母のタイムスリップ日記
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2004年10月31日(日) 「むかご」って共通語?


暗いニュースが続いて…というメールが多い。
地震 台風 人質。。。心の中に重い鉛球が有るような感じである。

自分の生活に直接関係していなくとも やっぱり重たい。
被災地の人は この何倍もの重たさを背負っているんだろう。
そして息子をなくした親は どんな思いをなさっているんだろう。。。
イラクでは この何百倍の民間人が空爆で亡くなっている筈。
比べる事等出来ないそれぞれの苦しみ…。
早く 落ち着いた状況になってくれる事を祈るのみである。

母の所に出向く。
昨日の故郷の菊と春菊をゆでて大根おろしで和えたものと柿をむいて行った。季節も良くなり心配しないで物を運べる季節となったから…。
母は「んまいなぁ〜」と喜んでくれた。

施設に着いて居室に入った時 久しぶりに「ただ みんながボンヤリしているのが…嫌だ」と言った。
でも 1人では何も始められない。。。
これが 施設の生活の困る所である。
「外に出てみる?」と聞くと「ほんと嬉しいな」と言った。

それでもトイレに入ったり タオル等の洗濯をしてからだった。

外に出るといつものごとく車の列に驚く。
川べりに出て 大きな声で歌を唄った。

公園の縁石(40センチ程の高さ)を使ってローラースケートで遊んでいる青年たちがいた。母はその技に見とれ うまく行くとパチパチと拍手を送っていた。青年は照れながら軽く御辞儀をしてくれた。

自転車に乗ったおじさんがやってきた。
母は 手を振ってから深く御辞儀をした。御辞儀されたおじさんは知らない人なのでいぶかしげに軽く御辞儀を返してくれた。
それなのに…母は「随分と浅い御辞儀だこと…」とのたまった。。。
おじさんに聞こえない事を願いながら「知っている人?」と聞くと「知らない」と…。「じゃ 知らない人から御辞儀されて戸惑ったんだと思うよ」と伝えた。「ふ〜ん」だって。。
挨拶はしないよりした方がいいから まっいいかぁ〜。

公園のベンチで一休みしていると 後ろから歩いてきたおばさん二人連れが隣のベンチに休息した。
ちょこっとお花のお話をして 私たちが先に立ち上がると「歩くの早いですね」と驚かれていた。姿勢を傾けての歩行だけれど しっかり歩けるのが驚きなんだろう。。。

遠回りして 施設に向かった。
施設の近くになった時「このお家に入りたい…」と言うので「疲れた?」と聞くと「足が痛くない事もないよ」と言われてしまった。
「ななんと奥ゆかしいお言葉でしょう。。。足が痛いのですね」と言うと母は笑っていた。
無理をしないで 施設に入った。

そうだ 忘れていた。
途中で「むかご」を摘んだ。手のひらいっぱい位。
施設に持ち帰って 職員に見せたら「なんですか?」と聞かれた。
入所に聞いてもみんな「?」だった。
母も知っている筈なのに…今日は全く判らなかった。だから他の人も判らなくて当たり前だろう。。。
職員に茹でてもらい 少しずつ食べて貰った。





2004年10月30日(土) 親から子へ


 故郷の友人から荷物が届いた。
3日前は 新米。今日は 菊の花等。
それぞれ 違う友人だけれど…何れも親子で育て上げた作物である。
お米は 離れた所に住む自分の親のところへ週末毎に帰省しての共同作業。
菊の花は 嫁ぎ先のお義母様と同居なさっての共同作業である。

菊の花は 毎年と異なり春菊や大根も多めに入り菊も心なし小さく感じた。
直ぐに電話をして御礼を伝えると…お義母様 具合が悪いらしかった。
治療より痛みを取り除く手段をとっておられるようだった。
まだ 在宅介護なさっている。おそらくヘルパーさんや訪問介護も使っていない筈である。
看られるうちは在宅で…と言われていた。
「ね 自分の体 大事にしてよ」と言うと「私 タフだから大丈夫よっ」と笑っていた。でも喘息の持病が有るはずだ。
この年になると 血圧だって突然上昇する事だってある。だから無理は禁物である。
専業農家ではないが 今は彼女が全てこなしていると言っていた。
その上 彼女のお母様は 少し離れた所にお住まいで施設に入所中でありご飯も流動食…。お母様の様子も気になっている筈である。

嫁ぎ先には 娘さんも居られるが遠くにお住まいで…お手伝いは無理…。

淡々と介護なさって居られる彼女の穏やかな話し振りに頭が下がる。
お義母様との会話を聞いて もうほんとの親子のような話し振りだった。
病に有っても「ほら お友達の所にも送ってやんなさいよ」とお義母さんに言われたという。今年は 今まで以上に噛締めて戴こうと思う。

こうやって それぞれ親から子へ伝授されて行く…。
私は 親から何を引き継いで要るだろう?
介護力。。。これは 両親から育てて貰ったんだろう。。。

実はお隣の家も 親から子への代替わりだ。
親世代は 他の小さなお家にお引越しなさって 替わりにお子様家族が移り住むのだ。親は もう引っ越されて 灯りは付かない。

何れは 私も娘に引き継ぐ時が来るのだろう。。。
何を感じ取って貰えるものやら…。
伝える技等何も持ち合わせてないなぁ〜。

娘は3日まで出張。また大阪である。
そんな訳で 今日は娘の友人姉妹に遊んでもらった(笑)






2004年10月29日(金) 得した気分…


利用者さん訪問。
今日は腕時計の電池取替えのお買い物外出。
待ち時間に他の買い物を済ませた。
用を済ませて戻ったら…利用者さんの思い出の愚痴。。
娘さんと一緒に買った時計のようで…思い出がいっぱいおありのようだった。地震被災地の子が奇跡的に助かった事や被災地の人の大変さも考えられたようである。
おそらく 自分がそうなったら誰を頼るか…と揺れてもいたと思う。

「着かず離れずの距離を保って見守りして頂けるって 恵まれていると思います」とお話すると「そうですね」と前向きのお気持ちになられたようだった。

高齢者で1人で暮らして居られる方は 被災されてなくとも相当な不安を抱かれている事を知った。

お天気だったので 午後 母の所に出向く。
母は、少しご機嫌斜めで 表情が曇っていた。
居室で柿を食べて貰っている内に 機嫌も直ってきた。
ちょこっとお掃除して外出。
昨日 歩いてなかったのでしっかり歩いた。
少し離れたディスカウントショップに出かけた。
近くにコーヒー豆を注文してから炒ってくれる所があり そこでコーヒーを飲んだ。持って行ったお菓子も食べてもらった。

その後ショップに行って店内をウロウロした。
「いろんな物が有るね」と興味深く見ていた。
寝具のコーナーで鮮やかな羽根布団があり「綺麗だね」と喜んだ。
ふと 毛布を買い足しておこうと思った。
母は畳みの上で寝ているので 結構寒いと思う。
夜間 オムツ横漏れがあっても取替えは直ぐでない…寒くなると体が冷えてしまうようにも感じていたからでもある。
母に選んでもらった。
ふわふわとした温かそうな2枚毛布となった。

バスで施設に戻って 早速 毛布をかけてみた。
母はとても気持ち良さそうで「温かいなぁ〜」と喜んだ。
これで「明け方にどうしているだろう…」と言う心配が半分だけ解消される。だって ほんとは濡れた状態での放置は出来る限りない方が良いに決まっているもの…。

夕食近くまで様子を見て 家に戻った。
夕食を済ませて 冬物を出して半そでをしまいこんでいたら…。
昨年 探し続けていた物がひょっこり出てきた。
お気に入りのもので無くなった事がとてもショックだった。
記憶を辿ってクリーニングに出した所まで思い出していた。
でも受け取り控えを忘れて受け取ったので クリーニングで貰い忘れだと思った。でもその頃 二股かけてクリーニング屋さんを使っているのでどっちか判らない。ひょっとしたら 間違ってほかしてしまったかも…と思うし…。
そんなこんなで 今年の春に「無くなった物」と決め諦めたのだった。
が 洋服ダンスに下がっていたのだ。
幾度も探した所なのに…。
ちょっと後方にずれ込んであったのと ハンガーが通常と違って半分ほどに畳まれてあったから 探し切れなかったみたい。
記憶通り クリーニングから戻ったままだった。

自分の注意力のなさから こうなった訳だけれど…。
無くしたと思ったお気に入りがひょっこり出てくれると 得した気分になるもんだなぁ〜。 へへッ 単に だらしないだけなんだけれど…。


2004年10月28日(木) 偉そうな事は言えないのですが…


リハに立ち会う為施設に出向く。
職員は引継ぎ中なのでそっと「おはようございます」と玄関を入った。
が入所者がホールにいらしたので みんなに聞こえるように「おはようございます」と挨拶をした。
皆さん「にこっ」と言う顔をなさった。
が職員さんまで出てきてくれた。「申し訳ない。。。」

職員の1人が「△さん ○○さん(母)の「大きなかぶ」を読んで貰うのが大好きなのよねぇ〜」と言われた。△さんは うんと頷いた。
△さんは 痴呆ではない。
麻痺が強いため入所なさっている。私よりずっとお若い。
言葉も不自由である。その方が 母が読んでくれるのが大好きとは…嬉しい話である。
若い職員も「おおきなかぶ」は子供の頃読んだらしく「今も有るんですね」と言った。これは 良質の絵本なので読み継がれているんだろうと思う。
人気の絵本だろう。。。
「母は これをペープサートにもしている筈だ」と言うと若い職員は驚いていた。
おそらく 今だってあちらこちらで作って演じている方は 大勢居られると思う。
今の母にペープサートを作ることも演じる事も出来ないだろう…と思っているが ひょっとしたら…出来るのかな?
子供にだって出来るんだから…入所者で力を合わせて1人1役なら出来るかな? そんなことをチラッと考えてみた。

リハ中母はお腹を擦っていた。
別段お腹が痛い様子もなく落ち着いてはいた。昨夜は充分眠れていたのだろうなぁ〜。でも療法士さんが 足先に温灸をしてくれると気持ち良さそうに動かなくなり眠りに落ちた。
足の先には 脳を刺激するつぼが有るそうで「効果が出ればいいですね」と言われていた。
夏の間は足の指に触れただけで痛がっていたのだが…浮腫みが弱くなった最近は 多少の事で「痛い」とは言わなくなっている。
夏は何故 あんなに浮腫みが強かったのだろう…と療法士さんと話した。

リハが済んだ後 昨日の塗り絵を見ると まあまあに仕上がっていた。
今日も チャレンジしてもらおうと 野菜の塗り絵を取り出して ナスは何色と書き込みナスの文字を紺色に囲み 更にナスの絵の縁を紺色で染めた。
他の野菜も同様にして母に渡すと…。
それを読みながら 使う色を選んで染め始めていた。
ここまで導入しないと作業は進まないようである。

実は昨日の塗り絵を扇子状に折りたたみズボンのゴムに挟んでいた。
褒められて気をよくしたか…それとも良く染められて満足したのか…。
何しろ久々の塗り絵…それも母から申し出て取り組んだものである。

今日は午後 役所での議会に傍聴に行く日だったので昼食が始まった時に施設を後にした。

私たちが陳情した案件が議会に掛けられるのだ。
今日で2度目である。
実は訴えた事は 動き出していて事業所の謝罪があった。異例の事である。

しかし この事に関しては いろいろの問題を含んでおり今後の介護サービス体制などを考える上で これから同じ過ちを起さぬ為には 何故こうなったかをを知っておく必要もある。
議員さんは 立場の違いは有っても それぞれ 自分の足で聞いて回った上での意見を出していたように思う。1人の議員は違ったけれど…。

私自身 議会傍聴は初体験である。
前回は利用者さん訪問時間と重なった為 傍聴できなかった。

議員の質問と役所の答弁のやり取りを聞いていて 国会中継の画面と重なった。国会ほどものものしくはないけれど…やはり 質問をすり抜けるような答弁が多いように感じた。
確かに 管轄する部署で話し合いをしたと言う自負も有るのだろう。
自分達のしていることが最善と信じきっている職員だろうし…。
ギャップは けして 小さくないと感じた。

市町村という小さな単位の中でも こんな状態だから 都道府県 増してや国レベルでは 遠い遠い所の話になってしまうのかな?と感じた。

個々で出会う 役所の方はとても丁寧で「嫌だな」と感じる事も少ないのだけれど…。大きな流れの中では職員の身の保全もなくはないかな?

