母のタイムスリップ日記
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2004年11月30日(火) 糸井重里 山田五郎のチャノミバ…


 今日はパソコン教室の2日目。
プロバイダーにつながないでパソコンの扱いを練習期間である。
今日のレッスンは 昨日より難解なとなった。
行程を無事達成できた人は 1名のみ。

次は12月5日6日である。
講師が月曜は時間のゆとりが有るので 別枠での時間を作ってくれた。
参加できる人は 少し無理をしながら(家族にお手伝いを頼んでも)参加したいと積極的だ。
無理の出来ない人もいる。
やっぱり介護者は 思うように時間が作れない。。。
 
出来る事なら 再度の教室を…かなぁ〜。出来るだろうか?
 
講師の話も面白い。
フロッピーディスクとCDロムの違いを実物を通して見せてくれた。
理論では理解できなくとも 分解した物を見せてもらうと頭に入ってくる。
フロッピーの歴史なる物も分解した物で見せてもらう。
この元になる部分は ドクター中松が発明したのだけれど日本では理解されなくてIBMがそれを取り入れた…という話も聞いた事はあってもどういう事か理解できなかったのに 今日はしっかり理解できた。
こんなこぼれ話も交えての教室だった。
昨日も娘に得意になって言ったら「ふん。そんなこと今更…」と言われてしまったけれど…。でもメカ音痴の私には面白かった。
無知ぶり全面公開。。。何せ分らないのですから…。

教室の終えた後 借りたパソコンを荷造りして宅配で返却。

予定より早めに終えたので 母の所に急いだ。
母はおやつを食べ終える所だった。
こちらもおやつを準備して向かったけれど 今日はおやつよりお散歩と判断。日暮れ寸前の外をお散歩した。
足取りは軽やか。「戻る?」と聞いても「歩きたい」と言う。
気温も下がってきたので家電ショップに入った。
「何かいる者ある?」と聞くと「これは売り物なんだね」としげしげと棚を眺めて感心していた。
どんな用途の家電かという事は理解できていたのだろうか…。

「戻る?」と再度聞いても「未だ…」と言う。
「夕食が始まるねぇ〜」と言うと「そりゃ 悪い事してしまうからね」と帰る意志を示してくれたので施設に戻った。

帰宅しようと思うと 母が私を視線で追ってなかなか言いタイミングがつかめない。
昔の教科書を出して「桃太郎」や「うし若丸」「はとぽっぽ」等の歌を歌った。声につられて 他の入所者もホールに出てきていっしょに歌いだした。
唄う事に気持ちが動き出したのを見計らって施設を後にした。
明日はゆっくり時間を作ってあげよう。。。

TBSラジオのチャノミバを聞きながら パソコンを開いた。
糸井重里と山田五郎のお話し…
…「言いくるめられる状況が怖い。何となく感覚的に嫌い…という気持ちが大切だと思う」と言う言葉が耳に入った。
ナチスは右翼ではなくて 国家だったんだよね。
言いくるめられたのは国民…。この構図が何となく今の日本と似ている…という…。
なるほど そういう言い方もあるねぇ〜と思った。


2004年11月29日(月) ほっ。。。


 ネットで知り合った介護者たちはパソコンを上手に扱っている。
でも 顔見知りの介護者の方々は 未だパソコンを自由自在に扱える人は数少ない。
介護者でパソコンを扱える人は そう多くないのだろうと想像している。
たとえパソコンを扱えても 介護臭いまわされてパソコンに向かえない人だっているだろう。

私の場合はマイパソコンがあっても触れる時間はなかった。
記憶が正しければ 3年近くは放置状態であった。
介護保険の始まる前であり デイだって週2回。後は毎日 朝から晩まで 時に明け方近くまで 母とのお付き合いだったのだから…。
母の方を向いていないと 風向きが悪くなるのが最大の理由。
風向きが悪くなると 私自身のストレスが溜まる一方になってしまうから…やりたくともやれない状況が長い間続いた。
だから 母の記録は紙と鉛筆にせっせと書き溜めていた。

パソコンに本格的に迎えるようになったのは 母を施設に託してからである。

そんな私も いつの間にか人に扱いを教えられる部分も出てきた。
娘に言わせれば「随分役に立てるようになったね」だそうだ。
これは 人の役に立つというのではなく 娘が離れた所から情報を得たい時に役に立ってくれると言う意味である。
「ったくもう…」と言う感じである。

更に驚くのは 人のためにパソコン教室まで開いてしまう。。。
勿論参加費は戴かない。

こんな風に書くと さも1人でやったように聞こえるが…昨日の日記を読んでいただければ いろんな方の手助けを受けて漕ぎ付けた事をご理解戴けると思う。

きっかけは アラジン。
「介護者のためのパソコン教室の援助できるようになりました。
教室にかかる費用は援助します。地元のNPOで講師を探してください」だった。
地元のNPOの存在は知っていても 何処にどうやって行けばよいか…と迷っていると。
「最悪な場合には NPOで知っている人いますから紹介出来ますよ」とアラジンから言われた。
でも ここは踏ん張りどころと 自力で役所に相談。
「公民館の何処かにNPOの紹介がありますよ」と言われ探した。
パラパラとめくると最初に一団体が目に留まった。
とりあえずここに連絡してみようと思い 電話した。
勿論 その前にネットでNPOのページを開いては見たけれど…。

電話で講師本人と繋がったのは 稀だと後で知った。
それほど忙しい人だった。
丁度こちらも忙しくしており お互いに連絡は午前零時なら…といった具合だった。

途中で私の所属する介護ボランティアの事業所のゴタゴタでお世話にもなった。それでも その方がどういう人かは 全く分らないままだった。

全てが手探りで始まって 今日の日まで無事漕ぎ付けたのは ほんとにラッキーとしか言い様がない。

おまけに 会の講演会を持つための援助費がカットされるようになったきっかけを作られた主催者でも有った。
昨日 チラッと零したら…いろんな方法が有ると知恵を下さったりした。
これもラッキーである。
ただ これに関しては 他の団体の人には申し訳ないような気もする。

さて 今日の会を開催に当たって犠牲もあった。
それは 介護を受ける母であり利用者さんである。
今日は 活動をお休みさせて戴き 母との面会もお休み。
これは 申し訳ない気持ちでいっぱいである。

教室に参加したのは 介護者である。
デイの送迎の関係で遅れる人あり ヘルパー業で午後のみの参加者あり…であった。そんな凸凹があるにも関らず ちゃんと教えてくださった講師。
参加者も「分りやすい」と喜んで戴けた。勿論 明日も参加したいと言っていた。
それぞれが納得できる教室体験が出来た事を感じ胸を撫で下ろした。
願わくば 皆さんとネットを使って連絡が取り合えて 介護で迷った時など情報を得られるようになれば いいなぁ〜。


2004年11月28日(日) どうなるかなぁ〜。


 昨夜 ゴソゴソと下駄箱の整理をした。
少し前 雨が降って湿度が高くなったせいだろうと思うが 靴にカビが出てきていた。ずっと目を瞑って見なかった事にしていたのだった。
下駄箱に入れるとかび臭くなると思った娘は 靴を玄関に置き始めていた。
それをみた夫が「3人しか居ない家にしては靴の数が多くないかい?」と疑問符を投げかけてきていた。
見ぬふりの限界を超えたと観念して ようやく動いたのだ(苦笑)

こんな風に家事の手抜きは到る所に出てきて悩まされている。。
そう もう直ぐ12月なのだから…。

でも 現状はちょっとだけ改善して…。
今日もまた お節介おばさんぶりを発揮して…。

娘の友人の妹さんの成人式の小物をそろえるお手伝いをさせて戴いた。
気分が変わってこれも楽しい。

夕方少し前 明日から始まる 介護者のためのパソコン講習会の準備に約束の場所に出向いた。
これは 介護者サポートネットワークセンターアラジンからの補助を得て
地元のNPOのIT教室を開いている所に御願いしてできた。

魅力は 参加費無料である。
実はアラジンでは「参加者から費用を受け取って 会の足しにしていいですよ」と言われていた。
それをしなかったのは 今の仲間以上に広げないで介護者のみに限定したからである。
介護者は そうでなくとも 何かと苦労も多い。
時には良い事もあっていいだろう…と思ったからである。

パソコンを教えてくださるNPOは沢山有ることは知っていたけれど 何処にするか決めたのは たまたま最初に目が留まったからであり 深い訳等なかった。でも結果的に NPOの纏め役的存在の方で…。
こちらの大雑把な希望沿ってくださった。
運が良いとしか言えない。

今日は機材が動くかの確認作業に立ち会った。

その後 地元の社協のボランティア部門の担当者と ボランティア団体のまとめ役の方に引き合わされた。
ここで会が困っている状況を愚痴った。
会の場所 そして講演会の費用捻出の件。
少しずつ 相談する場所が広がって来ているなぁ〜と感じた。

少し無理をしても こうやって実績を作り上げて行けば いろんな所に繋がって来るんだなぁ〜と感じた。
内々に篭ってしまうと 広がる事は難しいのだろう。

こういう経験は 初めてで 周囲にはいろいろご迷惑をお掛けして教えて戴きながら やっとここまで漕ぎつけた。

さてパソコン教室参加者が満足できる教室となるだろうか…。
更に次の教室を開く所まで漕ぎ付けるのだろうか…。

施設には「3日間は面会に来られないと思うので宜しく御願いします」と伝えてきた。ほんとは今日位いけるかも…と思っていたのだが甘かった。
少しの間 お母さん辛抱してねと。。。


2004年11月27日(土) 思いだせる力…

 
 昨夜の強い南風で 我が家の駐車場は落ち葉が吹き溜まった。
まるでワザワザ駐車場に掃き集めたかのよう。。。
殆どがよそ様の家の落ち葉である。
でも誰の責任でもないし…。屋敷内や家の前の落ち葉は やっぱり家で処理しなくては…と思って 時間を見ながら外に出てお掃除。

だって 早朝お掃除すると「土日は折角のお休みで眠っているのに…目が覚めちゃう…」と言う方が居られるのだもの。
我が家では 言われたためしはない。でも そう言われてご近所でゴタゴタしてしまった事が過去にあったから。

外に出ると お隣さんがそ〜っと掃き掃除を始めていた。

…ぉはょぅござぃます…と挨拶して私もそ〜っとお掃除。
「裏の家がね。家全部蔦が絡んでいて 窓まで…。それが昨夜の風で家のほうに落ちてきてねぇ〜」と言われた。
「大変ですね♪その内なんかいい事有るといいですね」と言うと笑っていらした。

急ぎ掃除を済ませて利用者さん訪問。
そこもやっぱり落ち葉がいっぱい。
玄関で声をかけたあと「外の方先にお掃除していいですか?」とお聞きすると「有難う 御願いします」という事で先に外回りの掃除。
その後いつもの活動である。
途中で「はなさん ダンスをしてみない?我が家でダンスを習おうとして靴を買ったけれど 出来なくなってしまってね。勿体無いし…使ってみない?
趣味を持つって大切よ」と言われた。
「有難うございます。趣味は持つべきですよね。でも 今 介護関連で手一杯なんですよ。残念ですが これ以上の事は出来そうも無いです。。。」とお返事した。

活動を終えて家に戻り 昼食後 母の所に向かった。
母は、昼食を終えたばかり「今日はすき焼きでした」と職員が言われた。
「はなさん 今日はすき焼きだったのですよ。もっと早く来れば一緒に食べられたのに…」と入所者の1人から声をかけらた。
「あら それは残念だったわ」と返事した。
私の食べる事まで気に掛けてもらえて…嬉しかった。

母を散歩に連れ出そうと思った。
でも入浴も気になる。
おととい ヘアトニックで頭皮マッサージをしてあげたけれど…。
入浴した気配はなかった。
だから とても迷ったのだ。
でも今の時期は 日の暮れるのも早くて家に連れて帰ってお風呂に入ったら
日が暮れてしまう…。室内で過ごすなら未だ充分大丈夫だけれど…。
 迷った挙句 買い物に行く事にした。

デパートに出かけるのは 久しぶりである。
母の興味の示す場所をじっと見極めながら移動。
お洋服売り場で 品物を手に取った。
母の好みそうな物を3点ほど並べてみた。
「どっちが好き?」「これ」と母は選んだ。
店員さんがやってきて「これもいいですよ」と別の物を出して見せた。
でも母は「襟ぐりが大きい」と言った。

少し他のも見てまた戻って並べてみる。
中に赤い色のものを入れてみた。
「これは若すぎる…」と母は言った。

そして最初に「これ」と言った物を選んだので それを購入した。

買い物をしている時の母は 相変わらずの姿である。
「トイレ行く?」と聞くと「子供たちが…」と言い出し聞かれた事と無関係の話を始める…そんなことがいっぱいの母なのに…。
折紙を渡してもただただ折り込むだけなのに…。
洋服を選ぶ時は 好みのものが変わって居ないし選ぶ基準も定まっていると感じた。

休息で ソフトクリームを食べてもらった。
「これは何?」ソフトクリームを手にしても思い出せない。
クリームの部分を手で掴んで食べようとしたので スプーンで掬って口に運んであげた。2.3回繰り返したら ようやく思い出したようでちゃんと食べ始めた。
「溶けるんだよね」ともいい始めたので ほっとした。
思い出せる力が残っているんだねぇ〜。

判っているようで 判って居ない。
それをまともに注意してしまうと萎縮してしまう。
ほんとに対応に工夫しないと…。
在宅で頑張っておられる介護者の苦労は並大抵ではないだろうなぁ〜。


2004年11月26日(金) よく歩いたわ!


