母のタイムスリップ日記
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2004年04月30日(金) 新緑の季節は…


 今日も朝から剪定。
ある程度で切り上げようと思ったら ご近所さんが通りかかったので「下から見てどうかしら?」と聞くと「私だったらもう少し刈るよ」の言葉を受けて更に剪定を続けた。結局 のこぎりまで登場して…大仕事となった。
そうでなくとも 右手のひじに痛みが走っていたのに…箸を持っても痛い状態となった。はぁ〜っ。
何事もホドホドが一番と今更気が付く。
おかげで さっぱりとはしたけれど…金木犀って春先に深く刈り込むと花芽が付かないって耳にしたような気がしたのだけど…大丈夫かな?

午後は、利用者さん訪問。
利用者さんも午前中は 2ヶ所に通院なさっていた。
お散歩はお休みかな?と思ったら「行きたいです」と言われたので外出。
今日は 杖を使われた。
昨日 2人の息子さんから「杖を持たないで歩く様子を見てると随分人様に迷惑をかけているねぇ〜」とコンコンといわれたらしい。
「こんなに歩けるようになったのに…と悔しかったけれど良く考えるとその通りだと思えて…。」と杖を使う事になった経緯をお話くださった。

杖を使うと脚の疲労が軽減されると言われていた。

訪問を終えてきゅうりを植えるため畑に向かった。
棚も作った。それにしても…ちょっと当てが外れている。
畑仕事は 夫が主で私はサポートのつもりだった。
何分 夫と違い 畑仕事は全くの素人なので…。
でも 今は 全て一人の作業なのである。

畑からの帰り道…庭木の剪定に忙しい季節と畑の仕事と忙しい時期が重なるという事に気が付き「しまったなぁ〜」と後悔の念が湧いた。

家に戻ると留守電が入っていた。
介護仲間の方が 奥様を病院からご自宅に移されたという事だった。
施設か在宅かと大分悩まれていらした。

家に戻られた奥様は 病院より落ち着いておられる様子という事だった。
ケアマネさんも立ち会ってくださっている様子であった。
さすがである。このケアマネさん…本当に配慮が深いのである。

何よりも介護仲間の声がとても明るかった。
80を越えられていらっしゃるので お体の事が心配だけど…。
無理をなさらずに…と祈るような気持ちである。
あれだけ 明るい声ならきっと大丈夫と思うけれど…。
やはり在宅が いいんだなぁ〜と感じた。



2004年04月29日(木) 困ったような 嬉しいような…。


早朝、畑に水遣りに出かけた。
戻って 庭木の剪定の続きに取り組む。手袋をかけないで作業に入ってしまい手のあちこちに切り傷ができた。
誰も手伝ってくれる訳でなく…一人脚立に上ったり降りたり…散らかった枝を片付けしたり…。
昼食の準備をして食べさせてから 母の所に向かった。

母は、違うフロアに行っていて留守だった。きっと不穏になっていたのだろう。少し居室を掃除してから母のいるフロアに行った。
母は「あっ」と言いながら「ここに座りなさい」と言った。座ろうとしたら他の入居者に「テレビがみえない」と注意され 慌てて移動。

職員に排泄の事を聞くとやはり便秘気味のようであった。
トイレに誘って便器に座ってもらうと「失敗しても、誰もいなくて…」と言った。「困るの?」と聞くと「うん」と言う。
でも、こればかりは どうしようもない。
母が困るのは一時だろうし…時間を経れば忘れてしまうだろう。
時間に追われ 母一人だけの介護ではないのだろうし…。
母の排便誘導をしている時職員が見えた。
初めて母の排泄と格闘している現場にいらした。
「いきめるんですよね」と言われ「いえ、最近は3回に1度くらいはいきむのを忘れています」「お腹を自分でマッサージしてますよね」「確かにしてますがいきんでいるとは限りません」
そんなやり取りを初めてした。
それでも、母が不安がっている事までは話せなかった。

外に出て早歩きをした。いつものように公園でおやつタイム。今日もイチジクを食べてもらった。額に汗が滲んでいたのでお茶もたっぷり飲んでもらう。

更に歩いていたら 散歩コースで知り合った家の方が「頑張ってるねぇ〜」と声をかけてくださった。「でも 姉さん 随分早くない?」と言われた。
「そうですね。少し早めです。排便と足腰の鍛錬があるのでちょっと早めです。無理そうな時は緩めているんです」と言うと傍にいた息子さんと思しき人と二人深く頷いていた。母は 自分の事を言われているなんて気が付く事もなくニコニコとしていた。

一時間近く歩いて施設に戻った。
今日は 折り紙を2枚重ねて 角箱とコースターを2個ずつ 途中まで折っておいた。それをホールのテーブルにもって行き作業してもらった。
母は、直ぐに興味を示して折り始めた。
その隙に 施設を後にした。

戻って畑に向かい水撒きをしていると…。見知らぬおじさんがきゅうりの苗を持ってやってきた。
「これ、使ってくれない?」「お幾らですか?」と聞くと「いや、たくさん貰って植え切れないんだよ。貰ってくれれば…と5本の苗を出した。
これから 他にも植えたいし…きゅうりは棚を作るのが面倒で…避けていたのだった。「今日は スコップ持って来てないのですよ」と言うと仮植えで水をあげておけば大丈夫」といわれた。それにしても5本は多いなと思い お隣の方へ「使いませんか?」と聞いた。先日の強風で苗が折れてしまってしまったと話されていたので…。
2本譲って1件落着。
しかし、奇妙な事があるものだ。
このおじさん、畑にいた訳でなくて…畑に向かってやってきて一直線に私のところに来たのである。
お隣の方は、てっきり私とおじさんが知り合いと思ったらしい。
そして 犬が居ないので気が付かなかったと言っていたけれど…どうやらお隣さんとは犬繋がりの知り合いだったようである。

「何故私に?」と疑問は解けないけれど…まだ畑の半分は開いていたので持ってきてくれたのだろうなぁ〜。
半端じゃなく立派な苗だった。これで、失敗したら…申し訳ないなぁ〜。

と言う訳で、夕食後 お店まで棚を作るための棒を買いに走った。
明日には 植えつけないと…。ふぅ〜っ。


2004年04月28日(水) 判っていても…つい油断


 今朝 喉が痛くて目覚めた。
この所危ういなぁ〜と感じつつ居たけれど…。
昨日、風雨の中 落ちた小枝や葉の始末をしたのがいけなかったかな?

午前中の前半は 庭の落ち葉の掃除と木々の剪定。
昼前に畑に行き苗を植えた。激しい風が吹くと言われていたので風に弱い苗は植えつけないでいたのだった。
畑のお隣さんが「きゅうりもトマトも…折れてしまって…」と言われていた。大分前に植えられたので 私のような怠け者で無いのでお気の毒だった。今日の植え付けは、オクラ、ナス、二ガウリとつるなし南瓜。

家に戻って また庭木を剪定した。沈丁花やドウダンツツジ等新しい葉が伸び始めていたからである。お隣さんとも話したけれど「これから年を重ねていくと高い所の木の剪定など出来なくなるから…寸詰めて行かないとねぇ〜」広い敷地ならいいけれど…ちっちゃな庭だもの…大きな木は似合わない。
それでもお腹 ぺこぺこで途中で切り上げて昼食。

家の中の掃除をして夕方となった。喉は相変わらず痛む。
ふと連休に入る事を思い出した。
もし、放置して熱でも出したら…休診でどうにもならないと思い急いで通院。でも この地域 水曜日って休診日が多いのだった。
「ガ〜ン」となってしまったけれど 何とか探し出して診察を受けた。

これで、連休は乗り切れるだろう…。


2004年04月27日(火) 介護者としては  まだまだかなぁ〜。


 台風かと思うほどの強い風が吹き荒れた一日。
まだ、風が吹かないうちに母の所に向かった。
切り抜いてもいい雑誌と鋏とのりと飲料とおやつを持参した。

母は比較的落ち着いていたが 折り紙等をカーディガンに巻き込んでいた。「出かけるのぉ〜?」としきりに母は聞いて来た。
私イコール外出の図式が 母には出来ているようだ。
忘れる一方ではなく 感覚的にでも覚えられるというのを見ると嬉しくなってしまう。
「今日は お天気が悪いから出かけられない」と言うと視線を窓の外に移して「雪降ってる」と言う母。「大雪?」と聞くと「細かな雪」と言うのだった。でも、ほんとは吹き付ける雨なのだ。雪に見えなくも無いので否定しないで「へぇ〜」とだけ返した。

外の景色を見ながら ストレッチ。足腰の鍛錬である。今日は、安定していた。一昨日は、便秘でお腹が張っていて気分が悪かったのかもしれない。

職員に排便状況を確認してから、水分たっぷりとおやつ。おやつは、いちぢくである。とても甘いので母も口に運びやすい。繊維もたっぷりである。
程よくお腹が満たされた頃 職員が入浴のお誘いに来たのでお願いする事にした。
その隙に 居室の掃除をした。

