母のタイムスリップ日記
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2007年02月28日(水) 靴擦れ


 リハビリの日である。
リハの立会いの後 会議があるので真っ直ぐ行ける様に支度をして家を出た。

ドアを入ると歌声が聴こえてきた。
♪月が出た出た 月が出たぁ〜♪
スリッパに履き替え 両手に荷物を持ちながら ついつい踊りながらホールへ入って行った。
見つけた入所者は ケタケタ笑い出して 歌声が止まってしまった。

母は久しぶりに「ここよ」と言う風に手を上げてくれた。
居室に誘導し整髪し トイレ誘導。
緩い便が付着していた。腹痛はない様子だ。
替えのオムツを取りに出た隙に母は立ち上がっていた。
慌てて 座り直して貰う。
更に出る様子はないので 着替えた。
洗面所で手洗い うがいをして 療法士さんを待った。

療法士さんが見えてから 母を託して急いで薬局に走って買い物。
戻って程なくして リハが終了。
母は寝入っていた。

そこで今日もOさんの髪をマッサージした。今日は 束ねて差し上げた。
「すっきりしたわ。ありがとう」とOさん。
職員が「風邪気味で 菌ががあるから手袋使われますか?」と聞いてくれた。「いえ 大丈夫です」と断る。
整髪する時も職員は手袋をかけるのかなぁ〜。
「おかちゃん」と言う母の声がしたので 居室に移動手洗いをする。

母を起して 周囲を片付けホールに移動。

今日はOさんも他の入所者もちょっと咳が出ている。
悪いけれど ちょこっと小さな飴を差し上げた。
見守りながら 飴をなめ終えるの待つ。
ちょと咳き込みも鎮まった様子にホッとした。

テレビに見入る母だったので 施設を後にした。
便が緩めなので マグラックスを今夜と明日の朝まで 服用中止を願い出た。

それから バスと電車を乗り換えて会議の場所へ移動。
2時間ほど会議をして帰る。

久しぶりにヒールを履いたら 足が痛い。
よく見たら 右かかとに豆が出来ていた。
帰路の電車で靴を脱ぎたくなるほどだった。
スニーカーで暮らしていたので ゆったり感に慣れてしまったんだなぁ〜。
気力も同じかなぁ〜?

来月末 結婚式で またヒールを履くけれど...ちょっぴり心配。


2007年02月27日(火) 利用者さん訪問


今日は午前中の訪問
チャイムを鳴らして 玄関を入る
真っ暗な中から返事が返ってきた。。
声のする方角からベットの上ではない事だけは分かった。

コートを脱いで 部屋に進むと更に真っ暗なトイレから利用者さんは出ていらした。
倹約した生活なさっていると想像できた。

今日の希望を伺い 直ぐに取り掛かる。
先に洗濯機を始動させた。
ご主人様は ベットで就寝中。
掃除機の音が五月蝿くないか?サッシ戸を開けて寒くないか?と利用者さんにお聞きすると「大丈夫ですよ」と言う返事だった。
ベットの下の埃は 雑巾で手を伸ばして拭いて埃を集めて掃除機で吸い込んだ。
サッシ戸が 埃を被っているのでこれも雑巾で拭いて掃除機で吸い込んだ。

キッチンや脱衣室や玄関にも掃除機を掛けた。
こちらは 先週より汚れが少なかった。

その後 洗髪。
今回は 洗面台を使って洗髪を希望された。
それも 出来る所は自分でなさるという事だった。
「そうですね。ご自分で出来るならそうの方がご自身の為には良いですね」と声をかけると意外そうな表情。
そうか 身体介護になると料金が高くなるって理由だったのかな?
前回の分 身体介護になるかは事業所任せだ。
活動報告書は 家事援助にしてある。
これまでの活動でもそうやってきている。

洗髪が終わる頃に 洗濯が済んだ。
今日は 柔軟剤を使って欲しいという事でちょいと慌てた。
洗濯機は それぞれ使い方が異なるからだ。
ボタンをあちこち押しながら 使い方を探って 何とか使えた。

洗濯物を干しても まだ時間があり キッチンの洗い物を済ませた。
冷蔵庫にあるものを出して切って欲しいという事で 器に収めて活動終了。

活動中 いろいろお話を伺った。
「前回洗髪後 ふらついて倒れそうになった時助けて貰ってありがとう」とお礼に続いて...。
骨折来 これまで何回か転倒し 片足位と思うけれど 随分違う物だと思われたそうだ。
倒れた時 ご主人が起してくれようとしたけれど 二人で尻餅をついて起き上がれなくなってしまったらしい。
骨折した時は 着物を着て草履を履いていて ちょっと足が上がっていなかったのに気が付かなかったということだ。
転倒は ほんとに気をつけなければならないとも話されていらした。

「活動時間は1時間半でよい」と利用者さんは言われたが 頼まれた仕事は1時間で済んだので それで終了とした。
午後には ご主人にヘルパーさんが見えて お買い物してくださるそうだ。

在宅なら 1人も2人も同じ人が介護するけれど ヘルパーさんに頼めば やはり2人一緒にと言う訳には行かないんだよねぇ〜。


2007年02月26日(月) 反応あり


午前中は 頼まれていた事を思い出して ちょこっと仕事。
午後 母のところへ。

今日は 風もなくお日様もあってお散歩日和。
母はニコニコとテレビに見入っていた。
テレビを見ている母をみるととても不思議な気がする。

家にいた頃は テレビを見ることはなかった。
居間でみんながテレビをみてくつろいでいても 見入る事はなかった。
ビデオを借りてきても見なかった。

元気な頃は 母はテレビは見ていた。
仕事関連のテレビだって見ていたし 時代劇だってみていた。
だから テレビ嫌いではない筈なのだ。

テレビの音が聞こえないせいかと思っていたのだが...。
今の母は じっと見ているんだから 音のせいではなかったのだろう。

あの頃 テレビを見てくれればもう少し楽に介護できるのになぁ〜とグズグズとした思いがあった。
それを見透かされているようで イライラしていたのも確かである。

じゃ 何をしていたのかと言うと編みものや刺し子をしていた。
この準備は 結構 大変で全てセットして 作業の始めは少し手助けして 母がほんとに集中するまでじっと待った。
乗ってきたなと思って 母の傍を離れると作業を止めてしまい また 最初からやり直すと言う日々だった。
ほんとに集中すれば 2.3時間は作業が続いたので 嫌な作業ではなかったのだと思う。
集中している時に「楽しい?」と聞くと「うん 楽しい」とニコニコ笑顔を見せてくれていた。

テレビを見ているのは受動的で 作業は自ら動くのだからその辺に違いがあったのだろう。

今は 縫い物も編み物も何をどうするかすら理解できない風だから 受動も何もなくなってきて テレビを楽しめるようになったのだろうか?

居室やホールのお掃除をしてから 散歩に出た。

手袋を付けなかったので「寒いかな?」と思ったが「暖かいよ」という母の声があったので安心して散歩を続けた。
今日の母は 前に前に やや急ぐ日だった。
疲れを見せる事はなくて...良く歩いたと思う。

歩きながら「1+1は?」と聞いてみた。
暫くして 「1+1は...」と反芻した後「2」と答えた。
「やったね。出来るんだね。凄いよ」と言うとニコニコ。
学習効果が上がるような気がして来た。
そんな単純な物ではないだろうが でも「やっても良いみたい...」という気持ちになった。
これから 暫く 面会の時に計算の用紙を準備してみようと思った。 


2007年02月25日(日) どうしようかね!

 
 ようやく畑を空っぽにできた。
まだ 4面ほど残っていたが 後は皆さんきちんと元に戻されていた。
さて 当選はがき(?)何時 届く?

NHKスペシャル 百歳からの学習。
そういえば 前回のもチラッと見た事を思い出して「その後どうなったか」に興味が出てテレビの前に立ち止まった。
学習効果が上がったようで「良かったな」と思った。

学習効果ってあるだろう事は理解できる。
おそらく未解明な部分が多い脳の事だから 病理が解明されても 判らない部分が残るだろうと感じている。

認知症の奥様がデイに通われ 学習を始めたという映像があった。
ご主人は 認知症になっている事を認められないで居るという事だった。

その話を耳にしながら ふと 思った。
認知症の発症に家族が なかなか気が付かない現実は案外多い。
気がついて医療機関に繋がるのは 結構進行してからになる。

じゃ 一人暮らしで 人の交流の少ない人の進行ってどうなんだろう?
どっちの方が進行が早いんだろう?
そんなことが少し気になった。

母の病も十数年かけて確実に進行している。
初期の目標の「歩く事 食べる事」は 下り坂ながら 辛うじて保たれている。初期の1日4時間の散歩は 大幅に減った。
あの頃(80歳を挟んだ頃)の4時間徒歩は 乗り物を使わない純粋な歩きだった。それを考えると散歩の量は8分の一近くに減っている。

歩く事や食べる事の前向きさは まだ辛うじて残っている。
明らかに落ちたのは 歌詞の記憶 文字を読む事 折り紙 塗り絵 これはかなりの下降線である。

この所 また不機嫌な日が目に付くようになっている。
テレビを見ていると学習によって 変化が見られるという事だったが...。
母に効果は上がるだろうか?
母の意思はどうだろうか?

来月には 母の91歳の誕生日が来る。
ここに来て 同じ時期に入所した同年同月生まれの方が ほぼ寝たきりとなり 鼻腔栄養摂取となってしまった。
穏やかな笑顔を見せてくれる。
発症暦は 聞いたことがないので判らないが...。
入所時は 母より記憶力があったような気がする。
ただ 折紙や縫い物や運動や歩行は母の方が ほんのちょっと出来ていたような気がする。
同じ年で同じ誕生月の方だったので 応援する気持ちが強かったので 最近ちょっぴり寂しい。
その方に学習効果は どうだろうか?

母の学習 挑戦してみようか?
そうする事で気持ちの安定が図れるならそれも良いのだが...。
少なくともこれまで いろいろ試みてきてここまで来た事を考えると限界に来ているような気もするし...。

テレビを見ながら 認知症になって流れた年月をふと思った。
頑張ってきたよね お母さん!どうしようかね お母さん!


