は全くなく気持ち良さそうだった。
身体も洗って 歯を磨き 2階に上がって就寝。
今日は 階段を上る時ギョッとしていたが スルスルと上れた。
勿論 介助してですが...。

眠る時 ふと思いついて「たらこ」の抱き枕を隣においてみた。
たらこの突き出たほっぺを掴むように寝入ってしまった。
「たらこ」の抱き枕は娘の物だが 感触がとてもよいのだ。
と言う訳で 母は今 zzzz。

今日は施設でも 皆さんから「おめでとう」と言われて 私も娘も10回以上「おめでとう」を連発。
その度にニコニコしていた。


2007年03月30日(金) それにしてもなぁ〜


 疲れている訳でもないと思うが いろんな事に尖った思いがして我ながら嫌な感じ。

だから 日記を書くのに躊躇いが出てしまう。

施設に着いた時 母はおやつを食べていた。
フロアには 職員の姿はない。
湯飲みも引き上げられているようだった。
他の方は もう 済んでしまわれたのだろう。
テーブルには 母のおやつののった皿だけがポツンとあった。

母の表情が 何となく冴えない。
機嫌が悪い訳のでは ない。

母の傍に行った時 その訳が判った。
食べかけのおやつを置いてトイレに誘導した。
母は安心したような表情になった。
緩いので出てしまったのだろう。
お腹もキュルキュルして忙しそうだ。
ミルクを入れた珈琲でも飲んだのだろうか。
一昨日排便があったというが 職員が対応したので状況が見えない。
でも便秘でない時に飲むと緩くなるのは必須と伝えてあるんだけれど...。
自費で購入している洗浄剤で綺麗に拭き取った。
居室に臭いが篭もってしまったので 2方向の窓を全開した。
母は 寒いという。
上着を着せて寒さ対策。
そういえば さっきから鼻水を出している。
ティッシュを出して鼻をかんでもらった。

それでも まだ 臭うので アロマオイルをたいた。
居室の埃が気になり 雑巾で拭きまわる。
ついでにトイレ掃除。
トイレのドア付近の壁が茶色の汚れが目に付いた。
あれれ 何時汚れたんだろう?
そこも綺麗に拭いて置く。

その後 怒鳴れている入所者を母の居室に招いて 桜並木を一緒に眺めた。
ある人に話しかけるとその人が機嫌が悪くなる。
バックを広げたと言っては怒る。
椅子のカバーを外したと言っては また怒る。
トイレに入っている母もその声でビクッとしてしまう。
「大丈夫だよ」と耳元で幾度も囁いた。
職員も聞いている筈だが ノーリアクション。

職員は 話の出来る人が話しかけるとその人には返事する。
ちなみに 認知症の人への話しかけは 指示言葉が多い。
つまるところ 食事 トイレ等の用事で話しかけかな?

認知症の人だって 話しかける回数が増えると言葉も出てくるし 漂う不安感だって改善されると思うのだが...。
どうにも逆を行っているように感じる。
家でも 話す話題がなくなって困ることもあったが 話し易い話題って在るだろうになぁ〜。

 ...今日は愚痴っぽいなぁ...

結局 何をやっても臭うので 再度母の傍に行ってみた。
再度...。
いやぁ〜 一緒にいてあれこれとしている場合じゃなかったかも。
またまた 緩めである。
暫くトイレに座って貰った。

仲間が居室を出て行ったあと 母に野菜ジュースとラムネ菓子と水を飲んでもらった。
水分が排出されているので その分補給しておかないと...。
足の浮腫みもちょっと気になるし...。

そのうちに「〇さん ご飯ですよ」と入所者に声をかけている声が聴こえたのでホールに移動。
4時40分だった。

母の食事が始まったので母の居室の押入れを整理した。
母の洗濯物は 冬の間は家に持ち帰りが多い。
ウールだけは 持ち帰って洗うつもりでいたけれど どうも上着の殆どが持ち帰り状態となってしまっている。
 
そろそろ帰ろうかと思って 母の様子を見ると他の方はほぼ食べ終えているのに母は半分も食べていない。
其れから食介。
食べ終える頃に くしゃみが出た。
これが なかなか止まらない。
食器を下げに見えた職員に口の中の食べかすが飛んだ。
サッと払う職員。
母は 手を当てるのだが 離してからまたくしゃみなのである。

いつも 食後の口漱ぎ等しないので アチコチに飛び散っていても 殆ど放置状態なのに 自分にかかるとやっぱ違うみたいだ。

なんだかなぁ〜と思うことしきりである。
その上 飲みかけのお茶まで片付けられそうになって 慌てて茶碗を貰った。水分が必要なのに...。

いつも こうなのではないが こういう場面を見てしまうと母を託しておく事が申し訳ないような後ろめたい気持ちになってしまう。
明日が活動日でなかったら 家に連れ帰っていただろう。
明日は 母の誕生日なのだから...。

と こんな具合に悶々とした1日となってしまった。
おそらく 今日連れて帰れない自分が嫌で 気持ちが尖がっていたのかも知れない。

帰路 スーパーで買い物をして 店の外に出たら空は真っ暗。
見上げれば さくらの花。

そうか このさくらを見せるために 施設に遅くまで留まらせてくれたのか。夜桜見物と言うほどでもないが それでも見上げれば 藍色の空に白いさくらが 浮かんで見えた。


2007年03月29日(木) お花見


 暖かな1日で さくらのはなが一気に開いた。
ふわぁ〜とした白っぽいピンクの花が枝先に広がった。
青い空 灰色の空 群青色の空 それぞれの空の下にさくらが好き♪
でも 今年はどういう訳か「夜桜が見たい」と思いが募っている。
行く機会は作り出すものだけれど 叶えられるかな?

昼前に畑に出向いて 残り半分を掘り起こして肥料を撒いた。
先に耕した所に ニラとヤーコンを埋めた。
いよいよ 種まきが始まる。
三角形の畑を 効率よく使うにはどうすれば良いのか思案は続く。

母を連れてくるとしたらベンチが必要になるなぁ〜。
ベンチ何処に置こうかなぁ〜。
花が好きな母だから 何処かに花も植えたいなぁ〜。
汗拭きタイムに そんなことを考えた。

来週には 施設の入所者と温泉まで出かける。
これまでは あまり心配しなかったが 最近の母を温泉に連れて行くことに少し不安を覚える。

毎年 施設のみんなとお花見をしていたので「何故この時期に温泉?」と感じていた。
「今年のお花見は?」とお聞きしたら「これまでのような取組みはしない」という事だった。全体的に重症化しているので そうなったのだろうか?
個人的には 家族も交えたお花見は 必要と感じているし 重度化しているからこそ外に連れ出して上げたいと思う。
まだまだお元気な方もおいでで 外出の機会がどんどん少なくなって来ているので とっても残念に感じる。

施設の意向で動き始めているように感じる。
「お手伝いさせて貰うから 例年並みでなくとも お花見しましょうよ」と伝えるのが精一杯。

最近の施設 ちょっと逆戻りしているように感じている。


2007年03月28日(水) 何処にぶつかったの?


 昼食に間に合うように出かけて食事介助。
最近 右手に箸を持ちながら左手で食べ物を持つ事が多い。
箸が使えない状態ではない。
ご飯はちゃんと箸で食べられるのだ。

食後 歯磨きをして トイレ誘導。
その後 リハ体制に入って待った。
今日は 左傾きが強い。
療法士さんに伝えて 対処して頂く。

母は筋肉を解してもらっている間に寝入ってしまった。
療法士さんが帰られてもぐっすりだった。

そこで 爪が伸びていた入所者に爪切りを渡して自分で切って貰った。
最初は怪訝な表情をなさったが「爪が伸びていると思わぬ怪我をしてしまう事があるから切ってみませんか?」と伝えると「そうね」と言って切り始めた。最初の一歩は「危ないかな」と思った。
でも自分の指だから痛いかどうかはある程度判るだろうと思った。
切っている間は 傍で見守り。
爪切りは 施設の物をお借りした。
少しギザギザになったので 鑢を渡した。
鑢を渡すと「?」だったので右手に鑢をかけてあげたら 左手は自分で掛けられ「すべすべとするわね」と話された。
わたしにも「ありがとう♪」と言ってくれたけれど 職員の所に行っても「ありがとう♪」とお礼を言われていた。
おそらく ちょっと時間が経過すると誰が何をしてくれたかという事までの
記憶が消えてしまわれるのだろう。
ひとつの経験でホッとなさって みんなを信頼されていかれるなら これに越した事はないのだから...。
安心できる環境作りが一番である。

その後頭皮マッサージをして髪の毛を梳かして編みこみをしてあげようと思ったら「髪の毛が引きつられて痛い」といわれたので 編みこみは取りやめて左右の髪を束ねてそれを後ろにまた束ねた。
それも気に入ってくださった。

母が目覚めたので起してあげたら...。
「お腹を何処かにぶつけたみたいだ」と言う。
この言葉にピンと来た。
きっと腹痛があるのだと思ったのだ。
「あら 何処にぶつけたんでしょう?痛いの?」と聞くと頷いた。
トイレに誘導した。

その後 持参した伊予柑を食べてもらう。
美味しそうに食べていた。
ちょっと水分補給もした。
伊予柑の食べかすを処理するため母の傍を離れたら「帰るの?」と聞かれた。 判ってないようで判っていると思う瞬間である。
母の記憶に残る感覚が 何か食べた後は決まって帰るといううパターンなんだろうな。
確かに そういう事が多いかも...。母の記憶は正しい。
ホールに出てソファーに座ってもらう。

認知所のない方が さっき頭を梳かしている様子を見入っていたので その方の頭も梳かして差し上げた。
出来る限り平等に...。

今日は 夕方から会議があるので 早めに施設を後にした。

電車に乗って会議の場所に向かった。
宿題もメールで添付して送ってあったので 資料となって出ていた。
作った時はしっかりイメージできていたのに 説明と言われて 思うように話せなかった。そういう事に慣れて居ないんだなぁ。
大まかな方向性が出てきて良かった。

今日の会議は長くて 買い物をして家に戻ったのは 8時半近かった。
お米を研いでタイマーを入れて出かけて正解だった。
家人の帰宅も遅いので 助かる。


2007年03月27日(火) さくら

 午前5時ごろに帰宅した夫。
「6時半には起して」と言ってキューバッタン。
時間になったので目覚まし代わりに起こしたのだけれど 起きられない。
30分後再び声をかけてようやく起きた。
若い頃は スパッと起きていた夫だが 無理が利かなくなっているなぁ〜。

 朝 ゴミ出しに出たら ご近所に住む畑の仲間にパッタリ出遭った。
「今年も作られますか?」と伺うと「今年は外れてしまったのです。手持ち無沙汰で困っています」と言われた。

そういう話を聞くと 畑を放置するのは誠に申し訳なくと思えて 畑に出かけ 肥料を撒いて 耕した。

お隣の畑は 昨年までお隣だった80歳を超えた方と判った。
「補欠当選だったので出遅れています」とせっせと草取りをなさっていた。

半分ほど耕したら左手に豆が出来てしまった。
そういえば 最初はいつもこうなんだよね。

無理は禁物なので 半分強で本日は終了。

家のベランダから見える桜の花が一分白っぽい色になっていた。
気温が高ければ やっぱり咲き出すんだなぁ〜。
これから 垂れ桜 八重桜と順繰りに桜を楽しもうっと♪

あしたはリハの日。
施設近くの桜並木 咲き始めたかな?