利用者さん訪問
訪問するとご家族の様子やご自分のお話をしてくださった。
孫さんの結婚式 そしてご家族の連れ合いさんのお父様が危篤状態となっている事…。
今は結婚式とお葬式が重ならないように仏前でお願いしている…そんなお話を伺った。

お話を伺いながら「自分の事を考えて そういう危機は自分の生きてきた道ではなかったなぁ〜。無事に来たんだなぁ〜」と感謝の念が湧いた。

「お天気の崩れる前に お散歩しておきたい」と希望なさったのでお散歩に同行させて頂く。
お散歩しながら デイでとても手先の器用な方が居られるお話をなさった。
初めの頃は 自分の出来ない事をいとも簡単になさるので自分が出来ないという事が恥ずかしいと感じたそうだ。
でも 皆さんのお話を伺っていると皆さんそうで できる人が稀だという事に気が付き 気持ちが楽になった。今では 器用な手の動きに感心してお見事と思い 見ていることが楽しみとなったという事だった。
器用な方は「簡単よ」と言われていたそうで有るが「簡単だと気軽に言わない方がいいんだね」ともいってくれたそうで有る。
みんなそれぞれできる事が違う。それを認め合っていけるデイになったのだろう。素敵なお話を聞かせて戴いた。
おそらく 自分の将来にもこういう場面になる事は見える。
そんな時 この事を思い出せるように…としっかり頭に留めた。
お買い物を済ませて 今日の活動は終了した。

行きも帰りも 歩いた。

家に戻った。
午後は介護者ネットワークの会が有るので「生協の配達立ち会えないかも…」と配達のお兄ちゃんに伝えていたらいつもより15分早く来てくれ無事荷物を受け取れた。「間に合ってよかった」と喜んでいらした。
配達のお兄ちゃんは11月から変わった。
以前のお兄ちゃんはマイペースでこちらに合わせてくれる事はなくて 外出の日は注文を控える事が多かったので臨機応変に対応してくださるとこちらも嬉しい。

荷物を受け取って 直ぐ駅まで走った。
電車にも無事乗れた。
地下鉄に乗り換えて…最寄駅に着き ホームからエスカレーターを使わずに階段を駆け上った。
これがとっても長い階段である。無事地上に出たときには足が上がらなくなる程だった。時折 こんな事を試して見たくなる。
ちなみに 帰路も同じ事にチャレンジした。

介護者ネットワークでは 様々な課題が出た。
それぞれの会の方が自分の事ばかりでなく外に向けての繋がりを持ち始めているようだった。介護者の情報発信は 確実に広がりを見せ始めている。
また 痴呆の理解と言う所でも随分様変わりを始めた。
以前紹介した痴呆者本人からのお話を受け ビデオを恐る恐る見せた会があった。介護者が困難な状況で文句いっぱいな人の反発が有るのでは…と思ったそうで有る。でも皆さん前向きに捉えてくださったと言うお話だった。
私の住む町の家族の会でもお姑さんや舅さんの介護で辛さいっぱいの方が居られる。でも「判らなくて困っているのは 痴呆者も介護者も同じ」というお話をしてくださった方が数名いらした。その言葉をしっかり受け止めてくださった。やはりじわじわと痴呆者への家族の理解が広がり始めていると感じる。
「若年痴呆の人から 直接お話を聞く機会が出来ないか?」と会の代表の干場さんに伺ったら「今は未だ無理」と言うお話だった。
マスコミも追いかけていて どうしたものかと考慮中だという事だった。
マスコミも痴呆者のお話が大切と動き始めているようである。
介護の周辺は こんな風に変化している。

ただ 家族の困難も充分理解をしながらである。

会の後もいろいろ個別の情報や意見交換をした。
医師も立ち会っている。

夕方から ご近所さんと酉の市に出かけてみようと誘われていた。
時計と睨めっこしながら電車に飛び乗った。
家に着いたのは 約束の時間の15分前。
ちょこっとお腹に詰め込んで 約束の場所へ。

足が痛んで整形通いの方なので「バス利用かな?」と思っていたら「歩くよ」と言われもう1人の人とびっくり。
足もとても軽やかで更にびっくり。
大きく移動する所は電車を使ったが 往復歩いた。
酉の市では 掛声や売買成立の手拍子でとても賑やかだった。
特に神社仏閣を信心してる訳ではない。でも醸し出される雰囲気が好きである。夜店も覘きながら…歩いてきた。

今日は ほんとに随分歩いた。
これだけ歩けば 成人病も寄って来ないだろう。。。


2004年11月25日(木) みんなで作ったぞぉ〜い!


今日は 同じフロアの家族と二人で考えて「ほうとう作り」をした。
同じフロアには車椅子の方もいる。片麻痺の人もいる。
母のように言葉が理解できなくなりつつ有る人も数名いる。
90を越えた方もいる。
普段は意欲もなくしている人も多い。
そんな人たちが全員作業に参加してほうとうを作った。

テーブルに新聞を広げて汚れ予防。
入所者の方が作られた広告で作った箱をいくつも置いて野菜屑入れにした。
南瓜を半分にして種をくりぬくのは 片麻痺があってもできる。
キャベツは包丁を使わなくとも手でちぎればよい。
ほうとうの麺をほぐすのだって麻痺があっても出来る。
作業のできる人は野菜の皮むき。
里芋1キロ強 じゃが芋2キロ弱 キャベツ半分 人参1キロ 南瓜1個 大根1本 鶏肉1キロ弱 ほうとう麺 
材料のした処理に一時間ほどかかった。
笑顔半分 真摯な表情半分。
みんな それぞれの役目をしっかり遂行できた。
麻痺の有る人が片手で包丁を持って材料を切っていく姿に感動した。
形の大きさはバラバラだけれど煮てしまえば柔らかくなるんだもの…。

煮るのはこちらの役目。
煮干と野菜のおいしそうな匂いに釣られて他の階にいた職員も見学に入らした。上のフロアからも4名ほど参加した。
包丁とピーラーは我が家からも持参したがそれでも足りなくて キッチンバサミも使った。

野菜が煮えてきた時 小さな皿に汁を取ってみんなに平等に味見してもらった。「じゃが芋の味がする」「おいしい」様々な声が聞かれた。
麺を入れて 味噌を入れて 最後にキャベツと絹さやを入れて完成。

職員も家族も「多いなぁ〜」と言っていた。
私も材料を考えるのに苦労した。
ガス台は家庭用の大きさで 2つの大きな鍋が何とか乗った。

「盛り付けは みんなの目の前でやりたいね」と言う案を受けてテーブルの真ん中にでーんと置いた。
そしておきな丼に盛り付けた。
普段茶碗に軽く食べているのだが…今日はみんなおかわりをして…。
瞬く間に消えていく。。。

職員も私たちもみんなと一緒に食べた。
「おいしい」と言う声が圧倒的だった。

少し残った分は下のフロアの方におやつ時に食べてもらった。
おそらく全量完食の筈だ。

「やってよかった。何故 そうしたいと思ったか良く判った。またやってみたい」と乗ってくれたご家族が言った。
本当は私達親子と もう1組の親子でお出かけの予定を組んでいたのだった。
でも何だか自分たちだけ楽しんで他の方の楽しみがないのがとても気になっていた。だから「ほうとう作ってみない?」と誘ったのだった。
今回は 施設負担は水道ガスの利用のみで材料全て2家族のみの負担。
幸いじゃが芋と大根は我が家に頂き物があったから…。

全員参加でき おいしく食べられて良かった。
食事の時間もいつもより1時間ずれたのでお腹も空いていたかもしれない…。

食後 いつものように母とお散歩。
そう母のリハビリも予定通り行ってもらった。
最近の母は お散歩が苦痛である。
かなり無理を強いている。歩く事はやっぱり外せない。
大きな声で唄ったりして出来る限り楽しめるようにしながらのお散歩。
今日も何とか一度の休憩を入れて 頑張ってもらった。
施設に戻ってからおやつタイムにした。外の風はちょっぴり冷たかったから。

ご家族と話しながら帰宅。
「これはね はなさんだからできる事だと思うよ」と言われた。
「考えも付かなかったもの…」と。
でもね グループホームってこういう事が出来るって思っていたんだ。。。
おそらく入所したての頃の母なら今よりずっと出来ていたはずで…。
それができなかったと言うのはまことに残念。
繰言を言っても始まらない…これからもみんなで出来ることを探してチャレンジしてみよう。。。
みんな 持って入る能力は未だ未だ有りそうだから…。


 


2004年11月24日(水) 馬 いないねぇ〜


 利用者さん訪問。
この休日に 遠出なさったようだった。
それでも疲れずに家事をなさっていらした。夏初めの頃を考えるとかなり体力が付いていらしているようである。
利用者さん自身も気が付いておられるようで「元気になってきたんだわ 嬉しい」と言われていた。
明かりの加減で床の埃が目立っていた。
「貴方のお家は こんな事ないでしょうね」と言われてポリポリ。
「いいえ 家は家族が1人多いですし…掃除も手抜きもいいところだから…。お日様の加減で埃が目に付いてたまらなくなる時有りますよ…」と。
いつものようにお掃除をして終了。

家に戻って 植え込みの枯葉を取り除いた。
落ち葉の季節で外回りは気をつけてお掃除するけれど 内側は手抜きで…。
山椒の葉が落ちるまでと思ったけれど 我慢できなくなって手を出した。

それから母の所に出向く。
ホールでは 暖かな光を受けながらみんなウトウトモードだった。
お散歩日和なので 母を誘ってみた。
母は「うん」と言わなくて「行かない」と言った。
はっきりと行かないと言った訳でなくて…。「疲れすぎると困る」みたいな事も言っていた。最近は疲れるようにみえる。
でも「行こうよ」と誘って外に出た。
「今日は空が高いね」と母が言う。
「そうだね。秋だものね。天高く…」と言うと「馬肥ゆる秋」と母が続けて
「馬いないねぇ〜」と笑った。
「○○(母の名)肥ゆる秋」と言ったら更に笑った。
うろこ雲が 青い空にくっきりと浮かんで 幾度も空を仰いだ。

公園でおやつ。柿と板かりんととホットレモンティーを家から持ってきたのでベンチでおやつタイム。

やはりかなり疲れるようである。
季節によって時に疲れが目立つ時がある。今日もベンチタイムを幾度も取りながら予定より少しだけ多めに歩いた。

疲れを気にしないように 石を順繰りに蹴って歩いた。
時に石の手前で蹴ってみたり 石の上に足を乗せたり… 蹴ったつもりが空蹴りだったりとしたが 想定通り楽しんでくれて疲れを意識しないでいたので助かった。
最後はフェンス隙間から川辺りに落ちて行き 石蹴りも終了した。

明日はほうとうを作る日。
じゃが芋を家から運んで洗面所で母に洗って貰った。

排泄も失敗する事なく誘導によってトイレで出来た。
こういう日が続けばいいなぁ〜。


2004年11月23日(火) …予防


朝5時 娘が帰宅。
以前の会社ほどの頻度ではないけれど 未だやっぱりこんな時がある。
出かける前「休日前だから早く帰りたいなぁ〜」と願って行ったけれど…。
願いは叶わなかった。
上司の気分でと言うか都合で残業になる事が多い。
上司は子持ちの女性…。それも未だ小さいお子様で有る。
他人事ながら「お子様大丈夫?」と思うのは専業主婦だからだろうか?