入浴後 水分を取りながら 雑誌類の切り抜きをしてもらう。
施設には 鋏を置いてはいけないので持って行くしかないのである。
確かに事故は怖いけれど…鋏なんて毎日のように使っていたのに…施設入所と共に経験できなくなってしまう。ちょっとめには たいした事もなさそうに見えるけれど…能力全体が後退して行ってしまうのだ。
久々の鋏を使って 最初は切り落としてしまったりしていた。
ほっとしたのは、切り落とした事に気が付いていた事だった。
暫くするうちに 勘を取り戻したようで 切り落とす事も無くなった。

それを、厚紙に貼り付けた。
母は、この作業に乗り出したので 折り紙を折って花模様になるように切ってそれを違う折り紙に張りつけて模様を浮き上がらせた。
これも 母は楽しそうに作業していた。
満足げな母の様子をみて 嬉しくなった。まだ 楽しめる事があったんだなぁ〜。

途中でトイレ誘導。少し頑張ってもらい 排泄大小が成功。

痴呆になって 10数年を経て「介護」「痴呆」と言う物をある程度理解し また、諦めてもいるのだけれど…。それでも 強い下り坂に直面すると やっぱり介護者として落ち込んでしまう。
今日のように 落ち着いて できる事が割りに出来ると 嬉しくなってしまう。程ほどの介護を思うけれど…下り坂にはやっぱり力んでしまうあたりはまだまだなのかなぁ〜。


2004年04月26日(月) 肉も魚も無い時は…


 利用者さん訪問。
お訪ねすると 昨日お鍋を買ったとご報告があった。
小さな厚手のお鍋で 一人分のうどんや蕎麦を煮るのに重宝だと嬉しそうに話された。お買い物を一人で出来るのがこの所のお楽しみのようである。

「昨日、お鍋選びに頑張ったら 食材を買い忘れてしまった」と言われた。
「はい。じゃ、あるもので何か作りましょう」と冷蔵庫を見ると…お野菜ばかりだった。
煮物をするにしても 味出しにするものがない。
どうなるか 判らないけれど…♪何とかなるさ♪と取り組んだ。
まずは、キャベツと人参と揚げの煮付け。
「肉じゃが」ならぬ「いりこじゃが」→肉の変わりにいりこを使って煮た。じゃが芋とじゃこの天麩羅。→じゃが芋を線切りにして揚げる。余った衣でいりこも揚げた。じゃが芋の方は、揚げて直ぐ塩を振っておいた。
メインは かに玉ならぬホタテ玉。
ニラを刻み、ホタテの缶詰をほぐして、卵を溶いて混ぜて焼いた。
だしと醤油と砂糖と酢で餡かけを作ってかけた。
以上4点である。

利用者さんは、「わぁ〜。魔法をかけたみたい…」と私をよいしょしてくれた。でも、味はわからないのだ。金曜日までお預けである。
家で何か 足らないなぁ〜という時に登場する惣菜である。

家に戻って垣根に木製の柵を付けた。木が生い茂る前に…と思っていたけれど、ようやく取り付けられた。
青しその芽が出始めた。これは、種が零れて自然に発芽するのだ。これが群れていたりする所も有ったので 程よく移植した。
垣根の植え込みの下の枯葉を取り除いた。

そんなこんなの庭仕事を駆け足で済ませて、畑に向かった。
今日は、ヤーコンを植えつけた。
聞くところに拠ると結構大きな葉が付くそうである。
どんな風になるか 判らないけれど…楽しみである。
畑のあぜの所には マリーゴールドを植えた。
これは、虫除けになると聞いた事があり 畑にはいつも植えるようにしている。これから、どんな配置で種を撒き、苗を植えようかと畑と睨めっこをした。でも、経験不足で…いいアイデアが浮かばなかった。


2004年04月25日(日) 腰が…。


 立ち上がり等 ふらつきが多く 介助の回数が多かったせいかも知れないが…腰がずっしりと重い。
こんな事、今まで無かった。

母の食欲は旺盛で…私たちより時間は掛かるものの 食べる量は多い。
放置したら、出ているもの全部 食べてしまうのではないかと思うほど食べていた。

一日の中で意識がはっきりしたのは、昼食の前後位かなぁ〜。
他は、言葉もはっきりしてなくて…。
こちらが推測していく連想ゲームに近い状況だった。

今日も 排便誘導…。
おそらく 溜まったものは出たと感じた。
それにしても、母自身 気持ち悪いのだけれど…それを言葉に出来なくて…。なかなか出ないので「もうやめる?」「出ない?」と聞くけれど「出る」「出そうな気がする」の繰り返しだった。
お腹をマッサージすると「痛いけれど気持ちが良い」と言う。
二人で頑張って何とか出たときはほっとした。

母も「有難う」と幾度も言った。

このトイレでの対応で幾度も立ち上がりの介助。
洗髪での介助。
こんな事が腰の痛みの原因だろう…。

母自身も 立ち上がりにふらつくという不安があるようで しっかり掴まってきた。何かが少し変化しているかな?という気がした。

それでも、散歩に出れば安定した歩行が出来るから まだ良いのかな?
腰の運動は母と私の課題になりそうである。
 


2004年04月24日(土) 今夜は 逆ショート…です。


 今 私の神経は2Fの母の方に集中している。
「おかちゃん」とか「ゴトッ」とかの音が聞こえはしないかと。

母を迎えに行く時から 今日はこっちに泊めようと決めていた。
施設に付いて直ぐ「お泊り」を伝えお薬を戴いた。
職員が飛んで来て「夜中に目覚めてから、一睡もしてないのです」と伝えられた。また、排便も6日程ないという事だった。

在宅時だって そんな事はあったので「腹痛の訴え有無」だけ確認したが「無い」という事だった。
着替えをして直ぐ施設を後にした。バスを乗り継ぎ家に着いた。
今日は、急な坂道を手を繋がずに上ってもらった。ヨタヨタとしながらも何とか上りきった。

家に着くと「あんた ご飯食べなさいよ」と言う母。
確かに 今朝は 農協に野菜の苗を買いに出かけて 昼近く戻ったので 昼ごはんを飛ばして迎えに行ったけれど…そんな事は母が知る由もないのだが…。
きっと 母がお腹が空いているのだろう。
それにしても6日も出てないのに…お腹が空くのだろうか?と思ったりする。
試しにお茶とお菓子を出すと「美味しい」と言って食べだした。
おやつの後 リハまで充分時間が有ったのでご近所を急ぎ足で散歩した。
ゆっくりなら30分コースだけれど20分弱で歩き終えた。
何故 早足かというと 便秘しているなら少しお腹を刺激した方が良いだろうと思ったのだ。
寝ていない事もあるのだろう 母の意識はとてもぼんやりとしていて周囲の景色などあまり目に入らない様子だった。だから、意識して草花の前で立ち止まって「綺麗だね」と声をかけるようにした。

戻って間もなく療法士さんが見えてリハが始まった。
ちょっとは うとうととしたのだけれどいつものように寝入ってしまう事は無かった。リハが終えると起き上がって両手を付いて「有難うございました」と挨拶していた。神経が張り詰めているのだろうか?
いや、それより気になったのは「あんた、ご飯食べなさい」を繰り返し言い続けていたことだった。
「お腹すいたの?」と聞くと「うん」というのである。
リハ後 また うどんを半分食べて貰った。
うどんの具はオクラを刻みなめこも入れた。
ぬるぬるは 排便の排出を良くしてくれるような気がしたからである。

その後 畑まで出かけた。
帰路は 遠回りをして戻った。こんだけ歩けば 良い眠りにつけるだろう。

夕食の支度を手伝って貰った。大根おろしをお願いしたが半分までしか気力が続かなかった。仕方が無いので隣で台布巾洗いをして貰った。
その位だと 何とかやれた。勿論 これはエンドレス状態でこちらが「有難う」と言うまで母は、洗うのを止めないのである。

夕食も「これでもか」というほど食べた。出来る限り繊維質を多めに。
ふきの葉の佃煮(我が家の庭のものなので塩分は控えめである)ふき。
じゃが芋のチーズ炒め。南瓜の煮つけ。大根となめこの卸し和え。大根と人参とあげの味噌汁。ガンモときのこの炊き合わせ。かど焼き。
これ全部を 一時間かけて食べた。
途中 お腹いっぱいだったら無理しないでねと声をかけたけれど…意味が無かった。
夕食後はお決まりの擬似食器洗い。
 
その後折り紙をしてもらう。
今日は こちらが折らなくても母自らかぶとを折り、金魚に仕上げていた。
全く眠そうでない。

それでも10時近くになったのでトイレに誘導。30分近くいきみようやく中等量は出せた。でもかなりポロポロ状態だった。
その後入浴。
布団に入ったら 直ぐに寝入ってしまった。

ここまで経っても 特に起きる様子もない。これなら 大丈夫かな?ほっ。


2004年04月23日(金) ちょっとの自由


 利用者さん訪問。
利用者さんがニコニコなさり「今週は 自由になった気がします」と言われた。例のお弁当の件である。
早速、電話して今週はお弁当をお休みなさったようである。