継続審議となり 次回開催までに資料提出を役所に求められて 今日の所は終了。

勉強になりました。

小話
実は知り合いの議員さんに言われた事があった。
陳情やお願いは議員さんに依頼する人は多いという。
そういう時 自分のお願いしたい事だけ言い放しという人が多いという。
そうなった経緯等の話を省略し議員だから調べて…という事らしい。
でも いろんな事に取り組んでいるので議員個人で調べる事は 簡単な事ではないらしい。

また 陳情したのに傍聴にも行かないらしい。
傍聴されると議員さんの向き合い方も変わってくるし 励みにもなると言われていた。

選挙で選ぶのは勿論大切である。
でも その後の見守り…これも有権者には必要な事なのだなと学ばせてもらった。
はい…たった一回の経験で偉そうな事は言えないんですが…。


2004年10月27日(水) 考え方の違い…


昨日触れた 髪の毛の事 施設で話してみたら…。
そういう例は よく有るという事だった。
同じ入所者の中にもそういう人は居られるそうである。
併設の特養でも 見られるそうだ。
髪の毛が増える人もいるらしい。
ちょっとビックリだった。
何故そうなるかを解明できれば いいのにな。

急に冷え込んだ今朝 暖房を入れようかと思った。
けれど 被災している地域の人の人の寒さを考えると贅沢だなと思い 入れなかった。
利用者さん訪問した時も「床暖房入れてみたけれど…被災者の方の寒さは如何ばかりかと思うとね…切ったり入れたり…なのよ…」と言われていた。
何も出来ないけれど…気持ちだけは やっぱり被災地の方を向いている。
被災地は 地震に限った事ではない。台風の被災もある。。。

昼食後 母の所に出向く。
母は割合 穏やかだった。
行く前に昨日のおでんをしっかり温めて器に入れて運んだ。
直ぐにおでんを出すとニコニコしながら「嬉しい。おいしい」と食べ始めた。じゃが芋 里芋 ごぼう こんにゃく ちくわ タコ 卵だ。
全て食べた。昼食後1時間経過位かなぁ〜。

その後急いで衣類の入れ替えをした。
引き出しを広げると母も手伝ってくれた。
長袖の下着などは未だ出していない。あまり急ぎすぎると冬に困りそうな気がするから…。
入れ替えを済ませて散歩に出た。
今日は北風が冷たくて…しっかりコートを着てもらった。
それでも時折強く吹く北風に首をすぼめて「寒い」と言った。
風邪でも引くと困るので 自分の着用している綿仕立ての襟巻きを母の首に巻きつけた。

今日は2.30分ほどで施設に戻った。
居室に戻った時机の上の絵を取り出して「鉛筆が欲しいなぁ〜」と言った。
グッドタイミングとばかり新しい塗り絵を出して途中まで色を塗って母に渡した。母は嬉しそうにその続きを始めた。
作業に熱中しだしたので 施設を後にした。

夜 事業所の集まりが予定されていた。
これからの活動についての話し合いなので 行く事にした。
しかし 集まりは悪かった。
みんな気が抜けてしまったのだろうか。
いろいろの案を提示されたけれど…。
みんなの考え方は様々である。
利用者の立場を考える方が意見を発しない…。
自分達の活動のやりやすさの意見が多かった。
これから先 わが身も世話になる事を視野に置いておかないと…と思う。
大勢の人が集まると やはり様々な意見があるものだと感じた。
「活動する人の差を少しでも失くす為に 研修の場を設けてください」とお願いした。
すると活動仲間から思わぬ反撃…。
「労働対価が安いのに これに研修に時間をとられたり 対価以上の労働を強いられる事は困る」と言う物だった。
これには 参ってしまった。
プロに迫るような仕事をしようという意味でなく 一定の物差しを作った方が利用者さんも「当たり はずれ」で一喜一憂しないで済むだろうと提案したのだが…。

勿論 その方の考えも理解できる。
研修に時間を取られるのは確かに面倒である。
でも研修を受ける事で 自分自身を磨く事も出来るし…。マイナス部分だけではないのになぁ〜。
ボランティアだから質はばらつきがあっていいなんて…。

違う考え方も考慮に入れながら 質の良い介護を育て上げて行かなくてはならないのだろう。。。


2004年10月26日(火) 88にして…あるんだねぇ〜


今日は 外出しないでよい日だった。
ほんとに久しぶりの日である。
家の用は 溜まりに溜まっている。今日こそは 家の外回りを片付けようと腕まくりしていたのに…生憎の雨降りだった。
それでも 残されている日はどんどん消えていってしまうので 少しでも手を付けて置きたいと小雨の中外に出た。
道具を出してパッチンとやっては見るけれど…。
どうにも気持ちが乗らない。

「そうだ 夕食はおでんだった。早くダシをとりこぶを戻して 大根やらイモ類やごぼう等も下茹でしておかないと…」と一端家の中に入った。
ダシをとって 野菜の下処理を済ませてお鍋をかけて作業を続けた。

今年の夏は 鉢植えにお水はあげたけれど 肥料は何も上げていなかった。
昨年 今頃はシンビジュームは花の芯を出し始めていた頃である。クリマスローズだって…もう少し葉を広げていた。
今年は そういう気配がない。
ミニバラは ヨトウ虫に葉を食い散らかれている。
やる気が足りない所へ 気力をなくす場面に次々出会って 負けてしまった。それでも 挫折を認めたくなくて「これから またやるのよ」と言わんばかりに道具類を外に放置。。。

家に入って朝日の「暮らしの風」を取りだした。
「脳トレーニング」と言う見出しが気になっていたのだ。
前頭葉を使う事…それには文字を書くよりも音読した方が良いと図で示してあった。ほほう!
という事は 母の取り組んでいる音読は良いって事かぁ〜。
それも 速読がいいと言う。「いいじゃん いいじゃん」
そういえば 先日の講演会で最低でも1日1時間の会話は 言語能力を維持するのに良いって言ってたなぁ〜。
若いうちから そういう事を心がけた方がいいとも言っていた。
施設には大勢の人がいるから良いと思われそうだけれど…分散していて会話にならないから 思ったよりずっと少ないとも言っていたなぁ〜。

こうして考えてみると 会話や音読ってそう努力しないでも出来そうだ。
ちょっとした人の介入で無理しなくても出来るなぁ〜。

今の内から 私も取り組んでおこうっと。

母といえば…。
昨日の外出の折 母の写真を撮ったのでパソコンに取り込んだ。
娘に見せると「わぁ〜 若いねぇ〜」と言う。
母と会ってない訳でないけれど…写真をみてそう感じたようだ。

そういえば 先日美容院に出かけた時 オーナーも言っていた。
「髪の毛が会う度に黒くなっている」と言うのだった。

実は私も感じていたが気のせいかと思っていた。
母の髪の毛は 年齢の割りに多く白髪も少ない。それでも前髪の生え際は白くて 前髪を上げるとそれが目立つので上げるのを嫌がる母だった。
でも 今 前髪を上げても以前ほど白髪が目立たなくなっているように感じていた。

若く見えるのは それだけではない。
以前は貧血もあり唇の色が悪かった。
それが「○○ちゃん口紅付けた?」と言うほど赤い唇なのだ。
私よりはるかに良い色である。

貧血が酷い時は鉄剤も服用したけれど…今は全くない。
あの頃と変わった事は 食事かな?
腹痛で食べたくない…という日々がなくなって 食事を楽しんでいる。。
ん〜 バカに出来ないなぁ 食欲。

体調も良いという事なんだろう。
とかく 病の進行に目が取られているけれど…いろんな取り組みが効果を上げているのかな?

「悪い事ばかりでないさ…」と父の声がしたような気がした。

はぁ〜っ。折角のオフ日 なぁ〜にもしない内に終わってしまった。
ま いいかぁ〜今シーズン初のおでん作ったから 善しとしましょう。







2004年10月25日(月) これだから たまらないのよ!!


 利用者さん訪問
訪問した時 利用者さんは 電話の事でお手上げ状態だった。
診療予約を取ろうと電話しても通じないという。
母も病への移行期 電話番号を間違えて なかなか通じないという事があったので少し心配だった。
けれど 番号の掛け違いでないと判って ほっとした。
診療所の予約は プッシュホンダイヤルで取るのだった。
この部分で 話中になってしまうようだった。
代わってダイヤルして無事診療予約を取った。
「私も このプッシュホンダイヤル 苦手です」と言うと…。
「そうよね。機械の声で聞き取り難いのよね」と。
機械操作で迷ってしまうとオロオロとしてしまうのだ。
利用者さんも そういう状態になったのだろうと思った。
その後 食材の調達に一緒に出かけて 副菜(レンコン 人参 ピーマンのキンピラとじゃが芋と肉団子の煮物)を作った。
今日は使いかけの材料を使ってのお料理だった。

活動を終えて家に戻り 急ぎ昼食を摂って母の所に向かった。

施設では 職員と講演会の話となった。
「アルツと診断されて9年 脳の空洞化も凄いのによくあんな風に生活できるねぇ〜。ご主人のサポートがいいのと本人の考え方が素晴らしいのでしょう」と言う話となった。
話は母のほうに変わって「本を読む速度がかなり速い。入所者とのあまりのギャップに感情を入れて読んでもらえる?」と頼むとちゃんと話しかけるようにゆっくり読むんですよ。話されている事理解しているのですよね」と言われた。
確かに入所者の方が本を読むのはゆっくりだなぁ〜と改めて感じた。
読めるという事は 喜ぶべき事なのだろうなぁ〜。

母に「賑やかな所と静かな川べりとどっちをお散歩したい?」と聞いてみると「賑やかな場所がいいなぁ〜行けるの?」と涙ぐんでいた。

「行こう行こう」と言うと急に「魚が ここに来て…」とそれまでと全く関りのない話を始めた。「ふ〜ん お魚がどうしたの?」「お魚がここからあっちへと…。あかししてね…」「ふ〜ん そうなんだぁ〜」と相槌を打っておいた。

着替えをしている時「このブラウスは○○ちゃん(母)が作ったんだよね」と言うと「遠藤さんが作ったのよ」と言った。
「エッ!オッ!そうか そうだった。そういう人に頼んでいた事あったねぇ〜」
病になってからこの「遠藤さん」と言う名前は聞いた事がない。
という事はこの10年余 聞いた事がないのだ。
私の記憶から消えている事をはっきりしっかり話したのだ。
当時の関係した人の名前はこちらから言わないと口に出来ないのに…。
こういう回路の繋がり方がたまらなく 嬉しい。
とっても不思議…。

この前の部分のおかしな話なんてどうでもいい事のように思った。

今日の散歩は バスで一山越えた所である。
今日の母は この場所も記憶に残っているらしく「何回か来たね」と言った。クルクルと階段を登ったり坂を下りたり…。
今日の足取りはとても軽くリズミカルで 鼻歌すら出た。
2日面会をお休みした後とは思えないほどだった。
講演会後の職員の対応に少し変化があったんだろうか?