1人朝食をとりながら 朝刊を読んでいたら…。

被災地の高齢者の事が記事となっていた。
読みながら涙がこみ上げてきた。
介護しているお母様のために 避難所生活をせずに踏ん張っている人の話しに涙してしまったのである。
「お袋は別の所に行けばトイレはオムツにするか連れて行ってもらわんきゃだめ。覚悟を決めて 家に居るしかなかった」と言うくだりである。
そういう踏ん張りを持って 頑張っている方が居られるのだなぁ〜。
自分は甘いなぁ〜と思った。
施設の方もかなり大変だ。
徘徊などで迷惑をかけるからとホームに戻ったと言うのである。
普段の生活が出来ずに 生活不活発病が心配されていると言う。

この生活不活発病(廃用症候群)が私も一番の気がかりである。
母もそこの部分が気になり 出来る限り面会を多くするように心がけているのである。

生活が不活発になると 頭や心まで含めた全身の働きが低下する。
そのため「動きにくい」「疲れやすい」状態となり生活がさらに不活発となる「悪循環」になって行く。「使わない機能は落ちる」のが当然だが意識的に止めないとどんどん進行して改善は難しくなる。
生活不活発病は防げるし よくする事もできる。症状の軽いうちに意識的に生活を活発にすることがポイントなのである…。(新聞抜粋)

これは高齢者に限った事ではない。
このあたりに介護予防の意味付けが有るのだ。

ところが…。新聞をめくると…。
介護保険改正「財源きえる」厚労省巻き返しと言う見出しが目に止まった。
「在宅福祉事業補助金」の廃止が例示された事で05年の介護保険制度導入を目指す介護予防の財源が消えてしまいそうだというのである。
自民党幹部は「お年寄りに運動させる事まで国がやらなければならないのか」と対応は冷ややかなのだそうだ。

介護保険から要支援が無くなるのは必須で 更に介護予防対策もなくなったら…と心配である。

介護保険の財政もとても厳しいものだという事は充分踏まえている。
が 介護予防できれば保険を使うのを先送りできるのである。
先送りできれば 財政だって助かる筈である。
ここで介護予防にかけるお金と保険で使うお金を比較したら…どちらが多くなるのか…。聞いたところに寄れば 予防に使うお金の方が低いという事だった。そういう事を自民党議員はどこまで把握しているのだろう。。。

昨日 布団の中でTBSラジオを聴いていた。
アクセス バトルトークである。
長野県知事が自民党の有る議員さん(小泉さん流に言えば 抵抗勢力の人達)と息統合していた。三位一体政策はおかしいと…。
とても不思議な面持ちで耳を傾けた。
何処まで具体性が有るか…は疑問だけれど…。
でも 考えさせられるなぁ〜とうつらうつらと聞いていた。

今朝の新聞を読みながら ふ〜む 小泉さん体制をぶっ壊すには これぐらいの破壊力が無いと駄目なのかも…なんて思った。

この所 廃用症候群じゃないけれど 運動不足は否めない。
時間に追われるのでついついバスを使ってしまう。
我が家の車庫に大きな車がでんと座って居り 更に小さな車も止まっていてペダルの我が愛車が出せない…事もある。
成人病が気になる世代に突入しているので 運動はやはり欠かせない。
動き回っていても運動にはならない事は承知している。
だから 時間がある時は意識して歩くようにしている。
昨日 今日としっかり運動した。
気分は良い。これも健康維持に必死であり 介護予防になってくれると信じている。
時間と運動は追いかけっこで今後も続けなくては…。
運動量が多いと血圧も下がるのは 母で実証済みであるから…。

母との散歩コースが 今の私の運動コースである。
考えれば 80を半ばにして良くぞこんなに歩かせたなぁ〜と思う。
母もよく踏ん張ってくれたものだと感心する日々でもある。


2004年11月22日(月) おいしい?

 
 利用者さん 訪問。
チャイムを押すと「は〜い ごくろうさまぁ〜」とドア越しに可愛い声が聞こえた。今日は落ち着いていらっしゃるなと直感。
いいお天気なので 真っ先に洗濯機を廻してから 利用者さんからお話を伺った。「私 お野菜下茹でして お魚焼いて…ちゃんとお食事で来ていますよ」とご報告。健康状態も良いようである。

お話を伺いながら鉢植えの手入れ。
「お蔭様で ハイビスカスも花盛りが続いて シャコバサボテンも花芽に色が付いてきました。ここ何年もお花が付かなかったけれど…お蔭様で…」と。黄色になった葉を摘み 花柄も取り除いき受け皿と鉢をバケツの中で洗った。ベランダに出たついでに 隣のベランダから流れた土を掃き集め 最後にお水を流した。

鉢植えを中に取り入れてから洗濯物を干した。

トイレのタンクも放置された儘だったので ササッと洗ってタンク洗浄剤を入れた。ついでトイレのお掃除をした。

それから掃除機をかける。
今日は 牡蠣フライを作るお約束の日なので 使っていないお部屋は飛ばさせて貰った。
お掃除を済ませて お店に牡蠣を買いに走った。ついでの買い物は無いと言われたが行く前に油をチェックしたら足りなかったのでそれも買うことにした。あれれ 結構油を使われるなぁ〜。
お1人だからと小さ目のサラダオイルを買ったのは9月末か10月の筈。。。今度 もう少しお料理の事聞いておかなくちゃ…。

買い物から戻って牡蠣を洗ってペーパータオルで拭いて 牡蠣フライを作った。「時間が足りなかったら 揚げないでもいいですよ」と言われたけれどでも 揚げる時の方が心配なので急いで作業した。
生野菜の下準備をして お鍋を洗って片付け 油を処理して 時間ギリギリの終了だった。

「これで2回分のおかずが有るわ。嬉しい 楽しみだわ」とニコニコ。
良かった 間に合って!

家に戻ってから 母の所に向かった。
今日は 煮干と絹さやとほうとうの麺を運んだ。
今週の木曜日 もう1人のご家族と同じフロアの入所者とほうとうを作るのである。先に準備できる事は少しずつ取り組んでおいた方が時間短縮にもなるし気分盛り上げ効果も出来るだろうと思ったから。
テーブルを挟んで煮干の処理と絹さやの筋取りの作業をした。
頭を取る人 はらわたを取る人と分かれた。
母に煮干を渡すと横半分に割ってしまったので 絹さやの方を御願いした。
昨冬 絹さやの筋取りを頼んだら口に運んでしまったり これまた横半分に折ってしまったりしたのだが 今日は2パック1人できちんと処理できた。
筋もちゃんと別に分けられた。今日は合格点である。
煮干の方はと言えば…。
頭と腹を取り除いたら 自分の口に放りこんでいたFさん。
歯がなくてお食事だって刻み食である。
職員が心配して出させようとしたので「見守っていますから好きにさせてあげて見ませんか?」と御願いして了解して頂いた。
口の中でかなりふやけているので心配は無いと思ったが 念のためティッシュに出してもらった。でも次のもまた口の中に運んだ。
歯ごたえや味を楽しんでいるようだ。
きっと 幼い頃 口にしていたんだろうなと想像した。
父もそうだった。
煮干の処理を頼むといつもひとつはほおばり「うまいな」と言っていた。
もう1人の人が「爺さんが 煮干くれって…晩酌の時に言っていた」と思い出話をしてくれた。幼い頃の風景のようである。

みんな手早く仕事が出来て あっという間に終了。
他の人にも 煮干を1匹づつあげた。
Fさんのお口の中の煮干は程よい所でまた出してもらった。
飴の様においしそうにしゃぶっていた。

その後母とお散歩にでた。
今日は 歩きもしっかりしていた。
遠出しようと思っていたけれど 穏やかなお天気の時はしっかり歩いた方がいいと思い直した。
乗り物に乗ってしまうとどうしても歩く距離が足りなくなってしまうから。
公園の陽だまりで ベンチに腰を下ろしておやつタイム。
今日は小柚子の缶詰とかりんとうとレモンティー。
缶詰は 一缶分平らげた。

おやつ後 更に歩いて 施設に戻った。


2004年11月21日(日) おさんぽ


 久々にゆったりモード。
この所 判りもしないのにパソコンの画像加工に手を出している。
年賀状を意識してではない。
何となく ただ 何となく 今知っている事で何処まで出来るだろうか…と思っての事である。
が 思うところまで出来ない。

娘にちょこっと聞いてみた。
仕事で何の苦労もなく出来てたのに…「忘れるもんだなぁ〜」と呟く娘。
おいおいそんな年でもないだろうに…。
娘は 近いところまで出来たが未だ思う所までは出来なかった。
テキスト見れば思い出せるって言っていたけれど…。

自分でチャレンジする楽しみも有るから そこまでは希望しなかった。

その後1人でデジカメ持っておさんぽ。
民家の並びを歩いているうちは あまり感じなかったけれど…。
木立の中に身を置いた時 とても気持ちが落ち着いた。
そういえば…母と一緒に歩いていた時もここで穏やかになっていたなぁ〜。
向かう場所は 見晴台だけれど…。
母も見晴台よりも この途中の木立の中の方が嬉々としていた。
木々の癒し…かなぁ〜。
上り坂に 息を弾ませていた母だけれど…。
今 同じコースを歩けるだろうか?
気力を出して「よし もう少し」と言っていた母だけれど…。
今の母は そういう気力が消えかかっている。

昨日 お散歩している時休息でベンチに腰掛けたら「寒い」といって上着を後ろ前反対にブレザーを着ていた。
それでもおかしな事に気が付かなかった。
間違えると窮屈なので「おかしい」時が付く母だったのに…。
寒いと言いながら汗をいっぱいかいていたし…。

後退は一時的なものか…。
どうにも冬に向かってくると心配になってくる。

低い日差しは とてもやわらかである。
デジカメの画像にもそれが現れている。言葉では説明しにくい日差しもしっかり画像に取り込めた気がする。久々の事である。
私の作品なんて偶然性に頼りきっているのだから…まだまだなんだけれど…。




2004年11月20日(土) タイミング


「はぁ〜 やっとバトンタッチできるわぁ〜」これが利用者さんの第一声だった。おそらく 朝食の片付けを済ませたところだったのだろう。。。
今日は 家具の拭き掃除である。
埃やカビや土等は利用者さんの病によくないので有る。
利用者さん自身も できる範囲の中でお掃除はなさっている。

埃の付きにくい薬品も準備なさっているので拭き掃除のあと更にそれで拭くのである。

我が家の埃は 片目を瞑って見ないふりなのだが…。

作業をしていると私の5本指の靴下が目に付いた様子だった。
「娘が買ってくれたものです」というと「いいわね。娘さんは傍に置いてた方が良いわよ」と言われた。
「ん〜でも 娘には娘の生き方が有るでしょうから…私が決めることでもないでしょう」と言うと「そうねぇ〜」と言われた。
利用者さんは 2人のお嬢さんをお嫁に出して 老い先の計画はご夫婦2人と決めておられる事は薄々感じてはいた。
詳しいお話はお聞きしてない。
でも今日は そこまで踏み込んでお話なさった。
ひとつの山を越えられたよう…とも話されていた。
「私より ずっと素晴らしい」と褒められていらした。
ご自分は そういう苦労無しに来たから…とも。
悲壮感を漂わせてのお話でなく さっぱりとした話し振りだったので清々しい感じがした。
出来る事なら 利用者さんのように成れればいいなと思った。

活動を終えて家に戻り 大急ぎでめだかのお家のお掃除をした。
暖かな日に 今年最後の大掃除…。
ちと大袈裟。。。たかが瓶なのだが…。

その後 母の所に出向いた。
母は お手玉を手にしていた。
1人でお手玉を始めていた。
きっと 少し前まで職員の見守りの中でお手玉を楽しんでいたのだろう。

暖かな日の有るうちに…散歩に出た。
足取りは軽い。左右の揺れも今日はそれほどでもない。
今まで腕を組んでのお散歩だったが 平らな所では出来る限りひとり歩行をして貰っている。
意識しながら歩いた方が良いような気がし始めている。
「足上げてね」と言うと膝を高めに上げて歩き始めた。それだけで姿勢も正していた。
「家に帰りたい」と言うので「お家には誰がいるの?」と聞くと「おかちゃん」「早く帰りたいの?」と聞くと「うん でも こっちのおかちゃんも…居ないと困るし…」
母なりに何かを感じているのだろう。。。

「何か食べたい?」と聞くと「何にもいらない…」と言う。
それでもファミレスに入るとケーキを食べていた。
でもだんだん雲行きが怪しくなった。
机に突っ伏すのである。「腹痛だな?」と直感。
散歩でお腹が刺激されたのだろう。でも未だトイレに行くほどでなさそうだったので様子を見ながら歩いて施設に戻った。
トイレに誘導し頑張ってもらったら しっかり出せた。
良かった。
いきむ事すら忘れかけているのでいきんだ瞬間は褒めてあげる事にしている。数回褒めているとこちらの意図を汲めるようになってくる。

これを放置するとオムツに出してしまう。
出来る限り排泄は トイレでしてもらいたい…。
それは私のためでなく 母自身悲しい思いをしないで欲しいと思うからである。いくら排泄の意志を伝えられなくとも 汚してしまったという事は母にも判るからである。
たとえその哀しさが瞬間だったとしても…。
排泄が済んだ時「良かったね ホラ 後ろ向いてごらん」と言うと母は「随分出たんだね」と言った。それで良いのだ。
私が役に立てる事なんて それくらいしかないのだから…。