2007年02月24日(土) 唄う ♪


娘の会社の内示があり メンバーが入れ替わりがあったと言う。
娘の移動はない事は 仕事の成り行きから予測できていた。
来年度からは ちょっと若返るらしい。
新しく来る方は 知っている方なので気心も知れて気が楽という事だった。

今日は 朝から夫も娘もそれぞれお出かけ。
洗濯を済ませて母の所に向かった。
昨夜から風が強まっている。
外に出るとコートをすり抜けるような風だ。
今日は お散歩はやめた方が良いと思い 途中お弁当を購入した。
「折紙でも持って 雛人形でも作れば良かったかな」と思った。

施設内は穏やかだった。
みんなに声をかけて最後に母の傍に行く。
母はニコリともしない。横を向いてうなだれている。
1人の世界に入り込み 他の方と交わす声すら全く届いていなかった。
「お腹痛いの?」と聞いても返事もない。
職員が「固いのがあるんですよ」と教えてくださった。
既にマッサージしてくださったようだった。

トイレ誘導。
母は少しニコニコし始める。
「あのねぇ〜 イチ 二 サン!だよ」といきみの号令をかける。
何回か繰り返すと「もう なおったわ」と言い出す。
ついさっきまで 聞いたこともない単語を発していたのになぁ〜。
「へへへ 治ったの?そりゃ良かったわ!」
と言うと 母は あはははと笑い出す。
つられて 私まであはははと笑ってしまった。

姿勢を直して座りなおして 背中を擦る。
それから 肋骨の後ろ側をちょっと押す。スッとガスが抜けた。
それから ちょこっとお腹のマッサージをして 便秘のツボを押した。
再度 息みの号令をかけた。
少しいきんでくれた。

こんなことを繰り返しながら 睨めっこを挟んだ。
母は笑い転げる。
笑う事でお腹に力が入って息みのタイミングを掴んでもらう。
何せ 母自身がいきまない事には排泄は無理。

そうやって タイミングを掴んで無事排泄。かなり固かった。
それでも 昼食前にすっきり出来てよかった。

手洗いを済ませてホールに出ると食事が始まっていた。
「ほほ 食事してる」と言いながらテーブルに付く母。
手持ちの弁当を広げてみんなで食事した。

テーブルには 職員が庭から折って来てくれた梅の花が活けてありほのかな梅の香りが漂っていた。

昼食は半分介助で順調に食べた。

食後 みんなでテーブルを囲んで歌を唄う。
1人が歌い出したので それにつられてみんなで歌う。
今日は 春の歌の唄いたいなぁ〜 探してみようかぁ〜と。
今日もまた 母とダンス。みんなの笑いを誘った。
歩ける方をダンスに誘って 母は休息。
私1人で みんなの周りを踊って回ったり...。
一時間余 みんなは歌いまくった。

春の歌をみんな懸命に考えてくれた。

後半は手遊びも入れた。
それまで にこやかに見ていた母が ようやく 声を出して唄った。
手遊びも出来た。
みると お隣にいる方もそれまでじっと聞いていたのに テーブルの上に置いた手がトントンとリズムを打ち出した。
この方も 言葉が減りつつある方である。
よく見ると声は出さないが 口がかすかに動いていた。

歌を唄うことで言葉もでてくる。

職員の誘導で 入浴が始まった。
その間に 先日失敗したOさんの爪切りをしようと思い立つ。
先にみんなの髪の毛を梳かした。
最後にOさんと思ったら Oさんのスカートの鍵ホック受けの片方の糸が切れてしまっているのが目に留まった。
針を渡してみたが ホールに針を刺すのは難儀そうだったのでこちらが抜い付けて差し上げた。
それから 髪の毛を梳かした。
終わらないうちに「危ないので 切ったほうが 良いんじゃないでしょうか」と爪切りを渡した。
「そうね」と今日はすんなり受け容れて貰えた。
全てご自分で切られた。
でもギザギザしていて危ないので 鑢をかけて差し上げた。
向かい側に座って様子を見ていた方が「ねえさん 鑢私にもかけて欲しい」と言われたので 次はその方に鑢をかけて差し上げた。
2本程 ひっかかる所があるという事でそこを中心にだ。

爪きりが終わった所で 母を居室誘導し ちょこっとデザート。

そうこうしている内に 母に入浴のお誘い。
今日は 職員に託した。
が ふと思い立ち 入浴拒否のOさんに頼みごとをした。
「母の入浴時 お手伝いしてもらえませんか?」と。
勿論 職員には先にお話して了解を頂く。
母の了解まではとらなかったので 母には ごめんなさいである。

あわよくば Oさんの足くらい洗えたらいいかなと思っていた。
Oさんのお風呂場での反応を見ておきたかった。
少し尻込み気味だったが 母の介助を頼むと母の手を引いてくれた。
「ありがとう♪」と伝えるが 用心深く顔をひく引くさせて「私は体調が良くないので...」と言われる。
「いいえ 助けていただいて ありがとうございます」と言うと「いえいえ」と。
Oさん 母の顔色を良く見てお出でだ。
やはり 思いやりが深い方だと感じ入る。

「こういうところを初めて見ました。いいものですね」と言われていた。
母の洗髪が始まるので 拒否を見せて興奮させてはマイナスなので今日はここまでにした。

結局 靴下さえ脱がなかったが 気持ちの昂ぶる事はなく浴室で過ごして貰えた。無理を通す事は 良くないと思うから 少しずつ慣れて頂くしかない。

母が入浴を終えるのを待たずに施設を後にした。



 


2007年02月23日(金) 仕方ないかぁ〜


日中 細かい用事があった。
「母の所に行かなくちゃ」と思うがどうにもならない。
面会には行けない状態で 家でお茶を飲んでいると後ろめたさが広がる。
気持ちの切り替えが出来ない自分に苛立った一日となってしまった。

夜 会議に出かけた。
6月の行事に向けて以前から会合があった事は知っていた。
「介護優先」という事で 逃げていた。
今月初旬に「認知症関連の部門で何か出来ないだろうか?」と言われ 以前と同じ形式で良いですから...と言う言葉に軽く受けてしまった。

行事を作り上げるという事は 結構 時間が取られる事が判るので 避けて避けて来た。
前回と同じという事で講師取次ぎで何とか済むかなと思っていたが どうも様子が違って来た。
学習会の企画立案と実行という事だ。
当然 全体の流れを知る必要があり 定例の会議に出席と言う事態となってしまった。

今日 会議に参加してみて ちょっとため息。
前回までの執行部体制と様子が違ってきていた。
執行部の皆さんは 積極的参加の方ばかり。
私は消極的なので ややしんどい。

認知症の理解を地域に広めるためだからなぁ〜。
団体登録して御世話になっている部分もあるので仕方ないかぁ〜。
介護仲間の知恵も戴きながら 取り組んで行くしかないな。 


2007年02月22日(木) ドキドキ


新しい手帳(ほぼ日手帳)が届いた。
これに きちんと書き込み 毎日忘れずに見れば この手帳は生きる筈。
手帳って そういうものだろう。
しかし 使いこなせるかな?
いくら良い手帳とは言ってもなぁ〜。
情けない事言わないで きちんと使いこなすゾウさんだわ!

使いこなせないと言えば 携帯だってそうだ。
パソコンだってそうだ。
デジカメだってそうだ。
はぁ〜。

今日は ブログ講習会に出かけた。
介護者の会のブログを立ち上げるための準備である。

個人の分は登録済みで 公開せずに記録を始めてはいる。

会の分は みんなで運営という事になるのだ。
今回は 見学で参加。
来月は 介護仲間と共に正式参加する。

一講座4団体と限られていた。

アクセス数を集める事よりも 会員の交流 地域の団体で情報の共有して 運営の助っ人を求めたり 地域広報等が主目的である。
外から見る事は可能だが 何より そのサイトに登録しないと書き込めないのがいい。
サイトでは 基準を設けて審査してくれるというので安心出来そう。
ひよっこのブログだから最初はそういうハードルがあると助かる。

講座に参加した人は パソコンに慣れている人 慣れてない人 様々だった。
私自身 まだまだひよっこと思っているが いつの間にか初心者は卒業してしまっていると自覚させられた。
さりとて 中級と胸を張る事もできないのが現実。

会のホームページを作ろうと考えたのは 随分前の事だ。
数年かけて ようやく現実の物となりそうだ。
昨年 一足先に ネットの仲間が立ち上げた介護者の会のホームページがある。今年になって ある介護者の会がホームページを立ち上げた。
皆さん それぞれ介護に取り組みながら 頑張ってお出でだ。

うちの会のブログは会員が相互に育て上げられるように...と願っている。
来月は 記念すべき月となりそうだ。
ちょっとドキドキ。

ブログの講習会は連続3時間。
3時間で学べる事は限られている。
知りたい事はいっぱい有ったが それは個人的な質問で解決していくしかないようだ。

地域には いろんな会がある。
専門集団と見えるところもある。
こちらにない知恵を頂きながら 会を広げることが出来ればいいなぁ〜。

午前中は ちょこっと畑に出かけて支柱を洗って纏めた。
作物の残骸を穴を掘って埋めた。
みんな次々綺麗に片付けているなと驚いていたら どうやら 近くに住む方が片づけを手伝って居られるようだった。
「朝早くから 3メートル掘って埋め込んであげたよ」と話されてた。
うちの畑は 小松菜と春菊が残っている。
もう一回行けば 畑は空っぽになる。
どうか 来年度の抽選当たっていますように!
もう抽選は済んでいて 立会いに行った人は当選が判って居るんだそうだ。
暫くはドキドキ。


2007年02月21日(水) ダンスダンス


リハビリの日だが 午後活動があるので 施設に長居出来ない。
お弁当を作って 早めに母の所に出向いた。
母は ソファーに座って カルピスのような物を飲んでおりにこやかな笑顔を見せてくれた。
向かい側では レース越しに春の陽を浴びながらウトウトしている入所者がいらした。 心地良さそうだった。

暫くすると 居室で休息中だった方も車椅子で出ていらした。
順繰りに髪を梳かして差し上げた。
「ありがとう♪」とそれぞれからお礼を言われた。
爪切りを渡してOさんに爪切りをお勧めしたが 今日は「主人に聞いて見ないとできません」と言われたので引き下がった。
母の爪切りを見れば その気になるかも...と思い みんなの前で母の爪切りをした。
調子よく出来ていたのに最後の小指で失敗。
指先に刃の部分を当てた時にスッと切ってしまった。
「痛い!」と言う小さな声がホールに響き 職員が消毒薬とカットバンを持って飛んできてくれた。
「ごめんなさい」と謝ると「謝ってくれなくともいい 広がって...」と精一杯庇う言葉を向けてくれた。

程なく昼食。
今日は みんな「美味しい」と箸の運びが速かった。

食後 トイレ誘導。
昨日 排便があったという事だったが 今日も少し...。
誕生月検診用の便検査 2つ無事完了となった。
毎年ギリギリなので ホッとした。
パット換えをしている時「汚いか?」と母が聞いてきた。
「汚れてないよ」と言うと安心したようだった。
一時は さほど気にしてないように見えていたが トイレ誘導を続けるようになってから 大分排泄の意識が高まっているようである。
だからと言って 1人でトイレにむかえる訳ではない。

まだ時間が有るのでホールに移動。
ホールでは みんな歌を唄っていたので 母と一緒に歌にあわせてダンスを踊った。歌っている人は「うまいうまい」と褒めたり 笑ったりだった。
母も嫌がる様子もなく楽しそう。
ダンスとは言っても 足元のおぼつかない母なので身体をこちらに任せてなのだけれど それでも ダンスに見えるって事で救われる。