 


2004年10月24日(日) いいかもしれない。。。


今日は家族向けの講演会だ。
用も溜まりに溜まっているので 初めの講演と資料のみを戴いて帰るつもりで出かけた。
偶然にも昼食を終えて帰ろうとした時 目の前にブライデンご夫妻がいらした。1メートルと離れていない。クリスティーンさんは ほんのり上気しているように感じた。
昨日 今日と続けての講演は 疲れるだろうなと思った。
昨日も自分の講演が済んだら「静かに1人になりたい。あらゆる音から解放されて…」と暫く休息なさっていらしたのだ。

午前中の講演は2種類あり。ひとつは2階建ての講演だった。

先の国立長寿医療センターの遠藤医師のお話は 最新の医療のお話だった。
痴呆の診断は 最初CTだった。次はMRIでの診断。今はMCIと言う。
これだと痴呆症状の現れる前に発見が可能だそうだ。
痴呆を治す薬はないが 初期に発見する事で適切な介護を受ければ 発症を遅らせる事が可能である。
現在 各自治体に3〜5台は 有るそうである。
但し 検査料がメチャ高い。健康診断だと10万円。保険を使っても3万。
精度を少し落としたものだと6万5千円。保険を使うと1万8千円だそうだ。それでも 初期診断できるならと皆さん受けるそうである。
これまでお金がないと言って受けなかった人は1人と言っていた。
映像をスライドで見せてもらったが…。MRIとの差は歴然としていた。

課題は 告知であるとも言っていた。
昨日も触れたけれど この告知 特に若年性の場合 病の人を追い込んでしまうので 慎重に尚且つサポート体制の整備が必須と話されていた。
癌の告知が当たり前になったように これから10年の内には告知が当たり前になりそうな気配だ。
「私 アルツなの」と言える時代がくるのかぁ〜。ふ〜む。。。

社会の受け入れ態勢も家族の病に対する理解も 早く広めないといけないのだなぁ〜。

今 介護で苦労している方が大勢居られる。
こういう話…どう受け止めるだろう。
すでに告知は少数だけれど始まっていると言う。
私も先日 耳にしたばかりである。

これと同時に 介護が大変で痴呆+疾患での入院になると 2週間が限度の医療なのに家族での介護が困難と退院を受け容れない家族が増えており病院でも苦慮していると言う話を聞いた。
病院でも 他の施設への移行を探って紹介するケースも増えてきているそうだ。病院でも痴呆者の理解を深めようと動き始めているそうである。
まだまだ だけれど…徐々に動き出しているんだなぁ〜と感じた。

次の講演は回想療法。
私が以前聞いたのは 個人の歴史を話す回想療法だった。
が 今日のは それとは別の物だった。
昔の道具を前にして どんな風に使ったか…等その道具に纏わるお話を引き出すと言う物だった。
これは 痴呆に限らず 痴呆予防の意味からもいいという事だった。
この辺りで 痴呆者との共存が可能かも知れないと感じた。

これは地域でも出来そう。。。
でもどうやって その道具を探そうか…等と考えた。
愛知県の師勝町では町の博物館が回想療法の場になっていると紹介された。

会場を出て 電車に乗ろうとテクテク歩いていたら…何やら昔の茶の間の写真が目に入った。「これだなぁ〜」と近寄ってみると…。
そのビル全部が昭和初期の歴史館となってた。
それも体験コーナーまである。
何という偶然だろう。
思わず中に入って資料を戴いた。
ここは 母を連れてお花見に来ていた所である。
電車を降りて直ぐだ。館内には車椅子も有った。
ちょっと遠いけれど…ここ数年 お花見も来ていないけれど…いいかもしれない。
ここに来れば 少しは言葉が戻るかも知れない。

昨日も今日も聞いたことだけれど…。
1日1時間は きっちりとお話する事で言葉の失って行くのを止める事が出来ると…。これは 健康な人もだそうだ。

母の病の進行と共通の話題がなくなりつつある。
これなら 話題が尽きないかも。


2004年10月23日(土) あるセミナーで…


ブライデン夫妻のセミナーから戻って見ると 地震のニュース。
電車移動中で揺れは全く気が付かなかった。
しかし「電車脱線…」と言うニュースは 衝撃的でテレビのスイッチオン。

詳しい事は 夜が明けてみないと判らないだろう。。。
高齢者の犠牲者の少ない事を祈るのみ。
そして 火災や爆発等の二次災害の起きない事を祈る。

午前中 利用者さん訪問。
こちらでも「ご相談が…」と始まった。
「改装するのに どうしたら一番よいと思う?」という事だった。
いわゆる主婦的感覚の部分での質問だった。

利用者さんは動けなくなってからの改装は避けたいから…という事だった。
けれど どんな形で動けなるかは判らないから 前もっての準備が仇になる事もあるので ゆっくり考えてからの方が良いと思うと伝えた。
利用者さんのお宅は 収納スペースが沢山有る。
「無用のスペースがありすぎるのよね。私が考えて作った家なのだけれど…」と言われていた。
でもこのスペースこそが 全体に散らからないようになっていると感じた。
ゆっくりと考えるという事が今日の結論。

活動を終えて 直ぐ家に戻り 昼食をとって セミナーに向かった。
娘が「時間ないでしょ」と足になって駅まで車で送ってくれた。
それでも会場には滑り込むようだった。会場の入り口近くで後ろからポンと肩を叩かれた。
振り向くとネットワークの仲間だった。
「行く」と言う約束はしてなかったけれど…偶然に出くわす事って有るんだなぁ〜。

講演会の前に石橋さんのオーストラリアを訪問した時のスライドを見せてくださった。この石橋さんが小澤勲氏にブライアンさんを紹介した人でもある。明るく一生懸命な方と感じた。

クリスティーンさんはアルツだけれど…きちんとお話できた。
お見受けする限り アルツとは全く判らない。

これは特例だと言う人もいるらしいけれど…きっとサポート次第でこんな風に過ごせるようになると確信した。
これは 母と過ごしてきても感じはじめている事である。
もう少し早く 理解していたら…母をもっと上手にサポート出来たのだろうと思った。「こんな 娘でごめんなさい」とそっとお詫び。。。

介護のポイントは…。
非言語の部分でのサインに耳を傾ける事、「ケアパートナーはひたすら痴呆の人に耳を傾けてください。目、耳、手 全身をを使って耳を傾けてください」というポールさんの言葉…。
確かに平安な毎日ばかりではない…とも言われていた。
夜 急に来客が有ると思い込んで大掃除を始めようと言われた時 此の儘では彼女は一晩中 心配で眠れないだろうと思って 一緒に大掛かりな掃除を始める事もあったそうである。
掃除後 ようやく二人安心して眠りについたそうである。

母が眠れない時 いかに眠ってもらうかと格闘した事を思い出した。
なかなか寝付かない時「今 何時だと思っているの時計見てよ」と午前1時を回っている事を確認させた事も度々有った。
それも腹立ち紛れに かなり声のトーンが上がっていた。
母を混乱させている…と判っていても…こちらの疲労度を考えると治まり切らない自分がいた。
時に一緒に祈る事もあったけれど…それはかなり冷静だった時の事である。

もうひとつのポイントは 出来なくなった事を考えるより 何が出来るかを考えた方がいいという事だった。
「何がしたいか?」を聞くよりも介護者からオファーして選択して貰う方が混乱がないそうである。
また「わかる?」と言う聞き方をしないで下さいとも。
痴呆という数奇な世界と私たちの暮らす世界とを行き来しているような感覚で見てください。力をあわせて歴史を刻んで下さい。
自分の悲劇を勝利に変える…と。

クリスティーンさんの言葉で
「現在の時にしか生きていない。ケアパートナーがいてくれる事が絶対です。考えはひらめくが 覚えていられない。書き止め整理していく。言っている事と思っている事が違う時も有る」

メモを取ったけれど…なかなか追いついて行かなかった。
介護者ネットワークの仲間とちょこっと話した。
日本に定着するかしら…。
以前と比べて痴呆に対する理解は深まってきているけれど…まだまだ介護者ベースである。
それに関係の不味さも影響するし…経済的な事もある。
今の状態…をうまく打開していけるだろうか…。
そんな話をした。
その時 痴呆症の告知の話になった。
これは また別の機会に…。

今日の会は介護職のための痴呆介護セミナーで介護職の参加が多かった。
さて、どの程度現場で生かせるか…。
勿論自分自身も含めてである。

今日の夕方 NHKでこのご夫妻の生活が再放送されると言っていたが…。
あの地震騒ぎで どうなっただろう…。


2004年10月22日(金) レンジでチン


 「先 出るよ」と娘に声をかけるとニヤニヤして私を見た。
えへん頑張っているんだから…。

利用者さん訪問。
お宅に行く前にちょこっと銀行によって母のオムツの負担金を振り込んだ。
利用者さんの玄関を入ると…「ちょっと ご相談が有るのですけれど…」と
言われた。
テーブルに請求書を広げて「おかしいのですよ」と言われた。

請求書は 介護に関するものばかり。
役所からのもの3件
ヘルパー利用 配食利用 デイ利用だ。
その他に
私の所属する事業所の分

見た限り 何処にもおかしい事はない。
でも利用者さんは 納得で来ていない。

請求書をみて どれが何の請求かが理解できていなかった。
役所の分は 
デイ利用分は 毎月。配食とヘルパー分は3ヶ月分になっている。
これも混乱する原因である。

私が今日納めたオムツ分も3ヶ月分の請求である。
全部が3ヶ月でないのは どういう訳が有るんだろう?
今までは あまり気にもならなかったけれど…1人暮らしのお年寄りにわかりにくい請求の仕方は良くないので今度 役所で聞いてみようと思った。

もうひとつ判りにくいのは…。
事業所からの請求だ。
こちらはいろんな請求の欄があって 使わない所はゼロ円と表記されている。でも配食と書いてあって…。確かにその分は請求されてないのだけれど…。利用者さんから見るとここでも配食を払っているように見えてしまうようであった。

何より 利用者さんは 役所と事業所との区別がつきにくいようだった。
と言うのも配食は役所が委託している施設からの配食なので区別がつきにくいのだろう。。。

今日は「なるほどなぁ〜」こんな風に混乱するのだなという事を垣間見たような気がした。

午後 母の所に出向いた。
「おから炒り」「塩辛」「おさつのオレンジジュース煮」をお土産にした。
塩辛は入所者のご家族が「いつも持ってくるの忘れて…好きなんですよ」と聞いており 私が作ったら持ってきて食べさせると約束していたのだった。
ついでに他のものもお分けする事にした。
こういう差し入れは家族の了解を得ないとやってはいけない決まりがある。
施設の中の家族2名からは了解を得ているので その方達に分けて下さいとお願いした。「このフロアのご家族はほんとに仲がいいですよね」と職員に言われた。
今度「フロアで塩辛一緒に作りましょうか」と提案され「活きが良くて安いイカのがあった時に仕入れてきます」と約束した。

母と散歩に出た。
川べりの方を歩いたら「お店がないねぇ〜」と言い出した。
「なんか食べたいの?」と聞くと「いや 見て歩きたい」という事だった。
川べりから大通りに出てローソンに入った。
お店の棚を見ていたので「何か買いたい物有るかな?」と聞くと…。
母の手が「焼きとうもろこし」に触れた。「おいしそう…」と。
丸ごと一本のとうもろこしを焼いて真空パックにしたものであった。
確かに焦げ目がおいしそうに見えた。
でも説明の部分を読むと「レンジでちん」とあったので お店の人にお願いして温めて貰った。
あたっかいもろこしを渡すと「あっつい」と言いながら嬉しそうだった。
施設に戻って 畳に座って半分のもろこしを渡すとおいしそうに食べていた。おいしさは「?」だけど…。母は「おいしい」と半分以上を食べて満足気だった。
こういう母を見ていると ほんとに癒される。。


2004年10月21日(木) きっと 何かがタリンだわ


 昨日 大雨の中 用足しに出て 大荷物となり帰路はタクシーを使った。
丁度 車椅子の人が乗車しようとしていた。
とても大柄な奥様で 介助なさるご主人はちょっぴり細かった。
運転手さんも降りてきて介助なさろうとして入らしたが…「どうしてあげたらよいのかなぁ〜」といった風だった。
車椅子から身半分 車に乗り込んでいたが…どうにも危なげ。
傍に行って「お手伝いしましょうか?」と言うと もうそれ所でない様子。
ふと見ると車椅子が開いたまま雨に濡れて始めていた。
急いで畳んで運転手さんにお願いした。
視線を戻すとご主人が「そおれっ!」と掛け声を掛けると奥様がぐっと腰を上げ奥に移動…それを数回繰り返してちゃんと車に乗り込めていた。
絶妙な阿吽の呼吸に感動するばかりだった。

私の後ろに控えていた方は 出張帰り風の男性。おそらく私と同世代のように見えた。
その方が深くため息を付いて「もう直ぐ 来るんだよねぇ〜俺にも…」と呟いた。更に「大変だよね。俺もあ〜なるんだ」と。
返す言葉を探せなくて…ただ ニコッと笑うしかなかった。