普通の生活をしているとお弁当の配達位…と思ってしまうけれど。
やはり生活が拘束されてしまっていると言う不自由感は苦痛なのだろう。
たった一回のお休みで自由を得られたような気持ちになれるのだなぁ〜。

母との生活でも私が管理している…と言う感覚になった事がしばしばあった。母も管理される事の不自由さを訴えた。
私の中に「看て貰っているんだから…」という思いがあった事は否めないのだ。

でも 利用者さんを訪問している時「管理になってはいけない」という思いがあり違う対応をしている自分と出会い 少しだけ母の気持ちが判ったような気がしたのだった。

そんな事もあり 今回の利用者さんへの助言となったのだった。

ご家族が「今日は、お弁当配達の日だね」と電話くださり「そうだね」とだけ言ってお休みした事は伝えなかったようである。
ケアマネさんは、当日「お弁当なしで大丈夫ですか?」と電話くださったようである。
痴呆で「自分で断った」という事すら覚えていないという事もあるのだから…。
周囲の気配りは大変かも知れないけれど…時に見てもらっている者が自由になるという事もあっても良いんじゃないかと思う。
「月、金のお休みは 何時でも言ってくださいね」と再度伝えた。

午前中、めだかの家を掃除した。
冬の間 放置していて水中は藻がいっぱいだった。枯葉まで入り込んでいた。それでも めだかは元気で…。
「こんな飼い主でごめんね」と言う気持ちで清掃した。
さて、めだかは 今年産卵してくれるだろうか?
金魚は、産卵してくれるだろうか?
別の容器では タニシが冬を越した。タニシは増えるから…と言っていたので別に育てている。
めだかよりもっと過酷に放置していたんだけれど…元気だったタニシ。

よ〜く考えて見ると「タニシ」を育てるなんて考える事もしなかった。
河原や田んぼには 嫌と言うほどタニシはいたのだから…。動きも少ないタニシだし…。
同じ育てるなら「おたまじゃくし」の方が面白かったなぁ〜。
そういえば…おたまじゃくし 見てないなぁ〜。
自然から遠ざかっているという事かなぁ〜。


2004年04月22日(木) お疲れでしたね


 施設の玄関のドアを入るとSさんが出迎えてくれた。
「たくさんの荷物ですね。言ってくだされば 下まで行きますから…」
「有難うございます」と応じた。
果たして、Sさんは 自分ひとりで下に移動できるのだろうか?
徘徊は ないSさんで 記憶もある程度あるけれど…でも正確な記憶は…
どうだろう?

そういえば、退院してきたAさんの記憶も少しおぼろげになってきたように感じる。Aさんは、入院前まで 私と母の関係を理解できていた。
「良いわねぇ〜。娘さんがいて…」といつも言っていた。
でも今日 隣にいる母を見て「あなたのお母さん?」と聞いて来た。
全く判らなくなる程では 無いだろうと思うけれど…。

居室に行くと母は職員にトイレ誘導してもらっていた。
職員の話だと フロアの人たちが 午前中から近くの公園へ出かけて昼食も公園で食べてきたそうで たった今戻ったばかりだと言うことだった。
そして「滑り台に乗ったりして かなりお疲れと思います」とも。

職員は 他にも用があると思い 母の事はこちらでやりますと申し出た。

トイレの母は 機嫌が悪く口も利きたくない様子だった。
「出た?」「出そう?」の問いかけをしても「むっ」とした表情である。
出そうも無いので トイレから出てもらった。
「疲れているの?」と聞くと無反応。
「横になる?」と聞くと僅かに頷く。
急いで ウォルスの抱き枕を置くと母は直ぐ横になり間もなく軽い寝息を立てだした。
公園とは言っても母の散歩コースの3分の1にも満たない距離の所で「疲れるほどでもないだろう…」と思うのだけれど、今日の暑さで疲れてしまったのかも知れない。声もガラガラしていた。

母の寝ている間にコンビニに買い物に出た。
こんなに暑いのだし便秘気味とも聞いたので水分補給と繊維質の物を食べてもらおうと思ったのだ。
外に出れば良いのだろうけれど、かなりの疲労度なんだろうから、今日は室内でゆっくり過ごした方が良さそうだった。
コンビニから戻ると母は、目が覚めかけていた。あまり長い時間寝ると夜間が大変と思いおきて貰った。
そして、今年初の「クーリッシュ」を飲んでもらった。
水分を多量に欲しがったので喉も乾いていたのだろうなぁ〜。お茶や果物たっぷりのゼリーと昆布を食べてもらった。

それから洗面台で洗髪をした。
残念ながら洗面所は水しかでないので「冷たくてごめんね」と謝りながらの洗髪となった。
母は水で洗うのを嫌がるだけれど…今日はよほど頭が気持ち悪かったのだろう…「大丈夫。洗ってよ」と嫌がることは全く無かった。
お日様も高いうちなのでドライヤーを使う事も無かった。
でもやっぱ、ドライヤーは有った方がいいなぁ〜。
準備しておいた方が良いのかな?

洗髪後 みんなとおやつを食べた。
今日は 疲れている様子なので早目に施設を後にした。


2004年04月21日(水) 根気が続かない…かぁ〜

 母の衣類は、様子を見ながら時折入れ替えている。
真冬のコートや厚手のセーターの類は さすがに 引き取ってきてクリーニングを済ませた。
けれど、その後の薄手のコートや毛糸のベスト等は 気温の低下もあって置いた儘になっていた。
下着も長袖シャツや長下ズボン等は 片付けた方が良いだろうと思ったのだった。

昨日 クローゼットを空けて 衣類を取り出して畳の上に広げて行った。
すると 母はそのひとつをひとつを手に取ってみていた。
瞬間「しまったかな?」と思った。
と言うのも 在宅時にはこんな時荷物を纏めて「帰るから風呂敷頂戴」と帰宅準備が強まるのだった。
でも、昨日の母は そういう事もせずちゃんと畳みだした。
衣類が多量だったので途中で嫌になったのだろう…「○○ちゃんに任せるわぁ〜」と仕事を放棄した。
「だるいなぁ〜」とも言っていたから気力が続かなくなってきているのだろう。
それでも、在宅時だったら「ごめんねぇ〜。あんたばっかりに仕事させてしまってぇ〜」と繰り返し繰り返し謝り始めて 思い出しては手伝うという事をしていた。
でも、そういう事も無かった。

在宅時 作業時の纏わり付きが ほんとに面倒だったけれど 今のような状態になってしまうとあの時の方が良かったのだと感じる。
母に活力がある方が 対等で過ごせるような気がしてくる。

こういう感覚は、過ぎてしまったから言える事で 現在 追われる様な毎日を過ごしている人にとっては とんでも無い事かも知れない。

でも、実際の所 反発が少なくなってくるというのも寂しい事だと感じる。
余計な事をされて対応する時と 出来なくなって対応するのとでは 随分違うものだなぁ〜。
目が放せないという事情も やはり状況によって違ってくる物だとも思う。

あまり急激な変化はないと思って来たけれど、こうやって見ると随分と後退している面があるという事が見えてきた。
最近、こういう事ばかりに目が行ってしまう。
現状維持…そう思って母との時間を過ごしているけれど…時折「ぬかに釘。暖簾に腕押し」状態になってきているなぁ〜とやきもきしてしてしまうこの頃である。

衣類を片付けて、七分丈のセーターやTシャツ。薄手のカーディガン。薄手の長袖パジャマ等を出して補充した。
ふと見ると汚れた儘のアンサンブルが出て来た。
「ゲーッ」である。
しまう時は 洗濯してある物と思って片付けたのだろう。
しまいこんだ薄手のセーターや毛糸のカーデガンを再度出してみるとやはり食べ零しのしみが付いたままになっているのが数点見つかった。
それらを纏めて家に持ち帰り洗濯する事に。

今日、それらを洗濯した。
長期に放置したので取れないのでは…と心配だったが、手洗いを繰り返したら何とか綺麗になりほっとした。

母は、一人で衣類を出して着替えるという事は出来なくなっているのだから…今度は一度着用した衣類を入れる袋を準備したほうが良いのかな?
家なら 毎日点検できるし汚れたら着替えるけれど…施設はそうも行かないのだろう…。


2004年04月20日(火) 痴呆に関する記事2件考察

 今朝の新聞に痴呆に関する記事が2件在った。
ひとつは虐待
記事を読んでみてケアマネのフォローが救いだった。
虐待の深層に「介護疲れ」とある所である。
虐待を肯定はしない。
それでも誰もが陥りやすい…と思う。
私自身、叩くような虐待はしなかったけれど、無視はあった。
母と口を利かない事で自分自身の気持ちを静めていた。
痴呆の入り口にある母の現実離れした話に付き合っているのはかなりの苦痛だった。一日に百回以上も同じ事を繰り返し聞かれ それも母の納得の行かない話を受け容れて 自分の事が何も出来ない…。
これに、かなり苛立ってしまった。
口を利いて貰えない事で母が参って行くのが判っていながら そうするしかなかった。
その根底に兄弟の協力を得られない苛立ちもあった事は否めない。
また、夫の事娘の事…も重荷になってしまう事もあった。