ダンスの後はリハビリ。
療法士さんが見えて「変わったことありませんでしたか?」と言われて「特にないです」なんて言ってしまった。
その後 母の足の屈伸を始めた時「いたい いたい いたい」の母の声。
そうだった 一昨日 左足を少し引きずって居たんだったわ。
慌てて その説明をした。
どうやら 左足の膝後ろ辺りを痛がっているようだった。
やはり 何か有るんだな。
でも 在宅の頃から 時折そうした痛みを訴える事が有ったので心配するほどではないと思う。
リハの前 ダンスだって踊れたのだもの。

療法士さんは 左足は撫でるだけにして左足に移っていった。

そのうちに 母はzzzz。
リハが終わっても目覚める事もなかった。

後は職員に御願いして 施設を後にした。

利用者さんは ご夫婦で二人暮らしの方。
良いお天気なので 洗濯するのに良いと思い 休息をとらずに早めに訪問した。「あら 早いですね」と利用者さんは 言われた。
今朝ほど 事業所から連絡事項の電話があった。
それを頭の隅に置きながら活動に入った。
「洗濯 掃除 洗髪 清拭」が今日のご希望。
洗濯機を回して 洗髪の準備をした。
ギブスをしているので濡れないようにビニール袋で足を包み込むようにした。利用者さんは 椅子に座って洗うといわれたが 歩行器に掴まって立ってもらって首を前の方に伸ばしてもらって洗うことにした。
座ってしまうと首が膝より前に伸びにくそうだったからである。

シャワーの加減がわからなくて苦労したが 頭皮に出来る限り近づけて水が飛び散らないようにした。
衣類を濡らさないで何とか洗髪できた。
浴室前に準備した椅子に腰掛けるまでは良かったが 浴室用のブーツを片足に付けていた事を忘れて立ち上がってしまった。
「靴が...」と声を掛けたら 利用者さんは松葉杖を付いて脱ごうとしてクラりとした。
慌てて身体を支えて「無理です。椅子に座りましょう」と誘導して脱いで頂く。元気に歩けた感覚で居られるので ついついである。

「ドライヤーを掛けて頂けますか?」と頼まれた。
ドライヤーをかけてあげる事は難しい事ではない。
でも 自分でも出来る筈なので 「はい」と返事して浴室の後片付けをしていたら ご自分で乾かしていらした。
足りない所は その後こちらで乾かして差し上げた。

ベットに戻って貰った頃に 洗濯機の終了音。
洗濯物を干した。
それから 掃除機を掛けた。
今週は 要領を得たので ベットルームとキッチンと玄関と脱衣室と順繰りにかけた。
ベットの下に掃除機が入らないので 雑巾を借りて埃を取り出し吸い込んだ。
良く見れば 椅子の足にも埃が付いているのでそれらも拭きながらお掃除。

家ならば 動いている間は電気をつけて置くが 利用者さん宅は使う部屋しか電気を付けないので 掃除機が移動する度スイッチをオン オフ。
人様の生活形態に合わせる事は 活動のルールだ。

掃除が済んで 丁度1時間経過。
清拭がご希望なので お湯を貯めてタオルで拭いていく。

「時間超過してますので 30分超過になりますが 他にご希望はありませんか?」とお聞きすると「ポータブルトイレのお掃除を頼むの忘れた。二人で使っているので...いっぱいの筈です」と言われた。
直ぐにタンクを外して 掃除。
それでも時間が残っているので「食器洗いますね」とこちらから申し出た。
「じゃ ついでに冷蔵庫にある漬物切って貰えますか?」ということでキッチンでお仕事。
これで 丁度終了となった。
食器を棚に収納して水周りを拭いた。

それから 次回訪問日を決めた。
活動時間を節約が利用者さんは ご希望なのでそれに沿うように活動。

そんなこんなで家に戻った。
家では留守電チカチカ。
役所からだった。
認知症介護なさっている方のフォローの御願いだった。
ご本人様には 伝えてあるという事で こちらから電話して欲しいという事だった。
デイ利用日やヘルパーの入る日を確認してゆとりのある時間を教えて戴く。


2007年02月20日(火) しょぼん!


 生憎の雨降り。
家に篭もって お掃除。

夕方になって雨が上がり 急に思い出した。
...そういえば時計の修理が仕上がった」って電話があったなぁ〜...
先々週 夫の時計の電池を換えて貰おうと出かけたら「防水加工のため メーカーでのお取替えになります。こちらでも 替えられますが 防水の保障は出来ません」って言われたのだった。
おまけに「電池切れとは限らなくて 故障だった場合は見積もって再度連絡します」と言われてもいた。
が 電池切れだけで済んだようだった。

時計をなくすのが得意な夫なので 高価な時計は買ってあげない。
この時計だって 頂き物。買えば 数万円するデジタル時計だ。

連絡を貰ってから 日にちが経ってしまったので取りに行こうとスタコラサッサと時計屋さんへ向かった。

「あれれ 真っ暗だ」
そういえば 昨日隣のビルで「明日は休業日」とあったような気がする。
「しまった ここもそうだったか」
いつもなら水曜が定休日で 最近ほぼ無休状態だったので 気にも留めなかったわ。

時計を受け取るだけの為に出たのに...。
空戻りも馬鹿馬鹿しくなって 別の店であれこれ買い物してしまった。

惰性で行動するとこういう事になる。
時間やお金の無駄使いをしてしまった... しょぼしょぼん!


2007年02月19日(月) ♪もう春ですよ 春ですよ♪


 利用者さん訪問。
「この間 ブレーカー落ちませんでしたか?どうも.2ほど消費電力がオーバーしていましたね」
「1度落ちたので 弱でお掃除しました」

89歳の利用者さんなのに凄いなぁ〜。ちゃんと確かめているんだもの。
認知症がないって こういう事なんだなぁ〜とつくづく感じ入ってしまった。

掃除機を掛けるだけで2時間かかっていたが 前回より拭き掃除が出来るようになった。今日は 更に拭き掃除を増やせた。
やはり 要領を得るまで少し時間がかかるなと思った。
利用者さんは 訪問のない時は自分でお掃除なさっているように感じる。
いくら一人暮らしとは言っても 多少の埃は出るものだもの。
それで 物陰になっている所や手の届かない所を中心に拭き掃除をするようにした。

活動が済んで記録をしている時に...。
「私 昔は鬼嫁だったのです」と言われた。
「えっ いつも笑みを絶やさずにこやかですのに...」
「いえね 姑が結構意地悪で泣かされていましたの。だから鬼になりました。主人は素知らぬ顔で 冷たい人でした」
黙ってお話を伺ったが 今のお姿からは想像できない。

3月の活動日を決めて 活動終了。

家に戻って食事をして直ぐ母の所に向かった。
施設に着いて 母の姿が見えなかった。
どうやら入浴中みたいだった。
それならと 母の居室のお掃除をしてからホールにも掃除機を掛けた。
ご家族がもう1人見えていたので その方が物を移動してくれたのでスイスイとお掃除できた。
ついで その入所者方のお部屋も掃除機を掛けた。

それからOさんの髪の毛を梳かした。
いつも後ろ側から梳かすので表情が見えないが 見ていたご家族が「良い表情をなさっている」と言われていた。
最初は 反応を見ながら 次にもう少し丁寧に 更に 清浄剤をつけながらと3段構えである。
母も入浴が済んで職員と上がってきた。
職員も「良い表情だわ。昨日 こちらもちょっとずつ 距離を縮める努力を重ねて 着替えに成功しました」と言われた。

掃除が済んでみんなでお茶を飲んで ひと家族は 車で外出。
母と私は 徒歩でお散歩に出た。
今日は 先日買った靴を下ろした。
近場を歩いて足慣らしと言うか 靴慣らし。

左足の上がりが少し悪い。
気のせいかな?と感じる程度なんだけれど。
「足が痛い?」と聞くと左足の膝の後ろとふくらはぎの辺りを触れていた。
ちょっと注意してみていたが 帰路は気にならなくなっていた。

お散歩の途中で ファミレスに入った。
学生で混雑していたが 母の機嫌は悪くなる事はなかった。
お茶とデザート。自力で食べていた。飲み物は半介助。

帰路は疲れた様子だった。
途中「花屋さんに寄る?」と聞いた。「ほら あそこよ」と言うと 花屋が目に入った様子で「寄ってみる」と言うので 前まで言ってみた。
「綺麗だ」と言って見ていた。
途中1度休んで 施設に戻った。

♪ぽかぽか春がやってきた お家の前の桃の木の蕾もみんな膨らんで もう春ですよ 春ですよ♪と唄ったら 最後の「春ですよ」だけ唄えた。
前回の時は 全く唄えなかったので ちょっぴり嬉しい。
母も嬉しそうだった。

施設に戻って靴を脱がせようと思ったら嫌がる。
ちょっと時間を置いて 上履きを運んできたら 今度はOK。

職員から「食後口を漱いだあと 入れ歯の装着を嫌がって装着できなかったです」と言われた。
これは 以前から時折起きていた。
特に食後に多い。
入れ歯を食べ物と認識して固いので出すというように見えた。
その旨を職員に伝えて様子を見てもらう事にした。

現に 今日のデザートの時は 入れ歯を外す事もなかった。
今日は ほんとに暖かな1日だった。 


2007年02月18日(日) アロマテラピー

 
 母の嘔吐が出た頃から アロマを使い始めている。
私自身も時折使うようになっているので いつもバックに忍ばせている。

母の歯科通院の折 アロマを使ってみた。
新規の入れ歯を作る時は 使い忘れたか 直前だったと記憶している。
先週の金曜日は 早めに使っていた。
直前にも使った。

実際 効果があったかの実証は難しい。
でも確実に言えるのは 先を予測して準備出来れば こちらの心構えが出来ていたという事だろう。

神経の疲労が続いていた。
娘が寝室に そうっとアロマを置いていく日が続いてもいた。
その効用があったかは 判らない儘だった。
が どうも 置いていかない日 幾度も寝返りをうち眠りが浅かったような気がする。

これも 娘の思いやりを感じて安眠できたのか アロマの効用なのかは判らない。

でも 効いていると信じる心も必要なのかもしれない。
擬似薬だって 効果はあるのだからなぁ〜。

頭痛のする時のアロマは 結構効き目があった。
だから 効果はゼロではないのだろう。

これからも 暫くはアロマの力を借りて過ごしていこうと思う。


2007年02月17日(土) 畑の仕事


菜園の返却日は今月末。
まだ きちんと片付いてないので 今朝は畑に出向く。
出掛けに「携帯を置いていく」と言ったら「施設から緊急の電話が入ったら大変だから 持って行った方がよいよ」と娘から言われて「貴女が取り次いでくれたらそれで間に合うわよ」と言い返したが とりあえず所持して出た。