介護仲間(お義母様の介護)がよく言ううけれど…。
「排泄は夫でも家族でも駄目なの。タイミングをつかめないのよね」
そういう事で有る。
何事もタイミングがある。それをうまくつかめないと上手に排泄誘導は出来ないように感じる。
いや 排泄だけでないのかも知れない。

介護は 気持ちも大切だが 間合い 頃合を掴む事も必要だと最近つくづくと感じる。うまく行くとグダグダとした思いがさっと消えていく醍醐味もある。



2004年11月19日(金) ギブ&テイク

利用者さん訪問。
丁度 山芋を片付けようとなさっていらして…「物騒な事しようと思ってね」と笑いながら新聞に包んだ山芋を手になされた。
まるでこれから これでポカッとやるような仕草で…。
こんな風に利用者さんは 80を越えられても冗談が好きである。

「昨日ね ヘルパーさんに お掃除頼んだの。お裁縫をした後で隅の方に糸くずが落ちてしまったので『ここのところが気になるからお願いします』と言ったけれど…帰った後見たら其の儘なのよ」と言われた。
今日は お散歩や買い物の日だったが お話を伺いながらゴミを纏めていた。すると「ホラね ゴミもね お願いしたけれど…抜けているでしょ」と言う。
利用者さんは「人に拠って違うし これから先お願いして行かなければならないのだかねぇ〜仕方ないのでしょうけれど…」と諦め半分だった。
この部分は 利用者さんに時折お話しているので 充分理解くださっているんだなと感じた。

その後 買い物に出た。
メモに沿って 一緒に買い物をした。
魚売り場で牡蠣を見て「牡蠣フライが好きなんだけれど 面倒でねぇ〜」と言われたので「今日は時間的に無理だから 月曜にでも牡蠣フライ作りましょう。パン粉 小麦粉 卵 ありますか?」とお聞きした。
「嬉しい。材料は有るわ」という事だった。
戻って材料の確認をそっとしてみた。間違いなくちゃんと揃っていた。

家に戻ると役所から電話が入っていた。
「もしや 先日の講演会の費用の件(補助費)で何処からか耳に入って連絡してくれたかしら…」などと都合の良い事を考えてしまった。
折り返し電話してみると そんな筈もなくて…。
「役所で作る 痴呆予防のパンフレットの原稿に目を通して下さいませんか」という事だった。「役所に寄ったついでで良いですから…」という事だった。でも 今の所役所に用はない。。。

かけたついでに その補助費の件を相談してみた。
詳細を聞いてくれ「どうできるか係長と相談してみます」という事だった。
ギブ&テイク…技術である。
来週のお互いの予定を詰めて見たけれど…無理だった。
再来週あたりになるんだろうな…。
その前に こちらで出来る事考えなくては…。

+


2004年11月18日(木) 母のお願い


 今日はリハの日なので急ぎ施設に向かった。
昨日 インフルエンザの予防接種だったのだが どうにも母の様子が危うげなので見送った。
昨年は 風邪を引く人が多くて 接種のタイミングがばら付いたのだが…今年は 母を除いて全員接種できたようだった。

別に風邪をひいている訳でもないので今日できるかなと思っていた。

リハビリの時「あれっ」と言われた「足の甲の筋肉が飛び出している…」と言うのだった。私の目からは 全く判らない…触れれば確かに硬いような…左右の違いもあった。
「そうか それが昨日の横ぶれの原因か」と思った。
横ぶれは 時折起きていつの間にか元に戻る…。
そうたいした事もないのだろうけれど…療法士さんは キュッと足首を上のほうに向かって押し上げていた。瞬間母は痛い顔をしたけれど その後は同じ事をやっても痛そうではなかった。
腰の痛みもあったので 揉み解して貰った。
母は あっという間に zzzの世界へ。
途中 寝言をモニャモニャ言っていた。
とても平和そうで お母さんの夢のようだった。
リハを終えても 母はお眠りだった。

少しアチコチ整理した。

私は予防接種の前は しっかり入浴させたい方である。
だから その旨を職員に伝えていた。施設でも入浴可能ですよと言ってくれていたので リハ後直ぐ入れるかと思ったが そういう訳にも行かないようで…。戻ってから入浴という約束で施設を出た。
しかし 家まで戻るのなら 家での入浴の方が良いような気がした。
思った時に直ぐ入れるのだから…。
それで家で食事にした。
今日はご飯がないので お寿司にした。
おかずは南瓜がある。生野菜も…。お茶と果物で少し誤魔化して…。
実は昨日 母が幾度も「南瓜ある?」と聞いてきた。
そして「一切れで良いから食べたい…」と言っていた。
なんとささやかな願いだろう。
でも施設で「はい」とは出せない。
そんな訳で 昨日のうちに南瓜を買って小豆と一緒に煮て置いたのだった。
朝 器に入れて施設に持って行ったのだが 食べる時間もなかったので持ち帰り家で食べて貰った。
小豆は血液を綺麗にする働きがあるので 冬至でなくとも時折小豆南瓜にするのである。
母は器いっぱいの南瓜をぺろりと平らげた。
昨日 言った事等 母の頭には残っていないようだった。
ほんとは言った時直ぐにかなえてあげられれば良いのだけれど…。
母の願いなんて そう難しい事等ないのだもの…。
いや「おかちゃんの所に行きたい」と言う願いはかなえてあげられないけれど…。

食後 入浴して洗髪 少し横になって 午後の診察に間に合うように施設に急いだ。

無事 予防接種も済んだ。

帰路の途中で「だるませんべい」を見かけた。
「わぁ〜」と懐かしい気持ちになった。
だるまの形をした醤油せんべいに粗目が付いているのだ。甘辛せんべい。
子供の頃に食べた記憶がある。
みんなとおやつに食べようと購入。

施設のみんなとだるませんべいとチョコレートでおやつにした。
普段おせんべいは固くて食べない人も 全部食べていた。
だるませんべいで盛り上がったのは 職員の1人で他の人は知らなかった。
入所者は 記憶に有るようなないような状態だった。
でも みんな「だるませんべい」と言えたから きっと判っているんだろうなぁ〜。


2004年11月17日(水) お花の効果かな?

 
 先月来 元気だけがとりえの夫がイマイチ状態。
「朝食も食べたくない…」と塞ぎこんでいた。
一番大食漢の人が食べない 興味も示さないなんて…。
真っ先に 体の事を一番心配したが…。
どうやら健康が理由でない事がわかった。

あまりに落ち込んで大きな体が急に小さく見えてきた。
当然 背中も丸まってしょぼくれている。
「背中を伸ばして 気持ちだけでもしゃんとしてないと…」と声をかけた。
「そうだな」と背中を伸ばしてくれたが…未だ未だだった。
食事も当然気を使った。
 
数日前 切花を買った。
ガラス越しにショーケースに入ったお花を眺めて 散らない物を選んだ。
秋の花は 華やかさが足りなくて…。
ピンクの彼岸花のような花と黄色の小花と木の実付いた枝を買った。
家の南天も足し水盤に生けた。(買うときは名前を聞いているのだが…新しい品種だと覚えきれないところが悩ましい)
 これだけでは足りないと思い 庭のスプレー菊にワイヤープランツを加えて一輪挿しに…。これは小窓やキッチン等に…。

目立たない花なので 夫が気が付いているかは判らない。
でも 飾った翌日辺りから「もう少しで抜け出せるぞ」と言う言葉を聞いた。今日は「あと暫く待ってくれ…」と言う言葉だった。

どうやら出口が見えてきたのかな?

「母さんは凄いなぁ〜。頑張るねぇ〜」
そんな言葉も吐いた。
こういう時は 要注意だ。
何せ いつも 私の顔を見れば「何やってだか…」とこき下ろし専門なのだから…。

お花の効果だろうか…。
昨日あたりからおかわりを始めている。
普段はおかわりなどしなくなっていたのに…。
食べすぎも禁物だけれど…今は食べないより良い。
もう少しかな?

えっ 今日ですか?
夕食をとって お茶を飲んで お風呂入って もうzzzzzです。

今日は「お福わけ」でスパッティーフィラム(だと思ったけれど)の鉢を戴いた。お祝いで戴いたものを株分けして増やしたものの一鉢だそうである。
それで 更に効果が上がったかな?

利用者さん訪問 母の面会もいつも通りで…。
母の状態は イマイチ。
散歩で歩いている姿が長い影となった。
左右に身体を揺らす陰である。「こんなに揺れておかしいね」と自己判断をした母。いつもは そんなに揺れてないのである。
また 言葉が出なくて同じ言葉を繰り返していたら「同じ言葉ばっかり出てきて 後は出てこないのよ」と困った顔をしていた。
自分が見えている日なんだなぁ〜。


2004年11月16日(火) たかが3万されど3万

たった今 帰ったばかり…。10時少し前だ。
少し怒りモード…。
事業所の時もそうだったけれど…。
今回も 突然の役所の通知。
先日書いた役所の財政見直しのとばっちりである。

今度は家族の会に関ってくる事である。
会で講演会を開ける所まで漕ぎ付けてヤレヤレと思っていたら…来年度から講演会に予算はおりなくなる。

つまり家族の会が無駄な会とみなされたと同じである。
いわゆる小規模単位の自主グループに対しての予算が事実上消えてしまう。
役所はいろんな口実を使って弁解するけれど…。
理解に苦しんでしまう。

来年度の予定をこの3週間で決めろと言うのだ。
月に一度しか集まれない介護者のグループなのに…。
それも5萬以下の補助金は対象外だと言う。
いろんな所に当たってようやく見つけ出した所なのに…。ここからも排除されてしまうのだ。

家族の会自体は みんなの持ち寄りで成り立っている会である。
たった一つの企画は講演会。
これが補助金で賄おうと今年初めて企画した。
会だって 来年3年目に入ろうとする力のないかいである。
介護者の集まれる時間だって限られている。
始まったばかりの会も長年やっている買会も全部一緒に見直されてしまう。
厳しい現状である。

私が感じるのに この新たな助成制度はNPOに対しての補助のような気がする。
5年継続までは認めるがこれ以上は 助成しない。
自立しろと言うのである。

介護家族が どうやって自力で資金を調達しなさいと言うのだろう。
アチコチ回る時間などないのに…。
「甘えるな 自分で何とかしなさい」と言う姿勢がこれからの社会のあり方に成ってくるのだろう。

遅くまで残って説明する職員も大変だろうとは思うけれど…でもね 残業手当が有るのよね。
大手の企業だって 残業はカットされつつ有るけれど…役人は?
ありゃりゃ…エスカレートしすぎだわね。。。

小さな会で自分たちの身銭を切って取り組んでいる者は無償でしかも交通費をかけて出向いているのよね。
この差は 何だろう。

補助金で食わせてもらっている訳じゃないし…。
自治体の足りない所を 家族の会の個々で補っているのよね。
でも「住民の税金を無駄に使うわけには行かないので…」とお念仏のように繰り返し言っていた。
「わかんない」「わかんない」
税金を無駄に使えないのは判るけれど…小さな団体は 更に自費で賄えという事なの?同じ税金を払ってるのに…「なぜ?」

お金がないのは わかる。財政難も理解している。
無駄は 何処に有るんだろう…。
やっぱり 私たちのような小さな団体か…。
 
講演会は 介護家族の立場から必要と思う企画であり 住民の痴呆の理解を深めて貰うための企画である。
役所が介護者にどんぴしゃの企画をしてくれれば良いけれど…。

これは 私の住む町だけの話ではない。
全国的に始まっている筈である。

役所のうたい文句に「この町に住み続けて良かったと思うような 良い町に」とある。
でも 今の財政の見直し方は 全国一律横並び状態なのである。
何処かで何等かの案が出ているとしか思えない。
そして さも独自のプランであるかの装う姿勢にいつも腹立つ。

結局の所「自分でやって行け」という事だろう。
税金は上げるわ 自分でやれだわ… こりゃ大変だ。

このシステムの隙間に きっと入り込む賢い団体が有るだろう。
誰かが言っていた「かっこよく表現できて 大きな予算を組める誰かがここの枠を得るだろう…」って。
架空の企画書をうまく作り上げれば…きっと通る。
ほんとでほんとに予算削減できるのだろうか…。

それにしても 性急過ぎるなぁ〜。

今日は 少し整理しきれないまま日記を書いているので冷静さを欠いています。。後で修正が入るかも…。


2004年11月15日(月) 高齢者虐待対応ワークショップ

 
 最近 高齢者虐待対応の勉強会が盛んである。
虐待についての意識が高まってきているのであろう。
出かけたのは 他の地域のケアマネさんの研修会である。
総勢で60名近いケアマネさんたち(役所の職員も含む)
このワークショップで家族が辛い思いや苦しい思いをどんな時に感じるかを話して理解していただく…という趣旨だった。