2007年03月26日(月) 娘の誕生日


介護仲間が集まり 会のこれからを考えた。
会に依頼された学習会が2件あり その展開についても意見交換した。
また 会のブログを立ち上げたので その方向性も意見交換した。

この会は 介護者だけが集うが 本人の参加を拒否はしない。
会には看取り終えた方もお出でになっているし ヘルパーもいる。
だから サポート体制ある。
今 いらしている方の中に若年性アルツハイマーの方が1名。

でも 地域にはひとつしかない会なので 一緒にお見えになるにはなかなか厳しいものがある。

意見交換しながら 話がアチコチに飛んだ。
おそらく 認知症の人の事や介護する人の事を心配するのは この町で一番じゃないかと思う。
仲間は 自分の家族に留まらないで 地域に暮らす人の事を考えている。
これは とても不思議である。
介護が終え「はいおしまい」となる事はない。
「どうも あの地区に未発掘の認知症の人がいるみたい。道路の渡り方や服装からそう感じる」といえば 別の人が「私もみた。きっとおなじ人だね」

近所に高齢で閉じこもりがちの人がいて おそらく病なりかけ。

それぞれの場所で 何とか生活できているからいいけれど 今 サービスに繋がった方が良いと思うんだけれど...。

なんて話もチラホラと出た。

今日の朝日新聞で さわやか福祉財団の堀田力氏が選挙に向けての意見の中に「介護経験者の活用」に触れていた。
介護者のネットワークの中でもそういう意見を耳にしたばかり。
昨日の介護仲間の集いでも同様の話が出た。

どうしてこういう話になったかと言うと 現在の施設は人が足りないとみんな感じているのである。
若い人の定着率も芳しくない。
それなら そこに介護経験者を登録制にして活用して見たらどうかと言う話なのだ。

この件に関しての提言をどういった形にするかは まだ定まっていない。

集まりの後時計と睨めっこしながら 母の所に向かった。
母は今日めでたく排泄があったという事でホッとした。
夕食介助をして家に戻った。

それから 簡単な誕生日祝いの支度。
ケーキを準備と言う訳には行かなかったが フルーツの盛り合わせを作った。夜遅く 娘と2人でお祝いをした。

夫は仕事で帰宅できなかった。


2007年03月25日(日) 知らなかったぁ〜


 朝からトッタンパッタンして家族3人で式場に向かった。
車は渋滞が怖いので避けた。
が生憎の雨降りだった。
ひとつの躓きは 呼んだタクシー。
雨が降っているのに 運転手さん バックで入らないで突っ込んできたのだった。不満げな視線を送るとバックして ようやく門前に横付けとなった。
が 先に乗り込んだ夫が 後部座席の入り口にでんと座って動かない。
ほんとは 後部に3人座れるのに...。
娘は前の座席に。 そして夫には奥に移動して貰った。
「お父さん いくら疲れているとは言っても そりゃ あんまりだわ」と言いたかったが おめでたい場所に出かけるのに難癖をつけるのもねぇ〜。
夫は 取り掛かっている仕事が気がかりで「行かなくて済むなら...」と幾度も言っていたので 気持ちに余裕がなかったのだけれど...。 

日記も更新できないほどにトタパタと準備していたのに...。
その準備も虚しく感じたのは またしても忘れ物。
前日 家族の分も含めてハンカチを5.6枚アイロン掛けしたのに...。
そのハンカチを忘れてしまった。
車に乗って直ぐに気がついたが 戻らなかった。
幸いと言うか 汚すことの多い夫のため 礼服のポケットに ハンカチを2枚
入れておいたので 余分の分を借りる事にした。
もたついていることに気がついた運転手さん 下りる時にポケットティッシを3個下さった。

式場には 夫の兄家族が先に着いていた。
早朝に高速を飛ばしてきたという事だった。
義姉はいつものごとく 太巻きを何本も作り控え室のテーブルに広げてくれていた。
故郷のお土産も持ってきてくれていた。
...。
義姉の気働きには ほんとに叶わない。
おそらくこういう事もあろうかと 前日義姉の好きな文旦を食べ易いように房に切り目を入れてタッパーに詰め準備しておいた。
だが こういう事にあまり慣れてなくて テーブルに出しそびれた。
こういう事もあろうかとその時は帰路の道すがら食べて貰えばよいと考えていた。お土産も小分けして準備していた。

式も順調に進み 義妹はパタパタと姪っ子の介添えをなさっていた。
今時の結婚式にはお仲人さんが存在しない事が多いから母親が介添え役を勤められるのだなぁ〜と時代の流れを感じた。

お色直しは花婿さんも一緒で2回。
これも時代と感じた。

さすがにひところの派手なショーを見るような演出はなかったけれど...。
姪っ子は 恩師の歌の伴奏を勤めたり 義妹の希望でピアノを弾いたりと音大出らしい演出だった。
他の所では 音大の仲間が楽器の演奏で盛り上げてくださった。

実は 娘は 姪っ子の花婿殿とは 親が知る前から出会っており 帰国する度に「おい 出て来い」と呼び出されてお仲間との交流があった。
いとこ同士とはいえ 友達みたいな関係もあった。

厳かに運ばれる式や披露宴で 普段とは違う姿に窮屈やろうなと言っていた。

披露宴も滞りなく済んで 記念撮影後 それぞれ帰路に。
その時荷物を預かっていたので 更衣室に荷物を取りに行くと少し手間取った。その間に帰路の混雑と明日からの仕事の事もあって 義兄たち遠方組みは車で帰られた。

お土産だけ頂いてお土産を渡せなかったので...この後 夫の機嫌がまた...。

行きも帰りも 気まずい空気が漂った。
こちらに住んでいる甥っ子が残って途中まで同行したのだが...。
「この事に関しては おじちゃんに味方しない!」と味方してくれ 夫の立場は微妙に悪くなった。

夫は 礼服のまま 仕事場に向かい戻ったのは深夜。
特別に忙しい時期で 気がかりがいっぱいでその分ご機嫌も悪かったということなのですが...。

娘と家に戻って疲れた胃袋(フランス料理だったので)をお茶で癒していたら...。
ラジオから「今朝の地震で...」と聴こえてきた。
「エッ地震だったんだ」ときがついてニュースに耳を傾け 大変な地震だった事を知った。
大ニュースでも やっぱり知らないままに過ぎていく事ってあるもんだなと思った。

そして 改めてニュースをじっくり聞いて被害の大きい場所は 友人夫婦のご実家のある場所だと気がついて慌ててメールで安否確認。



2007年03月24日(土) 見つかった手袋

 
 利用者さん訪問。
朝 利用者さんに電話した。
今日の訪問は都合が付き次第という事になっていた。

午前中 少し時間のゆとりが出来たので訪問が必要かお聞きした。
「ギブスは半分取れたけれど まだ 動けなくて 洗濯物が溜まっているんです」というので訪問する事にした。

直ぐに洗濯機を回してお掃除に取り掛かると「はなさん 先日手袋忘れませんでしたか?」と聞かれた。
「あ〜ここだったのか」とホッとした。
値段は高いものではないけれど ゆっくりペースの母のお散歩には 皮の手袋は必須アイテム。
紛失したと気がついたが 何処でなくしたのかさっぱり検討もつかなかった。諦めて 新しい物を購入しようと思いお店を見て廻ったが もう皮の手袋は何処にも売っていなくて 次の冬の到来にはバーゲンまで待たないで購入しなくちゃなんだなと凹んでいたのだった。

見つかって良かったが自分の記憶の曖昧さに年を感じた。

活動を終えて 家に戻り畑に出かけて草取りをして石灰をまいた。
今回の菜園は三角形。使い方が微妙になる。
良く考えて3年計画のプランを立てる必要がありそう。

その後施設に電話。
まだ便秘中という事で 便秘解消の品を持って面会。
お腹をマッサージしたら 良い物がちゃんと出た。
これで日曜日は安心して結婚式に臨める。

その後 結婚式用の小物を買うため娘と落ち合う。
それぞれ分かれて必要な物を探した。

家に戻って 親戚の誰が立ち寄っても大丈夫なように家をサッとお掃除。
その後もあれこれと準備。

「早く休もうね」と言ってたけれど やっぱりいつもと変わりなく深夜までかかってしまった。


2007年03月23日(金) 美容院にて

 
 昨日 菜園を見下ろすともう土を掘り起こしている人がいた。
出遅れてしまっているなと感じちょっと焦る。

3月25日は姪の結婚式なので美容院に出かけた。
お正月開けに行ったきりで 髪の毛が伸びてしまって 父がよく言っていた不景気頭だったのだ。
姪の晴れ舞台なんだもの...。
花を添える役目は若い世代に任せるにしても 枯れ木も山の賑わいだろうから それらしく準備して置かないと...。

美容院の帰りにちょこまかとお買い物。
畑に撒く石灰を購入。

美容院のオーナーが凹んでいた。
オーナーは独身。
我が家の近くに住まうようになってほぼ1年近くになった。
ご近所の方に挨拶しても知らん振りされるというのだ。
「何しているか判らないし あまり見かけない顔だから胡散臭くみえるのかなぁ〜」と言うのだった。

我が家もここに越して7年位だけれど...。
この地域の人は独特の雰囲気がある。
これまで あちこち引っ越したけれど ここまでそっけない街は始めてである。
繋がりがとても希薄で驚いてしまう。
団地が閉鎖的と言うけれど お隣同士の交流はもっと深かった。
それぞれ別の地に越しても今なお交流が続いている。

塀で囲まれ門構えもあって 玄関先と言うよりも門前まで出て挨拶と言うのが当たり前。
暗い夜道 急にパッと門前の電燈がついて驚く事もシバシバ。
防犯対応なのだ。

オーナーに凹む事はないよ。
あの場所はそういうところだから 気に入らなくて挨拶しないのじゃないのよ。誰に対しても閉鎖的なのよ。

その証拠に 立ち話している人なんて稀だし お茶のみ交流も殆どない。
気持ち切り替えて 割り切って住める街と思ったほうが気が楽だと思うと伝えた。

ある党の党首さんの私邸があり 現職の頃には ポリスボックスが在ったと言うので そういう事も影響しているのかもしているのかもしれない。


2007年03月22日(木) もう一ひねりかな?


宿題 ひとつ仕上がった。
いつも休業中の脳みそを久々に使ったので 脳トレ出来たかもしれない。

途中で施設に電話した。
便秘継続中との事で「これから行きます」と受話器を置いた。
便秘対策の食品を持って出かけた。
今日はトイレに篭もって マッサージ。
何の気配もなかったが 悪戦苦闘の後 ポロンと5.6個。
いわゆる中等量って所かな?

その後アロエヨーグルトとカスピ海ヨーグルト。伊予柑とを食べて貰った。
そして お散歩。
母の足取りは軽く 機嫌も悪くない。
母にはコートを着せたが 私はコートいらずのお天気だった。

施設の周囲では桜は未だだが 駅周辺では 桜がが咲いた。

暖かいせいだろう。
においばんまつりの花が開いて 我が家も母の居室も良い香りに包まれた。

これから もう一ひねり 取り組んでみようっと。
夫もまだ仕事踏ん張っているのだもの...。


2007年03月21日(水) 苦戦中


母の所に出かけた。
伊予柑 生のアロエ メカブと便秘対策食品を袋に纏めて置いたのだが...。
他の荷物が多すぎて忘れてしまった。

施設に着くと一斉清掃日のため他のフロアの方が見えていた。
母は 私と顔をあわせると「ここに座りなさい」と隣の椅子を指した。

昨日 中位の排便があったという。
便秘対策食品を忘れてきた事が悔やまれる。
トイレ誘導し少し踏ん張ってもらう。
いきんでいたので本人も意識して頑張っている事が伝わってきたが 空振り。
フロアに大勢の人がいるので あまり大きな声で唄う事も憚れて思うように出来なかった。

一昨日 牛乳を飲ませたので 腹痛の訴えの有無を聞いた。
特に変化はなかったという事だ」
詰まり気味なら下痢せず腹痛もないなら もう少し飲ませてみようと思い散歩のとき コンビニに立ち寄り 牛乳を購入。
公園で飲んでもらった。
其れから更に歩いた。
母に手袋させるのを忘れてしまい 私の手で温めた。

左腕を上げると痛いと訴えた。
寒いから 骨折した所が痛むのかも知れない。
薬(湿布薬)を塗って上げたい所だけれど 居室には入れない状態なので我慢して貰うしかなかった。