前回 ブロッコリーがかなり大きくなっていたので 小さな芽を摘んで後は倒して葉っぱを地面に置いてきた。
程よく枯れていたので 地中に埋め込む作業。

後はヤーコンの掘り起しである。
もう少し先に引き伸ばしたいのだが この所次々予定が入ってしまって お天気が悪いと出来なくなる可能性が高くなるので 止む無く掘り起こす事にした。
しかし ヤーコンの茎が短くしたとはいえ まだちょっと長い。
切ってしまおうと鋏を探したが 持参してない事に気がつき 携帯で電話して娘に御願いした。
出かけに「持っていけば」と言ってくれたので こちらは助かった。
娘は渋々畑へきた。
ちょこっと手伝ってくれたが「鼻がむずむずでマスクがないと辛抱溜まらん」という事で一時家に戻る。
作物が重くなるので 車を出してもらう事にした。

ニラも全て掘り起こして土を払って家に持ち帰らねばならない。
現状復帰が原則だから致し方ない。
ヤーコンも掘り起こして 種芋と収穫分とに分けた。
茎も鋏でパッチンパッチン。

後は畑の隅に残ってる小松菜と春菊。
これだけは もう少し先延ばしにした。
支柱も残っているので それらも次回へ。

車に積んで家に戻った時には もう昼を廻っていた。
ナマッチョロイ体なので 膝やら腕やらが痛いのなんの。
この調子だとまた数日首や肩が痛くなりそう。

夫の為にと思って借りた菜園だが 結局自分で取り組む事になってしまった。これで 止めようと思ったのだが 夫が菜園利用の申し込みをしてと言うのでまた応募した。
抽選はこれからだが...少し気が重い。
「もう 自分でやってよね」と言う気持ちが強い。

作物を育てることには抵抗はないのだが 忙しくなると手入れに行くのが滞ってしまいそうで 面倒なのだ。

昼食を取って一休み後 お出かけ。
来月には 姪っ子の結婚式がある。
礼服を新調しようか迷ったけれど取りやめて 靴だけ新調する事にした。
最近の私の靴は 殆どスニーカー。
ヒールの靴もあるけれど きっかけがないとなかなか購入できない。
と言う訳で 娘の行きつけの店で靴選び。

久々にゆっくりと品定めをした。
くたびれた足も少しはラインが綺麗に見える靴に出会えた。 
値段にうろたえながら「またとない機会なんだもん」と自分に言い訳しながら購入した。
娘も結婚式に出るので 自分用の靴を購入していた。

慶びごとのお式だから...心も和む。
その準備もまた楽しい。
あと少し 夫の分も含めて小物類を揃えて行かなくちゃ。


2007年02月16日(金) 視界(?)良好 波静か!


 入れ歯の仕上がる日だ。
先日のの事が気になり 緊張気味。
「もし 入れ歯が気に入らないってなったら どうしよう」とドキドキ。
なるようにしかならない。駄目だったらと仮定するより 直面したら考えようと自分に言い聞かせて施設に向かう。

外出用に着替えをしてもらい 歯を磨いて鏡に向かって整髪。
母は 洗面台に置かれた櫛をみて「さつまあげ」と言って笑っている。
ピンクを帯びた櫛がどうして さつま揚げに見えるのか?また さつま揚げで何故笑うのか?
こういう事は 最近良くある。
でも そう見えるか そう感じたのか...母の感触は母にしか判らないのだから 笑っていられるなら それでよしと思う。
ブラシで髪を整えていると綺麗にしてもらっていると理解は出来ている。
この差が 脳のどう言う所で起きるのかといつも不思議でたまらない。
「そう さつま揚げねぇ〜」と同意するとニコニコ笑っている。

トイレ誘導で排尿。
感触として大が下りてきていると判るのだが おそらく未だなんだろうという事だけは判る。
でも 若し 入れ歯合わせの頃にもようしたら...機嫌が悪化する事だけは間違いない。
どうか 無事に済むように...と祈った。かけるしかないのだ。

バスに乗り込むと とても丁寧な運転手さんで「ゆっくりでいいですよ」と声をかけて下さり 母が座るのをみて「大丈夫ですね」とミラー越しに再度
声をかけてくれた。
今日の運転手さんパーフェクト。パチパチ。

バスを降りる時は 一番最後にした。
降りる時も「気をつけて下さい。ゆっくりね」と運転手さん。
今日はセーフだった。

さて40分ほど余裕がある。
「お腹空くだろうなぁ〜軽くなんか口に入れて置きたいな」と周辺をウロウロした。が軽食屋さんも含めて何処も満員。若しくはレジに行列。
昼食時なので仕方ないのだ。
ミスドが比較的空いていたので 不本意ながらドーナツ1個に飲み物2つで店内で食べた。

時計を見ながら お店を出て歯医者の階段下まで着いた。
3段上って「やんだぁ〜」(嫌だ)と言う母の声。
歯医者とわかるのか?はたまた 階段が嫌か?
「大丈夫」と介助を更に深くした。
何とか階段を上りきった。
玄関には 靴がいっぱい並んでいるので待ち時間が有りそうな気配なので暫く 踊り場で日向ぼっこ。
時間少し前に 診察券だけ出して「外で暫く待ちます」と伝えた。

待っている間 お祈りをした。
すると母の目に涙がいっぱい溜まっていた。判っているんだな。母にとって一番大事な神だものね。

2人3人と治療を終えて出てきたので それから待合室に入った。
玄関では 靴を脱ぐことも忘れかけていて ゆっくりと対応しスリッパに履き替えた。

暫くすると待合室には母と二人だけとなった。
それから 母と手遊びをした。じゃんけんして母が勝てばパチパチと拍手し私が勝てば万歳をする。
この遊びは 認知症初期の頃から続いている遊びのひとつだ。
変わったのは 勝ち負けが判断できなくなっている事。
でも拍手と万歳のポーズで理解できるのだ。
勝てば嬉しい表情をするので 手加減して負けの場面を作るようにしている。チョキで勝てば 暫くチョキを出す。
負けた時悔しい顔をすると 母は喜ぶ。
日常生活では どうしてもこちらが優位になってしまうので 出来る限り母優位の場面を作りだすようにしている。

母の順番が来て診察室へ入る。
緊張するかと思いきやニコニコとした表情で椅子に座った。
そこで また 続きの手あそび。
いくつか遊んでいたら 医師が入れ歯を持って見えて「機会をみて装着させてみてください」と言われた。
仕上がりの説明もしてくれた。

暫くしてから入れ歯を装着。「良かったね 歯が戻ってきたよ」というとコックリと頷く。
メンテされた入れ歯を嫌がって外すという事もない。
まるで 3日間入れ歯を預けていたこと等なかったかのようにしっくりはまっている。
暫くして医師も見えて 少し手直しして 様子見。
見ている限り 大丈夫と思うが 数日を経て慣れて深く入るようになった時に傷がつかないか 見てください。
調子が悪いようなら また来てくださいといわれた。
医師も母をみて「あ〜判るんですねぇ〜」と言っていた。
かなり進行した認知症でも判るんだという事を納得して貰えた事は 嬉しい。

歯医者さんを出て 家に行くか外食か暫く迷った。
が 階段を下りて吉野家の牛丼の看板を見て 冗談ぽく 手を出して口に摘むような動作をしたのをみてお腹が空いていると判った。
そこで 外食に決めた。

お店に入る前にトイレ誘導し排尿できた。
手をしっかり洗ってからお店に入った。
母は結構食べた。半分は自力で...。

ここまでは ほんとに順調。
会計を済ませて 再度トイレ誘導。
少し時間にゆとりがあるので お店を見て廻れるかなと思ったのだ。
ここでタイミングよく大を排出。
「もう大丈夫?」と聞くとかすかに頷いたのでトイレを出てエレベーターの前に行く。
すると何となく様子がおかしい。「おかちゃん おかちゃん」と呼ぶのだ。
「トイレ?」と聞くと頷く。「大?」と聞くとまた頷く。
急いで またトイレに入る。
母の意思表示は確かだった。

「良かった。教えてくれてくれてありがとう。嬉しいよ。ありがとね」と言うと母も嬉しそうだった。

トイレでの時間が長かったので お店周りは止めてバスに乗り込み施設に戻った。

今日は ほんとにタイミングが良かった。
入れ歯もどうやら調子良さそうだし...排泄のタイミングもバッチリ。
トイレで格闘後 汗だくになった私をみて「額に汗が...」と指差していたし...。
バスに乗り込む途中でベンチに腰掛けたそうにしたので「足が痛いの?くたびれたの?」と聞くと「足痛い。くたびれた」と言えたりもした。

火曜日の通院は散々だったけれど 今日は ほんとに良かった。
これは 介護者の心構えの差なのかな?
拒否がないと疲れも少ないみたいだ。
新規の入れ歯は出来なかったけれど 嫌がる時は無理をしないという事を教えてくれたのだろう。


2007年02月15日(木) モデル地区探し?


朝 事業所から電話が入った。
昨日の活動の様子の問い合わせだった。
頼まれた仕事の内容とそれに要する時間は 1時間以内で済みそうだ。 
早く片付いたら 次に他の用事はないかを聞き出しながら活動しようと思うと事を伝えた。
また お話が繰り返されるので 「時間が勿体無いから 失礼だけれど 手を動かしながらお話をお聞きする」と利用者さんに伝える事の了解を頂く。

年金暮らしで 二人で介護保険を使うと経済的にかなり大変だと思う。
利用者さんもそこを危惧していると感じた。
だとしたら 利用者さんの困窮している所をを短時間で改善したほうがベストだと思うのだ。
会話は ご夫婦で十分成立していると感じた。

 今日は介護者の会を資金面でバックアップしてくれると言うNPOの方とお話をした。
今 各地域の介護者の会を廻って取材し どういう手助けの方法があるかを探ってくれている。
これまでも 介護者の会の行事をバックアップしてくれている方なので 全く知らない人ではない。
こうやって 助け合いの場が広がると嬉しい。
来月の介護者の会に再度見える予定である。
家の娘と同年代という若いお嬢さんだった。

今朝 ラジオから厚労省が認知症になっても地域で暮らせるような地域作りのためにモデル地区を作って方向性を見出すため 2007年度から動き始めると言うニュースが流れていた。
モデル地区には 介護専門員の経験者や医師がメンバーになるという事だった。
地域に施設と言う箱物は作らない方向なので 地域の見守りの重要性が増してくるからだそうだ。

認知症の人が 1人で暮らせる町は望ましいけれど 難しさも多いと感じる日々である。
新聞を見ても何処にも出ていなかった。

介護の周辺は流動的で 改善中とは思うが 現実をどれほど踏まえているかと気になる。
確かに 認知症の理解は深まってきているとは感じている。
が 理解が深まっても相変わらず 地域で孤立している介護者は 多いのだ。