参加したご家族は 気持ちを話せる人達なので危機を乗り越えた方たちである。ケアマネさんたちが向かい合う方たちは 話すら出来ずに篭ってしまうご家族が多く 会って貰う事も困難 話して貰う事も困難で家族の辛い思いを聞き出すのはほんとに大変な様子…。
だから ケアマネさんたちは 家族の思いを直接聞く事が出来て勇気を得たと言われていた。
今日は家族としてでなく 家族の思いを引き出す役目だった。

両親の介護のために お仕事をやめて介護に専念なさったという男性がいらした。詳しい事情はプライバシー保護の立場から避けるけれど…。
こういう事例も多いのだろう。

役目を果たして 電車移動しわが町の痴呆介護相談会に直行。
今日は デイの職員も参加なさっていた。
いつもより大勢の方が参加だった。
痴呆と診断される前の方の悩みや不安 介護中の家族の不安 90を超えて呆け始め どうした物か…とかいろんな不安を抱える方がいらした。
痴呆という病がだんだん理解されて 家族がどう対処していくべきかを考える方が増えて来ているように感じる。
出かけたワークショップの資料を役所の方にお貸しした。わが町でもケアマネさん対象に虐待の研修を重ねている最中という事だったから…。

会を終えて 母の所に直行。
玄関を入ると楽しそうな笑い声が聞こえた。
職員とご家族と母とでキャッチボールをしていたのだった。
母の輝くような笑顔に出会えて嬉しかった。デジカメを向けたが…ボケてしまっていた。瞬間を写すって難しい。
母だけが2人の方に相手してもらっているし母の得意分野なのでご機嫌になるのだ。
申し訳ないし 全体的に興に乗っている雰囲気だったのでボールを他の人に廻してみた。始めこそボールを落とす人もいたけれど…繰り返すうちにメキメキと勘を取り戻されていらした。
笑顔が広がった。
普段は難しいお顔の方も 楽しまれていた。

入所した頃 こういう場面は少なかった。
ようやく広がりを見せつつある。
どうか事故のおきないように…。と祈った。
事故は責任問題もあり施設が萎縮して最初の頃に戻ってしまう…。
活き活きとした笑顔が溢れる施設であり続けれるように…と思う。

家に戻った時には 闇に包まれる始める頃だった。



2004年11月14日(日) 一本の電話


 昨日 留守の間に娘が電話を受けていた。
電話があった事 私に伝えたようだが聞いた記憶が残っていない。
夕方メモに気が付いた。
「あれ これは?」書き止められた名前に全く記憶がなかった。
でも「主人が 肺炎で…」とあったので「あの人かな?」と思った。
夏に出会った時「肺炎だけが課題です。イロウって言われているんですけれど…」とも言われていたあの人だ。
介護している方は 母より1歳年上の奥様でご主人は95歳を越えていたと思う。 昨夜の内に「この人」と決めていた。

でも 今朝 香典を包みながら…「ほんとにこの人?」と不安になった。
頭の一文字が合っているので…決めてしまったが。。。
若し違っていたら 大変失礼になってしまう。
仕方がないのでどちらに転んでも良いように果物を持った。
これなら「ちょっとお寄りしてみました。。。」で済ませられそうである。

門前に立っても 外からは何の変化もないので 判らない。
チャイムを押してみて中の気配で「間違いないかな」と思った。
ドアを開けた時 黒い靴が並んでいたのでいよいよ確信できた。

室内に案内されてご遺体と対面できた。

この方との出会いは 母の通所しているデイで知り合った。
アルツが始まったばかりで 奥様が懸命に介護なさっておられた。
私も母との暮らしで行き詰まる事が多く同じ介護者同士助け合えれば…と思い「お買い物ついでにお寄りください」とか母との散歩で立ち寄らせて頂き
川べりを一緒に散歩した事も幾度も有った。
何かと心配りされて 我が家まで大きなスイカを運んでくださった事もある。大きく重いスイカを「これから持って伺います」と電話を受けた時はほんとに驚いた。慌てて坂を下って途中まで出向いた事もあった。
ショートを利用する施設を見たいと言われた時は 案内した事もある。
母よりひとつ年上の方が介護なさっておられると思えば 私の苦労なんてたかが知れている…と幾度も教えて貰った。
幸い ご主人様も私を気に入ってくれていて出会うとニコニコなさって…奥様も「さっきまで動かなかったのに…貴方が来たら風向きが変わった」と幾度も言ってくださった。
「困った事がおきています。主人 お風呂から上がろうとしないのです」と言う話も聞いた。
おそらく今 母が差しかかり始めた症状で有る。
風呂には入ったけれど…浴槽から立ち上がる事を理解できない…という事である。
こんな風に 先の事をいろいろ学ばせて貰った。
この方のおかげで 痴呆の末期がどんな状態になっていくかを知る事が出来たのだ。

いつも気になり 坂を下りる時は決まって洗濯物の確認をして奥様のお元気度を推し量っていた。
この所 洗濯物がないのは「入所なさったからか」と思っていたのだが…。
肺炎のため入院なさっていたのだった。

奥様は「肺炎さえなかったら…」ときらっと涙を光らせていた。
「『ご苦労様でした』と奥様へ『奥様の事しっかり見守ってあげてくださいね』とご遺体に」心の中で語りかけた。

さてさて 書類が3.4通溜まっている。全て返送しなければならない。
いろんな集まりも予定されている。
その多くは役所の予算見直しから発している。
市民の義務なのだろうけれど…なかなか大変。

介護保険の周囲もどんどん変わっていく…きちんと把握していかないとなぁ。




2004年11月13日(土) 畑仕事の効果…


利用者さん訪問
お訪ねすると…「今 ストレスを少なくする生き方…を聞いていたのよ」と言われた。
「えっ そんなにストレス感じていらっしゃるのですか?」とお訪ねすると
「そうよ。家の中 汚いな 早くしなくちゃ…と考えただけで 体がプルプルと震えてくるのよ」
「え〜 そうでしたか…。ゆったり構えていらっしゃるように見えていました。判らない物ですね」
「ねばならない…は負担が大きくなるので 出来る所まで…が一番ですよ。私なんか それが過ぎて…横着してますので 困ったものですけれど…」

そんなお話をした後で お掃除を始めた。
掃除の途中で また話し掛けれたので掃除機を置いて拭き掃除に変え 床拭きしながらお話を伺った。
「やっぱりね どうしようかなと思う時 直ぐに反応してくれる人がいると安心だわ」といわれた。

「貴方の声を聞いて 顔を見るとほんとに安心出来るのよ。抱きついていい?」と言われた。これで2度目である。
私を抱いてみても 平たくて…柔らかな感触などないのだけれど…。(笑)
ま 女性で良かったけれど…。
私も訪問している高齢者に「手を触らせて戴いて良いですか?」と言った事が幾度かある。
90を越えるその方の緩やかな生き方の力を戴こうと思ったのだった。
その方は 笑顔で「うん」と頷いて手を握ってくれたっけ…。
あの頃 訪問しながら こちらが随分エネルギーを戴いていた。

訪問していると ほんとにいろんな事がある。

時間内に予定通り活動を終えた。

昼前 学園祭に娘と出かけた。
模擬店で郷土料理を食べた。ふるさとの味がした。
聞くと故郷から材料を調達したという事だった。
家でも作るけれど この味がない。
きっと食材のせいだと思った。
娘に「ねぇ〜 家のってこういう味する?」と聞くと娘は「しない。子供の頃 この土臭いような味が嫌で 故郷のは嫌いだった」と言う。
ふ〜む…。やはり 私と娘は育った所が違うんだなぁ〜と改めて感じた。
土臭い…そうじゃないと思うけれど…。
こればかりは 感覚の違いなのだろう。

お腹いっぱいになり すっかり眠くなってしまったけれど 母の所に向かった。母はソファーに座っていた。
職員が先日のお礼を言ってくださった。
一緒に出かけた方が あの日は直ぐに休まれて朝までぐっすりだったそうである。施設に戻った時もいつもなら 何処に出かけたか 忘れてしまっているのに…あの日はしっかりと言えたようである。
実はあの日 ご家族からも電話が入った。
「畑に連れ出してもらって 有難う。この所 めきめきとよくなって お話もよく通じて遠い親戚の方とも電話でお話できるようになっているんです。
貴方が連れ出した方が良い効果が 有ると思うと言っていたから信じていたけれど…。まさかこんなに早く それもはっきりと効果が有るなんて…」という事を言われたのだった。
「偶然」とその方の「性格」「望み」とたまたま合致したに過ぎないとは思うけれど…こんなに喜ばれると…畑を解放してよかったと思う。

母に「散歩に行こう」と言うが通じない。「いち にい さんぽ」と足踏みしてみせると母は 不思議そうに「いち にい さんぽ」と足踏みした。
それを幾度か繰り返して笑っていた。
「外に行きますよ」と言うとニコニコして「行くよ」と玄関まで行った。
落ち葉を踏みながら 秋の散歩を楽しんだ。
施設に戻っとき「お帰りなさい」と出迎えられて…「何処にお出かけでしたか?」と聞かれたら「外に行ってきました」と自分から言えた。
ひゃー 久々の言葉だなぁ〜。今日はしっかり判っているんだねぇ〜。



2004年11月12日(金) リベンジならず…


 利用者さん訪問。
今日はお買い物の付き添いと決まっていたので 利用者さんも待ち構えていらした。が「その前に見て欲しい…」といわれて 「これに(ウールのインナー)に何を合わせればよいか?」と聞かれた。
インナーなのに中にブラウスを…と思われていらしたので「この上に何かを羽織れば良いんだと思います」と伝えると「首筋がねぇ〜寂しいような気がして…」と言われたので「スカーフ お持ちでしたよね」と言うと「スカーフは 面倒で邪魔くさいような気がして…」と言いながら手持ちのスカーフを出された。
これをこんな風に…と付けて見せると「あ〜簡単ですね」と言われ 納得なさった。
それから お買い物に出かけた。お望みのものを購入された。
ついで薄手の上着を探された。
けれど これは急だった事もあり こちらもあまり準備無しで…。
チョコチョコ見たけれど 結局決まらなかった。
これは もう少しゆっくり…という事となった。

活動を終えて家に戻った。
入れ違いに娘が病院に向かった。

程なくして娘から電話が入った。
「昨年の先生でねぇ〜。結局またバカにされてしまった」と言う。
「何の心配もない」の一点張りだったと言う。
前回「しこりが有りそこが痛い」と言ったのに「しこりなんてない」と言われたのだった。
けれどしこりが大きくなっており痛みも強くなっているので どうして痛いのかを聞きたかったのに…。
「しこりと痛みは無関係」と言われたらしい。
紹介状を書いてくれた医師は 直ぐにしこりを見つけたのに…今日の医師は探しきれず「どのあたりですか…」と聞いて見つけたそうだ。
総合病院なので痛みを調べるため別の科に廻す事も出来るのに「無駄ですね」と言う風でそれさえしてくれなかったと言う。
この医師 有名私大の医師だそうだ。

医師の面子なのかなぁ〜。
実はこの科には もう1人の医師がいてそちらの方が未だ良いという情報を得た。前回 見て貰った記録が有るのでその医師にカルテが廻されたのだろう…。

「もう2度とあそこの病院には行かない」と言う娘の結論だ。
リベンジならず…という結末だった。 
他の科の受診では 良い医師もいたので 全て駄目という事では無いと思っているけれど…。
娘としてはこりごり…というなのだろう。

午後前回看て貰った診療所に出かけて別の病院に再度紹介状を書いて貰った。予約は12月だった。
それまで 暫くの辛抱である。

病院選びは やっぱり難しい。相性も有るのだろう。。。

そういえば 昨日の新聞に拠ると ケアマネは 5年毎の更新と決まったようである。
医師もそういう制度にならないかなぁ〜。無理かぁ〜。



2004年11月11日(木) ほっとするような しないような…


 母の所に出向くと食事を終えてテーブルクロスを解いていた。
この所 母は織って有るテーブルクロスの糸を一本ずつ丁寧に解いている。
現実には困った事なんだけれど…許してもらっている。
お茶やスープを零す回数も増えてきている。
でも 食べたい気持ちは充分あって自立した食事は出来ている。

「ね ちょっと。貴方に言うのは筋違いなんだけれど…。あの人(母を指して)今朝 私の部屋に入ってきて ベットに水を零していったのよ。もう 風邪引きそう。。。お布団 お姉様に替えてもらったから言いけれど…。いつも私だけ やられるの…」と目に涙をいっぱい溜めて訴えられた。
「病気だから仕方がないのだけれど…もう 早く死んでしまいたい…」とも。