姪っ子の結婚式が近くなり いろいろ準備もあるし 一斉清掃日という事もあり思うように母に向き合えないので 早めに施設を後にした。

宿題で頭を絞っている。
まだ名案浮かばずで 苦戦中である。


2007年03月20日(火) あれこれ

昨日の役所の家族会に参加なさった方の質問で「ふむふむ」と思われる話があった。
それは 認知症のない方で デイを利用なさっている方のお話。
「認知症のある方が 私のバックから大事なものを抜いていってしまうのです。職員が 本人に話してくれてはいますが…。またおなじ事を繰り返すのです。
認知症の人の我儘をもっと叱って欲しいです。甘やかさないで欲しいです」
と言うものだった。
この意見は 認知症の人に向けられる思いの代表格だろう。
家族だって こういう事で沸々とした思いが湧くものだから無理はない。

その時の精神科医のコメントは 
「わかっているのに物を取ってしまう事は いけない事です。その時は しっかり注意しなくてはいけませんね。
でも認知症の人は 注意されてもその注意された意味が理解できないのです。
取った人は 自分の物と思って居るかも知れないのです。強く注意すると更に混乱してしまうのです。注意されてもその記憶が残らないのが認知症なのですよ」と言うものだった。
果たして 理解してもらえたかな?
良く出会い 挨拶を交わす方なので 今度お会いしたら話してみようと思う。

状況が見えないので判らないが 職員の対応でこういった事は避けられるだろうと思うのだが…。ひょっとしたら それ以外にも迷惑をこうむっているんだろうなと想像できた。

今朝は 利用者さん訪問。
午後に会議が入ったので 30分早めて訪問させてもらった。
「手抜きで掃除してくださいね」と言われた。
いつも通りの活動で終了。
その後 電車に乗って会議に出かけた。
知恵を集めて 考える。宿題あり。

会議の終わる事 彩星の会の会員さんがご夫婦でお見えになった。
暫く 雑談で話し込む。
穏やかな笑顔で近況をお話くださった。
昨日のNHKの放送に仲間が出演なさっていたという事だった。
テレビを見ないという事は こういう時不便だな。

さてと 宿題 ちょこっと考えなくては…。


2007年03月19日(月) 落し物?


 就寝する時タイマー付きのラジオをつけている。
昨夜 いつものようにラジオを付けたら「こちらは joqr 出力954 tbsラジオです。今夜の放送はこれで終了します」とアカペラ風の歌声がバックに流れていた。
いつも これより後まで聴いていたつもりだが...日曜日という事で早かったかな?
ラジオの放送終了って 初めてのような気がする。

今日は 役所と地域包括主催の今年度最後の介護者の会だった。
精神科医の認知症についての医学的なお話のあと介護者の会の案内。その後地域にあるグループホームの施設長のお話。そして質疑応答。
この会で 以前 2人の独身の姉妹の遠距離介護で悩まれていた方と出会った。
いつも 介護者の会に行って お聞きしたいことがあったのだけれど忙しくて会に出向けないでいたと矢継ぎ早に質問を受けた。
それぞれが 違う施設でお過ごしで 良いと思われていた施設は 予想に反していて どうしようかと思っているし 高齢で認知症が進行して どうなるか心配と言うお話だった。

詳しい事は 改めて 次の機会にという事で話は終了。
自ら望んで参加された方たちだが みんなの前で話をする事は勇気がいる。
一言発すれば どうって事がないのだが その一歩を踏みだすのが大変なのだ。
それでも 質疑応答が何件かあった。
そういえば 私も何をどう話せば良いのかと最初の頃迷ったなぁ〜。

昨年 最終会に出席できなくて 次年度のことがさっぱり判らずパタパタしたので 今年は出席した。
が 来年度の話はなくて「もう消えてしまうの?」と焦った。

いつもなら 全部の包括と役所の職員も見えて締めるのに 今年は違った。
何となく 後退しているように感じる。
内示や辞令のある日でもないと思うけれど...。

流れとして 認知症サポーター養成に向かっているようだ。

「介護家族や認知症ご本人の生活レベルの事も忘れないで下さい」と御願いしておいた。

会が終わって 母の所に向かった。
便秘更新中なのだ。
生のアロエの追加を届けた。
母は特に変わった所はない。
トイレでマッサージしたが 出るのは小ばかりだ。
いや ちょっとお愛想程度には 出たんだけれど。

仕方がないので 食事時だけれど お散歩に出た。
足取りは軽く 機嫌も悪くない。

3.40分歩いた。
途中 大きな声で泣き出している子を連れたお母さんと出会う。
公園で遊びたいのに リードを外して公園に集う小集団があって お母様が公園に入られなかったようだ。
それで お子様が泣き出していたのだった。
お母様 泣く子に振り回されて 帰路に付いていた。
ふと見ると後方にバックがひとつ落ちていた。
「あれ 違いますか?」とお聞きすると「ハッ」となさり「そうです ありがとう」と戻られた。

そういう事 有るよね。
子育て中だって 母と一緒の時だって 困ったことに直面するとそれしか見えなくなる。バックは持っているつもりになってしまう。
母と一緒の時なんて 財布を忘れているのに気が付かないまま 買い物してレジで「すみません」ってこともあったなぁ〜。

散歩から戻ったら 当然の事ながら皆さんお食事が済んでいた。
外食させた方が 職員に迷惑かけずに済んだかな?


2007年03月18日(日) ご縁ですねぇ〜


2年前の5月。
都心の住宅街の神社の境内に いい香りのする花が静かに咲いていた。
青い色と白い色の2色の花が1本の木に咲いていた。
それが ニオイバンマツリだった。
調べてみると 5月頃から秋口まで花が咲くとあった。

「家にも植えたいな」と思った。
花屋の店先でも幾度か見かけたが ちょいと小さめ。
それに 花が付いていないのでほんとに「ニオイバンマツリ」かいまいち信用できなかった。
ネットで調べると 何処も売り切れになっていた。

人気と言うよりも 入荷が少ないのだろうと感じていた。

今年も植樹に良い季節が始まるなぁ〜。
枯れた沈丁花も倒した事だしなぁ〜。

先週 ネットで「ニオイバンマツリ」を検索。
幾度かの検索で辿り付いた所に 植木の画像が貼ってあった。
辿りついても古いページだったりがあるので 日付けをみたら 最近の物だった。
思わず「あったぁ〜!」の声を出す。

早速問い合わせ 在庫確認をするとあるという事で送って頂いた。
とても丁寧な対応で良心的なお店だった。

今日 頼んだ物が届いた。
荷を解くと良い香りがふわぁ〜っと広がった。

温室で育てたといっていたので 植樹はもう少し先。
それまでは家の中で過ごしてもらう。

大小1本づつ。
小さい方は 母の所に持って行くことにした。
苗木を持って 百均に立ち寄り鉢カバーを購入し母の所に向かった。

今日も「私は誰?」と母に聞いてみた。
「知らない」と返事された。
でもねぇ〜  暫くして「おかちゃんて呼んでいる様な...」と呟くような声で母が言った。
「そうだね」と嬉しく返事した。

それから 更に暫く立って 私が居室を離れた時「〇ちゃん!」と従妹の名前で私を呼んだ。
懲りずに 聞いてみてよかったわ♪

聞かれた事には返事できないけれど 母の内側から発すれば呼べるんだね。
という事は まだちゃんと認識できているっていう事だわね。

今日は伊予柑を持って行き 食べてもらう。マルマル1個をぺろりと平らげた。

おやつ後 母とおなじ年の入所者の居室を2人で訪問した。
あしたが誕生日の筈。
今は 鼻控から栄養摂取で1日ベットでお過ごしなのだ。
おそらく 誤嚥性の肺炎を避けるための処置と思う。
母の顔を見てニコッと微笑んだ。
言葉も発しないけれど 判るんだよねぇ〜。
施設開所時から共に過ごして 生年月日が10日くらいしか違わないのだものねぇ〜。
生まれた場所も過ごした場所も全く違うけれど...これも縁ですねぇ〜。


2007年03月17日(土) きびしぃ〜っ!!!


 寒い朝だった。
でも 桜の蕾は確実に大きくなり緑色になってきた。
春はそこまで...♪

夫は休みなしが続いている。
遅い帰宅で 我が家のくつろぎタイムが深夜零時と言うのがざら。
かなり疲れてる様子だ。
私は会社に関らない悪妻。
でも 話を聞くのは出来るので 毎日相槌打って聞いている。

母の所に出かけた。
ご機嫌は普通。
風が冷たかったが 散歩に出た。
「寒いからね」と念を押した。
最初は「寒いでしょ」と聞くと「大丈夫」と言っていた。
「帰る?」と聞くと「帰らない」と言っていた。
道端のタンポポや公園の端に咲く菜の花を指差していた。
公園の端っこに一際大きく咲いたタンポポを見つけて「大きいね」とお互いにびっくりした。
突然「持って帰りたい」と母が言った。
久々に 意味の判る長い言葉を聞いた。
「摘んでいこうね」と言うと母は地べたに張り付くように咲いているタンポポを腰を折って摘んだ。
バランスを崩すと危ないので腰を支えた。

しかし 大事にギュッと持っていたので施設に戻るまでに潰れてしまった。
以前の母なら そうっと持っていただろうに...。

でも 綺麗と感じ持ち帰りたいと思う心を表せたのだから 目的達成。

先日は 疲労で心拍数がコトコトしたけれど 今日は 割りに安定していた。疲労よりも寒い方が堪えたみたいだ。
戻ってから 飴玉ひとつ運んであげたら「おいしい」と言ってた。

居室で着替えながら「私を知っている?」と聞いたら「知らない」と言う。
暫く やり取りしていたら「一・二度逢っていると思うよ」と言う。
ヒェ〜「大事な人」も卒業して「一・二度逢っている人」かぁ〜。
「きびしぃ〜っ!!!」


2007年03月16日(金) 出かけました


朝 施設に電話をして母の様子を確認。
特に不機嫌という事はないとのいう事だった。
排便はあれからなし。

状態によっては 母の所に行こうと思ったが 今日は面会お休み。
午後先日のブログ講習会の続きの自主学習会に参加。
その後 介護者の会の仲間と正式に講習を受けた。
とりあえず 本日 会のブログ登録完了。

ネットワーク会があるので 講習会は介護仲間に託して移動。

会は既に始まっていた。
新しい地域からの参加もあった。
先日行きそびれた 特養ホームを良くする市民の会の「特養のターミナルケアを考える学習会」の様子を伺った。
全体を3ブロックに分け 職員 家族 一般で話し合って それから全体に移ったということだった。
何処からをターミナルケアと考えるかと言う話になったと言われていた。

これまで特養では 終末期は病院でという事が多かった。
この件に関しては 昨年末 奥様を看取られた彩星の会の干場さんからも経験談をお聞きした。
やはり 施設における終末期は 家族と職員とがチームワークを組むほうが本人にも良いように思うと言う話になった。
家族の関わりがキーポイントかなぁ〜。

施設の職員の待遇の悪さ...も話題になった。
けれど 利用料に跳ね返るのも困るのだ。
そこをうまく解決すべき道を探らなければならないだろうなぁ〜。

ネットワーク会の詳細までは書けないが 結構突っ込んだ話が多かったと感じる。


2007年03月15日(木) 電話


 長い電話だった。
仕事にかかろうかと思っていた所に友人からの電話。

これが 纏めて相談と言う感じ。
彼女自身は 介護も卒業なさったのだが 周囲の相談だった。

聞き役を努められる方なので 自然に相談も集まってくる。
お子様の居ない親戚のおばさん夫婦の相談。
おばさんは しきりに「家の養子になってくれないか」という御願いをしてきている。
きっぱり断ってお出でなのだが(出来る事はするけれど)。
おばさんにしたら 養子になってもらった方が安心できるという事らしい。

最近 このご夫婦お引越しなさったそうだ。
「わぁ〜 有料老人ホーム?」「ちゃう 戸建を売ってマンションに転居。
引越し早々 片手運転(片手不自由の身)で塀にぶつかって自損。
怪我が軽くて済んで 車は廃車。
これで良かったのだけれど どうもおばさん ある宗教に嵌ってしまっているみたいで...。
銀行の事もお任せしているみたいなのよ。
宗教絡みの方は 引越しもよく手伝ってくれたようで感謝していたのよ。
進行宗教ではないようだが 気がつけば 寄付に告ぐ寄付で財産の殆どが消えていたと言うお話を耳にする事がある。

「もう おばさんに お金貰わなくとも出来る限りの事はするから 後見人制度を使うように勧めたほうがいいわよ」と伝えた。
おばさんと縁続きなのは ご主人。
他にも親戚がおり 痛くもない腹を探られるのはごめんと言う距離だ。

他にも 違う件での介護の話が...。
面倒見の良い事では定評があるが「身体が弱っているのだからホドホドに」と忠告。


2007年03月14日(水) またしても...