疲れ果てて他に気持ちを変える事が出来なかった。

後で 情けないなぁ〜と落ち込んでしまうのがオチなのだ。
母も私もおそらく夫や娘だって 深いダメージを負ってしまうのだった。

虐待してしまうのは男性に多いと言う。
ひょっとすると大黒柱で仕事と介護を背負っている人が多いのではないかと思う。また 男の子を持つ友人が「娘より息子が可愛い」と言う話を良くしてくれる。このあたりにも、男性に虐待が多い原因があるのではないかと感じる。
情の部分と疲れとが一緒になってしまうのではないかと思ったりする。

一人で介護を受け持っているとどうしても主観的な介護となりやすい。
男性や一人で介護している人には サポートしてあげる体制を取り入れるべきだろうと思う。そうする事で介護疲れや負担を多少緩和できるような気がする。介護放棄の虐待もあれば 善意からの虐待という事もきっとあるだろう。少なくとも善意からの虐待であれば 疲れや負担を緩和できれば防げるような気がする。
折角の介護が意味の無いものになってしまう事は あまりにも過酷過ぎると思う。

もうひとつの記事は
痴呆症と言う呼称の変更である。
これは、私も以前は「嫌だな」と感じた時期がある。
今は そう感じない。
私の感覚が麻痺してしまったかも知れない。
でも呼称だけ変えても痴呆べっ視が有る限りあまり意味が無いような気がしてしまう。とても微妙な言い方だけれど 言葉が悪くても根底に 暖かさがあれば問題が無いように思う。

呆けてはいても 尊厳を守ってもらえない時の感情の高ぶりは痴呆度がかなり進行しても残っている。
これは、施設介護に長く関っている方からも聞いた事があるし 精神科医もそう言っている。
言葉より 痴呆者の尊厳を守ってもらう事の方がずっと良いと思ってしまうのである。

と新聞記事の事は ここまでとして。
母は、誠に機嫌が悪かった。
居室で母の衣類の入れ替えをしている時は特に変化は無かったのだが…。
4月のお誕生会に出てから不機嫌になった。
一緒に居なかったからか?他の人と話していたからか?外出しなかったからか?それぞれ心あたりがあって どれかが判らなかった。
でも、これまでの事を考えてみると他の人と話していたからだろうなぁ〜。






2004年04月19日(月) パワフルに見えるんですねぇ〜


利用者さん訪問に行く道すがらご近所さんと出会った。
これから通院なさるという事だった。町の医師の情報をちょっとお届けした。訪問を終えて帰り道でまた通院帰りのご近所さんと出会った。
朝とは違い 表情が明るかった。
「それにしても元気ねぇ〜。お客さんは来るし…面会に行くし…出かけるし…。更年期障害 ないの?」と聞かれた。
見られてんだなぁ〜。ご近所さんとはこの所話す時すらないのだけれど。
私自身 連日いっぱいいっぱいで動いているのだけれど…よそ様から見るとどうも元気いっぱいパワフル人間に映るんだなぁ〜。
調子も良いとは言えないんだけれど…言ってみても始まらないから…。こんな時期から弱音吐いたら も少し年を重ねたら困った事になるもの…と動いているんだけれど…。
ま、元気に見えるって事は良い事…と考える事にしよう。

午後は 役所と支援センター主催の家族の会がある。
今日は 動きたくなかった。
でも この所参加者が減っていて 行かないと会そのものの存続が危ういのだ。介護者は忙しかったり、疲労度が高くなると会にだって出られなくなってしまう。会の需要度はあるのだけれど…。
今日の参加者は、施設に託した者2人だった。
介護者が休日に倒れた時に緊急に利用できる施設は?と質問していた。
一時保護の制度はあるけれど利用率までは 今 わからないので宿題という事になった。
でも 救急車利用や徘徊で保護された場合等は それぞれ自主判断で保護を考えて貰える様であった。
だけど…。
それは一対一の介護の場合で、他に家族がいる場合に主なる介護者が倒れても考慮は無いのが現実だそうである。
実質介護に関らない人が 介護できるとは思えなくて…問題が残るなぁ〜と思った。

後ひとつ。
それは、アリセプトが普通の高齢者や呆けの心配から利用したり 処方されたりの場合が増えてきているとの話になった。
でも、どうなんだろう?
副作用は少ないと言うけれど。全員に効く物でもない。
さっきもアリセプトの副作用を探したけれど…症例が少なかった。
参加した精神科医は眠くなる副作用…。服用を急にやめると一気に症状がダウンするのでゆっくり減らす事が必須。と言っていた。
でも手足の筋力低下を指摘する所もあるのだ。
考えさせらる話だった。
この事に関しては、もう少し調べてみようと思う。
母の場合アリセプとの服用はしなかったけれど…・
効いている人もいるから 軽々しく言えないけれど、良いのかなぁ〜と思ったのも事実である。






2004年04月18日(日) 思い出したい事は?


母は、割りに落ち着いていた。
「出かけよう」と言うと「うん」と返事が返ってきた。

着替えをして外に出た。
「今日は、車がゆっくりだねぇ〜」「そうだね。信号で止まっているのよ」
と言ううちに停止していた車が動き出した。
「ほらぁ〜行けぇ〜行けぇ〜行ってらっしゃい?」と母。
「何処に行くのかねぇ〜」と聞いてみると「あっち」と車の進行方向をさした。そりゃそうだわ…。母には負けてしまう。

バスを乗り継いで家に行く。
「家はいいなぁ〜」と言う母。
こんな言葉を聞くのは久々である。
でも、何処まで判っているかは不明である。
家らしい雰囲気が有ると言う意味だったかも知れない。
それでも そんな風に言われるとちょっと嬉しくなってしまう。

直ぐにおやつを食べてもらった。
今日は 暑いのでフルーツの入ったゼリーにしてみた。
「いや」とは言わないけれど食べ方がゆっくりだったのであまり好みで無かったかも知れない。
熱があるかと額に触れてみるけれど特に変化は無かった。
カステラを出すと「美味しい」と食べたのでほっとする。
「お風呂に入ってみない?」と聞くと「今日は疲れているので入りたくない」と言う。
こちらもだるいので 今日は無理しない事にした。
母の隣でちょっと横になったらす〜っと眠ってしまった。
「おかちゃん」と言う声にハッとすると15分ほど過ぎていた。

母のパンツの鍵ホックの糸がほつれていたのを思い出して針箱を出した。
今日の母はあまり興味を示さないので私が繕った。
母の記憶にもほつれが記憶されていたようで「ここがねぇ〜」と言っていた。繕い終えて母に渡すとパンツに記された名前を幾度も読んで何かを確かめるようだった。
母は、何かを思い出そうとしているのだけれど何も思い出せないようで…。
「なあに?」と聞いても「何だか判らないのよ」を繰り返していた。
特に落ち込む様子も無いので こちらからは特に聞き返す事もしないで置いた。

母はぼんやりとしていた。
私も作業を考えるという事も無くて 新聞を読んだり 歌ったりしながら家での時間を過ごした。

哀しそうな表情も無かったので こんな日もいいかなぁ〜と思った。
帰る前にコップにジュースを空けて渡すと「お酒入ってない?」と言う。
「あれ、お酒好きだっけ?」と聞くと「好きじゃないし…飲みたくないよ」と言う。「へへ、判ってるよ。○○チャンの好きなもの。嫌いな物は判るよ」と言うと「ありがと」とお礼を言われた。

今日は早めに施設に帰った。


2004年04月17日(土) 来客 2話


 今日は朝から外出。
夕方家に戻って 洗濯物を取り入れて 夕食の支度に取り掛かる頃電話。
「これから 伺う」と言う。
娘は夕食要らずなので2合しかご飯を炊かなかった。
「夕食作って 待って…」と言うと「ご飯は食べていく」との事だった。
そんなに遠い所でないし迷子になっても困るので留守にも出来ず…。

待てど暮らせど来ない。また迷子になってしまったかと案じるけれど…。
10時過ぎにようやく到着。
その間に娘からも電話。
今日も泊り客を連れてくるかも…と言う。おととい泊まった人である。
寝室をどう分けよう?
方や4名の男性陣。方や1名の女性。

朝早く出るのは 男性陣。女性は何時に来るのか判らないし朝も全くわからない。
人数で決める事にして布団を敷いた。

それから延々とお話。
今日は、夫もいるので助かった。

1時ごろようやく皆さん就寝である。
まだ、娘は帰宅していない…。

実は今朝、5時おきで稼動しているのでさすがに眠くなってきた。
何だか慌しいなぁ〜。
明日、母の所にちゃんといけるかなぁ〜。少し心配である。


2004年04月16日(金) 利用者さんとご家族の間で…。


 利用者さん 訪問。
今日は、散歩の日であった。
お訪ねすると「先日でかけた和菓子屋さんまで行きたい」という事だった。
私のみで行けば、15分あったら往復できるのだけれど、利用者さんの足だと1時間は掛かる。早めに出なければならないけれど…。
「ちょっとお話が…」と暫く話し込む事となった。