「ごめんなさいね。寒かったでしょう。どうしたら良いかしらねぇ〜」

「いえ ドアを閉めれば良いんだけれど…息苦しくてドアを開けておきたいのよ」と言われた。

ただただ 申し訳ない…と思い やはり母は 迷惑をお掛けする存在になってしまったか…と引き上げ時かな…と思った。

リハを受けた後 家に向かい 夫と母とで昼食を摂った。
母は、ただただニコニコして 笑ってばかりである。
この笑顔で迷惑をかけているのかぁ〜。

食後入浴。
身体を拭く時 ドライヤーで髪を乾かす時「有難う」と幾度も言った。
何かを話したそう。。。
「はし…じゃなくて…母…じゃなくて…」「んと」「んと」と考え込んでいる。じっと待っていても言葉が出ない…話したい事が有るのに言葉が出てこない風であった。くしゃみをひとつした時 ふと思った。
「鼻紙?」「うん」
母が言おうとしたのが「はながみ」だったかは さだかではない。
でも こんな風に言葉が出なくなってきている。母も気が付いており哀しそうであった。
今日は こんな場面が幾度もあった。

その後 通院した。
バスに乗ると また手元にチャイムボタンの有るバスだった。
慌てて席を移動した。今日はチャイムボタンに興味を持たない様子だった。
診療所は 少し混んでいた。
特に変わりなく 診察は済んだ。

ちょこちょことお店を見て施設に戻ろうとすると「嫌だな」と一言言った。
意味が有るのか ないのか…判らない。でも施設に戻ろうとしている時なのでビクッとしてしまった。
判っているのか 居ないのか…。でもきっと 瞬間「帰るんだ」と感じたんだろうなぁ〜。

施設に着いても 今朝の話が頭にこびりついて 離れがたかった。
買ってきたお菓子を職員に渡そうと思った。
甘い物が好きな方なので お詫びの意味で渡してもらおうと思ったのだ。
ところが 職員曰く
「きっと ○○さん(母)が食卓で水を零したりしたのと 以前有った事を重ねて思い出しているんだと思います。○○さんが 他の方のお部屋に行くという事は ないですよ」と言われた。
それを聞いてほっとした。がほんとにそうだろうか…。

だとしたら 彼女もいろいろ寂しさがあって…被害妄想を起しているのじゃないだろうか…。車椅子で外出も少ないし ご家族もなかなか見えないしなぁ〜。彼女にぴったりついて 過ごしてあげれば…こういう事なくなるのかな?でも 母を優先したいしなぁ〜。


2004年11月10日(水) リベンジだって。。。


 2週間ぶりの訪問である。
それでも そんなに汚れていないなぁ〜と思ったら お嬢さんが見えてお掃除してくださったという事だった。

掃除機をかけていたら 途中から「拭き掃除は良いから パソコン教えて」と言われた。70を越えるご婦人である。
チャレンジ精神が豊かなんだなぁ〜。
私もパソコン操作は あまりよく判らないけれど…始めの頃と比べると随分上達したようである。気が付けば パソコンを前にしてドキドキしなくなっている。

人に操作を教える時が来るなんて…考えても見なかった。

先日も情報をコピーして 娘に添付メールを送ったら「随分 進歩しましたね」とニヤニヤされたばかりである。

利用者さん 立派なパソコンアドバイザーが居られて 個人的にサポートしてもらえている。が その方より判り易いと言われた。
褒められてしまったが…要は 判らない操作のみを言葉で教えるからである。専門用語を使って説明したりは出来ない。それに 教える方が操作してしまうと判らなくなる事は 幾度も経験しているので…判らないゆえの教え方が 判りやすいだろう…と思う。

活動を終えて帰ろうとすると「お散歩がてら 途中までご一緒していいですか?」と言われるのでOKした。
お話をしながら 我が家の前まで歩いた。

我が家の前に着いたら…。
夫の車が止まっていたので「あら大変」と急いで家に入った。
どうやら急用で人と会う事になり 着替えに来たのだった。
娘も今日は通院でお休み。。

平日のお昼を我が家で 家族揃って迎えるなんて…ここ数年全くなかった。
平日に限らず 殆ど個食が多くなっている。。。
少しずつ準備されていた物があって まるで夕食みたいなお昼を食べられた。やはり 家族揃っての食事は いいなぁ〜。。。

娘の通院に付き合う。
別に診療所の中まで行った訳でないけれど…。
実は前から気になっている痛みがあり 大きな病院に通院したけれど…。
「異常なし」と言われていた。
でも痛みは続いていた。
別の所でもう一度受診するように勧めたが 医師から「何処もおかしくないよ。考えすぎ…若いのに…」と言われたことがどうにもショックで「また同じ事を言われてしまうのでは…」とセカンドオピニオンを選ぶ気にもなれないのだった。
でも痛みが止まらないので 困ってしまいようやく セカンドオピニオンを選んだのだった。

今日の受診で やはり異常は見つかった。
即 紹介状を戴いた。
前回 受診した病院にした。受診する科は違う。
娘は「ホラ 異常ありじゃん リべンジ…」と言ってた。

心配するほどの事もないと思うけれど…こればかりは 検査を受けてみないとわからない。。。


2004年11月09日(火) あちゃちゃのちゃ


 母の所に出向くと 昼食が終わりかけの所だった。
今日は おてんきが良くて 私の時間も空いているので通院か畑にしようと思っていた。
種まき日和なのである。
職員に今日の勤務者で畑に行けるかを聞いてみた。
暫く考えた末「今日にしましょう」と言う返答が返って来た。

母の昼食を済ませて トイレ誘導で排便させて 湿ったお布団とシーツを干して汚れ物は袋に詰め込み 母と私は先に家に向かった。

今日の母は 次元の違う世界に迷い込んでいて 話がすれ違う。
そんな所で…
今日のアクシデントが起きた。
あと少しでバス停と言う所で バスが通過したのは仕方ないとして…。
(バス停まで一メートルと言う所まで来ていたのですから…ほんとは腹が立っているのです。)
次のバスに乗ったら…母が「降りる方はボタンを押してください」と声を出して読んでいたので「危ないかな」と注意していたのだけれど…小銭を出そうとお財布を出している時 降りる予定もないのに 降車ボタンをピンポンとしてしまった。丁度バス停が近かった。
焦って バス停を見ると待っている人がいたので胸をなでおろした。
バスが停車した時 乗り口と降り口の扉が同時に開いた。
「しまった!」と慌てて「間違えて押しましたごめんなさい」と運転手さんに謝ったがジロリとミラー越しに睨まれてしまった。
こんな事は始めてでは有るけれど…。
少し凹んでしまった。バスは無理かな?
でも直ぐに気を取り直した。
他のバスに乗っていたって 間違えて押す健常者に幾度も会っている。
その上 声もかけずに知らん振りの人が多い。昨日は バス停でもないのに「下ろしてください」とバスを止めた人だっているのだもの…。
それに比べたら可愛い物だ…と思い直した。
だんだん 図太い神経になっている。。。
いや 間違って押してしまわないように充分注意はするけれど…。

乗り継いだ後は問題なく乗れて 我が家に到着。
畑に行くための 道具を揃えて 種とおやつも準備した。
それから 母にお茶とお菓子と果物を食べて貰った。
今日は 誰かが来ると思い込んでいるようで…「未だ来ないね ○○(次男)」と言った。
ちょっと面白くなって…。
「ねえ 長男って どういう子?」「次男って どういう子?」「長女ってどういう子」と聞いてみた。
それぞれ 特徴を捉えた言い方をしていた。
私の事を娘と認識していないので…「いつも まっ平らな棒のようで…」と言う表現に思わず笑ってしまった。
どっちにしても「○○ちゃんが 育てんだから 不足分はしようがないんだよねぇ〜」と言うとニヤニヤとしていた。
実際の事をどれ程 認識しているかは 判らないが…何かを感じてはいるんだろうなぁ〜。

時間が来たので 畑に向かった。
前回も来た人なので 施設の車を降りると「ここねぇ〜。きたよ」と反応を示した。そして柔らかな笑みを見せてくれた。
いつも険しい顔をして じっとしていない人だけれど…畑に来ると表情が変わる。

私の感じる限り 種まきより収穫の方が受け止めやすいように思う。
でも職員が 種まきをさせたいと言っていたので そうしてみた。

始め 種を渡そうとすると「わたしは いいよ」と後ろに引っ込んだ。 
が「先生に教えてもらわないと…」と言うと種を蒔き始めた。
実は間隔を取って 種を蒔けるように 印の穴を開けておいたのだけれど…これは無理と言う物だった。
拘る事もないかと 花咲かじいさん宜しく パッ パッと巻いてもらって土を被せる事に変更した。
今日は 寒咲き菜花、春菊、アスパラ菜、ルッコラを蒔いて貰った。

その後如雨露で水を撒いてもらう。
バケツの水汲みは私が請けたが 最後職員と入所者とで水汲みに行った。
小さな小川をせき止めた水場からくみ上げるのだが…。
この場所が 以外にもうけたみたいだった。
入所者も喜んだらしい…。
こんな事なら最初からやって貰えばよかったなと思う。
確かに昔は こんな風に汲みあげて水撒きしたんだろうなぁ〜。

「これから 時折 畑に水撒きに来て良いですか」と言われたので「どうぞどうぞ」と返答。
作業後 公園でおやつタイム。。。
其の儘 母を施設に連れて行ってくれた。
今日は 予定より早めに 一日が終わった。


2004年11月08日(月) 学びあえるなぁ〜


利用者さんを訪問すると「朝から一働きしましたよ」とニッコリとで迎えてくださった。
「使いかけの食材等 使い易い様に下ごしらえして貰ったから台所に立つのも気が楽になりましてね。
それに 簡単に作れるレシピを教えて貰ったし ちょっとした食材も揃っているのでねぇ〜 ほんとに助かりました有難う。やる事やると気持ちいいですね」と言われた。
今まで ほどほどにご自分で調理なさって居られたのだけれど この所 お疲れの御様子だったのだ。
ようやく 台所に立つ気になられた御様子に胸をなでおろした。
「私の力ではなくて 利用者さんがお元気で お気持ちが前を向いて居られるからですよ」と言うと「そうね 元気だからできるのよね」と喜ばれた。

今日は買い物依頼だけでなく ご自身から「一緒にお買い物行って貰えますか」と言われた。
買い物に同行すると メモ以外に「これを買い足すとこんな物が出来ますよ」とお話できる。
食材が増えるとマンネリの献立に 変化が生まれるようである。

たいした献立の紹介でもないのであるが。
私が簡単と思っても 利用者さんにとって面倒と思われるものは「パス」と言ってくれる。
こういうやり取りで 自信が付いてくるようである。

ちょこっと自信が付くと応用も出来るようになる。
ご飯がない時でも じゃが芋等をレンジでチンして召し上がったりも有るそうだ。長い間 台所に立たれて経験なさった事を思い出されるのだろうと思う。

買い物から戻って冷蔵庫におさめようと野菜室を開けたら 少し汚れが目立った。気になったし時間にもゆとりが有るので「冷蔵庫のお掃除してよいですか?」と伺った。
「お願いします」と言われ 直ぐに野菜室を分解してお掃除。
「あれれ…ここまでばらせるんですね」と利用者さんが驚かれた。
一人暮らしなので そうそう汚れる事もないので お掃除する事もなかったのだろう。。。
昔の冷蔵庫は分解なんか出来なかったので 気が付かなかったのだろうと思う。

野菜篭に玉葱をおさめると里芋が傷み始めているのが目に付いたので「茹でてしまって良いですか?」と伺うと「お願いします」という事でこれも処理した。

買い物時に トイレタンクに入れる漂白剤も買った。これは利用者さんが希望なされたものだ。「タンクの中が汚れるので便器に黒ずみが出る」と管理人さんから聞いて 漂白剤を使う事を知ったようだった。
タンクもちゃちゃっとお掃除した。
「ここは 丁寧にお掃除しなければならないので 今日はできる所まで…やっておきます。また ヘルパーさんにもやって貰って下さい」と伝えた。

冷蔵庫やトイレタンクの掃除は 自分の家の場合 そう簡単に手を付けられない。後回しになってしまう所でもある。
やはり ここは役目を持って訪問しているからできる事だなぁ〜。

それでも こうやって外で気軽に作業してしまうと家に戻っても気軽に出来る作業と思えるから不思議である。
これが 活動から貰えるエネルギーかもしれない。。

次の活動日は デパートへのお買い物同行を依頼された。
利用者さんのお楽しみが有るらしい。

家に戻って 畑に向かった。
生協から取り寄せたアスパラを植えつけるからだ。
アスパラは苗を買っても 直ぐには収穫出来ないのだが…これは大きく育った苗なので翌年から収穫出来るというので買ってみたのだった。
さて どうなる事か…来年が楽しみである。
ついで スナップエンドウの蔓の誘引をした。
夫に頼んであったけれど 棚を組んではくれたけれど蔓の誘引まではしていなくて 蔓どうしがけんかを始めていたからである。