利用者さん訪問。
「今日は 午後に銀行に行くので お化粧してしまって 洗髪どうしようかなぁ〜」と迷われる利用者さん。
洗濯機を回している間に 考えて頂く。
「来週の水曜日は祝日なので訪問はないので 大丈夫ですか?」
「そうね 頭気持ち悪いから やっぱり洗髪していただくわ」
という事で早速 洗髪。
その後 お掃除。
大分 慣れて 雑巾片手に拭き掃除しながらである。
コートがベットの柵にかけられていたがが 畳の上に置かれたのだろう 埃がいっぱい付いていた。
「これしまってください」と言われたので ブラシをかける了解を得て ヴェランダでブラシをかけて収納。
掛け布団の上も 埃が目立つので これもヴェランダで叩いた。
ポータブルトイレの中味を捨て掃除すると「すみません」と言われる。
「時間内に出来る事は 仕事ですから 気になさらないでください」と伝えた。
掃除が済んで 洗濯が終わらないので キッチンの洗い物をした。
洗濯物が済んで 干して丁度時間。
活動報告所を記入していると「30分伸ばしてください」と言われた。
「用事ありますか?」とお聞きすると「もう ありません」との事。
「それでは 延長なしで大丈夫ですよ」と伝える。
「いや あなたは15分早めに見えて もう7分経過している。先週もそうだった。これでは申し訳ないから」
「じゃ 次の時に30分延長して記録させて戴きます」という事で納得していただく。
15分くらい早めは 気にする事も無いと思うのだが きっといろいろ言われているのだろう。これからは10分前に調整しよう。

活動を終えた足で 母の所に向かう。
母の昼食は済んでおり テーブルに向かってくつろいでいた。
新しい職員が 車椅子の入所者とおしゃべりしていた。

母の排泄を職員に確認した。
「はなさん この間 生のアロエ試食させて貰ったでしょ。あれ バッチリ効いてね。私だけじゃなくて 一緒に試食した人も同様だったのよ」
「へえ じゃ 母にも効用があるかもね」
と言う訳で母をトイレ誘導。
少しお腹をマッサージして笑って貰ったら お見事でした。良好なものでした!

その後リハビリが始まる。
その間にホールで また いろいろ起きそうなので 居室から出たり入ったりしながら調整。
「この方は ご主人ではないですよ。だって 女性でしょう」
「エッ?女性?そんな馬鹿な」
「男性と間違えられたら あまり気分良くないのではないかしら?」
「そうね。あっ この方女性なの?」
「そうですよ。ご主人は 今お出かけですし…」
「ありがとう。教えてくださって」
職員が出てくると
「あの方 優しくいろいろ教えてくださるから ほんとに良い方」と話されていた。
判らないようで 判っている。
おそらく 困惑の中で過ごされているのだと思う。

リハビリが終わってから その方が見えて「外 行きたいわ。一緒に行ってくださる?真っ直ぐ歩いてみたいわ」と言われた。

その後 職員がトイレ誘導なさって また 成功。
今日は 先日とは別の職員。
トイレから出てきてからは 少し不安定になるので そのあとをフォローさせてもらう。
気持ちが落ち着いてきてから 母をホールに誘導した。
その後 職員に確認を取ってから その方を外に連れ出した。
母の散歩コースの半分も歩かないが 腕を組んで歩いた。
「私のお母さんと歩いているみたいで嬉しいわ」と言うと「私も息子しかいないから…」と言われた。身体に触れられる事を嫌がる方だったが 腕を組んでも嫌そうではなかった。
公園をみると木が白っぽくなっていたので「桜?」と思い近づいてみた。
山桜ぽかった。赤い色の葉も付いていた。
ソメイヨシノはと見上げると 蕾は緑色をしていた。
まだ 少し早いけれど でも確実に咲く時を待っている風であった。
その方は 桜には余り興味を示さなかったので 長居せずに施設に戻った。

お次は 母の番。
支度をして 外に出た。
足取りは悪くない。
「ケーキ食べたい?」と「ケーキ」と反芻してから頷いた。
「じゃ 行こう♪」という事で バスに乗って出かける。
庭園でも見ながらと思った。が 微妙に時間が足らないと感じて ケーキ屋さんだけにしようと思いなおした。

食事に響かないようにフルーツプリンとハーブティーのセットにした。
母の視線は 同姓のお客さんに激しく動いていた。
入り口からお客さんが入ってくるとそちらに気をとられて 落ち着きをなくすだろうと考えたのだが…逆向きに座った方が良かったみたいだ。
読みが甘かった。
一口食べた後 次の一口が出なくて 手を伸ばして介助したらちょっと嫌がった。
外に出たときは プライドも微妙にいつもと異なる。
母の様子を見ながら 時折介助しながら…。

今日は微妙な日かもしれないと何処かで覚悟した。
しかし 何事もなく帰路のバスに乗り込む。
いつもなら シルバーシートまっしぐらなのだが 生憎 高齢者でいっぱい。
シルバーシートも空いてなかった。
仕方ないので 後方の2人席へ座った。
いつもなら 私が内側に座るのだが 座りにくそうだたので外側の席に座った。
「何事もおきませんように…」と祈りながら。
降車する停留所が近くなったので 母の膝を跨いで先に席を立った。
バスが止まって 母に席を立って貰おうとして 降車拒否。
ストライキが始まった。
周囲に居る方は 結構お年寄りが多くて「こりゃたいへん」とザワザワし始めた。
「お手伝いします」と私の荷物を持ってくれた。
別の人は 運転手さんに「ちょっと待ってあげて」と声をかけてくださった。
また 別の人は「後ろから出してあげて」と運転手さんに声をかけてくださり「料金は払ってあげる」と申し出てくださった。

1人の老人が母の手を引っぱってくれた。
けれど 見知らぬ男性が笑顔もなく急に手を引けば 母の機嫌は更に悪くなる。

見知らぬ人の思わぬ手助けに 感謝しながら何とか下りる事ができた。
気がつけば バスの後ろに2台のバスが続いていた。冷や汗ものだ。
いや それほどの時間を要したという事ではないのだが…。

バスを降りたものの 母の機嫌はかなり斜めだ。
ちょっと遠回りして 気分を変えてもらおうと思い 大きな声で歌を唄ったら「うるさいんだよ!」と怒り出す。
あちゃ 裏目に出ちゃった!!
「ごめんごめん」と謝って 周りの景色の話を自分に語りかけるように話した。
ようやく エレベーターに乗って入り口まで来て 椅子に座ってもらう。
上履きに替えていると職員が「お帰りなさい」と出迎えてくれた。
「機嫌が悪いから 話さない方が良いと思います」と暫く放置。

母はむっつりと椅子に座った儘。
今日はウルトラ級だなぁ〜。

5分ほど経過して 居室に誘導しコートを脱いで貰い トイレ誘導。
ちょっとパットが濡れていた。
原因はこれかもしれない。
「トイレに連れていかなきゃ」と思ったが 最適なトイレがない場所なので避けてしまったのだ。母には 悪い事をしてしまった。
トイレで排泄とは言っても 自分の都合で「パットがあるし…」としてしまったのだもの。

「ごめんね」と謝ったら シャーッとでた。
その後 落ち着きを取り戻して ホールでテレビに見入っていた。


2007年03月13日(火) やれやれ


リハビリ日数が緩和される やれやれである。
何でも経費削減の名目で減らされて 生きて行く質はどんどん軽視されているようで 何だかなぁ〜と思っていたけれど ちょっとだけホッとした。

今日は 放置していた庭の手入れをした。
1日かがみこんでの作業で さすがに腰に痛みを感じる。
ブルーベリーやウコギやコデマリ 紫陽花等 新しい芽を広げ始めていた。
「枯れたかしら?」と不安だったので 嬉しい。
義姉から頂いた 赤い紫陽花 鉢植えなので「駄目かも」と思っていた。
でも 根元から新しい芽を見せていた。
ラズベリーも根元から新しい芽が出ていた。
歌壇を掘り起こして 肥料を入れた。
お隣との垣根も枝先が邪魔にならないようにパッチンパッチンと整枝。

哀しかったのは 枯れてしまった沈丁花やヤツデの処理。
鋸でゴリゴリ。小さくして紐で縛った。
春には沈丁花 秋には金木犀。季節の花だったが 春先の花が消えてしまった。
沈丁花のなくなった所 間が抜けている空間になっている。

植えたいものがあるのだけれど 苗がなかなか見つからない。
探し回る時間もないので ネットで検索して購入かなぁ〜。

庭仕事は まだ残っているけれど 出来る時に取り組もうと思う。

夕食の支度を途中まで仕上げて 朝から煮ていた大豆で味噌を仕込んだ。
作業は 大分慣れたけれど 義姉たちの作る味噌には まだまだ及ばない。
手前味噌と言う言葉があるけれど そこまでも行かない。

母が認知症になってから 母と出来る作業として始めたので まだ日が浅い。
やわらかな大豆を母に潰してもらっていた。
味噌は 寒に仕込むので 大豆を茹でる時も暖かになるし 熱いうちに潰すので足も手もほかほかになったものだ。

今は 母と一緒に作るって事はなくなってしまったのが 残念ではあるが…。
さてと 今年は うまく仕上がるかしら???
ようやく 冬の作業を終えて ヤレヤレである。


2007年03月12日(月) 難しいなぁ〜


 サブッ!
ニュースでは 北は 昨日から雪だって言う。
青空の向こうに くっきりと真っ白な富士山が見えた。冬らしいお天気だ。

お天気はいいけれど 風が冷たい。
さて 今日は何処に連れ出そうと考えながら母の所に向かってスタコラサッサと歩く。

橋を渡りながら「今日はないな」とこの冬の不思議な出来事を思い出した。

母の所に向かう時 長い橋を渡っていく。
その橋の真ん中頃の欄干に 時折泥つきの小松菜が置いてあった。
これが 4.5回続いたのだ。
最初は「誰か忘れたのかなぁ〜」単純に考えていた。
が何回も続くうちに「何処から持ってきて どうするつもりだったのだろうか?」と気になり始めた。
それに「何故 橋の途中で同じ所に置くの?」とも思う。

朝見かけた小松菜は 夕方には消えているのである。
置いた人が取りに戻るのか?それとも 全く違う人が 頂いて行くものか?