先日もめて眠れなくなったと言う例のお弁当の事だった。
利用者さんにとって お弁当は美味しいのだけれど配達の時間に家にいなければならない事が苦痛になっているようであった。
お弁当が無くとも困りはしないという事情もあるようである。
確かにこの所の利用者さんは、スポーツジムに出かけたりと積極的に運動をなさっておられる。
外食だって出来るだろうし、他の方と一緒にお食事という事もしたいだろう。月金は私が訪問。火曜はデイ。水曜はお弁当。木曜はヘルパーさん。
土日はご家族がどなたかお見えになるのだ。
こうなると自由に使える日というのがなくなってしまう。
だから、お弁当をやめて水曜日をフリーの日としたい様子なのだった。

気持ちは理解できる。
母だって「どうして 私の好きなように暮らしてはいけないのか?自分で判るよ」と苛立った時期が有った。
このあたりが、難しいところである。
縛りすぎてしまうと意欲が低下して依存心が強くなって行ってしまう。
かといって、好きなようにしてもらうとその間 家族の心配や心労が尽きないのである。
私は 少しの嘘を交えて 母に選択して貰う形をとった。
とはいっても、結果的に私の選択に合わせて貰った訳で…ずるい方法だった。

利用者さんは、デイでも同じような事を相談なさったようであった。
デイの職員は「お弁当は 何時でも中止できますよ」と話されたようだった。私は、家族の要望でお弁当の配食されている事を聞いているので 迂闊にはいえない。また、前回と同じようにトラぶってしまうと利用者さんが混乱するのは目に見えるから。
窮余の策として 前日に 「用があるので明日のお弁当はお休みさせてください」と電話でキャンセルする事方法を伝えた。
これを2週おきにやってみて 実績を作ってから判断してみてはどうか…と。

利用者さんも納得してくださり、徐々にやめる方向に…という事になった。

ここは、事業所の方にも連絡してこの間に 何か方策を考える事がいいだろうと思ったのだった。

そんな話をしてから お散歩に出たので訪問は30分オーバーしてしまった。
それでも帰路はバスを使ったのだけれど…。




2004年04月15日(木) 有難う 有難う…


 昨夜 娘は泊まりで、予定の来客も無かったので 今朝はいつもより早い時間から動き出せた。
気になっていた庭の手入れを少しした。
新芽の広がるハーブの冬枯れした部分を取り除いた。新芽に触れるたびにハーブの良い香りが広がって…リフレッシュ。
ぎぼうしも芽が動き出しているけれどちょこっと株分けした。
軒下で冬を過ごした鉢植えを日の当たる所に移動。古い枯れかけた葉や枝を整枝した。
我が家の庭も遅まきながら…春支度である。

一仕事終えて 母の所に向かった。
母は居室の洗面台の鏡をみて目を擦っていた。
「泣いてたの?」と聞くと「泣いてないよ」と頑張る。
そう、その調子…。堪えて頑張る…それが出来れば きっと落ち着いてくる筈である。

支度して家に向かった。
また、トイレの話で恐縮であるが…。
これが、痴呆の場合 必要不可欠である。
母の課題は、自力排泄の維持と排泄コントロールである。
今日は、幾らいきむように言っても「んっ」くらいしかいきまなくて 出てもおかしくないのに…でなかった。
トイレで10分ほど格闘して諦めようと思った所で閃いた。
「ねぇ〜。大をする時はどうするの?」「頑張るのよ。でも、頑張りたくないなぁ〜」
「お腹痛いんでしょ。」「ううん。痛くないよ」と言うのだけれどこれは真実ではない。しきりにお腹を擦っているのである。
「固い大で肛門を塞いでいるからガスが溜まって痛いんだよ。お腹触ってごらん」母がお腹を触ったので「ほらね。ここに在るでしょ」とちょっと嘘をついた。「ウン。ここに在るね」と母。
「あのね。私がう〜んといきんだら私の大が出るだけで○○チャンの大が出る訳じゃないのよねぇ〜。困ったなぁ〜」すると母は笑い出した。
「そうだね。判ったよ。頑張る」
ようやく 話が通じて用を足す事が出来た。

その後 食事。
筍ご飯と筍と椎茸と豚肉の煮物とほうれん草のおひたしと豆腐の味噌汁。
山盛り筍ご飯をぺろりと食べた。
筍の煮物は食事が済んでからも食べていた。家で灰汁を抜いたので少しいがらっぽいのだが…それでも筍好きな母なので箸が止まらない。
便秘解消になるかも…と好きなだけ食べてもらった。

その後入浴洗髪。今日も熱いと騒いで不穏の一歩手前となった。
「ごめんね。でも身体も冷えていていて熱く感じるのだから我慢してね」と言うと母は我慢してくれた。
風呂から上がる時「有難う。有難う。」としきりに言った。
今日は やたらお礼が多いなぁ〜。

風呂上りに プリンとジュース。

ゆっくりした後で手足の爪を切った。
これも「痛い」の連発で注意深く切ってあげた。
爪きりが終わるとまた「有難う 有難う」

綺麗さっぱりした後で 駅に向かって歩いた。
途中 後ろから若い子が追い抜いていくと「私は遅いんだね」と言い早歩きを始めたが「やっぱり無理だな」と普段のペースに戻していた。
いや、それでも充分早いのだけれど…。
「疲れない?」と聞いてもめげることなく「疲れないよ」と元気。
無理してるんだなぁ〜と思うけれど気づかぬ振りをして頑張って貰った。
 
これだけの運動量なら 便秘も解消するかもなぁ〜。


2004年04月14日(水) どっちかなぁ〜。


 昨日、雑誌類の整理をした。
古いPCの説明書も捨てる事にした。
最初にPCを買った時 使い方が記してある説明本(?)がたくさん付いて来ていた。CDロムも今より多かった。
今は、PCに付いて来るものは少なくて 買わなければならない。

最初に買った頃と比べるとPCは安くなった。
良く判らないけれど きっと、こういう所の削減も価格を下げられる要因なのだろうなぁ。

雑誌類の整理をしていると母の塗り絵が混じっていた。
大体は纏めて有るのだが…ちょい置きが混じっていたのだろう。
しみじみと塗り絵を眺めた。
まだ3.4年前の物である。
娘のための工作本だったのだが使わずにいたものを母に塗り絵として使って貰った物だった。
とても細かい絵なのだけれど そのひとつひとつがとても丁寧に塗ってあった。ふと その時の母の表情が浮かんだ。
あの頃は、無心に楽しんでいたなぁ〜。
「下手なんだけれど…楽しい」とニコニコしていた。
今、何をしていてもあの時ほどの笑顔に出会うことは無い。
自信のない表情なのである。
満足できてないという事なのだろう。

おそらく 脳出血後からこんな風になったのだろうと思う。
脳出血直後から比べれば 天と地ほどに良くなって来ているのだけれど…。
もうこれ以上は良くならないのかなぁ〜。

塗り絵がうまく出来ている時だって 困った行動は山ほどあり 不穏さでこちらが眠れなかったり 塗り絵を放り出して俯いてしまう事だってたくさんあったのだ。

今 母の楽しそうな表情は 外に出てお散歩してる時のみのような気がする。集中力もなくなっているので仕方ないけれど…。もう少し楽しめるようになると集中力も取り戻せるのだろうか?
それとも 集中力がなくなったから楽しめなくなってきているのだろうか?


2004年04月13日(火) お腹の中に人がいっぱいいる?