2007年02月14日(水) 初訪問

 鼻が詰まって喉や耳が痛く風邪の予感がしてたので 昨夜 使い残りの薬を服用した。
母の所に出かけるので マスクをしっかりつけて出かけた。

ニコニコ笑顔の母だった。
丁度 職員から昼食介助を受けていたのでバトンタッチ。

下の歯がないのに 結構食べていると職員は教えてくださった。
介助しているとヒジキの長い部分は骨を出すような動作で口から出していた。歯で噛めないのだろう。
他は全部食べていた。

食後しっかりお茶も飲めた。
トイレ誘導すると出掛かっていたがその後もしっかり排尿できた。
尿量が多いなと感じた。

その後別の職員が昨日からの母の様子を伝えてくれ 昨日託したお茶は全量摂取できましたという事だった。
そうか それで尿量が多かったのだな。良かった良かった。

家に泊まった時 足の浮腫みが強くなっていて気がかりだったのだ。
浮腫んでいても起床時には浮腫みも綺麗に取れていたので さほど心配していなかったのだけれど。
この調子なら 心配要らない様子だ。

その後歯磨きをして頭を梳かして リハの準備。
母はリハビリが始まるとzzz。
筋肉が張っているとも言われなかったので 神経が疲れていたのだろう。
緊張を強いたから 無理もないかもしれない。

今日は フロア全体が落ち着いていた。
職員の対応次第で 全体が落ち着くように感じた。

母のリハビリが済み 居眠り中の母を職員に託して利用者さん初訪問。
認知症はないが 結構面倒な方という事だった。
面倒と言うのは 仕事が面倒なのではない。
依頼される事や話す事がクルクル変わると言うのだった。

事業所の方と待ち合わせて訪問。
ドアを開けると家の中がウス暗くて...目が慣れるまで時間がかかった。
ご夫婦で暮らされているのだが 今は 二人とも思うように動けない状態なので電気のスイッチが入れられていなかったのだ。
生憎の雨降りで余計に暗かったみたい。

事業所の方は 奥様と話され 私はご主人と話す。
これまでは ご主人にヘルパーさんが入っていたのだが 奥様が怪我をなさって動けない状態で緊急利用となったようだった。
一時的に利用なさるという事だった。

ご主人が「洗濯して欲しいんだよ」1週間に1度だと洗濯物が溜まってしまうから2回来てくれないか」と言われた。
「今 すぐと言うのは無理なんです。先に予定が入ってしまっているものですから」
直ぐに職員が飛んできて「もう1回必要なら 別の方になりますよ」と伝えてくれた。

依頼がクルクル変わるのは仕方ない。
ただ 依頼されている事がどの位のものかは活動してみないと判らないので
今日は時間の計算が先と思った。
また ご主人が言う。
「昨日 選択して貰ったから 今日は掃除だけでよい」と言われる。
でも奥様の清拭も頼まれている。
こういう事かと思う。
つまり 頼まれている事に取り組もうとすると先々にして欲しい事を言い出すのだ。
これだと余計時間がかかってしまうのだが...。

「お掃除と身体を拭くことが今日の活動ですね」と確認を入れると「そうだ」と言う返事だった。
ガスの使い方や掃除機の戻し方を教えて戴き先に清拭を始めた。

ほんとは 湯桶を持ってきてベットの上で拭くのだが 奥様は「自分でやれる所はやるから タオルを持ってきて」と言われた。
浴室から温めたタオルを運ぶと自力で拭き始めた。
こちらの清拭をして差し上げたのは背中のみだった。

洗濯が乾いたので ハンガーごとベットに持ってきてと言われて 渡すとご自分で畳まれた。
箪笥に収納するのは 依頼されて指示通りに収納した。

その後居室の掃除。
ご主人の部屋はヘルパーさんが入っているので 奥様の部屋のみ。
掃除が済んだ時 10分前。
「まだ時間が有りますので 先ほど出た靴下と清拭に使ったタオルを洗って良いでしょうか?」という事で小物の洗濯を済ませて時間丁度に終了した。

清拭はもう少し丁寧に出来るし 他にもお掃除が出来そうである。
ただ 言われた以上の事をしてしまうと次々と仕事を頼まれそうである。
骨折が治れば 自立の生活が始まるので ご自分でなされる事まで取り上げてしまわないように注意しないといけないな。

これまで訪問活動でいろんな方の所へ訪問したが 個室を繋げてベットを並べて個々にテレビを持たれてと言うのは初めてだった。

省エネのため 帰る時は電気を切って下さいと言われた。
直ぐ日が暮れ真っ暗になる筈。
物にぶつかって転倒しないかと心配になった。

来週も水曜日の訪問となった。
活動時間は 短い方が良い様子で 1時間に収まる時は1時間で終了し最大で2時間までという事になった。
活動に入る身で我儘を言わせて貰って申し訳ないが 入る時間が30分位遅れる事もあるが良いかと訪ねるとその日にして貰いたいことが片付けば良いという事だった。
遅刻は極力避けるが 母の状態によって遅刻が絶対無いとは言えないので 利用者さんの都合を聞いておく方が良いように感じたのだ。

さて 今日の活動 利用者さんに満足頂けたのか 初訪問でまだ感触が判らない。
利用者さんは 出来ない事を解決したいようだが 希望通りになったのかが今ひとつ掴み切れていない。 


2007年02月13日(火) 気持ちの捻れ


 ずっしりと疲れてしまった。
きっと母もそうなんだろうなぁ〜。

母には 障害歯科を選ぶという選択肢もあったし施設に来てくれる訪問歯科と言う選択肢もあった。
最近の訪問歯科も以前と比べて細かい事に対応して貰えるようになっていると聞いている。

そういう事を踏まえた上で 一般歯科の選択したのは私だから 疲れたなんて愚痴を言うのはおかしな事なんだろうなぁ〜。

昨夜は明け方までぐっすり眠っていた。
目覚めたのは 排尿。
やはり 出る瞬間は判るようだ。
今回は 寝た状態でオムツ換えで対応した。
それから また深い眠りに落ちた様子。
先に目覚めてキッチンに暖房を入れて温めた。
母が居ない時はそういう事はしないのだが...。
温まったころパジャマの儘 階下に下りてもらい着替えをして貰う。
洗面 歯磨きをして朝食。
その頃には 夫は朝食を済ませてお弁当持って出勤後である。

機嫌は良かった。
ニコニコしていた。
朝食もおかずを先に出すと自力で食べていた。
食事は 出来た物から食べて貰えるようにしてある。
全てできた頃は母も半分くらい食べ終えて それから私は食べながら母の介助に廻る。これが 今の所やりやすい。

入れ歯を外して 投薬。歯磨き。
その後デザートを歯なしで食べて貰って(歯がないとどうなるか知っておきたくて)入れ歯を口に入れようとしたら 入れ歯を食べ物と間違えて食べられないと判って舌で押し出した。
あちゃ これじゃ金曜日まで入れ歯の装着忘れてしまうかなとちょっと不安になった。

数回「入れ歯だよ」と繰り返して ようやく装着してくれた。

トイレ誘導して コートを着て タクシーに乗り込む。
さすがに 朝の歩きは寒いだろうと思ったし 疲れて診察を嫌がるようだと困るから。

診察室までは 特に大きく機嫌が変化する事はなかった。
が診察室で口を開ける時 私がギュッと口を広げてから 母の機嫌は大荒れ。しまったと思った時は後の祭りだった。

母が落ち着くまで 医師も他の方の治療に当たった。
以前の母なら「痛くないからね。食べられるようになるようにね。ちょっとだけ我慢してね」という声がけをきちんと受け止めてくれたのだが...。
そういう話も瞬間理解できても 次の場面では 効力なし。
2度目のチャレンジは 先生も手を後ろに組んで「なにもしないよ」と言うポーズで 母が口を開けるまでじっと待ってくれた。
母は周囲の人をじっと見詰めていた。
やはり 何が起きるのかと怖いのだろう。

何とか済んで下の入れ歯を医師に預けて今日は終了。

歯医者さんを出て 次は罹りつけの医師の所に出かけた。
機嫌がなおったかかに見えた母だったが 停留所に下りる段になって降車拒否。「どうして下りなければならないか」と降り口で始まった。
「ごめんね。ちょっと下りてまた乗ろう」と誘いなんとかセーフ。
母の後ろには人が溜まってしまって...最後に下りれば良かったと反省。

その後銀行に付き合って貰った。
窓口に立った時 様子を見るように「待っててね」と母に視線を送ったが立ち上がったので慌てて母の所に走った。
今日は ほんとにうまく行かない日だ。

罹り付け医の所も混雑していた。
トイレ誘導の時間が取れたから良かったが トイレでも怒られてしまった。
「あなた 出て行きなさい。ここに居ないで...」という感じの言葉だった。
歯医者さんでの恨みつらみを晴らされているみたいな感じ。
でも私が悪いのだから 仕方ないのだ。
「ごめんごめん。勘弁してね」と謝り続けて 母に許しを請うて何とか凌いだ。

診察の順番がきて名前を呼ばれた時も拒否。
医師の白衣を見てみて拒否。
医師は ニコニコ対応してくれて 先生不審は払拭された。

診察が終えて薬局に行っても「ここには行かない。椅子には座らない」と立て続けて拒否。
「ごめんごめん。悪いね」と謝って薬の処方されるのを待った。

これまで処方を待つのに こんなにもめた事はない。

もうバスは無理と諦めてタクシーに乗り込む。
降りる時も降車拒否。
運転手さんもニコニコ待ってくれたので 時間をかけて下りられた。
メーターを切ってからなので 申し訳ない気持ちになった。

今日 これだけ急いだのは 今週予定が詰まってしまって定期通院の日が今日しか取れなくなっていた。
薬は15日までしかない。
通院帰りもう少し余裕をもてれば良かったが 施設で「鮟鱇鍋」の昼食だからと言われていた。
だから 間に合うようにしようと思っていた。

幸い 鍋が始まる頃に滑り込むように着いて 鍋を楽しめた。
母は下の歯がなくとも おいしそうに食べていたし お腹いっぱいになったら ニコニコ笑顔が出てきてようやくホッと一息つけた。

やはり 母の笑顔に1番救われる。

自分で招いている事なんだけれど 母の機嫌に合わせ周囲への気遣いとで肩がコリコリ。

夕方の買い物も済ませて家の前に来た時車が ス〜と止まった。
事業所の人だった。
明日訪問する人の資料を運んできてくださっていた。
あ〜いけない 忘れる所だった。明日は 母のリハビリ後訪問だわ。

娘の「だから言ったでしょ。断れって!」と言う声が聴こえたような気がした。


2007年02月12日(月) はんせい!


 午後母を迎えに行く。
明日は 朝一で歯科予約となっている。
朝は施設の職員の配置人数も少ないだろうから 面倒かけてしまいそうなので 家から通院する事にしたのだ。

排泄の確認を取り トイレ誘導。
母は少し機嫌が悪かった。
少し大が出ており お腹をマッサージして排泄誘導。
それから 娘の車で家に戻った。
移動中も ちょっとご機嫌斜め。
急激な移動のせいだろうか?