橋を渡るたびに「あるかな?」と気になり 「一体何だったのだろう?」と考えてしまうのだった。
謎は まだ 未解明。

施設に着くと 母はテーブルに向かって座っていた。
手を上げた母。その手にパチンとこちらの手を合わせる。
それを幾度か繰り返す。
子供が 同じ事を繰り返されて楽しむように...。

それを見ていた入所者は「あら まだ続くの?」と半ば呆れながら笑っていらした。
車椅子の方は ご機嫌が悪いらしく目を合わせようとしなかった。
声をかけて背中を撫でても無視だった。

荷物を置いてから ホールに出向いて 皆と少し遊ぶ。
暫くすると 目を合わせようとしない方が 声を上げて「わぁ〜ん」と泣き出した。
「他のフロアから上がってきた職員が「どうしたの?」とさり気無く聞くが更に声を上げて泣いていた。

「声を上げて泣けるんだものね」と心の中で思う。
認知症の方は グッと堪えて ただただウロウロするのみ。
ウロウロとした行動で訴えて居るのだけれど...車椅子の方はうるさがって注意するのだ。

心の中でそう思っても その方の辛さも判る。
だから 傍に行って「どうしたの?」と声をかけた。
職員から「認知症の方へは あれこれ注意しないでいいから」と言うような事を言われたらしい。
ここで その方を肯定してしまうとまた 攻撃が始まる。
「〇さんは いつも見守ってくださる事には感謝しているのよ。でもね 他の人は いろいろ言えないし訴える事も出来ないのよ。みんな半分ずつ我慢しないとねぇ〜。」と伝えた。
暫くして泣き止んだが 次の職員が来るとまた泣いて訴えていた。

母と外出するつもりだったが 今日は止めておこうと思う。
車椅子の人が 我慢するのだからせめて 他の方が傍に行かないように配慮してあげなくてはと思った。

しかしなぁ〜。
文句を言う人が居ないとみんな落ち着いてウロチョロがグッと減る。
表情も穏やか。
片方が我慢すれば 片方が救われる。
先日も職員と話した時「傍についていれば不穏が消えるのは判っているんですけれどねぇ〜」と言われていた。

工夫すべき事はいろいろあるんだろうけれど...。

他の方と遊んでいてもニコニコと見ていた母だが 少し表情に変化が出たので居室に入った。
どうも その時に職員が 難しい方のトイレ誘導に入られた様子だった。
少し揉めたが 前回に続き誘導成功。
目配せでフォローの御願いがあったので さり気無く母の居室に呼んで景色を眺めて住まわれていた家の周りの話をした。

母が 百人一首の本を手にして読んでいた。
母は 自分の記憶に残っている歌は 文字をを頼りに思い出せるようだ。
最初は無理かと思っていたが 目を留めるページが決まっている。
よくおしゃべりなさる方で諺も詩歌もご存知の方に本を手渡して「読んで頂けると嬉しいです」と言うと「はい」と言って本を手になさった。
だが 直ぐに「文字が見え難いです」と言われた。
私は間に受けて自分の眼鏡をお貸しした。
すると「こちらが見えない」と言われた。
やはり 母同様 文字の読み方が大分出来なくなっていらしている。
言葉が豊富なので まさかと思ったが 文字に関しては進行なさっている様子だ。
という事は 他にもいろんな事で不安を持たれている可能性が高い。

何か出来ること探して差し上げたいけれど...。
情報がなぁ〜。
編み物 折紙は反応がイマイチ。好きなのは歌。
歌詩の虫食いは どうだろう?
やってみようかな?
後はパズルかな?

この方の様子に関しては 職員に報告しておいた。


2007年03月11日(日)

 夫を送り出す時 土砂降りの雨が降り出した。
ちょっと恨めしい気がしたが 出来る時に取り組んで置かなくては...と仕事を片付けることにした。
油断するとついつい片付ける機会を逃してしまう。
一つ一つはたいした仕事でないが 溜まると苦痛。

冷たい雨なのだけれど もう厳しい冷え込みはないだろうからと観葉植物を外の雨に当てた。

その後 先日一気に消してしまったワードの原稿を作り直した。
多少記憶に残っている所もあって 白紙状態では ないので少し楽だった。
消えてしまった原稿の方が うまく纏まっていたかななんて考えてしまう。
自分の出来る事なんて大したこともないのだから どっちも50歩100歩。

午後TBSラジオの伊集院光の「日曜日の秘密基地」を耳に作業を進めた。
ゲストは「古田 新」
2人の会話でふと手が止まった。
「いや 仕事をしていて自分ってなんて駄目なんだろうと思う波があるんだよね」と言う言葉だった。
外から見て 変化が見える訳ではないけれど どうにも落ち込んでしまう時がある。仕事が順調に行っていても そういう波は繰り消しくると言っていた。
そうだわね。大勢の中にいて 自分と言う者が如何に能力がないかと落ち込んでしまうのよね。

誰と競争している訳でもない自分の毎日なのだけれど「なんて駄目なんだろう」という時と 何の疑問も持たないでいられる時とがある。

母の所に行く時も 途轍もなく重い気持ちの時もある。
そういう時 自分は愛情が足りないかと思ってしまわないように「気分が下を向いているだけだよ」と言い聞かせるようにしている。

秘密基地が終わる頃には 原稿も仕上がってきちんと保存した。
仕事が片付くって ほんとホッとする。

でもまだ 別の仕事は残っている。
ちょっとずつ 片付けなくちゃ♪


2007年03月10日(土) 便秘の話 これまでの事


昨日のお散歩の折 便秘解消のためと思い いつもより早いペースで歩いて貰った。
公園の小山上り下りも 斜面を長く使って結構早足で...。
母が少し辛そうだったので「疲れる?」と聞いたらコックリ頷いた。
母の胸に手を当てたら 心臓がコトコト早鳴りしていた。
こりゃ 無理は良くないと思い 普通のペースに戻した。
そして 途中ゆっくりと休息をとったのだった。

以前なら「息が切れるよ」とはぁ〜はぁ〜と息を弾ませたので 状態も良く見えたが 今は 言葉がない分注意しないといけない。
距離にしても 大したこともないのだが それは こちらの観測であって母には大変なことなのだと再認識。

さて 結果としては 多少の排便はあったものの 便秘解消には到ってないことを受け止めながら帰宅。
でも 母も出したいと言う気持ちがあるのだということだけは判った。

帰宅途中 スーパーで買い物。
そこで 生のアロエを1本購入した。
職員からは アロエエキスを全部飲みきったと報告は受けていた。
この便秘 やはりアロエエキスを補充してないからだろうかとも思ったが.。
あと少し 様子を見たかった。
でも 気になるのでとりあえず生のアロエを手にしたのだった。

今日 施設に電話して排便の有無を確認した。
今朝 座薬の便秘薬をさしたが空振りの様子だという事だった。
「午後に伺います」と受話器を置いた。

アロエの皮を剥いて一口大にカット。
他にうるいの煮物とカスピ海ヨーグルトを持参した。
施設に着くと母はニコニコとソファーに座っていた。
ちょっと臭う。
「これは...」と急いでトイレ誘導。
既に大きな物を背負っていた。
ゆっくりと洗い流してパンツを替えた。

それから いつものようにお腹をマッサージして残りも出してもらう。
「おちたよ」と母は言う。
「良かったね」というと軽く頷き固い握手。

何とか便秘も解消!
トイレから出た時ホールで大きな声がした。
母は何事かとドアに手をかけて出ようとした。
「大丈夫だから 先に手を洗いましょ」と声をかけた。
ドアを開いて怒鳴られたと思われる入所者を呼び入れた。
「どうぞ お入りください」と。
「いえね ちょっと抜けさせて頂こうと思いましてね」
「ここは 抜けられませんが 眺めは良いですからご覧になっていってください」と声をかけた。
手を洗っている母をみて「この方 良い先生だから あなた安心ね」と声を掛け 更に「ありがとう。この方に良くして下さっておいでね」と私に声をかけてくれた。

さっきの大きな声は この方が 母の部屋に入ろうとしたので注意しようと他の認知症でない入所者が声を荒げたのだった。
職員でもないのに 認知症の人を監督している風で これが認知症の入所者に 悪影響を及ぼしている。
認知症の人たちは 嫌だと思っているのだが 理屈で反論できないから この方の天下なのである。

入所者はいろんな方がお出でなので 対応するのも苦慮する。
「認知症だから あれこれ言わないで」と言えば 今度はこの方がフラストレーションに陥る。
だから ムッとはするけれど その時には怒りを向けないで置く。
落ち着いている時に 認知症の病についてゆっくりと説明するようにしている。

暫くして 職員が見えた。
母の排便の状況を伝えて 安心して頂く。
職員も気が気ではなかった様子だったと言う。
そして「お聞きになりましたか?」と聞かれた。
「何も...」と返事したら。

2日ほど前 さっき声を荒げた入所者が 面会に見えた他のご家族に あれこれ言ったらしく ご家族がすっかり怒ってしまったらしい。
ご家族は 散歩から戻ったばかりなのに 直ぐにまた外へとお散歩に出かけられてしまったそうだ。 かなりご立腹の御様子だったらしい。
「判りました。今日 面会にお見えになると思うので お話してみます」と伝えた。

夕刻 ご家族が見えたので ちょこっとお話した。
家の母も他の入所者も戸惑う場面を幾度も見てきたこと。
そういう時には 出来る限り母の居室に批難させていることを伝えた。
また 昨日は職員がうまくオムツ換え成功の場面も見た。
すこしずつ 落ち着いておいでのように感じる。
また ご家族の入所者は 母や他の方に対して優しくフォローなさる事も多く 感謝していることも伝えた。
ご家族は ホッとなさった御様子で「あの方は 頭がしっかりなさっておいでですからね」と苦笑されていた。

自分の家族がケチョンケチョンに言われたら やはりムッとしてしまうだろう。離れて過ごしているので 余計に不安になるだろう。
力ずくの行為は出来ない方だが...。

施設としては フロアの入れ替えも考えてみたが 他のフロアにも問題があって 新たな火種が生まれる危惧も有る様子だった。

ほんとは 職員を増やすかボランティアを置いてくださると大分緩和すると思うのだが...簡単では ない様子だ。

さて 便秘の話に戻るが
母は 今 マグラックス200を朝夕に1錠ずつ服用。
そしてこれまで キダチアロエエキスを朝夕に飲んでいた。
この1週間はキダチアロエを飲んでいない。

一週間の便秘でも カチカチではなくやや水分量のあるコロンとした状態だったので マグラックスは効いているという事を職員と確認した。
今日 初めて生のアロエを運んだが これは とてもヌルヌルとしていた。
皮を剥いたせいか 苦味は少ない。
便秘が続くなら これを一気に食べさせようと思ったが 便通があったので2日くらいに分けて食べさせてもらう事にした。
ちょっと 様子見と言う所である。

マグラックスは 昨年から使い始めた。
最初は マグラックスもこの上のランクを使ったが 便が緩くなる傾向にあったので200に医師が変えた。
マグラックスを使いだして また足のむくみが出てきたようにも感じている。

これまでは 出来る限り食べ物と水分補給とお散歩で対応してきた。
嘔吐が起きるようになり いきむ事もこれまでみたいに出来なくなってきた。出来る限り薬に頼らないようにと思うが 母の年齢と病を考えると止むを得ないだろうと思っている。
認知症暦 15.6年。 間もなく91歳である。


2007年03月09日(金) ♪良かったね♪


利用者さん 訪問。
一人暮らしでご高齢の利用者さんは 家事援助をご希望.
最初は 一人暮らしだから埃も立たないので綺麗なのだろうと思っていた。
でも 最近 毎日お掃除なさっているのではないかと感じている。
今日も 掃除機を掛けている時 利用者さんは外で相当の草を抜いていらした。
少し前までは 高いところは脚立を使ってお掃除なさっていたとお聞きした。 来年は 90歳になるという。

家事援助も少しは必要となさっているかも知れない。
でも人に頼る練習をなさっていらっしゃるようにも感じる。
「あなた 先日 おトイレも掃除してくださったのね。自分でやるから良いのにぃ〜」と言われた。
「物事にはついでに出来るという事もありますから」と返事したら
「腕が痛くならない程度になさってください」と言われた。
まるで 母親から言われているような気がした。

ここまで自立なさっている方の訪問は 初めてだと思う。
こういう慣れ方も 良いのかもしれないとひとつまた勉強になった。

月2回の訪問を2ヶ月と半分。
仕事も慣れた。
最初は 2時間で全ての部屋に掃除機をかけてギリギリだった。

が 今では合間合間に拭き掃除も交えてゴミを捨てる所まで出来るようになった。  しかし ほんとに広いお宅です。
その全てのお部屋をきちんと使われてお出でだという事も伝わってくる。 侮るなかれ90歳。 私にも そういう生き方出来るかな?