ついで開いている場所を掘り起こして追肥した。
「施設の人に種まきをさせたい」と言われているので 直ぐに出来るように準備だけして お天気と都合が合った時に直ぐに出来るようにして置かないと…種まきの時期を逃してしまいそうだから…。
これで畑は 一息付けそうだ。。。 




 


2004年11月07日(日) 百円均一の品。。。


母は ソファーに座ってシールの絵本を見ていた。
私が行く前まで お店屋さんの野菜やら玩具のシールを店頭に貼り付けていたらしい。割りに穏やかだった。
でも何となく臭う…。

居室に入って 洗面から始めた。
顔は洗えた。「歯を磨いて」と歯ブラシを渡すとやおら歯ブラシで腕を磨きだした。「ちょっと待って」とブラシを預かり「歯を磨くのよ」と言っても通じていない風。腕に付いた歯磨き粉を石鹸のように使って腕洗いしていた。再度 歯ブラシを渡した。今度は口の近くまで持って行き「歯を磨きましょう」と言うと今度はちゃんと磨きだした。コップに水を汲んでクチュクチュペッも出来た。
直ぐトイレに誘導。
「何だか臭いね」とトイレに座ると言った。
少し便も付着しているけれど…それは拭き取ってあった。
臀部を見ると 赤くなっていた。こういう事は 今までなかった。
長時間 放置で座っていた可能性大。。。
おまけに陰部の方も「痒い 痒くない」と言う。
こういう時は 決まって痒いので有る。

自分で臭いと気が付く事はいい事だ。
そしてかゆみも言える。
怒りっぽくもないし 哀しそうでもない。
問題は 何故臭いか何故痒いか が言えない事だ。病だから仕方ないか…。

尿漏れパット トレーニングパンツ 下着を取りに母の傍を離れた時 母は、口の中からトイレの床に水を吐き出した。
「しまった」と思った。
歯磨きの後 未だ口に水を含んでいたのだった。
いつもならちゃんと見るのに…忘れていた。。。
「あれれ…」と言うと母も吐き出すのをやめた。残りは便器の中に出してもらった。

その後 お尻をタオルで幾度も拭いて 薬を塗布した。
「有難う」と母は言った。
困った事は言えないけれど 処置すればありがたいと思えるのだなぁ〜。

今日の二つの行動は こちらの配慮が足りなかった。
やっぱり どうしても出来る事が前提になってしまって ついつい 忘れてしまうのである。
幸い 母も落ち込まないので助かる。

着替えが終わると「気持ちいいよ」と言った。
今日は比較的 温かいのに…暖房が弱く入っていて 母は暑かったようである。着替えが済むと もう臭わなくなっていた。良かった。

母は 時折 言葉を理解できなくなってしまう。耳が遠いせいも有るけれど明らかに聞こえていても理解できなくなる。いつもそうとは限らないから…事は面倒である。職員だってスルーしてしまうだろう。。。
話を理解できないだけでなく 困った時に伝えるという事も出来なくなっている。でも「有難う」が言えたり ちゃんと言える時も有るから これもややこしい。
じゃ 私は何処で感じ取れるのか…やはり母のリアクションを見ていると見えてくるような気がする。
仕事に追われていると そういった個々のリアクションがどうしても見えなくなりがちのような気がしてならない。

今日のおやつは 畑の収穫物をみんなで調理したもの。
立っていられない人は参加できなかったけれど…ワイワイと騒ぐ声やにおいは届いていた筈である。
みんな綺麗に食べていたのでほっとした。
買い物に出ていた職員が戻ってきた。
百均で和風のテイストを買って来ていた。
これは 上りダンス 屏風 火鉢 背負子 囲炉裏 等その昔風なものをミニチュアで作った物だ。(但し これの値段は210円である。手のひらサイズと言うのかな?)
大分前から これは気が付いていて 母にも買ってみようかな…と思案していた。箱庭のセットだって有る。

癒しの小道具になる筈と思っていた。
気が付いた時「この箪笥は 引き出しも開くのですか?」と聞いたら 暫く考えて包みを開けて「開きますね」と店員さんが対応してくれていた。

ただ 置き場所を何処にしようか決めかねていたのだった。
職員が買い求めてくれたなら もう買う必要もなさそうである。

実は私も百均で買った物を持って来ていた。
それは シャボン玉。
手でも触れるシャボン玉である。糊が強く入っているのだろう…。
頭に付いたシャボン玉は容易に消えない。
まるで髪飾りでも付けた様な雰囲気になる。
これで 入所者と少し遊べると思って持って行った。
始め入所者と遊んだが百均の品物が並んだ時「これも 百均」と見せた。
職員は これも驚きだったようで キャキャッと遊んでいた。
帰りしなに「これお返しします」と言われた。
いや「みんなで遊んで貰おうと思って買ってきたのだから…使ってください」と差し上げた。

テレビの前に母を座らせて 夕食前に施設を後にした。



2004年11月06日(土) 庭仕事…


 久々に植木バサミを手にして 庭で格闘。
庭仕事も 溜まりに溜まっている。

何から手を付けてよいものか…と思案に暮れるほどである。
荒れているお庭。。。
草はマメに抜いていたので大丈夫だけれど…。

伸びすぎた枝。
枯れ始めた葉っぱの始末。紅葉を楽しめる物はまだ残しておきたいし…。
夏の日差しを避けておいた鉢植えを取り出し 冬篭りする物もある。
地植えして有る花たちに肥料も与えなければならない。
球根も植え付けなければ…。
それにヨトウ虫に食われてしまった鉢植えもきちんと整枝しておかないと見苦しいし…。

先ずは脚立を出して剪定だ。
2本までやって中断。何せヒノキの類だけれど場所によって葉っぱがトゲトゲしていて軍手 ゴム手袋の2重装備をかけても痛い。
今日は2本のみ。…以前なら 根気強く頑張れたのに…気力が足りない。

落とした葉の始末をしながら 木の下に出てきた蕗やシダを始末した。どくだみもかな?植え込みの下は 根こそぎ取ってないもので直ぐ新しい芽を出してしまう。
増えすぎて困る珠竜も少し整理した。でもまだまだだ。
ミントの蔓も枯れ始めている所は切った。

狭い庭なのに あれこれ置き過ぎの感じがするのだが…どう纏めていってよいか整理仕切れてなく迷いながらである。

びわも背丈が伸びてきているのだが 未だ実を付けたことがなくて…剪定の仕方が悪いような気がして 切るのを見送った。
近所のびわは花芽を付け始めているので 後暫く辛抱してみる事にした。

シンビジュームも枯れた葉を取り除いた。

門前の鉢植えを替えた。冬はパンジーと決まっている。
種が零れて勝手に芽を出している桜草を見える場所に移動。
しろたえの鉢植えがいつの間にか スミレと桜草に占領されている。
全くこちらが意図しない形で植物たちが育っていく…。

ふと気になって 瓶をを覘いた。
夏に畑の脇の小川で掬った小魚。めだかとばかり思い込んでいたら 身体に模様が出来ていたので何処まで育ったかと見てみると もう 一匹もいなかった。冷えてきたからだろうか?
ひょっとしたら熱帯魚系だったのかも…。
それにしても夏の間は元気だったのになぁ〜。
めだかは 相変わらず元気で良かった。

瓶の中のお掃除もして置かなければならないのだけれど…目を瞑った。

未だ仕事が片付かない内に電話があり これからこちらに来るとの事だったので大急ぎで仕事を切り上げて 待ち合わせの場所に向かった。

ちょこっと用を足して家に戻ったのは 9時過ぎとなってしまった。
留守電がピコピコ点滅していた。。。







2004年11月05日(金) たった一言なんだけれど…


 利用者さん訪問 
「数日前 他人の手を借りてバスに乗った…。筋力を付けないと…」と散歩を希望された。
2駅先で菊祭りが始まっている筈と思い お誘いしてみた。
もう何年も来ていないけれど…駅前も随分変わったと驚いていらした。
「鄙びた感じが 今心地よいですよ」と喜んで戴けた。
即売の鉢植えを2鉢買い求められた。ほんとは 自分の買い物等してはいけないのだけれど…私も一鉢買ってしまった。
「お天気もいいし 付き添いもいるし…ほんと 良かったわ」と。

活動を終えて スーパーに寄ると「生いか」が特売だった。
GHの職員と「いかが安い時に 施設で塩辛作りましょう」と約束していた事を思い出し7はい購入。予定が詰まっているけれど大丈夫か…と頭をよぎった。が これくらいなら家でも消費できる量だろうと踏み切ったのだった。

家に帰ってみて「やっぱり畑優先だわ」と考え直す。
落花生 ヤーコーンを収穫しナスを引き抜いて次の支度をしないと冬野菜が間に合わなくなってしまう。
ふと 今日のお天気ならGHの入所者も畑は苦痛でないだろうと思い 施設に電話してみた。「都合がよければ 畑に来て見ませんか?」と誘った。
一時間後 入所者3人(母も含んで)が車に乗って畑までやってきた。

始めは「尻餅付きそうで…」と後ろに下がり気味だったが…。
落花生を引き抜いた後は チコリ 青梗菜 空芯菜 人参 ヤーコーン等次々 採り入れていた。
活き活きとした笑顔だった。デジカメに収めた。

取り入れの後 直ぐ傍の公園のベンチでおやつ。みんなにこやかである。
おやつを食べている時 直ぐ近くの見晴らしの良い公園に誘ってみた。
職員は その場所も知らないので ピクニックにも良い場所だから…と案内した。眺望に驚いて貰えた。木製のテーブルベンチもあり車で移動したら充分楽しめると理解していただけた。

みんなへのお土産として 収穫物を半分持ち帰って貰った。
それと 長男から送られて来た 渋を抜いた柿も入所者人数分差し入れた。

その後 畑に戻って畑を耕した。
気が付けば あたりは暗くなり灯りの下で道具を片付けとなった。

心地よい疲れだった。

が 家に付いてポストを見ると 次男宅からの喪中のあいさつのはがきが届いていた。一言も書いてない印刷のみのはがきである。
これで今年はおわりで 再来年のお正月まで便り無しだろうなぁ〜。
お嫁さんの実家のお母様が亡くなられた時 母の分と我が家の分の香典とお花を贈って有る。が はがき一枚貰ってない。
付いたとは思うけれど…少し気になっていた。
お義姉様は 忙しいと思っているので 返事を求めては居ない。
けれど こうやって喪中のはがきをくれるなら 一言書いてくれればいいのに…。私ならそうするけれど…。
弟に一言 言おうかなと思うけれど…。葬儀に行かなかった後ろめたさも有るし…。たった一言で角が立つ事も有るし…。

同じように 長男から届いた柿も…。便りも何も無しの物だけ届いたのだ。
これも 私が 一言「ありがと」とお礼の電話をすれば良い事なのだ。
でも 便りもない荷物を前に「どうしたものかな」と迷ってしまう。
結局 急ぎお礼のはがきを書いて投函した。

丁度 施設の職員から「みんな あま〜い柿だ」ととっても喜んで食べたと電話が来たので その旨も書き添えた。
これくらいが 精一杯の文章だ。

全く持って 困ってしまうほどの意地っ張りである。
普段は もう 何とも感じない程 忘れている事だけれど 弟たちとの間には深い深い谷が有るんだなぁ〜。

母から借りたお金の返済 その方法も無しのつぶて…。
「借りる時だけは頭を下げただけ良いと思わなければ…」と自分に言い聞かせる。

たった一言…「有難う」と言えるって 仲良くしてないと出ない言葉なんだとつくづく感じた。



2004年11月04日(木) おいしい と お い し いの差


夕方 夫から電話があった。
「用があってこっちまで来て お墓参りして実家に顔を出したら 兄貴が今日は泊まれって言うから…」という事だった。
朝 二日酔いで食事も食べたくないと出勤。お昼 家に戻って1時間眠っていたのに…!!
帰りたがっていたから…良かった。
「行くなら もって行って欲しいものあったのにぃ〜」きっと手ぶらでご馳走になって泊まるんだよねぇ〜。。
昨日 娘が夫の実家に何か送っていたなぁ〜。
着替えだって持っていないんだよねぇ〜。
行くなら 準備くらいお昼に出来たのになぁ〜。
ま 行ってしまったんだから…何を言っても始まらないけれど…。

朝はリハの立会いのため施設に向かった。
今朝の母は 穏やかでは有るが…焦点が定まらず 会話も「?」状態。
リハの最中も眠りもしなかった。
朝 ゆっくり目覚めたのだろうなぁ〜。

リハの前に 母の頭をトニックをつけてブラッシングした。抜け毛が多かった。洗面をして貰って お布団を干した。
何故か 敷き布団にカバーがかけてあった。
そして防水マットを使ってなかった。昨日もなかったんだ。