 2004.4.13日朝日日刊「伝える言葉」より
『人間は、思い込みと自分らのつくり出したものの機械となって突進する。
その勢いを、人間は誤まりやすいと自覚して、ゆるめようと努めるのが寛容。…』大江健三郎

これは、イラクの人質問題に触れてある記事の一部である。
この記事を読んで涙が出てきたのだが…。

最初のこの一言は、時折入り込む自分の様を言い当てている言葉と感じたのだ。つまり、私は不寛容体質で かなり意識しないと寛容になれない。
誤りやすいと自覚して、ゆるめようと努める作業は、時として自分の都合の良い方にゆるめがちになってしまう。
自戒を込めて、この言葉を心に留めておこうと思った。

母の所に出向くと母は着ているトレーナーの中に編み物を入れて窓辺に立ち上がった所だった。
「○○さんどうしたの?」と職員が母に声をかけた所だった。
振り返って私を見つけた母は、今にも泣き出しそうだった。
居室に連れて入り抱きしめるとウォンウォンと泣き出した。
「どうしたの?」と聞いても「何でもない」と言うばかりである。
「お腹痛いの?」と聞いても「痛くない」と言うばかりだった。
「寂しかったの?」「うん」
でも、こういう時は 排便の兆候のあるときだろうと思いトイレに誘導した。「お腹の中に人がいっぱい入っている」とお腹を撫でている。
「?」という感じでいると また同じ事を言うのだった。
こちらから「お腹の中に人がいっぱいいるの?」と聞き直してみた。
すると母は笑い出した。
「あのね。自分で今そう言ったのだよ」
「へぇ〜。おかしな事言ったんだねぇ〜」と言う母。

「ちょっと頑張ってみよう」と言うと母はいきんで排便できた。
職員に報告するとこの所出ていなかったそうで「良かった」と言っていた。

謎が解けたようでほっとした。
きっと排便痛でお腹が賑やかと言う表現だったのだろう。

おやつを外で食べる事にして外に出た。
「あの車は △△(故郷)に行くんだね」と言う母。
きっと思いは故郷に飛んでいるのだろう。
おやつを食べ始めるとだんだん落ち着いてきてちょっと離れても大丈夫になった。グランドでサッカーしている声が賑やか。
八重の桜が咲き始めているので一人傍まで行き見上げて 母の所に戻った。
「みんな、元気に練習していた?」とまともな話となりほっとした。
薬局で買い物して施設に戻ったが その頃には気持ちもすっかり落ち着いていた。


2004年04月12日(月) 春眠暁を覚えず


 眠る時には 「明日は早起きして畑に行けそう…」と思うのだけれど…。
これが、なかなか 難しい。
気の緩みというか 目覚ましを使ってもスキッと起きられない。

幼い頃から ずっと「目覚まし要らず」だったのに…。
気の緩みなんだろうなぁ〜。

利用者さん 訪問。
先週の金曜日、利用者さんのお話が少しおかしかった。
亡くなった長女さんの娘さんがひ孫さんを連れて遊びにいらしたそうで、それで少し落ち着かなかったのかもしれない。
遊びに来てもあっという間に帰られると…きっと寂しいのだろうなぁ〜。
今日は、落ち着きを取り戻していらした。
「お惣菜、冷蔵庫にあるもので作ってください」という事だった。

ごぼう、人参、冷凍里芋、こんにゃく、さつま揚げで煮物。使いかけのサツマイモで檸檬煮。ブロッコリー、人参。じゃが芋で温野菜サラダ。こぶの甘辛煮。
主食と主菜は利用者さんが作られる。
副菜があると 食べる楽しみが出来て嬉しいといわれる。
お洗濯。お掃除。ごみ捨て。鉢植えの整理…。

途中、ケアマネさんがご挨拶に見えた。
結婚退職のようである。
嫁ぎ先が遠いので退職なさるようだった。新しいケアマネさんと顔合わせとなった。

家に戻り 通り沿いに面したところの草取り。
適度のお湿りと気温上昇で 草はアッと言う間に大きくなってしまう。
コンクリートの隙間には草もあるけれど、苔やスミレ等も根付いている。
注意深く 草とお花とを判別した。
花の終わったシャコバサボテンを下げて 鈴蘭に替えた。
暫くは 春を楽しめるかな?


2004年04月11日(日) 何年ぶりかな?


 いとこが母の顔を見て帰りたいとの事で 施設に案内した。
「誰かわかるぅ〜」「見た事有るようだけれど…」
「○○」(おじの名前)といとこが言うと「違うよ」と言う。
いとこが「名前を言うな」と言うので…。
「○○さんと△△さんの子供よ」「ふ〜ん」とあまり興味の無い様子。
「××さん」と言うと「あ〜そうだねぇ〜」と合点が言った様子だった。
いとこも特に話す事も無く、母だって特に話題もなくて…。
私は、お花に水をやったり、洗面所の掃除をしたり、ごみを捨てたりしていた。間もなく「帰る」と言ういとこを駅まで送って我が家に戻った。

それから、やりかけて放りだしていた菜園に夫と出向く。
まずは、畑を再度均してから 取って置いた根ミツバの根を3束分とせりの根を隅の方に植えつけた。

それと、じゃが芋。先日ネットで調べたら「60グラム以下のじゃが芋は其の儘植え付けが出来る」と書いてあった。じゃが芋の場合、種芋を切って切り口を灰で処理しなければならない。でも、我が家に灰などあるはずも無くて…。石灰でも良いのだけれど…それは夫が嫌がるし…。
そんな訳で、半信半疑ながら 芽の出かけたじゃが芋をこれも隅の方に植え付けた。
うまく行けば儲けものであるといったところ。

遅ればせながら、夕方に肥料やら園芸用品を買いに園芸店に出向いた。
それらを調達して家に戻り 遅い夕食をとった。

夕食後、ようやく買い置いていた観葉植物とハーブを植え込んだ。
気温が上がって緑の葉を広げ始めた苗が気になっていたけれど…そんな時間は無かったのだった。
とりあえず、やりかけの作業を終えてほっとした。
まだ、庭の手入れがある。

考えてもしようが無いので、ひとつひとつ 片付けて行くしかないだろうなぁ〜。



2004年04月10日(土) 愛想いいのは良い事だけど…。


 今週は、愚痴っぽい日記となってしまったなぁ〜と反省である。
これが、私の欠点でもあるわけで、いつも切り離そうと意識して来たのに…やはり なかなか難しい。

今日からは、心機一転 母の日記に戻す事にする。
客人は、今日もお泊りで ついさっきまで娘も入ってお話ししていた。

午前中、母を迎えに出向く。今日は、通院とリハのある日である。
母の担当の方が、通院という事で血圧測定表のコピーを準備してくださっていた。これは、血圧が高くなっている今、とてもありがたい。

バスを乗り継いで午前の診察に滑り込めた。
母は、ニコニコとご機嫌であった。
血圧は、気持ち下がっているけれど まだ、高めであり 血圧を下げる薬がまた追加された。

診察を終えて薬を頂き 家に向かう事にした。
同じ建物にあるお菓子屋さんに 母と立ち寄った。
「どれがいい?」と聞くと母は、嬉しそうにあれもこれも…と眺めていた。
なかなか決まらないので 商品を絞って選んでもらった。
品物を選ぶ事だって、母にとっては必要な経験だろうと思うから…。
お店を出れば、たとえ袋を持っていても買った事さえ記憶には残ってないのだろうけれど…それでもしないよりいいと思っている。
多分 私の自己満足なのかも知れないけれど…。

バスに乗って我が家へ。
直ぐ昼食である。
箸も上手に使える。多少の食べ零しは仕方ないだろう。
これだけ 維持できれば上出来である。

一休みして、入浴。
おそらく昨日あたり入浴しているなとわかったけれど、お風呂が大好きな母だから入って貰った。
洋服は順番に脱げたけれど…着用となるとかなり難しくなってきている。
時間が有れば、もう少しゆっくりと立ち会って着用の順番を思い出して貰いたいのだけれど…いつもいつもすっ飛ばしてしまっている。
洗髪、身体洗いは、一通り済ませてから 母自身に自分で洗い直してもらっている。これも、リハの一環である。

入浴後、髪を乾かしている間に櫛が何処に行ったか判らなくなり探していると母も捜してくれた。
いつもなら、探している物が何だったかさえ忘れてしまうのに…今日は「櫛を探す」という事を持続して覚えていた。
こういう 判ったり、判らなかったりの波って ほんとに不思議である。

リハを受けて、施設に戻る足は「徒歩」にした。
今日も、休息なしで普通の人とほぼ同じペースで歩けた。
筋力と体力が少し上がっているかもしれない。

最近の母は、通り過ぎる人が自分の知り合いと思うらしく 笑いかけたり手を振ってみたりする。
今日も 自転車で通り過ぎるお兄ちゃんに手を振った。
でも、お兄ちゃんは母の事等知るよしもなくてスピードを落とすことも無くて危うく母の手がお兄ちゃんに当たりそうになりヒヤッとしてしまった。
気をつけなければならないなぁ〜。

駅からバスに乗って施設へと戻った。


2004年04月09日(金) はっきりしない晩

 いとこが今日泊まるのか泊まらないのかはっきりしない。
面倒なので「食事は作って有るから…好きなようにして」と夕方伝えた。

おそらく いとこ自身が帰って休みたいのだろうと思う。
今日はいとこの長男が戻って来ている筈である。
「何だかなぁ〜。身内は返して社員は残して労働かぁ〜。ちょっとおかしくない?」娘よりひとつ下の社員さんが彼女とメールや電話を人を避けて交わしている。「かわいそうに…」と思う。

おじさんの説教じみた話に必ず返事して…ほんとに偉いなぁと思う。
時代遅れの話題にもきちんと相槌を打って…娘はとても出来ない…と言っていた。

夫の話だと 今朝、お嫁さんからいとこに携帯に電話が有ったらしい。我が家に泊まっているって判っているんだそうだ。
家の電話だって知っているのに…何も無い…。
そりゃそうだ。あれだけ 家のお嫁さんと一緒に家を批難していたのだから…。「よくも 泊まってくれたなぁ〜」と言う心境だろうねぇ〜。
全く 弟もいとこもそんな女性のデリカシーに気が付かないなんて…。