同じ場面を見ても こうも感じ方が違う物なんだなぁ〜と思った。
こんなに明るく介護できる人 あまり見かけないのに…。
それにしても こんなに雨の中 どんな用があったんだろうなぁ〜。
通院かなぁ〜。。。

覚悟を決めた台風だったのに 肩透かしを食ったような晩だった。
あちらこちらで被災されている方は ほんとにお気の毒である。
台風一過の青空もなくて…午前中はお天気を見ながら洗濯した。

午後 母の所に出かける。
今日はリハがお休みなので…久々にゆっくりの木曜である。

出かける前に 新しい衣類と靴下に名前を縫い付けた。
夏物靴下は 色も薄いので油性ペンで間に合うけれど…秋物になると濃い色なので 縫い付けるより他ない。
ほんとは 母と一緒に作業したい所だけれど…時間がない。
離れていると こういう時ちょっとした時間が取れないのが不自由である。

施設に着いて 着替えをして新しい靴下を渡すと「新しいのだねぇ〜」と母は言った。
くるりと裏返して足首に当たる所の名前を見せた。
「○○ △△」と名前を読み「わたしに?」と言った。
瞬間は自分の物と判る。

今日は 美容院に出かけた。
生憎 スタッフ二人がいなくて 時間がかかるという事だった。
時間つぶしに外に出ようかなと思ったら「待っていたほうがいい」とオーナーが言うので待つ事に。
直前にお茶だけ買ってきたので 助かった。母に水分補給だけは出来た。

10月に入ってしまうと 暮れから逆算して美容院に通う事になる。
予定通りには行かない事も有るけれど… これで11月末にちょっときつめにパーマをかけてもらって 12月にカットすれば お正月を迎えられるだろう。もう そんな季節になってしまった。

母と一緒の時には 母だけが通例だけれど 今日はカットだけなので私も一緒にカットしてもらった。

昨日 夫が言っていたことを思い出したからである。
「あのなぁ〜。以前は『奥さん偉いねぇ〜』と言われていたけれど この所『奥さん疲れているんじゃない?』って言われるんだよ」
何処で誰が見ているものやら…。
先日もスーパーで母と一緒の所を見た人がいて「レジを終えた品物をどんどん詰め込む母を怒らずに『ちょっと待ってね』と対処していた…」と夫に話した人がいるらしい。

介護でくたびれると言うのでなくて…時間に追われて身だしなみを整えることが足りないのだ。
先日の裏返しでもそうだけれど…鏡をあまり見ない。
その上 洗いっぱなしでよいヘアスタイルなので ちょこっとヘアワックスをつけてボサボサ…。だから 余計にそう見えるんだろう。
自慢じゃないけれど 勿論 お化粧もなし。

大反省と言う所までは 行かないけれど…。
今朝は頑張って ちょこっと鏡に向かって化粧をしてお出かけし美容院でお手入れ。。。と言う訳。

ちっとは 「お疲れ」に見えなくなったかしら???
自分ではおしゃれしているつもりだけれど…きっと何かがタリンだわ。





2004年10月20日(水) ちょっとタイムスリップ…


利用者さん訪問。
利用者さんは 昨日 通院ついでにお友達と会ったらしい。
「こんな風に少しずつ 行動範囲を広げているの」と嬉しそうだった。
今日は 多少お疲れとの事だったが 初めて訪問した時のような虚脱感は見られない。少しずつ よくなられているのだろうと感じた。
まだ 手放しと言う訳には行かないだろうけれど…是非ともお元気になられて欲しいと思う。

活動を終えて家に戻った。
パソコンを開いてみたら 友人からメールが届いていた。
彼女は パソコンを始めたばかりである。
今までは 携帯メールでのやり取りだった。
今度はパソコンを利用してのメールだ。
ご主人がサポートしてくれているのだ。
ここ数日 1人でメールを送信できるようになったみたいだ。
この日記を盗み読みするのが楽しみと有った。
「ご主人に お気に入り登録して貰えば 簡単にみられるよ」と伝えると…。「あんたと主人は仲良しなんだから…」とどうにも関係のないやきもちを焼かれてしまった。(へへへ)
お気に入り登録できる位で「仲良し」と言われたら世の中みんな仲良しになってしまうのになぁ〜。
まともに そう考える友人が好きなんだけれど…。
アッ 余計な事書いているとあいつが見た時「もう〜っ」って怒るなぁ〜。

友人に送る本を探していたら…母の塗り絵が出てきた。
母の塗り絵を見ていると 楽しそうに描いている母の表情が浮かんでくる。
時というものは 苦しかった場面を忘れさせてしまうようだ。
塗り絵をして貰っている頃は 介護者としては 嬉しさ半分苦しさ半分だった筈である。
一日何枚も描く時もあれば 何日もかけて描いていた時もある。
描いている途中の物を出すと「誰が描いたの?」と怒ったり「私 描いて居ないよ」と言ってみたりだった。
機嫌よく描いていると思うと 急に「家に帰らないと」とソワソワとしてついには外に出て行ったり…。

母の目に留まらないように そうっと後ろから付いていったりも有ったなぁ〜。車が来て危なくなると慌てて傍に走っていたっけ。
「私1人で帰るんだから…」と振り切られた事も有ったなぁ〜。
「途中でわからなくなったらどうするの?」と聞くと「そん時には交番に行く」と言っていた。
「交番では お家何処ですか」って聞かれるよ。
「今は おまわりさんを騙して寸借する人だっているから そう簡単にはお金は貸して貰えないよ」と言うと…。
「そん時は 歩いていく」
なあんて やり取りもあったなぁ〜。

結局 行き方が判らなくて植え込みの傍に黙って立ちどまって…。
そういう時が引き時で「ごめんね。気に入らないかもしれないけれど家に泊まっていってください。どうかお願いします」と言うのがいっぱいいっぱいだった。
気まずい沈黙で家に向かって歩いて 門の前まで来るとまた立ち止まってしまって…。怒ったら また一からやり直さなくちゃになるから…ググッと気持ちを押し込んで「さ、入ろう」と手を引いていたっけなぁ〜。

私にも辛いことだったけれど…母だって押し込めた気持ちがあっただろう…。

あれれ 話が飛んでしまったなぁ〜。

塗り絵に熱中する時は 時に数時間という時もあった。
そういう時間は ほんとに天国だったし また 母の持っている力と言うものに感動もしていた。
痴呆なのに…こんな長い時間集中できるんだなぁ〜と。。

楽しい事も苦しい事もみんな 遠い過去になりつつある。

今は ただ 母に感謝するのみである。
こんな私でも ここまで過ごせてきた事を…。
これから どんな世界に入り込んでいくのか判らないけれど…母の歩みを静かに見守れれば それでいいんじゃないかと…。

とか言って また 大きな波が来るとじたばたするのだろう。。。かな?











2004年10月19日(火) トホホ…


母の所に 秋に向けての厚手の衣類を持って出かけた。
居室に入って 衣類を収めようとロッカーを開けると 掛け布団カバーが丸めて入っていた。
以前にも有ったので チェックした。
やはり 便が付いていた。
以前は 家に持ち帰り洗濯 カバーを家から運んで掛けた。
でも今日は 雨降りで母を連れて家まで行く事はちょっと無理。
仕方ないので 近くのコインランドリーまで 散歩がてら出かける事に決めた。

「散歩に出ます」と言うと「今日は朝から大中小と3回の排便がありました」と報告を受けた。
これがトイレで排便できたかまでの報告はない。
でも カバーが汚れているという事はトイレではないだろうなぁ〜。
「よっしゃ もう一回トイレで頑張ってもらおう…」とトイレ誘導。
一日に何度も出る時は まだ出ると言うパターンのような気がしたから…。
案の定 だった。もうないのを確かめて終了。

洗濯物を袋に詰めてお散歩。
施設の近くにコインランドリーが出来てほんとに助かっている。
洗濯機を廻して 薬局まで歩いた。そこで尿漏れパットを調達。
ゆっくり戻ったら 洗濯が終了していた。
それから 乾燥機に入れて母とおやつタイム。
家からおやつと飲み物を運んできたので 良かったぁ〜。

おやつの終わる頃 乾燥も仕上がって…。
再度散歩して 施設に戻った。
カバーのをかけ布団に付けて終了。

母のタオルと靴下はいつも通り 洗面台で手洗いして貰った。

施設のおやつが始まったのを機に施設を後にした。

ドジの2段
昨日のドジは 一回ではなかった。
可燃ゴミの出し忘れもあった。
庭木の剪定した枝等も含めて 全部纏めたつもりだったが…肝心のダストボックスを開け忘れていた。
それも今朝になって気が付いた。
木曜まで生ゴミ保存だ。「トホホ」

母の施設を明るいうちに後にしたので 雨の河川敷でも…と思ってワザワザでかけたのに…。電源を入れると「カードが入っていません」と。
「トホホホ…」

ちょっと 危ないかしら…。
 



2004年10月18日(月) なんてこったぁ〜


 利用者さん訪問。
明日から雨 でも今日は晴天。
そんな訳で お布団を干したり洗濯をいっぱいしたり…娘を起したり…。
パタパタしながら家を飛び出した。
いつもより数分遅い。遅刻はないけれど…急ぐに越した事はなかった。

大きな交差点でチラッと視線を感じたが そんな事は時折有るし…と過ごした。更に先に行って 通勤する人たちが忙しそうにしている場所でまた視線を感じた。お化粧してないからかな?風で頭がボサボサになっているかな?と少し気になった。
利用者さん宅に上がって 少し話し込んでいる時も いつもと違う視線を感じた。初めての服じゃないし…特別凝っている服でもないし…「?」と思った瞬間
「珍しいですねぇ〜。お忙しかったのでしょう。洋服が…」
そこまで言われて「ハッ」とした。
「済みません。ちょっとお風呂場お借りします」と移動。
七分Tシャツを裏返しで着ていたのだった。

鏡を見てない証拠。。。反省しきり。。。
気をつけなくちゃ♪

午後 家族会へ
今日は いろいろ学ぶ事が多かった。
新しい参加者が居ないので…少し突っ込んだ話が出来たように思う。
そのひとつ。
地域の中で 最近「ピック」の人が目立ってきているそうだ。
典型的なピックの場合は 1.2度の診察でわかるけれど 変形のピックはなかなかわからないという事だった。
そして 教科書的に出ている数字よりも実際の数は多いだろうという事だった。もうひとつの「レヴィ」も多いという。
アルツと比べて 研究も殆どないので介護が難しいとも言っていた。
ピックやレヴィの場合 変形型だと見つけにくいそうである。
診断は CTで見つかる事はなくMRIが必須という事だった。
今回 問題だったのは 痴呆症の介護をしている人が発病して…発見も遅くなって 生活が成り立たなくなる…という事例だった。
実際に地域に済んでいる人の事だ。
私がこの話を聞いたのは昨年か今年の初めで介護者ネットワークでだ。
地域に下りてくる情報がやっぱり遅いかもしれない。。。

また1人暮らしの方が飼っているペットの事。
ペットとの暮らしは 有る意味でその人を支えてはいる。
でも 病になった時「ペットがいるから…」と言う理由で入院等が出来ないという事が増えて来ている様だ。
預かってくれる所のチェックとこれから 保健所等でどう対応して貰えるか…課題のような気がする。


2004年10月17日(日) どうしましょう。。。


朝 夫の運転で母の所に向かった。
娘がいる時は 石のようにじっとしているが…。
「あのね。○○ちゃんの所に行って 家に連れてきたいけれど車お願いできる?」と頼んだら即OK。
随分簡単だなぁ〜と思ったら 夫は車を有料駐車場に止めていたので取りに行かなければならない事情があったのだと後から知った。
理由はどうあれ 時間短縮できて助かった。

家に着き お茶を飲んで 洗い掛けの洗濯物を干すために母のそばを離れた。戻ると席を立とうとしていた。
「どうしたの?」と聞くと「トイレ…」と言う。
施設を出るときにトイレ済ませたのに「ほんとかな?」と半信半疑でトイレに誘導。
すると便座に座った途端「ポトン」と音がした。
「ヤッタ〜」と言う感じだった。