支度をして外に出た。
2つほど私の用でお付き合いして貰って「お昼どうしようかな?」と思った。
ゆとりが有る時間なので「家で食事」と思い スーパーに立ち寄った。
母に「食べたい物が有ったら買おうね」と声をかけて店内を回っていたら魚売り場で「生にしん」と「生牡蠣」を手にした。
それを篭に入れてレジへ。
こういう行動を取ると何となく家に行くという気配を感じるようである。
それでも言葉にならない。

家に着いて 直ぐリビングに向かった。
私は急いでお魚に一塩を振って ロースターで焼いた。
生牡蠣を洗って 酢醤油を準備。
野菜は 朝の温野菜の残り。味噌汁もシジミ汁が残っているので温めた。
ご飯は今朝炊いたのが ギリギリ2杯分あった。

生牡蠣をテーブルに載せると直ぐに箸をつけ始めた。
そこに夫が帰宅。「ご飯はいらない」と言ったけれど 「生牡蠣とシジミ汁」だけテーブルに置くと 夫も食べていた。
魚が焼きあがる前から食事を始めて 焼きあがった魚をテーブルに載せると嬉しそうだった。もう「満足」が顔いっぱいに広がっていた。
途中で「ごはん」とお茶碗を出した。むむむ…今日はおかわりがない。
でも 食べたいのだから…と私の茶碗に残っている分全部母に開けた。
母は嬉しそうに また食べ始めた。
完食である。満たされた顔をみてこちらも嬉しくなった。

トイレに誘導した時の事。
排尿の音が止まった時「もう 出ない?」と聞いた。
すると…
「私 未だ 蓋しているから…」と笑った。
「じゃ 蓋を開けてよ…」と言うと 暫くしてまた排尿の音がした。
母の会話は こんな風で有る。
とんちクイズ風で有る。知恵を廻さないと付いていけない。
こんだけ 頭使わせて貰っているのだから 呆け防止にならないだろうか?

暫く休息の後 入浴。
母が洗って足りない所を洗ってあげた。
「上がる?」と聞くと「上がってからお湯とか水とかかけないでね」と言うので「判ったよ」と返事した。
でも家でお湯をかけたりなんてしないのだ。施設ではそうやるのかな?
風呂上り とても眠そうなので頭を乾かしてから横になって貰った。
その間に毛布から 足だけ出してもらって爪きりをした。
靴下を脱ぐと「わ 伸びているね」と言うのに切ろうとすると「痛いから…」と言うので足の爪は切れないでいた。
今日は半分寝ている状態で 何とか切る事が出来た。

昨日 おいしいお店でケーキを買ってきていたので半分こした。
一口食べて「お い し い」と言った。
ここが微妙だ。
母のおいしいと言う表現は「んまい」が一番なのだけれど。「んまい」も「おいしい」もほんとにおいしい時とちょっとおいしい時とが微妙に違うのである。
日記なので そこをうまく表現できないのが残念である。


2004年11月03日(水) 読めますねぇ〜


 娘が大阪から帰ってきた。
お土産は…「蓬莱551」の豚まん。後は京都土産のイノダコーヒーの豆。
大阪で評判が高いと聞いて買ってきてくれた。
豚まん こちらのとは違う味で…おいしかった。

今回の出張は5泊6日。
深夜の難波で迷子になった。それも家に電話しながら「ここは何処 駅は何処?」状態だった。知らない町の繁華街なので「怖いなぁ」を連発していた。モチ 1人。
結局 会社関係の方のところに電話して事なきを得たようだった。
「あんた 難波は土地勘なくなるなぁ〜」と笑われたそうだ。

午後 母の所に出向く。
母は 職員からお借りした本を音読していた。
暫く聞き入っていると「あ〜駄目だよ」と書いて有る事に感想を入れて読んでた。これには職員と二人笑ってしまった。
小学3.4年生向きの本であった。ちょっと怪談風のお話であった。
物語は理解しているようで 時折感情を込めていた。読み間違いや読み飛ばしをしないように指で文字を追っていた。
ここまで出来るならいいね。

本を読み終えた所で トイレに誘導しお散歩に出た。
今日は足取りは軽いし 疲れたとも言わなかった。
でも足先にまた浮腫みが出始めているのが ちょっと気になった。

公園で一休みして 柿やらジュースを食べたり飲んだり。
また 歩き出して…畑の様子を見入ったりした。直売所で菊の花を買った。
母は花を手に持ち 注意深く歩いていた。

施設に戻って みんなのいるホールでおやつを食べている時にそうっと帰ってきた。
明日はリハの日である。

今日は祭日で利用者さん訪問なし。土曜日の訪問は検査のため通院のようでお休み。今週は こんな感じでのんびりムードである。



2004年11月02日(火) 単なる偶然ではないのかも…


 ご近所の方が「死にたくなっちゃった」と突然口にされた。
聞いているのは 私1人。
誰か居ないかとしきりにあたりを気にされていた。
よりにも寄って何で私に…と思うけれど 聞き流す事は出来ない。
話を聞いてみるけれど…しどろもどろである。
話し始めては中断の繰り返しだった。

「夕方 奥さんの家に行っていい?」と言われたので「5時くらいには戻ると思うよ…」と言うと「もっと遅く」と言うので「帰ったら電話するね」とその場を離れた。

今日は家族の会である。
ただならない話に…「何で?」が幾度も浮かんで気が気じゃなく家族の会も上の空状態となってしまった。
会でも いろんな話があった。皆さん いろいろお話なさるので良い情報交換になっていた。

会を終えて 家に戻り 急いで夕食の支度をした。
献立は決まっていたけれど…慌てている自分がいる。
危うく焦げ付く寸前になった。

支度を終えて「何時でもOKよ」と言うと7時過ぎにその人はやってきた。
実は その方の家族構成すらよく判ってないお付き合いなのである。
何からお話しようか…と思ったけれど 話をただただ聞くしかないなぁ〜と言う所に気持ちが固まってはいた。

話しをする度に涙を零される。
ご家族の話でも愚痴やら怒りが出てくるけれど…冷静に聞くとみんなそれぞれ気を使われている事が判る。
「優しいご家族じゃない」と言うと「そうかな?だったら やっぱり私が悪いんだね」とご自分を責められ涙する。
「いや そうじゃなくて…優しいご家族に貴方が育てていらしたから…と思うのよ」と言うと「そうだね。そうかな?」と少し落ち着かれる。
でも未だ未だ 不安定である。
安定剤と入眠剤を使っているとも言われていた。
一時間ほど話しこむと今度は「帰らないと…」とソワソワ始める。
話も終盤という時に別の方から電話が入った。
訪問した人は「か・え・る・ね」とそうっと家を出られた。

電話をくれた人は 別の相談だった。「3分だけ…」と言われたけれどちょっと長くなった。その方も「ようやく薬と離れられるようになった」というお話をなさった。

二人とも60才半ば ひょっとしたら同じ年なのかも知れない。
その二人の悩みは 丁度子供が結婚して子供は子供の生活がいっぱいいっぱいになり始める時期である。そして親は 老後の不安が始まり子供と連携を取りたいけれど 思うように行かなくて不安が加速して行く様に見えた。

電話をくれた人は「きっと 初老鬱(他の言葉を使われていたが)だって気が付いてようやく抜け出せた」といっておられた。
いまだかつて経験した事のない神経性の脱毛が酷くて…余計落ち込んだそうである。

このお二人と 特別親しい間柄ではない。二人のご婦人同士は 顔も合わせた事もない。
それでも 聞き役が私になったという事は「こういう事が有るんだぞ」という役目がお二人に言い渡されたのではないだろうか?

初めはオロオロしてしたけれど…よく考えれば 学ぶ機会が与えられたという事だと思った。
相手はとっても恐縮していたけれど…話せない事を話してくれたという勇気に感謝の気持ちでいっぱいとなった。

考えれば 母も同じような時期に 入眠剤を使い始めていた。
「なるべく 使わない方がいいよ…」と言ったら「『ラジオ深夜便』を聞き出した…」って言っていた事を思い出した。

私がその年齢になるまでは もう少し時間がある。
今の内に ちっちゃな喜びを報告して 感謝できるそういう事が出来る友人を作る事で何とかなるのではないだろうか? 甘いかな?
その為には 今の内から そういう話をしておく必要が有るのかも知れないなぁ〜。
そして ちょっとだけ 老いていく先の話を夫と子供とよく話しておかねばならないのだろうなぁ〜。

今日の家族の会でも「自分の親なのに介護に関ろうとしない夫」の話しがちょこっと話題になったばかりである。

世の中 みんな幸せそうに見えるけれど…それぞれ悩みを抱えながらいらっしゃるんだよねぇ〜。


2004年11月01日(月) 難しいけれど…できるかな?


利用者さん訪問。
訪問早々「見て下さい」と膝のテーピングをご披露を受けた。

テレビでテーピングのやり方を見たと言って テープを探しておられた。
先日の買い物でもテープを探したのだった。でもかなりの高額(一巻き3000円以上)だったりで 良いかどうかも判らないので もう少しゆっくり探しましょうという事になっていたのだった。
今回は折り合える値段であったらしく買い求めて 早速テーピングなさっていたのだった。
昨夜から付けてみて 痛みもなく調子良いと言われていた。
後はかぶれの問題だ。「長時間は止めておいた方がいいでしょう」とだけ伝えた。

今日はおでんを頼まれた。
材料調達もあった。「お買い物はお任せで…」と言われたが「一緒にお出かけなさいませんか?」と声をかけると「そうですね 出かけて見ましょう」と言うお返事でお買い物に同行してもらう。
買い物から戻って こぶとかつを節でダシを取り 大急ぎで材料の下茹でをしておでんを作った。
有るもので作るので 家とは多少違うけれど…何とかできた。
後はクツクツ煮込むだけ。ダシを取ったこぶとかつを節に生姜の千切りを入れて佃煮を作って差し上げた。箸休め位になるだろう。
今週は祭日があり配食サービスなし、木曜にデイの行事が有るとの事でヘルパーさんお休み。だから 少し余計めの準備をさせて貰った。

家に戻り 母の所に出向く。折り良く夫が忘れ物を取りに戻ったので車に乗せてもらった。
母は 居室で透明の鼻水を2本出して目に涙を溜めて「おかちゃん」と言っていた。挨拶する暇もなく「お腹痛いの?」と聞きながらトイレに誘った。
運良く 排便が間に合ってほっとする。
その後 昨夜 小豆南瓜を作ったので 食べてもらった。「んまい」と笑顔を見せてくれて胸をなでおろした。
母の入浴日のようだった。今日 入れなかったら 家に連れて行かなければ…と思っていた所だったので助かった。おそらく1週間ぶりの筈だ。
髪の毛が抜けて シーツ等の毛を払っていたし 頭も痒そうだったのでヘアトニックを使って頭皮マッサージをしていた先週である。

母が入浴中の時 入所者と遊んだ。
足上げのリハをしていると 入所者の1人が「お行儀が悪いから 自分の子供だったらはたいているよ」と怒られた。
「これね 難しいんだよぉ〜。出来るかな?」と声をかけると す〜っと足を上げたので「しめた」と思って 別の動作をして見せた。
するとまたチャレンジ。。
「凄いねぇ〜。上手ねぇ〜」で3人でリハに取り組めた。
母もそうだが 興味を示さない時「難しいんだけれど 出来るかなぁ〜」は割りに やる気を引き出せる言葉となるんだなぁ〜。

二人は新潟がお国なので 地震の事を伺ってみるが やはり 頭の中のふるさとになっているようで身近な問題にはなっていなかった。
良いような 悪いような…そんな感じがした。
ふと♪ハァ〜佐渡へぇ〜と・・♪と唄い出したら 二人とも続いて歌い始めてくれた。私などはっきりと歌詞を覚えていないのに しっかり唄いだしてくれた。そして「佐渡はどうして住み良いのだろうね」と言った。
咄嗟に「お魚等がおいしいからかな?」と言うと「そうか」だって。
判んない事いっぱいで ほんと困ってしまうなぁ〜。
ついでに冬支度の話を振ってみた。
「そうだね 稲刈りが済んだら…漬物だねぇかなぁ〜」
「ん〜 大根漬けはどうやるの?」「大根を干してねぇ〜 それを良く揉んで 塩とぬかと昆布で漬けるんだよ」
「へぇ〜 材料準備したら出来る?」と聞くと「出来るよ」とニコニコしていた。

普段 話す事も少ないのに…いい事聞けたな。意欲は有るんだなってわかっただけで嬉しくなった。

風呂上りの母を お散歩に連れ出した。
早足で歩いたら汗ばむほどとなった。
薄日は差しても雨が降る変なお天気で晴れの合間を縫っての散歩となった。


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