とここまで書いても連絡が無いので 電話した。
すると…
いとこは、迷子になってしまっていた。
ちゃんと乗り換えの順序書いた紙渡したのにぃ〜。
どうも、息子と会社の若い子は 車で帰って行ったようである。
おい、おい。
電車の乗り方も判らないお父ちゃんを置いていかないで ここまで送ってから帰ったらどうだい。

さて、また 迷子になると悪いから 電話してみよう。


2004年04月08日(木) 【代打日記】はな娘の親不孝日記。

こんばんわ。
ごぶさたしております。
風邪もほとんど治って。元気です。
すっかり春ですね。ほんと。

さっきかえってきたら
途中まで日記を書いていた母がグッタリしてましたので
本日代打日記。

あたしが熱出して寝込んでた日から
ここ数日泊まり続けている親戚が居りまして。
(前日までご参照ください。ね。)
毎日毎日長話を炸裂するんですよ。

今日は自衛隊のニュースに夢中だったらしく
話をしなくて良かったと「♪」な、はなちゃんでしたが
タイミング悪くあたしが帰ってきちゃったので
あたしの人の役に立たない仕事の話になってしまいました。

でもって、気づけば結局もうすぐ午前1時…(!)

…そして親戚は明日もくるみたいです。
「母さん!うちはいつから下宿になったのでしょうか?」

日記タイトル「はなの細腕繁盛下宿記」にでもしたら?!
…と提案してみる馬鹿っ娘。(合掌)

きっとまだまだ続くね。。。

ゆっくり風呂に浸かりたい。。。


2004年04月07日(水) お口チャックの日々


 気温の上昇で木々に 新芽が広がってきた。
紅葉とは違うけれど里山は燃えているなあ〜と感じる。
母との散歩もそんな景色を楽しんだ。
いつものごとく「あれは何の木?」と聞くことから始まった。
今日は 「桜」がでなかったけれど「柿」と言えた。
このところ「柿」が言えなかったので思わず拍手した。
すると「私でも覚えている事あるんだね」と母は言う。
少しオーバーに褒めすぎてしまったかと思ったけれど、母の笑顔を見ると「これでいいんだ」と思えたりもする。

母は、この所職員と共に編んだ編み物をしている。
もう、糸がなくなった状態である。目の始末ができて居ないので 残っている目を右に左に移動させて 編んでいるつもりになっているのだ。
今日も、編み物を渡すと「あれぇ〜 糸が…」と言われた。
初めて編み続ける糸が無いと気が付いたようである。
ひょっとすると、私のいないところで もっと前に気が付いているのかも知れないが…。

でも、気が付いた事が 私にはとても嬉しくなり新しい糸を出してあげた。
と言っても使い古しの糸なのだけれど…。

作品自体は、マフラーもどきで人様に見せるほどの物ではない。
でも、編もうとする意欲、糸が無いという認識が出来たのだから…それで良いだろう。

今夜も遅くまで 来客と遅くまでおしゃべりしていた。
余計な事を話さないように…と苦慮している。

弟のお嫁さんといとこのお嫁さんは仲良しこよしなのだけれど…。
昨日 弟のお嫁さんの事を愚痴られた。
以前なら「ごめんね。お世話になって…面倒かけて…」と謝っていたけれど…。そんな言葉は もう 言わない。
風次第で、流れが変わり 風向きはたやすく変わるという事を一度経験したのだから…。悪気の無い言葉が、悪い方に変わることも…。

弟たちの相談に乗らない事もそれとなく言われた。
放った言葉が虚しく返って来ることも判るので 答えをずらした。
「もう、大人だから 自分たちの責任でやれるでしょう。こちらからあれこれいう事は 弟たちに良い事とも思えないので…向こうから言われた時に考える」とだけ伝えた。
迂闊にはなして 言葉通りに伝わらない事は経験済みだから…。
頭の鈍い私には このセーブが非常に面倒だ。
食事の支度やお布団を敷く事等気にならないけれど…。

「明日帰る」と言っていたけれど、一日伸びた様子であった。金曜にはまたいとこの息子が(先に帰った)また来るらしい…。
自分の家にいてお口にチャックの日々は何時まで続くのだろう…。




2004年04月06日(火) 今夜も宿泊…2名


 家族の会に参加
施設介護と在宅介護の話になった。
これも 時間のある時に…。

娘の熱も下がり ほっとする。
親としては 何もしてないけれど…。
体調の崩れる前と言うのは 人につっかかりやすくなるような気がする。
気が付いていたけれど…私も目いっぱいの状態だったので 風邪のための処置についてカバーし切れなかった。

風邪菌が抜けたら 母を家に連れてこよう。
暫くは施設近辺の散歩かなぁ〜。

今日も2名の宿泊…友人からのメールで「来客だと張り切るから気分が変わって良いんじゃないかと…」確かに 余計な事を話さなければ良い気分転換にになるだろう。

遅いのでここらで…。


2004年04月05日(月) 来客5名 お泊り


 午前中 利用者さん訪問。家に戻り昼食をとり母の所へ。
娘が 風邪でダウンして寝ているけれど…放り出していた。もう、大人なんだから一人で医者にだって行けるはずである。
気になり早めに戻ると 娘は通院もせずにいた。暫くして通院。異常なほど喉が赤いので熱が上がると言われたらしい。
戻って直ぐ寝込む。
そんな所に弟からの電話。
いとこがこちらで仕事しているようで、川向こうのサウナに泊まっていると言うのだ。
会社の人を連れているらしい。
家に連絡しないのは あれこれ訳もあるのだけれど、こんな傍に来ていてら
やはり「泊まって」と思う。
そんな訳で、急遽 我が家に5名の人が泊まる事になったのである。
うち、3名は明日帰るらしい…が2名は残るという。
じゃ、家から通いなさいよという事となった。
夕食の片付けがようやく済み…ほっとして日記に向かったのだった。
「お母さんには、家に泊まったなんて言わないで良いから…」とだけ伝えた。
これから、娘の熱を見に行き 朝食の下準備をしなければ…。


2004年04月04日(日) つい、興味で・・・


 菜園に何を植えるか?
今の所茶豆、黒豆。カラーインゲン。の2点が揃って居るだけなのだ。
最初は手持ちの本を広げて読んでいた。
過去に育てた作物にしおりが入っていて しばし過去と向き会う事に…。
でも絞りきれなくて ネットであちこち検索しまくった。
私のような無精者には 虫が付きにくいもの、手入れの簡単なもの、が栽培の目安である。

すると、大好きな野菜の事が書いてある掲示板があった。
野菜の種を探し 苗に育て、それを売り出す…という順に掲示板が動いて行くので面白くて途中で止められなくなってしまい とうとう 最後まで読んでしまった。

掲示板からこんな風に発展していくんだなぁ〜。
仕事に着目して行くなんて…。
そういう世の中なんだなぁ〜と改めて思った。

野菜そのものは、もう何年も前から店頭で見てきているし栽培されているのを知っていた。当たり前に市場に出回っていると思ったけれど やはり地域によってこんなにも違うのだなと感じた。

ちょっとばかげて居るけれど…掲示板を読みながら いろいろ自分の内部で反応して「ここでは売ってるよ」「こんな調理法があるよ」なんて思いながら読んでしまった。

結局、何を植えるかは まだ決まって居ない。
でも その大好きな野菜の種を扱っている所が判ったので 取り寄せてみようと思った。
掲示板に出会わなかったら、その野菜を育てようなんて思わなかったかもしれない。

介護に関して 書いてみたい事があったのだけれど…どんな風に書けばよいのか…と悩んでしまった。そんな訳で、今日の日記には 載せられなかった。


2004年04月03日(土) 終わったぁ〜


 土曜日恒例TBSラジオの永六輔の土曜ワイド
北山修氏と六輔氏の話題は、いつも興味深い。
今日の話は時間には2通りの時間があるという事だった。
直線的時間と回る時間だそうである。
直線的というのは、何時何分という時間。
回る時間とは、繰り返される時間で一年経ったらまた来ると言う物だそうである。(例えば桜の季節、来年もまた…)
なるほどねと納得した。
季節柄だろう、お花見の話題にもなった。
北山氏の東京でのお花見は青山墓地午前2時だそうである。
桜を愛でるのに喧騒を避けたいと言う思いもあるようである。
確かに小さい頃は、お花見や夜桜見物は人が付き物でそれも大勢で雪洞の下で酒席…。子供は空の下で団子…。
雨降りの公園は、人もなくお店もなく…で寂しく感じた物である。
じゃ、今はどうか?
北氏じゃないけれど…静かに桜と向き合っていたい気分である。
こういうのって やはり年齢も関係するのかも知れないなぁ〜。