家に戻ってご飯を食べ 母の所に向かった。
職員に排便の状況を確認しトイレ誘導。
ポロンと3個。後は無理をしないで 整腸ドリンクを飲んで貰い お散歩に行く事にした。

ホールに出た時 入所者の1人が籐椅子にお茶を撒いていた。
「どうなさいましたか?」とお聞きすると「後少しだけ残しておいたの」と湯飲みを見せてくださった。
「そうでしたか。それでは 湯のみをお預かりしましょう」と湯飲みを受け取り 台ふきんで籐椅子を拭いた。
すると その方が「ありがとう」と言われ「私 それを洗います」と言ってくださる。
「宜しいですか?」と伺うと「はい。あなたは 優しいですね」と言われた。
その言葉を聞いて とても切ない思いがした。
何の注意をした訳でもないのに ご自分のなさった事は ボンヤリと判ってお出でなのだと感じた。

母の介護をしているころは これが出来なかった。
「何しているの!」とやさしく話しかけているつもりでも「間違った事してるのよ」という思いが根底にあった。
それを 敏感に悟り不穏になっていく母だった。

母を通して これまで学んできた事が生かせて良かったと思う。

「これを 何処で洗うのですか?」と聞かれた。
その方は 洗う場所を他の方の部屋と思い込んで居られた。
「ごめんなさい。こちらの方が宜しいかと…」と母の居室に誘導。
ちょっと機嫌が悪くなりそうな雰囲気。
「すみませんね。こんなこと御願いしてしまって」と話しかけると「いえいえ」と風向きが変わった。
「石鹸はないのですか?」「ありますよ」と石鹸を布巾に付ける。
それから 上手に洗われ 濯ぎもなさった。

「これでよいかしら?」
「ありがとうございました。水なので手が冷たくなったでしょ」とタオルで手を拭いてもらってから 両手を擦って差し上げた。
「そうね 冷たいわね。でも 慣れているから。ありがとう。貴女 ほんとに優しい」と言って居室を出て行かれた。

出てから幾度か居室の戸を開けた。
「ここを通り抜けようかと思うけれど 今人がお出でなので またにします」とその度に話された。
他の人や職員が「そこはちがう」と注意する声が聴こえたので「入っても大丈夫ですよ」とみんなに知らせた。

外出の支度をして出口に向かっている時 職員が「おトイレご一緒しますわ」と自然な流れで声がけなさっていた。
…これはうまく行くよ…頑張れ…と声に出さずに応援した。
トイレからも声がした。が言い争う声ではなくて 極々自然体だった。
「綺麗なのいいでしょ」と言う声に パンツ替え成功したんだとわかった。
職員が笑顔で出ていらした。
「ありがとう」と私にお礼を言われたが 職員のタイミングがバッチリあったという事に過ぎないのだ。
「良かったですね」と言うとニッコリなさっていた。
さて トイレから出てきた入所者の方は 明らかにピリピリなさっていた。
排泄は80パーセント自立なさってお出でだ。
でも着替えを嫌がられるのだ。
新規のものに取り替えられて良かったけれど きっと気分的にはブルーの筈。
そこで 小さな飴を1個取り出して「如何ですか?」と差し上げた。
「ありがとう」と口に入れられたので 「それでは この椅子でお休みになってお子様の訪問を待ちましょう」と話しかけた。
直ぐに座れて じっとなさっていた。
そのうち 気分も解れ 嫌な事もす〜っと抜けた様子だった。
それから 母と外に出た。

散歩から戻った時 職員に様子を伺うとあれから落ち着いて要らしたという事でホッとした。

長くなったので 母の様子は 明日という事で...。 


2007年03月08日(木) あっ!!


今日は 特養ホームを良くする市民の会主催で意見交換会が予定されていた。
『特養ホームにおけるターミナルケアを模索する
―看取られる側と看取る側の思いを聞く―
参加しようと思っていた。
昨夜「明日 ちょっと出かける」と夫に話したら 駄目とは言わないけれど渋い表情だった。
夫は 今 とても忙しくて おそらく家に居て欲しかったのだろう。
無理を通すと 得ることが多くとも後味の悪い物となるので 行かない事にした。
後で 誰かに聞けばよいのだし きっとまた こういう企画があると信じている。

在宅で介護と言われているけれど 流れとしては施設入所を希望する人は多いと聞いている。
身近にいる精神科医は 日本では「家族で」という意識が高いが もっと施設を利用していた方が良いと思うと言われる。
認知症ご本人も診察なさるが 介護者の疲労の現実もご存知である。
介護仲間も診察して頂いたこともある。

けれど 施設の介護は満足が行かない現実もある。
職員も大変だと思うし 昨今の施設運営はかなりきついと聞いている。

だから 直接の話し合いの場所でいろいろお聞きしたいと思っていたのだが残念。

さて 行かないと決め 家でパソコンで文書を作っていた。
ほぼ98パーセント仕上がり「あ〜今月は 遅くならずに良かったぁ〜」と思って閉じた。
保存しますかと聞かれて 何を思ったか「いいえ」をクリック。
かくして 全てはゼロになってしまった。
「アッ」と思った時は 既に遅し。
「元に戻す」も有り得なくて 大きなため息をついた。


2007年03月07日(水) どう伝えようかなぁ〜


午前中 利用者さん訪問。
最初に依頼を受けた時は 午後の時間帯だった。
水曜日は母のリハビリの日で せっかく出かけても早々に戻るのは忍びなかった。
利用者さんに都合を伺うと 午前中でも大丈夫という事で 切り替えて頂く。
しかし 訪問してその日の活動が延長希望になるのと困るので 気持ち早めに訪問させて貰っている。

今日 訪問したら 居間の電気が珍しく点いていた。
そして ほんわりと暖かい。
ご主人が 高血圧症なので一晩中暖房をつけているという事だった。

既に 暖房は切ってあると話されていたが 作業を始めると汗ばんでくる。
途中 掃除機が急に止まり動かなくなった。
別の利用者さん宅でも 掃除機が止まって ブレカーが落ちていた事があり「今回もそうかな?」と思いブレカーのある場所を伺った。
しかし 電気のスイッチを入れたほうが早いと思って スイッチオンにするとちゃんと電燈が点いた。
という事は 掃除機が壊れたという事だ。
いやはや この所 掃除機が壊れるなぁ〜。
私の扱いが悪いかと思ってしまう。
でも 普通だしなぁ〜。

新規の掃除機があるという事で そちらで掃除を続行。
洗濯も終了。床の拭き掃除も終了。
その後 洗髪。
前回 ご自分で洗髪なさったが よく洗いきれなかった様子だったので 今日は洗髪して差し上げる。椅子に座って洗面台で。
洗髪後 洗濯物を干した。
その後 流し台に残っていた洗物を済ませた。

1時間で終了。
「じゃ 今日はここまでという事で…」とご挨拶すると「あなたは 早く来てくださったのだから あと少し居てくださって時間を30分超過にしてください」とご夫婦が口を揃えて言われた。
「他に 頼みたいご用がありますか?」と伺うと「別にもうない」と言われた。
「頼まれた仕事が終わったのでしたら こちらに気を使わなくとも大丈夫ですよ。これから 母のリハビリがあるので 早く行った方が良いのです」と言うと 納得してくださった。

テクテク歩いて駅に向かいバスに乗って母のところへ。
施設の昼食は もう終わりかけていた。
母は 半分程度残っていたので半分介助して終了。

時計を見れば リハビリの予定まで3.40分あるので ホールに掃除機を掛けた。
ついでに 希望する方の居室にも掃除機をかけ 最後に母の居室を。

それから トイレ誘導しリハビリの準備をして待った。
リハビリ終了後 散歩に出た。
排便が数日ないという事だった。今 アロエエキスを休んでいる。
今日は歩く事と水分摂取とヨーグルトを食べてもらう。

更に歩いている時 歌を唄ってあげたら「大事な人が 歌っている」と言う。
「大事な人って私?」と聞くとコックリ頷いた。
「ありがとう。〇ちゃんも 私の大事な人よ♪」と言うとまた頷いていた。

外手中も施設に戻ってからも ちょっとずつ排便があった。
母も「抜けるよ」「落ちるよ」とかの言葉を発するので きっと排泄したいのだろうと感じた。幾度かチャレンジしたが それ以上は無理だった。

職員に夕食後 ミルクを御願いして 今日は帰宅。

夜 母の友人のお嬢さんから電話があった。
「先生 お変わりありませんか?」と「変わらず元気にしております」と伝えると「守られてお出でなのですね」と喜んでくださった。
受話器を置いてから ふるさとに住むもう一人の母の友人から 今年の年賀状の返信がない事を思い出した。
電話を掛けなおして消息を伺ってみた。
別ルートでも 聞いて貰っているのだが まだ 連絡がないのだ。

「それとなく ご家族に聞いて見ます」と言ってくださった。
直ぐに折り返しの電話があり「昨年9月に亡くなったそうです」と言う知らせだった。

この3人組は 女学校時代に志を同じ同士である夢を育てていた。
夢は半分は叶ったのだ。
結婚しても仕事を続けて 若い頃は 3人ともお姑さまに逆らえなくて 苦しみを語り合って乗り越えてきたと聞いている。
私が子供だった頃の事で そういう話の時は追い払われていた。
でも聞いていけない話をしている事だけは 何となく感じていたものだ。

3人は同じ職業について お互いに学びあい 退職少し前からは「ふりみす会」(古いミス)を作り 仲間を広げて年数回温泉に出かけていた。
母が1番年上で 母が一番先に病になったのに 母だけが生き残っている。
昨年亡くなったという方は 母の病を知ってからも必ず1番に年賀状を下さっていた。
それも しっかりした文字で…。

母に どう伝えようかと思う。
亡くなった事を伝えても意味がないような気がして…その方の思い出を語って哀悼の意思としようと思う。

ふりみす会に出かける時の母は 楽しそうだった。
いつも電話で 楽しかった話をしてくれていた。
母の記憶の中に その時代は記録されているだろうか?
きっと 女学校の記憶なら ボンヤリと残っているかも…。
でも それももう怪しげなんだけれど…。仕方ないよね。


2007年03月06日(火) 不安の種


 今日は 介護者の会のある日だった。
前もっての欠席届は不用だが「お休みします」の連絡を下さる方も居る。
「行きたいけれど かくかくの事情でいけない」と電話くださる方も居る。
今日は 欠席が多いかなぁ〜なんて思っていたら お休みの続いていた人がひょっこりお見えになったり 隣の町の2ヶ所の介護者の会の方がお見えになったりで いつも通りの人数になってしまった。

でも いつもお見えになる方がおいでにならない。
断らなくとも良いのだけれど かなり大変な介護をなさってお出での方なので「何事か起きては居ないかと気がかりになったりもしている。

介護者に電話も良い時と悪い時があるので ちょっと悩む。
何か起きれば きっと電話くださると思うので しばし様子見。

新しい方が 役所から紹介された。
電話でお話した時「3月には急で 無理だ」と言われていたが 今朝 電話があって「やっぱり 行きます」という事でお見えになった。

介護者の会を後方支援してくださるというNPOの方も様子を見にいらしてくれた。
地域のNPO活動団体ではない。

最初にお知らせを数枚回す。
介護の上で必要と思われる情報である。
その時に家族介護教室のチラシも回した。
これまで これらの案内は広報を使っていたが 包括のお知らせが多いので遠慮してと行政から言われて 会に案内だったという。
確かに広報は介護者だけの物ではないと判っているけれど でも情報を取り込みにくい介護者にとって 広報は頼みの綱ではないのか?
インターネットが普及したと言っても 介護者の会のメンバーでパソコン操作のできる人なんて一握りである。
役所の家族会に行っても 同様である。
介護者は 相変わらず介護孤独状態なのに.。。なんと不親切なんだろう。