昼食後 お散歩に出た。
今日の母は、自分から柿を見つけて「柿がいっぱい」と言えた。
通り過ぎる家々の表札を次々に読んでいた。
住宅街なので看板もなくて…でもやっぱり文字をみると読んでみたいようである。。
割りに早いペースで歩いた。母は息切れをしながらいたので「疲れた?」と聞くと「うん 少しね」と言うのでペースを落とした。
下りの坂道で 腕組みしている手を離してみた。
するとタタタタ…と前のめりになって行く。踏ん張りが足りないのだろう。
ボールを坂の上に置いたら転がる…そんな風な状態だった。
母も焦ったようだった。
直ぐに母の手を取ってあげたけれど…。
意識していた事だったけれど…やはり細心の注意が必要なんだなと思った。

家に戻って入浴。
今日も特に問題なし。
先日の失敗を思い出して 先に母に石鹸を付けたタオルを渡して出来る所は自分でやってもらった。

だんだん寒くなってきているので 身体も冷えてきているようで気持ちよさそうに湯に浸かっていた。

夫が「仕事に言ってくるよ」と顔を出すと「何処からかひょっこり顔出したね」と言ったりもしていた。

夫が出かけて暫くした後で歩いて駅に向かった。
今日は3回休んで駅まで歩いた。
一度歩いた後なので無理しないようにした。

施設に戻り 居室に入った時
「長生きしたくない」と呟いたように感じたので「えっ?」と聞き返した。
すると「長生きしたくない人が…」と顔を曇らせた。
「あ〜やっぱりか」
なんらかの形でトラブルが有るんだなぁ〜。
母がもう少し話せれば 対応も出来るけれど…表現できなくなっているから…。
結構強い言い方をする方だし…。
母が苦手とするタイプだなぁ〜。

未だいろいろ判っておられる人だし…痴呆になりたくない。母達のようになりたくない…とあからさまに言われるからなぁ〜。

出かける度に声をかけて見るけれど…。
まだ 足りないって事かぁ〜。

「部屋に篭っていなさい」と言っても何もする事がなく一人切りは 寂しがり屋の母には酷だろうし…忘れてしまうしなぁ〜。
どうしようかなぁ〜。


2004年10月16日(土) 気乗りしない日


 利用者さん訪問。
ご主人も出張で2.3日お留守でそんなに汚れてないから…軽くで大丈夫という事で軽くお掃除。
夏の間 外に置いていた植物を室内に取り込んだ。
庭では植木屋さんがパッチンパッチンしていた。

活動を終えて家に戻ったら 急に家の庭が気になった。
ぶどうは 上のほうの葉が茶色になっていて風が吹けばご近所に舞って行くだろう。。。
こりゃ ちょっと手入れしておかないと…と思った。
紫陽花も大きくなりすぎて ちょっと邪魔になっているし…。

今日は曇りだし…「明日は晴れっ」て言ってたなぁ〜。
母の所は 明日行くことにして…と作業を始めた。
しかし なかなか気分が乗らない。
こういう時の剪定って 綺麗に仕上がらない。
チョコチョコとやって 鉢を移動した。
と言っても我が家の場合 室内に取り入れる事はしない。
シンビジュームと君子蘭の鉢をぶどう棚の下から 日の当たる軒下に移動。
草取りをして庭の隅に追いやっていた小さな鉢を引き出すと あやめが芽を出していた。
庭の隅に植えたあやめは 未だなのに…。

アチコチの作業をしてしまって焦点が定まっていない。。。
しようがないなぁ〜。
ひとつでもこなせば その内 何とかなっていくだろう。
亀の一歩だけれど…。

夜 友人に電話をした。
勤務先のバザーと作品展に日を確かめる。
「お母さんは どう?」と聞かれ 言葉が出ない話をした。
すると…
「私たちだって 代名詞の世界を行っているでしょ。」と言われた。
そうか。そう考えればいいなぁ〜。
明らかに病の進行だけれど…でもそう考えれば 多少は気持ちが楽になる。



2004年10月15日(金) お日様の力


利用者さん訪問
11日が祭日だったので訪問がなかった。
8日に訪問した時 少し風邪っぽかったので「気を付けて下さい」とお別れしたのだった。

今日お訪ねすると…祭日前にご家族が引き上げられて その後喉がいがらっぽくてデイもお休みして家に篭って居られたという事だった。

8日にお買い物をした時「鰤を焼こうかな」と言われていて切り身を買おうとなされた。直ぐに使われないという事だったので 丁度天然鰤がお刺身用にして柵で売っている物をお勧めした。
値段もこちらの方が安かった。
それを5切れほど刺身用に切って 後は塩を少し振って大きめに切り分けラップに包んで冷凍庫に入れた。
今回 これが役に立ったようで…「有難う 助かったわ。切り身だと冷凍しても魚くさくなってしまうけれど…お刺身用だと魚臭くならなかったわ」と言われた。
外出しない事を想定した訳でなくて ご家族の献立に苦労されるのが大変と思ったのだった。

「今日は 何もする事ないのよ」と言われてから「温風ヒーターが入らないのだけれど…」という事でチェック。何とか作動できた

「長いも摩り下ろせばいいのよね」と言われた。
まだ 気持ちにゆとりがなさそうなのでこちらが摩り下ろし 使いやすいように半分に分けて冷凍室に入れた。
キッチンに立ってみると ご家族がいらして忙しかったのだろう水周りがくすんでいた。
カウンター越しに利用者さんのお話を聞きながら キッチンのお掃除をした。ご家族が帰られて 気も緩まれたかもしれないしお疲れになっていたかも知れない。。。
風邪用心の季節に入り始めたなぁ〜。

活動を終えて家に戻り 休息しようかなと思った。
昨夜 泊り客が有って 何となく体が重かった。
郵便受けを見るとセミナーの郵便物が届いていた。クリスティー・ブラインさんの講演がある。痴呆者の体験談がある。
参加費を振り込むようにありその期日が明日。「キャー今日振り込まないと…」と急いで郵便局に向かった。

畑にも寄って見た。草は大丈夫だった。
刈って畑の隅に積み上げておいた空芯菜に花が咲いていた。
この生命力は凄いと思う。1週間近く経っているのになぁ〜。
オクラがここに来てようやくアチコチに実を付けるようになっていた。
スナップえんどうがつるを伸ばし始めており 早く支柱を立てないとお隣同士けんかしそうだ。週末の仕事だなぁ〜。

朝から広がった青空…。洗濯物がどんどん乾いてくる。
今日2回洗濯機を廻したけれど…全部乾いた。
お日様に感謝。
明日も晴れだそうだ。明日はお布団干さなきゃ。。。

夕方 あまりに綺麗な景色にデジカメを向けた。
画像を取り込んだので夫に見せたら「良く撮れているよ」と言われた。
初めてのお言葉だった。


2004年10月14日(木) 感じる力


療法士さんが居室に見えた時「貴方にお客様よ」と母は言った。
「あら ○ちゃんのリハビリの先生でしょうにぃ〜」
「あ そう。。。」

横になってリハを受けている間 眠る事もなく話しに耳を傾けていた。
療法士さんが 明後日 結婚式なので「台風来ないといいですねぇ〜」とかこれから帰省して行く道のりの話等をしていたのだが…。
「聞こえないなぁ〜何話しているのか判らない…」とニコニコしていた。

リハが済んで家に向かった。
今日の母は食欲旺盛。ポトフにじゃが芋が1個半 豚ヒレが2切れ 玉葱半分
人参 セロリ…。ご飯もしっかり食べた。小魚もトマトも。
食事が済んで枝豆。パパイヤ半分。
パパイヤを食べている時「これ 何か判る?」と聞くと「判らない」とニコニコ。「何だかわかんないけれど 食べているんだ」とまたニコニコ。
「林檎とどっちがいいかしら?」「そりゃ 林檎」
こんな調子だった。

食後 暫くして入浴。
身体を洗い始めると「私がやるより早くて…有難う」と言う。
こりゃ 失敗だね。自分で洗って貰って足りない所を洗ってあげれば良かったんだなぁ〜。ついつい手出ししてしまう。
体が冷えない内に洗ってしまわないと「アツイ」と騒がれるので 面倒を避けてしまうのである。

洗髪して頭を乾かして…水分を補給して。
施設に向かった。今日は歩きである。
農家の市に寄ってみた。
偶然介護仲間と行き会った。
「あら お母様?」と聞かれて「そう母です」というと…。
「大きな子供です」と母がおまけの言葉を付け足した。
介護仲間が「私たちも後追うんですよ。順繰りだから…」と言うと母はまたニコニコしていた。
誠にタイミングのいい会話なのである。
何処まで判っていっているかな。おそらく瞬間わかるのだろうなぁ〜。

実は歩いている途中で柿がたわわになっていた。「柿ね」と言うと「はぁ たちね」と言う。いくら言っても思い込んでしまったので「たち」
「かきくけこのかき」と言っても「たちつてとのたち」と。。。
そのうち「もう 判った」と言われてしまった。
幾度も繰り返されると耳が遠いと思われるのが嫌なようで「ちゃんと聞こえているよ」と言われてしまったのだった。

施設の前に着いた時「ここは何処でしょう?」と聞くと。
言葉を捜しているようで「四角い部屋が沢山有るところ」と言った。
やはり 判っている。
「先生は優しい」と言ったので「○ちゃん 大好きって?」と聞くと…。
「そこまで 優しくはないよ」と。。。

母の記憶はこんな風。。。
ぼんやりとしながらもきちんと把握している。



2004年10月13日(水) 秋景色


 今日も雨。。。少しウンザリしながら利用者さん訪問。
玄関先の大きな花器に「萩と藤袴と秋めい菊」が投げ入れで活けてあった。
おそらくお庭で咲いたものだろう。
「あ・き」を愛でさせて貰ってチャイムを押した。

「秋景色ですねぇ〜」というと「ようやく こんな事やる気になったわ」と言われた。
「お母様から お力を戴いたのですね」と言うと「そうなのよ」と言われた。先週 利用者さんは 90を越えるお母様の所に出かけられた。
90を越えても矍鑠となさってとってもお元気なお母様である。
写真を見せて貰った事が有るが 下手をすると利用者さんと同年齢にすら見えるので有る。
お母様の所に行かれるとは 全く知らなかったけれど金曜の晩に「母の所にいて今日は泊まる事にしたからあしたはお休みにしてください」と電話が入ったので判ったのである。

日曜に母とも偶然お会いしたので「貴方とても優しくお母様といらっしゃるのねぇ」と言われた。
利用者さんは 母が痴呆で有る事は知っておられるけれど…どの程度かはご存じない。
優しそうに見えるのは 母との散歩はしっかり腕組みしているからであろう。腕を組むなんて考えても居なかったけれど…そうしなくちゃ危なっかしいからなぁ〜。
一時期は「優しくしている」と言われると剥きになって弁解したものだけれど…。今は「ふ〜む。そんな風に見えるんだなぁ〜」と思うだけである。
いや 私自身 もう当たり前になり過ぎて…殊更 騒ぎ立てる事でなくなっているだけなのである。
そうやって母と過ごせる事に やすらぎすら覚える。
「元気だったら…」と思わないわけではないけれど 元気だったらこんな風に濃密な時間を過ごす事もなかったのだろうと思う。
共に過ごせる時間を与えられた事に感謝でいっぱい。

活動を終えて家に戻った。
久々に ゆったりとした時間がある。
銀行に用も有るので 出かけることにした。
時間に拘束されないので 久しぶりに河原に出て遠回りをした。
猫じゃらしが 黒い種を見せて赤っぽく染まりながら風に揺れていた。
季節外れの黄色のタンポポがポツンポツンと咲いていた。
ふと 母の顔が浮かんだ。
「そろそろ 母をふるさとに連れて行かなくちゃ。。。歩ける内に故郷の地を踏ませなきゃ。。。」
「何処に泊まろうか…。家か?無理だなぁ〜。
でも よそに泊まったのが判れば いい気持ちしないんだろうし…。」
そんな事を考えていたら デジカメを取リ出す機会をなくしてしまった。

音沙汰なしの弟たちに どうして こんな気を使ってしまうのだろう…。
ただ 連れて行きたい…それだけの事なのに 面倒。。。
ま しようがないなぁ〜。これが現実だもの。。。