家に着いて暫くするとだんだん笑顔が出てきた。
お茶を入れてカステラでおやつにした。
「うまい」と自力でカステラを食べていた。お茶は 時々介助。

おやつ後暫くして トイレに誘導したら また少し出ていた。
機嫌の悪さはこれだったのかと思い知る。
それからじっくり母の顔を見ながらお腹と背中のマッサージをした。
「いきんでね。イチニのサン ソレッ!」を繰り返していると母がいきみ出してくれた。やはり 排泄は本人のいきみは強い味方になる。
途中 「まだ出る?」と問うがイマイチはっきりしなかった。
が ほんとに出切ったら...スッキリした表情になった。
言葉はないが 表情で読み取れた。

施設での排泄時に 慌てずに取り組めばきっと失敗させる事は無かったと思う。反省材料だ。

キッチンに立って夕食の支度を始めていると母が立ち上がってキッチンまで歩いてきた。
施設と違い 手を伸ばせば何かしらに手が触れるので あちこちに触れながら注意深く歩いて来たのだった。

まな板を使った後だったので包丁を避けて
「洗って貰えるかな?」と頼むと洗い流して綺麗にしてくれた。

程なく夕食。
煮付けや汁物は自力で食べていた。
今日はうに・いくら丼なので スプーンで時折介助して食べて貰った。

食後お茶を入れると自力で飲んでいた。
みかんを渡すとやはり皮を食べようとするので「皮は食べないのよ」と言うとケラケラ笑い出す。
今は理解できないと判断し「皮は預かるからね」と実だけにして置いた。
白い筋はきちんと取り除いて食べていた。
それが不思議だ。

夕食後 テーブルの上にあれこれ出してニコニコしながら一人遊びをしていた母。このニコニコは子供がオイタする時のニコニコと似たような表情だ。

その後 入浴。
施設に行った時母の頭がシャンプーの匂いがしたので今日か昨日当り入浴したのだろう。
だから ササッと身体を洗うだけに留めた。

「疲れたでしょう」と私の顔を覗き込む母。
「いや まだまだ大丈夫よ」と言うとニコニコ。

歯磨きをして お布団に入ったのは10時を廻っていた。
程なく寝入った。

夫も日帰りで帰宅してきた。




2007年02月11日(日) 手が掛かります


 昨日は 娘の小学校の同級会だった。
今朝5時まで お付き合いしてきたようだ。
出席率も高く 3次会までのメンバーがかなりいたという事だった。
飲まない娘は 最後まで残った女性陣を車で送ってきたそうだ。

明日は 夫の中学の同級会がある。
おそらく10年ぶり位かな?
連絡が来ると「行かない」と言う夫。

「今回も場所が判らないし...」と言い出していた。
行きたい気持ちがある事は 判っている。

場所はネットで引き出してあげた。
「そうかそうか 判った」
これで ひとつ背中を押せた。

「電車で行こうかな?何処から乗ろうかな?」
再度 ネットで電車の時間を引き出し 1番使いやすいルートを引き出した。
おまけに娘が「お父さん 送っていくよ。何処まで送ればいい?」

これで目いっぱい背中を押してあげる。
ようやく 行く事が決まった。
勿論 同級会の幹事さんは 夫を参加メンバーの1人とカウントしているのである。
「喋って 盛り上げてくれる人が居ないと...」という電話が来ていたのだ。

ついでに 夫に御願いした。
「実家に寄って 渡してきて欲しい物があるの。いいかな?」
お義兄さん2軒に立ち寄ってもらう事の約束を取り付けた。
お義姉さんには 同級会がある事を伝えてある。
「一緒に来てよ」とお義姉さんからは言われていたが...今回は母の歯科通院があり無理な状態となってしまった。
来月には 姪っ子の結婚式があるのでみんな会えるから...。

しかしね。
夫が電車にうまく乗れるかと娘と本気で心配するなんて...。
それもこれも 皆私の責任なんだろうなぁ〜。
結婚前までは 1人で暮らしていたのだし ヨーロッパに出かけて向こうで1人で暮らしたのだから...何でも出来ていた筈なのだ。

今日の建国記念の日は 夫の誕生日。
「おめでとう!」と言うとぽかんとしてから「そうか 誕生日か」だって。
今年は手抜き三昧の誕生日となってしまった。
手作りの品はなくて...出来合いのものばかり...。ごめんなさいでいっぱいである。
でも これだけ下準備したのだもの...許して頂戴ね♪



2007年02月10日(土) またまた...


 沈み込む気持ちが更に沈み込むような失敗だった。

夫を送り出し 弁当を忘れた夫に電話して取りに来る事を確認して...。
洗濯物を干して 娘が起きてきて食事して...「あれぇ〜 外出を午後に回したのは訳があったのだなぁ〜」とボンヤリ考えたてハッとした。

昨夜までは「明日は活動日。一週間旅行にお出かけだから そのお話を聞かせて頂こう」と思っていたのに...。
今朝 すっかり抜けてしまった。

もし訪問しなかったら 大概の場合事業所に連絡が入ってこちらに問い合わせがあるはずなのに...。勘違いか?と予定表を再度見直した。
やっぱり間違いがない。
慌てて利用者さんに電話した。
電話の向こうで「あら! 何か突然の事が起きましたか?」と心配されてしまった。
「ごめんなさい。抜けてしまいました。午後のいつもの時間で訪問させて頂いてよろしいでしょうか?」
「いつでも大丈夫ですよ。何事もなかったのね。良かったわ」もう 恐縮しっぱなしだった。
認知症の人だったり 重篤の方だったら大変な事だった。
気の緩みは否めない。しっかりしなくちゃ!

娘が「あたしゃ 二人同時の介護なんて出来ないよ」と追い討ちをかけるような事を言う。そりゃそうだわ...。

約束の時間より少し早めに訪問して活動に入る。
忘れてしまった事をお詫びして...。
直ぐに活動に入った。
掃除機を掛け始めると利用者さんはガラス磨きを始めた。
いつも 私が作業に入るとご自身も草取りをなさったりと良く動かれる。
庭をみると庭木の手入れなさった痕があった。

2時間掃除機をかけて 活動を終えた。
それから 旅行の話を伺う。
「2回続けての旅行は やはり疲れます」
「エッ 2ヶ所に旅行だったのですか?」
「はい 山梨と日光へ...」
「寒かった事でしょう」
「はい ほんとに寒かったですよ」とニコニコお話くださった。

ほんとにこの方は89歳なのだろうかと思うほどである。

帰り際「裕福な家の方から 働いて貰って...」と言うような事を言われて驚いた。ほんとに近所なので 町内会の名簿から我が家の場所を知ったらしい。
我が家は 裕福なんて事はないが 貧しいからやっていると思われる事もあるのだなと感じた。

実は以前にも この地域の方に活動に入った時も「お休みばかりでお金にならなくてごめんなさい」と言われたことがあるのだ。

お金があるとかないとか...そういった事で活動を考えた事が全くないのでとても意外な感じがした。

だから 協力会員が広がらないのかなぁ〜。
何処かで見下ろされた感じが嫌なのかなぁ〜。

どう思われても 助けの欲しい人のところには 飛んで行く気持ちは変わる事はないけれど...。


2007年02月09日(金) すきま風

 
 金曜日の朝は TBSラジオの森本毅郎のスタンバイ「日本全国8時」での毅郎氏と小沢遼子氏との話が楽しみである。
今日の話題で「そうだ」と感じた事は 何でもかんでもクレームを入れる最近の風潮の事を話している時だった。
どう言い表して良いのか 言葉を替えながら表現していたが...。
「世の中乾いている」と言う所で落ち着いた。
「日本は狭いから これまであまり突っつかないように暮らしてきた。でも最近は...」と。
俺たちが年を取ってきた証拠かも...と言っていた。

最近の風潮に「何か違う」とずっと感じていた。
悪い事をしたら確かにいけない。
悪い事を良いことにしてしまうのとは違う。
「突っつきすぎない加減」と言うものが消えてしまったようで怖いのである。

夕方のラジオでは 宮台氏が「携帯電話社会の副作用」について話していた。これも 朝のラジオと繋がるように感じた。

きっと社会学的には 立証されつつあるのかなぁ〜。

実は朝から気持ちが落ち着かない日だった。
人様は 「いつでも元気」「いつでも明るい」と言うけれど 無力感 虚無感 焦燥感 と言う負の威力に引き込まれそうになる日はある。
負の威力を感じる時って きっかけは特にない。
何となく...ただ何となくなのだ。
でも そういう日は 全体が下降して行く傾向になってしまう。

何となく焦燥感を抱きながら母の所に向かう。
着替えをして 外出を意識するように顔を洗って乳液をつけてクリームを塗り ちょっとだけ紅を差してあげた。
バスに乗り込むとだんだん機嫌が悪くなり 終点で降りたら私を引っぱるように「こっち」と歩き出す。
母は何処に行こうとしているんだろう?
何か目的があるように見えるのだが...。
デパートの中を抜けるときだって ショーケースに目もくれないのだ。
母の勢いが緩んだ時「こっち行こう」と流れを作った。
逆らう事もなく 促されるまま言われた方向に歩き出した。
こういう変化が 最近多い。
バスに乗っている時に限った事ではない。

機嫌は治った訳ではないが 突き進む事はなくなった。
歯医者への階段は上る気 満々。
玄関を入り椅子に座る。
向かい側に座っている人を睨む。
気分を変えようと持参のお茶をコップに入れて飲んで貰った。
甘い小粒の清涼剤を2個口に入れてあげた。
暫くすると気持ちが緩んできたようだった。
折紙を取り出して 途中まで勲章を折り母にバトンタッチ。
すると手先が動いて正確に折り始めた。
指先の感覚がちょっと戻ったのだろう。

すっかり気をよくして 診察室に入って待っている時にもう一度やってもらったら 出来なかった。
いつも同じレベルではないという事だけは再確認できた。

肝心の入れ歯だが...。
空振りに終わった。
医師は 丁寧に対応してくれた。
今使っている入れ歯の装着は嫌がらないが 作りかけの入れ歯は口に入っただけで舌で押し出してしまう。
幾度か交互に入れるのだが 新しい方だけは直ぐに出してしまうのだった。

医師の判断は 様子を見る限り 新しい物が出来たとしても使わない可能性が高いと感じるという事だった。
今の入れ歯を使って対策を講じることになった。

こうなる事も予測出来ていたが でもやっぱりうまく行かなかっことで気持ちが落ち込む。
母は 今のままで間に合うのだから...と思うと 私の思いだけで動いてしまったような気がしてくる。
医師だって 頑張ってくれたのに 結果が不味く嫌な気持ちになってないだろうか?