急な怪我や病で介護殿の申請が必要な時がある。
そういう場合 変更願いが出来るけれど 途中変更だとそのために審査する人に召集を掛ける必要があり経費がかかるそうだ。そこで 変更の申請が出来る旨を介護者に説明しないケアマネもいるらしい。
知らないでいると重い介護負担が暫く家族が背負う事になる。
いくら 経費削減できると言ってもどうなんだろうね。

活発に動き回る人は 施設側も敬遠気味。
医療行為の必要な人も敬遠気味。
そういう人は 系列の病院と施設を行ったり来たりとなる。
介護者は いつ「出て行って」と言われるかと冷や冷や。
医療行為とは言っても 排泄関連だと今回は言っていた。

在宅で排泄コントロールが困難になって緊急入院となった訳で でも受け入れ先がなかったら在宅になる。
医療面での看護の知識のない人は 介護者教室で学べるのだが 先に言ったように告知の場がないとねぇ〜。

数日前 ネットか新聞か忘れてしまったが「在宅で過ごす寝たきりの人が疱瘡になってしまう確率が高くなってきている」という記事を見た。
身体介護の学習会や介護者の会に参加してもらえれば いろんな方法を学ぶことが出来るのになぁ〜と思う。

出来事を羅列しているだけでも 行政が経費削減と端折ることの余波が見えてくる。

介護者の会にいらしても 先行く人の困難は耳にしていても現実に問題がないと割りに流して聞いてしまい 後で「あ〜こういう事だったのか」と納得することも多いのだ。
だから 介護無縁の状態の人には 更に見えないだろう。

そして 施設の話。
定年退職後の新職員の補充が難しくなって来ている上 特養の入所者が重度化しており 重度の人を優先してしまい 手が掛からない人は 後回しになってきていると言う。
これも 介護保険の余波とも言えるだろう。

かくして われわれの老後に黄色信号が点滅。
介護仲間は 看取り後施設に介護ボランティア登録し 通われている。
そういう手は これからの施設は必須となって来ると思う。
何れ 家族ないし介護者の手を借りなければならない時期が みんなに平等に訪れる筈。

さてさて 不安の種がいっぱいになってしまった。
そういえば 介護者の会には 年に数回は役所の方が見えて「困っていることがありましたら 何とか協力します」と声をかけてくれたのだが…。
担当が変わってから 1度も見えていない。
介護者の会も 一般の市民活動と同じレベルと位置づけられてしまっているみたいだ。
そこに不満を感じるのは 介護者の甘えだろうか?


2007年03月05日(月) 母の言葉


明日は 啓蟄なんだけれど…。
昨日 居間で「アシナガバチ」を見つけてギョッとした。
夏に見かける蜂よりスマートで弱弱しい。
家の庭に蜂の巣があるか ご近所にあるのか?
あまりに暖かいので 季節到来と思って飛び出してきたのだろう。
かわいそうなので そうっと網戸をあけて退場願った。
昨日 今日は ほんとに暖かくて…間違っても無理はない。

母の語彙がめっきり減っているので 家に居てもとても静かだった。
母の困りごとは その状況と表情と僅かに残る単語で判断する事が多い。
少し前までは 口にする単語はそのものを言い現せていたので 読み取りは 割合容易に出来たのだが…。 最近は 違う。

先日 入浴中に排泄を我慢していた時は トイレ誘導後であり 排泄はないだろうと推測していた。
しかし この数日の家で発した言葉をツラツラ思い浮かべてみると サインはあったと思い当たった。それは 湯船の中で「結んで 結んで」と言う繰り返しの言葉だった。
母にとって 我慢している事の訴えだったと今日になって気がついた。

いつも そうなのだが 母の発する単語は 聞く人にはわかりにくい。
状況を見ないで聞いていたら おそらく判らない。

母が壁にかかっているボタ二カルアートの水仙の花の絵をみて おしゃべりしていた。
見ているものが判っているので 母が何を言おうとしているかが判る。
綺麗とか水仙とか花とかの言葉は 1度も出ないが言おうとしている事は判った。
今それをどういう言葉だったかと思い返すのだが どうしても思い出せない。
どういう意味だったかすらも。。。。
でも その時は 判って 母らしいなぁ〜と思ったのだった。

今の母に言葉が出なくて非常に辛そうな表情は少ない。
でも 少し前までは辛そうだった。
話したいのに話せないことが…。
本人の感じる時と介護者が「あれっ」と感じる時は ちょっとズレがあるように思う。
私が受け止め切れない時期 母はどんなにか苦しかっただろうと思う。

母の認知症の状況は 発症してから10数年を経過なので 末期といえるだろう。
今月満91歳。

話しかけられて 直ぐには理解できなくとも 数秒後「エッ?」と聞き返す。
時には 聞き間違えでとんでもない言葉が返ってくる。
1度聞き間違えると 思いこんでしまって正しい言葉が伝わらなくなる。
そういう時は 面白い話をしたり 歌を唄ったりして リセット。
それから 再チャレンジとなる。

短い言葉で 言い直すと「うん」とかと言う返事が返ってくるから 聞こうと努力している事だけはわかる。
言葉の維持は やはり 話しかけかなぁ〜。
手探りするしかないなぁ〜。


2007年03月04日(日) こんな事ではいけないのですがね。


昨夜は 母の就寝が11時近かった。
家に泊まっていると母が眠そうになるのは 10時近くである。
「眠くない?」と聞いても「眠くないよ」と言う返事が返ってくる。
私が新聞を読んでいると傍らでチラシを読み時折丸めたりで好きなようにして過ごしている。

10時を目処にトイレ誘導し其の儘お風呂場へ。
そして入浴し階段を上って寝室に移動。
母の肩を抱いて「座るよ」の掛声で布団に横になる。
横になって 数分しない内にもう寝息を立てる。

私が就寝する1時半ごろ トイレに起す。
昨日は 眠ったのが遅かったせいなのか 深く寝入っていた。
幾度 名前を読んでポンポンと軽く叩いても起きなかった。
「ねぇ〜トイレに行こうよ」と少し強くゆすったら「何するの もうしないでよ」と激怒した。
其の儘にして眠ってしまうと 私の寝る時間が削られてしまうので 幾度か頼み込んで 母の覚醒を待ちトイレに誘導。
排尿があり 朝までの安心コースを確保できた。

母のリズムに合わせてあげたい所だけれど 睡眠確保は介護者の健康維持の為に折り合って貰うしかない。

布団から立ち上がる頃には しっかり覚醒したが 布団に戻るとまた直ぐにzzzzと寝息を立てていた。

朝はやはりパットが濡れていた。

今朝は 夫もゆっくり出なので3人で朝食。
さすがに夫は1時間余の朝食には付き合いかねるので 食卓を離れた。

暫くして 夫が仕事に出かけた。
その後 母を入浴させた。
母の嫌いな洗髪のため。
今日も湯船の中で洗髪。
湯船に浸かっている時は気持ち良さそうなのに...頭を濡らし始めるだけで怒り出す。
薄手のタオルを巻いてなるべく頭皮にお湯が流れる感覚を感じないようにしてみたが 無駄だった。
シャンプーで泡立てる時は 怒らない。
小さなタオルにお湯を含ませて泡を流すようにしているのだが それでも嫌がる。ただ 嫌な時は 私の顔を見上げるのでこの時とばかりに手桶でお湯をかける。
怒った時は「勘弁ね」と謝る。「いいんだ」と言う表情を貰って また同じ事をする。
「最後に ありがとう 終わったわ。嫌な事してごめんなさい」で終了。

後は 湯船のお湯を抜いて シャワーで流して終了。

短パンに半袖Tシャツでも汗びっしょり。母も汗びっしょり。

湯上り後 苺やトマトで水分補給。
入浴前にポットに入れたフルーツティーも...。
以前は 大きなコップに入れてた。が ひっくり返しや噎せてしまう事も時折起きるので お猪口くらいのグラスに入れて幾度もお変わりをしながら飲んで貰うようにしている。

母がフルーツを食べている間に お風呂場の後片付けをした。
それから 昼食に移行。
遅めの昼食なので 施設の夕方の食事に響かないようにパンにした。
トマトは普通の大きさのもの2個。苺も大き目の器に山盛り。
後は コンソメと玉葱のみじん切りとコーンと卵のスープ。

食後 母はタラコのぬいぐるみで遊ぶ。
♪たらこ たらこ たらこ♪でお馴染みのたらこちゃんの抱き人形。
抱き心地が良いようで 顔はキューピーちゃん。
「あらら...」と顔をほころばせていた。

以前にも幾度か記しているが 認知症初期の頃 友人に勧められて抱き人形を購入したことがある。
その時には「何なの これは!」と激しく怒った。
ぬいぐるみがないと過ごせないという状態ではないが 今は 人形も話しかける相手になっている。
子供の情操教育に人形があるように 母にとっては時に良き話し相手になってくれている。
おそらく その時々で 用いるタイミングがあるんだろうと思う。
ただ 生き物は母の苦手とするところなので 無理。

でもなぁ〜 兎やモルモットなんかは 可愛がって育てていたのだけれどなぁ〜。

母が遊んでいる間に 施設に帰る準備をして トイレ誘導後 施設に向かった。

今日は とても良いお天気で お散歩にはもってこいの日。
しかし 駅まで歩く事は きっと無理。
と言う訳で いつもの長階段を使わずに別の道を歩き出した。
このコースなら 途中ベンチもあるし 疲れたら そこでタクシーを呼べば良いと思った。
2回ほどベンチタイムをとり 大きな通りを横切った。
おそらく ここまでで約1キロちょっと。
そこでタクシーを呼んだ。
程よい運動も出来て 良かった。

今日は 断続的に腹痛が見られた。
でも 便が下りてきている様子はなかった。
痛い様子の時に 薄荷油をお腹に塗る。
そうすると気持ちよい様子で 暫くすると元気になる。

明日くらいが排便かな?

今夜は 地域の活動グループの交流会が予定されていた。
夫の夕食を作って 会場に向かった。
始まるギリギリに会場に着いた。
日曜なのに 役所の方も見えていた。
その中に 苦手とする方が見えていた。
1度説明会に出かけた折 上からの物言いをする職員だった。
直接言い争いをしたとか揉めたとかはしてない。
言葉すら交わしてないのだが...。
話し方を聞いているだけで とても嫌な気分になってしまったのだった。
「その人がきっと一言発するんだな」と思ったら わざわざ参加費払ってその場所にいることが嫌になってしまって 受付にくるりと背を向けてUターン。
大人気ないけれど ちょっと今はまだ駄目だわ。

そのうち きっとお話しする機会が必然的にある筈で 避けられる時まで避けて置こうと思った。 こんなことじゃ遺憾のですが...。

なんだ それなら あとひと晩 母を家に泊めれば良かったなぁ〜。


2007年03月03日(土) ムキにならずに行こうっと!