ラジオを離れた隙に人が死んだ時の話になった。
六輔氏が「北山先生は患者さんが亡くなった時 ご家族と立ち会い合いますか?」
と聞かれた。「いえ、亡くなられたら 席を外します」
「亡くなった時は、静かにして欲しいでしょ」
「ほら、良く音楽が好きだったからと音楽をつける人もいるけれど…おそらく 痛みや辛さから解放されたら やっぱり静かにして欲しいでしょう…」
「以前、ニューオリンズで葬儀に立ち会った時 埋葬するまではスローテンポの音楽を静かに流していて…埋葬が済んだ時ドラムをパカパカと叩いて大きな音楽に鳴ったんですよね」地域性で賑やかにジャズかなと思ったけれどやはり埋葬の時は違うと感じましたよ」と話されたいた。

人の死はやはり静かに…と私も思う。
父が亡くなった時も「良かったね。やっと楽になれたね」と心で声をかけた記憶がある。

六輔氏は、いろんな人が聞いている事を意識して「考え方の違いもあるでしょうけれど…」とやんわりと話していた。

昼少し前に 母の所に走った。
4月に入り また自転車に乗り出した。やはり、自転車だと早い。直線的に行けるけるからだなぁ〜。
母たちは すでに公園に出向いており お花見のご馳走を食べ始めていた。
超豪華な献立だった。
いつもは食べ方も忘れてしまったかなと思われる食欲のない方も自分で口に運んで居られて やっぱり青空の下、太陽から受けるエネルギーと言うものを感じずにはいられなかった。
食事の後には お抹茶で一服というおまけ付であった。
このご馳走 どなたが作ったのだろうか?

母は、満腹になるほど食べていた。

お花見から戻り ストレッチしながら療法士さんを待った。
今日は、家に戻ると少しハードになると思い 施設のほうへの訪問に替えてもらった。
母の浮腫みは相変わらず強くて…。足先から膝下までである。
家に泊まった時は多少緩和されたけれど 今週は浮腫みっ放しである。
療法士さんも今までにない程だと心配されていた。
通院の予定があるのでその時に聞いてみようと思う。
リハ後、また 散歩に出た。母の機嫌が良くないのである。
私が他の人とお話しているせいかも知れない。

散歩を終えて施設を後にした。
家について直ぐ畑に向かった。
残り半分の掘り起しである。
掘り起こして間もなく お孫さんを連れた方がいらして、少し立ち話。
これから、3年畑のお仲間となる方である。
「一日では無理で今日再チャレンジで…日没までに全部終えたいのです」と弾みで言ってしまった。
「あんた、これから日没までで全部やったらご褒美上げるよ」と言われてしまった。昨日は土が湿っていて耕すのに向いていなかったようだ。
今日は、さくっと掘れてスコップに土が付くという事もなかったので楽だった。そして「ご褒美」と言う言葉に励まされてとうとう掘り起こしを終えた。空にはお月様と星が光っていた。




2004年04月02日(金) お馬鹿でした


 昨日のエイプリルフールに友人が「お兄ちゃんの所 赤ちゃん出来たって」と言ったら お嬢さんが大喜びをしてしまい「エイプリルフール」ってなかなか良い出せなくなったとファクシミリを返してきた。
実は私は「こっちは雪が舞ってるよ」とメールを送ったのだったが「ふふん」と軽くあしらわれてしまったのだった。
少し悔しくもあり 零時少し前に帰宅した娘にギリギリとエイプリルフールを行使した。
「あのねぇ〜。私 妊娠3ヶ月だって…」と。
私の顔をじっと見つめてから「病院に行ったらぁ〜」
「何ぼなんでも酷いねぇ〜。よりによって痴呆症を疑うなんてぇ〜」
でも、そういう年齢に差し掛かっているんだよねぇ〜。
お馬鹿でした。(ため息です)

午前中 石灰とシャベルを持って菜園に向かった。
先日「場所確認した」と夫に言ったら「広さは?」と聞かれて「3坪位かな?」と答えると「あのねぇ〜。家の中と外では感じる広さが違うのよ。きっとその倍だろうねぇ〜」と言われてしまった。
確かに この手の感覚は私にないのは確かなので「はいはい」と返事した。
今日、出かける前家の中を歩いて確かめ 畑で歩いてみたら夫の言う通りだった。かないませんなぁ〜。

時間も少ないので直ぐに作業に入った。
先の平たいシャベルで掘り返していたら…見かねたおじさんが「これ使いなさい」と先の尖ったシャベルと鍬を貸してくださった。
渡りに船だった。
それでも、半分まで掘り返した所でギブアップ。
半分に石灰を撒いて 更に土をかき混ぜて、今日は終了。

「女の人は 頑張りやさんだねぇ〜」と言うので「?」と思ったら 深く掘り起こしているからという事だった。
でもね。家には うるさい評論家が居る訳でして…。
その方は、50センチも掘り起こすわけで…後でいろいろ言われるのも嫌だからやったまでなんですぅ〜。とは言えず ちょっとだけ若いから…と笑って誤魔化してしまった。

「いやぁ〜。腕が痛くて家まで帰れるかどうか…」と言うとおじさんは「明日になったら 足腰が痛くなるよ」と脅かす。

種を撒かない内から、大きなマメを4個ほど収穫。いやぁ〜 痛いの何のって。物を持つたびピリッとして 怖くて潰せないのです。

家に戻ると直ぐに膏薬を出してあちこちをシップした。
昼食後 利用者さん訪問。

どうも午前中スポーツクラブと銀行にお出かけだったらしい。
ジムには バスタオルを忘れて、銀行では通帳トラブルがあったと話して下さった。通帳トラブルと聞き母の初期症状を思い出して冷っとしたが 機械の方の読み取りミスだったと言う。時間がかかって 訪問の時間まで戻れないかもと心配だったと言われた。
「多少遅れてもお待ちするので 急がないで転倒しないように注意してくださいね」とお願いした。
それから、散歩がてらジムまでバスタオルを取りに行きお買い物をして終了である。

家に向かう頃には、だんだん腰の方が痛み出してきた。
あ〜明日が怖いなぁ〜。
施設では 地域交流の野外バーべキュー をするって連絡が入ったし、午後にはリハもあるし…。
今度は、お風呂でマッサージしてみて 寝る前には筋伸ばしのストレッチでもしたら少しは楽になるかなぁ〜。
年を考えて 加減すればよかったなぁ〜。お馬鹿でしたぁ〜。


2004年04月01日(木) 謝る事も出来ない…。


 昨日は 母とゆっくり話す暇もなかったし 足の浮腫みが今までになく強かったのが気になり施設に向かった。
母は、入所者の家族とソファーに座って過ごしていた。
このご家族とも最近すれ違いが多く久しぶりにお会いした。
利用者さんを連れてドライブして戻られたご様子だった。

母を居室に呼ぶと「あなた ここに泊まったの?」と聞かれた。
咄嗟に返す言葉を失う。いや、時折同じように聞いてくるのだけれど…判っていても言葉がでなくなってしまうのだ。
「○○(母の名)ちゃんは 何処に泊まったの?」と聞き返した。
すると「あそこ」とソファーを指差した。「へ〜っ」と母の質問をかわした。
こういう時の母は、私がここで生活していると言う感覚なのであろう。

トイレを済ませて「はい。タオル」と渡すと「お借りします」と言う。
こんな場合も聞き流せなくて「ほら、これ○○ちゃんのでしょうに…」とタオルに記名されている所を指す事となる。
すると「借り物じゃないのだな」と言った風に ほっとした顔つきになる。

外に出た。
今日は、暖かだし桜も見ごろである。川べりの桜並木を指して「あれは 何の花だろうねぇ〜」と聞いてみた。
「あれはぁ〜 え〜と」と考え込む。
冗談混じりに「あれは、バラ」と言ってみた。
「あはは 違うよぉ〜」と母。
また「じゃ、梅の花だよ」と言うと今度は笑いながら「サボテンの花」とやり返されてしまった。なかなかである。
おそらく「桜」と判っているんだろうけれど出てこないのだなと想像できた。

ひらひらと花びらが舞う中を 見上げながらゆっくりと歩いた。
いつもの公園の前で「休む?」と聞くが「大丈夫」と休む気配はなかった。
空き地には 延びきった筑紫がぽつぽつと出ていた。母とそれを摘んだりした。手のひらいっぱいの筑紫が集まった。

一時間程歩くと「疲れたなぁ〜」と言うので施設に戻った。
トイレに入って用を足してもらっていると 突然に「逃げて行かないよね」と母が言った。明らかに私に向けて言っているのである。
帰るのも間もない時間である。どうして 判るのだろうか?
ちょっとドキドキしてしまった。

面会の始めは、あんなにぼんやりとした意識なのに…帰り際になると意識がはっきりとして来る最近なのである。
面会の度に「あ〜逃げていったぁ〜」と思わせてしまっているのだろうか?
だとしたら…。

玄関近くで面会の記録を記入していてもチラチラとこちらを見ているのが判る。直ぐに立ち去る事も出来なくて暫く様子をみてから施設を後にした。
親不孝を詫びるしかないなぁ〜。


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