沈み込む私。母は 全く気にする風もなくて...これで良かったのかと思ったり...。

酷く気落ちする事はないが ドヨンとした心持。
家に戻り遅い昼食を取って 施設へと送って行く。

気持ちのどっかにすきま風が吹いたまま1日が終わりそうだ。


2007年02月08日(木) 後片付け

 
 菜園は今月末で 契約が終了する。
新たに借りる菜園の申し込みは済ませてある。
締め切り日は既に過ぎて 後は抽選を待つだけ。
♪当りが出るか?外れが出るか♪

でもその前に 菜園を現状復帰させなければならない。
秋終盤から放置してしまった。
秋口に蒔いた種は 芽を出して葉を広げていた。
食べられるように育った作物もあった。
春菊 白菜 小松菜 葱 ルッコラ それに掘り起こさなかったヤーコン。
ヤーコンの収穫は11月だが 今年は暖冬にも助けられたのか腐ることなく凍みることなかった。
赤大根や中国大根も大きくとは行かないが程よい大きさに育っていた。

3分の1を掘り返して作物を収穫してひとまず作業を終えた。
まだ 小松菜や春菊やヤーコンは畑に残っている。
ニラも掘り起こしてお引越ししなくちゃ。

来週までには片付くかな?お天気次第かな?

明日は 母の歯科通院日。


2007年02月07日(水) 時間の物差しが違う時


 朝 何となくトロンとしていて「娘が会社に行ったら母の所へ行こうかな」なんて考えていた。

チョコチョコ片付け物をしていて「今日は何曜日?」と自問自答。
ハッとした。
母のリハビリのある日だった。

慌てて 支度して母の所に向かった。
昼食がいつもギリギリとなってしまうので 介助しているのだが...今日は ちゃんと食べ終えただろうかと気になった。
立ち会わなくともリハビリは いつも通りして貰えるのだが...。
でも 予定がない限り立ち会っているので 何となく外せない。

施設に着くと食事は済んでいたのでホッとした。
本はと言えば 自分が忘れていたのだからホッとするもないんだけれど...。

トイレに誘導し歯磨きを済ませリハの準備をした。
暫くすると 療法士さんが見えてリハが始まった。
でも 今日の母はリハビリが始まる前からウトウトしていて リハビリ中も深く眠り込んでいた。
リハが終わってもぐっすりだった。
疲れていたのか 夜間幾度か目覚めていたのか...。

療法士さんが帰られてから 手持ち無沙汰なのでホールに出て入所者とお話をした。
「腰はどうですか?」「痛い」
背中を撫でながら「ちょっと伸ばしてみましょうかね」と声をかけると背中を伸ばす。
「気持ち良いでしょうか」「うん」
「じゃ もう一回伸ばしてみましょうか?」「うん」
数回繰り返してから 今度は足を伸ばしてみる。
暫く 背中を擦る。
「足が冷たいですね。少しさすって見ますね」「うん」
「温まると少し違いますか?」
「お風呂に入るとね 気持ち良くなるよ」
「お風呂は ほんとに温まるものねぇ〜 気持ちよくなりますね」「うん」
隣に座っている方の髪の毛を梳かして差し上げた。
抜けた髪の毛を捨てに行くと「ありがとう 綺麗じゃないのに...ありがとう」とお礼を言われてしまった。

そうこうしているうちに 母が目覚めたようなので 起きてもらう。
半身までは自力で起きた。両膝をつく形の体制になるように介助して なるべく自力で起き上がれるように介助した。

それから 母と遊んでいると他の入所者が遊びに見えた。
3人で唄ったり 話したりして過ごした。
2人とも声を出す事はない。時折 思い出したように唄う。
でも 唄わなくとも リズムを取って頭を動かしている。

「嫌だよ」と言う声がホールから響いてきたので ホールに出て怒鳴られた人を招いた。
今日も 車椅子の女性をご主人と間違えてお出でだった。
「主人は いつも気難しくて...」
「あら あの方は女性ですよ」「えっ ほんと?」
「そうですよ。ご主人は 今 お出かけになられていますもの」
「ご主人をここで一緒に待ちませんか?」「あら良いの?」
「はい ご一緒に...」

という事でビーチボールで唄いながら遊ぶ。
最初はキャッチし損ねて数回で落としてしまったが そのうちのって来たのか100回連続達成。
90回当りから みんなとても慎重に受け渡しするようになった。
100回達成が目標になったみたい。
100回の後 また ゼロから始めたが せいぜい50回が限度だった。
単純なキャッチボールだけれど 100回連続という事は簡単な事ではないのだなと感じた。

「私 そろそろ 帰らなければならないので...皆さん ありがとう。良い子にしてね」と居室を出て行かれた。
10歳と違わない人達なのだが 時に教え子に見えたりするんだ...。

職員がおやつを運んでくれて 居室でおやつを食べた。

その後 母と一緒にお散歩に出た。
先週火曜日に家でお風呂に入って洗髪以来 まだ入浴できてない様子。
近くの美容院に出かけて洗髪して頂く。
シャワーで流す事の軽い拒否が出たが 話しかけて褒めて 何とか踏ん張ってもらった。
シャンプーはだんだん難しくなってきているな。
でも いつも駄目だと決めつかないで こちらの頭をリセットしながら様子を見ながら取り組むしかないだろう。

洗い終えて鏡に向かいブローしてもらってると 頭が綺麗になっていくという事を理解し始めたように見えてちょっと安心。

お店を出て 更にお散歩。
「寒い?」と聞くと「さむい」と言うので 早々に施設に戻った。

コートを脱いで貰おうとすると「水に入れようとしても...」と怒り出す。
コートを着ながら出口まで移動する母を じっと見守った。
それから 再度椅子へ誘導し座って貰う。
前の事がリセットされたのか コートは無事脱げた。

美容院に行った事とかシャンプーの事。お風呂の事が次々とフラッシュバックでもしたのじゃないかと思う。
母に流れる時間と私に流れる時間のギャップが時折大きくなるみたい。
母は自力で埋め切れないのだから こちらが合わせるしかない。


2007年02月06日(火) 迷惑でしたか?

 
 介護者の会だった。
仲間が集まって ひと月の様子をそれぞれ語り合う。
今日も いろんなお話があった。

会には 身体の硬縮の始まった方を車椅子に乗せて見える方もいる。通院帰りに 立ち寄ってくださる。
通院は タクシーと電車で移動なさる。

この方は いつも笑顔で 通院の大変さを愚痴る事はない。
でも 時折 介護タクシー等の利用が不便と洩らされることがあり 地域で声を上げていらっしゃる。
電車利用時の不便さは 聞いたことがない。

母の外出時の移動は 徒歩 バス タクシー 家の車と選択肢は多い。
でも 車を持たず 車椅子での移動の場合は バスかタクシーを利用する事になる。

介護タクシーもあるが 予約が必要である。
また 料金も割高 予約の手間もある。

この方は 一般タクシーに乗り込む時 運転手さんの手を借りる事はない。
手伝って貰うとしたら トランクに車椅子を積み込む作業くらいだ。

会が終わってから タクシーに乗り込むまで 介護仲間で見守りや軽いお手伝いをするのだが...。
この場面で とても嫌な思いをする事が多い。
それは タクシーの運転手さんの表情。

駅のロータリーで車に乗り込むので 乗車拒否は出来ない。
ロータリーに並んでいるタクシーだけれど...。

「アッ」と言う表情と「外れを引いた」と言う表情になる運転手さんが多い。 今日もそうだった。

今日は「介護のどういう時が大変か知りたい」と言われていた方が会に見えた。
「タクシー利用って結構大変なんですよ」1度見られてみるとよいと思います」と伝えた。

見送ってから「どうでした?」と伺った。
運転手さんが嫌な顔をするとは伝えていなかったのだが...。

「はい 車椅子からの移動の大変さもそうですが 運転手さんの表情が 凄いですね」
「そうでしょう。これも現状です」と伝えた。

母をタクシー利用の時も そういう瞬間を見てしまう時がある。
「怪我をしないようにゆっくりなさって下さい」と声をかけてくださる方もいるのだけれど...。

いつまでも地域で暮らせるように...といろんな取組みがあるけれど...。共に支えあう町って 結構大変だと感じている。

先日 地域の福祉担当部長さんが「認知症サポーターさんを増やしています」と胸を張って言ってたけれど...。


サポターが増える事は 喜ばしい事である。
でも 実際にこういう場面を定期的にみて 実態を把握して欲しいなと思う。

「あなた 今 嫌な顔したでしょ」と言う訳にも行かないし...。


2007年02月05日(月) バスでお散歩


今朝の冷え込みは 冬を思わせた。
今年の冬は これまで「さぶっ!」と布団を首まで掛けなおす事はなかった。だから 本物の冬が立春を過ぎてようやく来たと言う感じがした。

陽が昇って 暖かくなってきた。
母の所にトットコ出かけた。

母は椅子に座っていた。
最近 腰が軽くなってきている。
椅子から立ち上がる時だって 力を貸さなくても大丈夫。
手を添えるのは バランスを保つため。

また 調子の悪くなる時もあるだろうけれど...重い日が続くより嬉しい。

今日もバスに乗ってお散歩。
母は バスに乗る時 歩道から離れて停車していても道路に下りないで 歩道からバスのステップに足を伸ばす。
こっちは 万が一が心配だから 道路に下りて母の身体を支えることになる。 母のやる気をかって お手伝いという事だ。
母は 足が長いのです。
悔しいけれど 身長はほぼ同じ(今は詰まって大分低くなってしまった)。
母のズボンは私には チョイ 長いのです。
バスに乗る度に 足の長さを自慢されているのかな?