昨夜 久しぶりに深夜にトイレ誘導をしてみた。
これが 成功。
だから 明け方に出来なかった分だけオムツに排尿という事である。
そして 今日一日 空振りは2回あったものの 100パーセントトイレで出来た。

昨日 母が我慢していた事を考えれば 出来る限りトイレで排泄させてあげたい。

6時ごろ「おかちゃん」と言う声に目覚めて隣に居る母と目を合わせた。
母は 機嫌よくニコニコ。
「おかちゃん」と呼ばれるたびに目覚めて 目を合わせてニコニコ笑顔を見た。こちらが夫の食事の準備のため起きだす頃には zzzと寝入っていた。

今日は 誕生月検診を受けた。
朝 家で検尿をとった。
昨年 出来なかったから今年は用意周到にという事だ。

勿論 診療所で出れば それに越した事はないのだが...。
家に泊まっていれば 朝の検尿は造作もないことである。
だから母の検診日には 家から出発と決めていた。

朝食は パンだったが 最初の一切れを食べて母の手はきっかり止まってしまった。
自力で口に運ぶ動作が時折止まる。
向かい合って 私が食べ始めても母の手は動かなかった。
ふた切れ目のパンを口に運んで上げたら 最後まで自力で食べられた。
お茶は 半介助。
おかずは自力。(トマトサラダとカマンベールチーズ)

食後 歯磨きをして 整髪して 着替えて いざ出陣。
バスの移動もクリアできた。

診療所のトイレに入ったが やはり出ない。
朝 水分を多量に取って貰ったのだが...あとちょっと時間が必要だったみたいだ。だから 家で採った物を出した。
検便は既に準備してある。

レントゲンと心電図は 何とか成功。
血液検査は ちょっと苦労した。
いつもやってくれる方で慣れてお出でなのだが...母の血管は動く。その上 細くなって来ているのでなかなか大変になってきている。

検査後「心臓がね 大きいよね」と言う。「大事に使うしかないねぇ〜」という事だった。
今日は 血圧高め。

検診も済んで 買い物をして帰ろうとスーパーをウロウロ。
そこで 友人とばったり出会った。
お義母さまが 骨折入院中なので「どう?」と聞いているうちに 話が長くなってしまった。
すると 母はすっかり機嫌を悪くして 私の手を振り切ってショーケースに伝わりながら スタスタまっしぐらに歩き始めた。
「機嫌が悪くなったのでまたね」と話を打ち切って母の後ろを追う。
母は振り向きもせずにショーケースを見ている風にしながらトットコ歩く。
何処まで行くかと そうっと後ろから追う。
前で棚をのぞいている人がいてそこで立ち止まる。
「どいてよ」と言わんばかりの勢いなので こちらもひやひや。
しかし 前の人は全く気が付かないので母の怒りもそれ以上には悪くならない。母の怒りの交わし方の真髄である。
そのうち キョトキョト周囲を見渡すので 母の視線に入らないように後ろに廻る。意地悪だけれどどうなるか見てみたい気がしたのだ。
誰かに話しかけそうになるが おそらく言葉にならないのだろう。
2回ほどそういう雰囲気になって さすがに 自分の意地悪さに嫌気がさして「帰るよ」と言葉をかけた。
母の怒りは もう消えていた。
3.4分足らずの事だが とても長い時間に感じた。

更にお買い物をして バスに乗って家に戻った。
機嫌が悪くなったのは きっと空腹のせいだったかもしれない。
家に着いた時 もう2時近くだったから。

遅い昼食を摂った。
5時ごろに 薄めに切ったロールケーキとプリンとみかん。
これは 自力で食べた。
おやつは 自力が多いかな?

今日はひな祭りなので 定番の五目チラシを作る。
干し椎茸とかんぴょうを戻して 人参・牛蒡を削ぎ切り。
絹さやは辛うじてすじ取りできていたのに 母の手は全く動かずだった。
4個ほど持たせてみたのだけれど...。
諦めて「絹さや頂戴」と言うと くるりと持ち替えて(まるで鋏を渡す時のように)返してくれた。
すじ取りが出来なくとも こういう芸当見せてくれたから まっいいかぁ〜と言う感じになった。
こういうところが 母の奥ゆかしさだろう。

薄焼き卵を焼く頃 母は何となく落ち着かなくなって 怒りっぽかった。

トイレに誘導しても特に変わりはなく お腹に薄荷油を塗る。
時間の経過と共に機嫌も直ってきて 五目チラシを食べる頃には落ち着いてた。

しかし 以前のようにあまり喜ばない。
五目チラシも食べ難そうに見えた。
そして「ひな祭りだよ」という言葉にも反応は鈍かった。

昨日から 時間の隙間に「1+1は?」と幾度か聞いて見る。
反応は鈍いが「1+1」は何とか言える。
が「2+1」「2+3」は どちらも「2」であった。
という事は 足し算は皆「2」という事になるのか???
焦る気持ちはない。
ゆったりとした合間に時折取り組む程度で何処まで出来るか...そんな感じで行こうと思う。

おそらく 私の中で母の認知症は相当進行していることが判っている。
語彙がめっきり減った。
今出来る事は 心のケアと身体能力の維持が大切と定まってると思う。
 
これが 今の現実なのだと思う。
でも ちょっぴり切ない。
過大な期待はしない。
でも ひょっとして回路がつながる時もあるかもと言う期待は捨ててないぞ。

夕食後 桜餅を出すと桜の葉っぱを取り除いて 自力で食べていた。
これは 投げ出さない。

その後 入浴。
風呂を上がるのを嫌がるようになってきている。
昨日もそうだった。
一呼吸ついて交わしながら 上がったが...。
これも 認知症の先を行っている先輩から経験談をお聞きしている事だ。
更に進行すれば 浴槽から出なくなる。2人がかりでようやく出すようになると...。
その日は 近いのかな。
ちょっぴり 悩ましい。
でもでも ムキにならずに取り組んでいこうと思う。 




2007年03月02日(金) 母の意思


娘は大阪へ月曜日まで出張。夫は仕事で帰宅が遅い。
訪問活動もないし...。
家族に迷惑をかけずに済むので 母を泊めようと迎えに出向いた。

全て支度を済ませて家を出たので 時間の余裕はある。
と言う訳で 髪が伸びて「不景気あたま」(父が髪の毛が伸び切ってしまうとよく言っていた)なので 美容院に寄ることにした。

しかし 着替えと洗濯物を持っているので荷物がすごかった。
美容院の階段を上るのは 結構きつかった。
駅まで行ってコインロッカーに入れておこうかと迷ったが 戻って美容院も母には大変なので荷物を持ったままにした。

美容院は空いていて助かった。
洗髪は 相変わらず大変だったが 後は何とか我慢してもらった。
施設を出る時 伸びた前髪を帽子の中に入れていた母だったので 伸びてきている事は自覚していたからだろうか?

前髪にロット巻いてくれているオーナーのスーツのボタン。
丁度 母の目の前なので 手外れているボタンを懸命にかけていた。

今日は 緩やかなパーマがかかって 綺麗に仕上がった。
やはり 落ち着いていると多少の我慢も出来るんだなぁ〜。

美容院を出る頃には日もとっぷり暮れてしまった。
暗い夜道をテクテク。
以前なら暗い夜道は 母の不得意であったが 最近はちょっと変わったみたいだ。
途中デパートに立ち寄り 明日のひな祭りの為に桜餅を購入。

家に戻って 手洗いをしっかり済ませて夕食。
母の食欲は普通よりやや落ちていた。
だから 遊びも多かった。
半介助で何とか食べ終えた。

食後 食器濯ぎを手伝って貰った。
先に綺麗に洗ったものを濯いで水切りに置いて貰う。
指示しても 言葉が思うように伝わらなかった。
動作よりも言葉のリハビリが目的だから これでよし。

その後フルーツとプリンのデザート。
これは 喜んで自力で食べた。
母はずっとニコニコしていた。
時計を見て「いち に さん...」と幾度も読む。
どうやら秒針が動いているのが面白いようだ。
「とけいね」というと「時計だ」と頷いて言う。
言われて始めて 時計と認識できたと言うように見えた。

暫くして トイレ誘導し入浴。

入る時は 難儀した。
ご存知の通り 我が家には手すりはない。
出来る限り危険回避させようと思うが 母には母の考えがあって どうしても対立してしまう。
以前の母なら 危険回避も出来たが今の母は 溺れるもの藁をも掴むみたいな状態なのである。
シャワーのヘッド受けが壁に固定されているので そこが安全だと思うのだが 簡易のかみそり受け(吸盤タイプ)の方に掴まってしまったりするのだ。母の気持ちに折り合いながら 何とか入浴した。

湯船に浸かってしまえば 気持ち良さそうな表情になるのに 入るまでは ほんとになぁ〜。
施設では もう リフト入浴で決まりのようだ。

体力的な苦労は あまり感じないのだが...危険回避の課題が大きい。

湯船から上がって 身体を洗って シャワーを浴びて 脱衣室に移動しようとすると屈み込むようになった。
「あああ!!!あの時と一緒だわ!排泄だわ。。。」
そう判って タオルを敷き込んだ上を歩いてもらい タオルを敷いた椅子に座ってもらった。
身体を拭いて パジャマを着用してもまだ出てなかった。
「トイレに行く?」と聞くと「うん」と言うので トイレに誘導。
危機一髪だった。
「我慢していたんだね。ごめんね。偉かったね」と母の頭を撫でると頷いていた。
母のこういう意識は 最近かなりはっきりしてきた。
やってはいけないと我慢しているのだ。

実は 施設に迎えに行った時も危機一髪だった。
「トイレ行く?」「うん...」で連れて入った途端に排尿。

今日は ほんとに排泄の事で随分教えられた。
母自身が 判って我慢しているという事だ。
これは 大切にしてあげたい。


2007年03月01日(木) 当選


 昨日の会議の合間に話題になった事。
「記憶の不確かさに心配になってきます」とある人が言う。

介護に追われる毎日の中で チグハグな母と24時間顔を合わせていると自分がおかしくなっているのではないかと思う時が 時折あった。
夫や娘との会話で「大丈夫みたいだ」と確認できたりしていた。

昨年の私の手帳は 月曜日が週の初めとなっていた。
それで 時折 曜日で追ってしまって記入ミスしたり 読み込みミスをしたりが多く そのたびに 自分の記憶力が頼りなげに思えて自信喪失したりだった。
若い時なら これくらいの変化は ものともしなかっただろうになぁ〜と思ったりだった。

今のところ 深刻な心配事ではないけれど 私も含め みんなちょっとずつわが身に照らし合わせて認知症を考え始めているみたいだ。

記憶と言えば 母の記憶も変化してきた。
以前通っていたデイの職員の顔 建物を 数年経ても記憶できていた。
認知症になっても新しい記憶は出来ると嬉しく思ったものだ。
しかし 最近の母は 以前の職員の顔も忘れかけている。
いつもと違う行動パターンで気持ちが安定してなかったからとも思ったりしているが おそらく 違うだろう。記憶が 更にボンヤリし始めているのだろうと感じるのだ。

時折 わたしのことをいとこの名前で呼ぶことも復活しているが 殆どの場合 名前を呼ぶ事は殆どなくなった。
顔で認識していると思う。

母に約束した通り 母はいつまでも私の母であり 何が困っているかをいつも想像して出来る限り手伝うことに変わりはない。

さて 今日は 久しぶりに眼鏡屋さんに出かけた。
視力を測る機材が近代化していて驚いた。
ずっと視力が良かったので 眼鏡とは縁がなかったが 今では眼鏡なしに暮らせない。

初めて眼鏡を作った時 本が読みにくくなっていて手元用眼鏡も作った。
作った時は 本以外の所に視線を移すとクラクラと目が廻るほどだったのに今は それを付けて歩くと1番疲れない。
眼鏡屋さんにそう話したら レンズを測って 視力を測って 笑いながら「ほんとに これが1番合っていますね」と言われた。

さてとどうして眼鏡屋さんに出かけたかというと今の普段使いの眼鏡は ちょっと型が古くてレンズが大きい。
もうひとつの眼鏡は 作って直ぐからレンズが合わなくてあまり使っていなかった。
それで レンズだけ替えてしまおうと思ったのだった。

一連の検査をして 視力を測ってもらった。
それが 冒頭の今の眼鏡が1番合っているという事だったのだった。
今回は 乱視をひとつ先の度にしてもらうことにした。

レンズだけでも 結構な価格。乱視のレンズは 価格が高め。
10万円以上のレンズもあるというが そこまで高くなくとも良いんだわ。
眼鏡屋さん 遠近両用を勧めた。
これだけは 信頼する眼科医が「止めとけ」としっかり言ってくれていたので丁重にお断りした。

眼鏡屋さんも結構時間がかかる。
クリーニング屋さんが来る日なので 大急ぎで戻ったが もう 来訪後だったみたい。
集金もあるはずなんだけれど… ま いいかぁ〜。

戻ったら 待ち焦がれてたはがきが届いていた。
はい 菜園 当選でした。やったぁ!


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