明日はリハの日。
気持ち切り替えて 元気に行きましょうっと。


2004年10月12日(火) お天気模様。。。


 母の昨日のお天気模様。。。
施設に送って行って「いや」は少し辛い。
じゃ それが辛いから家に連れて帰るのをやめると言う訳には行かない。
託してはいても 私のやるべき事だから…。
母を施設に託す時に決めたことだから。

よくよく考えてみると我が家の前に立った時だって「ここは嫌だな」という時がたまにある。
それを思えば…。
 
施設での生活で気になってるところがあって だから母「いや」って言ったかなと思ったりしたのだった。
でもこれも仕方ない事かもしれない。
母だって 誰かに迷惑をかけているのだろうし…。
このあたりが 集団生活の辛い所でもある。

こういう所での施設の改善ってほんと出来ないのだろうか?
昨晩は そんな事を布団の中で考えていた。
いや 人との関係だけでなく他にも有るんだけれど…。
託すという事は ショートを含めていろんな事があるなぁ〜。
自分で介護しきれないくせに何言ってんだかなぁ〜。

母の通院日。
予報では 雨というので朝から出かける予定でいた。
でもちょこっと日が差してくると…むずむずと欲が出てしまう。
なんたって この所のお天気模様のせいで乾かない洗濯物が家中に下がっている。薄日にでも当てれば 一気に乾くのだから…欲も出る。
そんな訳で 先ずは洗濯物を物干しに出して 新たに洗濯機を廻した。
ベランダが手すりも含めて洗濯物でいっぱいとなった。
乾いた物から畳んで 新たに干して…。

早めの昼食をとって 後ろ髪を惹かれるように家を出た。
母を連れて施設の外に出るとポツポツと雨が落ちてきた。
「きゃ〜やばいじゃん」タクシーを拾って我が家へまっしぐら。
洗濯物を取り込んで 通院となった。

バスの時間が合わなくて…近回りのバス停まで母と相合傘で歩いた。
午後の診察には少し間があったので「おやつタイム」をとった。

診療所は 2.3人待っていたけれど 長い時間の人もいなくて順調に診察。
医師が血圧計を出すと「怖い事しないで下さい」と言った。
医師と目を合わせた。
「この所 血圧測定すら わからなくなっていてギュと閉まると反射的に手を動かしたりする母なので 要注意なんですよ」と言うと…。
「そうだわな。昔は血圧計なんてなかったもんなぁ〜」と医師。
今日の血圧はまあまあの所で 大丈夫。

診察を終えて トイレに誘導し「排便」が出来た。良かった。

帰路もゆっくりと施設に向かった。
今日も「ここは 年取った人が…」と言いかけていた。
母も疲れたようなので居室で横になってもらい 目を瞑った所でそっと居室を出て帰宅。

季節の変わり目だから…母の不安定さは仕方ないかぁ〜。


2004年10月11日(月) 「…」


 何とも気の重い事なのです。
失敗なんて当たり前とは 思っているのに…。
明け方 母をトイレに誘導する事が出来ませんでした。
完全に寝入っていました。
「ガタッ」と言う音にも「あれ 今日はゆっくりって夫が言ってのに…」と布団の中で考えて居ました。
次の瞬間「うっ」と思い「スワッ」と起きました。
寝室を出ると母がトイレの前に立っていました。
昨夜「○○さん(母)は1人でトイレに行けるのか?」と夫に聞かれて「無理だと思うから起すのよ」と言っていたのに…。
ちゃんとトイレの前に立っていた。
「トイレ?」と聞くと「うん」と言う。
ドアを開けると「そうそう ここだよね」と安心した様子。
母の後ろからそ〜っとパジャマのズボンに触れてみた。
当たり前だけれど「ぐっしょり」だった。母は「水がぁ〜」「水がぁ〜」と繰り返して言った。
「ごめんね」と母に謝ると「ううん」と言った。
着替えは枕元に準備して有るので母の部屋に行くと…障子戸が開いていた。
「ガタッ」と言う物音は 母がトイレを探していた音だった。
枕もとのぬいぐるみは 移動していたし 少しの飴とクッキーは全部なくなっていた。
母はどのくらいの時間 起きていたのだろう。。。
横漏れしたとしても…2時間くらい経ているのではないだろうか…。
最終トイレが一時で勢い良く出ていたから…気持ちも緩んでいたんだろう。

下着を替えながら すっかり冷たくなった太ももを撫でてしまった。
布団の上にはシートを敷いていたので布団に影響はなくて…シートを外して再度布団に入って貰った。
少し添い寝をして温めてあげているうち 母はまた寝入った。

しかしなぁ〜。たった一晩の事なのに…緊張感が足らないぞと猛反省。

挽回を決めて 朝食後はお散歩に出た。
明け方の事等 母はすっかり記憶にないようだが…。
途中で知り合いや利用者さんと出会う。
「まあ、歩き方もしっかりなさって…」と口を揃えて言われた。
同じ時期にお母様がデイに通っていらした方は「お元気ですねぇ〜」と言う。お母様は ショート利用の前は 母と同様にメソメソ涙ぐまれていらしたのだが…昨年天に召されてしまっている。

遠回りして家に戻った。
お昼は栗ご飯を炊いた。赤米も入れて…。
ホカホカのご飯を昼食に食べて貰って ようやく自分の気持ちが落ち付いた。食後 娘が入浴するというので母も入浴させて貰った。

明日は通院も有るので お昼前には施設に帰すつもりだったけれど…。
3時頃まで家にいて貰った。

施設に付いた時 それまで笑顔だったのに表情が曇った。
「どうしたの?」「ここは大きい人がいるところだね」
「いや?」「うん」「。。。。」


2004年10月10日(日) 今日は 雨


 ピーナツの続編から…
知っている人は おかしいなと思っているかもしれない。。。

小さなピーナツの形をしたものは どうやら殻のようである。
(夫の言った事は正しくなかったという事である)
つるっとしていて ピーナツの殻独特のガサガサがないし 形も豆と同じだったので てっきり豆そのものと思ったのだが…。口にした瞬間の苦さから豆でないかも…と思った。
中を割ってみると2・3ミリの豆が入っていた。
どういう感じかと言うと ソラマメ見たいに綿の中に包まっている感じ。
ソラマメは綿みたいだけれど…ピーナツのそれは湿っている。
成長するに従い外側がガサガサになってくるようだ。
殻が大きくなると中の綿みたいな部分がだんだん薄くなって空洞が出来るようである。綿見たいな部分は豆の栄養にでもなるのかな?
2・3ミリの小さな豆でも豆の味はする。
ただ やわらかい。。。
殻と豆の間には茶色の薄皮が有るが それも成長と共にはっきり出来てくるようであった。
落花生と言うのは 文字通り花が落ちて地中に潜り込んで出来るから…なのだろう。花が落ちると言うのは正確な表現ではないけれど…。花の咲いた下から伸びた茎のような物が地中に潜り込むのだ。

ネットで調べても肝心の豆の育つ様子は 見当たらなかった。
観察はほぼ終えたので 今度はゆっくり調べてみようと思う。

今日は台風一過の青空とは行かなかった。
曇っていたので持つかな…と思ったけれど 霧雨がパラついて湿っていた。
母も湿っていた。
「かえるぅ〜」「でも 家がない」「帰れない」。。。と。
話も支離滅裂で殆ど通じない。
ちょっとでも離れようものなら…「いなくなったぁ〜」と泣いた。
子供の後追い泣き状態だった。
状態によっては 家に泊めようと思って出かけたので「今日は家に泊めます」と職員に伝えた。
外に出ると「おかちゃん かえるぅ〜」と言う言葉が消えた。
そして訳の判らぬ事を質問してくる。
バスに乗っている時も「子供は 袋の中にある?」といった調子だ。
それでも メソメソしないので気分はよいのだろう。

駅周辺は地域の文化祭で混雑していた。
そこで母に抽選をしてもらった。母はトイレットペーパー2個を当てた。
母は籤運が強いのである。

スーパーでお買い物をしている時「うどん食べたいな」といったので「何うどん?」と聞いてみた。考えるだけで言葉が出なかった。
「鍋焼き?肉うどん?」「後のほうかな…」という事だった。
母は繰り返しいえない時が有るのだ。だから2つ単語を並べると後とか前とかと言う事が多くなっているのである。
それでも質問の意味はわかっているようでそういう返事をするみたいだ。
これも食べ物だったり痛みだったりの時に限られるのだけれど…。

家に戻って折り紙を出して折って貰った。
今日は 下準備がないので母のオリジナル。。。作品に仕上がる事はなかった。それでもかすかに残っている記憶を精一杯使っているのだろう。
ピアノの下り方だったり 角箱の降り方だったり…何かを作ろうとした後だけは見えた。
キッチンで仕事している所まで来て手伝ってくれた。
「これなあに?」とナスを出すと「車の子供…」と言った調子で何を言おうとしているかさえ 想像出来ない。
でも人のそばにいたい 何かをしたい…そういう気持ちがそうさせている事だけは感じ取れたので好きなようにして貰った。

食事後 主人がいなくなると…。(居間に移動した)
「お父さん遅いね」と一緒に食事した事等忘れている。
でも この家にはお父さんがいるという事は 判っているようである。
夫が様子見にダイニングルームに顔を出して「ほら 椅子からずり落ちちゃうよ。危ないぞ」と自分に向けられた言葉と理解したようで途端に不機嫌になり下を向いた。
食事の時は隣り合って にこやかに食べていたのにである。
夫が去ると「あの人 もう 行ったの?」だって!

こんな調子で 気分がかなり落ち着かない様子であった。
時計を見ながら「家に帰る」と幾度も言っていた。
「泊まるって言ってあるよ」と言うと「泊まるって言った」と幾度も繰り返していた。そのくせ 時計に目をやり「家にかえる」と言うのであった。
それでも ひところのように興奮して家を出そうになる事はないのである。

きっと お腹が落ち着かないのだろうと思う。
幾度もトイレに誘うけれど出なかった。

食後 柿をむいてもらい夫の所まで運んで貰った。
「出来ない」と言いながら上手に皮むきが出来た。

入浴して就寝。
就寝前 トイレに誘導 ここで。。。
「出る?出ない?」と幾度か踏ん張った後に聞いたら「あんた わかっているでしょ」と怒り口調。。。無理はやめて 休んでもらった。
布団の中で暫く目をパッと開いて様子を見る風な事を繰り返し そばにいるんだなと感じたようで軽い寝息を立て始めた。

今夜は ゆっくり眠れるのだろうか。。。


2004年10月09日(土) 知ってる?