いつもと違うスーパーに出かけて ドーナツなんかを頼んだ。
軽い感じのテーブルで 母が捕まろうものなら傾きそうで怖かった。
お店の人が察して テーブルを抑えてくれた。
こういう思いやりは とても嬉しい。
この店のオーナーさんに「接客態度がよい」と伝えたいくらいだ。
それに 洗面台があるので しっかり手洗いできたし...。

その後スーパー内をくるりと廻った。
お腹が満たされているのか「美味しそう」と言う言葉はなかった。
でも あれこれ 人を見ていた。
そう 品物よりも人を見ていた。
向こう側から人が来ると私に向かって「どきなさい」とアドバイスしてくる。ほんとに注意深さはぴか一である。

一回りした後 トイレに立ち寄りバスに乗り込む。
バスは空いていて 母と前後に座れた。
母の前の座席に座っていると安心できるようである。

今日の母は 前屈も少なく 心地よい位の疲労だった筈。


2007年02月04日(日) 地域の介護フォーラム


地域の認知症の介護フォーラムに出かけた。
このフォーラムは 事前申し込みが必要だ。
毎年参加者が多いので 事前申し込みはしなかった。

認知症の基本を精神科医が基調講演し その後介護に取り組む家族とマネージメントする事業所とサービス提供する事業所の専門職の方がお話するので
あらかた 知っているので聞きたいと思う人が先にと思うからだった。
ステージに上る専門職の方は 二人ともお話した事のある方たちだった。


ただ 介護者の会のチラシを御願いしており それが書類一式の詰め込みに間に合わなかったため 個々に配る事になったのだ。
こちらも気がつくのが遅く 先週の木曜日にお願いしたのだから...。

チラシを配りながら 顔見知りもポツポツとお見かけした。
随分前にご主人の介護をなさっておいでだった方等や役所の認知症の説明会に見えた方 また 介護職の方...。
これからの自分の為に...と言う方もチラチラ。
民生委員さんも数名見えていた。

受付に当たって居られる方がどういう方か 存じ上げなかった。
以前は 顔見知りの職員がいたのだが...。
母が御世話になっていた頃とはメンバーも入れ替わっているのだろう。
少なくとも 現場から離れつつあるのかもしれない。

渡される資料も見慣れないものも多い。
長く介護保険を利用している人は 浦島太郎かな?
サービス利用で事業所と繋がっているから心配は要らないと思うのだが...。
知っておいた方が良い物は 順次利用者に知らせて欲しいとお願いしているのだが...。
今度の介護者の会で皆に確認取って置いておいた方がよさそうだ。
介護保険の周囲は 日々変化しているのだなぁ〜。

基調講演を聴いていて 目新しい事は 介護保険の申請や更新の際の聞き取り調査の時 何とか普通にできているが時折困る事が起きるという場合 軽い方で話すより困る事に重点を置いてお話すべきという事だった。
つまり困窮度に対応できるサービスが必要であるという医師の話だった。
個人的には そういう風に対処してきたのだが どうも何処かで「ずるしているかな?」と言う思いがあったのだ。
だから 介護仲間にはこっそり教えていた。
でも これからは 大きな声で伝えられそうである。

ただ これも微妙な問題がある。
介護保険の利用料金のアップや医療負担増により 生活を圧迫してきていると言う事情もある。
介護度が上がると利用料も当然アップするので お財布と相談する必要もある。利用の仕方を工夫すれば 良いのだろうけれど...。

フォーラムが終わった時 電話で問い合わせていらした方が傍に見えて お礼を言われこれからの事を話してくださった。
もう少し...という時 役所の職員が会の事を知りたい人が待っていると呼びに来た。
ご夫婦で見えていた方だった。
介護者の会が明後日にあるので出向いて見るという事になった。

チラシを渡しながら 幾人かに質問されたりもあった。
やはり 会の存在を知らない人も多いと今更感じた。

ちょっと疲れて出かけるの面倒と言う思いもあったが 出かけて良かったと思った。


2007年02月03日(土) 節分なんですよね


今朝は グッと冷え込み 布団から抜け出すのが億劫だった。
洗濯しながら お弁当を作って夫を送り出す。

母の所に おにぎりを作って出かけた。
排便はこの間 なかったという事。今朝はご機嫌という事で「今日当たりだなぁ〜」と言う予感がした。
職員にもその旨を告げた。

その前に 母の居室の整理。
一昨昨日 清掃日だったので 物が移動しているから。
それから 母のコートも移動していた。
職員に「お散歩出ましたか?」と聞いたが「出てないと思う」と言われた。
そういえば お散歩から戻って其の儘違うフロアに入ったのだった。
今 思い出したわ。全く 気付くのが遅いなぁ〜。

昼食は みんなと同じテーブルで食べた。
珍しく 今日の施設のご飯メッコ飯(半煮え)
折角の炊き込みご飯だったのに残念。
母には 持参したおにぎりを食べさせた。
半介助で 何とか食べきる。それでも 食べ終えるのは1番ビリ...。
嫌がる事はないのだけれど...。

その後トイレ誘導。
ちょっと踏ん張ってもらって 用を足せた。これでちょこっと安心できる。
やや固めなので 薬はいつも通りにとお願いした。

暫く 部屋で遊ぶ。
先日 百人一首の文庫本を購入した。
施設で百人一首をする事はめっきりなくなった。
母も脳出血や骨折と言うアクシデントを繰り返すうちに 読むことも難しくなってきており 無理かも知れないとは思った。
でも 本なら人との競争ではないので 何かをゆっくりと思い出せるかも知れないと思ったのだ。
本を開いた時 母が身を乗り出して表情を緩めた。
母の好きな詩は...とページをめくって 上の句を読んでみる。
母は 声を出していた。
正確さには欠けるが でもかなり近い。
幾度か 読んであげてみた。
結構食いついてきた。
やはり 無駄ではなかった。

言葉を失いつつある今 何か方策はないかと考えていたのだった。
最近は 本を選ぶと言う時間が勿体無くて 大分ご無沙汰だった。
先日 打ち合わせで待ち合わせた建物に本屋があったので 時間調整で久しぶりに立ち寄ることができた。

ほんとは 自分の読む本を選ぶつもりだったのだが ついつい母の事が優先となってしまう。

でも 母の反応が良ければ それで良かったのだと思う。

その後 ホールに出て続きをやった。
読みあげれば 母よりついて来れる人は 他にもお出でだから...。
案の定 楽しげに下の句を読む人がいた。
この人には もう少し こういうレクをしてあげれば 良いのだけれど...。

その後 カレンダーで作ったパズルを出してあげた。
母には 絵合わせだって無理。
でもできる人もいる。
5種類のパズルを知恵を合わせて仕上げた。

これは 家にいる頃 母と作ったパズルである。
確か 要介護3の頃だろう...。
姪っ子が デイでこんな風に作って見たのよと教えてくれた物である。
作る作業もリハビリになるし 仕上がってからも遊べるし一石二鳥だったのだ。もっとも 作る時 ちょっと母の抵抗にあって苦心したのだけれど...。
それでも 仕上がってからは 時折出しては 今日のように一緒に遊んでいたのだ。

同じ場所にいても パズルには全く興味を示さない人もいる。
それでも 知恵を合わせている場所にいてニコニコと見守っていた。

ひと遊びした後 節分の行事が始まった。
3ユニットを2組に分けて 豆まき。
職員が鬼になって 入所者が豆まき。
鬼の面を被った職員に母は憮然とした表情になった。
そういえば 母は認知症になってから 鬼になることを嫌がった。
鬼の面を見る事は嫌じゃないようなのだが 面を被った人を見るのは嫌がっていたような気がする。
だから 面を被らずに豆まきをしていたと記憶している。
昔 家でやる時だって 鬼の面なんて被りはしなかったからなぁ〜。

豆の入った箱をもらった時 母が1番最初にした事は...。
豆を3粒手に持って 口に運んでいた。
鬼の面を見ても 職員が節分と説明しても理解できなかったのだ。
だから 豆を撒くこともなかった。
哀しいけれど これが現実。

その後 恵方まきを頂く。
とは言っても 小さく切り分けたものなのだけれど...。
「こっち向いて食べてね」と判り易いように恵方の方角に立ってあげた。
入所者の人の中には 節分 恵方まきを理解できる人もいるから...。

夕刻になったので 施設を後にして 我が家の恵方巻きを作った。
今年は5本巻いた。
誰も帰って来ないので 大きな口を空けて小さな声で「福はうち 鬼はそと!」家中に熱々の豆を撒いて廻った。
柊の枝に鰯の頭を刺して門前に縛った。
それから 誰にも邪魔されずに恵方巻きを黙って恵方を向いて一気に食べた。


2007年02月02日(金) 確定申告

 昨日 介護仲間が「これから 確定申告しなければ...。面倒な事です」と言われていた。
今朝 別の介護仲間から 確定申告について電話があった。

何となく判る事もあるが 私はやった事がないので「役所に問い合わせて確認を取ってください」と話の最後に付け加えた。
「何でも相談ばかりで...」と電話の向こうで恐縮していた。

でも たいした事がなくとも ちょっと誰かに聞いてからという気持ちは良く判る。電話するにも 背中を押して貰ったほうが何となく安心という事だろう。

この辺のこと あまり詳しくないので もう少し勉強しておかなくては行けないなと思う。

ラジオを聴いていたら 優れた作家とは「幾度も読み返すような本を作るものです」と言う言葉が耳に入った。
耳を澄まして聞いてみたら...。
前に読んだ本でも 気がつかずに読んで 途中で「あれ 読んだかな」と気がつくようなものが良いのだそうだ。
途中「似たようなもの読んだな...」と思いながら終わりに来て「やっぱり読んだ事あった」になるのが更に良いそうだ。
それに 本を読む年齢によって 感情移入する人物が大きく変わっていることもあって 中味が違って見えることもあるそうだ。

私も結構 あるんです。「あれ これ読んでいたわ」という事が...。
それが とっても恥ずかしく思えていたけれど 別に気にする事もないのかと少し安心した。
けれどねぇ〜 若い頃には そんな事なかった気がするから 何処かで「今の話本当?」と思ったりするのです。




 


2007年02月01日(木) 認知症の気付きの為に......

 
 昨日 私が無意識の内に顔を擦っていたら 母が心配そうに「痛いの?」と聞いた。
母自身が落ち着いていると 私の様子をよく見ている。

認知症初期の頃も心配する時があった。
母が不穏な時 それを悪用して「調子が悪くてね」と横になるとそうっと布団をかけてくれたりしてくれる時もあった。
人の心配をすると不穏さも消えていたという事も結構あったのだ。
時に母を当てにするようにして 対等な場を作る工夫のひとつでもあった。
そうする事で 母も役に立っていると自覚できていたように思う。

母の「痛いの?」の言葉を 久々に聞いて 以前はそんなこともあったとふと思い出したのだった。

介護と言うよりも知恵比べみたいな部分があった。
母も薄々感じても「ありがとう私の為に気を使ってくれて...」と言っていたなぁ〜。

今日は 役所と地域包括とで認知症の気付きとそれからのパンフレットを作るので 介護者の経験から点検して貰えますかと言う依頼があって 介護仲間と出かけた。

担当の方は 私達に合う前に保健所にも出かけて 保健所の意見もお聞きしてきたとのことだった。
この地域の良い所は 結構 行政の横の繋がりがあるという事だと感じる。
今回は医師会の協力も得ているという事だった。

見て判り易いこと。
認知症の早期発見が 認知症の進行を遅らせ 普通に生活できる時間を延ばせる効果があるという事を広く認識できるような広報の仕方。
通院のきっかけより先に 本人及び介護者が 気軽に駆け込める場所の存在の表示。
そのような事を御願いした。
その後 専門の診療所の紹介やアフターフォローの事も...。

介護者の意見を取り入れて 再度検討し 組みなおしていくという事で今日は終了した。

打ち合わせの場所は こちらが指定していた。
包括と言えども場所の打ち合わせの場所の確保は 結構大変みたいだった。

その場所で 介護者の会が属するセンターの運営委員会が開かれていた。
6月のイベントに介護の事を話せるコーナーを考えているという事だった。
一昨年 学習会のコーディネイトした事があって 覚えていた方がおいでになり 出来る事はお手伝いする事になってしまった。
ちょっと逃げていたんだけれど...結局こういう事になってしまった。
こちらの実行委員会にも加わる事になる。






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