 ちょっと得意満面に「ね ピーナツって 殻が先に出来るのでなくてまめが先に出来るのねぇ〜」と夫に言ったら…。
「そんな事も知らんのか?」と笑われた。

おととい 畑に出向いた時お隣の方がピーナッツを抜いていた。
「お宅は?」と聞かれて「友人と堀起す予定で…それに月末位かな…と思っています」というと掘り起こしたピーナツのひとつを下さった。

日が暮れて 闇に包まれそうだったので其の儘持ち帰って玄関に置いた。
灯りの下で見てみると小さな物には あのガサガサした感触の殻がなくてつるっとしており豆そのもののように見えた。
ピーナッツの花が地上に咲いてそれが土に潜って実になる事は知っていたけれど…。
娘に「ね ピーナッツて豆のほうが先に出来るんだよ」と言うと「エッ 土まみれの豆が中にあるって事?」と驚く。

私も良く判らない。。。でも食べて土にまみれた豆って見た事がないから…。

今日 そのピーナツを茹でた。
小さな豆も一緒に。。。
そして判った。どうやら豆が出来てその外側が殻になっていくのである。
だから半分つるり半分ガサガサというものがあった。
茹でた小さな豆を豆と思って食べてみたら…「にっが〜い」
ひょっとしたら 豆のように見えたのは殻なのか?
でも小さな豆らしきものの中は空洞ではない。

「はぁ〜」じゃ…やっぱり豆が先に出来て外側が殻に成長するんかいなぁ〜。じゃ…殻と豆の隙間は何時出来るのかな?
と小学生並みの 疑問符をもってしまい 1人苦笑してしまった。
これは ネットでちょこっと調べれば済む事だけれど…。
じっくりみて仮説を立てて(大袈裟?)1人想像するのも秋の夜長にぴったりかも…。

台風が来る…と母のところには行かなかった。
夕食時 おばから電話があった。
「台風が二つも行ったみたいで…。本物の台風の影響は?」と。
おばもデイ通いで元気を取り戻し元気という事だった。
母も元気だと伝えたら喜んでくれた。
明るいおばで 二人で冗談飛ばして大きな声で笑いあって…「お互い全く元気でいいねぇ〜」という話で締めた。


2004年10月08日(金) てんや わんや

 
 利用者さん訪問
今日は 食料品調達の介助。
前日 利用者さんの用でヘルパーさんをお休みしていたので 食料品の調達が足りなかったのだろうと思う。
買い物リストを見ながら 商品をみて欲しくなった物を買い足しながらお買い物をしてもらった。
 買った物で 下ごしらえの必要な物だけ ちょこっと準備して冷蔵庫に戻した。
ご家族がいらして負担になっている所と励みになっているところが見える。プラスマイナスで考えると 大変だけれど利用者さんの為にはいい事だろうなと思うのは そこそこ身の回りの事も出来てちょこっと頼るご家族だから言える事のような気がしている。

家に戻って生協の受け取りの予定だった。が 待てど暮らせど来なかった。
用も有るので 篭を外に出して外出。。


夕方 家に着き荷物を置くか置かないうちに電話が鳴った。
従妹が 「こっちで仕事している。今日泊まって良いか?」との事。
食事は済んだという事だった。
留守中の電話に着信が幾度も有ったのは これだったか。

と言う訳で 急遽 3名様お泊りで…。
従妹のご両親のお話や愚弟たちのお話をした。

テンヤワンヤで。。。
就寝一時過ぎだった。


2004年10月07日(木) りんご?かき?ざくろ ピンポーン


 リハの日のため 朝施設に出向く。
療法士さん 急患のため30分送れ。その間に布団を干したり 入所者の方の頭を梳かして上げたり…して過ごした。
入所者の1人が「嬉しい」と涙ぐまれて…。こんな簡単な事なら毎度梳かしてあげようと思った。

リハが始まる前から 母は眠そうだった。
横になったらうつらうつら始めていた。リハを受けながら目を覚まして夢の続きらしき話をしてまた眠ると言った具合だった。

リハ終了後 外出。
買いたいものがあってお店に寄ったが 母は「ここで 長くなって…疲れた」と言う。
早々に切り上げた。
お店を見るのが好きな母だけれど 今日はそういう気持ちにならない特異日なのだろう。。。

昨日と違って今日は少し汗ばむ陽気。。
「ソフトクリームでもどう?」と聞くと「全部食べられないような気がするから要らない」と謙虚な読み。
「半分ずつだったら?」と言うと「食べる」という事だった。
そんな訳で「アイスコーヒー」と「ソフトクリーム」を頼んで ソフトの半分をアイスコーヒーに入れた。
半分はおいしそうに食べ終えた母だった。

地元の農家の市に寄った。
そこでザクロを見つけた。大きめのが2個入っていたので買い求めて 施設に帰った。
母に「お土産です」とザクロを職員に渡して貰った。
「これは?なんでしょう?」始めの内職員さんが逆質問をして母に聞いて見たのかと思ったが…ほんとに知らなかった。
入所者に聞いても「?」
「柿でもないし…林檎でもないし…何だろう」と騒ぎになって驚いた。
入所者は 知っている人もいたが 固有名詞が出てこない人もいた。
「ざくろ」と言うと「あ〜そうだね」と言った。
「あれーいくらみたいっ」という入所者もいた。
半分に割って実を上げると面白そうに食べ始めた。
食べてみてざくろを思い出す人もいた。
母はモクモクとザクロを食べ種を出していた。
2度目に質問したら…「知ってるよ。ぶどうの成りそこない見たいなものだろ」という入所がいて笑ってしまった。確かにそう言える。。
職員も嵌ってしまって…時折食べていた。

今日は「何見てるんだよ」と言う言葉を2度聴いた。
母と外を歩いている時…。自転車で追い越していく人がじろりと振り向いていった時に母が言ったのが1回。
入所者を瞬間見たときに一回だ。
見るほうは特別の意味を持たなくとも 見られたほうは 嫌なんだろう。。。
そういえば お相撲さんのような方が前を歩いている時も「大きいねぇ〜」と言った母。ひやりとした。それも違う人で2回である。
さすがに私のほうが先に目に付いた2度目の時は 母の口に手を当てた。
注意しないと…何を言い出すかわからない。。。


2004年10月06日(水) 続きが読みたい…


 利用者さん訪問後 母の所に出向いた。
玄関で職員が入所者さんと出かける所にばったり出くわした。
「今日は 大きな声でいろいろ読んでくれましたよ」と言われた。
中に入ると何枚かのプリントが冊子になって有るものを手にしていた。
「さっきまで 大きな声で読んでくださったのですよ。夏目漱石の坊ちゃんなんか 『この続きは?無いの?』と言われて大慌てしました」という事だった。
入所者のご家族も「読むのがお好きですねぇ」と言われた。

居室に入ってトイレ誘導。
お腹をマッサージしていると「痛いね」と言う。「じゃ 自分でやったら」というと痛くないよ。…へへっ 私はツボを刺激するから…痛いんだよ…
程なく立派に出した。
残ってないかと駄目押ししていると「もう 痛いし…変な匂いしてるから出ないよ」と言う。母も言いたい事を言葉を探しながら もう出ないという事を伝えて来たので終了した。

それから外に出た。
夫が近くに来ていたので そこに寄った。
主人をさして「あれは?」とわざと言ってみた。
すると母は笑っていた。主人が「あれってなぁ〜」と言うと 母は私を指して「あれは?って言ったの」とまた笑った。
夫も承知していて「困ったもんだね」と笑った。
「気をつけて 歩いてください」と言われぺこりと頭を下げて応じていた。

天高く…の青空だ。
上空は強い風が吹いているのだろう 飛行機雲が風に流されあっちこっちを向いて広がっていた。母もそれに気が付き「面白いねぇ」と幾度も言った。
 
久々に公園のベンチでおやつタイム。
公園で遊ぶ子供たちに目を細めながらのおやつとなった。
帰路も大きく遠回りして施設に戻った。

昨日と今日とでふるさとや北海道の友人から荷物が届いた。
友人の荷物は沢山の種類のじゃが芋が入っていた。ヤーコンも。。。
「育てているヤーコンと比べてみてください」とも書いてあった。
家のヤーコン まだ掘って居ない。11月頃が収穫期とあったから…。
でも 土の中の事だから掘り出してみないとどうなっているか判らない。
仕事もかなり忙しく休日も減っているようである。
身体 気持ち 元気かな?
どちらにも まだ 届いたよの電話をまだしていない。
早出だと9時頃には寝ていると聞いているので…。あしたの朝にでも電話してみよう。。。


2004年10月05日(火) 癒しの空間


 今日は 家族会だった。
大雨で 果たして何人の参加者になるかなぁ〜。
アラジンから介護者の訪問が有るけれど…悪天候の中見えるのに…誰もいなかったら 申し訳ないなぁ〜なんて考えていた。

心配は杞憂に過ぎず いつも通りのメンバーにプラスして新しい方も足を運んで下さった。久しぶりの参加者もいらした。
いつも会を有形無形でバックアップしてくださるアラジンの方を会のみんなに紹介できて良かった。

介護暦10数年になっても 尚 学ぶ事が多い。
情報は 絶えず新しくなっているし…病の進行での対処の知恵等も耳に入る。それより貴重なのは 今日のような新しい参加者の悩みを聞くという事。介護初期からずっと家族の悩みも引きずってきているが…初期のころと違い少し引いて物事が見えるようになっている。
そこで 逆の立場の人の悩みを聞いている内に「そうなんだよね。そんな所で腹が立つんだよね」という思いに至るのである。
いや 初期の頃だって 建前で考えようと努力してはいたのだけれど…。
この努力が曲者で「私はやっているよ」と言う気持ちが勝っているのでどうしてもストレートに響かなかった。
でも 最近 話されている事に言い訳する気持ちが消えてしまっている。
ごく自然に心に入り込んでくるのである。
そしておそらく私の心が癒されていると同じように激しい言葉で介護を語っていた人も何時のまにかスポイルされていくのである。
誰もお説教したりしないし理想の介護論をぶち上げる人も居ないのに…。

とても不思議な空間である。
先日も本を読んでいた時「ボケ老人を抱える家族の会」も始めこそそういった話だったけれど…最近は大分様変わりしてきている…と書いてあった。
誰も「こうしたら…」などの強制はしなかっただろう。。。
流れの中でそうなって来たのだろうと思う。

いつも思うけれど…始めからほんとに上手に介護なさって居られる人もいる。心の内にいろんな思いを秘めながらも言葉にしないで取り組んで居られる方もいらっしゃる。
だから 自分は情けない奴だな。。と思っている。
母を施設に託して楽をしているので多少の余裕も出てきてはいるだろうけれど…。

でも 弱い私でも時間をかけて他の方のお話を聞いている内に すっかり癒されて来ている。
自分の力でここまで来られた訳じゃない。
たまたま隣り合わせた方々が これまでの道を歩ませてくれたのである。
まだ 道の途中である。
これからどんな事を教えて貰えるか…楽しみな道のりでもある。

話題はちょこっと変わる。
職場にパソコンが導入されるのが受け容れられなくて 友人は職場を去った。理由はそれだけではないけれど…直接的引き金だっと記憶している。
その友人が 携帯を持ちメールするようになったのが一年近く前。
昨夜「初めての経験」というメールが届いた。
パソコンを使ってのメールだった。
「やったぁ〜」と思って短い返信をした後で 直ぐ思い立って画像を送った。今朝「写真見たよ」という返事だった。
母のお誕生会の時に一緒に撮ったものだった。
彼女と彼女の娘さんが母を囲んでいる写真。彼女がプレゼントしてくれたお花も写っている。
その感想が「親孝行な娘と孫の写真みたいだね」とあった。
まじまじと見て「そうだなぁ〜」と嬉しくなった。
「私もそうなるように…」とも有った。
パソコンアレルギーが消えかけてきたようである。
彼女はそんな風に頑固だけれど 気持ちが溶けていく所が有る。
それに引き換え 私の意思は固い。携帯を持とうという気にならないのだから…。この所娘との外出が続き時計を忘れた私は娘の2個有る携帯の一個を持たされた。
昨夜から考えていたが…やっぱり携帯で失うコミュ二ケーションが有るな…という結論に達したばかりだった。
時間場所細かく打ち合わせる事 他人に聞いてみる事…そういった事が省略されて行くような気がした。これは 私の頑固さである。
ひょっとして年をとって細かい文字を読んだり狭い画面をスクロールさせながら読むことが面倒なだけなのかも知れないけれど…。






2004年10月04日(月) 違和感


 利用者さん訪問。
玄関に入った途端渡そうと思っていた本を忘れて来た事に気が付いた。
「ごめんなさい」と謝ると…。「いえね…」と利用者さんが話し始めた。
「気持ち気を付けるだけの方が良いみたい」と言われた。
どうやらご家族が「今はまだ必要ない…」と言われたようだった。
先日「してあげたい気持ちは判るけれど ご家族の意思が一番大事ですから…確かめてみてからなさったほうがいいと思います」とお話したのだった。
「見てください」と利用者さんは 冷蔵庫からご自身が作られた副菜を出して来られた。「これを半分くらい出すんですけれど…」
「いいですねぇ〜」と言うと安心なさった。
昨日は○○と△△…と献立を教えてくださった。
「大丈夫と思いますよ。少しずつバランスよく食べればいいいでしょう。
検査値と相談しながらですけれど…」とお伝えした。
食事療法は 私たちにだってかなりの負担になる。利用者さんは高齢なので一時的にせよかなりの負担だろう。あまり細かく言うと混乱に加速が罹ってしまう。そちらの方が心配である。
お母様が 手作りのお惣菜を作られれば ご家族だって注意するだろうと思った。
利用者さんを訪問を始めるようになったのは ご家族の依頼だった。
痴呆を心配なさっていた。
少し心配は有るけれど ちょっとした声がけで随分生活が変わってきて前向きになられた。老化防止のために…といろいろ取り組まれる。
今ではご家族の食事作り…。
大変そうでは有るけれど 母親として意識なさっておられ生活に張りも生まれている。
母の事も思い出しながら こういう生活が長く続くように…と思う。

午後 母の所に行く。
エレベーターが付くのと母が玄関に来るのと同じ時だった。
とても険しい顔をしていた。直ぐ職員が見えて「今 おトイレにお連れするところでした」と言われた。
母の様子からもう 完全に出た後だとわかった。

職員は
「やはり ご家族が見えると表情がコロッと変わりますねぇ〜」
「ほら○○ちゃん(従妹の名)ですね」と母に言った。

これが 私には違和感がある。
母が「○○ちゃん」と呼ぶ事は気にならない。
でも 母が言う前に私を従妹の名前で呼ぶってどうなんだろう。。。
若しかすると私を娘と思っている時かも知れないじゃな〜い…。

家族が見えれば変わるって…。正直素直に喜べない私である。
親子だし…顔を見れば何か伝わるだろうけれど…。
私が来る前までの母の顔は 不安だったに違いないのに…。
その不安が何から来ているかを探って見るほうが先なのだろうに…。

いつもいつも 不安な顔をしている訳でないし 外出から戻って「お帰りなさい」と出迎えてくれた職員に笑顔を返す時だって有るのに…。

トイレ誘導してもらっている間に 施設長さんとちょこっと話した。
居室に行ってみるとすでに着替えさせて貰っていた。コロッと一個出ていたそうだという。
居室には ホールの椅子が母の椅子と並べて置いてあった。
「?」というと「どうしても置きたい…というものですから…」と。
これで 午前中 母の対処にかなり苦慮したんだなぁ〜と想像できた。

おそらく排便だ。
職員が出た後 持参したおやつを取り出して母と食べた。
紅茶好きな母にレモンティーを作ってきたので飲んで貰った。「んまい」と久々の声。
それからトイレに誘導。暫く踏ん張って貰ったら ちゃんと出た。
さっきのトイレでどのくらい時間をかけて排便を促してくれたのだろう…。

「この椅子 みんなのいるお部屋に戻してあげていいですか?」「はい」
椅子も無事 元の場所に返した。

ロッカーを見るとパジャマが匂った。
雨降りで外にも干せないので 近くのコインランドリーに持って行くことにした。頭も匂う。洗っている間に近くの美容院でシャンプーして貰った。
施設のお風呂は他の方が入られていたし…そこに割り込んでは行けないと思ったし…言い出しにくいのも事実である。洗濯機だって同じ。
洗濯室は鍵がかかっているし…。
温かいお茶を淹れてあげたい時だって有るけれど…キッチンにも鍵がかかっている。塵出しと汚物出し位が遠慮なしで出来るけれど…。
家に帰る時は 持ち帰るけれど…今日のようなお天気じゃそうもいかない。。。

そんなこんなの面倒な事が施設にはある。

施設に戻ると疲れたようなので 横になって貰った。
夕方 こんな日が多くなっている。
こんな季節だから…仕方ないのだろう。


2004年10月03日(日) 雨降りだったので…


 雨降りで予定した 庭木の剪定や畑の仕事が出来なかった。

朝刊が雨でびしょ濡れとなっていた。
ビニールで包装されていたのだけれど どうやら入れる時に破れてしまったようである。再配達して貰おうかとも思ったけれど 日曜だし雨降って気の毒に思えてやめた。
その代わり 家の中に一枚一枚にばらして 新聞を広げて扇風機をまわし 乾かした。広げてみると以外に場所を取る物だなぁ〜と思った。

急に気温が下がって 友人は大丈夫だろうかと気になってメールした。

ぽっかりと時間が出来ると「コーヒー飲まない?」と誘い合ったものだけれど…。電車で2時間近くも離れてしまうとそうも行かない。
「コーヒーでも…。お茶でもと誘いたい所だけれど…。気温が下がったけれど 大丈夫?」とメールを送信。
「一緒にコーヒー飲んで楽しかったわ。うっふっふ。…二人でスポーツセンターにでも行って一汗かいて来ましょう…」と返信が来た。
「あっ 気持ち元気だな」と嬉しくなった。

乾かした新聞を畳みながら読んだ。
「高度情報社会における危機管理 安全性の向上か それとも監視の強化か」と言うシンポジュームの記事だった。
読みながら 安全を手にするために監視強化され それによって失ったものがあると再確認。
最近「世の中なんか変」と感じていた事がこういう事から来ているんだなぁ〜と感じ入った。

参照:::
…リスク社会では安全保障対策がこれまでにも増して重要視される。このため、民主的な社会の要素であった自由や市民の権利が、だんだん狭められている。ケアの為の監視からコントロールの為の監視へ振り子が振れたのだ。
監視は普遍的な善とは言えない。それは弱者の疎外を含み、個人の自由を侵食する。
恐れは相手に対する思慮や愛が欠如しているところに発生する。リスクは信頼に、恐怖は自由や愛、社会的公正によって回避される。私たちは、監視の代わりに、もっと信頼や自由を重視すべきだ。
                           新聞より:::

施設介護もこれと似ている側面があると感じる。
あれだけ小さな集団の中に置いてもである。
いろいろの制限が 入所者の生活の質を低下させているような気がする。
 
訴訟社会なので そうして置かないとやってられない事もある…という声が聞こえてきそうだ。
個人から考え方を変えていくべきか?体制から変えていくべきか?
簡単には論じきれないだろうけれど…。

雨降りのお天気で こんな事を考えていた。





2004年10月02日(土) 人間だもの…


 相田みつをの話ではない。
介護と言う職種の難しさは 人が相手だから…。
例えば今年度から ヘルパーさんは 買い物の付き添いが出来なくなっている。でもこれは 地域によって多少の違いが有るらしい。

買い物に同行というよりリハのためのお散歩でたまたま買い物になったと言う理由付け。

実は今日 利用者さん訪問で 草取りを頼まれた。
本来 これは受けない部分である。何故受けないのか?そこの所は私もはっきり判らないけれど…。草取りは生活にあまり関係が無いからなのだろうと想像する。
けれど 自分の生活の中で草がぼうぼうとした庭を見るのは 気分も落ち込むのである。
出来るなら ご家族が取るのが良いと思うけれど…。

夏に訪問した時 ご主人が草取りをなさっていらして 取った草を見て「あららら…」と思ったことがあった。草ではなくて大切な花を抜いていらしたのだった。「あらっ」と言ったら「ねっ」と利用者さんは 何処にももって行きようも無い寂しそうな表情をなさった。
今でも「お孫さんに草取りのアルバイトをさせて欲しい」と娘さんに言われるそうで有る。でも 植物を知らない人が抜いてしまったら…と二の足を踏んで居られるようであった。

そんな経過を知っているので 私が引き受けた。
利用者さんは 今虫に刺されても行けないし 土に触れても行けない。
植物が大好きで 植物に癒されて居られる方でもある。

どくだみを中心にとって欲しいと言われた。
でも ワザワザどくだみだけを選別するのも面倒で…。
その内 草なのか花なのか判らない物が出た。
利用者さんに聞いてみると「ホタルブクロ」だと言った。
大きくなったホタルブクロなら花が咲いてなくても私にも判るけれど…。
茎も伸びてないので 判らなかった。
他にも大切にしている小さな木が有った。判らない物は抜かない…で良かった。。

良く見ると水引もあった。二輪草も…。「そうだ ご主人が抜いたのは確かこれだったなぁ〜」

こんな風に その人に大切な生きがいになっているものなら 守ってあげてもいいだろう…と思う。人間なんだもの…。

午後 娘の運転で母の所に出向いた。
母はテレビの前にいた。
トイレ誘導すると「…」排尿排便…時間も経過しているようだった。
これらをさっと取り替えたい所だけれど…座っていたので さっとは行かない。。。
着替えてようやく外に連れ出す。
今日は郊外の広いお店。
店の中をクルクルと見て回った。試食のコーナーもかなりあって 普段は試食もしないけれど…今日は楽しみながら試食して歩いた。
これは 母も楽しそうだった。
母自身も 試食コーナーは あまり立ち寄らないタイプなのだが…。
ここまで来ると 随分違ってくる。

レジや駐車の出口が混雑して帰宅が遅れて 施設の夕食が始まっていた。
トイレや着替えをして 夕食のテーブルに付かせて 施設を後にした。


2004年10月01日(金) いくつになっても…

 利用者さん訪問
今日は 用が有るので後に時間を延ばせないため気持ち早めに訪問した。
いつもなら「ハーイ ご苦労様」と言う返事なのだが…。
「ハーイ」だけで終了。「○○でう」と名乗ると「ご苦労様」と返って来た。「あれれ。。。」と思って中に入ると…。
「昨晩から 寒くなって寝具を厚くして欲しい」と臨時に止まりこんでいるご家族から依頼が有ったようだった。
そんな訳で 寝具の出し入れと押入れの整理が始まった。
1人暮らしなので客用の物が有るだけなので大変な作業ではない。
15分くらいで用は済んだ。
「今日は何をしましょうか?」とお聞きすると。
「ちょっと座ってください」と言われて着席。
利用者さんは ご家族の事を話し始めた。
話そうとしている事は 直ぐに判った。
答えも直ぐ出そうだった。
でも早回りは危険なので じっと耳を傾けた。
ご家族が生まれてからの話や育った経過の話…そんな話を交えて40分は1人で話されていた。
「話し相手」という役目も有るので…これも活動のひとつである。

利用者さんの子供さんの健康についてである。
子供と言っても…80を越える利用者さんの子供だから立派な大人である。
それでも「連れ合い様がのんびりしているので…」と心配なさるのだ。
これは 下手に答えるのは危険と思い「身近か過ぎて いろいろ言えないのではないでしょうか?」とぼやかした。
「昨日電話をしたので これからヘルパーさんが来る」と言われた。
「ヘルパーさんですか?」と聞くと「そうだ」と言われた。
はて 何処のヘルパーさんかなぁ〜と思ったけれど…混乱させてしまうような気がしてそれ以上は聞かないようにした。
「私の知っている情報も次回までに持ってくるので 両方合わせてご家族の意思もきちんと確かめて動かれれば良いのではないでしょうか」と伝えた。

時間が来て帰ろうとする頃 そのヘルパーさんが見えた。
やはりヘルパーさんではなくて…支援センターの職員だった。
家族の会で知っている方で相手も「あっ」と驚いていらした。
簡単にこちらの話を伝えて 私は利用者さん宅を後にした。
支援センターの方も 充分心得て居られる様だった。

利用者さん仕組みが判ってない…。この辺が説明するのに難しいのだなぁ〜。

午後は 最後の講習日だ。
電車に乗って講習場所に向かった。
今日は朝早く夫を送り出したので もう頭が半分眠っている状態だった。
だから 話も半分しか理解で来ていなくて しどろもどろ状態で終えた。

その後 ネットワークの仲間とのお話。
ここでも 今の介護の周辺の変化についての話題となった。
役所で決まってしまってから「大変」ではもう遅いと言う話となった。
予算削減のため住民参加型(地域おこし)に移行しているが…。
何でもそうなりつつあって これが非常に危うい。下手をすると昔の「隣組」的になってしまうのではないだろうか?という話題となる。
民間委託と言う言葉や地域力と言う響きは魅力有るけれど…有る地域では 警察も入っての地域の会と言う所も有るようである。
痛ましい事件も有るから納得しそうになるけれど…この辺は注意深く見守っていかないと…と言っていた。
私たちが高齢になった時に助け手となる筈の若い人たちは こういう状況の中で育ち モラルハザードに陥って行かないだろうか…と心配もしていた。
 
普通の人がウンザリするほど 頼り無い行政で聞く事すら嫌になりそうで 
政治に対しても無気力状態。。。
こんな時が危ういのかも知れない。。。
小難しい話だけれど…意識して過ごさないと。

http://www.g3-b3.co.jp/new/e-kenshu/index.html
興味の有る方は 寄ってみてください。
興味深いこと いっぱいあります。





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